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> HOME >DATABASE [都市下層] ◇星野朗・野中乾 19730320 『バタヤ社会の研究』 蒼海出版 一 東京の貧民街の変遷 (一)江戸時代 (二)明治時代 (三)大正から昭和へ (四)戦争中から戦後へ (五)高度経済成長政策以降 (六)貧民街の立地条件 (七)バタヤの呼称について 二 本木町のバタヤ街―その変遷 (一)東京全体からみて @戦前 A昭和15年の歎願書 B戦後 (二)本木町の今昔 @足立区南部のむかし A変貌のはじまり B貧民街の誘致 C戦時中の本木町 D戦後の変化 E昭和35年以降 三 バタヤの経済 (一)資源回収業 @仕切屋と拾い屋 A納人と再製工場 (二)拾い屋の生活 @仕切場・車・部屋 A拾い屋の労働と収入 (三)仕切り屋のもうけ (四)拾い屋の生活意識1 (五)拾い屋の生活意識2 (六)足立市場と清和会 四 周辺の関連する諸産業 (一)紙漉業 @紙漉業の起源 A紙漉業の発展 B第二次大戦後の実状 (二)屑物加工業 @その種類 A草履芯工業 五 さいきんの屑回収業の実態 (一)高度成長政策のもたらしたもの @仕切屋・収集人の激減 A足立区本木町の地位 Bゴミ戦争と屑回収業 (二)本木町の変容 @仕切屋の変化 A拾い屋の変化 B清和会のその後 C福祉の現実 (三)これから―まとめにかえて 六 付録 (一)歎願書写 (二)後楽園のバタヤ街 (三)再生資源取扱業に関する条例(付同施行規則) ◇江口英一[他]編 19790625 『山谷―失業の現代的意味』 未来社 まえおきの幾つかを―江口英一 はしがき 第一章 山谷日雇労働者実態調査結果の概要―西岡幸泰 第一節 調査対象と調査方法 第二節 性、年齢、山谷居住年数別構成 第三節 居住形態別構成 第四節 就労状態の概況 第五節 生活と要求 第二章 社会的形成過程―西岡幸泰 第一節 仮説と調査方法 第二節 山谷日雇労働者の経歴―出身地、学歴、結婚暦 第三節 社会的形成過程―概括 第四節 社会的形成過程―類型化と事例分析 第三章 一般的性格と類型―加藤佑治 第一節 日雇労働者の不安定性とその一般的性格 第二節 いわゆる「長期日雇」労働者層についての考察 第三節 失対労働者層について 結語 第四章 消費生活の内容とその本質―江口英一・大山博 第一節 範囲と方法 第二節 簡易宿泊所=ドヤの類型と機能 第三節 飲食店、飲屋および衣料店など 第四節 消費生活の循環と水準 補"最下の沈殿物"(Niederschlag)―いわゆる「常連」に関して―市原聡子 第五章 労働力政策の展開と失対労働者の生活―浜岡政好 第一節 失対労働者の位置づけをめぐって 第二節 「高度成長」期における労働力政策の展開と失対労働者 第三節 失対労働者の現状―その労働と生活 ◇西澤晃彦 19950720 『隠蔽された外部―都市下層のエスノグラフィー』 彩流社 序章 亡命空間論ノート 「寄せ場労働者の存在様式の第一の特徴は、こうした生活の漂白性である。」(p.20) 「第二の特徴は、その生活の不安定性である。」(p.20) 「非常に重要な第三の特徴は、過去の隠匿である。寄せ場労働者が、漂白性たることを選んだあるいは選びとらされたのは、何らかの『事情』―彼らがもつ烙印(スティグマ)ゆえの『世間』における『偏見の狭さ』、被差別体験、事業の失敗、離婚による生活の激変、借金からの逃亡、解雇といった様々な人に言いにくい事情―を直接、間接の理由としていることがかなり多いように思われる。それゆえに、彼らは、自分たちの過去を隠匿しようとするのである(この点については第2章において詳述する)。このような寄せ場労働者の存在様式は、寄せ場労働者が現代の非組織・非定住の都市下層の一事例であることを示しているばかりか、亡命空間として寄せ場を捉え得る可能性をも示している。」(pp.20-21) 第1章 都市下層の隠蔽―上野公園から寄せ場・山谷へ 1 イデオロギー 「L.アルチュセールは、イデオロギーを、集団や諸個人によって担われる観念あるいは意識の形態としてではなく、諸個人を無自覚のうちに社会構造へと包摂しさらには社会構造を再生産する主体へと鋳造していくマテリアルな力として位置づける。つまり、イデオロギーは経済的土台たる下部構造に単に規定されるというものではなく、下部構造の存在・維持の条件でもあるもうひとつの『独立変数』なのである。イデオロギーは、具体的には家族、学校、教会、新聞、文化事業、政党、労働組合といった国家のイデオロギー装置を通じて作用し、諸個人から自発的服従を調達し『無意識』のうちに社会構造へと回収して構造再生産の主体たらしめていく。」(p.24) 「イデオロギーが<構造>として閉じられるなら、当然そこには回収不能な外部が作り出される。そして、外部は、神秘化され賤しめられ理解不能な別世界の存在として放置されることになる。もちろん、言うまでもなく、無効化された人々が、この世から消え去ってしまうわけではない。ある社会のイデオロギーの<構造>から排除された人々が、『有用な』労働力としてこの社会の構造に接合されることは矛盾しないし、事実そうなっている。イデオロギーの<構造>と社会の構造は一致しないのである。内部においてイデオロギー的に無効化された人々は、それゆえによく統制され組織化された領域からは締め出され、組織化された領域にとっては外部の労働力であることを避けがたく引き受けることになる。」(p.29) 2 隔離されたロビンソン 「結論を先取りして述べれば、山谷はこの後、保護複合体の様々な介入により、それに対して葛藤と呼応を繰り返しつつ、一九七〇年には、すっかり単身男性の日雇い労働者の街へと再編成される。人々はしるしづけられ、そのしるしに従って別の世界へと隔離され、山谷の人口の多様性は削ぎ落とされていくことになるのである。」(p.47) 3 治療された家族 4 都市下層の隠蔽 「あまりにも自明なものとして、疑う余地のかけらもないものとして、組織化された領域の拡張と『近代家族』の群々による埋め尽くしとして現実化されていったこの社会のイデオロギーの<構造>は、<構造>の担い手ならざらぬ都市下層を治療・無効化しつつ巧妙に隠蔽することで、とりあえずの『完成』を見たのである。それは、圧倒的な高度経済成長の中でのみ実現できた束の間の『水中花』であり、犠牲も大きい『妄想』の現実化であったのかもしれないが。しかしながら、『組織人』『近代家族』という台本を演じ続ける人々のきらびやかな舞台の『陰画』として、アンダーグラウンドに押しやられてはいるが、<構造>からの逸脱者たちの地下水脈が存在し、そうした人々をも組み込んでこの社会の構造が成立しているという事実は動かしようもないのである。」(p.72) 第2章 寄せ場のエスノグラフィー 1 はじめに 「寄せ場は、第1章でも述べたように、これまでにも様々な形で治療と無効化の対象とされてきた。そして、現在においても、寄せ場労働者は、彼らを否定的な存在として卑しめるまなざしのもとに置かれた『被差別集団』なのである。」(p.81) 2 寄せ場労働者とは何か(1)―「亡命者」としての寄せ場労働者 3 寄せ場労働者とは何か(2)―「労働者」としての寄せ場労働者 4 記述の枠組―社会秩序・相互作用・アイデンティティ 5 寄せ場の社会秩序 「一般に、経験の共有は、共同性―共通の絆と相互作用―を生む重要な前提であるとされる。しかしながら、寄せ場においては、文字通りの意味での『互いに他を知り合う』ことによる経験の共有は行われにくい。これは、流動的な彼らの生活様式によるところも大きいと思われる。しかし、それよりも強調されなければならないことは、多くの寄せ場労働者は自分の個人的な経歴について語りたがらないし、また他人の経歴についても深く尋き出そうとはしないという事実である。上記の話の中にも明らかなように、彼らは、顔見知りにさえ本名を明かさないことが多いし、互いに『突っ込んだ話』をすることも余りない。そうしたことは、寄せ場労働者間の相互作用においては強く制限されていると言ってよい。言い換えれば、『過去に触れ合わない』ことは、相互作用における重要な関係規範なのである。そして、この規範は、それぞれの過去に深い影を落とす亡命体験やそれが明らかにされれば差別を受けかねない多くの寄せ場労働者の『過去』のアイデンティティと結び付いて形成されたものであることが十分に推測されるのである。」(p.107) 「こうした秩序の下での共同性は、可視的なものとしてはなかなか姿を見せない。先にも述べたように過去のみならず現在においても固定的な対面関係を寄せ場労働者は欲していないし、そのようにこの社会は秩序づけられている。明瞭な組織や制度は、作り出されにくい。もちろん、それは、共同性が存在していないことを意味するものではない。ただ、この共同性は、可視的に確認しにくいものであるがゆえに、ここでは仮に『不可視の共同性』と呼んでおきたい。この共同性は見えにくいものではあっても、何らかの条件の下に時に急激に現前化する。その一つの、そして重要な例として、『暴動』について述べてみたい。」(p.110) 6 寄せ場労働者のアイデンティティ 第3章 日系ブラジル・ペルー人労働者の社会的世界 1 問題の所在 2 構造的制約(1)―就労形態と雇用関係 3 構造的制約(2)―居住様式 4 日系人世界の展開 5 日系人のネットワーキング 第4章 露天商の世界とその変容―異質性の増幅装置としての都市 1 露天商の世界 2 とげぬき地蔵の露天商 3 連携と変容 4 サブカルチャーとしての「おあばちゃんの原宿」 「『おばあちゃんの原宿』は、お互いに異質であると認知する主体間の相互作用と変容の上に構築されたものなのである。それゆえに、『おばあちゃんの原宿』は『新しい』のである。都市とは、異質なものどうしの否応のない接触という機制を通じて、通念をこえる『新しい』ものを生み出す可能性であるのだ。」(p.186) 終章にかえて―都市エスノグラフィーを書くということ 「エスノグラフィーとは、書き手にとっての異文化集団に対しフィールドワークを行い、細部にわたっての知見を詳しくまとめ、その集団の全体像を明らかにする報告書のことである。問題意識から記述に至るまでの一連の研究過程において、エスノグラフィーが不可欠なものとするのは、参与観察などによって深く対象と関わり合うフィールドワークであるとされる。都市エスノグラファーたちは、フィールドワークを通じてその時代のその社会において『異質なもの』あるいは『非通念的なもの』とされていた対象へとアクセスし、その理解を試みてきた。彼ら彼女らは、民族学者が自らの属する文化とは異なるもののうちにその対象を求めたように、都市社会の内部にマニアックなまでに『通常でないもの、異常なもの、異国風なものへと探求を進める傾向』があったのである。ここで、エスノグラフィーのうちで特別に『都市』と冠するものを取り上げ議論したいのは、それが『未開』を対象としたかつての民族学者のそれとは異なって、民族学者の手法を学びつつも自国のしかも同じ都市に生きる人間たちによって構成される小世界を対象として研究を進めていった、シカゴ学派の都市社会学者によって採用された手法であるからである。手法それ自体の発展・深化という意味から、旧来のエスノグラフィー一般と区別して都市エスノグラフィーを取り上げるのではない。自国のしかも同じ都市に生きる人間をあえて相対化し『異質なもの』として見たてたうえでそれについて語るという、エスノグラファーの置かれた新しい文脈がそこに生まれたのであり、その文脈の変化が都市という言葉に内包されているからである。」(pp.192-193) 「自らもそこの居住者であるところの都市において、ことさらにエスノグラフィーという手法を用いてある特定の集団を把握しようとする試みは、近代化あるいは急激な産業化とそれに伴う都市化の産物であった。産業化の初発期においては、都市の急速な膨張に伴う不平等かつ多元的な状況がもたらす緊張は、特に支配階級において頂点に達していた。ネガティブな位置づけを与えられた集団は、支配階級にとっては、慈善の対象としてであれ『危険な階級』としてであれ、否応なく眼を向けざるを得ないものであった。そしてここに生じていた社会的距離は、社会学者や社会事業家、ジャーナリストたちの知的というには余りにも情緒的な好奇心を引き出すことになったのである。これが、都市エスノグラフィーという、異質なものの把握のためのなりふり構わぬ手法が採られた社会的背景である。都市エスノグラフィーの出自は、支配階級が足元に抱え込んだ暗がりをとにもかくにも透視しようとする欲望のための道具としてあったのである。一九世紀後半から二〇世紀初頭のロンドンにおけるC.ブースの一連の研究の中には、都市エスノグラフィーの先駆とも言うべきものがみられる。また、一九二〇年代を中心としてシカゴ学派社会学が創出した多数のモノグラフ群―N・アンダーソン『ホボ』(一九二三)、F・M・スラッシャー『ギャング』(一九二七)、L・ワース『ゲットー』(一九二八)、H・W・ゾーホー『ゴールドコーストとスラム』(一九二九)、P・G・クレッシー『タクシーダンスホール』(一九三二)など―は、エスノグラフィックな手法が、重層的な奥行きをもったドラマの舞台として都市の現実を捉え得る、有効な手だてであることを示してくれている。そして、注目すべきことは、このほぼ同時期に日本においてもエスノグラフィックな研究の萌芽というべきものが見られることである。例えば、東京市社会局に身を置いていた草間八十雄の『浮浪者と売笑婦の研究』(一九二八)で見せた浅草公園の浮浪者の記述は短いものではあるがエスノグラフィーと呼ぶべきものであろうし、『どん底の人達』(一九三六)における『恥知らずの折衷主義』とも言うべきその記述は当時の都市下層のリアリティを充分に捉えている。また、『ホボ』が、東京市社会局に籍を置いていた磯村英一の手で一九三〇年に翻訳され出版されていることも興味深い事実であり、エスノグラフィックな把握が行政の手によって試みられねばならないほどに、当時の都市下層が支配階級から見て不透明な存在であったことを示している。」(pp.196-198) 「都市エスノグラフィーは、確かに、支配階級の足元の暗がりを照らす道具として現れ出た。しかし、一方で都市エスノグラフィーは、それ自体の持つその相対主義的性格ゆえにそこに納まりきらないものをもっていた。これまで触れてきたように、都市エスノグラフィーは、対象となる集団の全体像の把握を第一の目的としてきたため、理論的な整合性が時に無視され『状況的』ともいえる記述が成されてきた。それゆえに、支配階級の社会観と強く親近性をもつ社会(学)理論には収まらない何物かを、都市エスノグラフィーは付け加えていたのである。」(p.198) 「D・マッツァによれば、シカゴ学派のエスノグラファーたちは、逸脱文化をロマンティックなものとしてみないようにしていた一方で、それぞれの文化の記述から病理学の概念を取り除くことを考えていたという。少なくともエスノグラファーとしての彼らは、都市エスノグラフィーの持つ相対主義的性格に促されるかのように、同化主義を脱しつつあったのである。ところが、だからといって、彼らが、確信的な反同化主義であったとは言い難い。J・トーマスは次のように述べている。『シカゴ学派は通念的な道徳に反対したというよりむしろその中にいたので、彼らは(彼らが本来反対した)社会病理学の理念と(彼らが同意を示した)文化の多様性とのジレンマに結果的には捕らわれた』のだった。シカゴ学派においては、都市エスノグラフィーは、いまだ同化主義の呪縛のもとにあったと言わねばならないだろう。」(p.199) 参考文献 ◇中根敏光 19930831 『「寄せ場」をめぐる差別の構造』 広島修道大学総合研究所 序 第1章 「寄せ場」の社会学的研究への基礎視角―差別問題研究の視点から 第1節 「寄せ場」のカテゴリー定義をめぐる問題 1 "寄せ場"と"寄り場" 2 「寄せ場」と「ドヤ街」 第2節 「寄せ場」労働者の存在形態 1 「寄せ場」労働者の就労形態 2 「寄せ場」労働者の階層構造 第3節 差別問題としての「寄せ場」 1 労働過程における収奪と権利の剥奪 2 生活過程における収奪 3 被差別者としての「寄せ場」労働者 第1章<注> 第2章 「寄せ場」研究の批判的社会学―社会病理学的研究を中心として 第1節 社会病理学的「寄せ場」研究の視点の問題性 1 自己省察なき研究視点 2 研究対象に対する偏見と主体性の剥奪 3 体制内での改良主義 第2節 社会病理学的「寄せ場」研究の方法論的問題性 1 言葉の問題性 2 行政に依存したデータと資料収集 3 「病理性」の抽出の目的化 第3節 社会病理学的「寄せ場」研究における「寄せ場」の病理性 1 「ドヤ街」の病理類型の問題性 2 社会病理学的「寄せ場」研究の病理判断の問題性 第2章<注> 第3章 「野宿者」と「寄せ場」―大阪・釜ヶ崎地区を事例として 第1節 「野宿者」と「寄せ場」との関係 第2節 野宿の期間 第3節 野宿の原因 第4節 「野宿者」の労働・生活 第3章<注> 第4章 <FUROSHA>=排除のカテゴリー化作用―新宿西口バス放火事件と横浜「野宿者」殺傷事件に関するマスコミ報道を事例として 第1節 追われなかった被害者=「野宿者」 第2節 被害者=「野宿者」表現に使用された言葉の使用頻度のアンバランス 第3節 「野宿者」に関するマスコミの記事の問題性 1 横浜「野宿者」殺傷事件の場合 2 拡大される恐怖のイメージ―新宿西口バス放火事件の場合 第4節 歪められた問題 第5節 排除のカテゴリー化作用―身代わりの山羊と社会的タブー 第4章<注> 第5章 「野宿者」襲撃と「寄せ場」差別 第1節 頻発する「野宿者」襲撃の実態 第2節 締め出される「野宿者」・「寄せ場」労働者 第3節 「野宿者」襲撃・「寄せ場」差別と市民社会のロジック 第5章<注> 結びにかえて―変貌する「寄せ場」と今後の課題 第1節 外国人労働者と「寄せ場」 1 外国人労働者の「寄せ場」への流入 2 「寄せ場」における外国人労働者 3 外国人労働者が置かれている差別的な状況 4 「在日韓国朝鮮人」と外国人労働者 第2節 都市下層社会としての「寄せ場」―「寄せ場」の歴史的形成過程の問題 第3節 文化としての「寄せ場」 1 「寄せ場」の社会運動 2 「寄せ場」労働者の意味的世界 おわりに 結びにかえて<注> <文献> 付記 ◇青木秀男 20001115 『現代日本の都市下層―寄せ場と野宿者と外国人労働者』 明石書店 目次 序論 第1章 都市下層研究の枠組み 第1節 日本の都市下層 「都市下層とは、『都市の「最底辺」にあって階層的・空間的に隔離された人びとをいう。すなわち都市下層とは、過酷な収奪と差別の要件が同時に課せられた「社会外」の人びと、またはそれらの人びとが集住する地域空間を指す』[青木:1999、p.276]。西澤もまた、都市下層を『内部化された外部、排除されつつ労働市場に接合され都市社会の下層部分に組み込まれた領域』[西澤:1997、p.81]として、都市下層に『排除』と『下層』の要件ををみている。したがって都市下層は、たんに貧しい人びとではない。また、差別される人びとというだけでもない。そこには、隔離された階層や空間の閉塞的な循環と増殖の固有の仕組みがある。したがって都市下層は、『都市雑業層』『不安定就労層』『インフォーマル部門』『生活困窮者』『マイノリティ』などの一般的カテゴリーとは異なる。それらはいずれも、階層的な隔離と社会的な差別という要件をなにほどかに欠いた『社会内』の存在である。これに対して都市下層は、資本主義の収奪と市民社会からの差別をまるごと被り、もっとも基本的な市民的諸権利さえ剥奪された『社会外』の存在である。」(p.13) 第2節 都市下層研究の枠組み 「こうして近年の下層労働市場の変容は、次のようになる。すなわち建設業の日雇仕事が減少し、労働者が野宿をよぎなくされている。同時に街頭で、建設業の日雇経験をもたない野宿者が増加しつつある。そして野宿者が、ある者は建設労働に、ある者は『雑業』的なサービス労務に、街頭から出かけていく。いまや野宿者は、日雇仕事と野宿を往還する者、野宿が常態となった者、街頭でサービス労務に就労する者、また簡易な小屋やテントを構えて特定場所に『住む』者、所帯道具を手に寝所を移動する者など、多様な野宿形態をとるに至った。」(p.19) 第T部 都市下層の存在様式 第2章 都市下層と釜ヶ崎 第1節 寄せ場とその変容 第2節 基底的な日雇労働市場 第3節 外縁的な日雇労働市場 「次に、日雇仕事が手配される空間が多様化した。すなわち手配師が釜ヶ崎で労働者を雇用する以外に、求人誌や新聞欄、駅(JRの大阪駅や天王寺駅)や公園(天王寺公園や長居公園、大阪城公園、扇町公園など)で日雇労働者を雇用するやり方が増加した。手配師や人夫出しは、釜ヶ崎に出向くことなく、圧倒的に買い手優位のかたちで、すなわち日雇労働者をより安価な賃金、より低位な労働条件で雇用するようになった。また運送や梱包、製本、警備などのサービス業関連職種では、労働者が起居する場所(ドヤやアパート、友人の住居など)から直接に仕事場に通うという『通い型』の日雇労働者が増加した。」(p.42) 「そして、これに釜ヶ崎の外から仕事を求めて入ってくる外部労働者が加わった。そのなかに、『フリーター』の若年層と外国人労働者がいる。彼らは、若くて活力も旺盛であり、平均年齢が50歳代半ばという前住の労働者に比べて就労が有利である。しかし釜ヶ崎では、若年層も外国人労働者も、いまだ労働者層の全体を変えるほどには多くない。他方、労働市場を排出された高齢労働者や野宿者が、釜ヶ崎の外縁層を形成することとなった。」(p.43) (注) 「(15)正式には、日雇労働求職者給付金という。日雇雇用保険は、労働者が1日働くごとに雇主が被保険者手帳(表紙が白いことから、白手帳と呼ばれる)に印紙を1枚貼り、それが2ヶ月間に26枚たまると、翌月の1日〜17日をかぎって、最高7500円(1994年)の失業保険が労働者に給付される。しかし近年は、手帳の交付申請時に住民票の提示が条件づけられたため手帳をもてない労働者、そもそも仕事にあぶれる、高齢で働けないなどの事情のため、手帳をもっていても印紙を溜めることができない労働者が増加した。1996年に、釜ヶ崎の労働者1人当たりの平均月間就労日数は、6.5日にすぎない[西成警察署:1998]。」(p.48) 「(31)玉井は、寄せ場労働者を非正規雇用の『フロー型』労働者と規定し、これを終身雇用制のもとにある『ストック』型労働者に対置した[玉井:1999,p.89]。しかしこの分類をもっては、寄せ場労働者が置かれた状況を的確に把握することができない。なぜなら、まず非正規雇用には臨時工や派遣労働者、パートタイマー、アルバイトなどの不安定就労層の全体が含まれるが、それらと寄せ場の日雇労働者の相違が識別されないからである。次にフロー型というだけでは、本章にいう寄せ場労働者の基底層と外縁層の相違が識別されないからである。建設現場や工場で働く日雇労働者と路上で種々のサービス的労働で糊口をしのぐ野宿者とは、異なる階層に属する。/また岩田はその報告で、漂泊的日雇労働者という用語を提示した[岩田:1998]。ここで『漂白』とは、玉井のいう『フロー』に当たるのだろうか。それは、就労・あぶれ・野宿を繰り返す野宿労働者の様子を言い得て妙である。ただし『漂白』というだけでは、寄せ場労働者や野宿者の定義として不十分である。」(pp.50-51) 「釜ヶ崎で、白手帳保持による年度末有効求人者数は、1986年の2万4458人をピークに96年の1万5130人に減少した[原:1999、p.75]。この減少のなかには、用をなさないために手帳を遺棄した者や、手帳をなくした者が多い。/日雇労働者や野宿者が仕事に就労できない状態を、『失業』ではなく『あぶれ』と呼ぶ。カステルは、発展途上国の『失業』について次のようにいう。『従属国の社会におよそ存在していない唯一の職業状況は失業である。なぜなら、厳密にいって失業(すなわち、規則的な賃金支払いを受ける労働行為の欠如)は、「失業保険」の給付があるほどに発達した資本主義国の「特権」であって、発展途上国でその特権を享受できるのはごく一握りの労働貴族だけである、といえるからである』[Castells,M.:1983、訳、p.330]。日本は発達した資本主義国の一つであるが、白手帳をもたず、仕事にあぶれて野宿者になるしかない日雇労働者にとっても、『失業』は『特権』である。」(p.51) 第3章 都市下層と寿町 第1節 寿町の形成 「したがって戦前期に、横浜港の労働市場に、手配師に日々契約で仕事を斡旋される非熟練の自由労働者が、大量に生み出されることはなかった。このため、寄せ場は成立しなかった。労務供給が政策的に統制され、労働者が動員された昭和の戦時期も、基本的にこの事情は変わらなかった。」(p.60) 「接収を解除された土地は、当初広大な荒れ地と化して、『西部の町』などと呼ばれていた。その土地が、1945年の進駐軍による立ち退き命令で他地域へ転居し、そこですでに経済活動の拠点を築いていた日本人地主によって、安価に売りに出された。それが、戦前より中村川の河岸のスラムに住んでいた在日コリアンによって、購入されることとなった。彼らは、購入した土地に、増加する日雇労働者を目当てにドヤを建てた。1950年代の好景気とともに、寿町に流入する日雇労働者が増加した。他方、横浜市の都市環境整備のなか、1961年、ドヤ経営者の横浜簡易宿泊所事業共同組合(ドヤ組合)は、ドヤ建設の他地域への拡大を自粛する旨の上申書を市へと提出した。こうして寿町が、日雇労働者の寄せ場およびドヤ街として囲い込まれ、今日の寿町の景観が完成していった。それ以降、寿町の空間構造は、基本的に変わっていない。」(p.61) 第2節 日雇労働者 「次に日雇求職の減少は、次のような原因による。一つ、労働者の高齢化で、現役労働者が減少したことである。この空洞化部分の若者による補填は、生じなかった。二つ、仕事が少ないため、日帰りの現金仕事から、とにかく宿と食べ物がそのげる出張(飯場に入る有期仕事)や直行(雇主との直接契約)に移る労働者が増加したことである。また口コミ情報をもとに、仕事が出ている地方へ移動する労働者が増加した。三つ、職業安定所が、1989年、仕事斡旋に必要な白手帳の交付に住民票(寿町では居住証明でも可)の提出を義務づけたことである。そのため、日雇労働者の職安登録が減少した。しかし彼らが、白手帳の保持を条件としない寿労働センターへ流れたという話を聞かない。」(p.65) 第3節 野宿者 「高齢化は、日雇労働市場からの漸進的な引退を意味する。寄せ場労働者の場合、肉体を酷使する労働のため、労働市場からの引退年齢は、実質、壮年期に訪れてしまう。彼らは、日雇を退くことで生活の糧を失い、たちまち窮乏層に『転落』する。その時、彼らに与えられた選択肢は3つある。一つ、再生資源の回収やプラカード持ちなどの『雑業』的な軽作業に就労する道である。二つ、生活保護の受給者になるか、施設や病院に入る道である。三つ、野宿者になる道である。野宿しながら、行政の(法外)援護に頼ることもある。これらの選択肢は、たがいにボーダーレスである。人びとは、もてる意思と能力と資源に応じて、自前の生存の道を選択する。」(p.67) 「50歳代前半とは、仕事はなく生活保護の対象にもなりにくいという、もっとも不利な立場にある年齢層である。福祉事務所は、高齢でない者や労働能力がある人には生活保護を給付しない。ここで、労働能力の存否の判断がたえず問題となってくる。また、相談者の6割が白手帳をもたず、9割が社会保険に未加入である。そのおもな理由は、『住民票がない』である。白手帳を申請したり、社会保険に加入しようとする時、住民票の提示を求めるという条件が障壁となっている。また、白手帳申請の意思のない(喪失した)人も少なくない。」(p.68) 第4節 外国人労働者 「外国人労働者は、民族ごとのネットワークをもつ。彼らは、寿町の外の一般社会に連続するネットワークのなかで、仕事や住居の情報を流通させ、民族の言葉や生活様式を保持し続ける。ドヤや食堂、飲み屋、教会、団体事務所などが、彼らの情報回路の中継点となる。こうして寿町は、たがいに民族的境界を接しながら、複数の小宇宙で区切られた、多元的なモザイック社会をなす。在日コリアンのネットワークと新来コリアンの境界も、区切られている。」(pp.72-73) 「山谷や釜ヶ崎にも、外国人労働者はいる。しかしその数は少ない。いわんや外国人労働者が寄せ場のドヤにまとまって住むという現象は、寿町だけのものである。そこに、外国人労働者の都市下層へのセグリゲーションの過程の、横浜版を見ることができる。寿町へ外国人労働者が流入する社会的条件は、次のように分析される。一つ、寿町は、移動する単身者の社会である。そして、寿町は匿名社会である。超過滞在の外国人労働者にとって、そこは警察や入国管理局の目を逸れるに都合がいい。実際、入国管理局の手入れはほとんどない。寿町では、行政に対する住民自治が機能しており、地域の政治的な安定が生じている。それが、寿町に住む外国人の匿名性の保持に機能している。二つ、寿町には、ドヤや食堂、飲み屋、コインランドリー、コインシャワーなど、単身者の街として蓄積された生活施設の利便性がある。同様に診療所や生活館、労働組合、外国人労働者支援団体(カラバオの会)などがある。それらは、外国人労働者の福祉および援護の機能を果たしている。三つ、ドヤが個室でアパート形式のため、外国人労働者の居住様式に適合的である。またドヤには、一般地域のような外国人に対する入居差別がない。寿町ではドヤ経営は、伝統的で旅籠的な旅館業者でなく、アパートまたはビジネス・ホテルとして出発した[川瀬誠治君追悼文集編集委員会:1985、p.210]。そこには、顧客に比較的就労が安定した港湾労働者が多かった経緯がある。ドヤに門限はなく鍵を預けられる、部屋まで直接土足で行くことができる、掃除は顧客がするなど、部屋ごとの独立性が高い。経営者の方にも、顧客を恣意的に選別するような動機づける余地がない。ゴミ出しなど、一般地域にある煩雑な生活ルールも緩い。これらの条件が、外国人労働者のドヤ入居を促した。四つ、国際港としての横浜港に、賃金が高い就労機会がつねにあった。寿町の存在は、横浜港に寄港する外国船の船員(フィリピン人やコリアン)によって早くから知られていた。五つ、東京首都圏の範域内の中枢都市として、横浜は、外国人労働者の全般的な急増という国際化の渦中に位置づくに至った。横浜に大量に流入した外国人労働者の一部が、単身の非熟練労働者として寿町へ吹き寄せられた。」(pp.73-74) 第5節 変わる寿町 第4章 都市下層と野宿者 第1節 見える野宿者 第2節 野宿者の階層 「寄せ場の労務手配師機能が衰退したことで、日雇労働者はもちろん、外社会の不安定就労層(の下層)もまた、いつでも日雇仕事に就ける寄せ場という受け皿を喪失し、ダイレクトに野宿者になる『憂き目』に遭うことともなった。他方、日雇労働者は、野宿者になって寄せ場から流出するにともない、不安定就労層(の下層)と仕事や生活空間をめぐって競合する羽目になった。要するに、野宿を介して、日雇労働者つまり都市下層と不安定就労層(の下層)の棲み分けが崩れたということである。」(pp.91-92) 「野宿者への生活保護の適用をめぐる法的問題として、『住居があるか否か』および『稼働能力があるか否か』の2点が争点となってきた。具体的には、ドヤを住居と認めるかどうか、そして年齢や身体的条件の点で稼働能力があるかどうかが争点となる。ドヤが住居と認められ、稼働能力がないと判断されてはじめて、生活保護が受給できることになる。しかし野宿者は、定まった住居がないから野宿をしているのであり、高齢や怪我、疾病がなどで働けないから、または働きたくとも仕事がないから野宿をしている。しかし現実には、肝心の人びとが生活保護を支給されない状態となっている。大阪市で1998年7月より、市立更正相談所が収容保護で施設に入所している人に敷金を出し、アパートに入居させ、それを住居として、その地域の福祉事務所が居宅保護に切り替えるという方法が出されている。それは、なし崩し的に野宿者に生活保護への道を開く一歩となるものではあろう。しかし1999年現在、わずか数ケースで実施されているにすぎない。」(pp.93-94) 第3節 野宿者の労働 第4節 野宿者の概念 「すなわち人間まるごとの存在である野宿者をどのように定義づけようとも、そこにはかならず実態にそぐわない側面が出てくる。結局一番肝要なことは、野宿を強いられている問題の核心をどう考えるかということにある。本書では、野宿者の語を用いているが、そこには、まずは野宿という現前の事実を指し示すだけという最小限の定義をもって、むしろ野宿の背景と中身の多様性をできるだけ豊かに取り出す道を確保しておきたいという意図があった。ただし本書では、野宿者の階層的出自と就労状況に焦点を当てただけである。野宿者には、現役の日雇労働者もおれば、明日にも行路病死するかもしれない野宿者もいる。雇われて賃金を稼ぐ野宿者や自前で稼ぐ野宿者もおれば、エサ拾いや炊き出しにすがるだけの野宿者もいる。日雇出身の野宿者も、一般企業出身の野宿者も、施設や地域を排除された野宿者もいる。テントや仮説小屋に『定住』する野宿者もおれば、袋一つ抱えて『アオカン』(青空野宿)をしながら『放浪』する野宿者もいる。要するに、これらの多様な野宿者をすべて包括する用語といえば、『野宿者』を措いてないように思われる。そこからどのように野宿者の具体像を描き出すのか、また、どのような視点や社会的脈絡に引き寄せて野宿者像を描き出すのか。問題はその中身にある。本書は、その一例を試みたにすぎない。すなわち野宿者の定義は、つねに条件つきでしか行うことができない。」(p.104) 第5章 都市下層と外国人労働者 第1節 都市下層への参入 「サッセンは、世界都市化と労働者の国際移動について論じたが、その要点は4点に整理される。それらは、フリードマンの世界都市論の諸命題に符合する[Friedmann,J.:1986]。すなわち一つ、多国籍企業や国際金融機関の発展途上国への進出は、途上国の工業化を促進するが、それは途上国からの海外移民を抑制するどころか、反対に移民を促進する[Sassen,S.:1988、訳、p.48]。二つ、途上国から先進国への移民は、資本や貨幣、情報を送出する当の先進国や世界都市に向けて逆流する[Sassen,S.:1988、訳、pp.49-50]。三つ、途上国からの移民は、先進国都市の、産業構造のサービス化により生じた諸職種の下層に参入する[Sassen,S.:1988、訳、p.72]。四つ、国境を越えた移民の移動は、受入国および送出国の政治権力によって統制される[Sassen,S.:1996、訳、p.147]。」(p.115) 「町村は、これらの過程が東京にも基本的に妥当することを確認した[町村:1994、p.251]。ただ、日本における『外国籍住民』(町村)の分布の全体は、関東圏からだけでは見えない。外国人労働者が関西経済圏や中京経済圏の製造業やサービス業にも多数に流入するなど、外国人労働者の分布は、産業構造に照応していくつかの都市圏に分散している。ちなみに1995年の登録外国人数は、東京都が21万3479人、大阪市が11万8258人であった[法務省:1999、p.149]。この点で、サッセンの仮説を日本で検証するためには日本の都市圏の全体構成を見る必要がある。」(pp.115-116) 第2節 外国人労働者と建設業 ・重層的労働市場(図5−2) 第3節 在日コリアンの労働 「(強制連行期前の)在日コリアンの歴史には、今日の外国人労働者問題のほとんどが網羅される[金賛汀:1990、p.30]。」(p.125) 第4節 外国人の階層化 「まず支配的な集団は、日本人である。ただし『日本人』の民族的境界は、かならずしも自明ではない。とたえば沖縄の人びとは、日本人(沖縄県人)なのか、マイノリティ(沖縄人)なのかといった問題がある。また混血や帰化の問題もある。一般に民族的境界のあり様は、他集団との相互関係に規定される。次に、旧移民として定住する在日コリアンが位置づく。在日コリアンは、日本人の差別され、生活機会を制約されている。また彼・彼女らは、法的地位に基づいてさらに細分される。最後に、階層構造の底辺に新来の外国人労働者が位置づく(新来外国人の内、日本人と結婚した定住外国人や帰化者については、考察の外に置く)。図は、さらに次のことを示している。一つ、在日コリアンの階層的地位は、内部で分化する。彼・彼女らのあいだに、少数とはいえ上層集団が、次いで中層集団が形成される。もっとも多いのは、下層の人びとである。二つ、外国人労働者もまた、労働熟練度・滞日期間、・ネットワークなどの要因に基づいて、民族集団相互に、また個人レベルで階層的に分化する。ただしその階層化は複雑で流動的である。階層化基準や時期や場面に応じてたがいに入り組んでいる。」(pp.126-127) ・階層化の基準 滞日資格の法的地位、滞日の社会的基盤、労働熟練度、可視性の度合い、文化的類似性、文化的柔軟性 第5節 雇用と労働の階層化 第6節 釜ヶ崎・猪飼野・ミナミ 「その日本の大阪で、在日コリアン、新一世コリアンそして新々一世コリアンと、猪飼野のコリアンが来住時期に応じて分節化しつつある。また新々一世コリアンが、建設業に就労する釜ヶ崎のコリアン、製造業に就労する猪飼野のコリアン、『水商売』に就労するミナミのコリアンと、たがいに異なるネットワークのもとで分節化しつつある。」(p.139) 第U部 都市下層の意味世界 第6章 都市下層の研究方法 第1節 都市下層と生活史法 ・生活史研究の4つの視角(図6−1) 第2節 寄せ場と調査 「次に、日雇労働者に丹念な面接を行って、彼らの生活史を記述した寄せ場調査もすでにある(ルポルタージュや実践報告、評論などは除く)。それらの調査は、労働者の生活史の内部に潜む孤独や苦悩をはじめて研究の俎上に乗せたという点で、先駆的であった。しかしそれらの、労働者の生活史に着目する視点と関心もまた、限界をもってきた。まず、労働経済学による日雇労働者の生活史研究がある。たとえば[江口:1979]がそれである。そこで江口は、現代日本における貧困層形成のメカニズム解明の一環として、山谷労働者を相対的過剰人口と規定し、その階層的な析出過程と生活構造を分析した。多くの労働者の語りも、集積された。しかしその分析は、労働者の生活の歴史的・構造的な断面に集中された。そして、労働者の生活主体としての語りの部分は、階層規定を補充する位置に押し込められた。その結果、山谷労働者の意味世界に舞い降りてはじめてみえる存在の個別性が無化され、現代的貧困の階級分析のなかに没し去るに至った。」(p.160) 第3節 生活史法と人間関係 「また、身構える必要がないような関係とは、緊張の糸が切れた馴れ合いや拝跪を意思見ない。馴れ合いや拝跪は、関係への屈服である。すなわちそれは、『被調査者のリアリティに調査者のリアリティが呑み込まれてしまうために生じる問題』[中根:1997、pp.35-36]にほかならない。だからこそ調査者は、被調査者に緊張の糸を張らなければならない。ここでも問題は、どこまでも調査者の側にある。」(p.167) 第4節 生活史法と類型 「生活史法は、類型にまで高昇された仮設や枠組みと結合されてこそ、テータ収集の方法としての効力を発揮する。」(p.175) 第5節 生活史法の可能性 (注) 「佐藤郁哉は、事前に確定された質問項目のプランをもたず、状況に応じて臨機応変に質問を行い、データの収集と分析を同時並行的に行うような面接の仕方を井、インフォーマル・インタビュー(構造化されないインタビュー)と呼んだ[佐藤郁哉:1992、p.161]。寄せ場調査もまた、多くの場合、このようなかたちをとる。」(p.176) 第7章 寄せ場の差別と意味 第1節 寄せ場労働者の差別 「寄せ場労働者は、被差別の人びとである。彼らは、家族や地域、職場から個人として析出された。その『寄せ場労働者』としての被差別の地位は、非生得的である。したがって彼らは、『寄せ場労働者』を止めることもできるし、『一般労働者』としてパスすることもできる。その意味で彼らは(身体的に可視的な外国人労働者を除いて)、元来不可視な人びとである。しかし彼らは、その就労と生活の形態をとおして可視的な存在となる。彼らは、『市民社会』から二重の偏見を被っている。すなわち日雇労働者に対する階層的な偏見と、寄せ場に対する空間的な偏見である[青木:1989、pp.83-84]。」(p.186) 「寄せ場労働者には、被差別部落民や在日外国人、沖縄人、アイヌ、新来外国人などの被差別少数者が含まれる。もちろん、その数は分からない。多くの場合、寄せ場で彼らの出自が自明化することはない。出自の被差別シンボルは、個別の人間関係をとおして顕在化する。同時に、一歩外社会へ出る時、彼らはどのような出自をもとうと、一括されて『怠け者』『流れ者』『浮浪者』と差別される。その時、出自の被差別シンボルは機能しない。それは、場面に応じた被差別シンボルの転換である。それほどに、寄せ場労働者であること被非差別性は強い。」(p.187) 第2節 寄せ場労働者の意味世界 (注) 「(16)寿町の労働運動家Cさん(54歳)の話。ここで彼は、在日コリアンとして語っている。寄せ場でさえ逃げられない民族差別の重たさが語られている。このように、寄せ場労働者の差別において被差別シンボルが転換するという解釈は、安易に一般化できない。」(p.204) 「(17)若者の話を聞いて、労度運動家・山岡強一は、一つ間違えば自分もあっちの側にいたかもしれないという感慨を催したという。1985年12月30日。寄せ場と暴力団の関わりは、深くて複雑である。またそれは、差別論の文脈でも多くの重要な中身を含んでいる。暴力団員の多くは、被差別で貧困な家庭の出身者といわれる。若者は、人生の偶然の出来事や出会いによって、ある者は下層労働者に、ある者は暴力団員になっていく。そして、山谷における労働組合(山谷争議団)と暴力団(金町一家西戸組)の衝突にみられるように、同じ階級的出自の者同士が敵対するという社会的構図に置かれることにもなる。寄せ場と暴力団の関わりについては、都市下層研究の未踏のテーマである。/下層社会におけるヤクザ暴力団支配は、決して前近代性とか、封建遺制とかいった中途半端なものではなく、資本制の矛盾が最も厳しく集中しているところに、資本の論理をもってしても貫徹させるという質のものであり、それはすぐれて体制補完的役割をはたしているのである。その最も典型的な例こそp、神戸港における山口組である[山岡:1996a、p.121]。」(p.204) 「(25)寄せ場に現われる在日コリアンや沖縄人、アイヌなど、オールド・カマーの少数者集団をめぐる研究はいまだ手つかずのままである。」(p.205) 第8章 越冬闘争の意味世界 第1節 越冬闘争の舞台 第2節 労働運動と越冬闘争 第3節 越冬闘争の展開 第4節 儀礼としての越冬闘争 第5節 越冬闘争・その後 第V部 世界都市と都市周辺 補論1 世界都市とアンダークラス 第1節 世界都市の出現 「フリードマンの世界都市仮説は、7つの命題から構成される[Friedmann,J.:1986、訳、pp.191-192]。要するにそれらは、世界資本の中枢管理機能が集中し、産業構造と労働市場が変容し、その結果外国人労働者が流入し、また内部で階級的分極化を生じるような、先進国の大都市、およびそれを頂点とする都市空間の世界的な序列構造の態様を説くものである。換言すれば、世界都市とは、資本・物財・情報・人間の国際移動における、主導的な位置(中心性)と機能を担う結節空間(媒介性)をなすような都市をいう。」(p.246) 「しかし世界都市仮説には、理論的な問題点も指摘されている。その批判のポイントは、論者によって幾分かずれるものの、要するにそれらは、次の点に収斂する。すなわちそれは、世界都市仮説は、経済のグローバリゼーションという都市を越えた外的要因を強調するあまり、個別都市の形成の内発性、都市内部の歴史的・構造的な諸条件が軽視されている、というものである。」(p.252) 「すなわち、経済のグローバリゼーションのなかの日本の都市下層(urban deprived)の変容は、都市下層の形成過程や都市の産業・労働の構造的な特性、経済・福祉政策などに、具体的な中身と方向が決定されている、ということである。まさに本書に試みた、寄せ場に繋がる日雇労働者や野宿者、外国人労働者の分析は、世界都市仮説のもとでの『日本型』都市周辺(urban bottom)の分析ということになる。」(p.253) 第2節 アンダークラスの形成 「集団内部が大きく階級分化した黒人マイノリティの生活実態にみる<人種>と<階級>の関係を統一的に把握する試みは、すでにいくつか行われてきた。古い例では、たとえばホリングヘッドは、黒人一人ひとりの社会的地位は水平的分化(階級)と垂直的分化(人種)が交錯する社会空間の区画化(compartmentalization)において決定されるとして、黒人の人種および階級による具体的な地位決定のメカニズムを構造的に把握しようとした[Hollingshead,A.B.:1952、p.685]。ゴードンは、ミュルダール(Myrdar,G.)やウオーナー(Warner,Lloyd W.)らの考えを受け、エスニック(ethnic)の語と階級(class)の語を合成して、エスクラス(ethclass)という語を創り、『人種と階級』の関係を概念的に把握しようとした[Gordon,M.M.:1978、pp.134-136]。これらと同様、アンダークラス問題の分析のためにも<人種>と<階級>の概念図式があらためて構成されなければならない。」(p.260) 「ウィルソンの主張をめぐる論争は、2点に収斂する。一つは、アンダークラスの形成の原因は人種(差別)か階級(経済)かというものである。ウィルソンは、アンダークラスの形成の原因を『失業』から説明し、人種の役割の後退を説いた。二つは、アンダークラスの形成の原因は、文化(規範)か経済(環境)かというものである。ウィルソンは、経済の立場に立ち、下層黒人の文化や行動様式は経済の所産であるとみなした。……ところがその後1990年代に入って、ウィルソンは、インナー・シティの住民に対する量的・質的な調査研究を経て、それまでの論調に修正を加えた。すなわち彼は、階級によるアンダークラスの説明の『一面性』を反省し、黒人の失業は白人雇主の差別によるところが大きいとなした。また経済環境によるアンダークラスの説明の『不十分』を補い、貧困や婚外子出生は個人の行動規範の側にも責任の一端があるとなした。そしてウィルソンは、階級要因と経済要因と合わせて、人種要因や文化要因をも組み込んだ包括的な分析枠組みが必要であるとした。このようなウィルソンの修正に、とくに理論的な独創性があるとは思われない。しかし、このような展開はウィルソンの『転向』ではないかと、ウィルソンは今、リベラル派、保守派の双方から新たな批判の俎上に乗せられつつある。俊英な黒人社会学者で、みずからかつて極貧の生育経験を持つ中流階級の人・ウィルソンは、下層黒人の運命をみずからの『原点』となし、その解決をどこまでも自分の課題と受け止めながら、今後どのような理論展開を図っていくのだろうか。興味がそそられるところである。」(pp.260-261) 補論2 マニラの都市貧困層 第1節 都市貧困層の研究 第2節 都市貧困層の定義 「都市貧困層は、都市の『貧困層』である。貧困とは経済的範疇であるのみならず、貧困状態に置かれた人びとが織りなす意味と行為の束でもある。人びとは逼迫する生計のなか、何を感じ、何を考え、何を行為し、もって生活の全体をどのように構成するのだろうか。貧困の現実的意味とは、これらの問いへの回答のなかにこそある。」(p.278) 第3節 都市貧困層の就労 第4節 都市貧困層の居住 第5節 都市貧困層と政治 終論 索引 ◇加藤政洋 20020420 『大阪のスラムと盛り場―近代都市と場所の系譜学』 創元社 はじめに 第一章 大阪の「市区改正」計画―悪疫流行時の衛生行政を中心に 1 はじめに 2 「市区改正」以前の市街地改造 3 コレラの流行と防疫 4 「貧民」の隔離計画 5 大阪における「市区改正」計画の意味 6 名護町の再開発計画 7 都市統治のテクノロジー 第二章 「名護町」取り払い計画―大阪初のスラムクリアランスをめぐって 1 はじめに 2 名護町の概観 3 コレラの流行と「貧民」の移転計画 4 1887年名護町の取り払い・再開発計画 5 名護町の取り払い 6 スラムクリアランス計画の系譜 第三章 木賃宿街「釜ヶ崎」の成立とその背景 1 はじめに 2 名護町との関わり 3 第五回内国勧業博覧会と名護町のクリアランス計画 4 「釜ヶ崎」の成立とその背景 5 景観と政治 第四章 黒門市場の成立事情 1 黒門市場の起源 2 「博覧会と名護町」の周辺で 3 黒門市場の成立事情 第五章 盛り場「千日前」の系譜 1 はじめに 2 「千日前」前史 3 盛り場へ 4 千日前の観察者たち 5 盛り場の系譜 第六章 飛田遊郭以降の花街と土地開発 1 はじめに 2 大阪の花街 3 飛田遊郭の設置 4 飛田以降の新地開発 5 花街の景観 6 花街の行く末 第七章 消費される都市空間―遊歩者たちの足どりと語り 1 はじめに 2 商店街の盛り場化 3 盛り場の変容 4 消費される都市空間 5 遊歩のテクノロジー あとがき ◇小林丈広編 20030620 『都市下層の社会史』 解放出版社 はしがき 序論―小林丈広 第一部 近世との連続・断絶 「都市下層社会」の成立―東京―中嶋久人 都市の近世と近代―京都―小林丈広 部落差別発生の現場―福岡・明治初年の日記を手がかりに―石瀧豊美 第二部 近代化と「部落問題」の形成 都市における部落問題の形成について―東京・荒川区(三河島)の皮革産業の場合―友常勉 "都市部落"への視線―三重県飯南郡鈴止村の場合―黒川みどり 都市部落における大阪市編入期の諸問題―南区西浜町をめぐる資力と社会認識―吉村智博 被差別部落の衛生調査とトラホーム対策―大阪―小島伸豊 第三部 都市スラム分析の視角から 都市の縁へ―20世紀初頭の横浜というフィールド―阿部安成 都市衛生システムの構築と社会的差別の形成―神戸―安保則夫 都市下層の「社会的結合関係」と米騒動―和歌山―重松正史 作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科) UP:20060926, Rev:20070121,0420 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/city.htm |