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部落解放運動の過去・現在・未来(2)
――山内政夫氏(柳原銀行資料館)に聞く――

(インタビュー記録/聞き手:山本崇記

【趣旨】
これは、現在、柳原銀行資料館事務局長を務め、その他様々な地元の住民運動やまちづくりにかかわり続けてきた山内政夫氏に、今後の部落解放運動の展望がどうあるべきかというテーマについて、聞き手の関心に沿いながら行ったインタビュー記録の第二弾である。

【山内政夫氏・略歴】
1950年、京都市東九条生まれ。小学5年生の時から丁稚として働き出す。陶化小学校・陶化中学校卒。17歳のときに自主映画『東九条』の制作に監督として参加。その直後に共産党から除名。工場などで働きながら、地域の青年たちと反差別の運動に取りくむ。30代になってから資格を取り鍼灸師として開業。1984年に部落解放同盟に加入。2003年〜2006年まで部落解放同盟京都市協議会議長を務め、辞任。現在は、柳原銀行資料館で地域史(部落史)を丹念に掘り起こしながら展示としても広く発信し、さらに、崇仁・東九条でまちづくりに携わっている。


■東九条から新たな「まちづくり」の挑戦
山本:「部落解放運動の過去・現在・未来」の第二回ということで、山内さんへのインタビューをしたいと思います。前回、インタビューさせていただいた時の一つの大きなテーマは、京都市長選挙に向けて部落問題をどう扱うのかということを柱としてお聞きしました。その時はまだ候補者として名乗りを挙げていなかった村山祥栄氏なども含めて、それぞれの立場で部落問題を取り上げようという動きが多少見られるようです。ただ先日の公開討論会(1月31日)なんかでも十分な議論という意味ではなかなか発展しなかったようで、各候補者、特に門川陣営、中村陣営であるとかは突かれると中々痛い部分をそれぞれが抱えているところもあるのではないかと思います。
 それでは、今回の京都市長選挙に対して前回のインタビュー以降、山内さんの方で地域から取り組まれているような動きがあればまずそこから紹介していただきたいと思うのですけれど。よろしくお願いします。

山内:「東九条CANフォーラム」というものを立ち上げるということで、ちゃんと事業を起こすとか、NPOという組織、それぞれミッションを持ってるわけで、そのへんを上手に地元の団体とか、市民運動をきちっと巻き込んで新しいまちづくりをすると。それを京都市行政のするまちづくりではなくて、自分たちで主導して、自分たちでやっていくという意味も込めて、CAN(Community Action Network)フォーラムということです。そういう考え方について各候補者に、昨日(2月1日)の段階ですね公開質問状を送っておきました。
 四つの陣営とも公開質問状を読みあげた時は、まあ非常に好意的に受け止めてくれて四、五日したら一定の回答があるであろうとこう思っています。その中で我々の考え方と一番近い人、或いは東九条の事業の継続性ということから言うて、一番近い人を推薦してこの選挙戦をそれなりに闘うということに多分なると。それが今後の東九条のまちづくりに影響するであろうことはこれは間違いがないんで、そういう意味では東九条として政治的な参加をするという、今までにないような画期的な構造やし。2月9日には準備会の総会を持って、そこに候補者に来てもらって、一定の考え方を述べてもらうというそういうものを準備中です。今この段階ではまだ誰を推すかということは決まっていません。

山本:東九条CANフォーラムというのは、東九条の中で色んな住民運動団体、民族団体、キリスト教関係の団体、NPOなどいたと思うんですけど、全く新しい名前だと思いますが、このCANフォーラムというものが、どういうグループなのかもう少し詳しく説明していただいてもいいですか?

山内:東九条にはそれこそ「東九条対策」が出来る前から、住民運動として東九条生健会、共産党、セツルメント連合、東九条青年会など色んな団体がそれぞれやってきたけれども、細かいこと言うわけにはいかんけども、住環境を整備するということでは一定の成果を生んだけどね。東九条の本質の問題、差別の問題、特に民族差別の問題、それから部落の人と共同の地域を作っているわけだから、その辺の共生というか、お互いに営みをやっていこうと。そういうものに対する行政の支援なり、対策なりがほとんどやられてないんで。
 今回こちらが主導権をきちっと持って、地域の運動、市民運動、文化運動、歴史の検証などに加えて、これからは色々なNPOとか「希望の家」とか地域の福祉関係とネットワークをきちっと張って、その辺を上手くプロデュースしていくような、ゆるやかなフォーラムを結ぶということ。これまでバラバラでやっていたんで、それを全部上から単純にまとめるんではなくて、それぞれが主体性を持ってやると。そういうふうな考え方について今度の選挙の候補者がどう考えるかということを軸にして、まあ一番最初に行動を起こしたと。部落でも色んなまちづくりがされているけども、他の地区に負けない、最先端のそういう考え方を持ってやろうということですね。

山本:設立準備会の代表をされているのが「東九条マダン」の実行委員長である朴実さん、事務局長が山内さんということになるということなんですけど、そうすると今言われた差別の問題を正面から取り上げていくという点で、特に民族差別・部落差別の問題を正面から問いつつ、住民が主体となってまちづくりをひろく行っていくということができるような集団というかグループを作ったということですかね?

山内:そうですね。東九条の運動史の中でも画期的なものですよね。

山本:そうですよね。

山内:それこそ、東九条青年会の中でも前から言ってあったように、部落と在日がそれぞれの違いを認め合って、反差別共同闘争を展開していこうと。何もこれは東九条に限った話ではなくて、これからこの活動が上手くいけば他の地区でもやっぱり同じものが作られていくだろうし、個人的にはしばらくすれば、そういう影響を及ぼして、「京都CANフォーラム」というものにやっぱりなっていくというか、そういう可能性を秘めているというふうに思っています。水平社がそうであった様に「燎原火の如し」やで。

山本:発展していくという感じでしょうか。

山内:そうですね。理念が正しければ「社会運動の冬の時代」から脱するという。

山本:今回、公開質問状を出されたということなんですけれど、主に東九条CANフォーラムの問題意識や設立経緯などからして、どういう点を市長になるかもしれない人たちに対して問題提起されたのか、その中身を紹介していただきたいのですけれど。

山内:一つは東九条対策の根幹に関わる問題ですね。どう総括するのかと簡単に言うと、私の経験では、東九条の地域の中で一番生活の厳しかった廃品回収をしてきた「バタヤ」の「集落」の問題、この人たちに対して一番深刻だと言われてきたけども、何らの対策もなしにね、結局廃品回収やってた人たちの集落が、行政が何かの手を打って改善されたという話ではなくて、全部火事で何百人が焼け出され何十人の人が亡くなってしまったという非常に悲しい歴史がある。これは怒りを持って総括すべきだと思っています。更に今度は昔から大体九条におった人は、戦前から言うと部落の人が多い。崇仁から来た人もかなり多いし。そういう人たちはやっぱり在日の人とはソリが合わずに、排外的な傾向にあったと。それは「東九条対策」が始めからそうだし、それが保守的なとこで、議論にならずに、福祉の問題と住宅の問題だけに収斂されたと。こういう総括だと思うんだね。それは行政を責めるというよりも、運動自らが総括して、やっぱり至らなかった点があると。40番地なんかそういう意味では、民族差別の点を持ってあんな日本中どこにもない様な「不法占拠」の地に、住民の力でみごと公営住宅建設を勝ち取ったわけだから。恐らく40番地の運動は東九条の運動や部落解放運動の見本となる、そういう活動であったと思ってます。
 それも総括のなかでは、町内に入る時は差別の問題もあって、自治会も苦労してきたし、そういうことが最近の陶化学区だけでなくて山王学区の方でもそういうことが見られるし、そこに住民運動は色々な団体を作って活動してきたけれども基本的には押されてきた。今回、北河原改良住宅という崇仁の新幹線敷設時の立ち退きによって九条に来た部落の青年たちが、立ち上がって自らの力で改良住宅の建て替え事業、しかも長年東九条の中で隣保事業をやってきた希望の家の建て替え、そしてそれを地域施設に変えていく。こういう流れの中で来たけれども、これが成功すると思う。そしてそれ以後の展望を考えるとCANフォーラムで指摘しているように、自らが立ち上げ、事業を起こし、継続し、地域にある色々なミッションを持ったNPOや事業体と連携して或いは、まちづくりとも連携して、それを今度企画運営して、まとめて大きなものにしていこうと。そういう意味では在日と部落で手を結んだというレベルだけじゃなくて、非常に大きく意味があるし、部落解放運動にも必ず良い影響を及ぼす。それは水平社が言うように、自らのことは自らが立ち上げて作るんやということを立証しようと考えているんです。

山本:北河原改良住宅というのは東九条であって、東九条ではないという部分があって、同時に改良事業の中で住民運動が勝ち取って、1960年代の前半にできた鉄筋コンクリートの画期的な改良住宅だったと思います。そこは同時に改良事業で建てられたということで、部落の人たちが基本的には居住しているけど、そこは同和地区ではなく東九条の最東北端にあると。下京区最東南端の屋形町に隣接していますが、そういう地域が或る意味では同和行政から、ある意味では「東九条対策」からずっと放置されてきた。
 そこがこれからの東九条の大きなまちづくりの中での起点になっていくということになると思うんですけれども、興味深いのは若い部落の青年たちが主体的に頑張っていくということがあってそういうことになったということです。この公開質問状の中でも北河原の改良住宅の事業、つまり合築についての項目があって、その項目の中では、在日外国人と日本人が互いの文化を尊重できるような共生事業をどう展開すべきだと考えるのかということであります。その合築施設が北岩本町に建設される予定で、つまり東九条の中に建てられるということになるわけですが、これは大変意味のあることだと思います。そういう部分はまだなかなか東九条のことに関心を持っている人も、そうでない人も見えてない部分だと思います。東九条CANフォーラムはそこを起点にしつつ、さらにステップアップしたかたちを目指しているということになるのでしょうか?

山内:そうですね。だから東九条青年会の中で色々なことをやってきたけれども、その時には我々も見えなかったけど、私も解放同盟の組織に20年以上おったし、世の中のことを経験したからね。それこそその経験を生かして、若い人たちに伝えて、そういう意味では楽しいし、面白いし。本来運動というものはそうあるべきだし。見事に解放同盟が喪失したものがそこにはまだ生きているということをきちっと情報発信したいなと。特に4月くらいに、この合築施設の基本設計ができるんで、その後ぐらいに大きく世間に発表しようと。CANフォーラムの設立の日に合わせてシンポジウムを催し、合築施設の基本設計の報告、もちろんそれは東九条のまちづくりの流れの中での位置づけの問題もある。そこには出来れば「東松ノ木町」(旧40番地)の自治会の新井会長も招き、東九条改善対策委員会の岡本会長も招き、北河原の代表も招き、十条の「故郷の家」の代表や崇仁まちづくり推進委員会の代表も招き、鴨川の西の七条、八条、九条、十条ここらを網羅するようなまちづくりの議論をしたいなと考えているんで。それは私が崇仁まちづくり推進委員会に所属しているし、東九条の方にも色々所属しているから、ちょうど橋渡しをして、CANフォーラムの一番最初に企画する事業ということではより面白いんじゃないかなと思っています。

山本:ある意味では部落解放運動の一形態というか、新しい形を模索したなかに北河原改良住宅を含めた合築があったという捉え方でいいんでしょうか?

山内:そうですね。それははっきり意識しました。行政にやらすんじゃなくて、それをリードするということを絶えず意識してまちづくりというか、建て替え事業、合築の事業の中でわれわれ地元の考え方を必ず示して、アンケート調査、住民に対する働きかけ、ここらへんは行政がやったって限界があるんで、うまくいかないことは経験済みやから、北河原の建替推進委員会の若い人たちがしっかりこなしたと。建て替えに関するアンケートの回収率が90パーセント以上。

山本:これはちょっとどこの町内会でもなかなか出来ないことですよね。

山内:私も各部落の建て替え事業に色々関与したけど、普通解放同盟は行政がやれということやけど、(そうではなく)自らするということで。これから情報発信をして十分それらの経過をきちっと発表することで、部落解放同盟にいる若い人たちにエールを送るということです。そういうことでは始めから意識しましたね。

山本:そこに更にこれまでずっと関わられてきた崇仁であるとか、青年の頃ずっと関わられてこられた40番地であるとか、つまり須原通、河原町通、七条から十条にかけて、かつては富井市政の時には両方を貫いて対策を考えるべきだという意見が一部にはあったと思うのですが、それが行政の都合で区域を分けてずっと行政施策が行われてきたし、運動の方も例えば40番地の自治会が陶化学区の自治会連合会の中に入れないという問題を抱えていたりして、そういうものをトータルに分断されてきたものをもう一度繋げて、しかももう一度というのはこれまで繋げられてきたことは多分一度も無かったという領域ですが、でも密接な関係を持ってきた東九条、崇仁という大きな京都の南の地域を拠点に4月の設立総会を準備していくという形になるということになるのかと思います。

■「同和利権」の実相
山本:この東九条CANフォーラムによる公開質問状とは別に、山内さん個人で公開質問状を中村和雄さんの陣営に提出されたということなんですけど、その件も今話していた今後の部落解放運動であったり、まちづくりにとって非常に重要な論点、そしてそのことが中々触れられていないという問題意識が背景にあるということなんですけど、その内容や問題意識を紹介していただけますか?

山内:村山祥栄さんも調査されて報告書を議会に出したと。その後ちょっと彼を崇仁に招いて話したけどね、その時事実関係でかなり異なる部分もあるので、出来れば議論できる場があって、それから色々発表された方がいいのではないかということで、奥田会長と私が提言したにも関わらず、それがすぐに本になると、更に市長選挙にも出ると。多分これは噂やけども次の衆議院選挙に出るかもわからんと。何か部落問題を踏み台にして衆議員になるのかという基本的な不信感が彼にはあるね。だからもう一度彼にこの場で提言しますけども、もう少しきちっと足元のあなたが踏み台にしようとした部落問題とは何であるかということ関して勉強した方がいいよと。もしこれ以上何か変なことが続くようであれば、我々も黙っていませんよと彼にはこの山本さんのホームページを借りてこの段階ではアドバイスを言いたい。一方共産党の陣営も今だに部落問題の負の部分だけを焦点にしようとしている。それは違うだろうと。一体部落問題が何であったのか、日本共産党がどのように関わったのかと。それこそ水平社の時代からきちっと総括するような問題がたくさんあるんじゃないかなと思っています。
 その象徴が今から5年前に起こった同和補助金の学習会の不正事件と呼ばれているものですね。それでその当時部落解放同盟が刑事告訴されて、厳しい状況の中で8600万円全てを返済し、その時の解放同盟の市協の役員、支部長も全部辞めて、私が「どうする京都21」で謝罪し、出来ることは全部やった。ところが一方で京都市がその補助金に対する調査をした時に、1996年以前だと全解連の方にもそういうことがあったと指摘して、それについて遺憾やと提案していると。それから言うと、中村陣営がそのことをどう考えるのか、どう総括するのかと。それについて私たちも社会全般にも一言も託していない。それで本当にいいのだろうかと。全部を解放同盟のせいにしてその問題は終っていくのだろうかと。はなはだそれには腹立たしいものがあったので、正面から切ってきちっと公開質問状を出してそのことをどう考えるのかと。
 更に京都市の職員の不祥事で、中には全解連が雇用促進で推薦した人も不祥事件に関わっているということもある。それに関して何の見解も何もない。単に不祥事の根絶。どう根絶するんだと。原因については一体何なんだと。まず自己を切開すべき。それから他者を非難すべきではないだろうか。ましてや前衛党なんだからしっかりしてほしいと。ある種の期待もこめて公開質問状を送りました。しかし反応としてははまだピンと来てないのかなと。質問状をしっかり呼んでもらったら、私が提案しているのは深刻な問題のはずです。もっと言うと、寺園敦史さんが恐らくには彼らの組織内で議論されたのか、「民主市政の会」の内部でそういう問題提起もされただろうと。そのことに対しても寺園さんに対して厳しい状況がもしあるとするならば、前衛党として反省すべきだなと私は思っています。ちゃんとした返事を待っていますんで、中村さんよろしく!回答がなければ、この件はずっと言い続け書き続けます。黙ってしまったことも含めて「くさいもの」にふたをし続けた前衛党として。

―――――公開質問状――――――

2008年京都市長選挙候補者 中村和雄殿
                                        一部落民 山内政夫

 まず京都市政刷新を求められて今回の市長選挙立候補された情熱と勇気に対して心から敬意を払いたいと考えます。本当にご苦労さまです。またホームぺージ掲載されておられるマニフィストにも社会的弱者に対する政策にもいくつか同意できる点があり、基本的には評価できるものだと考えています。国民保険の値下げ等はまったくもって共感できるものであり、その実現にたとえ今回敗れたとしても努力してほしいもだと思います。かく申す私も一時代は共産党員であり、党員は「日本人民に奉仕するものだ」と教育されたものであります。今現在でもその精神は忘れてはおりません。さて今回の市長選挙の争点である部落問題(同和問題)の貴方の主張の件でありますがどうしても納得のいかない点がいくつかあります。それにお答えをぜひいただく失礼にも関わらず、無礼な点はおわびしつつ、以下の点にぜひお答えをお願いたします。

(1)貴方の選挙陣営が繰り返し述べられている、「同和対策事業補助金」に関する事ですが、私は2003年から2006年まで部落解放同盟京都市協議会の議長を務めていましたが、京都市協議会としては全ての事業費の返還に応じ、当時の市協役員、支部長が責任を取って辞職し、私は京都テレビの「どうする京都21」の番組の中、冒頭に深々と頭をたれて謝罪しました。それでも不充分な点はあるかと思いますが、責任者として取り組むべきは最大限に実行したと考えております。が2003年7月22日京都市文教委員会において京都市調査委員会による「最終報告」として出された文書には1996年以前について、文書が消失し調査できなかったが全解連(当時)への事情聴取をおこなった事や、彼らも同様の支出があったことが「遺憾」という言葉で表現されています。これらの事は一体どう弁解するのですか。他を批判する者はまず自ら自己切開しなければならないのではないですか。「民主勢力の一勢力」「一集票マシン」の事を知らん顔するのですか、しらなければ調査してその事を市民の前に明確にすべきでは。なお申しそえますが寺園敦史さんは自らのホームページや「ネットワーク京都」で「全解連」のこの一件についても鋭く告発されています。この公平性を保つ姿勢は高く評価をしています。

(2)京都市職員の不詳事件が頻発し、私自身解放同盟から現在から離れていますが心を痛めております。要職にあった者として身の置き場に苦労する今日ですがこれらの一連の事件の中に全解連による「雇用促進事業」で京都市に就職した人もおります。その事についてどう考えおられるのですか。市政の刷新の前に自ら刷新しなければならないのではないでしょうか。

―――――――(以上)―――――――


■『部落解放運動への提言』を読んで
山本:それでは、今ずっと議論になっていた部落解放運動の今後の展望という点に話題を変えまして、昨年このインタビューをする前にですね、「部落解放運動に対する提言委員会」というところから『部落解放運動への提言――一連の不祥事の分析と部落解放運動の再生に向けて』(以下、『提言』)が出されました。2007年12月12日に、部落解放同盟中央本部に提言された提言書です。これは京都の世界人権問題研究センター理事長も務めている上田正昭さんが座長になって、これまで部落解放同盟と非常に近い距離にあったジャーナリスト、研究者、行政関係者、弁護士、放送関係者等が構成員になって、一年間かけて議論しそれをまとめたものとして出されています。これはインターネット上で読めるようになっています。
 副題に「一連の不祥事の分析と部落解放運動の再生に向けて」とあります。これは本当に部落解放運動に連帯してきた側も部落解放同盟の側も考えなければならない重要なテーマであると思うのですけど、ここに提言されている内容がこれまで山内さんと話してきてたことも含めて、今後の部落解放運動にとって果してどれくらいの意義があるのか、それともないのか。ないとしたらどういうものが考えられるのか。この『提言』に十分な評価をしている人がまだいないと思うので、地域のまちづくりと部落解放運動に関わってこられてきた山内さんに是非とも聞きたいテーマの一つであります。この『提言』を読んだ感想からまず聞いていきたいと思うのですけど、どうでしょうか。

山内:まずこのように努力をされて人びとには感謝をしたいと思います。やっぱりかなり言うべきこともズバズバ言われているんで。この人たちを批判する者もいると思いますが。一部落民としては基本的には厳しい内容を指摘してもらってると、感謝すべきもんだと。ただ、何かやっぱり学者なんだなと。実際私などは20年以上、特に最後は京都市協の議長として関わった者として、現場のことがこの人たちには分かるはずもないと思いますね。努力には感謝するけども、却って中途半端なことになってしまっていいのだろうか。まずそういう感じがしましたね。何を甘っちょろいことを言っているんだと。現場にいる人間から言えば、そんなものは100も承知でこういう運動をやってきたわけで。私の先輩なんかではストレスで病気になったりして死んだ人間がたくさんいます。そういう人たちからしてみれば、こんなことは分かっていたと。10年前の話でもっと問題は深刻になっているんだなと実は思っています。

山本:何人かの識者、特に京都に関係する人からは例えば師岡佑行さん、藤田敬一さんなど部落解放運動に近かった人からすでに問題提起が早くからなされていて、その当時は部落解放同盟から非常に厳しい批判、「裏切り者」等々のレッテルも貼られましたが、そういう議論が既に京都にはありまして、「遅きに失したんではないか」という評価もあるのですが、ある意味では地域の運動にずっと関わってこられた山内さんにとっては既に議論され、克服の課題として対象化されているような論点が表面的なかたちで列挙されているに過ぎないという印象が強かったということでしょうか?

山内:全くおっしゃる通りで、10年前、15年前に議論して整理しておくべき問題であったと思っています。何故それが出来なかったのかということを議論すべきであって、何を言うているんだと。そもそも法律ができることが何であったのかということから議論すべきであってね。

山本:その法律は「同和対策事業特別措置法」のことですかね?

山内:そうそう。そこまで遡って考えるべき問題がたくさんあると。簡単に言うとね、その法律が出来ることによって、金が部落に入りこむ。その受け皿として後で出来た支部がたくさんあると。正に私が所属していた部落解放同盟七条支部なんか典型なんですね。最初支部が出来るから支部長、書記長が町内に住んでないと。だからそういうことから言うと崇仁の地元で運動のしようがないんじゃないのと。部落問題とは何なのか、それをどう解放するのかということが組織の中で真剣に議論されてきたのかということに関して自身の反省を含めてありますね。だからそういう問題なんであって、高尚な部分で学者が分析すること自体が間違っていると。そんな分析ではまさに机上の議論である。一番最初にね、「はじめに―危機的状況を直視する」とありまして、「胸を締めつけられる思いでテレビや新聞報道を見たであろう」とこう言われていますけどね、そんな話ではなくて、「やっぱりあったんけ」と、「そのことを指摘されたんけ」というレベルの感想を皆持ってるんじゃないかと思いますけどね。だからここでまずこの提言はズレているというふうに思わざるをえない。で「部落解放同盟の存在意義そのものが根本から問われている緊急事態である」と。
 これももう10年、15年前の話でね、根本的な存在意義そのものが問われて10年、15年して後どうかということであって、そういうことを議論すべきかなと思いますね。一番最初のとこではね。2番の「一連の不祥事の背景の分析と問題点」はこの点について、提言された人びとがどっからどういう情報を得て、こういう分析をされているのか私には疑問ですね。法律が出来て、そういう構造が出来て、行政との癒着関係というかお互いに支えあう状況が生れたというのはこれはもう鼻から分かっていたことなんであると考えるべきである。途中から入ってきて、提言とか議論とか色々頑張ったけれども、結局は分厚い壁があって跳ね返されたという感じがあってね。外部からいくら言ってもだめ。やっぱり部落民自身が、解放同盟中央自身がもっときっちり書くべきなんであって、何で提言なんかされなあかんねん。レベルそものが俺からしたらけったくそ悪いなと。何考えてんねん。中央本部だろうと、県連、府連、市協、地協レベルだろうと。何やと。何でこんな学者連中にそういうものを任せるんだと強く反発し、怒るべき。現場を知らん人がそんなことを提言できるはずがないじゃないかと。どんな情報出したんだと。これがまず疑問やね。

山本:『提言』という形式自体が解放運動の体質というか、これまでの運動体質を脱却できていないという一つの分かりやすい事例になってしまっているということになるんでしょうか?

山内:その通り。かつてね、融和事業がそうであったように、やっぱりここまで来たら中途半端でどうのこうのと出来るはずがない。この提言を読むと糾弾や行政闘争が必要であるとか書いているけどね、そんなもん全部止めて一旦組織を解散して、ゼロから出発するぐらいでないと駄目やね。中央とか都道府県連のレベルの組織はこれはもう専従とかそういう人たちの月給を払うだけの組織になっている感じがするよね。部落大衆の人たちの意向を反映しているのかどうか、これはそんなんじゃないと思うのね。部落大衆と呼ばれる人たちもよくないんでね。部落大衆は解放運動のために「何を」すべきか考えるべき。組織に頼らんでね自分たちでやっていくということが必要なんでね。そういう方向のアドバイスも研究者はすべきなんであってね。

山本:なるほど。この『提言』の特徴にもなっているのですけど、中央本部に対する提言なので本部の人たちがどうしていくのかということが基本的な『提言』の視点になっていると思います。その意味で、「部落大衆」というものが非常に受身というか、受動的に描かれているようで、「部落大衆」が主人公であるとは書かれているのですが、何かこう中央本部がどうにかしていかなければならない対象のような形で描かれているのが大変気になりました。
 先ほど行政が施策を出してから支部ができてしまったということとも関係すると思うのでしょうけど、地域のなかで部落の人たち自身が主体的に何かをしていく、そのために何が必要か。特にポスト同和行政というか、同和行政が終って以降の同和地区の問題と非同和地区との関係性をどう考えていくのかということを、色んな人が色んな知恵を絞っていくことが必要だと考えると、「部落大衆」というものの捉え方も非常に抽象的であるし、受け身的で、本部の指導がないと動いていかないような存在として位置づけられおらず、これはちょっと一つ一つの地域があまりにも見えていないのかなという印象を僭越ながら感じた次第です。

山内:それともっと私は遡って考えるべきだなと思っていて、「同和対策審議会答申」に対する評価をきちっとすべきだなと。同和問題の解決は国の責務であり、同時に国民的な課題であると。こう縛られてしまうと、どこに行くんだろうと。そんな問題なんだろうかと。国の責務だろうかと。確かにそういう努力は評価するけれども。ここまで書いてあると、ちょっとやり過ぎなんじゃないかと。一端このように書かれると、運動の方にしたら大きな武器だけれども、世界全体あるいは部落解放運動の展開からするとこれはやり過ぎだね。特措法という時限立法ということだけれども、やはりちょっとやり過ぎでそこに部落解放運動がこける材料がこの時に用意されたんではないかと思うのね。こうなっていくのは、こういう必要性があったと。だから誰が良いとか、悪いとかそんな話ではなくて、ここに据える必要が多分あると思うのね。

山本:そうすると今後の運動や先ほどお話していただいた東九条の話とも関係してくるかもしれないですけど、国というのは絶大な国家権力、政治権力であり、下部に各地方自治体の行政権力が存在して、それぞれが公共性を代弁して施策を執行する。それに依存してきたり、乗っかってきたことによって主体性が喪失されてきたということになると思います。そう考えると部落問題を戦後において大きく動かした特措法は国家権力のなかで実現していくもので、その結果、主体性を喪失していくとしたら、今後、国や地方自治体も含めその行政権力的なものとどういう関係を持ち、その役割を設定(限定)し、住民はどういう部分で主体的であるべきなのかというバランス、いや、むしろその力関係というか、そういう部分での経験であったり、ノウハウであったり、実力がものすごく問われてくると思うんですね。
 この『提言』の中では、行政も主体的に部落民も主体的に、双方主体的にということで書かれています。この主張は以前からあったことだと思うのですけど、行政権力をどう位置づけるのかというのは本当に難しい。多分それがみえている活動家というのは、部落問題だけではなくて、他の社会運動のなかでもなかなかいないと思うのですが、山内さんが部落問題に関わるなかで経験されてきた部分で、行政権力をどう位置づけて、その位置づけのなかでどのように住民の主体性を発揮することができるのかという運動論をお聞きしたいのですが。

山内:まず人権行政なり、差別と関わる行政に関して、行政の中でも勘違いがあって、全てをやることが結びつくという。教育、住宅、啓発あらゆる部分でそうなんですね。

山本:ちなみにそれはいつぐらいから行政の体質になっていくんでしょうか。?例えば1950年代の「オール・ロマンス」闘争の時期でしょうか?

山内:そうじゃないね。それはやはり特措法以降の体質やね。解放運動の感覚として同和問題は国の責務であるから、地方自治体もそうなんだろうと。そういうところでは抵抗できないわね行政は。この間行政の人と話したら、差別の話しをされたら私らはどうしようもない。私自身も東九条で運動をやっていた時は、差別ということを向こうに認めさせるということが大きな運動目標になっていたんだね。東九条では非常に苦労したけれども、解放同盟に入ったら大前提になっているからね。この東九条と部落の二つの所で経験したということは私にとって大きいね。そこで行政の人から、行政の仕組みをたくさん学んだけれども、行政はその人たちがどう立ち上がるかという時にどう支援できるのかということであってね。
 例えば私はリハビリの仕事をしているけれども、リハビリの治療を施す方が全部してしまったら、その人の力がつかなくなってしまう。その人が立ち上がるにはどうしたらいいのか。何に捉まれば立ち上がれるのか。そういうふうに支援するというか、それをするということが技術があるとされるわけで。全部行政がやっちゃうんだよね。それが双方で当たり前になっちゃってる。それでずっと来てしまったから、最後の段階では解放同盟支部要求書であるとか、支部大会の議案書なんかまで行政が書いてしまうということになってしまう。そうなってしまったら運動なんてものは置き忘れられてしまう。それは駄目。だからないものをどう作っていくのかという、現場で頑張っていくべきなんだよ。
 『同和はこわい考』(藤田敬一著、阿吽社、1987年)もそうだし、色々指摘されているけど、それは全く現実の運動とは違う世界について議論されている。ちょっとズレている。そういう違和感は感じていますね。それとやっぱり「同和対策審議会答申」に行き着く過程の段階で部落解放の議論を作ってきた人はこれはもう総懺悔すべきだなと思うね。結果として、誰が良いとか悪いとかそういうレベルではなくて、そういう仕組みそのものがそういう必然性を持っていたということを見抜く力を持っていなかった。そういう人たちは猛反省すべきだと。それに対しては厳しい反論もあるかと思いますが、こっちとしては反論してもらうことを待っているわけであって。

山本:そうするともう一方で部落の人たちの主体性というのが当然課題となると思うのですが、そういう部分で北河原町という非常に難しい地域で若い人たちと一緒にまちづくりをされてきた経験がおありだと思います。『提言』のなかでも部落民であるとか、若い人たちの育成が急務であるというような言い方をされていると思うのですけれど、それは文面としては全く正しいと思いますが、部落民アイデンティティであるとか、或いは若い人たちを育成するといっても部落からかなりのスピードで流出しているし、部落民であると自覚することが果して運動にとって絶対に必要なことなのかということ自体が、かつてとは違った状況になってきて前提にできなくなってきています。具体的に現場の経験から「部落民として」であるとか、「若い人たちが主体的に立ち上がっていく」であるとかがどのようにして可能であると思いますか?

山内:まず厳しい言い方をしたら、同和事業の恩恵を受けた若者はもう駄目ね。厳しい言い方をしたらね。

山本:それは主に今でいうと40代ぐらいの方でしょうか?

山内:30代から40代だね。何というか、そういうふうにして努力しなくても一定の事業がされて、生活が立ち行くと。確かにそれは解放でそれはそれでいいんだという意見もあるけど。運動してきた立場からすると、それは駄目ね。幸い北河原のメンバーはそういうことがなかったから、自分たちで昼間仕事して、そこであがっている時間で限りなく会議して、それで地元のおっちゃん・おばちゃんたちに働きかける。こういうことが当たり前になっているし、そこから出発すべきであって。特に初期の頃の部落解放運動というのはそこらへんがきっちりしていて、公務員になったらね、ちゃんと運動して地域に返せよというのがあったと思うのね。
 それがいつの間にかなくなって、雇用されるから勉強せんでもいいんだという意識ができて、一旦もうそういう同和事業を含めてずっとやられてきた運動をチャラにして、悪いけどもそうなっちゃうね。これからは行政に何を求めていくんだと部落解放同盟は、何を糾弾するんだと。それはもうその理論構築とか、運動の形態をどう作るとかもう大変だろうと思うのね。そういう本当にもう絶望の中で一旦燃え尽きて、その灰の中から不死鳥のように甦るとかね。そういうことなんだろうと。ただしかしそれでも部落解放同盟京都市協議会の中にはね、何人か若い青年たちがおって何とかしようという気持ちがある。そういう気持ちは尊重したいしね、そういう人たちまで私は悪く言おうとは思わない。

山本:ある意味では同和行政が終っていくということは、この『提言』の中でも同和行政の切捨ては許されないという言い方がされていたり、情報公開と説明責任というかたちでの行政闘争の深化が必要であるという言われ方がされているわけですけども、北河原の経験などから考えると、良かったのか悪かったのかかで言えば、行政には放置したという責任が大きくあり、これからポスト同和行政で事業がなくなって行くということが危機的状況であるとするならば、逆に住民が主体的に立ち上がっていくというチャンスとも考えられ、つまり、新しいものをこれまでの歴史を踏まえつつ、しがらみをゼロにして新しいスタイルのものを作っていけるようなチャンスとしない限り展望が出てこないという認識でしょうか?

山内:そうですね。この『提言』を受けて本当に変っていくのだろうかと。そんな生易しい認識ではない。

山本:これは前回のインタビューの時に私が喋らせていただいたことですが、『同和はこわい考』でもそうであり[1]、今回も部落解放同盟に対する『提言』だったので当然なんですけど、「部落民よ立ち上がれ」という部分が強すぎて、逆差別する側がどうなのか、妬む側がどうなのかという議論が弱い。税金を使っているのだからあらゆる市民、住民に対して説明責任があるというのも首肯できるし、そういう人たちに対して『提言』では、税金を無駄遣いしたということで「被害を与えている」という書きかたをしている。そういう言い方も出来るとは思うのですけど、結局何故差別がなくならないのかということを考えるならば、どういうふうにして非同和地区であるとか、被差別部落ではない地域の人たちが部落差別を考え、連帯し得るのかを考えないとしょうがないのであって、その観点から歴史的な反省点がどこにあるのかというような議論も必要です。
 そういう議論の必要性が、『提言』をまとめられた方々にとっては必要なことで、部落のことは部落の人たちにというわけではないのですけど、連帯する側もたくさんの責任が連帯する論理としてあったと思うのですね。もちろん、今、解放同盟にあえて正面切って連帯していくということを皆言わなくなっていますので、これは凄く白状なことですし、そう考えるとこれほど逆風にさらされているなかでずっと関わってきたという筋を通した『提言』としても受け止めることができると思います。
 一方で、どういうふうにして解放同盟でもなく、部落民でもない人間がこれらの問題に関わっていくのかという問いは残る。これは崇仁地区のまちづくりを見ていても、もう既に京都市民に匙は投げられているんじゃないかと痛烈に感じたことと重なり合った問題意識だと思っています。「どうなる京都21」(2003年11月KBS京都放映)を拝見さしてもらった時も感じたのですが、崇仁の中で地上げがあって、まちづくりの主体が分裂していたために中々立ち上がれなかったけれども、もう一度一緒になってまちづくりを起こしていく。色々な苦難のなかでまちづくりの運動体が出来上がっていく。それがポスト同和行政以降もコミュニティーセンターを作って新たに下京区全体を巻き込んでいくようなところまで今進んできている[2]。それれでは崇仁という地域をどうするのかという課題は、結局京都市民の問題でであり、崇仁以外の地区の人たちがどのように考え、関わっていくのかというところへ、もう匙は投げられていて、全て崇仁の人たちに課題を投げて(押し付けて)部落問題、部落差別は解決していかなければならないというのは問題の立て方が転倒していると思います。
 そういう意味では、差別する側がいるから差別があるんであって、される側には原則的に責任はないわけです。そういう意味では「されてきた側」に何らかの責任を押し付ける「転倒」した状況は、法律が作られてしまった以上そこを反省する際に必要な視点ではあるけども、連帯してきた社会運動の側が部落差別が何であり、どうしたら解消するのか/しないのか、そして、されてきたのか/されてこなかったのかを提言をすることの方がよっぽど必要なことで、これは 私自身もやらなければならないと読む度に思いました。

山内:全くその通りやね。それとやっぱし根幹から議論せなあかんと。部落史の範囲になって恐縮やけれども、何をもって部落と言うんだと。「同和対策審議会答申」なんかでもあまり語られていない。同和地区の線もどう引くかというものも非常に曖昧模糊としていて。京都市内に大体19の地区があって、その内の11の地区が地区指定されている。地区指定されていない地区を私は周ったけどね、そんな問題ないんだろうね。という町になっている。ただ事業をやられた町の方が何かこういびつなまちになっているという。真にもって「ひにく」なことや。

山本:ねじれたというか。

山内:そうそう。おかしいんだよ、それは。人口も急に減ったりするからね。だからまさにその部落問題をどう捉えるかという古くて新しい問題、それがこの提言にはあまりないんだね。

山本:大前提が回避されているというところですかね。

山内:そうそう。現象だけで捉えているんだね。今ある危機をとりあえず乗り越えたらいいんだというそういうふうな提言だけのような気がするんだね。それは違うだろうと。中央の方にも、直接私が申し上げる場が無いけどね、この場をお借りして申し上げるとすれば、大体何故相変わらず部落解放運動に中央が必要なんだと。中央作って何が分かるんだと。そりゃ大きな政治的な力を発揮するかもしれないけどね。そんな大きな政治的な力が必要なのかと。それよりも絶えず民衆の方から上がってくる何か、それをどうするかということが問題であって。上から見て運動方針を下ろして、どうするんだと。

山本:それは非常にこの『提言』に見えていますね。

山内:それでは全く良くないんでね。そんなんで部落大衆が動くと思っているのか。それは自惚れだね。全く左翼の運動の良くない点で。

山本:ちょっとした前衛党意識のようなものですかね。

山内:だから前衛党に対して提言したらいいのにね。

山本:(1922年に誕生した)同年齢の組織ですからね。共産党と水平社は86年の歴史を持っています。

山内:そうそう。それと一番気になったのは、国際連帯の話ですよね。別に解放同盟は国際連帯なんかする必要ないんでね。

山本:はい。

山内:もっと足元のね、例えばかつて部落の前にあった在日の人らとどう連携するんだと。かつて部落第一主義でね、その人たちを排除した歴史こそ反省すべきであって、そっからもう一度国際連帯ということを言うべきであって、何かそれがズレてるんで。格好だけつけて他の国の人々と国際連帯するんだという。それは本質がボケてしまっているんでね。部落解放運動をする限りでは、厳しい人たちと、あるいは他の国に行かんでも自分の国にたくさん貧しい人がおるし、厳しい差別の現状にさらされている人が一杯いるじゃないかと。そういう人々と本気になって連帯すべきなんであって。それを生意気にね部落差別が一番厳しいんだと、そういうことを言うべきことじゃないんでね。全く差別された人たちと同じような水平に立ってやるべき問題であるし、そうでないと誰も支持してくれないし、一緒になって闘ってくれないですよね。

山本:それはやっぱり解放同盟の誇りの裏返しだとも思うのですけど、何か自分たちが中軸になって色々な運動を引っ張っていくみたいな書き方が強かったと思うのですけど、国際連帯も含めて、多様な運動の中心であるべきだという肩肘を張る必要もなくて、地域の中で、身近に、既にニューカマーもいるし、在日朝鮮人もいるし、障害者もいるし、女性もいるし、ハンセン病者もいるわけで、色々な人たちがいるなかで、あるひとつの差別を解放するための運動体として何ができるのかという、そういう等身大の姿勢でいいのではないかとも思ってしまいます。

山内:そうですね。大体その社会運動として未曽有の成果を挙げすぎね。かつてそういうことがあったから、それをどうしても求めてしまう傾向がある。それがよくないんでね。この提言もそれをなぞってると思う。そういうことから言うと、それはまた部落解放運動を本当に潰してしまうことになるんじゃないかなと。その辺よく考えてもらいたいなと思うよね。こういう人たちはそういう提言をせんで、ほっといたらいいんだと。解放同盟の中央本部が主体的に考えればいいんで。むしろ部落解放同盟の中央が一番先に解散した方が部落解放同盟の進化にとっていいんじゃないかと思うね。

山本:大胆な発言を。

山内:大体上から下にそんな下ろすなと。下ろされた側は決まったこと、押し付けられたことで動員せなあかん。中間組織の人間はほんま必死になってね。動員、動員ばっかりでね。そういうことするから金もいるし、変なことも起こってくるし、運動も駄目になっちゃうんでね。もっと地域に貼り付けよと。いくつかの部落でね、張り付いて、NPOちゃんと作ってやっているところもある。そういう所から学べと。この間(大阪府)和泉市のダッシュというNPOの企画に参加して、非常に上手にやっているしね、解放同盟より二歩も三歩も先に行っていますね。それでいいんだと思うのね。
 そういうことについては、京都市協議会の中では随分議論してきたんだ。それが何故実行されないのかということについて突き詰めるべきなんであって、別に運動が続くことが差別がなくなるということではないんでね、運動がなくたって差別がなくなる場合もあるわけで、ただ運動が必要な時に必要なことをやると。本当に差別が厳しくて、どうしようもない時に現われてサッと運動をやると。運動を続けるための運動ということになっていて、そんなものはやりたくないと。必要とされている時に、颯爽と現われて社会正義を実現して後、組織がボロボロになって解散していくという。また何かあったらすると。そっちの方が私はいいと思うのね。部落解放運動史をきめ細かくみると、実はこれの繰り返しなんだよね。

山本:潔いですかね。

山内:ちょっとアナーキスト的なね。

山本:ちょうどそれを言おうかと思いました(笑)。

山内:もうかつてのソビエトや社会主義国みたいに中央があって、前衛党があってという考え方は間違い。そういう組織のあり様が今回の色んな事件を生んで、解放運動をこんなんにしているという総括をしなければ駄目。

山本:なるほど。

山内:それは日本共産党も全く同じ。日本共産党はようも部落のことをこんなに叩くなと。自分たちが最初水平運動の時に何をしたんだと。政党の下に置こうとして多くの間違いがあったことの反省をしなさいと。だからそういうことが無いと展望がない。もし次にこの「部落解放運動の過去・現在・未来(3)」をやるとしたら、そういう昔からの水平運動、部落解放運動と共産党との関係について触れて、もっともっと現在のこの厳しい状況の根幹の問題に触れたいと思います。

山本:ぜひお願いします。本日は長時間、ありがとうございました。

(了)

【註】
[1]『同和はこわい考』が提起した問題構成に関しては、拙稿「差別/被差別関係の論争史――現代(反)差別論を切り開く地点」(『コア・エシックス』第3号)で検討したことがある。
[2]崇仁地区に新たに建設されたのは地域複合施設「うるおい館」。位置は崇仁小学校の斜め向かい側(北西)、塩小路須原通南西角に当る。2008年4月オープン予定。関連記事として、http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20080207ddlk26010446000c.htmlを参照。

【注記】
本インタビューは、2008年2月2日に行ったものである。ここに記されている内容は山内氏に確認して頂きご了承頂いたうえで、WEBでの公開を行っているものである。また、軽微な字句修正及び補足(括弧)、註は山本が加えた。


UP:20080211 REV:20080214
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2008/0211yt.htm

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