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「関西ブント」/赤軍

[関西ブント関係]

第一次ブント(1958年10月結成)から安保闘争後における分裂を受け、ブント関西地方委員会が1962年4月に関西共産主義者同盟として結成される(同志社大学・飛鳥浩次郎議長)。関西ブントも中心となり、1965年8月に共産同統一委員会が結成される。そして、1966年9月には第二次ブントが再建される。1968年8月の共産同赤軍派結成に際しては関西ブント系が中心となる。

◆前田裕晤 19690605 「関西ブントは大衆と共にあろうとした」『季刊理論戦線48』実践社
・大阪中電(大阪中央電報局) 「一九五〇年に中電に入って、当時はレッドパージの直後で共産党の細胞が壊滅しているなかで、同期の仲間四、五人と協力して細胞を再建していったわけだけど、いわゆる第一次大阪中電労研(労働運動研究会)は、昼間学校に通っている連中が中心だった。」(p.158)
 →53年冬〜56年
・57年千代田丸闘争、58年警職法闘争、60年岸訪米反対闘争を通じて共産党中央と対立
 →第二次労研(構造改革派・第四インター・ブント→社青同・第四インター・ブント)
「われわれがブントをつくったのは、当時の前衛党論をそのまま引き継いだ上で、自分たちの新しい前衛党をどう作るかということだったが、第二次労研の課題は、その党を具体的な大衆運動とのからみでどう作るのかということだった。そういう中で論議になったのが、われわれが作る組織とは一体何なんだと。まずは一朝一夕にしてはできないだろう。これが一つ。それと第二は組織だけが目的になるべきではない、運動とのからみでどれだけ貢献できる運動かというのが出てくる。」(p.162)
・小林勝『断層地帯』
「当時共産同関西地方委員会労対部という名前だったがこれで独立しよう、関西地方委員会の労対部として全国の労働者部隊と連絡をとって、われわれが共産党から分かれてやりだした作業は、一回や二回の闘争でつぶされるものではないはずや、ということでわれわれは共産主義者同盟の名前は捨てないし残すという決議を六二年の始めくらいにする。それに関西の学対も同調して、それで公的組織として関西労働者協会というのをつくる。政治局を構成したのが、佐野茂樹、佐藤浩一、浅田タカシ、それと私らかな。」(p.163)
・学生運動と労働戦線との間の亀裂
「労働戦線の場合は役職を担っているやるがブントのメンバーであろうとなかろうと、それが大衆に受け入れられなかったらその政治力はなくなるわけだ。」(pp.165−166)

◆塩見孝也 20030331 『赤軍派始末記―元議長が語る40年』 彩流社

「『関西ブント』は理論的な性格上は『プロ通』の流れで、『プロ通』を関西流に整理し直したのが『政治過程論』です。トータルな能力を持っているというのかな。東京の凄いと言うか、おどろおどろしいというか"政治的"な理論闘争みたいなものからは相対的に離れていたから、ある面では、客観的にものがみえた。くりかえしになりますが、僕の知っている『政治過程論』は、大衆運動は大切で、大衆を変革して主体的に闘わなくてはならない、そういう戦術だった。そういうわけで、党建設とか労働運動を組織し、階級的に変革するとか、この分野をちゃんと評価するという問題は不問にされている面もありました。」(p.30)

「『関西ブント』は、人脈的にも独自の動きをしていた。第一次ブント崩壊後、社学同もいろいろ分裂していましたが、第一次ブントの『関西地方委員会』は丸々残っているわけ。じゃ、全国がなくなっても『関西ブント』と名乗ろうということになったんだと思う。62年には『関西共産主義者同盟』ができています。基本的に京大と同志社と大阪市大が軸でした。労働戦線は、前田裕晤らの大阪中央電報局です。」(pp.30―31)

「大管法闘争を通して『関西ブントここにあり』ということになった。関西ブントの言うことは東京の連中はみんな聞くというような感じで、僕らが来たら各派の代表みたいなのが会いに来ていろいろ意見交換をする、という関係でした。」(p.47)

「一応関西ブントは、世のため人のためで全学連を作り、ブントを再編する、そういう発想があったんですよ。こうした発想がブントの中で無くなったからだめになった。」(p.74)


◆塩見孝也 19690605 「世界赤軍が夢だった」『季刊理論戦線48』実践社


◇田原芳論文集復刻刊行委員会(土方克彦、松岡利康、岩田吾郎) 20051021 『関西ブント・田原芳論文集「プロレタリア独裁への道<T>」』 鹿砦社
 目次
巻頭言 岩田吾郎
田原芳(中島鎮夫)略年譜
共産主義者同盟の総括と綱領問題(1969年5月3日)
プロレタリアートの世界独裁のための闘争(1969年10月22日)
プロレタリアート独裁への道<V>(1970年3月15日)
現代革命の条件と社会主義(1970年3月10日)
サイバネテックスかプロレタリアートの独裁か(1971年5月6日)
主要論文、パンフレット目録

◇田原芳論文集復刻刊行委員会(土方克彦、松岡利康、岩田吾郎) 20061130 『関西ブント・田原芳論文集「プロレタリア独裁への道<U>」』 鹿砦社
 目次
巻頭言 岩田吾郎
帝国主義と自由世界(1961年11月)
現代資本主義(その一)(1961年10月)
現代資本主義(その二)(1962年3月)
低迷の中から―共産主義者同盟は何を明らかにしたか(1962年)
国際共産主義運動と一国社会主義(1963年)
日本の「孤立観」と「生産力思想」(その一)(1965年12月)
日本の「孤立観」と「生産力思想」(その二)(1965年12月)
現代世界の構造(その一)(1966年2月)
現代世界の構造(その二)(1966年2月)
プロレタリア独裁(1966年6月)
プロレタリア独裁への道<T>「序文」「あとがき」(1966年7月)
プロレタリア独裁への道 現代革命の諸問題(1967年2月)
プロレタリア独裁への道―我が同盟の緊急の任務について(1967年6月)
佐藤訪ベトナム訪米実力阻止闘争に対する共産主義者同盟関西地方委員会の基本態度(1967年11月)
社会主義の当面する焦眉の課題(1967年11月)
10・8、11・12闘争と権力の動向と我々(1967年12月)
戦後資本主義の現段階(1967年12月)
日本労働者階級に対する共産主義者同盟の任務(1968年1月)
同盟第7回大会と我々の課題(1968年2月)
社会主義と我々の態度(1968年6月)
主要論文、パンフレット目録


[赤軍関係]

◇共産主義者同盟赤軍派(革命戦争編集委員会)編集 19731010 『赤軍―共産主義者同盟赤軍派政治理論機関誌総集』
赤軍1
 T 我々の立脚すべき地点
 U プロレタリア世界=日本革命の道と我々の緊急な任務
 V 現代攻撃型世界革命と我々
 W 現代革命…V
赤軍2
 T 分派闘争の今日的意義と世界革命戦争
 U 赤軍派同志への私の自己批判 坂本均
赤軍4
 綱領確立のために(1)―過渡期世界とプロレタリア―党
 第一章 現代革命論への方法的視点
 第二章 世界史的階級闘争の段階としての過渡期世界、その二つの歴史的普遍性
 第三章 現代帝国主義―現代帝国主義国家
 第四章 過渡期世界―その歴史的展開
赤軍5
 前段階武装蜂起―我々の敗北の教訓―国際根拠地―蜂起の軍隊―地下活動
 T 前段階蜂起と世界革命戦争―革命の教訓<T>
 U 蜂起の準備とその開始―革命の教訓<U>
赤軍6
 何から始めなければならぬか―前段階蜂起敗北の教訓と世界党―世界赤軍建設
 「蜂起の軍隊」は如何に建設されていかねばならないか―中央軍はどの様に建設されてきたか
赤軍7
 T「国際根拠地・蜂起の軍隊、国際地下組織」の三つの教訓の物質化
  局地的反革命=侵略抑圧戦争・体制間戦争への世界階級危機を、70年前段階武装蜂起で、世界革命戦争(対峙)へ!
 U 現代カウツキー主義=ソヴィエト運動主義、内戦主義者を粉砕し、3月革命戦線(準)結成大会に結集よ!
赤軍8
 T 共産同連合派批判集
 U 補論
  @ 同盟への我々の自己批判
  A スターリン主義と四中委議案
赤軍特別号 1970年6月10日
 世界党建設・世界赤軍兵士へ飛翔する
  革命的九同志の出発宣言
赤軍8号 1971年3月5日(共産主義者同盟赤軍派日本委員会)
 ◎ 革命戦争の開始を!
 ◎ 一・二五蜂起戦争、武装闘争勝利政治集会
   革命戦線・京浜安保共闘共同声明
 ◎ 三里塚闘争連帯アピール
銃火(創刊号) 1971年7月15日(発行・「赤軍」政治宣伝部)
 日本革命戦争の本格的開始に向けて
 革命党建設―「赤軍」強化、発展をかちとろう!


◇パトリシア・スタインホフ(1991****『日本赤軍派―その社会学的物語』河出書房新社→)20031016 『死へのイデオロギー―日本赤軍派』(木村由美子訳) 岩波書店
 目次
岩波現代文庫版へのまえがき
本書について(高沢皓司)
 プロローグ
第一部 岡本公三―世界同時革命の夢
 1 岡本公三へのインタヴュー
 2 日本人の責任意識
第二部 赤軍派―革命軍兵士というイメージ
 3 赤軍派結成のイデオロギー
 4 「軍」としての行動
 5 第二世代
第三部 連合赤軍―粛清をめぐる閉ざされた集団の考察
 6 連合赤軍という組織
 7 死に至る自己批判
 8 暴力と理論づけの相互作用
 9 メビウスの環
第四部 殲滅戦―そのアイロニー
 10 粛清の終わり
 11 あさま山荘籠城
 12 「秘密」の告白
第五部 責任―終わりのない物語づくり
 13 転向という問題
 14 責任のかたち
 15 イデオロギーの危険な役割
 エピローグ
解説―鶴見俊輔
参考文献

◇高幣真公 20010131 『釜ヶ崎赤軍兵士―若宮正則物語』 彩流社
 目次
第一章 赤軍派へ
 宇和島の風土の中で
 上京
 ブント(共産主義者同盟)に加盟
 赤軍派の誕生
第二章 警視庁第八・九機動隊舎事件
 ピース缶爆弾を受け取る
 新宿警察署襲撃
 警視庁第八・九機動隊舎へ
 爆弾を投擲
第三章 大菩薩峠軍事訓練
 首相官邸占拠計画
 福ちゃん荘に結集
 軍事訓練と全員逮捕
 論文「遊撃隊のスタイル」
 都市革命の戦闘形態
第四章 釜ヶ崎へ
 赤軍派の再建
 釜ヶ崎で日雇いの仕事を始める
 宮本礼子との出会い
 全港湾建設支部西成分会
 ラーメン屋の開店
 釜ヶ崎赤軍
 連合赤軍事件
 対鈴木組闘争
 西成署抗議暴動
第五章 大阪・水崎町交番爆破
 「革命戦争」の再開
 爆弾の材料集め
 ジュース缶爆弾製造
 交番襲撃
 地下潜行
 逮捕
第六章 連合赤軍事件と党内闘争
 あいりんセンター爆破事件と冤罪
 分派闘争へ
 連合赤軍事件の総括
 獄中委員会の結成
 PLO型の統一戦線
 釜ヶ崎赤軍派の解散
 「プロレタリア革命派」への批判 第七章 獄中者組合の結成
 ドロボー組合
 獄中者の闘争戦術
 組合を結成せよ!
 初めての統一行動
 獄中者組合と共同訴訟人の会の対立
第八章 ピース缶爆弾事件の真犯人証言
 土田・日赤・ピース缶爆弾事件
 板金捜査
 冤罪と闘う十八人の被告
 自白強要・フレームアップ
 公判
 証言への道
 真犯人としての証言
 もう一つの牧田証言
 権力の犯罪
 全員無罪の判決
第九章 マリアへの手紙
 同志・宮本礼子
 女性解放問題
 マリアの母
 自然の中で生きること
 マリアへの愛
 分離公判
 別れ
 判決
第十章 アナーキスト宣言
 孤立
 「日本社会主義労働組合総同盟」結成の提案
 獄中者のためのタンポポ図書館
 下獄
第十一章 労働者食堂の再開
 再び釜ヶ崎へ
 労働者食堂・家
 マリアとの再会
 夏祭り
 相互扶助推進協議会の呼びかけ
 トミさんの死
第十二章 アンデスに死す
 たった一人の旅立ち
 フジモリ政権の成立
 リマの強盗
 センデロ・ルミノソ
 ワンカイヨからサティポへ
 危険地域のアルトパウレリ村
 死の帰還
 釜ヶ崎での追悼会
 若宮正則の理想と闘い
参考文献
あとがき


[資料関係]

安保闘争の政治理論としての総括
京都府学連執行委員会
一九六一年七月八日
※全学連十七回大会にてブント関西地方委員会系が京都府学連の対案として提出。
(執筆は同志社大学の山本勝也)

 安保闘争を「予想外の高揚」だったというこの言葉は、安保闘争の総括の困難さを、したがってその重要性を、端的に表現している。「政治は経済の集中的表現である」ということをドグマチックに理解して、〔経済不況→労働者の生活状態の悪化→労働者階級の高揚〕という経済決定論では、安保闘争は何事も語りえなかった。経済的には「高度成長」といわれる好況局面にあったのだ。だから、彼らにとっては、まさに「予想外の高揚」でしかありえなかった。すこしでも教条主義批判の態度をとるマルクス主義者ならば、日本のマルクス主義が「政治理論として確立していない」がために、「政治過程の独自の運動法則をとらえることができず、したがって、政治情勢の急激な展開の可能性について予測を、従って政治闘争における決定的な時点の把握」ができなかったことを、自らその破産を宣言せざるをえなかった。(『思想』 六一年二月号における大江志乃夫の「実践をとおしての政治理論の反省」)

 「情勢分析における客観主義、方針における主観主義」「万年決戦論」あるいは「羅列摘発闘争」等からの活路はここに破産を宣告された政治理論をわれわれの手で確立する事、それにより政治闘争の見通しをもつことにある。政治理論とは、現存する階級闘争の総括「すなわち、われわれの目の前でおこなわれている歴史的運動の一般的表現」(「共産党宣言」)にほかならない。安保闘争をこの観点から総括しなおすこと、ここに政治理論のすべてがあるといっても過言ではない。安保闘争は現代の日本における政治闘争としては最大の経験だったのだから。

(一)政治闘争の広さと深さについて

 安保闘争は、「革命情勢」と錯覚する者があらわれるほどの大闘争であった。けれども、一体どの程度に「大闘争」だったのか、また何を基準にそういいうるのか。この問題は現代日本における政治闘争の発展過程、つまり政治過程の具体的解明であり、そこからのみ、今後の日本の政治闘争の見通しをもちうる。
 
 この政治闘争の「見通し」は、いうまでもなく、主観的願望にもとづいた恐意的な要素のまったく含まれていないものでなければならない。更にそれは、単なる一般論ではなく、現代という特定の、日本という特殊の、即ち、まさに「現代」の問題でなければならない。このような観点から展開せんとするわれわれの政治理論なるものは、日本における政治闘争の最大の経験である安保闘争の「偉大な教訓」 の理論化による「現代」への接近である。

(a)日本の権力構造とその性格

 まず最初に、日本の権力構造<議会―内閣―政府―警察(自衛隊)> と その性格について簡単にまとめておく必要がある。なぜなら、政治闘争とは、国家権力をめぐっての全国的階級闘争であり、更に、「前衛不在」と言われる現代の日本においては、現存する階級闘争は、レーニンの言う「組合主義的政治」のための闘争、即ち改良闘争としてしか展開され得ない。安保闘争も多くの論者がすでに明らかにしているように、自然発生的な、従って小ブル的な政治闘争として展開されたものである。そのような政治闘争の発展過程=現代日本の政治過程は日本の権力構造の具体的な分析をぬきにしては語りえない。資本主義国家に於ける議会の本質について、レーニンは『国家と革命』の中で次のように述べている。「支配階級のどの成員が議会で人民を抑圧し、蹂躙するかを、数年にただ一度決めること―この点に議会制立憲国をはじめ最も民主的な共和国においてもブルジョア議会主義の真の本質がある。」同時に又、レーニンはロシア十月革命前後の、つまり資本主義の帝国主義段階への変遷という歴史的な時期における議会に対して、「議会はすでに雑談場に変ってしまった」といい、更に「この雑談場とそこでの決議でもって馬鹿正直な百姓をごまかしている」と述べている。このレー二ンの議会に対する論談は、明らかに現代もなお有効な本質論である。けれどもここから、「ブルジョア議会はおしゃべりの場所」であるから、「議会ナンセンス」ときめつけることによってこと足れりとするならば、現代の具体的分析を怠った教条主義として批判の対象とならねばならない。

 戦後日本においては、イタリー、べルギー等と同じく民主主義が憲法として定型化されており、議会制民主主義制度が確立している。そのもとにおいては、ブルジョアジーの政治的、軍事的政策は、形式的にせよ、議会を通過する。従って警職法にせよ安保にせよ、又政暴法にしてもそうであったが、議会の中での討論・決定をめぐって闘争の山がつくられ、また反動化に対しても、具体的には議会において現出されるが故にその反対闘争は議会制民主主義擁護の立場が支配的となりやすい。民主主義闘争が全て、民主主義擁護という小ブル的性格を強くもつのも、民主主義が憲法として定型化されているが故である。

 構造的改良論者は、マルクス主義を科学として理解しえず、資本主義が国家独占資本主義として延命した段階での諸々の新しい現象と一時的繁栄にまどわされ、第二次大戦後の民主主義のある程度の憲法としての定着化からくる国家の、とくに議会のより一層大きくなった幻想性に自ら幻想を抱いた小ブル思想の典型である。

 彼等は、議会を通じての平和革命が可能であるという幻想的観点から、マルクス主義国家論の修正にとりかかる。 国家権力が公的性格と階級支配とに分離され、階級支配よりも、むしろこの公的性格が国家の本資として主張される。われわれにとって必要なことは、現代の諸々の新しい現象を本質論との関連で実践的対応の問題として把握することである。

 戦後の政治的民主主義の憲法化の実践的意義は、社会主義革命のための有利な条件と広汎な具体的契機の存在として理解されなければならない。議会に形式的な決定権は認められているが、ブルジョアジーの政治プラン(政策)は独占ブルジョアジーとの協力で内閣によって決定される。したがって、政治闘争は当初から対政府闘争として全国的な政治闘争として展開される条件にある。

 このような権力構造が全体として「一般に共通性という幻想的形態」(マルクス『ドイツイデオロギー』)をとって国家を形成している。けれども「共通の、幻想的で共通の利害に、たえず現実的に対立している特殊な利害のあいだでの実践的な闘争が、国家としての幻想的『利害』による実践的な干渉と制御とを必要ならしめる」(マルクス『ドイツイデオロギー』)。

 この「実践的な干渉と制御」とは、具体的にはレーニンのいう「武装した人間の特殊部隊」=「暴力装置」としての常備軍、警察、官僚群であり「常備軍と警察とは、国家権力の重要な武器である」(レー二ン『 国家と革命』)この「国家権力の武器」は、現代の日本においては、その幻想性をかなぐりすてて、警察の治安弾圧、陸上自衛隊の国内治安への専念化、更に右翼暴力破壊屋への転化が加わって、暴力化している。政治闘争は、この国家権力の暴力化とあいまって、不可避的に"暴力的形態"の性格をおびざるをえない。従って、国家権力、右翼の暴力的弾圧が政治闘争の発展の一つの重要な契機となる。

 (b)現代における政治闘争の発展過程
以上のような性格をもつ権力構造の中で、安保闘争は国家の本質=「支配階級の意志」 に対決して、国家権力=「最も高度に組織された暴力」(マルクス『 資本論』) に一歩一歩と肉迫していった。この進展の過程を、対権力の問題を焦点に、現代における政治闘争の発展過程として、次のように抽象化しうる。

 (1)反対意志の全国的組織化の段階。宣伝、教育を中心にした啓蒙活動から、反動粉砕闘争として、次第に大規模な集会、街頭デモへと発展していく。

 (2)議会の幻想性に対して『平和と民主主義』という、より大なる幻想性そのものをかかげての全国的政治闘争の展開される段階。集会、街頭デモを中心とした闘争が、議会での討論の進行過程に照応した闘争の山を形成しながら発展する。その過程で警官の妨害も加わり、"国家権力の暴力化"により"大衆の暴力"が発生する。これを契機に議会の幻想性が暴露され、闘争は次の段階へ発展する条件が成熟する。

 ここで注目すべきことは、議会の幻想性だけではなく、既成左翼政党の幻想性をも同時に暴露したことである。議会の幻想性が暴露された段階において何をなすべきか。つまりその時点での戦術を大衆が要求する。それに答ええない指導部は大衆の面前に"無能者"として自己の姿をさらけ出す。似非前衛党の物神性が音をたてて崩壊しはじめる。この既成左翼の物神性の崩壊は、当然の結果として、既成指導部にたよらず、独自に政治闘争の局面を打開してより高い次元に進展させんとする広汎な大衆、とくにインテリを中心にした部分を一つの政治的潮流として登場させる。この潮流は思想的に「真の前衛政党」 の確立というところまで高められ"トロツキズム運動"を形成する。

 「全学連」はまさにそのようなものとして登場したのである。既成政党の無能、というよりは、むしろ闘争の質的発展の意識的回避の中にあって、何とかして局面を打開しようと独自でそのための戦術を追求した。この戦術を行動にうつす際、一つの障害に直面した。「統一と団結」という神話である。全学連はこの神話を、統一戦線論の倭少化として破棄し、統一戦線の立体化という観点から、既成政党とそのエピゴーネンによる"ハネアガリ"、"トロッキスト"等の非難をむしろその戦術の有効性のメルクマールとしつつ、独自の戦術の具体化に努力をつくした。11・27 、1・16 、6 ・15、これらは術頭デモの戦術にすぎなかったとはいえ、安保闘争の質的発展をもたらした決定的要因であった。だからこそ、全学連は常に運動の中心となったのであり、この全学連の運動をぬきにしては、安保闘争の次の段階への発展は考えられない。

 (3)国家権力そのもの、つまり暴力と直接対決する段階。国家権力がますます暴力化するのとあいまって、大衆の街頭デモのより一層の暴力化の中で、ブルジョアジーは安保をなにがなんでも成立させねばならない必然性から、議会制民主主義の枠の中では、即ち、幻想性を保持したままではそれを通過させることに成功しえず、遂に、自ら議会の幻想性をすて、「単独裁決」という、国家権力の本質である"暴力"に訴えざるをえない。この民主主義破壊の暴挙は、プチブルの民主主義意識を大きく刺戟し、闘争は反動粉砕闘争の次元から、急速に内閣打倒闘争へと転化する。大衆の暴力化は更に発展し、プチブルの街頭行動と部分的な労働者の実力行使によって、遂に内閣危機が出現する。

 この段階においては、闘争の進展は権力との直接的対決以外にありえない。安保闘争の勝利の展望は、国家権力という暴力によってうらずけられているブルジョアジーの支配体制を否定すること、即ち革命以外になかったのである。六・一九の自然成立を前にして、国会をとり囲んだ厖大な労働者、学生大衆は、遂に何事をもなしえなかった。敗北の一瞬である。

 安保闘争は、権力との衡突を部分的に含みながら、したがって萌芽的な革命的高揚を生みながらも、権力との全面的、直接的対決としての、レーニンのいう「革命的高揚」 を生みだすことなく敗北していった。

 (c)政治闘争の『広さと深さ一は何によって決定されるか?
政治闘争の「広さ」は、その闘争がどれだけの諸階級をまきこんで展開されたかということであり、「深さ」は、対権力との関連で、安保闘争に典型化された〔支配階級の意志に対立する被支配階級の意志の全国的組織→国家の幻想性に対するより大なる幻想性をもっての闘争→国家の幻想性の暴露→国家権力との直接的、全面的対決〕という現代における政治闘争の発展過程のどの段階まで進展したかということである。

 政治闘争の深度の問題は、次の二点、闘争の主体と客体の問題から補足されなければならない。

 まず第一に、闘争の主体の問題、どの様な観点から闘われたのかという問題である。安保闘争は、その質的転化〔プチブル政治意識→プ口レタリア政治意識〕を実現しえなかった。プチブル政治意識の高揚にもとづく、プチブル主体の国会デモという街頭行動によっても内閣打倒は実現するということを安保闘争は実証すると同時に、議会制民主主義の復活としての〔内閣打倒→国会解散→総選挙〕という議会主義コースが支配的となり、それを実現するものでしかないということを、「前衛不在」のもとでの政治闘争=改良闘争の限界として、特に先頭に立って闘ったわれわれ学生には、学生運動の限界性として教えた。プチブル政治意識のプロレタリア政治意識への転化には、議会の幻想性の暴露と同時に、闘争に参加している主体が自分の持っているプチブル政治意識もまた幻想でしかありえないことを自ら悟ること、そのための戦術が必要である。工場での、街頭での自然発生的な生成を基礎として、プ口レタリア権力の具体的形態を含めた、つまりブルジョア権力打倒後の「中間的政府」から、過渡的措置、更に直接的な権力への行動まで含まれた一連の戦術、いわゆる"綱領"の存在が絶対条件である。ただしそれは、この戦術を具体化しうる前衛政党として、より具体的に言うならば、新左翼が、労働者のなかに確固たる組織を確立しており、ある程度の労組でへゲモニーをとることができる程度の状態においてでなければ、いくら"綱領"なるものを作成して"前衛政党"の名のりをあげてみても、無意味だということである。

 第二に、闘争の客体の問題は、支配階級の支配能力がどれだけ動揺したかであり、この間題は政治闘争の「深さ」 について決定的に重要である。「国家は… 一時代の市民社会全体が集約されている形態である。だから結果としてすべての共通な制度は国家によって媒介され、一つの政治的な形態をとることになる」(マルクス『ドイツ・イデオロギー』)マルクスがここで述べている国家の集約性の喪失が政治的にどの程度まで進行したかである。

 小野義彦は、安保闘争の展望として「現在、支配層内部に発展しつつある政策対立が、安保改定問題と自由化問題などを契機にひろがり、いっそう拡大し深刻化してゆくこと」(『中央公論』60 年5 月号)を唯一の基準として安保闘争の深さをはかっていた。けれども彼には、この支配層内部の対立の問題を、全体的な政治過程との関連で、ブルジョアジーの支配能力の動揺として明確に位置づける政治理論がなく、そして何よりも構造的改良論者たる彼にとっては、この自民党の内部対立への実践的対応は、自民党の反主流派に甘い幻想をいだいた共産党のいう「自民党内の良心的部分」という域を脱しえなかった。だからしてその期待が裏切られると、「自民党内の反主流派が代表している立場は中小ブルジョアジーやなんらかの国民的な対立社会階層のそれではなく、この点では主流派と同じく独占ブルジョアジーの階級的立場であった」(『歴史学研究』 60 年9 月号)と、今さらながらの泣き言をならべざるをえなかったのだ。「国家の集約性」ということの実践的理解から、喪失された「国家の集約性」をプロレタリア権力のもとに集約しなおすという革命的観点からの把握が必要なのだ。

 安保闘争は、内閣危機まで発展したが、岸の退陣、池田の登場により、ブルジョアジーの支配能力の動揺は簡単に回復された。その程度の動揺にすぎなかったのである。より一層の危機の深化(内閣危機→政府危機→体制危機)が出現しえなかったのは、前に述べたごとく闘争の主体の条件が存在しなかったことと同時に客体の条件も存在しなかったのである。

 客体の問題についてレーニンは『共産主義の「左翼小児病」』において次のようにかいている。

 「すべての革命、とくに二十世紀の三つのロシア革命によって確立された革命の基本法則はこうである。すなわち搾取され、抑圧されている大衆がいままでどおりに生活できないことを自覚して、変更を要求するだけでは、革命にとって不十分であって、搾取者がいままでどおりに生活し、支配することが出来ないことが、革命にとって必要である。『下層』 が古いものをのぞまず『上層』のときにはじめて、革命は勝利することができる」。

 安保闘争はさらに経済的には「高度成長」といわれる好況局面においてたたかわれたのであり、「上層」すなわち支配階級ブルジョアジーが「いままで通りに生活し、支配することができない」という危機的情勢は政治的にも経済的にも存在しなかったのである。したがって、安保闘争の最終局面での高揚を革命的情勢と錯覚して、革命が可能だという幻想を抱いた者があるとするならば「プチブル急進主義」として批判されざるをえない。「一時代の市民社会全体が集約されている形態」としての国家が、その集約性を喪失する最大の時期は、市民社会の基礎である経済の集約性が破壊されるとき、即ち恐慌である。換言すれば、恐慌は最大の革命の勝利しうる客観的条件である。

(d)政治闘争の具体的契機としての安保改定

 安保闘争が以上のような「広さと深さ」をもった政治闘争として展開されたことの確認の上に立って、再度、安保改定そのもののもつ政治闘争の具体的契機としての意義を、安保改定があれだけの「大闘争」を伴わざるをえなかった必然性を、政治の問題として解明されなければならない。

 安保改定は「日本の一大転換点である」といわれる言葉の中に、経済的好況局面にもかかわらず、安保闘争があれだけの広汎な層をまきこんでの闘争として展開されたことの解明の力ギがある。

 安保改定は一九五五年以降の日本資本主義の経済過程を総括するものであった。五五年以降、本格的に開始された近代化による対内膨脹の過程を集約した、対外膨脹への転換であり、しかも、それは、戦後帝国主義の不均等発展の結果として五八年以後展開されている自由化という平和的形態での帝国主義的競争の激化により国際的にも転換をせまられていたのである。

 その際、独占ブルジョアジーはその転換の政策を、帝国主義的民族の発展のコースとして、日本民族全体の共通利害として提起せざるを得ない。従ってそれは、全ての階級に対して利害関係をもつ。安保改定はこのような日本民族全体の方向を決定する「一大転換点」であった。それ故に、この民族的契機によってひきおこされた安保闘争は、その性格から必然的に、あれだけの「広さ」をもった政治闘争を伴い、支配層内部にさえ対立を生ぜざるをえなかったのである。

 安保改定が現実の問題として、いったん提起されるや、その後の足かけ三年間における、その他の諸々の政治闘争の具体的契機(帝国主義的政策、政治的反動化、独占本位の経済政策)は、すべてこの最大の具体的契機である安保改定との関連において問題とされ、安保改定は、次第に政治過程の中核となり、政治闘争の焦点を形成する。したがって安保改定は、日本の経済過程と同時に、政治過程をも集約するという性格をもったのである。

 かくして安保改定は、日本民族の方向を、最終的には日本国内の政治的力関係によって、政治闘争によって決着をつけるべきものとして提起されていたのである。だからこそ、あれだけの「深さ」をもった政治闘争として、"予想外の高揚"だったのではなく、この高揚は「国民生活の全ての条件によって準備されたもの」であり、日本資本主義の「これまでの発展全体によって必然的に惹き起されたもの」、「まったく法則にかなったもの」(レーニン『革命的高揚』)として把握されなければならない。

(二) 政治闘争における大戦術と小戦術について

 われわれは安保闘争の発展過程を現代における政治過程として解明する中で、政治闘争の質的発展にとって決定的に重要なのは戦術であるということを明らかにしてきた。大衆運動の続行は当然その闘争を漸次的に深化させる。しかしながら、それのみによっては闘争の質的発展はありえない。この「量から質への転化」すなわち「飛躍」をもたらしうるもの、これこそがわれわれの言う戦術である。この観点から政治闘争における戦術論の重要性が確認されなければならない。

 またわれわれは「政治闘争の広さと深さ」の追求の過程で、個々の政治闘争の規模があらゆる政治的、経済的条件の具体的分析により見通しうること、そして最後にそれらの諸々の政治闘争の中で、最も深い政治闘争を見通し、その他の諸々の政治闘争はこの最大の具体的契機をめぐって政治闘争にどう対応すべきかという観点からの位置付けが必要であることを明らかにした。それぞれの政治闘争の広さと深さに応じた戦術をとることにより、全体として最も深い政治闘争、即ち革命の勝利しうる条件の存在する時点での革命的戦術を実現させるまでの政治過程にわれわれの政治闘争における戦術を正しく位置付け、長期的な、明確な「見通し」をもった政治闘争の展開が必要なのである。

(a) 戦術は何にもとづいてうちたてられるべきか?

 正しい戦術は例外的に樹立しうるのか、果して宇野弘蔵のいう如く、優れた実践家の直感による以外にありえないのだろうか?この問題は政治理論における基本的課題である。レーニンは『カール・マルクス』 において"プロレタリア階級の戦術"という項目をあげて次のように述べている。

 『マルクスは… … プロレタリア的階級闘争の戦術の問題に絶えざる注意を払った。… … プロレタリアートの戦術の主要な任務をマルクスは、彼の唯物論的世界観の全ての前提を厳密に一致させて規定した。ある与えられた社会の全ての階級の相互連関を一緒にした全体の客観的な顧慮、したがって又、この社会の客観的な発展段階の顧慮、ならびに、この社会と他の社会との間の相互的諸連関のみが先進的階級の正しい戦術のための基礎として役立つことができる。』

 ここに戦術論の根本問題、正しい戦術は科学的に樹立しうること、そのために必要な情勢分析は何かということが簡明にのべられている。さらにレーニンは『共産主義の「左翼小児病」において、この原則を口シアの革命運動の教訓から、次のように確認している。

 「大衆の間に革命的な気分がなく、このような気分の高まりを助長する諸条件がなければ、勿論革命的戦術を行動に移すことは出来ないが、われわれは、口シアで余りにも長い苦しい血みどろの経験によって革命的気分丈にもとづいて革命的戦術をうち立てることは出来ない。」

科学的分析が必要なのだ。その際、「その国家の全ての階級勢力」、いいかえれば国内の階級間の力関係の分析が決定的に重要であるということ、即ち、われわれが戦術を行動に移さんとする政治過程の具体的分析が是非とも必要な条件であるということを再度確認しなければならない。

(b)戦術論として改良闘争と革命

 「前衛不在」のもとにおける階級闘争は、改良闘争としてしか展開されえないという事実の確認を抜きにして、改良闘争はナンセンスだから革命運動をと、最大限綱領のみを叫んでみても、その革命論は、死んだ抽象にならざるをえない。その革命を何処に依拠何も答ええないからである。

 構造的改良論者は、改良闘争のみやれば良いと主張する。改良闘争の果実の積み重ねが社会主義をもたらすという改良主義的観点から。

 すでに明らかにした如く民主主義闘争として展開された安保闘争は、小ブル的性格を強く持ちながらも、その闘争の過程で国家機関を通じて表わされる国家の本質への闘いが、戦術によって国家権力との直接的対決まで高められた。その対決を全面的対決まで、したがって革命的高揚まで高められることなく敗北していったが、この安保闘争の経験は、改良闘争の徹底的遂行は革命以外に解決しえない時点までの闘争の発展をもたらしうるということを、われわれに教えている。

 レーニンは『国家と革命』の中で、エンゲルスのパリ・コンミューンに対する評価(『 フランスの内乱』第三版序文)を引用して、「エンゲルスはここで徹底した民主主義が一方では社会主義へ転化し、他方では社会主義を要求するという興味ある限界点に接近している」と述べ、更に「民主主義を徹底的に発展させ、このような発展の諸形態を要求し、その諸形態を実践によって、点検する等々、全てこれらは、社会革命のための闘争の諸任務を構成する要素の一つである」と述べている。

 レーニンがここにいう「徹底した民主主義」とは「二重権力」に他ならない。ブルジョアジーの支配能力の動揺危機が〔内閣危機=体制危機〕へと発展する過程で、味方の内部にプロレタリア権力の組織を広げ、喪失された国家の集約性をプロレタリアート独裁のもとに集約しなおすこと。ロシア革命の教訓からレーニンによって発見された この「二重権力」の状態は、現代もなお有効なプロレタリア革命の基本法則である。この二重権力の状態を媒介せずしてブルジョア議会において独占を追いつめ孤立させて社会主義へなどということは改良主義の幻想にすぎない。

 この革命情勢における、レーニンのいう「革命的戦術」を大戦術とよび、この大戦術を実現させるにいたる政治過程での戦術を小戦術として区別することにする。

 かくしてわれわれのいう戦術論としての改良闘争と革命の関連はこうである。全ての条件(とくに政治の問題が重要)の検討の中から、今後の政治闘争のあらゆる具体的契機と、その契機をめぐっての「政治闘争の広さと深さ」を見通す。その上にたって、個々の改良闘争での小戦術を、最も深い政治闘争、革命的情勢における大戦術の実現を準備するものとして位置づける。

 われわれは改良闘争を全力を尽して取り組む。けれどもそれは、改良闘争の果実そのものを目的とするのではなく改良闘争を戦術によって、より高い次元に、より政治的に、つまり対権力との直接的、全面的対決へ向って発展させその過程で革命の条件を準備し、全体として大戦術へと発展させんがためである。

 (c)『戦略と戦術』論について
われわれはなぜ「戦略と戦術」といわずに、ことさらに「大戦術と小戦術」として戦術論を展開せざるをえなかったのか。それは次の理由による。

 「戦術において誤っても戦略が正しければ…」という理論は、果してその正当性を持ちうるだろうか。答えは否である。歴史はくり返しを許さない。誤った戦術によってひきおこされた政治過程は、決してもとへもどしえず"戦略"そのものがこわれざるをえない。さらにこの理論は、最大限綱領主義の、政治闘争における戦術の軽視と戦術における誤りの合理化に対してその正当化の理論的根拠を提供している。

 プロレタリアートの階級闘争の戦術論として「戦略と戦術」という言葉がはじめて登場したのは、レーニン死後の第三インター第六回大会にスターリンが提案した、第三インターの新しい綱領草案においてであった。マルクスもレーニンも、プ口レタリアートの階級闘争の戦術論を、戦略と戦術に分離して論じたことは一度もなかった。

 われわれはこの「戦略と戦術」論をスターリニズムによる戦術論の歪曲として破棄し、マルクス・レーニンの戦術論の原則を復活させる一つの試みとして、「大戦術と小戦術」という、プロレタリア独裁の樹立へいたる一連の戦術論として展開した。


政治闘争、社会政治闘争―第三期学生運動論
社学同関西地方委員会
一九六五年四月
※統一ブント系社学同機関誌『赤光』に塩見孝也が発表(一九六五年三月)。


(1)現在二つの集会が開催され春の大衆Mの基調を形成しようとしている。

 一つは京都府学連―都学連再建準備委員会主催の八・二〜三グループによる日韓闘争を基軸にした全国活動家集会(三・三○・東京にて)であり、いま一つは全国大学生活協同組合連合会の招請による教育環境ゼミナール(三・二四、二五、二六)である。後者は一昨年以来昂まってきた学内諸闘争を集約し、Mの全国的連帯を回復しようとするものである。
 
 日本資本主義の対外政策に対する闘いを、他方での学生の社会生活から呼び起こされる学内闘争を、如何なる方向性でもって統一してゆくかは活動家の現実的な問題になりつつある。しかもこの両闘争がどちらかに一面化されていく傾向は情勢の複雑さそのものに起因している。東京の新左翼諸派の日韓闘争による一点突破全面展開方式に要約される指導性を支える認識の根底には、昨年全自代の諸発言にも見られた如く、日本資本主義の過剰生産の成熟→ 四・一七への発現→その流動の延長としての原潜闘争の巨大な流動化H=即ち職場での危機の発現と政治闘争へのナダレ込み→階級闘争の昂揚というモチーフが存在する。それ故にこそ、彼等は諸学内闘争を自治会の任務として設定することは出来ても、その闘争に独自的な政治性を発見することに失敗している。極端に言い切るならば学内諸闘争の切捨て、ないしはその闘争の政治闘争への利用の域を出ていないのである。

 他方教育ゼミを主導する共青―フロントの諸君は、言うまでもなく彼等の国家独占資本主義論―国家論からの学内の構造改革のhegemonyの確立→市民社会の影響→政治闘争という考え方をもっていることは衆目の一致するところであるが、それが極めて現在の局面―― 政治闘争がダイナミックな発展性を有しない限界性と学内闘争の昂揚―に照応しているが故に彼等は学生M の新たな発展の芽を学内闘争に一元化しようとしている。だがこのことは、東南アジアの危機を軸にした国際的な反革命と日本資本主義のそれへの協調政策とこの外交政策粉砕の闘いによる日本資本主義の心臓部での矛盾を暴露することから鋭角的な政治意識の形成をネグレクトすることになる。更に学内闘争の限界性は今後の政治過程へ大衆を参加せしめることに失敗し、学内主義に転落してしまうだろう(現在もそうかもしれないが)。しかもこのことは極めて重要であるが、現在の学内闘争は彼等の信ずるドグマを受け付けない性格のものである。このことについて後程述べる。

 現在米帝国主義を軸とした国際的反革命連合群の動向は、イギリス、日本などの交渉― 中立化要請を押し切った米帝によって、一九度線を越えて北べトナムの侵略を意図するものにかわりつつある。更に日韓会談はこの流動に対処する米帝、朴政権の早急の要請として日本ブルジョアジーを突き動かしている。日韓会談の急速な進展は参院選挙を迎えながらもそのテンポは変わらないだろう。

 他方高度成長政策の生み落したインフレ、そして労働者階級の労働強化―合理化―賃金抑圧、更に中小企業、農民の危機は巨大な社会不安を捲き起こし 、社会生活闘争とも言われる性格のMを提起しつつある。

 我々が遭遇している所の春からの政治闘争―学内闘争とは、正に前者が上記の状況への対応として、後者が上述の社会生活闘争の外延的表現としての、"闘争"への対応として現われている。

 労働評論家、清水慎三(『現代の眼』三月号「独占の国民支配と革新勢力」)は、「いまの世界のいまの日本の中では、革新政治指導にあたる人達は一方では国際情勢に機敏に対応して街頭行動を組織する力量をもつと同時に、他方では国家独占資本主義の政治的経済的文化的支配の全戦線にスキ間をあたえぬ戦略配置を行って持久戦を遂行する両面の備えが必要である。そして通常の場合、この二正面の闘いには機械的に結合できない独自の領域があり、そこに目論上のむずかしさがあると同時に、そのこと自身が"いまの世界"といまの日本の統一的把握を鈍らせ、闘争の全面展開を可能にする戦略的環を見失なわせる危険が常に伏在することに十分注意しなければならない。またそのことは政府危機が体制の政治危機に発展する日本的条件を見究める習練ともなりうるのである」と、彼の"反米社会主義革命"の戦略目標はともかくとして、いみじくも政治闘争と社会政治闘争との統一した指導の難しさと情勢の複雑さを鋭く指摘している。

 我々は東京の新左翼諸潮流の諸君の如く現在の情勢(主体的な問題まで含めて)を評価するわけにはいかない。更に現在共青―フロント、新左翼諸派、総じての学生M の政治諸潮流に共通していえることとして、昨年来我々が指摘した第二期階級闘争の解体と再編、そのことを引き起こしている所の日本資本主義の推移とそこに生起する諸階級―諸階層の第二期の矛盾から第三期への矛盾の変質と新たな高度でかつ深い矛盾の形成に対応しての第三期の指導性の創出に対して全く無認識―無思想状況であることである。

 このことに適応するところのM の指導性は、共産主義者同盟―安保全学連の立脚したところの永久革命論そのものの否定を通じてこそ獲得されるべきものである。

 「周知のように、旧国際派理論による八中委九大会路線は現実の階級闘争の中で労学提携と先駆性理論を内容とする転換路線へと転化したのであった。そしてその過程は同時に、学園フラクが永久革命論の徒となる過程であった。何故ならばこの段階における学生M は戦闘的街頭行動として展開され、かつ労働者階級のM も又、生産性向上=合理化にみあって、合理化に妥協し、若干の賃上げを資本の許容する範囲でかちとるという経済闘争と、そのような経済闘争の弱さを補完するものとして街頭的政治闘争として展開され、かくして労働者と学生が『市民』 として平等に街頭上で共闘するというスタイルが存在していた。そして学生は、この労働者階級の弱さに対して、街頭行動を徹底化させることによって流動化をもたらし、もって権力に肉迫しようとしたのであった。しかしこのような闘争をいかに徹底化してみても、街頭行動に止る限りは真の労働者階級の姿を見せるものではない。にも拘らず、このような街頭上の徹底した闘争は労働者階級に権力の実態を部分的であれ、バクロし、M の飛躍を形成することができ、更に生産点での闘争に還流する可能性を有していた。ブンドがめざしていたものは、正にこのような形のM の発展であった。つまり市民的政治闘争の中での最左派(小ブル急進主義=ジャコバン主義)のへゲを連続的にプロレタリアートのへゲモニーに移行させようとしたのであった。これは正に永久革命論であった」(『戦士』No.5主張「第三の転換点と我々の課題」)。しかしこれ等の永久革命型のM は五○ 年代の市民的政治闘争と戦闘的組合主義の全面開花としての安保―三池闘争での敗北でもって終熄し、組合主義一般の、小ブルジョアジー一般の、市民主義一般の敗退に連なったのであった。この敗退を契機にして、五○ 年代中期以降進行しはじめた生産性向上と合理化と職制支配の強化は成熟し、資本による労働者の分断と縦断的縦深的な職場の末端までのおそろしく細分化された現場末端体制を量産し、それを軸に企業忠誠・企業奉仕集団をかき集め、他方で疎外された大群の「職場要求」を分散させて「階級的統一」に厚いカベを築く結果として、「政治的無関心層」の作為的進出をはかる等々密度の高い新タテ割り体系が続々と作り出されてきた。更に新工場建設も地域住民の利害関係を分断し、古い地域社会を寸断し、「縦割り」地域創設を行ない、しかも資本の市民社会への直接の支配は、直接雇用する労働者だけではなく、広汎な諸階層の中に現在の利害と将来の生活設計を武器にキメ細かい支配領域を造出した。

 このような労働者階級の縦深的分断支配と市民社会の資本の直接支配の進行は、総評民同の組織的弱体化と資本への協調策としての全労化、社会党―護憲完全実施の空洞化と民社―同盟会議の一体化を生み落とし、永久革命型の母体である全学連―総評―原水禁の市民的ブロックの解体を余儀なくされた。

 一見資本の堅固な支配体制が確立されたかの如くあった、かかる支配の様式の中から、労働者階級―諸階級=諸階層の新たな矛盾の累積が同時的に形成され、それはインフレ、労働強化=合理化、基底部分の過剰生産として顕在化し、更に中小企業、農民の危機を呼び起こし、昨年四・一七の経済闘争に等質性をもった社会―経済政治闘争が展開され始めた。

 我々の永久革命型のM の止揚という問題意識は、ブンド残党の労働M への介入という方向で模索され、他方学生M の指導の実践性の中で追求されてきた。

 市民的ブロックの解体は直接的に学生M の先駆的機能の喪失とその裏返しとしての学生M のダイナミックな発展を疎外させてきた。

 かかる全国的―全社会的M から地域的―分断的M への停滞状況故に大衆の政治意識が分散化され、稀薄化している間隙を突いて、資本の支配の願望と対外競争能力強化に対応すべき大学の直接支配を基軸にしての攻撃は学生大衆を体制内化させてきている。

 にも拘らず、かかる停滞状況を突き破っての一昨年以来のゆるやかな"新しい波"の昂まりが確認される。

 日韓―原潜に見られるM の一定の昂揚は、日韓情勢の激動に対応せざるを得ない日帝の対外政策の急速な進展にあり、それは安保以降停滞した左翼部分の大衆を結集させるのに一定程度成功させた。
 
 しかし注目しなければならぬのは、かかる政治闘争がいまだ全大衆のものになり切らず、左翼と大衆との間に分断状況が存在することである。

 そして原潜闘争で明らかになった如く、一○・二四全国闘争が啓蒙のM として全国的に展開されながら、実力闘争の局面突入の突破口としての一一・七横須賀闘争が契機となり、それが大衆を一段高い段階へ引き上げ、合わせて原潜寄港阻止の現地闘争が大衆の参加を迫るものが、それは部分的な流動を生み出したにとどまり、全体としては無関心から批判的でさえあった。我々は批判的であったことをことさらに取り上げて横須賀闘争を批判する気はさらにないが(何故なら一一・七闘争はあの局面において断乎として推進されねばM の突破口は要請されなかったから)、問題はかかる批判的な部分まで捲き込んで、そのことを通じて実力阻止のM を展開させるだけの、我々の主体的展望がどこにも存在しなかったこと、そしてM は一一、一二、一三と縮小再生産され、一九日、二七日と日を追うごとに大衆はM から遠ざかっていった。この闘争の過程で確認されねばならないのは一貫してM に連続性と発展性が喪失し、言わば戦術の連続的徹底性の中で権力に肉追していくところの生産力は全体として不在であり、活動家は闘争の環を追う毎に大衆から分離し、官憲の集中的弾圧を受け分散化させられていったことである。

 京都では東京と相違し大衆的自治会機能の実質的な保持の上に展開されたが故に、かつ京都という地方性も加えて、M の発展を追う毎に大衆と活動家との分離が現出し、空洞的状況が生まれた。

 最早一個の戦術の鋭角的な展開によって学生大衆をも集約し、合わせて労働M への影響を与えるという戦術が即ち永久革命型の指導性がM の局面において必要にも拘らず有効性を喪失していることをはっきりと物語っている。そのことの裏面には、勿論政暴法闘争以降初めて社会党―総評がハッスルし労働者階級の流動が形成されたとはいえ、安保以降の労働者階級の権力の支配の強固さを物語ることが指摘されねばならない。

 だがこのことを確認したところで、何ら解決の方向にはならない。"先駆性理論を放棄するか否か"等の不毛な論争を断ち切って、さしあたって我々が確認しなければならぬのは、先駆性の有効性は喪失したものの、その先駆的能力は喪失しておらずこれを徹底的に追求すること、更にそのことによって"空洞化"した状況を生み出さないだけの言わば街頭闘争を支える大衆の後方からの支持を獲得するところの現実的方策である。

 このことは単に技術的対応によって切り抜けられるものではなく、我々のM の指導性=永久革命型のM の止揚としての思想的立場の確立にある。

 東京の諸潮流の諸君にはこのような認識の欠如とそこからくる政治闘争を後方から支える大衆の支援のない単純な永久革命型のそれも"焦り"の表現としての、単に街頭闘争至上主義の矮小化した日韓一点突破全面展開方式は早晩矛盾が押しよせてくることを付言しておこう。

 そして他方での新しい波を構成するM は学生大衆の基底辺から立ちのぼってくるところの学内でのM である。

 本年一月の東京でのバス代値上げ反対闘争に参加した東京都下一○万人に及ぶ"歩け歩けM"、そして慶応大学のほとんど全大衆を捲き込んだところの授業料闘争、そして静大での試験中にも拘らず一見些細にも見える寮の炊事婦の生活負担問題が学生大会からストライキにまで発展した一連の事実は、一昨年以来の全国的に分断されて展開され続けてきた学生の社会政治闘争が新たな局面を画し始めたということである。

 これ等に共通なことは大衆的な性格を帯び異常な生命力を持っている事実である。

 このような学生大衆の一連のM は深部に労働者階級の労働強化―人口理化―賃金cutに及ぶ生活難とInfla による収奪の二重の生活への圧迫の外延性としての学生の生活の危機を基盤に置くものの直接の契機は、大学の工場化とも言われるべき教育資本或いは文部官僚・教育官僚と独占資本の癒着による資本の学問研究の直接の利用とそれを通じての学生大衆の体制内化と適切な労働力の生産を目的とする独占資本+教育資本(或いは文部官僚)の工場の職制支配と賃金抑圧に匹敵する所の学生の資本、国家の直接の掌握と収奪の政策に対しての学生の不満の累積が教育行政政策と収奪政策に対して爆発しているのである。

 従ってかかる闘争は今後構造的に再生産され、社会的性格を有するものであり、言わば一九五○年代の教育二法(五四)教育三法(五六)― 勤評(五七―八)― 大管法(六二)に見られる、戦後階級闘争の昂揚の中で勝ち取った憲法と教育基本法の理念に表現される、大学制度の一定の進歩性と独自性に対しての国家権カの丸抱え的なる反動的文教政策に対する憲法理念を対置したM ではなく、このような性格の闘いは五七―八年頃から始まり六二年頃から全面化した大学の資本の直接支配と合理化―職制支配ともいえるべき大学の支配体制の変化より起ったものであり、言わば資本の政治的攻撃と経済的攻撃が一体化して展開され、それへの学生の政治的経済的対応も一体化して対応するが故に、そこでの対決は明確な資本の存在を意識させていくのである。このような闘争は正に社会政治闘争とも言えるものである。このような資本と学生との対応関係の中で学生の意識は自己の現在―未来に亙って資本主義社会そのものの評価が不断に直接的に問い続けられる。

注 五〇年代の学生の政治闘争、経済闘争(余り存しなかったが)への関わり合いは、資本主義を前提的なものとして認識し、その上に立って資本主義の諸矛盾=その総体としての労働化に対し、「民主主義防衛」闘争を展開した。そのことは資本主義の復活期での余裕と市民としての政治行動を許しながらも全体として統治していく資本主義の深化の段階であった。又労働者の反応もそれに等質性をもつ組合主義的労働Mの枠を置いての経済闘争―市民としての政治闘争であった。

 それ故にこそ労働者階級の、"企業意識"と等質性をもつ意識が存在し、その意識を乗り越えることによってこそ初めてこれ等の社会政治闘争は実質的な勝利を勝ち取ることが出来る。これ等の闘争の性格は労働者階級の反合理化―賃上げに等質性と類似性をもち、労働者階級の場合それが主体の未形成故に合理化のシワ寄せとして片面的に経済闘争にのみ現われており、階級関係のブルジョア的総括としての国家の総資本的立場からの諸階級の抑圧政策への闘い=政治闘争に対し分断され、かつ賃上げ、合理化過程からの一元的な闘いの発展としての政治闘争は大衆的闘争として潰滅に近いが学生M の場合はいまだ自治会のhege.の強力さ故に資本の直接的な一体性をもった政治的―経済的攻撃に対してそれを結合して闘う力量を有し、更に学内政治経済闘争の等質的な反帝性を政治闘争に於ける反帝性と統一して大衆に認識させることが出来る。

 先程から提起しているところの永久革命型の指導性の、否定の否定としての止揚の問題は、現在的にはこれ等の社会政治闘争的な学内闘争と日韓阻止、ベトナム戦争反対の政治闘争との統一した指導性と大衆の中での内在的に統一された反帝の政治意識の形成を問われ、そのことは、先駆性理論の有効性の喪失の中でも先駆的な政治闘争の展開過程でも後方の大衆の中での空洞化と分離を克服し、全体としての政治的集約の可能性を開示しているのである。

 勿論、現在に於て、これ等政治闘争と社会政治闘争が現実的に結合し、政治闘争から社会政治闘争へ、社会政治闘争から政治闘争に発展融合する等と馬鹿げたことをいっているのではない。ただ今後の大衆の中での政治的へゲモニーの確立は社会政治闘争を抜きにしても、又政治闘争を捨象しても語り得ず、両者の独自的な徹底的展開と両者に存在する反帝性が両者の独自的徹底性を抜きにしては形成され得ないのである

 この問題は、本質的に革命的昂揚期に於けるグラムシやローザが遭遇したところの現代革命の「改良と革命」の統一した指導性の確立の内容を提起している。

 さてこの問題に対しての統一した原理的構成の試みについては最後に述べることにして、これ等の政治闘争、社会政治闘争の根底に於ける連関性とその等質的な反帝性の存在を情勢を概括することによってみてみよう。

 ( 2 )情勢に入る前に日共や東京の新左翼諸派の日韓一点突破全面展開方式に於ける情勢評価の基本的過ちを付言しておこう。

 「確かに鉄鉱・造船・石油・化繊・セメント・電機等ほとんどあらゆる分野で過剰生産がいちじるしくなり、そろそろ減産体制への切り換えが動き始めているのが現状だから」(経済セミナ「破綻に近づく日本資本主義」大内力)等の指摘するのは事実である。それは相当の日本資本主義の行詰りが、だがそのことをもってして日共の如く過剰生産恐慌論から直線的に展開し「資本主義世界体制の腐朽と衰退の深化」(『前衛』3 月号)に結論する事態ではない。花形産業部門にみられる設備過剰―在庫増加の問題は事実上存在し、更にたとえば耐久消費材部門の五八年以後投資率三○%台を続けてきたものが六四年には九・一%になっている。しかしこれ等は総資本からみれば景気寄与産業としては斜陽化した存在の処理の対象でしかない。

 日本国家独占資本主義はそのなし崩し的な労働者階級の分断的縦深的支配と総評民同の全労化から一躍民社―同盟会議を育成することによって解消しながら次の景気主導産業を開発することに乗り出しつつある。政府中期経済計画の主たる意図は重化学工業部門及び住宅建設部門を経済発展の主導部門として、体制が着々として推しすすめられ、いわば「社会開発」はこうした次のブルジョア的発展の政管理論である。中期経済計画は単に高度成長路線の継続による中央突破(力石定一)だけであるのではなしに、その「ひずみ」部門を企業の自己責任によって押しつぶしながら新経済体制をねらうところのものである。民間資本に対しては、生産過剰とシェヤー競争に対して、減税し、社八万開発をたてに、公団、事業団の拡充、行政機構の大規模化とならんで利子補給制度の確立を軸になし崩し的に建てなおしをはかっている。

 以上でもってしても全面的過剰生産→対外膨張(=資本輸出)、社会的危機の全面化→ 日韓一点突破全面展開方式の評価の過ちは明らかである。

 我々は春以降全力をあげて日韓闘争に取り組むが、だからといって東京の諸君の如く日韓闘争による大衆M の爆発的展開を期待することはできない。我々はかかる鋭角的目的意識的な闘いを展開する過程で日韓闘争、諸政治闘争の積み上げから、日本資本主義の膨張と反革命の諸政策の進行と諸矛盾の集約点としての第三次安保阻止の政治意識の形成をめざすであろう。我々が昨年来指摘した情勢の今後の特徴点として「国際政治経済情勢が国内情勢に直接反映し、更に国内の政治闘争―経済闘争が結合して発展する時代に日本資本主義が突入した」という情勢の把握の根底性は否定すべくもない。しかしそのことを現在の局面に於て機械的直接的に適用することは出来ない。朴政権と米帝からの日韓会談促進の要請、原潜の日本配置等一連の日本ブルジョアジーの対外政策は、深部に過剰生産―設備→海外市場獲得の要求を持ちながら、直接的にはべトナムの流動を基軸とした極東から東南アジアに及ぶ民族解放闘争の新たな流動に対しての国際ブルジョアジーの反革命強化の協調路線から呼び起こされているものである。

 べトナムでのアメリカを支柱にしたところの反革命連合軍の後退は現在の情勢では、いわゆる"将棋倒し"的な民族解放から急速な革命化の方向=SEATO 諸国の危機を招来せしめるが故に、べトナム戦争を環とした戦争は――現在第二次朝鮮動乱の様相を帯びつつあるが―水続的な戦争の性格を示すものである。現在の局面に於て鋭く対外政策を衝き動かしている要因が日本資本主義の内的諸矛盾の直接的全一的解消としての膨張性と東南アジアから極東への反革命性の一体性にあるのではなく、むしろ後者に直接的要因を置いているということは今後展開される対外政策をめぐる諸闘争の性格を決定する。

 後進国に軸を置いた国際的激動への日常の対応に対して諸階級―諸階層は漠然とした社会不安を持ちながらも政治的意識にまで昂まり切れない状況、即ち国際情勢が国内情勢へ反映する場合一定程度分断され遮断されてから、初めて国内情勢に投影する状況―従って大衆の内在的発展性をもちながらもそれが容易にM化されないこと、それ故に急進化した左翼的大衆を把えても全大衆を包括し得ない、極めて局度な目的意識的闘争(一面に於て恣意的な側面をもつ)として展開されざるを得ない要因は、先進帝国主義の市場再編の新たな段階での危機の同時性の回復下での日本国家独占資本主義の矛盾の成熟の段階と支配の様式に起因するものである。

 一九六四年度の情勢は激動の中に展開された。世界資本主義の矛盾の深化と正統派国際共産主義内部の矛盾の激化がその中心であった。この二極のM は各々独自に展開されながらも、内部で深く関連している。即ち国際共産主義M 内部の分裂は、究極的にはまだ完成されていない世界革命によるものであり、特に今日では世界資本主義の関連で展開されている。そしてその世界資本主義は、一九五八年自由化段階への突入と共に、戦後の資本のM が蓄積してきた矛盾を顕在化しつつある。国際通貨制度の危機にその矛盾は集約されている。ドル危機から始まり、ポンド危機に至る国際通貨制度の危機は、結局は戦後世界資本主義の発展の結論である。

 アメリカに対するEEC諸国、日本の劣勢挽回、そこでの世界資本主義の不均等発展は要約され、その生産力=競争力発展により、アメリカからの金の流出、ドル危機が顕在化した。国際通貨の崩壊とは何か。それはブロック経済を意味し、国際貿易の決済機構の破壊を意味する。侵略的な植民地政策とその上でのブロック経済が僅かに生産の発展を支え、植民地市場の争奪をかけて帝国主義戦争がその特徴である。そして国際経済は広域性にかけ(アメリカを除いて)インフレーションを必然化させ国内市場を狭める方向に働く。階級情勢の激化は帝国主義戦争に対する闘いとともに、革命闘争に発展する。

 以上の如き歴史的な論理をもつ国際通貨制度の崩壊に対し、今日の兵器の発展(生産力の発展)ともあわせて、国際ブルジョアジーは商品競争と共に協力をも支配の手段とせざるを得ない。国際的な国家独占資本主義の機構、それがIMF に集約され、通貨制度の危機を引き延ばそうとしている。にも拘らずポンド救済がEEC諸国にとり、自国へのイギリスの競争力強化を招くとあっては、この協力は、その本質にはずれる苦痛に充ちたものとならざるを得ない。国際通貨制度の危機は、はげしい内部矛盾をもっている。

 このような世界資本主義の苦痛に満ちた矛盾の引き延ばしは、各国の国家独占資本主義の基本的特徴になっている。即ちそこではなし崩し的な矛盾の顕在化により階級的激突が一点に集約することをずらせる国内統治がとられている。にも拘らず世界資本主義の弱い環=慢性的国際収支の赤字及びインフレに悩む後進国にとっては、このような矛盾の引き延ばしは不可能である。民族ブルジョアジーによる民族国家の樹立も容易に安定されず激動の中にある後進諸国は、帝国主義諸国間の支配の圧力故に「南北問題」といわれる如き世界的な底辺としての問題を抱え、世界的な階級闘争の激動の中にある。かくて現段階における階級闘争は、これ等後進諸国と国際独占体のなし崩し的政策のもたらす矛盾の集中的な爆発点、各国内部における後進部分とに顕在化している。アメリカの黒人の闘い、東南アジアの闘い、フランス農民の闘い、日本の中小企業、或いは石炭産業労働者の闘いなどが同一軌道にある。

 以上の如き世界的な資本主義の弱い環に於ける矛盾の顕在化と階級闘争の発展は現在ますます広がりつつある。例えば日本の例をとっても、現在の中小企業の倒産、農業問題の深刻化は、すでに社会不安として種々に政治過程に反映している(公明党の結成など)。だが、我々が現在の階級闘争の中軸を見通す視点は、単に以上の如き弱い環にのみあるのではない。それは恰も自由化段階への資本主義の突入のもたらした、世界的な階級闘争の昂揚(必ずしも経済的危機とは結合していなかったところの、即ちフランスのアルジェリア闘争、反ドゴール闘争、イタリアの反ネオファシズム闘争、ベルギーのコンゴ問題と全国的ゼネスト、日本の安保闘争など)に匹敵するような世界的な新たな階級闘争の昂揚にこそある。

 今日の世界資本主義を共通して貫く矛盾は、クリーピング・インフレーションと呼ばれる、なし崩し的なインフレ政策が与える労働者人民の圧迫が無視しえぬものになっていること、他方国際競争への対応がもたらしている労働強化による圧迫の増大、更に部分的に顕在化しつつある過剰生産である。このような基本的な諸矛盾と他方での弱い環の矛盾とが結合するとき国家独占資本主義のなし崩し的政策は重大な困難に陥るだろう。かかる矛盾へと引火する階級闘争が昂揚するということは、それが国際通貨体制に直結する時、全世界的に波及する矛盾の顕在化という展開をすらもつものである。

 ならばかかる基本的な諸矛盾と弱い環としての後進部分のM (後進国、国内をとわず) を結合させ、国際通貨危機に直結させる展望は、現在の日本階級闘争に於て如何なる内容として認識されねばならぬのか。

 (3)国家独占資本主義の基本矛盾と後進性からくる弱い環の矛盾との結合の深化は、国際通貨危機を招来させ国際的な階級闘争の展望を切り開く可能性を有していることを指摘したが、にも拘らず顕在化しつつある過剰生産等これ等諸矛盾に対する闘争は、まだ部分的にしか現われてきていない。否それのみではなく、独占ブルジョアジーの支配は、この部分的な闘いに対して全面的な労働組合の体制内化、抱え込みの政策を推し進めてきたのである。巨大企業に対する巨大組合の対応の中で、露骨な資本弁護論的な労働組合幹部が育成されてきた。新たな闘いの担い手は、これ等官僚的幹部との闘いを通じてのみ登場しようといっても過言ではない。

 国内的な、国家独占資本主義の支配の強固さは、今日の矛盾を国際的な舞台においてのみ顕在化させている。日本における国内独占の支配体制もこの例外ではない。

 昭和三○年代の設備投資を中軸とする日本経済の高度成長は、同時に民間大企業の労務管理(近代化)の確立であり、労働過程に於ける職制を通じての資本支配の強化であった。この内的体制をもってしてはじめて勤務の二交代制、フル回転の高度成長は可能であった。日本の独占ブルジョアジーが安保闘争の昂揚を、既成指導部の無指導に助けられながら乗り切り、直後に所得政策を掲げたのも、このような民間独占企業体における支配(三池の孤立化の成功)と公共企業体、労働組合への国家権力による弾圧(スト権禁止)であった。だが復興から膨張への転換を激動を通じてなしとげ、所得政策よろしく国家独占資本主義の延命力(成長力)を誇った日本独占ブルジョアジーも、はやくも今日所得政策より賃金政策への転換を唱え始めた。即ち戦後植民地喪失の条件の下で国内市場を主対象とする経済成長に成功し、鉄綱の生産世界第三位にまで到達した日本国家独占資本主義は開放経済体制の名の下にその基幹部分に過剰生産を内包しつつある。

 それは生産の拡大による雇用の増加が支えてきた国内市場をして、耐久消費財の過剰生産化に応じる鉱鋼需要減に対しての鉄鋼生産の過剰化などの関連を通じて現われてくる。

 しかも生産の増大と国際収支との宿命的な悪循環とあいまって、今日再び日本資本主義は"市場"問題を歴史的に回顧せざるをえない。東南アジアこそは日本帝国主義の要であったことを。

 以上の如き基調を含みながらも、ゆるやかな好況の中にある世界資本主義市場の拡大という条件は、六四年の日本経済の困難をアメリカへの輸出増加により切り抜けてきた。そしてこの輸出ののびにより、過剰生産を部分的なものとしてのみ顕在化させるにとどめることに成功している。

 にも拘らず、今年度春闘のエネルギーを内的に形成せしめた日本独占資本主義下の国際的なクリーピング・インフレーションの現われとしての、今日の消費者物価値上げの波は、高度成長の消費生活面への現われ、或いは労働強化面への現われに対する労働者の不満を大きく喚起している。そしてこれをとりまくものとして中小企業の記録的な倒産や農村の行きづまり(米価引き上げのはねかえり)がある。

 以上を見るならば、四・一七闘争、原潜シードラゴン号入港阻止闘争は日本独占資本主義の矛盾を深く結合する地点よりもあがりつつあること、しかもこの両方の闘争が結合しない所にこそ、独占の支配の要があることも明らかである。

 (4)四・一七闘争の特徴は、一方においてその闘争のエネルギーが国家独占資本主義の搾取と収奪に対する巨大な抵抗、生活防衛の意識からでたものであること、そして他方ではそれにも拘らず日共の犯罪的な裏切りに助けられながら、民同が依然として闘争のもりあがりをボス交の手段として圧殺している所にある。そしてこの民同指導と大衆闘争昂揚との矛盾は今や顕在化しつつある所から、資本家階級は今日の情勢の中心にあって同盟会議一本化に見られるが国際的な資本の競争過程における企業合同などを通じ、市場支配を維持強化しながら賃金政策をその中心にすえようとしている。

 そして成長率鈍化の圧迫をなし崩し的に部分的に転化し国内的な支配を保ち、様々な市場政策を展開しようとしているのである。この問題に関しては(2)の情勢分析の項で述べたところの五○年初頭からの主導産業としての鉄鋼・機械・造船・繊維等による成長と五六―七年項の過剰生産化、それを化学合繊、電機、自動車、石油等に主導産業を切り換えて六○年代高度成長を現出させ、更にそれが過剰生産に陥る現時点にあって公共事業部門(特に住宅)そして第二回目の主導産業部門の減税―国家の直接的融資政策、又国内市場の一層練密な開拓等による手なおしを基調にして、建て直すこと、新たな発展の方向、池田内閣より佐藤内閣への継承は国内的には経団連がはじめて、賃金政策について言及するが如き、或いは国際通貨の危機とも合せて、今日の過剰生産の中の大きな不安をもつ独占ブルジョアジーの要求にもみられるが如く一つの転換を意味することは確かである。

 また国際面でも彼等にとって中国の核実験、インドネシアの核武装宣言、ベトナムの流動等、東南アジアの流動は、必ずしも東南アジアへの進出への途が容易でないことを示している。

 六四年末闘争より六五年の春闘への途は国家権力の弾圧をもってしても未だ支配され尽さぬ公労協労働者の闘い、民間過剰生産部門・中小企業労働者の戦闘性と、闘う基盤は蓄積されていく。

 現在の対外膨張政策等の基調は確認したが如く、直接的には東南アジアの流動を機軸にした反革命連合の性格として合わせてアメリカの一定の後退の中で、これを通じて日帝の戦略的な意味での政治的軍事的hege.の東南アジアへの確立を目ざすものである。しかし国際的な資本の名の下にすすめられる後進諸国の新支配(市場争奪)、先進国間の低開発部門淘汰はしかし大きな抵抗を呼ぶだろう。

 かくして(3)項で確認したところの基本矛盾と後進的矛盾との結合を求めるべき階級闘争の基本的な性格及び要は、帝国主義の対外政策に対する闘いと国内における階級闘争の結合におかれねばならない。にも拘らず日本国家独占資本主義の生成する矛盾とその矛盾のなし崩し的解決の生み出す新たな矛盾の累積としての人民の矛盾が抵抗の芽を処々において生み落し、部分的に顕在化し新たな社会政治闘争の波を形成しながらもその闘いが、対外政策への政治闘争と深部に置いて深く結合しながらも、現在的には常に分離し、そこにこそ独占の支配の要が置かれている要因は、第一に日本国家独占資本主義のなし崩し的部分的解決等が彼等の支配力の強固さと相まって成功し、全体としていわゆる社会開発型の主導産業の切り換えと第二回目の戦略産業の新たなテコ入れが不十分とは言え成功しつつあること。第二に既成指導部の体制内化の進行の中で労働者その他諸階級、諸階層が戦闘性をもちながらも資本の下に掌握され釘付けにされている、主体の未成熟にある。

 さてこの傾向が現在的に突き破られる可能性は、第一に国際通貨体制の危機、第二に先進国労働者階級の昂揚がたとえ一国的規模でも展開されることを通じての新たな全世界的なM の昂揚、ことに米国の鉄鋼ストを契機にして一応は予想される。第三に日本ブルジョアジーの転換としてのインフレからデフレ政策への転換である(まず考えられない)。とするなら、いわば清水慎三氏の述べる所の"独自の領域"の存在とは以上二点に起因する所の国家独占資本主義の(支配の強固さを含めての)堅固さとそれ故国際的激動が国内的には社会政治闘争と政治闘争が深部において結合する要因を持ちながらも、日本国家独占資本主義の世界情勢との位相が二重底的であるということによるものであることが一つの主要な要因であるだろう。だがこのような国家独占資本主義の矛盾のなし崩し的引き延ばしと政治闘争と経済闘争の分離による支配の方策は、そのこと自体が新たな高度にして深い矛盾を形成せずにはいない。それは明白に将来の憲法―安保闘争の深さと広さを構成していくのである。さてこのことを確認して、再び政治闘争=社会政治闘争の統一と将来における結合の方向とその指導性に移ろう。(5)安保三池以降の全左翼の分裂の下にあっては戦闘的な闘いは三池闘争型としてのみ可能であった。それは学生M に京都府学連の戦闘的独走体制を全国化する闘いであったし、又今日の企業合同の中での独走体制を中心にする全産業統一闘争を志向する三菱長船労組社研の闘いのそれであった。だが独走体制への国家権力=資本の集中攻撃で三池以降の闘いは、常に全国的統一闘争への発展という課題を要求されてきた。労働M 、学生M の大衆闘争としての全国化は全国的な政治指導の確立、全国的な政治組織の確立をあわせて要求する。この課題は今日の労働者が、組合ごとに体制内化され、或いは学生も又産学協同の中で体制内化されつつあることを思えば、決定的に重要である。

 我々 はかかる状況にあって第二期階級闘争を総括しながら、同時に全国に散在する戦闘的革命的左翼を結集することにより第三潮流を形成することを目標に、学生M にあっては第三次の社学同の結成と反帝統一戦線全学連の再建による自らが第三の潮流を実現していくことを試みた。しかし、問題はかかる路線を不断の現在の困難な大衆の状況の中で実現していくところの指導性であるし、個々の大衆における反帝的な実態的な政策であった。

 そして我々が現在問題にしているところのそれは、単に机上の空論としての永久革命型M の指導性の克服の問題ではなく、極めて現実の要請から導入されるところの、即ち、第一に政治闘争の決定的な実力的な闘いが要請されるにも拘らず、M の上向きの兆候が現われたとはいえ、全体としての階級闘争の停滞故に、その先進的な闘いが発展性をもたず逆に大衆との一定の分離をもたらす状況、第二に、学生大衆における体制内化が進み、資本・国家の大学の直接支配が、職制とも言われるべき資本の学生大衆の掌握が非常に非常に緻密な型で深化し、学生M の中枢といえるべき学生大衆の生活に質的な変化をもたらしつつあること、第三に、だが一つの前進的な要素として確認される所の、現在の社会生活の危機を基底に置いての、大学の資本の支配の強化と収奪への矛盾の累積として一体化した教育資本と独占資本、国家権力に対して大衆的な反逆が開始され始めたことである。又漸次ではあるが政治闘争が上向く傾向を持ってきていること、これ等与えられた条件の中で現在的な問題として日韓闘争、学内社会政治闘争を(現在では全く両者はそれ自体独立しており、個別的に推し進めねばならないが)如何に統一していくか、この問題は技術的に対処するならばいずれか一方に一面化されてしまうが、そのことは質として今後、これ等と同様の質としての政治闘争と社会政治闘争との統一した指導性にあるが、かかる問題としての永久革命型M の思想性の止揚である。

 さて再度詳しく学内闘争の性格をみてみよう。これは基本的に五○年代に展開され六二年大管法に結実した反動文教政策に対しての民主主義理念の反応としての、即ち生活の実態性、それは個人の内部に存在する幻想共同性と階級性の対立抗争を極限化させ、そのことは国家の幻想性を払拭し、国家の階級対立の非和解性の産物として、それ故にこそ被抑圧者にとって外在化した疎遠なブルジョアジーの支配の暴力性を本質とした産物であることの認識への萌芽として、そしてその萌芽は個人の社会関係の総体への認識に至らしめ、その根底は自己の解放を生産関係の即ち私有財産制の廃絶か否かに迫るところの本質性を内包しているが―その実態性が市民としての国家の幻想共同性の中に内面化された上での疑似的な、即ちブルジョア社会を前提にしての、それ故に憲法的な価値尺度もあって、ブルジョアジーの価値への破壊に対しての奪還的反応としての市民的闘争であったものが、団体・社会の緊張関係の新たな質への転化とその外延性としての資本への不断の直接的学問研究の利潤追求への功利性としてのみ要請されるとき、そこで生活するところの学生大衆は資本から疎外され、依存と反発が内的疎外意識、あたかも生産関係に寄生した労働者の疎外と等質性をもったものが形成される。それは未来の生活の展望をも直接的に内包しているが故に資本への学生の依心性が強い。そのこと自身は生活の実態性を有しているが故にその疎外の反発は本質的には資本を突き抜けて、その政治的社会的権力としての国家への批判へと突き進むものである。

 かかる抽象性の現象は教授会の理事会・文部官僚への屈服協調理事会・文部官僚の政策を支持するところの教授陣の輩出と国家・独占の財政的援助を受けての研究―ゼミの展開と学生大衆のそれへの結果を通じての教授―独占資本の学生の未端での集約、又これ等の支配の根軸を通じての学内諸団体の自立性の喪失と変質による大学市民社会の国家資本の直接的支配と大学の疑似工場化と合理化の進展として現われているが、これ等の反逆は国家の分身的機能としての社会性と、資本の大学への社会的権力への対決と一定の政治意識は形成されるものの、いまだ国家の政治的権力への闘いに政治闘争が展開されない限り、それは決定的に不十分であり、又政治権力のみへの対決は、学生大衆の中枢での支配を許しているが故に部分的戦闘的左翼の結集に限定されてしまう。だが第三期の新たな緊張関係の質、いわばレーニンの「革命的昂揚」の内在性の形成は、そのことは資本の職場支配を国家の支配性の等質的結合による職場の末端からの抵抗の等質的結合に基づく政治闘争への発展の可能性、更に、政治闘争の同一の事からの資本との闘争への進転化、深まりとの同一の可能性を有しているが故に、社会的権力と政治的権力の同時的統一的認識の可能性を内包しているのである。このことの認識は我が同盟の公労協での不断の反合理化賃金闘争と政治闘争の展開の困難な状況から獲得したものであるが、我々はその政治闘争、社会政治闘争の統一した実態的表現形態として、即ち大衆の核としての分散性と部分性に対して、一切の諸闘争をプ口レタリアート全体の階級的行動へと発展させ、大衆の要求を社会的―政治的解放に向けて貫き、現存の政治―社会権力の対極にプロレタリアートの自己権力―プ口レタリア民主主義の潜在的表現、機能としての意識性、組織性、全体性を与えるものとして労働者政治組織を見出したのであるが、正に公労協での我々の同志が遭遇したところの問題は等質性をもって学生M にも適応されるべきものである。

 更にこのことについては『戦士』No.4の「ドイツ革命の敗北とローザ」(八木沢二郎)によって的確に表現されているが、「工場におけるところの権利の拡大を徹底させ、そのことによって国家権力の衝突へと発展し、個別資本と国家権力との同一性が認識されねばならない。ローザが革命の第二段階はストライキによる経済闘争であるとしたのは、経済主義ではなく現代革命の法則である。更にこのようにブルジョアジーの動揺にも拘らず市民社会において再生産を行い得るという事情が生じたのである。正に現代革命は工場における労働者の組織、レーテを基底においてしか達成し得ないのである」。更に彼は結論として「現代革命は永久革命論の提起したダイナミックな戦術によるMの急進化=ジャコバン主義、第二インターの提起したブロレタリアートの独自性=組織戦の統合として、分離された党による政治的な宣伝、扇動と共に改良闘争」による工場での権利拡大、革命情勢における大衆ストライキからレーテへと必然的に発展するのである。一方における改良のつみ重ねのみでは革命には決していたらないし、他方改良闘争を通じての工場における権利の拡大を抜きにしては、単なる、官僚集団となるか又は権力に粉砕されるかのいずれかである。ローザを信奉している社青同の諸君、このことは重大だ!

 我々はさしあたってかかる新たに獲得された指導性の下に今後社会的な政治闘争による大学―市民社会へ長期的な政治的経済文化的hegemony の確立を徹底した資本=国家の直接の支配と収奪に対しての闘いを通じて獲得することと同時に、並行して非合法的な日韓阻止、べトナム戦争反対の政治闘争を展開するだろう。それ等の闘争の徹底的深化の中で憲法―安保闘争を闘い抜いていくだろう。このことの思想性を獲得し、政治闘争の内的関連軸を把握することなしに政治主義、学内主義を批判してみても不毛である。


作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科)
UP:20051022 Rev:20051024,1105,20070210,0212,0213 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/kbund.htm

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