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私鉄沿線/文化

[関東]

小田急電鉄

◇加藤一雄 19930730 『小田急よもやま話(上)』 多摩川新聞社
 まえがき
開業前史
 一年半で全線開通
 鳴り物入りで発車
 半官びいきの社名
 戦火を越えて
ロマンスカー
 ドル箱に急成長
 より軽くより速く
 御殿場線を走る
 オルゴール電車
安全性への配慮
 より安全に
 間違いあれば「赤」
 信号機も進化
 安全の主役は人間
各駅停車の旅
 世界一の乗降客(新宿)
 事故防止に多くの表示(参宮橋)
 ダブル障害に工夫(代々木八幡)
 千代田線と接続(代々木上原)
 開通時は島型(下北沢)
 幻の第二山手線(世田谷代田)
 隣同士で違う駅名(豪徳寺)
多摩川へ向う
 経堂鉄道教習所
 経堂検車区
 開通前は雑木林(成城学園前)
 富士山が見える坂(喜多見)
 急速に都市化(狛江)
 最長の多摩川鉄橋
 下を走る南武線(登戸)
多摩丘陵を走る
 水田変じて繁華街(向ヶ丘遊園)
 山村に文明開化(生田)
 急坂急カーブの難所(百合丘)
 丘陵拓き最大級の駅(新百合ヶ丘)
 ニュータウンの足(多摩線)
ベッドタウンを走る
 追い越し無情(鶴川)
 トンネル抜けると桜並木(玉川学園前)
 晴れてJRと連絡通路(町田)
 かつては軍都(相模大野)
 電車の総合病院(大野工場)
林間都市を走る
 創業者の建設の夢(南林間)
 戦後二番目の駅(桜ヶ丘)
 新幹線の上を走る(高座渋谷)
 地名消え駅にのこる(六会)
 明治生まれの長老(江ノ電)
 駅舎は竜宮城(片瀬江ノ島)
相模野を一直線
 異線同名(相模原)
 サツマイモの産地(座間)
 現業機関の中枢(海老名)
 小江戸と呼ばれた(厚木)
 夜の機械化部隊
 保線区のスターたち
 門前町のたたずまい(伊勢原)
大山の麓を走る
 大山ケーブルカー
 陣屋事件の舞台(鶴巻温泉)
 消えたミニSL(秦野)
 四十八瀬川に沿って(新松田)
途中下車(上)
 踏切の話
 ダイヤの話
 ネームド・トレイン

◇加藤一雄 19931127 『小田急よもやま話(下)』 多摩川新聞社
 目次
足柄平野を走る
 人の通過横目で眺め(新・松田)
 魅力多い峠越え(御殿場線)
 かつてホタルの名所(蛍田)
 伊豆箱根鉄道大雄山線
 煙と消えたタバコ線(足柄)
 北条氏のお膝元(小田原)
箱根登山鉄道
 馬車鉄道から一世紀
 大衆化の立て役者
 あじさい電車
 リサイクル鉄橋
 関東発のケーブルカー
箱根山戦争
 箱根ロープウェイ
 日本一の長さを誇る
 箱根観光船
強まる副業依存
 箱根へ直通バス
 レジャー施設
 海はドル箱
 鉄道広告
 緑化事業
 神奈中バス
 小田急百貨店
 ホテル事業を展開
運転士へのけわしい道
 長く厳しい道
 真剣なタマゴたち
 運転士に終点なし
 楽じゃない稼業
 ロマンチスト集団
 一年で地球一周
安全守る指揮者「車掌」
 ドア開閉に緊張
 運行支えるマルチ人間
 絶やさぬ目配り
 信頼の赤い腕章
駅は街のシンボル
 地域との結びつき
 駅もマルチ化時代
 自動改札機登場
 駅員の七つ道具
電車動かす原動力
 一キロ走って37円80銭
 頭上走る生命線
 電鉄支える力持ち
通信技術
 無線で交信成功
 衛星放送サービス
 吊り革にアンテナ
効率輸送に必要「連結器」
 離れわざ作業
 一瞬に回路接続
車両番号
 数字とカタカナの背番号
 リバイバル・ナンバー
線路ぎわの脇役たち
 65年後の今も現役
 魔法のランプ
 スムーズ運転に貢献
 傾斜地点に勾配評
途中下車(下)
 車庫不足に一息
 走る喫茶室
 JR東海と相互乗り入れ
 進むハイテク化
 休眠中の電気機関車
 歴史伝える鉄道資料館
 現業の厳しさ再確認
 古希を迎える
 技術革新の波
 難問多い輸送力増強
 ハイカラな小田急気質
小田急のあゆみ
あとがき


[関西]
◇永井良和・橋爪伸也 20030705 『南海ホークスがあったころ―野球ファンとパ・リーグの文化史』 紀伊國屋書店
 まえがき
1.永井、橋爪(以下著者)のこの本の意図
「近代以降の都市が、次々に生まれては消える商業施設や娯楽施設によって活性化させてきた面を重視してきた。今回とりあげるスタジアムも、多くの人びとに楽しみを提供してきた空間であり、また、都市のある時代を象徴するようなシンボルであったにもかかわらず、長く使われることが少ないものである。この、庶民生活にとっては忘れられない空間でありながら、時代とともに「使い捨て」られる建物のひとつとして、本書では大阪球場を中心に、野球にゆかりのある空間をとりあげていく。」(6頁)

「高度経済成長の時代を、読売ジャイアンツというチームや長嶋茂雄という人物をもって描こうとする人がいる。…略…長嶋の現役引退を、右肩上がりで国が豊かになった時代の終焉として捉えるのは、典型的な歴史記述といえよう。
 しかし、それは、歴史を限られた視点から圧縮した結果である。野球の歴史はプロ野球のそれだけをとってみても、それぞれの都市の独自のものがある。とりわけ、敗戦から高度成長にかけての時代だからこそ、希望と絶望が混ざり合う波乱に満ちた独自の歴史があった。捕鯨という漁業と、下関の歴史。それはホエールズという球団の誕生と成長にかかわる。広島の被爆とその復興の歴史は、市民球団カープというユニークなチームを生み出した。私鉄が都市の成長と大きくかかわった関西圏では、鉄道会社によって設置されたチームの消長が、約半世紀の歴史を語るうえでは欠かせない項目だといえる。」(8頁)

「読売を中心としたセントラル・リーグに人気の点で水をあけられ、プロ野球の歴史でも傍系に位置づけられることが少なくない。…略…マスメディア戦略、とくにテレビという媒体をうまく利用する構えと知恵があったかどうか。これは、企業が高度経済成長時代の苛烈な競争を生き延びることができたかどうかの分かれ目だった。パ・リーグ各球団はその戦略において明らかに拙く、セ・リーグの後塵を拝することになった。」(8頁)

第一章 戦前期のプロ野球と都市開発
 一 都市と野球
 二 スタジアムのある街づくり
 三 野球の興行化
 四 南海球団の創設


第一章
「広告塔としてのチーム」…日本の近代スポーツ史における学校と民間企業の役割=社会への定着化、
野球の場合…学生野球(東京六大学〔首都圏中心〕→高校選手権〔地域化〕)→社会人(都市対抗〔学生OBの地域対抗の色〕)→プロ野球

《メディア》
1925年のラジオ放送の開始も野球の地域定着を後押し。
大阪毎日、朝日両新聞社の主催行事

関西私鉄の「プロ野球」利用
「民」中心の郊外開発…沿線を開発し、多くの乗客を獲得することが狙い→住宅の分譲(阪急、小林一三)→沿線住民のサービスとしてのスポーツ施設→野球はスポーツ施設の活用法の1つ。

阪神、近鉄の郊外開発としての野球場建設(甲子園、藤井寺)
 阪神…1910(明治43)年、技術長・三崎省三によるコニーアイランドのような海浜リゾートを沿線につくるという発想→香枦園海水浴場(1907、明治40)、鳴尾浜運動場→1924年(大正11)中等学校野球大会に合わせて、甲子園大運動場完成(当時は野球専用を想定していなかった。)→地盤整備と水道整備の後、スポーツ施設、遊園地を設け、住宅地を建設することを計画→計画は昭和初期にずれ込む。

大屋霊城(*1) …「甲子園花苑都市」構想(1925年大正14年)
      1928(昭和3)年の博覧会跡地に29年甲子園南運動場、阪神パーク、30年に甲子園ホテル、37年に観客席のある国際庭球場がオープン
      
※大屋のプランを全面的に受け入れたわけではなかった。
      大屋…集客施設の住宅地の均衡のとれた田園都市風リゾート
      阪神…野球場を核としたスポーツ施設と集客施設群

「藤井寺花苑都市」藤井寺プラン←大阪鉄道(現在の近鉄からの依頼)
8間のメインストリートを中心とした区画整理をした住宅地、その中に古墳、野球場を調和させた「一大模範的田園都市」、上下水道、電灯、電話等「文化的施設」を整備。
藤井寺球場の横に「教材園」を設置(今風に言うと自然植物体験施設??)
小中学生の遠足を誘致→昭和8年経営状態の悪化により廃止。
《特徴》
労働者向けの住宅地にスポーツ施設、農場、菜園を併置する。

東の動き
1934(昭和9)年 大日本東京野球倶楽部(読売ジャイアンツの前身)が読売新聞の経営不振の打開策として、興行スポーツ業の目玉として作られる。
→日米野球開催のため(正力松太郎)、朝日の高校野球、毎日の都市対抗への対抗策

「武士道としての野球」から「興行ビジネスとしての野球」への転換を図る。
⇒読売の売り上げ部数拡大を成功させる。

新聞社と電鉄会社による職業野球のはじまり

1936(昭和11)日本職業野球連盟発足(7球団)
関西の私鉄…阪急、阪神、
新聞社…読売報知、国民新聞、新愛知新聞、名古屋新聞、
その他…武蔵野鉄道(西武の前身)
※鉄道、新聞…明治のニューメディア

・目的
新聞社…「野球」という興行イベントにより購読者を増やす
私鉄…沿線開発と乗客誘致

・違い
新聞…情報を動かして人に届ける。
鉄道…人間を動かして現地の情報に接触させる。

小林一三(阪急東宝グループ創始者)…住宅開発のみならず教育、娯楽分野を鉄道事業に関連づけ多面的な経営を展開。
・豊中運動場を建設し、中等学校野球を誘致
・大正時代、日本初のプロ野球宝塚野球協会(1920〜24)
・他のライバル私鉄を意識して、プロ野球事業に参入「西の早慶」を想定
・当初は大阪毎日と連携し、関西に「私鉄リーグ」をまず創設することを検討。
⇒読売が先行。
・1936年、鉄道事業直属課の扱いで「大阪阪急協会」を設立。
・1937年、阪急西宮球場が完成。
南海球団の誕生
すでに球団を持っていた阪神、阪急の説得により「乗客へのサービスと企業のイメージアップ」のため設立。→1938(昭和13)年

本拠地球場を持たず。=阪神、阪急との違い。→後々、営業スタイルが他の2球団と異なることになる。

沿線の堺大浜、中百舌鳥(*2)の使用=興行的に成り立たず。

1944年、戦時体制に入り関西急行と南海電鉄が合併し「近畿日本鉄道」となる。

(*1)1890年(明治23)福岡県生まれ。東京帝大農学部卒業。大阪府技師、都市計画地方委員会技師を歴任。大正期から昭和初期にかけて都市内における公園緑地の必要性を説いた理論家、関西を拠点に公園の設計にたずさわった造園学のパイオニア。
(*2)1936(昭和11)年に南海電鉄50年の記念事業として、約3万坪に及ぶ、テニスコート、陸上競技場、野球場などの総合運動施設建設計画がもちあがった。しかし、1939年完成したものの、戦時体制のため、計画の一部しか実現せず、野球場のスタンドも木造のものが設置されたにすぎなかった。

第二章 都心の故郷―大阪スタヂアム
 一 緑のチーム
 二 大阪スタヂアム

第二章
南海ホークスの誕生

1947(昭和22)年近畿日本鉄道が近鉄と南海に分離。
5月3日に近畿グレートリンクから「南海ホークス」にチーム名を変更。

球団旗は電鉄本社の社章に真似て鷹の羽ばたく姿に(大阪で活躍していた商業デザイナー今竹七郎(*3)、作)

ユニフォームは当時阪神も注文していた大阪の老舗運動具店である久保田運動具店(昭和11年曽根崎で創業)、ロゴもデザインしている。→1988年球団譲渡まで使用。

いよいよ本題 大阪スタヂアムの開場
南海ホークスには本拠地がなかった(甲子園、西宮を使用)…フランチャイズ制度(球団ごとに専用球場を確定させ、都市、地域ごとに興行権を設ける制度)=阪神、阪急は既に専用球場を持っていた。

太陽レーヨン社長 田村駒次郎の思惑…大陽ロビンスの本拠地を北区玉江橋に建設することを目論む→阪急、阪神の賛同を得られず断念→ロビンスは本拠地を西京極、衣笠に置くことで妥協。
阪神、阪急は南海が大阪での球場建設を条件にする→資金面とGHQの建設許可の問題があった。

難波を選んだ理由…@かつての中モズでの失敗。中心地から離れており、興行的に不利であったデメリットを解消するため。
A地元大阪のチームであるイメージの定着

南海電鉄難波駅南西側の専売工場跡地に決定。

GHQ経済科学局長・マーカット少将、日系2世の補佐官キャピー原田の「野球好き」が許可を後押し=南海ホークスが力をつけ、昭和21年、23年優勝していた=優勝しているチームにホームグランドがないのはおかしい!
※キャピー原田は鶴岡一人が中等学校時代のアメリカ遠征したときに印象に残る選手として覚えている。

1949(昭和24)年10月 大阪スタヂアム株式会社設立

大阪府からの助成金を得る(3年で4500万円を限度に)=当時入場料の100%(つまり半分)が税金で府の収入となったため
⇒「難波」スタヂアム、「南海」スタヂアムではなかったことが功を奏した。
「大阪スタヂアム」の名が地域性を重視している印象を与えた。

1950(昭和25)年1月16日着工、平面計画(南海電鉄建築部)、外観立面(坂倉準三事務所大阪出張所)、実施設計(竹中工務店、間組)

従来の球場と違う点…スタンド下部に5階建てのテナントビルを入れる。=多目的利用が可能になる。←小林一三の助言

1950年9月12日ついに開場(観客動員3万2千人)

複数チームの利用、都心型スタジアムのメリット
・大阪府が助成しているため
・独立採算のため多くの興行を行う必要性
・1951年の夜間照明を設ける…甲子園、西宮はこれより照明施設の設置が遅れるため、大阪球場を借りてナイトゲームを行っていた。
・当時はまだ都心に人が住んでいた→近い!

チームの成績も好調で「東の巨人」、「西の南海」、「九州の西鉄」となった。

都心ならではのファンサービス
・ボックス席、年間シートを設け、接待や仕事帰りの娯楽を意識した商戦にでた。
・ミス大阪球場という女性案内係を配置(1955年から62年)

大阪タイガースの利用
・開場後、関西の4球団が大阪球場を利用していたが、集客力のあるタイガースが大阪球場を利用
※1952年 南海が66万人、阪神が32万人を大阪球場で動員。

多角経営
「健全な娯楽」を提供するために、1951年ビリヤード、インドアゴルブ
                  52年にはアイススケート場を隣接
                  54年には卓球場、文化会館を設置。

《感想―永田》
・都市を創造するという一環にプロ野球や球場建設、球場も総合スポーツ施設や娯楽施設の核として位置づけることは今でも斬新である。

・大阪球場はこれまでの阪急、阪神、近鉄が推進した郊外型総合スポーツ施設としての球場の利用とは異なる形態をとることになった点は特質である。

・現在、関西の私鉄はスピード競争に破れ、JRの後塵を拝しているが、復活するヒントがここにあるのではないか?ネットやメディア会社などと提携し、沿線のレジャー情報や住宅情報を発信し、イメージ戦略を充実させた上で新たな沿線田園風都市創造を行うべし!

・南海、近鉄もっかい球団を持とう!

・研究としてみた場合、本書は新聞、社史、自伝、球団史など割とオーソドックスではあるが、まとめ方の斬新さ。中身の面白さが窺える。

・あえて欠点を見つけると、話が少々飛びすぎの感がある??

(*3)今竹はその他、高島屋での仕事、関西電力やOバンド、メンソレータムのロゴをデザインしている。

第三章 栄光の日々―御堂筋パレード
 [エッセイ1]大阪球場へのレクイエム
第四章 応援という行動―ファンという生き方
第五章 パ・リーグ哀歌
 一 球場の多角経営とファン・サービス
 二 鶴岡から野村へ
 三 パ・リーグの苦悩
 四 シンキングベースボール
第六章 閑古鳥の巣
 一 ファンとの回路
 二 球場と周辺の改造
 三 低迷時代
 四 打開策
 五 応援風景の変化
 [エッセイ2]夢の跡
第七章 二都物語―その後のホークス
 一 大阪から福岡へ
 二 スタジアムと都市開発
 三 受け継がれたもの
あとがき
文献リスト
ホークス年度別成績表


作成:永田貴聖(立命館大学先端総合学術研究科)・山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科)
UP:20070128 Rev:20070129,0308 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/shitetsu.htm

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