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> HOME >DATABASE □鶴見良行(1926〜1994) ◆鶴見良行 19700210『反権力の思想と行動』 盛田出版 目次 第一部 アメリカ論 軍事国家の論理と心理 国家権力と知識人の政治参加 新しい連帯の思想 ハワード・ジンの人と思想 「志」の女 ジョーン・バエズ 新しいアメリカは生まれるか 米国ニューレフトとの対話 現代の偶像―カーマイケル イデオロギーを模索するアメリカの学生運動 第二部 反戦論 新しい世界と思想の要請 反戦運動と市民の夢 失われた対話の行方 日本国民としての断念 信頼感の欠如を埋めるために ある非日常的日常の視点 市民運動と沖縄 夜明けのために 権力と学生の落差 地下から見た議会制民主主義 一九七〇年とベ平連 第三部 時論 兵器工場襲撃事件/沖縄祖国復帰の祈り/CIAと非CIAの間/東大宇宙研への疑惑/ズブリスキー逮捕/自衛官の"兼業"/個人タクシー免許/北欧の沈没青年/ベ平連のデモ/金東希氏の亡命/東南アジアの日本人/脱走米兵と無名の市民/北爆停止の意味するもの/沖縄の巨人戦/国会議事堂に鉄サク/駐日米大使の機能/大量拘置の学生/反戦フォークに"戒厳令"/再説・フォーク/新宿のソフト規制/制服論争/ハンパクの五日間/高校生の自殺行 あとがき □小田実(1932〜) ◆小田実編 19690930 『ベ平連』 三一書房 目次 第一部 六・一五から七〇年へ T ベ平連とは何か―既成の枠組みでは理解できぬもの― U 何かが始まっている―六月一五日からの人間の渦巻― V 一九七〇年とベ平連―統一についての私的覚え書 第二部 討論・われわれにとっての"ベトナム"とは T "ベトナム"とはわれわれにとって何であったのか U 七〇年代へ向けてのベ平連 第三部 渦巻を!巨大な人間の渦巻を! T あらゆる空間に反戦の渦巻を―ベ平連運動はひろがる 1 大村収容所の壁の中へ 2 脱走兵ポール・サイモンに何が起ったか 3 「市民」は海、「ゲリラ」は魚―京都ベ平連― 4 未来社会を現在に媒介するもの・姫路行動委員会 5 ゲリラの群・王子の若者たち 6 八紘一宇の塔に反戦旗を―宮崎ベ平連― 7 フォーク・ゲリラは、あらゆる空間を解放する―東京フォーク・ゲリラ― 8 反戦キャラバン北海道を行く―北海道キャラバンの記録― U あらゆる人間を反戦の渦巻に―ベ平連運動・参加の原理 1 若者は走る、オチボはゆっくりと歩く 2 戦無派―一〇・八ショック組闘争宣言 3 ある大学ベ平連の内から―立教大学ベ平連― 4 「不良品」高校生 5 国境を超えて―外国人ベ平連― 6 キャットは反逆する 7 地上に一粒の種を―カトリックの立場から― 8 私は妻であり、母であり、人間であり 9 こらむ・ベ平連的人間 あとがきにかえて 附録・ベ平連年譜・所在地・参考文献 ◆小田実 19950101 『「ベ平連」・回顧録ではない回顧』 第三書館 目次 1 はじめに・なぜ今書くか 2 「私は"私たち"になった」 3 「被害者」「加害者」としての「難死」 4 ふつうの人間の「すべて人間として生きようとする努力」 5 「われ=われ」のデモ行進 6 暴力・非暴力・反暴力 7 「ベトナム」のよみがえりのまえで 8 「六〇年安保」「七〇年安保」「九〇年安保」 9 「ふつうの人間」の「国際連帯」 10 「脱走兵」という「現物」 番外編 カザフから激動を考える 11 日本人「脱走兵」が明確にする今日的問題 12 感動と行為の連鎖反応 13 背中をくっつけあっていた 14 「湾岸戦争」「太平洋戦争」ベトナム戦争 15 《euphoria》のあとで 16 《euphoria》のあとの重い旅 17 人間がもつべき「良識」としての「平和主義」 18 「反戦」と「変革」、あるいは「インターナショナル」と「ウィ・シャル・オーバーカム」 19 「花束デモ」と「ジグザグデモ」 20 軍隊の問題、あるいは、「米軍解体」 21 つづけて「市民社会の軍隊」の問題 22 民主主義、市民、市民社会 23 六九年・自分にたちかえる 24 そのことの意味 25 「梅田の地下街」と「ハンパク」 26 「反博」の体験から 27 ちがいの確認と再出発 28 「冷え物」論争 29 「生きつづけること」と「参加の継続」 30 「民族」と「市民」 31 最後に「PKO後の日本」で考える 回顧録でない回顧 あとがき ベトナム戦争・ベトナム反戦運動年表(吉川勇一) □吉川勇一(1931〜) ◆吉川勇一 19910901 『市民運動の宿題』思想の科学社 まえがき 1 私の大学時代のこと 旧制高校から新制大学へ 試験ボイコット闘争と民俗学への傾向 再試験ボイコットをめぐって 「気違い部落」の山村工作隊? 共産党への入党 自治会中央委員会議長 東大ポポロ事件(警察手帖事件) 裏返しの背広の話と『もう黙ってはいられない』 父の変化 挫折と病気 中国への密航に失敗 2 平和委員会での活動 スターリン批判 大江健三郎『偽証の時』 全学連スパイ監禁事件 本当にスパイだったのか? 第五福竜丸の被爆と原水爆禁止運動 「蜂六会」のこと 中ソ対立の中の原水協 3 ベ平連について 今なぜベトナムか 北爆開始と日本の市民の対応 ベ平連の発足 徹夜ティーチインの地図 「事務局長」引き受ける 定例デモの功罪 自由なデモのリーダーシップ 新左翼政党と大衆運動 異なるグループとの共同行動 「神楽坂ベ平連」の内閣 「神楽坂ベ平連」と地方ベ平連 ・『ベトナム通信』での公開質問状と反論 ・札幌ベ平連・花崎皋平からの批判(『資料・「ベ平連」運動』下巻) →東京中心主義への批判 「やはり、私たちも悪し権威主義、東京中心主義の枠から完全には抜け切れなかったようだ。」(p.122) 「かつて京都ベ平連の飯沼二郎氏は『思想の科学』(七三年一一月)に書いた「『市民運動』京の夜ばなし」という文章の中で、対話の登場人物の一人に「一度、ここらで君たちのまる八年間の運動を『総括』してみる必要、いや義務があると思うな。とくに、京都のばあいには、東京ベ平連のように、『有名人』がいなかっただけに、東京よりも、かえって、ふつうの日本人がこれから市民運動をやっていこうというときの参考になることが多いんじゃないか」と語らせていた。花崎氏の批判に通じるものを私は感じとる。 つい最近、京都の『ベトナム通信』の復刻版が出されるということを耳にした。飯沼氏の努力によるものだが、広義ベ平連運動の実態を明らかにする上で、これは大きな貢献となるだろう。」(pp.122−123) (→旧「ベ平連」運動の情報ページ「都道府県別反戦市民グループ」) 市民的不服従・非暴力直接行動 『冷え物』討論 わたしとビール 脱走兵援助 「ほびっと」と「アウル」 遊びでゆこうベ平連 本当に遊んだ話 ベ平連の解散 「国家を超える」という永久運動的課題 ベ平連の仲間からの贈物(「先進民族」の後進性?) 4 久野・鶴見氏の対談をめぐって 美空ひばりの公演ボイコット問題 ベ平連の努力したこと 私服刑事をなぐる話・内ゲバを阻止する話・間違えてなぐった話 「形式」ということ 「ベ平連」としての一貫性 連合赤軍リンチ事件とベ平連 岩国の全国懇談会での発言 ベ平連のフィードバック装置 5 ベ平連の残したもの ベ平連運動の中で嘘をついたこと 少数派と多数派 戦争責任問題と市民運動 市民の常識と権力の常識 市民運動はシングル・イッシューであるべきなのか 京都ベ平連の同窓会 6 湾岸戦争反対運動の教訓 マスコミの役割 ベトナム反戦運動と湾岸戦争反対運動との比較 保谷市でのデモ 市民運動の「老齢社会」化現象 あとがきにかえて 古山洋三への弔辞 事項索引 人名索引 ◆19900725『復刻版 ベトナム通信』不二出版 目次 はじめに/飯沼二郎 「これに対して、私たちが京都の地でおこなった京都ベ平連の運動は、有名人が一人もいない、普通の人々によっておこなわれた運動であっただけに、東京のベ平連よりもかえって一般の市民運動のモデルとして適当なのではないだろうか。」(1頁) 復刻版『ベトナム通信』 目次 一号 一九六九年二月一日 二号 (発行年月日は不明) 三号 一九六七年一〇月一日 四号 一九六八年三月一日 五号 一九六八年六月一日 六号 一九六八年七月一日 七号 一九六八年八月一日 八号 一九六八年九月一日 九号 一九六八年一〇月一日 一〇号 一九六八年一一月一日 一一号 一九六八年一二月一日 一二号 一九六九年一日一日 一三号 一九六九年二月一日 一四号 一九六九年三月一日 一五号 一九六九年四月一日 一六号 一九六九年五月一日 一七号 (発行年月日は不明) 一八号 一九六九年七月一日 一九号 一九六九年八月一日 二〇号 一九六九年九月一日 二一号 一九六九年一〇月一日 二二号 一九六九年一一月一日 二三号 一九六九年一二月一日 二四号 一九七〇年一月 二五号 一九七〇年二月 二六号 一九七〇年三月 二七号 一九七〇年四月 二八号 一九七〇年五月 二九号 一九七〇年六月 三〇号 一九七〇年七月 三一号 一九七〇年八月 三二・三三号 一九七〇年九月・一〇月 三四号 一九七〇年一一月 三五号 一九七〇年一二月 三六号 一九七一年一月 三七号 一九七一年二月 三八・三九合併号 一九七一年三・四月 四〇号 一九七一年五月 四一号 一九七一年六月 四二号 一九七一年七月 四三号 一九七一年九月 四四号 一九七一年一〇月 四五号 一九七一年一一月 四六号 一九七一年一二月 四七号 一九七二年一月 四八号 一九七二年二月 四九号 一九七二年三月 五〇号 一九七二年四月 五一号 一九七二年五月 五二号 一九七二年六月 五三号 一九七二年七月 五四号 一九七二年八月 五五号 一九七二年九月 五六号 一九七二年一○月 五七号 一九七二年一一月 五八号 一九七二年一二月 五九号 一九七三年一月 六〇号 一九七三年二月 六一号 一九七三年三月 六二号 一九七三年四月 終刊号 一九七三年五・六・七月 つながり第一号 一九七四年五月 エピローグ号 一九七四年一〇月 座談会「京都ベ平連をめぐって」 飯沼二郎・鈴木正穂・小田実・鶴見俊輔・北沢恒彦(五十音順) ・運動の発足 東京のベ平連(65年4月)、京都のベ平連(65年5月) 高畠通敏 「声なき声」 素人の集団 山田慶児、京大人文研、「家の会」。 龍谷、花園、同志社の学生の参加。京大はベ平連の不毛の地。 塩沢由典 楽友会館、同志社の集まりで終わりを想定。北爆抗議集会のときもう一度集まりを持つことを決める。 ・京都ベ平連の定例デモ 「京都のベ平連にとってはね、東京の神楽坂ベ平連の小田実と吉川勇一との二つの役割 を飯沼さんがやったんだよ。」(p7、鶴見) ベ平連に対する内部からの批判 京都はまとまりがよい(小田) ・第二回日米国際会議 高山義三の助け 代表は、桑原武夫、松田道雄、奈良本辰也。文化人の存在の大きさ。東京ではできないこと。 金東希(キム・ドンフイ)のベトナム派兵拒否。日本への逃亡・大村収容所に投獄。釈放運動の展開。 ・脱走米兵援助 反戦喫茶 脱走兵らとの映画。消されないものを残す。(小田) ベ平連関連の裁判での勝利 ・時代の雰囲気 自衛官のカンパ。元自衛隊員の行動。防衛大学教授のストライキ参加表明。 「皆で一緒に歩きましょう」。皆で作った流儀。(小田) ・運動の継承 歴史が切れている。地域で運動の体験が生かされたらいいと思う。(小田) 京都は繋がっている。特殊。 『世界文化』『土曜日』など戦前からの歴史がある。 大阪にはない。 ・東京、京都、大阪 ・市民運動の原点 ・ベ平連運動の遺産 ベトナムのことを知るのは解放以降。 ベ兵連は反戦運動。(小田) 非暴力を貫き通した。 「個人原理に基づく運動というもの、それがその後二〇年ずうっと京都で引き継がれて発展してきた。」(p27、飯沼) ベ平連にはアジアの姿が見えないという批判。 ベ平連は予備校。最後は学生集団の巣窟。 ベトナムや社会主義のその後をすべてベ兵連の責任にするマスコミの論調は間違い。 総目次 索引 ◆天野正子 19961015『「生活者」とはだれか 自律的市民像の系譜』 中公新書 →第四章 「論」から「運動」の舞台へ 一、「弱い」個人の強さ―ベ平連の実験、での言及 作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科) UP:20051020 Rev:20051105,1031,1021 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/kbhirn.htm |