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再生産は長く続く?
――アルチュセール・マラソン・セッション――


『再生産は長く続く?――アルチュセール・マラソン・セッション――』
 アルチュセール『再生産について』が草稿として書かれてから40年近い時間をおいて日本で出版された。
 マルクス主義の理論ないしは運動が流行らないものとして忘れ去られ、いとも簡単に捨て置かれる一方で、「勝ち組/負け組」、「自己責任」、「痛みを伴う改革」といった言葉によって、より弱い立場に置かれる人々に対する搾取や暴力をやむを得ないものとし、正当性を付与した上で放置・忘却するような現実がある。容認され隠蔽された搾取と暴力を、もうこれ以上続いてはならないこととして絶えず異議を唱えながら可視化させることが、今(も)、問われているのではないだろうか。
 再生産のプロセスには、「成長」や「やりがい」や「生きがい」といった美しいイデオロギーとともに、葛藤、軋轢、居心地の悪さ、ノイズ、怒り、苦痛も同時に折りたたまれている。再生産の真っ只中で反響し合うノイズをどのように聴き、呼びかけあい、世界を再構成する力を孕ませることができるのか。

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 ◆2006年7月21日(金)
  場所:立命館大学衣笠キャンパス アートリサーチセンター

  【セッション1】 16:30-19:30(開場16:00)
        『再生産について』を今読むことの意味はどこにあるのか

  ○司会:崎山政毅(立命館大学)
  ○発表: 林淑美(了徳寺大学)、平井玄(音楽評論家)
  ○コメンテーター:大中一彌(法政大学)、伊吹浩一(専修大学)、山家歩(法政大学/専修大学)


 ◆2006年7月22日(土)
  場所:立命館大学衣笠キャンパス アートリサーチセンター

  【セッション2】 10:00-13:00(開場9:30)
        『ニート』議論で語られないこと
      ―なぜ、まだ、シンドイのか―


  ○司会:橋口昌治(立命館大学先端総合学術研究科)
  ○発表:]上山和樹(『「ひきこもり」だった僕から』著者)、ほか
  ○コメンテーター:山田潤(「学校に行かない子と親の会・大阪」世話人、『ハマータウンの野郎ども』共訳者)、今野晃(専修大学)、能勢桂介(立命館大学先端総合学術研究科)

  【セッション3】 14:00-17:00
        継続する暴力・搾取への抗いに向けて
     ―社会構成体の<周辺>をめぐる呼びかけ―


  ○司会・問題提起:大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
  ○発表:小野俊彦(九州大学)、原口剛(大阪市立大学)
  ○コメンテーター:伊吹浩一(専修大学)、阿部小涼(琉球大学)

  【セッション4】 17:15-19:15
        総括セッション

 ○司会:大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
 ○発表:西川長夫(立命館大学)
 ○ディスカッション:セッション1〜3発表者および会場参加者。


*参加費無料・申し込み不要
*アクセスについて
  衣笠キャンパスまでのアクセス
  衣笠キャンパス内マップ(PDF)




◆2006年7月21日(金)

【セッション1】 『再生産について』を今読むことの意味はどこにあるのか
 いま『再生産について』を読むことの意味はどこにあるのだろうか、その問いの射程は現代を、そして未来までをも捉えているのだろうか。
 アルチュセール・セッションの発端として、これらの問いがまず問われるべきである。その応答のために過去から現代へと理論的・時代的に振り返っておくことは、決して無駄な作業でないだろう。そして『再生産について』をいま読む意味を、<可能性>として見出すのであれば、現代的な問い・実践での活用は、急務ですらあるだろう。
本セッションでは、『再生産について』の理論的・時代的なコンテクストとその意義などを確認・提起する。近代日本文学を再生産論や国民国家論の観点から分析され現代的な問いを発している林淑美さんにその可能性を、階級社会の問題から理論的・実践的に現代の状況を捉え、批判的かつ刺激的な論考を多く発表なさっている平井玄さんに、その臨界を揺さぶっていただく。そして射程の臨界を位置づけるために、国家論や身体論などの様々な議論を吟味する。そのことで、国家とその外部での生が構想され、問題化されている現在、生自体が争点となっている現代において、抵抗の<可能性>を見出せる議論が行われることを期待する。

 ○司会:崎山政毅(立命館大学)
 ○発表: 林淑美(了徳寺大学)、平井玄(音楽評論家)
 ○コメンテーター:大中一彌(法政大学)、伊吹浩一(専修大学)、山家歩(法政大学/専修大学)
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◆2006年7月22日(土)

【セッション2】 『ニート』議論で語られないこと―なぜ、まだ、シンドイのか―
 2004年半ば頃から「ニート」という言葉を聞かない日はない。ニートは、もともと「義務教育修了後の数年間、学業に従事していない、雇用されていない、職業訓練を受けていない若者」を指すイギリスの行政用語NEETが、日本に輸入されたものである。そしてマスコミに登場するやいなや流行語となり、「ネオニート」「恋愛ニート」「社内ニート」などの造語まで生まれた。
 一方、そうした「ニート」言説を「若者バッシング」であるとして、「ニートって言うな」という対抗言説も生まれている。ただしそこで提案される政策の主体が「学校教育」であるとき、「再生産論」「脱学校化社会」「不登校」の議論や運動を思い起こさずにはいられない。
 また現在の「ニート」議論とその対抗言説からも、また教育基本法からも排除された外国籍の子どもたちの教育権・就労の問題があることも忘れてはならない。
学校に行かないと仕事でシンドイ思いをする、学校を出ても仕事でシンドイ思いをする、そうしたことを語らない(反)「学校教育」の議論はウソである。
 このセッションではこのことを念頭に置き、現在の「ニート」議論では語られない学校と労働、再生産の問題を議論したい。またこの過程でアルチュセールの「再生産」論の今日的可能性と限界が浮上してくるだろう。

 ○司会:橋口昌治(立命館大学先端総合学術研究科)
 ○発表:上山和樹(『「ひきこもり」だった僕から』著者)、ほか
 ○コメンテーター:山田潤(「学校に行かない子と親の会・大阪」世話人、『ハマータウンの野郎ども』共訳者)、今野晃(専修大学)、能勢桂介(立命館大学先端総合学術研究科)
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【セッション3】 継続する暴力・搾取への抗いに向けて-社会構成体の<周辺>をめぐる呼びかけ-
 アルチュセールは言う――「けれども支配的イデオロギーの再生産は単なる反復や単純再生産ではないし、またその機能によって決定的に定義された所与の諸制度の自動的、機械的な拡大再生産でもない。
 支配的イデオロギーの再生産とは、先行する諸形態と新たな敵対的諸傾向に抗しつつ、階級闘争のなかで、また階級闘争によって勝ち取られる統一のなかへ、ちぐはぐで矛盾した先行のイデオロギー的諸要素を、統一し刷新するための契約contractである。支配的イデオロギーの再生産のための闘いは、つねにやりなおされるべき未完の戦いであり、またつねに階級闘争の掟のもとにある。」
 アルチュセールによって、再生産とは決して静態的なものとしてではなく、ノイズやせめぎ合いと不完全な包摂を孕んだ動態的過程として提示される。であるならば、資本制と搾取に対しどのような抗いと異なる生・関係性の創造が可能なのか。
 機能主義的な構造決定論に陥りかねない再生産論をよりダイナミックなプロセスとして開きなおし、再生産のプロセスに常に既に内在化されている反作用や軋みを顕在化させ、抵抗の力能へと変成させる可能性を、特に社会構成体の<周辺>の視点から考えたい。資本制を支える流動的下層労働者をめぐる地域研究からの問題提起から議論を始める。

 ○司会・問題提起:大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
 ○発表:小野俊彦(九州大学)、原口剛(大阪市立大学)
 ○コメンテーター:伊吹浩一(専修大学)、阿部小涼(琉球大学)
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【セッション4】 総括セッション

 ○司会:大野光明(立命館大学先端総合学術研究科)
 ○発表:西川長夫(立命館大学)
 ○ディスカッション:セッション1〜3発表者および会場参加者。
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◆主 催: 立命館大学先端総合学術研究科、立命館大学国際言語文化研究所、アルチュセール勉強会
◆アルチュセール勉強会HP: http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/g/alstudies/alstudies.htm 
◆連絡先: 立命館大学国際言語文化研究所 京都市北区等持院北町2-56-1
       E-mail:genbun@st.ritsumei.ac.jp п@075-465-8164



ルイ・アルチュセール

UP:20060705 REV:20090224http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2006/0721.htm


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