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大学における障害学生支援の現在
――障害学生支援研究と実践の整理・覚書――

青木 慎太朗 20070327 『NIME研究報告』33:13-25
立命館大学 大学院 先端総合学術研究科


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1.はじめに
 今日、障害学生支援は注目されてきてはいる。2001年からメディア教育開発センターが実施するSCS(スペース・コラボレーション・システム)を利用した研修において年二回のペースでこのテーマを取り上げ、2005年からは日本学生支援機構が大学で障害学生支援に携わる事務職員を対象とした障害学生修学支援セミナーを開催し、各地で地域別のセミナーを開催した後、2006年には全国規模のセミナーを実施した。さらに「障害学生の修学支援に関する実態調査」を国の行政機関として初めて実施した。民間団体による調査としては、全国障害学生支援センターのものがあり、『大学案内障害者版』などを通して発信されるほか、朝日新聞社発行の『大学ランキング』における障害学生支援の項目の指標にもなっている。
 他方、個々の大学の具体的な障害学生支援に着目した研究がある。日本福祉大学における「1989年度障害学生実態調査」をもとにした大泉(1991,1992,1993,1994)、長野大学における障害学生支援について述べた下野・藤原(2002)および旭(2002)、広島大学の障害学生支援を高等教育のユニバーサルデザイン化という文脈に即して記述した佐野・吉原(2004)などである。
 本稿では、障害学生支援に関する研究を4つのカテゴリーごとに分類した後にそれらを概観し、障害学生支援が抱える課題を明らかにした上で、今後の障害学生支援において何が必要かを考えたい。

2.障害学生支援研究の概観
 障害学生支援についての研究では、これらを大きく、@障害学生支援に関する量的調査、A海外の障害学生支援、B障害学生支援の具体的取り組み、C障害別のもの/支援の方法論に分類することができる。

2-1 障害学生支援に関する量的調査
 障害学生支援に関する量的調査としては、毎年刊行される『大学案内障害者版』のもととなる、全国障害学生支援センターによるアンケート調査が知られている。1994年に東京都八王子市の自立生活センターで活動をはじめ、『大学案内95年度障害者版(東京編)』を発行して以降、独自の調査に基づいて情報を発信し、その一部をホームページで公開している★01。また、障害学生の交流会も主催している。
 国立大学については文部科学省の調査をもとに、私立大学については日本私立学校振興・共済事業団の調査をもとにして、障害学生の受け入れについてある程度の調査はなされていたのだが、「最も基本的なデータである大学等に在学する障害学生の数についても、網羅的な調査は行われていない」(杉浦,2002:74)といった具合に、障害学生がどれだけいるのか、そのうちどれだけの人たちが支援を必要としていて、さらに支援を受けているのかといった実態に対する統一見解はなかった。
 こうした状況の中で、2005年、国の行政機関としては初めて、独立行政法人日本学生支援機構が「大学・短期大学・高等専門学校における障害学生の修学支援に関する実態調査」を実施し、2006年1月に報告書を出した。報告書の中身に入るに先立ち、日本学生支援機構の取り組みについて述べておく。
 日本学生支援機構は、2005年より障害学生修学支援セミナーを開催している。これは、各大学で障害学生支援に携わる事務系職員を対象としたもので、東京・京都・仙台で地域ごとのセミナーを行った後、2006年には100人を超す大規模なセミナーを東京で催した。そこでは障害学生支援の先駆的事例の紹介、専門家による基調講演、意見交換がなされているが、各参加者は他大学の状況について興味深く聞き入り、活発な情報交換が行われていた。また、2005年8月には「大学等における障害学生の修学支援の在り方について」を発表し、そこでは「教育の機会均等を保障」「ユニバーサル・アクセスの実現」「障害学生受け入れの実現」(日本学生支援機構,2005:4)の三つを目的として掲げている。各地域(ブロック)ごとに先駆的取り組みを行っている大学を拠点大学として、相談、研修、研究・開発などを行い、拠点大学は日本学生支援機構と連携し、協力機関★02の協力を得るという仕組みである。
 それでは、実態調査を見てみることにする。国の行政機関が実施した調査とあって、回収率は9割を超えている。以下に実態調査結果の概略をまとめる。
 大学★03(学部通学・学部通信・大学院)・高等専門学校で、合計5,444人の障害学生が在学しており、全学生に占める在籍率は0.16%である。なお、課程別にみた場合、学部通信が0.26%と全体平均を上回っており、大学院は0.11%と逆に低くなっている(日本学生支援機構,2006:12)。障害学生のうち、大学に支援の申し出があって大学が支援をしている学生は2,029人(37.3%)であり、高等専門学校(47.4%)と大学院(42.3%)でこの割合は高いが、学部の通信課程では25.7%と低い値を示している(日本学生支援機構,2006:16)。
 この調査については新聞でも取り上げられたが、「聴覚障害者ならノートを取ってくれる人や手話通訳がいなければ、講義内容が分からない」(毎日新聞 2006年1月31日 東京朝刊)を筆頭に「ノート取りの補助など必要な支援を実施」(朝日新聞 2006年1月23日)といった、聴覚障害者への支援としてのノートテイク(音声でやりとりされる授業の内容を文字にして聴覚障害者に伝える作業)をたんなるノートの代筆と混同している報道がみられた。同じ部分についても「授業内容の要約を筆記する「ノートテーク」」(産経新聞 2006年1月19日 東京朝刊)と適切に報道したものもあることから、これらが誤解を招く報道、あるいは誤解に基づく報道であることは察するに難くない★04
 メディア教育開発センターでは、「高等教育機関における障害をもつ学生に対するメディア・IT活用実態調査」を全国の高等教育機関を対象に実施、調査結果をウエブ上に掲載している。調査内容は、支援の方針や相談窓口、障害学生支援に関する情報の発信や大学ホームページのアクセシビリティについてである。なお、情報発信とホームページのアクセシビリティに関しては、本論3-4で検討を行う。

2-2 海外の障害学生支援
 海外の障害学生支援について紹介したものとして、1990年に施行されたADA(障害をもつアメリカ人法)をテーマとした著書の一節に大学の問題が紹介されている。そもそも、アメリカの自立生活運動はエド・ロバーツを中心にバークレイで興ったとされているが(中西,1991:318)、それは大学で行われていた介助を地域で行い、他人の介助のもとでひとりで暮らすという発想が、この運動の根底にあった。その意味で、大学における支援は日本のそれとは異なっているといえる。
 こうした自立生活運動と、1960年代から続く公民権運動、そしてベトナム戦争から帰還したおびただしい数の傷痍兵への対応策として、1973年にリハビリテーション法504条が成立した(広瀬,2006:3)。これは、「連邦政府から財政的援助を受けている大学は、いかなる授業、コース、その他の教育プログラムや活動から障害学生をその障害を根拠に差別してはいけない」(冨安,1996:133)ことを定めたものである★05。ただし、ここで対象となる障害者は「資格のある障害者」(qualified individual with a disability)であり、「公的サービスを受けたり、その事業や活動への参加が可能な障害者」(定藤,1991:337)を指している。ADAは連邦政府の助成の有無とは関係なく民間部門にも障害者差別を禁止したことで、障害者問題を語る上で重要な法律であるが、障害学生支援に関していうなれば、リハビリテーション法504条やそれに関連した施行規則によるものが大きいであろう。そして、「現在、米国のほとんどの大学では、障害者支援室を中心に障害学生支援がなされているが、それとは別に、学内全体でADAが尊守されているかを内側から点検するADAコーディネータと呼ばれるポストも学長や副学長直属で作られている事にもその重要性が伺える」(広瀬,2006:4)といった形で、障害学生支援が重視されている点は注目に値する。こうした米国の障害学生支援の取り組みは、ビデオ教材(メディア教育開発センター,2003)でも紹介されている。
 米国に20年遅れているとされるEUでも、学生・教員の交流を促進するエラスムス計画(30カ国、1,800校以上が参加)が1987年より開始され、2004年までに約75万人の学生と1万2千人以上の教員の交流が実現された。そこでは、障害をもつ学生・教員の行き来も想定されており、2004年からHEAGデータベース★06が導入され、17の国や地域の大学における支援情報を13カ国語で提供している(広瀬,2005)。
 この他、カナダのマギール大学での取り組みを紹介したもの(Wolforth,1996)、アメリカのロチェスター工科大学の取り組みを中心にアメリカの障害学生支援の状況を紹介したもの(Watson,1996)、教育のユニバーサルデザインという視点から世界各国の障害学生支援を紹介したもの(関根,2003a,2003b,2003c,2003d)があるほか、2006年2月の障害学研究会関東部会では、韓国テグ大学からの留学生であるクァクによる報告が行われた。クァクによれば、「現在、韓国ではアファーマティブアクションとして障害者雇用促進にかんする法律が施行されており、雇用に重大な影響をあたえる高等教育にも障害学生特例制度というアファーマティブアクションを施行している」(クァク,2006)としながらも、「障害学生の高等教育の機会を実質的に保障するためにこの制度が実施されたが、いまなお多くの大学がこの制度を実施していない」こと、そして「障害学生の能力に対する低い評価と障害学生に対する否定的な認識が助長される点」(クァク,2006)を指摘している。日本では、とりわけ高等教育への進学という場面において、こうしたアファーマティブアクションはあまり採用されていないが、雇用の場面においては、法定雇用率が設定されており、これによってある種のアファーマティブアクションが図られている。しかし他方で、そのことによって「自分は仕事ができるから雇われたのではなく、障害者だから採用された、法定雇用率を満たすために雇われたのだと思う、その疑念を払拭することができないことがある」(立岩,2001:214)という問題が懸念される。

2-3 障害学生支援の具体的取り組み
 障害学生支援研究の第三のタイプとして、特定の大学の実践に注目したものがある。ここでは、日本福祉大学、広島大学、長野大学を取り上げる。
 日本福祉大学では大泉が中心となって1989年度末に「障害学生の勉学・生活実態調査」を実施し、その結果をふまえた論考が研究紀要上で示された(大泉,1991,1992,1993,1994)。この調査は日本福祉大学に在学する障害学生に対するアンケート調査であり、授業での支援はもとより、キャンパスの利用、通学やサークル活動、学生生活(住居問題など)、また大学進学の動機や進路(への不安)と、非常に広範囲の項目が含まれている。また、同調査には自由記述欄が設けられており、選択肢では把握しきれない障害学生からの問題意識にも焦点が当てられているという点も興味深い。
 日本福祉大学は社会福祉の単科大学として、障害学生支援に歴史的にも力を入れてきた大学である。もちろん、そうした姿勢は今日も変わりなく、2005年6月の第二回障害学生修学支援セミナー(中部・近畿地区対象)においては、同志社大学と並んで先進的取り組み事例として紹介された。障害学生を多数受け入れている日本福祉大学の場合、他大学と異なって大学内だけで支援を完結することはできず、地域との連携・地域の協力といったことが課題となる。その一方で、2005年のセミナーでは障害学生支援場面でのボランティアを強調する姿勢が見られた。
 日本福祉大学が障害学生支援について歴史的に取り組んできたのに対し、広島大学は、現在では先進的とされ、多くの大学にその取り組みは参照されているものの、障害学生支援に乗り出したのは、全盲と高度難聴の学生が入学した2000年のことである。「広島大学では、従来から障害学生を受け入れてきたが(中略)、重度の障害学生が2人、しかも、それぞれ異なる障害を持つ学生が同時に入学するという事態に対して、それまでの支援体制が十分でないという事実を、関係者は身を持って体験した」(佐野・吉原,2004:1)。
 広島大学の障害学生支援は、「大学という世界は、教員、障害学生、他の学生、事務職員から構成され、それぞれが「常識」としていることが異なる。しかも、広島大学のような総合大学では、10学部・11研究科から構成される複雑な組織である。障害学生と他の学生が共存できる高等教育のユニバーサルデザイン化を図るためには、その場、その場の対応ではなく、全体の公平さを図り、一貫した、統合的、かつ、機能的な支援を行うためには、全学的なシステムを構築する必要がある」(佐野・吉原,2004:24)という考えに基づき、@必要な情報の提供と交換、Aリスクマネジメント、Bチームワークを三つの柱としてなされている。
 広島大学の特徴をあげるなら、支援者の育成と確保のために「障害者支援ボランティア概論」「障害学生支援ボランティア実習A・B」を授業科目として開講し、単位を認定している。支援者の確保については、こうしたやり方の他に、「有償ボランティア」などという呼び方で表されるように、低額ではあるがバイト代を支払うというやり方が採用されている場合も多い★07
 長野大学は、障害学生支援に情報技術を積極的に導入していることで知られるなど、障害学生支援に積極的である。たとえば、2005年4月からは、日本IBMと提携し、聴覚に障害のある学生や筆記が困難な学生に対する情報保障として、教員が話す音声を文字に変換する音声認識ソフトを、一部の授業に導入するということが報じられた★08。長野大学では障害者特別入試を実施し、サポートルーム(そこには点字プリンタなどが置かれている)、連絡用メールボックスなどが取り入れられている(下野・藤原,2002)。また、旭は長野大学における聴覚・視覚障害学生への支援について「障害学研究会モデル」を紹介しつつまとめているが、長野大学で障害学生支援を進める上で四つのポイントが重要であると指摘する(旭,2002)。第一に専任スタッフの確保や技術者の養成といった「人」の問題、第二に地域との連携、第三に情報機器の導入に際してのディジタルデバイドの克服、第四に障害学生の主体性の育成と参加、である。とくに第三に関しては、「本学においても情報機器の導入と活用によって情報保障が進んだことは既に述べた通りであるが、未だに活用されていない機器もある」(旭,2002:520)といった問題もあることを指摘している。なお、長野大学では広島大学と同様、支援者の育成と確保を目的として「情報保障技術論A(点字・録音図書等)」「情報保障技術論B(要約筆記・ノートテイク)」という科目が設置されている。
 ここで紹介した大学以外にも、各大学の取り組みを報告する形のものはあり、それらを網羅的に概観したもの(石田,2005)がある。

2-4 障害別のもの/支援の方法論
 障害学生支援研究の第四のタイプとして、障害種別に着目したもの、さらには、障害種別を中心に据えた上で具体的な支援の方法論を論じたものがある。視覚障害についていうなら、戦後半世紀の点字による門戸開放運動と、それに関わった視覚障害者50人を「点字使用大学生 50人50様」として、大学生活について聞き取りまとめたもの(菊島,2000)がある。ここで取り上げられている人の中にはすでに故人となった人もあり、戦後の視覚障害者の大学進学、大学での支援、それに対する障害学生の思いを知ることのできる極めて重要な資料である。
 支援の方法論としては、ノートテイクの教科書的存在として、現場や講習会で参照されている(吉川・太田・広田・白澤,2001)や、パソコン要約筆記に焦点を絞って書かれたもの(太田,1998)などがあり、これらは大学における聴覚障害者支援・情報保障を念頭に書かれているが、それ以外のところでも活用できるものである。視覚障害者支援については、点訳や音訳にかんする入門書は出されており、支援の現場や学習者に活用されているが、これらはさしあたって、大学内に限定されるものではないし、それを念頭に置いて書かれたものではなく、あくまでも一般的な点訳・音訳について述べたものである。

3.障害学生支援における今日的課題
 これまで、障害学生支援の研究に注目しつつ、障害学生支援を概観してきたが、ここでは、こうした研究、加えて現実に対して、問題を提起する。

3-1 障害学生の定義と範囲
 そもそも、障害学生とは誰を指すのかという初歩的な問題がある。たとえば、@障害者手帳を所持している学生、A支援が必要であると大学に申し出た学生、B支援の申し出があり大学が支援している学生、C支援の必要があると客観的に判断される学生、といったように、このいずれをもって障害学生としているかによって、話が違ってくるという場合がある。これらにはコンセンサスが得られておらず、同じ論議の中でも混同して用いられているきらいがある。この点に留意する必要がある。
 また、障害の種別の問題がある。今日の障害学生支援は視覚障害・聴覚障害・肢体不自由の学生を専ら念頭においてなされている。そして、それすら十分ではないのだが、たとえば内部障害、発達障害、精神障害、知的障害の学生をどう支援するかといったことはほとんど取り上げられていない。内部障害については一連の大泉論文の中でところどころに登場していたが、それ以外には触れられていない。発達障害については、現場では深刻な問題となっており、障害学生修学支援セミナーでは、参加者からの質疑で発達障害者に関するものが多かったのだが、当の日本学生支援機構が行った実態調査の「障害種別」では、視覚障害、聴覚障害、肢体不自由の三障害と重複障害、病弱・虚弱、その他、といった形で分けられているだけだった(日本学生支援機構,2006:17)。現場に応えるものとして十分とはいえないだろう★09

3-2 リハビリテーション言説と福祉言説
 障害学生支援をめぐる言説に着目すると、障害者の自立をことさらに強調するリハビリテーション言説、そして、学生どうしの支え合いをボランティア精神の美談として持ち上げ、推奨するという福祉言説が存在することを指摘できる。
 まずはリハビリテーション言説について検討する。大学は教育現場である以上、一人前の社会人として学生を社会に送り出すということが意識されていることは、どこでも同じであろう。それゆえに、学生にさまざまなキャリアを身につけること、資格を取得することなどを促してもいる。
 しかし、障害学生支援は教育を受ける上での支援であるとしても、対象となる障害学生を教育することではない。
 それにもかかわらず、障害学生を一人前の社会人にすること、自立させることが支援の中で強調されている。本のタイトルから「高等教育のユニバーサルデザイン化」を標榜する広島大学は、「高等教育のユニバーサルデザイン化とは(中略)障害の有無にかかわらず、すべての学生が平等、公平、かつ快適に学び合い、競い合い、助け合える就学環境を創り出すことによって、学生・教職員にとって、今までより生活しやすく、そして、より良い教育・研究が行える大学環境を生み出すことであると考える。この意味では、バリアフリーよりも、ユニバーサルデザインの方がより適切な概念である」(佐野・吉原,2004:13)としている一方、「障害学生の自立を促進するために、広島大学で行っているのは、学生の年次進行に従って、本人ができる部分を増加し、支援者が行う部分を徐々に減らしていく段階的支援である」(佐野・吉原,2004:71)と主張する。ここでの自立は、障害者運動の掲げるそれではなく、旧来の自立概念、すなわち身辺の自立である。大泉は「彼らの家族の心配を見ても、その多くはいわゆる健常者に伍して“人並み”にやっていけるかどうかというところに目が向きがちのようである」(大泉,1991:386)と述べているが、障害学生たちは家族からも大学からも、ことさらに自立を強調されるのである。
 障害学生支援はリハビリテーション化してしまっている。そこには、何か「正解」とされる学生像があり、障害学生をそれに少しでも近づけようと企てる力学がある。障害学生支援の中でリハビリテーション言説が幅を利かせていては、障害学生は自己の障害を肯定的に捉えることがより困難となるであろう。障害はけっして治療や克服の対象ではない(青木,2005)。
 次に、障害学生支援をめぐる福祉言説について検討する。障害学生支援を考える上で不可避なのが、ボランティアとの関係である。広島大学で障害学生支援を管轄する部署はボランティア活動室と呼ばれ、支援者の育成と確保のために開講されている科目は、「障害者支援ボランティア概論」「障害学生支援ボランティア実習A・B」である。立命館大学でも、2006年9月までは、障害学生支援の担当職員がいる場所はボランティアセンターであった。ここの主な業務は学生のボランティア活動の紹介などであって、障害学生支援はその業務の一部でしかない。コーディネイターが主に障害学生支援に関する業務を担当しているが、それでも、ボランティアセンターの仕事をしながら、その一部として障害学生支援を担っているにすぎなかった。
 今日、多くの大学がボランティア活動との関連において障害学生支援を位置づけている。障害学生の支援が(障害のない学生の)ボランティア活動の推奨にずらされてしまっている場合すら少なくない。日本学生支援機構の実態調査を報じた新聞記事においても、「障害のある学生5444人 低い大学・短大進学率〜ボランティア確保課題〜」(京都新聞 2006年1月19日)という見出しがあるほどに、その存在が重要なものとなっている。換言すれば、大学がボランティアに依存的であるということである。
 大学がボランティアに依存するのは、たんに予算が足りないからではない。人を雇うだけの予算が足りないということもたしかにあるが、とりわけ福祉系の大学においては、それ以外の理由からもボランティアを強調している。たとえば、日本福祉大学を例にとるなら、「例え施設が不十分でも、例え支援スタッフが十分でなくても、障害がある学生もそうでない学生も共に考え共に支え合って学んでいこうという、学びのシステムとしての障害学生支援が最も大切だと考えています。このことが制度やハードウエア、物理的なバリアフリーを前進させてきたと思っています」(平松,2005:14)として、学生どうしの支え合い、ボランティア、「心のバリアフリー」が強調されている。この見解には、論理の飛躍が見てとれる。「学びのシステムとしての障害学生支援」が重要である点は否定しない。しかし、このことは、施設や支援スタッフが十分でなくてよいことを意味しないし、そのための方便にもならない。さらに、前半と後半との関係には、明らかな矛盾がある。設備や支援スタッフが不十分な状態で、どうして「制度やハードウエア、物理的なバリアフリーを前進させてきた」などといえるのだろうか。「学びのシステムとしての障害学生支援」を施設や支援者の確保よりも優先するなら、バリアフリーが前進するわけがない。

3-3 障害学生支援の困難性――絶対少数・流動性・無知
 障害学生支援を困難にしている因子として、以下のような問題があることを指摘しておく★10
 第一に、障害学生の絶対少数性である。日本学生支援機構の行った実態調査では、在籍する障害者の数が1〜10人という大学が半数近く、0人という大学が4割を超えている(日本学生支援機構,2006:14)。視覚・聴覚に障害があることを入学要件としている筑波技術大学など、一部の例外を除けば、大学内では絶対少数者である。さらに、このくくりでは視覚障害学生と肢体不自由の学生とが一緒に扱われているが、彼らのニーズはまったく異なっている。障害種別をも意識すれば、もはやその少数性は明らかである。
 第二に、彼らは学生であるということ、すなわち在籍の流動性である。彼らが大学にいる期間は通常4年間で、毎年一定数の障害学生が入学してくるわけでもなければ、視覚障害学生が卒業すれば、つぎに必ず別の視覚障害学生が入学するわけでもない。視覚障害学生用のパソコンは肢体不自由の学生には使えないのと同様に、視覚障害者支援のノウハウも使えない。こうした事情から、支援に関する知識やノウハウは大学に蓄積されにくい。そして、それならば障害学生本人に何が必要なのかを聞けばよいという主張も可能であり、これは一見もっともなように思えるが、事前に要求を聞いたところで、障害学生たちは自分に何が必要なのかを分かっていないことがある。あるいは、大学にどういった資源があるのか、購入が可能なのかを知らない。

3-4 障害学生支援に関する情報の不在
 すでに2-1で紹介したが、メディア教育開発センターが実施した「高等教育機関における障害をもつ学生に対するメディア・IT活用実態調査(2004年度)」では、障害学生支援に関する情報の発信(計画の有無も含む。以下同じ)、ホームページのアクセシビリティへの配慮についても調査されている。ここでは、障害学生支援に関する情報発信に絞って検討することにする。
 2004年度の実態調査によれば、障害のある学生支援に関する情報のホームページへの掲載が「ある」と回答したのは、国立の9.2%、公立の1.5%、私立の2.2%と非常に少ない。しかし、障害学生支援データベースづくりをめざして筆者が行った調査によれば、大学に限って言えば、これよりも低い値になるのではないかと思われる。国立大学87校のうち、2005年7月時点で障害学生支援に関する情報を大学公式ホームページで発信している大学は、わずか5大学に過ぎなかった(広瀬・青木,2005)(青木,2006a,2006b)。調査から1年が経過した現在、2大学が追加されて7大学となったものの、1割にも満たない状況は継続している。公立大学に及んでは皆無である。(詳細はホームページに都道府県別に掲載しているので、ご参照いただきたい。)
 この調査は、検索エンジンを用いて行うとともに、筆者自ら個別の大学のホームページを閲覧し障害学生支援に関する情報の有無がないかを調べるという形を併用して行っている。2004年度の実態調査では、障害者がホームページを利用しやすいような工夫について、国立の70.1%、公立の80.3%、私立の72.9が「計画はない」と回答しているが、大学のホームページの使いにくさは筆者も十分に体感させられた。多くの大学はホームページに画像を多用し、場合によっては動画を用い、画面を音声化するソフトウエアを用いる視覚障害者や、画面を拡大表示している弱視者にとって、使いにくいものになっている。また、問い合わせ先に電話番号しか記さず、聴覚障害者への配慮を欠いたホームページも散見される。なお、画像を使わず、テキストベースのページを別途制作している事例として、浦和大学や立命館大学大学院先端総合学術研究科(事務室からの連絡のみ対応)をあげておく。
 どうして、これだけ多くの大学が障害者が利用しやすい工夫をしていないのだろか。もちろん、ひとつには、やる気がないのだという結論を導き出すことは容易である。障害学生がいないか、いても若干名という現状にあって、大学はホームページの改革を迫られたり、必要性を認識させられたりすることは少ないという原因があることもたしかだろう。そして、すでに指摘した点とも重なるが、大学は多くの場合、障害学生支援に関するノウハウをもっていない。青木(2006c)でも指摘したが、大学は何をやってよいか分からず、その場しのぎの対応に終始するか、ただ闇雲に何かしようとして、うまくいかない。あるいは、何もできないでいる。
 こうした現状から考えられるのは、大学は情報を出し惜しみしていたり、怠慢だったりするのではなくて、あるいは、少なくともそれだけではなく、発信するための情報をもっていない、ということである。障害学生支援に関する情報の不在は、このような形で明らかになるのではないだろうか。

3-5 供給主体と責任主体
 大学における障害学生支援にかかわるサービスを、@具体的に誰が提供するのかということと、A誰が(供給・コーディネイトに)責任をもつのかということと、B誰が費用負担に責任をもつのかという問題は、それぞれ分けて考えてもよいし、同じでなくてはならない必然性はない。ここでは、障害者の自立生活を参考に、供給者、供給責任者、費用負担責任者の関係について検討する。
 障害者の生活という場面を考えてみると、そこではまず@自分でできることが求められ、つぎに、A家族からの支援が求められ、あるいはBボランティアによる支援が求められ★11、それでもどうしてもうまくいかないなら、最後にC公的サービスの利用という優先性がある(立岩,1995,2000a)。
 障害学生支援の場合は、ボランティアが問題となる。ボランティアに依存する状態がある点はすでに述べたが、そこで強調されるボランティア精神なるものは、少なくとも支援を必要としている人たちにはなんのプラスにもならない。ここでは、むしろ無償性について考えたい。立岩(1995)は、家族内で介助が行われる場合はもとより、地域でひとり暮らしをしている障害者の介助を行う主婦や学生が無償である場合についても、その無償性を成り立たせているのは家族内で分配が行われているからであると指摘する。多くの場合、妻は夫の、学生は親の稼いだお金で生計を立て、必要なものを消費し、生活できている。妻のした無償の行為に対する報酬は夫の所得に含まれ、学生のした無償の行為に対する報酬は親の所得に含まれると考えることもできる★12
 もちろん、無償の行い自体を否定するつもりはない。そうした行いはあってよいのだが、それは供給者側が受け取りを拒否した場合であり、制度として無償をいうのは適当ではない。無償でやりたい人にどのような信念があるかは人によるだろうが、受け取りたくない、お金が要らないというなら、自主的に返還したり、寄付したり、それ以外にも方法はある。
 では、どうして障害学生の支援がこれまで無償の行いによって担われてきたのだろうか。それを考えるためにも、次に供給責任者および費用負担責任者の問題を考えなくてはならない。立岩(2000b)が指摘するように、誰が実際に提供するのか、と、その提供に誰が責任をもつのか、とは分けて考えることができるし、そうした方がよい。しかし実際には、これらが混同されており、自分でできないから他人にやってほしいという供給にかんする障害学生の要請と、支援に必要な費用を全て自己負担することができず★13、大学もそれを負担しようとしない(したくない)という負担にかんする本人や大学側からの要請とが絡み合い、その落ち着く先が、ボランティアになってしまっている。そこで本論では、誰が責任をもつのか、について、さらに供給責任者と費用負担責任者の二者に分けて考えることにする。
 供給者については、福祉サービスなどについてはその多元化がいわれているが、選択が可能なこと、そこに競争が起こってサービスが向上することを期待できることなどから、供給主体は複数あった方がよい。大学における障害学生支援は、大学の決めた供給主体――その多くは学内の学生の、しかもボランティア――に限定されているが、学内でその人材を確保することは不可能である。移動の介助やノートテイクができたとしても、手話通訳や点訳などのような専門知識と技術を要するものは学内で行うには無理がある。
 学内で人材を確保するという方向性があり、そうした取り組みについて広島大学の例などを挙げて紹介した。立命館大学もそうした方向を意識しているようでもあるが、それでうまくいかないものもあり★14、やはり学外との連携という途は避けられないだろう。
 他方、費用負担責任の所在については、@自己負担(家族を含む)、A大学の負担、B公的負担が考えられる。これまでは@で長い間やってきたのだが、よほど裕福な家庭に生まれない限り、ボランティアに依存せざるを得なかった。近年、大学側が障害学生支援に責任をもとうという姿勢が現れたことは事実であり、日本学生支援機構のような国の行政機関もようやく動き出した。そこでようやくAに向かっているのだが、大学はこれを歓迎しない。ここで、供給責任と費用負担責任とを分離して考える必要がある。大学が引き受けるべき責任は、障害学生支援をコーディネイトすること、すなわち供給責任であって、供給責任をもつことは費用負担責任まで負わなければならないことを意味しない。行政の提供する福祉サービスをみても、さまざまな供給主体があり、サービスの実施に際しては、地方自治体が行政責任を負っているが、財政責任まですべて負っているわけではなく、それらは国が負っているという場合がある。供給責任と費用負担責任が混同されていることで、大学は経営面から不安に陥り、財政面を問題にせざるを得なくなって、支援に(目安である場合を含め)上限を設けたり、ボランティアを強調したり、それらに依存したりして、費用負担が必要な支援に消極的になる。そして場合によっては、点字での受験を認めないといった間接的な排除や、入学後に支援を行わないと宣言し、受験を思いとどまらせようとする所業にいたることもある。

  供給者と負担責任者
   供給…@自己責任 → A家族orBボランティア → C公的サービス
      ただし、この優先順位には必然性はない。
   責任…@自己負担 → A大学 → (B公的負担)
              ▲供給責任  ▲費用負担責任
      現状では@からAへ。ただし、Aには限界がある。Bの必要性と根拠。

 大学が受け入れた障害学生を支援するために必要な費用を負担する責任があるのか、言い換えれば、費用負担責任は大学だけが担わなければならないかといえば、けっしてそうではない。障害者が学ぶことは権利であり、その権利を保障する義務は、大学にとどまらず社会にある。すると、大学だけが負担するのではなく、より広く公的に負担するという機構をつくらなくてはならないのではないか。それがBである。
 大学の業務の中にはさまざまなものがある。大学が行っているように見えて、実は大学が行っていないものもある。資格試験の講座を受験予備校と連携したり、清掃を外部の業者に委託したりといったことは、多くの大学が行っている。そして、これはけっして、大学が責任逃れをしているわけではない。責任をもって委託し、そのための費用を負担しているからである。障害学生支援にしても、これと同じことがいえるのではないか。
 そして、障害学生を支援するという点では、大学に供給責任とある程度の費用負担責任があるとして、障害学生を受け入れる上で必要となる費用のすべてを担わせるのは適当でない。現に行われているように、上限を設定し、そこまでは大学が負担するが、それ以降は(本人の自己負担という@の方向に向かうのではなく)公的にまかなうというBの方向があってもよい。障害学生の受け入れに応じて補助金を交付するという現行のやり方もあるが、補助金の額は限定的であり、これでは費用負担責任が公的に担われているとは評価できない。やり方はさまざまある。本人に直接給付して、あとはそれを自由に使うというダイレクト・ペイメントも選択肢として考えられるが、それでもなお、筆者は@供給主体は多様であってよい、A供給責任は大学が担う、B費用負担責任は社会(国)が担う、というやり方がよいと考える。本論では、その理由を、とくにAとBについて述べた。


[註]

01 詳細については同会ホームページ(http://www.nscsd.jp/)を参照されたい。
02 協力機関としては、国立特殊教育総合研究所、メディア教育開発センター、筑波技術大学が挙げられている。ただし、「障害者のリハビリテーションや就労に関する行政機関・団体などの支援を呼びかける」(日本学生支援機構,2005:7)とあるように、これらに限定されるものではない。
03 この調査においては、大学に短期大学を含んでいる。
04 実態調査をめぐる新聞各社の報道については、ホームページ(http://www.arsvi.com/0ds/e202006.htm)に掲載している。
05 冨安は、入学の場面で障害者が排除されることを防止するため、教育省から以下の二点が施行規則として示されていることを紹介している。「(1)大学は、入学志願者に障害があるかどうかに関して入学前に尋ねることは許されないが、入学後、環境の調整を要する障害について極秘に聴くことができる。(2)大学は、入学試験や入学基準が大学での成功の予想としての妥当性があることが確かめられ、障害者に不利になることが一層少ない試験や基準が他にない限り、障害者に不利になる入学試験や基準を用いてはならない。感覚損傷や、手指の損傷、あるいは話す技能の損傷をもつ志願者に試験が行われるとき、その試験の成績がそうした損傷が原因で低くなることがなく、実際に志願者の適正や学業の達成水準を測っていることが保障されない限り、試験の実施は許されない」(冨安,1996:133)。
06 HEAGデータベース:http://www.heagnet.org/
07 障害学生支援に対して大学が公的責任をもつという姿勢の大学では、ボランティアといった呼び方はされず、TA(ティーチング・アシスタント)などの扱いで人件費が確保されるといった場合もある。
08 japan.internet.com 2005年3月15日報道(http://japan.internet.com/webtech/20050315/print4.html)による。
09 2006年6月23日に慶應義塾大学で開催された第1回軽度発達障害セミナーでは、当事者であるこうもり(通称)から「軽度発達障害の理解と支援――環境改善からの出発 大学篇」とする報告が行われ、授業、レポート、人間関係といったさまざまな場面でどういった困難があるのかを、実体験に即して紹介された。
10 こうした問題については、青木(2006c)で検討を行った。
11 そのためにはボランティアを自分で探さなければならない。そしてそれは簡単なことではない。この点については立岩(1995)にも述べられているほか、渡辺(2003)でその実態が詳述されている。
12 立岩(1995)にもあるように、自分の所得だけで生計を立てている人が、仕事外の時間にする無償の行為が例外である。休日の地域のゴミ拾いならこれでもやっていけるのかも知れないが、障害者の介助や、大学における支援がこれらに依存しうるものかどうか。少なくとも、障害学生支援にかんする議論において、こうした人たちを無償で支援を行う担い手として想定しているとは考えにくい。
13 障害の種類や程度にもよるが、支援に必要な費用を全て自己負担とすると、それは莫大な金額になる。そこで仕方なく、他人の厚意にすがるという選択をするのである。
14 本論では、障害学生の流動性について指摘したが、支援者として学生を想定した場合には、供給者側の流動性という事態を招くことになる。


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〈参考URL〉

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大学公式サイトの障害者支援情報データベース 国公立編(メディア教育開発センター)
 http://ship.nime.ac.jp/~disable/database-university1.htm
浦和大学
 http://www.urawa.ac.jp/index2.html(通常版)
 http://www.urawa.ac.jp/index2_t.html(テキスト版)
立命館大学大学院先端総合学術研究科
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* 「研究科事務室より」のページは画像版・テキスト版から選択できる。


UP:20070529 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2007/0327as.htm
青木 慎太朗