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部落解放運動の過去・現在・未来(1)
――山内政夫氏(柳原銀行資料館)に聞く――

(インタビュー記録/聞き手:山本崇記

【趣旨】
これは、現在、柳原銀行資料館事務局長を務め、その他様々な地元の住民運動やまちづくりにかかわり続けてきた山内政夫氏に、今後の部落解放運動の展望がどうあるべきかというテーマについて関心に沿いながら行ったインタビュー記録である。

【山内政夫氏・略歴】
1950年、京都市東九条生まれ。小学5年生の時から丁稚として働き出す。陶化小学校・陶化中学校卒。17歳のときに自主映画『東九条』の制作に監督として参加。その直後に共産党から除名。工場などで働きながら、地域の青年たちと反差別の運動に取りくむ。30代になってから資格を取り鍼灸師として開業。1984年に部落解放同盟に加入。2003年〜2006年まで部落解放同盟京都市協議会議長を務め、辞任。現在は、柳原銀行資料館で地域史(部落史)を丹念に掘り起こしながら展示としても広く発信し、さらに、崇仁・東九条でまちづくりに携わっている。


■京都における現代部落問題論――京都市長選挙を控えて
山本:まず、最近の話題から話をはじめたいと思います。2008年2月に京都市長選挙があります。2004年2月に行われた前回の京都市長選挙では、市民派(京都市長をつくる市民の会)と共産党・民主市政の会の候補を「ブリッジ共闘」というかたちで統一し、龍谷大学教授であった広原盛明さんを担ぎましたが、現職の桝本頼兼市長に惨敗するという結果になりました。その点に関する総括も十分に行われずに現在に至っています[1]。広原さんは西山夘三研究室のご出身ですので、当然部落問題にもすごく関心があり、共産党の候補でもあるということもあり、同和問題/部落問題を争点にするというスタンスは非常に明確でした。しかし、この争点をかわし続けた桝本側が勝利したということは何を示しているのか。
 さらに、市民派側にとっても予想外の大差での「ブリッジ共闘」の敗北。ただ、その後も同和行政絡みの「不祥事」と呼ばれる報道が続いて、同和問題というものが結局京都市にとっては避けられない課題としてあり続けているという状況は変わっていません。2008年2月に予定されている京都市長選挙では、市民運動側から非常に批判のある現・教育長の門川大作氏が自民党・公明党・民主党の共同候補として出馬し、共産党側は中村和雄氏という弁護士が候補として出馬することになりました。相変わらずのオール与党対共産党という構図になっています。この図式のなかでは同和問題の扱い方も前者であればできる限り触れずに、後者であれば解放同盟=市の利権体制、即刻同和行政を終了させるべき、というかたちになることは明白です。このような状況のなかで、京都市における部落問題をどう考えていったらよいのでしょうか?

山内:そうやね。各地区で行われているまちづくりとか、いわゆる旧同和地区というか、部落の中で行われている改良事業の中での古い施設の建替えというものを含めて完全にやめるべきやと。そういう主張なんやろうね。ただ今回の市長選挙で、やっぱり部落問題のこと門川さんの方もきちっとした見解を述べるべきやろうね。不祥事の問題も含めて、争点にするということまでいくかどうかは別にしても、ちゃんとした議論をするべきやな。ちゃんとしたことを言うべきやなと。
 私も2003年から2006年まで解放同盟の京都市協議会の議長を務めたし、その間いろんなこともあったけど、あったことを前提にして言わしてもらうと、やっぱり今回も争点にしてほしい。ただ不祥事ばかりを議論するということ、そのこと自体はあってはならないことやから、そら全面的にきちっと見直しして、周囲の目から見ても良くないものはやめるべきやし。しかし、解放同盟に関わった人間からしてみれば、非常に残念なのは京都市も運動の側も不祥事が起こって萎縮してしまっているという感じがするんやね。
 そうじゃなくて、特に運動の方がきちっとした主張をして欲しいのは、この十何年かの同和事業の整理の中で、桝本市長が先頭にたって同和事業を見直したということが色々と言われているけど、事実はちがうだろう。解放同盟京都市協が行政に指摘されるまでもなく、自らやってきたことがたくさんあった。なぜこれを主張しないのか。これが残念でならないね。
 評価全体を100パーセントとして、不祥事が半分としたら、後の半分はこれは立派に市民の視線にあうというか、部落差別をなくすためにこそ、地区の状況にあわないもの、今の時代にあわないものについて自ら切開してきたと。こういう歴史がこの10何年かにあるんでね。それが語られていない。全国的な問題も含めて、不祥事があったらそのことだけの追求をし続けている。そういう意味では非常に残念や。もっと掘り下げて京都市長選挙の争点にすべきや。そのことを運動も主張すべきやし、京都市も堂々と主張すべきや。これだけ努力したんやと。そのことがほっとかれて不祥事だけを議論するのは、そのこと自体はおかしなことやし、よくないし、特に私が議長の三年間のなかではそこらへんのことに関してはきちっと見直すという努力をしたんであって、何かふたをした態度をせんと、どっちもきちっと言う。そのことが部落問題の真の解決につながっていくしね。

山本:山内さんが議長のときに、KBSテレビ「どうなる京都21」で解放同盟の利権の問題に関して公的に謝罪した時、同和地区以外の市民の反響はあったんでしょうか?

山内:解放同盟の議長がテレビの前で喋るということが今までなかったからね、闇の社会の人間のトップやと。そういうようなイメージがあったけど、KBSに出て、率直に謝罪すべきもんはしたし、補助金も返還したし、諸事件にからんだ支部長、市協三役もすべて辞めたんでね。大変な努力があって、そういうことが一定、市民の目から見ても十分解放運動は出直ししているという評価があって、あのような大きな事件に関わらず刑事告訴されが、起訴されなかった。そういう意味でテレビに出て堂々と顔もさらして謝ったという意義は十分にあったと私は考えているけどね。

山本:いわゆるアンタッチャブルというか、触れにくい問題というイメージがあって、だけどあそこだけ何で優遇されているのかという市民感情があるとよく言われています。共産党側の主張は端的に言うと、同和行政はさっさとやめた方がいいし、解放同盟は腐敗している。利権だらけでそれに京都市政はがっつりと関わってきて、これまで問題があったから、それをきれいにするために自分たちを選択してほしいという主張だと思います。京都市政の方は、それを争点にしないでごまかしつつ、事件が起こるたびに反省するというポーズをとる。
 だけどそういう構造のなかでも共産党ではなく、オール与党体制が勝ってゆくというのが現実としてあります。京都市民の感覚として、部落問題/同和問題をどういう形で取り上げれば、市長を選択する時の材料となりうるのか。市民自体の問題でもあると思うのですが。差別するのは京都市民の問題です。市長とか行政だけで解決していくのではなく、差別意識を持っている市民の問題だと。そこの問題が基本的にはあると思うのですが。市民のねじれた感情ですよね。具体的に市長選挙という限られた政治的選択の機会の中でどのように争点化することがありうるのか。両方ともそのような視点を持っていない。
 オール与党もできればあんまり触れたくない。ソフトランディングで同和行政から完全に撤退したい。解放同盟とも縁を切りたい。共産党も相変わらず京都市=解放同盟=利権ということで批判し続けるということだと思うんですけど、そういう不毛な図式ではない部落問題、差別問題へのアプローチ、難しい質問だとは思うんですが、いかがでしょうか?

山内:そこらへんは避けて通れないし、十分組織の中、各支部間で十分な交流・議論がないという意味で様々な欠点を持っている組織であるのが解放同盟であることはまちがいない。とはいえ、近代の運動史から見れば、未曾有の成果を挙げた。同和行政、解放同盟は。つい最近まではそういう評価が全体的だったし。成果がちょっと大きくありすぎて、そこに懐疑と偏見と勘違いがあった。運動の方はやっぱし、永久にそういう法が続いて事業が進んでいくもんだ、あるいは進めていかなければならないという勘違いがあると思うのね。共産党がある時期主張したように、どこかできちっと失速するというか、解放宣言するというかね。それは今から考えてもしっかりしたことを言うとりますわ。ただ言うばっかりでね。どのように実践されたのかということが疑問であったし。
 ただ、私自身はそのことを意識してたし、具体的に言うと、部落解放運動、同和行政に対して厳しい視線があるということを前提にして、今から11、2年前に解放同盟京都市協の中に「総括検討委員会」というものを作って、同和事業、まちづくり、解放運動とに分けて、その中でも就労の問題、奨学金の問題、改良住宅の問題、福祉の問題に分けて、運動自ら総括・検討してかなり変えてきたんやね。その議論の中で雇用の問題についても自らが判断してこれ以上は雇用促進は必要ないということで、組織の中で決定してきた。勿論、行政側も提案したけどね。そんなん行政から提案される前に我々自身が分かっていたことでもあるから。全解連(全国部落解放運動連合会)の方が切ってちょっと後くらいかな。さらに言うと、奨学金の問題も整理できひんかったけどね。かなり色々変えてきたし、議論もした。改良住宅の家賃とまちづくりの問題に関しては、一番、解放同盟に主張して欲しい。

山本:改良住宅と家賃の問題とは具体的にどのようなものだったのでしょうか?

山内:改良住宅の家賃の問題は、応能応益制度でね。解放同盟京都市協が、早く行政と協議して合意した問題でね。

山本:いつぐらいに合意した問題ですか?

山内:今から6年ぐらい前です。

山本:これは家賃を普通の市営住宅と同じ基準に合わせていこうというものですか?

山内:そうそう。6年か7年かけてね。同時にね、同盟、全解連、自治会等でまちづくり協議会を結成し、改良住宅の建設を契機にまちづくりの運動をする。運動の枠を越えてまちづくりができんのやったら、改良住宅の建替えを契機にしてもう一度周辺の人にも入ってもらって、巻き込んでいき一緒にすべきやと。これはセットでね、見直すと同時に新しい方針を出す。これは今でも私は斬新だし、輝かしいし、死んでないと思っている。その流れの中で、崇仁でまちづくりにに関わっているし、東九条のまちづくりも住民主導でいこうと。そういう突っ込んだ話は知られてないんやね。
 解放同盟は宣伝が下手。宣伝してない。なんちゅうのかな、行政依存という、自らが運動を構築して地域の中で展開していくということに関して、やっぱり解放同盟の中の組織だけの議論になってしまっていて、地元に返っていない側面がある。もちろん私らは一生懸命返そうとしてきたけど、それが一般的になっていない。共産党の人たちもそういう中に入ってきて、単に同和事業を切ればいいという簡単な議論ではなくて、何が問題であって、これから先は何が問題となるのかという議論をもっとして欲しかった。解放同盟の批判だけで持ってる組織ということだけでなくて、これからもあるとすれば、そういう地元の住民の視線にたって全解連の人たちも入ってきて、むしろ解放同盟よりも主張してね。共産党はそういうスタンスを持ってたはずやしね。革新の都政や府政や市政の分裂の根幹の問題だし、必ずその問題があったわけだから。
 そういう意味で、別に反省とかそういう話ではなく、やっぱりちゃんと虐げられた人民の方に共産党はつくべきもんやし、そういうことからいうと残念な気がする。そういう視線にたって中村さんも争点にして欲しい。切るべきもんを切られてないから切ってない京都市が悪い、解放同盟が悪いと、こんな話をしても解放同盟という組織はそういうことを言われるほど変で大きな力を持ってないんでね。そういう意味では実態を見てない。だからちょっと解放されたまちをそのものを作っていく気がないということもひっくるめてあかんのちゃうかと思うね。

■地域での新たな運動の胎動――崇仁での経験
山本:前回の市長選挙に私も市民派の運動に関わっていたにも関わらず、いま山内さんが話されたようなことを十分に知らなかったんです。「崇仁まちづくり推進委員会」ができたのが1998年ですね。だから解放同盟、全解連、自治会というので地元から旧来の枠組を超えて地域の問題を解決していく、あるいは同和行政の未執行の部分を執行させていくという実践がなされていた。「オール・ロマンス」事件の舞台から起こってきたことを誰一人口にしない。旧来の枠組を超えた運動づくりがあり、地域づくり、まちづくりがある。それが全解連、解放同盟、自治会なりの新しい関わり方、そうじゃないと地域の問題を解決できないという危機感も含めて実現していた部分があるわけです。そういう実践が全解連の中にもきちっとあると思うんですけど、共産党はそういう実践に一切触れようとしなかった。全解連の七条支部の方たちはどう思ってられるんですかね?

山内:その点は、私も聞いてみたいなという気がするね。まあ一緒にやって顔の見えるメンバーはものすご真面目やし、それこそ熱心に毎週木曜の6時からの事務局会議でも。週一回会議をするとすれば、その前後何回かの打ち合わせするか、毎日がつまってしまう。

山本:今でもやってるわけですよね。

山内:やってるよ。ずっとね。

山本:中央ではなくなってもずっとやってるわけですからね。

山内:そうやね。事務局長やって、司会進行して、まちづくりを進めていく上で非常に大きな役割を持っているわけで。共産党も全解連もそういうことを正面から受け止めてそういう努力を評価すべきやと思うんですよね。恐らく全解連の七条支部の人たちも組織の中で随分批判もあっただろうし。彼らもどう対応したのかと僕らも聞いてないしね。そんなことは、共産党が日本革命を担い日本人民に奉仕するということからいうて、あるいは水平社での共産党の果たした役割から考えたらどうなってんのと。そういうことをまともにみんと、新しい部落の像を作っていこうと。水平社のメンバーあるいは解放委員会の人たちも考えていた。一方で戦争責任の問題もあったけどね。大同団結して新しい運動を作っていこうと出発したわけやから。そんなもんはどこいったのかと。それくらい悲しい気持ちやね。

山本:ほんとに全国的にみても崇仁まちづくり推進委員会の実践、取り組みというのはほんとにものすごい事例で、旧来の部落解放運動史の中でもきっちりその経験が議論されていません。共産党自体が「毒饅頭」を食べたという解放同盟との対決、対立というものを、むしろ自分たちが設定した対立というものに足元をすくわれすぎていて、それをこえる実践が自らの組織の地方支部の中に出てきているにも関わらず、その経験を十分に生かしきれないくらいにその図式を内面化しちゃったんじゃないかなと思います。それは凄くもったいなくて。前回の市長選挙でも誰一人触れなかった点です。
 今回の候補の中でも崇仁の取り組みというものが、いわゆる京都市の中で最も大きな被差別部落なわけですけど、しかも行政闘争を生み出した発祥の地であると言われているにも関わらず、それを乗り越える経験がきちっと評価されないというのは少しもったいないし、むしろまずい。行政の方もそういう地域の実践というものをきちっと評価できてないということがあるのかなと思いますが、いかがでしょうか?

山内:その崇仁での実践がね、例えば部落のまちづくりの枠を越えて、NPO、まちづくりを進める会の研究の流れね。旧来の枠を越えて。例えば公営住宅のありようの問題。部落の人口減少の問題を食い止める。

山本:次のステップですよね。

山内:次のステップを用意した。そういうものを提案しようとした。多分、だからそういうものを理解できないのではないかと。

山本:それは解放同盟も共産党もですか?

山内:そうね。

山本:つまり、ある程度旧来の分裂した状況を地域に根ざした形でもう一度一緒にやっていこうと。次に崇仁という地区を越えて公営住宅の利用の仕方であるとか、同和行政の見直しの問題であるとか、更に地域の枠というか、被差別部落という枠を越えてまちづくりをしていくというように提起していくことになると思います。そこが今課題になっていると思います。これは地域の方はどうなんでしょう、発信という意味で。つまり一緒にやるテーブル、枠はできたと。10年くらい経ち、次のステップが求められている。その部分での提起、高齢化の問題、人口流出の問題、改良住宅の使い方の問題、更にハードではなくソフトの面をどうしていくのかという問題がある中、地域の資源をどう生かしていくのかということを提案できれば、それが京都市民への一つの部落から発信される具体的なポスト同和行政の地域づくりの項目になっていくと思うのですが、そのような意味では崇仁まちづくり推進委員会の現在はどのようなものでしょうか?

山内:住環境の整備のことがこの10年間でかなり見えてきた。完成するのもそう時間はかからない。一部改良住宅の建替えの問題があるにしても全面オールクリアランス方式を見直して、周辺の人にも入ってもらって、下京区の南東の辺一体と連携して、特に来年の4月1日から始まるデイサービスセンターは崇仁の中にあるけども、それは崇仁の人のためだけにあるのではなく、下京の東南一帯の人が使えるというもので、地域包括支援センターといえばその辺の高齢者2500人くらいね。地域包括支援センターがその辺をサポートして。それぞれの地区に高齢者の生活の情報を交換するというネットワーク作りも促進していって、民間病院とも連携して、これからの高齢社会を支える。介護保険だけではなかなか守られない部分についても、その辺でこなしていくという、そのような段階に入ってきているんでね。もっと言うと、柳原銀行記念資料館で仕事してきましたけど、柳原銀行を作った100年前の連中は偉い。自分たちでお金出し合って、銀行を作って、自分たちの町の零細企業にお金を貸して、経営指導までやって。そこから上ってくる利の一部を建築費に使うとか、教材に使うとか。
 何かそういうことで地域の住民の主体性作りをやる。もう一方で部落の主体性作りを通して部落解放運動が共に在るという社会を作っていこうとする。それが部落差別をなくす唯一の道やと思っているわけやね。それを両側から越えようというね、そういう議論があって、言うのは簡単であってそれを一つ一つ実践するというのが大事なんでね。それがあってこそはじめてそういう意見が、足を踏まれた側と踏んだ側で実感できるわけであって。したがって崇仁のまちづくり、被差別部落のまちづくりが京都のまちづくり全体に貢献するようなもんだという認識でね。解放同盟の中で議論してその出発点としては、「総括検討委員会」から今度は「企画推進申請会」というものを作って新しいものを作っていこうと議論を進めてきた。崇仁の問題もそうやし、各地区でも11地区(被差別部落)のうち半分ぐらいはまちづくり協議会を作って色々やっている。もちろん利権の問題も発生してくる可能性もないというわけではないけどね。崇仁の場合でいうとこれから大きな事業の中でNPOの中に共産党なんかの市会議員に入ってもらって、透明性を高めて自らがこれからもやっていく。行政に任せたら絶対によくない。そういうことを我々はこの間実感している。そういう主張もなぜか今の運動の中から起こってこない。
 ただし若い人たちはいずれそういう自分たちの前におかれたくびきというか、それを脱してね、やっぱりそういう方向をなしてくれるという希望を持っているし、各地区の若い人に大きな希望を感じている。これは運動に対する批判とか個人攻撃とかそういうことではなくて、そういう従来の烙印を乗り越えて頑張ってくれというエールなんですよ。そういう意味で山本さんのホームページでそういうことを喋りたいと、そう考えたんですね。したがって、門川さんも、中村さんも正面から私の話したことを研究してもらって、争点にしてもらって、どうあるべきなんかを議論してもらわないと、せっかく同和行政でお金をたくさん使って、同和行政に携わってきた先輩はみな苦労してますから(同盟に近かった人も、全解連に近かった人も)。

山本:そうですね。旧社会課から民生局と始まって、戦前から戦後にかけては特に苦労されてきましたよね。解放運動家ともわたりあいながら行政政策をやってきた人たちがいらっしゃいましたからね。1960年代くらいまでは。

山内:そういう人たちの苦労もわかるべきだなと。

山本:そうですね。僕も民生局にいらっしゃった方で朝田善之助とも渡り合ったという職員の方から聞いた話なんですが、今の担当者の気概のなさについては少し憂えている部分があって、「行政の主体性」ということで一括できるとは思うのですが、そういう権限を執行して行政が批判されるのに臆病になっているというか。行政の権力を異常に発揮してしまうのは問題であって、それに敏感であるのは大事なんですけど、あまりにも片方は行政依存であって、片方は運動依存であって、どちらも決定はしないがアンタッチャブルにしつつ行政は決定し続けているという、なんともまずい状況が続いていると思います。うまい具合に主体性を発揮していくということが必要なんだろうなと思います。だから気概だけではなく、これまでの同和行政の歴史を勉強し直すということであったり、地域で起こっていることをそれこそ11の地区プラスそこに隣接する一般地区を含めて実体を把握すれば、その場限りでの方針ではなくて、自分なりの考え方をもって解放運動家とも付き合っていけるだろうし、自分なりの意見をもって地域にも関わっていくことが行政担当者にも可能だろうし、歴史的にみてもそういえるだろうと。

山内:私も解放同盟に入って、いろいろな先輩もいるけども東九条の激しい運動を経験して解放同盟に入ったわけで、まああんまり勉強にならへんかった。何人か憧れた人はいるけども。マイナスのこととか、反面教師とかもいるけど。行政の中には色々なことを教えてくれる人はありましたけどもね。むしろ行政の人にもいいとこがあったし。真面目な人はものすごく仕事をするし、びっくりするほど元気があったしね。そういう人ほどのめりこんでしまってね、いろんな事件に巻き込まれたという実感があります。

山本:具体的には行政の人から学んだエピソードとかはありますか?

山内:例えば行政はこう言われたら処理をする、こう言われたらやるとかね。例えば柳原銀行を地区保存をさしてもらったんやけど、普通でいうと国道が通るとこで、買収されて壊す寸前やった。もっともっと知恵をしぼりやと。登録文化財にしてもらったとか、随所でアドバイスをしてくれた。結局、行政の人間を動かすのは運動をする人の態度というか、姿勢やと。あるときは隣保館の館長がそこの支部の京都市に対する要求書や支部大会の議案書などを書いたりする。そのことに関しては厳しい視線が注がれた。「山内さん、ここは自分たちの「言葉」で文書を書きや」とか「ここは行政にまかしたらいかんで」とかね。僕と共通の考えはあったね。まともな議論をしようと、お互いに。そんな奴ぎょうさんおったね。ただ行政交渉をやってる時代は、貧しかった。答弁もすんでる。10年も15年もおんなじような話ばっかやしから勉強にならへんねん。もうシビアな関係ではなくなってるしね。

山本:緊張関係がないと?

山内:ないね。

山本:「オール・ロマンス」事件に対する行政闘争の糾弾要項が行政の担当者(中川忠次)によって書かれたということは、山内さんとしては不味かったという評価でしょうか?[2]

山内:まずいね。

山本:ちょっと難しい時代の関係性もあったと思うのですけど。やっぱりそれくらい一緒になって課題として考えてきたという関係性の中で作業としてあったという事実もあったのではないか。それが悪い形で踏襲されていくということでもないのかもしれませんが。

山内:そうねえ。しんどかったらそんなもん行政にやらしたらええということは支部の段階でも市協の段階でもあったりね。むかしから担当者(中川忠次)に書かせたりするし、それを評価する風潮があるから。

山本:「オール・ロマンス」の時はある意味で超高踏戦術というようにも評価できて、高山市政が保守化しようとしていた時期でもありますが、革新から出たにも関わらず、1951、2年に保守化宣言を出して。それに対して京都の旧社会課の左派的なグループが、戦前特高にも引っ張られたような経験者ですが、左旋回させるために解放同盟の力を利用したというような評価もあって、非常に戦術的な側面もあります。それはその当時の瞬間において必要であった運動の手段であって、それが常態化するようなことが適当であることもできないし、緊張関係が当然なきゃいけない関係性であって、そういうものがそういうものとして評価されずに、形として結局議案書まで行政に書かせる、レジュメまで行政に書かせるという運動のやり方、糾弾の流れの中での行政の責任の取り方として残ってしまったということでしょうか?

山内:だから、一回そういうことするとね、そのしんどさを今度乗り越えてやっていくという気概がなくなっちゃうんでしょうね。朝田善之助さんもそれで後年嘆いていて、「部落の青年はあかんな」と。

山本:一応、『差別と闘いつづけて――部落解放運動五十年』(朝日新聞社、1979年)の中ではそう書かれてますよね。

山内:結局、朝田理論というものを後年から批判するのは簡単なことやが、あれをこえるものが生み出されたかどうか。あの人は戦術・戦略家、しかも、あの戦術・戦略家は生まれているし、これからも生まれないだろう。しかも、あの戦術・戦略家はいうことはよう分かるんやけども。後の者がそれを食いつぶしてきた。新しい何かを生んだのかと。京都市協としてはそういう意味をこめて「総括検討部会」を作って、新しい部落の姿を開こうとした。今度は行政にも同レベルの方針を出させるように求めた。全領域でできたわけでもないけどね。しかしそういう努力をしてきたし、一部はそれで実を結んだ。そのことを行政も言わないし、運動も言わない。それは何やと。非常に残念なことやね。努力してきた身としてね。
 さらにもっというと、ある時期に立命館のリム・ボンさんが登場してきて、私たちが総括検討委員会から企画推進委員会の流れの中で各地区の部落の診断を行い、現在的・社会的・地域的な部落の地位を分析してその結果を診断しようとした。こういう魅力があって、こういうまちづくりがいいのではないかと。非常に斬新な問題提起をしてくれて。京都市協はそれに乗っかる形で方向性を見出したし、それは今でも間違いなく、非常にラディカルで、先進的で、先見性のあることだった。そんなことを京都市長選挙で議論しなくていいのか。京都のまちづくりにとって大事なことばっかりが並んでいるわけでね。例えば、崇仁でいうと京都駅東の一等地、田中で言うたら京大もあって環境のええとこ、三条なんかも世界に冠たる「ギオン」(祇園)のすぐそばの見がいのあるところやから、だからいろいろ可能性を持ってるわけやね。そういう線でもって京都の町全体を繋げていくという議論もしたはずです。
 私が市協の議長になる二年前は、京都市協で「プロジェクトチーム21」というものを作って、当時の研究者、具体的に言うと、リム・ボン先生、京都部落史研究所の山本直友さん、灘本昌久さん、都市住研の北条さん、後藤さん他何人かの研究者、一応私も入って、詰めた話をした。これからの部落解放運動はそれぞれの地区にNPOを立ち上げて、そこを主体にしてしかるべき事業も受けて、行政のかけるコストも安くして、それこそ運動の枠も越えて事業の展開をしていくという運動方針を市協の総会で決めたにも関わらず、実施せえへんやないかと。そういう意味で非常に残念やった。もちろんそれでこの方針がなくなったわけでもないし、個人でこれからも追求していくけども、これらかの部落解放運動に求められるものだと思う。なんら萎縮せんと、堂々とそのことを主張して、そのことを実現してくれる候補者を選挙で選んで投票行動をして欲しい。

山本:今度だと、KBSなんかはそれこそ、門川、中村、岡田さんで公開討論会をして、コメンテーターとしてリム・ボンさん、山内さんを呼んでやってみるとか考えられます。あるいは崇仁で公開討論会をやって、候補者を呼びつけて、同和問題を取り上げて、リムさんなんかをお呼びしながら同和行政をどうするのかということを仕立ててやってみると面白いかもしれないですね。

山内:面白いねえ。これから日本全体で格差が拡がって貧しい人が増える。部落で行われた事業は、その時にぜひ検証し、市民に公開しなければならない。

■京都市長選挙の立候補者について
山本:そういう企画をやってみるということもありかと思いますね。今回もオール与党体制対共産党という、構図としては変わらない。結局、投票率は30パーセント台ということで、大阪の市長選挙(2007年11月)で少し投票率が上がったというのは色々な候補者が出てきたというのもありますね。今回の選挙はこのままいったら投票率はそんなに高くないのかなと思うのですけど。門川教育長というのは、ジュニア文化検定であるとか色々教育問題で市民運動から批判を浴びている人でもあります。中村さん、門川さんという人たちが今回立候補してきてたことにどういう印象を持ちしましたか?

山内:門川さんというのは部落問題で非常に苦労した人ですわ。歴代の教育長は全部泣く程の苦労をしている。門川さんも最後まで厳しい立場だったのではと思う。非常にごりっとしてるしね。こういう場で悪口も言いたくない。むしろどっちにもエールを送りたい。ただし、部落問題をどう考えるかということについては、従来の枠を越えたことを言うてもらいたい。それを聞いてから判断すべきやね。

山本:判断したいということですね。

山内:うん。またこの一回だけでなく、何回でも議論したい。中村候補はね、共産党は勝つ気あるんかいな(笑)。この人のことはよう知らんけども、ちょっとね。インパクトにかける。なんかもっと斬新で。これは冗談やけどもリム・ボンさんあたりを引っ張ってくるとか、前解放同盟京都市協議長をやっていた山内に声をかけるとか(笑)。これは冗談やけどね。そのぐらいね、インパクトをもってやらへんと。共産党色が前面に出てきたら今日もう駄目やんか。だから共産党は一歩も二歩も退いてまさに市民で闘うんだと。それを出さへんと、オール与党でこられたらもう勝てるわけないやんと。ただし、オール与党でやったとしても、むちゃくちゃ大差がつくとは限られへん。

山本:どっちもどっちということが京都市民にはもうある程度見えているということがあるということですね。もうこの構図には飽き飽きしているということでしょうか。一部の関心がある層が争点を出そうとしている点に留まるということになりそうですね。

山内:そうそう。できたら景観の問題も含めてね、京都市も京都の町をどうするかということでね、最重要な課題なわけですよ。そしたらね、部落の町もどうするのかということもその一つとして考えて欲しいですね。市民派とか共産党の諸君らは今の市行政をなめている。実際は景観の問題やゴミの問題で「先取り」した政策を実行している。

山本:市長選挙を盛り上げるキャンペーンをマスコミも含めて期待したいということもありますよね。

山内:中村さんも同和行政の終結、諸事件の解明などの批判だけでは選挙に勝つことはできないだろうと。それよりももっと分析して、差別の問題に切り込んで、民衆の側につくという原点に帰っていかなあかんのとちゃうんかな。非常に生意気なこと言うてるかもしれないけど。私も一時共産党員だったしね。だから日本人民に奉仕するということも分かってるつもりやから。そういう意味でそういう機会にはしたいなと。

山本:中村さんは労働問題の担当弁護士で、非常に敏腕な方で、「京ガス男女賃金差別裁判」がこの前和解したのですが、それを担当されていたりとか、そっちの筋では非常に信頼されていたりする弁護士さんのようです。今回の市長選挙の立候補の前に寺園敦史さんと一緒に部落問題に関する本(『さらば!同和中毒都市』かもがわ出版、2007年)を出しているのですが、その本は市長選挙をある程度睨んだ形で出ている。その中で旧来の共産党の主張である同和行政の評価を踏襲した形にほぼなっていて、そちらの筋にはほぼ素人で、まだまだ実体を知らないような状況ではあると思うのですけども、この本についての評価はいかがでしょうか?

山内:解放同盟としては、寺園さんには全くしてやられたなと。だから物を書く人をちょっと甘く見すぎたなと、そのようには感じますけどね。私自身のことは全く批判されてないし、過大評価をしているところがあると思うが、具体的には全解連のことも批判している。それは公正やと思うんよね。こういう彼の姿勢に対して我々はどのようなことやったんかと。これは負けたなという印象がありますね。

山本:はじめは『ネットワーク京都』に連載し、宝島社から出版されていました。それに対して、解放出版社を通じて宮崎学さんなどが論陣を張り、激烈な舌戦をしていましたが、京都の同和行政を批判するという意味では、論壇としては急先鋒を張ってきたのが寺園さんだということにはなると思います。そういう意味では解放同盟だけではなくて、同じ部落解放団体である全解連にも眼を向けているということからは評価できるということでしょうか?

山内:これは批判という話ではなくて、彼個人に向けた提案だけど、もう少し丁寧に解放運動が立ち上がってきたということを捉えて欲しいなといように思うんだよね。掘り下げていうと、水平社の運動からずっと振り返って議論を展開して欲しいなとこの間思いましたね。なぜ、「光ある運動」がこの様に批判されるのか、その構造を明らかにすべきで、一民間運動の問題ではなく、すべての運動に実は内包されているのであるから、その点にも力点が置かれても良いのではないかと思う。

山本:具体的にはどのように水平社から現代に視点を持ってということでしょうか?

山内:例えば水平社の中で、これは多分寺園さんがリバティ大阪に訪ねられて、藤野豊さんと黒川みどりさん、朝治武さんに会われた。藤野さんと黒川さんは水平社の運動の伝説的に扱われたことに論評を加えて間違いは間違いとして指摘して、さらに部落の根幹に関わることまでに触れて水平社運動を再評価している。その本を読んだんですけどね。共産党がその水平社運動の中でどういう役割を果たしたのか、これは外せない。それなくして解放同盟と全解連との分裂の問題もありえない。その時の共産党の水平運動に対する主張は正しかったのか。寺園さんが京都市協の今の不祥事を暴く。現象としてはそういうことかもしれないけど、本当はそこまで振り返った議論が必要な中身なんですねこれは。前衛党である日本共産党が部落解放運動にどういう接し方をしたのか。そういう枠の中で寺園さんの問題提起は議論されるべきだと。
 この点は山本さん自身の研究にも求められているんではないですか。長い歴史の中で見たらそのうちの一項目だとは思うんですね。そうした時に彼の論調がぶ厚くなってくるんだろうと。二つ目は同和事業が起こってきた中で、今回の不祥事が、解放同盟と全解連の中に起こってきたわけだから。個人攻撃は必要なことやけど、それを生み出した同和事業の構造にメスを入れてもらえたら完璧やと思う。ある支部長が寺園さんの批判に「うちの部落の歴史、解放運動の歴史をしっとるのか」と反論しましたが、私には、その支部長が現場で苦労しているのを知っているから、気持ちは良く理解できる面もあるんですよ。

山本:必要ではあるけど、現象的な諸事件に特化しすぎていて、そもそも同和行政がどうして必要であったのかということや、部落解放運動の中で密接な関係を持っていた共産主義運動が功罪を含めてどういう役割・位置にいたのか。さらに戦後の共産党と解放同盟との対立にどう関係しているのかという部分にまで踏み込まないと、真に部落解放運動あるいは同和行政をどうすべきかという方向性を見出せないという意味での評価ですかね。

山内:そうですね。ただ凄い人だなとは思ってますね。だからいろいろマスコミの腰が引けてるなかで、正面から立ち向かったということで。ただ彼が書いているほど解放同盟は強くはなかったよ。内実いうたらお恥ずかしい話で。自分ら対応した議論ができなかったということで。ただもし私が対応していたらもっと違ったかもしれない。あんな一方的にはなかったといいたい。ただ、あのようなことをされて解放運動を再生していかなければならないんで、これは皮肉ではなくて礼を言わねばならんと思う。長い歴史を振り返ったら。変なことは一掃されるということになったんだから。これからも頑張って欲しいということで、エールを送りたい。

■村山祥栄議員の報告書への評価
山本:同じように正面きって同和行政に対する提言を行っているという意味で京都市会議員で無所属の村山祥栄氏が2007年10月30日に「同和事業完全終結に向けた要望書」という文書を桝本市長に対して提言しています[3]。京都市議会関係者の中では恐らく最も早く、最も深い提言をしているという意味で非常に珍しいように思います。まだ若い無所属の議員から出たということなのですが、この要望書はかなり深い所まで踏み込んでいて、基本的な主張は同和行政自体が「同和差別」を増徴させて逆差別現象を生み出している。京都市がその状態を早期決着して解消する。コミュニティセンター全廃、隣保事業も全廃、改良住宅もこれ以上建設する必要はない等。とにかく、かなり大胆な主張をされている要望書だと思います。これに対する感想というか、評価を聞かせていただきたいと思います。

山内:こういう要望書が出て、じっくり読ましてもらって、先日崇仁まちづくり推進委員会のメンバーと私と村山さんで三人で話しをしました。若干の事実誤認もあります。崇仁の施設に関してはかなり色々な人に利用してもらっているので、独占されているという書き方は、せっかく全地区を回られているのだから、もう少し深く見てほしかった。事実関係をつきつけられたら村山さんも困るようなこともあるのではないか。ただ、つっこんだ率直な意見なので、正面から受け止めて議論していかなあかんと思うんです。ただ改良住宅の建設の問題でいうと、当初計画されて、住民もこの町におって、改良住宅に入れなかった人で希望があったら、まちづくりの人間としてはこさえていこうということが正しいんであって、まちづくりの中でも議論していたわけであって。
 リムさんの論文も読んでおられて、私のことも知っておられてということなんで、お会いしたときは全然険悪な雰囲気ではなくてね。お互い率直な意見を言い合って。村山議員の方には、一見気を使っていないように見えるけども実は使っているということも含めて、さらに、人口一万人の時に企画されて、家屋の買収が遅々として進まず、人口が減った段階で、建設した施設もあるという歴史的な経緯があったことも見てほしい。崇仁まちづくり推進委員会としては、その位置からスタートしているので大変難しい。そして、それをどう使っていくのかという難題を抱えていることをちゃんと見てほしい。改良住宅の建設も、同和事業も終えることが現実的に可能なのかということもあるし、もっと言うとせっかく部落にいろいろなものが立ったのだから使っていくという仕組みづくりを提案するという、ある意味そういう、実現可能な政策を提案するという迫力が欠けている。

山本:ある意味で姿勢としては誰もが口を濁すテーマに正面から切り込んだ気概は買うけれども、表面上の評価にとどまっていて、一部は事実も含めて正しく指摘されていることはあるけども、もう少し深く掘り下げて、今言ったような人口率の問題であるとか、高齢化の問題であるとか、地域の歴史とか差別問題を解決するという同和行政の歴史をどう次に生かすのかという踏み込みが必要なのではないかということですかね。

山内:ただお話した限りではね、前向きな人やから。わしもうちのメンバーに書いてもらうには議論の範囲で別に結構なんで。差別がどうのこうの言うて糾弾しようとは思わないし、議論すべきやし、村山議員の提案を受けて真摯に考えなあかん点はある。ただ苦労して頑張っている現場の人間のことも考えなあかん。せっかくつっこんで、全地区を回ったわけやから、そういう迫力に欠けるとそういう問題までね。彼のやっていることが共産党、民主党、自民党、公明党なんかから見たら若造が何跳ねてんねん、ということになっている。せっかくの提案が一蹴される可能性があるんでね。それはもったいないんでね。実際はこっちも厳しいことを指摘されていることもあるんで。ただ計画があるんで、それを共有するなかで批判が出てくればその批判は正しいし、その対象ともなるけども、こういう格好ではディベートの対象とはなりえない。そういう側面がある。

山本:なるほど。私の感想なんですけど、村山さんは逆差別の現象を重視していて、いわゆる同和行政があるから「同和差別」が生まれるんだという行政責任論があって(部落差別という言い方は全然出てこないんですが)、部落差別自体は今部落民の定義がぐらついているので、なかなか定義できないんですが、部落ではない人たちがなぜ差別するのかということにまったく考えが及んでいない。その心理とか眼差しとかこれまでの歴史的な部分であるとか、そういうことに、自分はそっちの側から見ているのだという立場性を明示しているのであれば、「差別する側」とある意味で括弧付きで少し言うと、そっちの側はどうするのかということに力点があまりにも割かれていません。差別されてきた側が努力が足りないというか、利権におぼれてきたというのに加えて、行政が差別を生み出してきたという、ちょっと短絡的な責任論にいっているところがあります。
 もし自分が同和地区出身ではないという意識があるのであれば、むしろ「差別する側」がどうして差別するのかという部分をもっと掘り下げないと、「同和行政」が進んだからあの町はうらやましいとか、あの町だけなんでという「同和差別」が生まれたんだというのは、非常に現象的な部分しか見ていない。そういう部分は少し踏み込んで次の作業を進めていって、市長選挙に留まらない形で、京都市の市議会議員であるならこの問題について取り組んで欲しいなと思いました。

山内:全くその通りやね。もっと言うと部落問題というものをどう認識しているのかということが展開されてないんやね。「オール・ロマンス」のことからずっと言ってもらう必要はないけども、今どうなっているんだと。

山本:結婚差別があるとか、忌避感があるとかには若干触れているので、そういう点への配慮はあるようです。どうして部落差別が生じてしまうのかという、これは誰もが答えることが難しい問題なのですが。そういう意味では垣根を越える仕掛けですかね、なぜ差別が生じてしまうのかという難しい問題を考え続けながらも、地区内、地区外という垣根を越えていくような仕掛けを村山さん自身が自分の出身地区を含めて色々な仕掛けをしていって、部落民とそうでない人の交流とか、施設の利用であるとかまちづくりに関わっていけばいい話であって、全てを行政に解決しなさいという要望書であっては(若干)ナンセンスだと。議員だったらお前がやれよと(笑)。

山内:うんうん。

山本:今回の要望書が橋渡しの役割を果たすのであれば、市長だけにではなくて、ホームページで公開してもらって、広く市民に知ってもらってという方が本筋だろうと。この要望書が目指しているものが実現に近付くだろうと思います。

山内:朝田善之助流に言わしてもらうと、部落問題に対する認識が欠けている。そもそも部落差別をどう捉えるかという視点で言うと、彼の要望書は権力が差別を作ってきたというね。

山本:「ウルトラ政治起源説」ですね!

山内:この間、部落問題の研究者が、中世、近世、近代にかかる、差別の発生した面でいうと、権力が主に作ったというわけではなくて、むしろ民衆の中にこそ差別があるんだと。

山本:1980年代からの作業ですね。

山内:そこに難しさがあるんでね。そこで難しさを感じてる。それが欠けていると言ってきている。それは悪いけど、我々の方はこの問題にずっと関わってきてるんで、いきなりこの問題にぱかっと入られてもなかなかふんと言えない。現象だけで言うとね、そんな簡単なことはないんでね。やっぱり起こってきた経過を見て、部落解放運動の構築、それに対して丁寧な批判をし、我々を納得させなければそれは違うだろうと。しかし、勇気ある提案だと受け止めて、正面から議論しなければならないと考えてますね。

■組織でなくても部落解放運動は可能
山本:じゃあ少し話題を変えて、先日山内さんが『京都新聞』のインタビューを受けておりまして、2007年11月10日の記事です。この記事を題材にしてクライマックスの話をしたいと思います。この中では研究とまちづくりが密接に結びつくことと、同和対策の根本的な問い直しが必要なことが見出しを通じて分かります。もう一つの核として「違いの認めあえる地域」をということで、お生まれが東九条ということがあるんですけど、これまでに東九条で様々に取り組まれているということです。
 今言っていたような部落問題、あるいは同和行政ということに対してどういうような形で地域の中から新しい関係性や動きを作っていくのかがないと、なかなか次の展望やステップに向かえないという実情がこれは同和地区だけでなく、一般地区でのまちづくりも含めて日本中どこにでも存在する課題であると思うんですけど、そういう部分で今東九条の中で新たなまちづくりな取り組んでらっしゃることがあって。この記事の写真の中でも出発点であった「東九条青年会」のことにも、1960年代・1970年代の活動にも触れられていると思います。これまで東九条を拠点に運動をなされてきた部分で、ある意味でこれからの地域で求められる運動論を最後にお話していただいてこのインタビューを締めていきたいと思っています。

山内:そうやね。部落解放運動はやっぱし今後の展望について言うとかないと、市長選挙を前にただ批判したという印象だけで終るのはしっくりこないんで。それを話の中心にして。

山本:お願いします。

山内:もうたくさんのお金を使って中央に集結したり、派手にしたりすることは全然必要ないと思うんですね。言うたらまあそんな大きな組織を作って、未曾有の成果を生んできたということを言うて、再度それを身につけるということはよくない。組織はなくても、解放同盟でなくても運動はできるだろうと思うんだね。結局は中身の問題が問われることになると、そう思ってるんですね。行政に何でもかんでも任してやれば運動も楽やけども、歯を食いしばって自分たちで何かを作り上げていくということが根幹になければ社会運動としては成立しない。「昔日を」みたいなことを求める運動であれば解散した方がいいんだと思うんだ。若い人はもうほんとに先ほど展開したように、町内にしっかり足場を持ってやるということで、大きなことをやるんではなくて小さいことを積み上げていくということで十分やと思うんやね。それを通してコミュニティをもう一回再生するという緊急の課題なんでね。それに一生懸命取り組む気がなくてね、組織防衛に汲々としているのであれば、そんなことはやめたらどうだと思ってる。
 同和事業もね、最近どこの地区を回ってもね、昔の良い所がほとんど見られへんのやね。それはバラックのままでいるということは辛いことやけどね。それが改良住宅になって住みやすい環境になって、それは結構なことですよ。ただ、それが解放運動なんけと。当初、水平運動をやった人たちの目指したことなんけと。あるいは部落解放同盟になって「オール・ロマンス」闘争を経て来た人たちもひっくるめてね、今の部落の状況を見て今の部落の状況がいいと思っているのかと。私は思ってないと思ってるんでね。だから私は十分な検討がなく同和事業が進むということはよくなかったんだろうと。あらゆる領域でね。だから共産党が言う「毒饅頭論」をあえて今否定はないけどね、こんな事業がなくても良かったんじゃないかということ。そのような議論をしてみる必要があるね。昔の私らの感覚の中では、部落というのは貧しくても活気あって元気やったし、神秘的な面もあったし、いろいろな人がおったし、好き嫌いでいうとああいうのがすっきゃね。何かハコモノが変わってどこ探しても人がいないと。一面、美しくなって市民に近づいた。市民らしくなるのは結構やけど。それって全然解放運動という実感をしない。同和事業の根幹的な見直しということはそういうことなんでね。ただ、だからやめるとかそういう話ではなくてね。もうはなっからね、はなっからあってよかったんかどうか分からん。そういう話です。
 お前今まで関わってきて促進してきてどうなんやと言われるし、そういう批判も甘んじて受けるとして、今の地点に立ってみると、崇仁もこの5年間で約500人の人口減少があった。今年の崇仁自治連合会の新年会で奥田会長がそんなことを言わはった。それは非常に私らもショックで。何やとこれは。崇仁はそんなに魅力のない町になってんのかいと。そんなところに俺がそんなさまざまな投資してもいいんかいなと。これはもう完全に新たな取り組みが求められている。それがないならば、もっと言うと同和事業はやっぱりやめてよかったと、そういう結論を下していかなあかんと。僕はつい最近までね、行政の人にも、若い青年たちにも部落解放運動をやってよかったなと、同和事業をやってよかったなというような終わりをどこでつけるんだということの中で、検討委員会、企画推進委員会、まちづくりの診断、NPOとこう求めてきた。
 ただ事態はもっと深刻な状況になっているんではないかと感じている。もちろん諦めるということではないし、幸い部落解放運動の中で時間をとられすぎて、東九条のことを返り見ることがなくて、今度、東九条北河原改良住宅の建替えを契機に東九条の新しいまちづくりを進めていく中で、もう一度今東九条のことを見直しています。部落解放運動が1980年代に「国際連帯」ということを言い出した時期があるけど、別に海外に行って、そんな展開とかそんな話ではなくて、もっと足元で出来ることがたくさんあるだろうと思う。
 前回の市長選挙の総括の中で山本さんが「市民運動」の力量のなさを挙げて、「地域の運動」と足場をもたない市民運動の連帯・連携が求められている。その現場には京都であれば「東九条」こそがふさわしいと思う。

山本:実際、「反差別国際運動(IMADR)」とかの組織ができましたね。

山内:そうそう、実際私らは1960年代の後半から追求してきたし。そんなん何も感じひん。むしろ地元でね、足元でね、あるやないかと。僕は随分昔から崇仁と東九条の連帯、連携をずっと言ってきたけど。

山本:東七条と東九条との連帯を1970年代からずっと言われてきましたね。

山内:双方が熟成してきたけどね。これからそういうことも睨んでね。東九条こそが国際連帯、国際交流ということも含めてね、出来る可能性があるんじゃないかと。それは別に大きな箱モノを作るという姿勢じゃじゃなくて。小さな積み上げの中でもっと賑やかな町にして。例えば「東九条マダン」をやったらたくさんの人が来ますやんか。去年も今年もどこにあれだけの人がいるのかと思う程の人が来るわけだから。ああいう活気のある町にするためにこれからどういう事業をするのか、崇仁とどう連携して若い者を返していくのか。まちはやっぱり人なんでね。別に建物を作る必要はないんでね。そういうことを考えながらやっぱり再度挑戦するということを考えてますね。もっと言うと、東九条で運動をやってきたことは大変面白かった。身についた。
 総括的に言うと部落解放運動の中でやってきた運動は随分辛かった。しかし辛かったけども、目の前でいろいろなことが起こってきたんで、それは大変面白かった。部落解放運動の若い人たちにもそういう面白いもんを見るということであれば、残って運動する価値はあるよと。まあやる気がなかったらねそんなしんどい運動はやめて普通の生活したらどうとかと思う。運動は頑張る人が頑張ると。それは全く少数のもんではない。別に解放同盟のごとく水平社のごとく学ぶ必要はない。全然状況がちゃうねんというように思ってます。

■楽しみながら反差別の社会運動を
山本:山内さんは17歳で共産党から除名された後に、それこそ反差別の大衆運動というか、地域の住民運動という形で何か組織のバックを背景にしたものではなくて、それこそ一人一人の友人関係や仲間や住民との関係の中で運動を作ってきた方だと思うんですけど、反差別の大衆運動、社会運動、住民運動が楽しくやれるし、しんどい状況であるにも関わらず楽しく、そこにある程度の生きがいであるとか、エネルギーを見出せる原因というか、楽しくありえたのはどこらへんにあるのでしょうか?
 差別をされているという事実、被差別の経験というのは大変しんどいものだと思うのですけど。それを跳ねのける運動が楽しくあり得る、それが持続性の一つの条件でもあり得るし、また違った立場で関わる人にとっても、あるいは行政にとってもその雰囲気が新たな輪を作っていく非常に重要な条件であると思うのですけど、東九条に携わってきた40年間に存在したのは何でなんでしょうか?それは是非聞いてみたいのですけど。

山内:東九条の運動は非常に楽しかったね。やっぱし、一つは小さい事柄が自分たちの力で実現していくというね。これが一つあると思うんですよ。最初私も小学校の5年生ぐらいから働き出してるから、実に生意気なガキでね。もう勉強したり、学校行ったりしたりしている同級生の連中も見下した時期があって。「俺はもう働いているから、お前らガキとは違うんだ」という、そこで自立するというか、そういうものがあった。そこは実に面白い体験です。そういう話したら、山内君随分辛かったやろと。そら仕事するわけだからしんどいにきまっているけども。しかしどうやろ。自分で食うもんは自分で働いて稼ぐというね、若い頃からそれが出来る環境にあるということはこれは全く人間としてね、よい環境なんじゃないかという発想です。だから別に全然暗くならなかったし、今でも苦でもないよと。ただ学校に復帰したときに一つだけ今でも引きずってるのは、ローマ字と英語を習ってる時に行ってないから、メールとか、パソコンとか使う時にものすごいハンディがあること。これはちょっと辛い。ただ日本史に関してはこれは楽しかった。ある時授業があって、その日本史の授業がすっごく面白かってね。その後、試験があってクラスでトップやったんよね。91点。平均点が60点の時にね。最高点やった。これが自信になったね。本を読むのも好きやったからね。これがエネルギーになった。
 その後、手痛い失恋をして。ラブレター攻勢をかける文学少女がおって。これに一杯食わされて(笑)。まんまと策にはまって、手痛い失恋をしてね。物事に集中するという癖がついて。その頃に日本共産党と出会ってね。貧しかったから、それは階級があるせいやと。資本家のせいやと。これはすぽっとはまる。そのために自分は生きる。これは何か打ちこめるわけやからとそんな幸せなことはないやろ。もちろんそんな中で色んな苦労もあったけどね。テロリストみたいなもんに扱われることもあった。そうこうするうちに、東九条の中で色々な人たちに出会って、技術もったり、考えもったりする人に触れて、触発されて、それでふと気がつけば、10代の公判、運動を率いて指導する立場になってしまった。後に解放同盟に入ったらね、そんな苦労をすることもなくて、会議室も準備されてるし、行政との交渉も準備されてるし、ところが東九条におったら、逐一自分が行政に足を運んで、喧嘩してギャーギャー言うてやらんと出来へん。その結果、出来上がってくる。それは面白いですよ。

山本:つまり手ごたえがあるというか、失敗や裏切りだとか色々なものがありますけど、そういう手ごたえがあることが経験できたというのが大きいのでしょうか?

山内:それは得がたいものとして、運動というのは自分で作るものやということの癖というか。僕がよく言われたのは、「一人で運動をやってる」と同盟の中で批判がありました。それは全くの間違いで。僕は人を多く集めることがと運動だとは考えてない。大きな組織を作ろうとすると金もいるし、縛りも軋轢も対立もするから時間もかかる。生活も大変になってくる。やっぱりそこそこの人数がおったら運動というのは成立するし。今回の東九条の新しいまちづくり運動にはお金もいらないので。昔からの仲間がおった。あるいは学校の先生なんかも協力してくれるし、東九条青年会からのメンバーもおったし、そういう意味でいえば良かった。今の部落の青年は特に可愛そう。そういうことを経験する機会がない。ふと気が付いたら雇用促進があり、奨学金があり、行政交渉がありと。はなっからあんのや。怖いのはね、これがなくなった時に彼らはどういう運動ができるんやということ。まさに今厳しい局面にたっている。私はそういう経験してるから、東九条に帰ったって一からこの土地でも運動できるという気持ちがある。
 40年間も放置されてきた北河原市営住宅の建替えで言うと、5、6年かかってるけど、それはやっぱし全然いけたし、むしろ楽しかった。兄弟もおったし。面白いことにね、昔、京都市に東九条の山内の路線で行ったらものすご扱いが悪かったし、同盟の山内で行ったらものすご扱いが良かった。今は時々東九条の山内で行くと、顔は知ってるけど、扱いがだんだん悪くなってきた。これ非常に面白い。楽しんでる。今度はね東九条の前にごりっとした行政マンがおったらね、真剣になって闘えるチャンスがある。解放同盟と言ったら最初から行政の人間は屈服してんのやもん。そんな行政とわたりあって何が面白いねん。むしろ僕は行政の人間を励まして、同和事業はこうしい、ああしい、そしたらこう成立するからとやったけど。東九条では反対に、彼ら東九条のことを馬鹿にしてる側面があるから、腹立ってね。解放同盟の中で学んだテクニックが出てくるわけですわ(笑)。

山本:(笑)。

山内:東九条の人は住民も行政の人も気がついてないねん。だからいくらでもいろいろな手をね、楽しくて仕方がない。社会運動をこんだけ経験してね、自分の眼の前で展開していくんやからこんな面白いこともない。今の若いメンバーに提起したい。社会運動に参加しなさい。フリーターもニートも結構やけどね、社会運動に参加したらそんなもんも消し飛ぶ。社会の仕組みを変えようという生き方がほんとに面白い。余裕があるとかないとかいうより、心があるかのというか、これがなんのために世に存在しているのか。だから社会運動を奨励しますね。ただそれは少数になってほんとにしんどい状況になっていると私も理解しているんやけどね。

山本:そういう意味では、楽しく社会運動をしていく雰囲気、現実にある社会問題を解決していくような手ごたえを感じれるような経験を東九条から発信していく形で、同和地区を含め、それ以外の様々な問題、フリーターやニートの問題、女性の問題、障害者の問題も含めてやっぱりもう一度活気のある社会運動を京都の中で展開していければ、という感じですかね。

山内:解放同盟の議長をやめて、東九条に帰ってきたことは大正解やった。面白いねえ今は。だから運動というのは面白いと、部落の青年たちにエールを送りたい。今回、山本さんのインタビューを受けたのはあまりにも知られていない運動の現場の人々にエールを送りたかったからです。これはまさに一発目であって、できればシリーズ化して、たくさん情報発信をしたいと考えています。

山本:本日は長時間ありがとうございました。

(了)

【註】
[1]山本による市長選挙総括は「京都市長選挙の教訓とは何か――社会運動論の視点から」(2004年)として公開している。
[2]「オール・ロマンス」に関する事件概要、闘争内容などについては「『オール・ロマンス』糾弾闘争の政治学――戦後部落解放運動史再考にむけて」(山本2006)を参照されたい。
[3]同報告書は、講談社新書+αより『京都・同和「裏」行政』として2007年12月20日に公刊された。公刊は明らかに早計ではあると考えるが、同書の評価は追って行いたい。

【注記】
本インタビューは、2007年11月30日に行ったものである。ここに記されている内容は山内氏に確認して頂きご了承頂いたうえで、WEBでの公開を行っているものである。また、軽微な字句修正及び註は山本が加えた。


UP:20071222 Rev:20071226
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2007/1222yt.htm

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