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大学/学生運動

社会構造論/制度(史)論  ・世代論/文化論  .・社会運動論  ・運動(史)研究  ・運動論/回顧  ・資料等


社会構造論/制度(史)論
◇越生忠 19740420 『これからの大学』(朝日選書9) 朝日新聞社
 目次
第一章 問われ始めた大学存立の意義
    解体論・無用論の登場
    解体論を支える思想
    深刻化する大学の危機
第二章 激動の大学に身をおいて
   東大から和光大学へ
    一 研究室の精神的退廃
    二 権威主義の根源にメス
    三 東大をすてる
   和光大学での教育実践
    一 二足のわらじ
    二 私のレポート教育
    三 学生気質の変化をどうみるか
    四 壁を破る試み
第三章 大学の歴史と現状
   大学の歴史的な問題
    一 日本の近代化と大学教育
    二 戦後における高等教育制度の改革
   現状と今日の問題
    一 大学の現状
    二 問題の所在
第四章 全国大学闘争と改革
   全国大学闘争でなにが問われたか
   流産した自主改革案
    一 欺瞞的な自主改革案
    二 冷却した大学人の改革熱
   うれうべき中教審路線の改革
    一 独走する上からの改革
    二 中教審構想の問題点
   筑波大学の本質をどうとらえるか
    一 すれちがう論議
    二 どう運営すべきか
第五章 大学の新生を求めて
   これからの教育のあり方
    一 不毛な教育論争
    二 教育の役割とあり方
   大学のあり方と大学人の役割
    一 新しい大学のあるべき姿
    二 創造への道すじ
    三 大学人としての役割
   あとがき

◇梅根悟 19661220 『私の大学論』 誠文堂新光社
はしがき
 T 大学の本質と大学制度
  大学制度論
  大学と単位制度
  大学自治と国家権力
  大学管理の再検討ということ
  大学自治の危機
  学問と教育と学習の自由
  大学制度改革への提言
  学生スト
  現代青年と大学
  シンポジウム・大学の理念と革新の展望
  対談・大学の再建
 U 教員養成大学の問題
  教員養成制度の改革
  教師の質・教育の質
  学芸大学の理念をさぐる
 V 私立大学の問題
  私学の存在意義
  私立大学の授業料問題
  早稲田騒動の底にあるもの
  私立大学の未来像
 W 和光大学の創立をめぐって
  和光大学
  沢柳先生と和光大学
  和光大学の存在意義
  和光大学の教育方針(草案)
  和光大学第一回入学式における学長告辞
  大学草創雑記(一)
  大学草創雑記(二)
 X 日本の大学

◇大学問題研究会編 19700110 『日本の大学問題(U)』 世界思想社
 目次
監修にあたって 末川博
 第一章 大学紛争の現状
  一 紛争の現状
  〔一〕全国の紛争大学一覧
  〔二〕紛争大学の入学式から一ヶ月の動き(西日本の15校)
  〔三〕紛争大学の学長交代(昭44・1・1〜6・9)
  〔四〕大学紛争に関する学長の意見調査
  二 文部省次官通達
  〔五〕文部省次官通達/大学内における正常な秩序の維持について
  〔六〕新次官通達に対する意見
  三 世論調査よりみた大学問題
  〔七〕国民一般の世論調査
  〔八〕大学生一般の世論調査
 第二章 中央教育審議会答申案
  一 中教審中間報告「学園における学生の地位」
  〔一〕文部省/中教審中間報告のための原案
  〔二〕中教審中間報告「学園における学生の地位について」草案
  〔三〕中教審中間報告に関する意見
  二 中央教育審議会答申案
  〔四〕中教審答申案「当面する大学教育の課題に対応するための方策について」
  〔五〕中教審答申案に関する意見
  〔六〕中教審答申案と東大改革案の対比
 第三章 大学改革案
  〔一〕東大・大学改革準備調査会/組織問題専門委員会「大学の管理組織改革の問題点」
  〔二〕東京大学改革準備調査会本委員会「大学における学生の役割と権利」
  〔三〕日本学術会議大学問題特別委員会「大学問題についての中間報告」
  〔四〕日経連/直面する大学問題に関する基本的見解
  〔五〕自民党文教制度調査会/教育改革試案
  〔六〕社民党/大学改革試案(山中試案)
  〔七〕民主社会党/大学基本法案要綱
  〔参考〕文部省/内科法制局(秘)統一見解
       文相の学長任命権「教育公務員特例法第10条」の解釈について
  〔八〕大学側の改革案概要
  〔九〕諸団体側の改革案概要
  〔参考〕各国のおもな学生参加
  〔参考〕立命館方式
 第四章 大学立法をめぐる動き
  一 政府・各党の大学政策
  〔一〕大学問題に関する各党見解
  〔二〕議事録より見た大学問題
  二 大学紛争処理法案
  〔三〕大学問題専門委員会/大学問題の解決についての試案
  〔四〕文部省/大学紛争処理法案(第一次案)骨子
  〔五〕大学紛争処理法案についての所見
  〔六〕社会党/当面の大学問題に対する党の方針
  〔七〕公明党/学園民主協議会大綱
  〔八〕自民党/文教合同会議案
  〔九〕大学紛争処理法案―政府原案
  三 大学の運営に関する臨時措置法
  〔一〇〕大学の運営に関する臨時措置法
  〔一一〕臨時措置法案についての政府の説明
  〔一二〕大学運営臨時措置法案についての所見
  〔一三〕東大/法的側面からみた大学立法の問題点
  四 臨時措置法の施行その後
  〔一四〕臨時措置法施施行に伴う文部次官通達
  〔一五〕「重症紛争大学」一覧
 付録
  戦後教育と大学の変貌 末川博

◇戦後大学史研究会(代表・大崎仁) 19881031 『戦後大学史―戦後の改革と新制大学の成立』 第一法規出版
 目次
まえがき
第一章 学校教育法制定による新大学制度の成立過程
 一 学校教育法と大学制度の変革
 二 アメリカ教育使節団と日本教育家委員会の活動
 三 アメリカ教育使節団報告書の考え方
 四 日本教育家委員会報告書の考え方
 五 教育刷新委員会の審議と建議
 六 学校教育法案の立案過程
 七 学校教育法制定後の教育刷新委員会の動き
 八 学校教育法による大学制度改革の評価
座談 学校教育法の制定をめぐって
 安嶋彌氏に聞く
 加藤一雄氏に聞く
第二章 大学基準の成立と新制度の確立
 一 大学基準の制定過程
 二 大学基準の性格
 三 大学基準の内容
  1 講座制
  2 一般教育
  3 単位制
 四 大学基準の改定
  1 専門科目
  2 講座制
  3 体育
  4 一般教養科目の履修要件
  5 外国語
 五 大学設置委員会の発足と新制大学の設置認可
 六 大学基準協会の発足と適格判定の実施
座談 大学基準の制定をめぐって
 村山松雄氏に聞く
 加藤一雄氏に聞く
第三章 新制大学の発足
 一 新制大学発足に関する米国側の示唆
 二 大学法試案要綱
 三 新制国立大学実施要綱(国立大学設置の11原則)の策定
  1 1県1大学
  2 国立大学地方委譲問題
  3 教養及び教育に関する学部等
  4 女子教育
  5 公立学校の国立移管
  6 設置審査
  7 学生の受入れ
 四 短期大学及び大学院
  1 短期大学
  2 大学院
 五 新制大学再編成の評価
座談 新制大学発足のころ
 村山松雄氏に聞く
新制大学発足の頃の思い出
 新制大学発足当時の設置審査事務 岡田参郎
 一県一大学制発足の苦悩 重倉a祐
 東京商船大学の移管 鞠谷宏士
 白線浪人救済のための統一試験の実施 森和夫
第四章 管理運営方法の摸索
 一 旧制度での管理運営の実態
 二 第一次米国教育使節団報告書に示された方向性
 三 学校教育法の成立
 四 大学の地方委譲問題に対する反応
 五 大学法試案要綱の公表
 六 試案要綱問題の経過
 七 教育公務員特例法の成立と新制大学の発足
 八 国立大学管理法の提案
 九 国立大学管理法の内容
 十 国立大学管理法をめぐる論点
座談 管理運営方式をめぐって
 村山松雄氏に聞く
第五章 新私立学校制度の成立過程
 一 戦前の私学と私立学校令、大学令
 二 米国教育使節団、教育刷新委員会と私学
 三 教育基本法、学校教育法と私学
 四 日本私学団体総連合会の結成
 五 私学総連の私立学校法案
 六 政府案の立案
 七 公の支配(憲法89条)と助成
 八 閣議決定案の修正と私立学校法の制定
座談 私立学校法の制定
 加藤一雄氏に聞く
 安嶋 彌氏に聞く

◇大崎仁編 19910825 『「大学紛争」を語る』 有信堂
 目次
はしがき
 1 慶応義塾大学の紛争―石川忠雄
  学費値上げとその背景
  値上げ反対運動の展開
  収拾後の動き
  永沢執行部の発足
  米軍資金問題の発端
  大学の対応
  自主的解決へ
  紛争を顧みて
 2 早稲田大学の紛争―清水司・藤田幸男
  紛争前夜と学生会館問題
  学費値上げ発表と全学スト突入
  学内の動向
  入試前の収拾努力
  大浜総長の辞任
  第一次紛争の終結
  第二次早大紛争
  総長選挙規則の改正
  改革の動き
  学生の変化
  理事会と教授会
  第二次紛争終結後の動き
  紛争を振り返って
 3 日本大学の紛争―高梨公之
  紛争の発端
  紛争の拡大
  改革案の提示
  仮処分と封鎖解除
  両国講堂での「大衆団交」
  収拾と改革
 4 東京大学の紛争―加藤一郎
  紛争の初期
  機動隊導入と紛争の激化
  学生側の状況
  大河内総長退陣
  総長代行の選任
  加藤執行部の発足と林文学部長軟禁事件
  全学集会への努力と学生間の対立
  七学部集会の開催
  確認書をめぐって
  警察導入前夜
  安田講堂の封鎖解除
  入試問題との関連
  確認書の取扱い
  東大パンフ・矢内原三原則廃棄の意味
  総長選挙
  改革の動き
  大学紛争の意味
 5 政府・文部省の対応―齋藤正
  大学志願者急増と私学助成
  九大ファントム問題など
  閣僚懇談会から中教審緊急諮問まで
  入試問題への対応
  東大入試の中止
  入試中止後の動き
  紛争のなかで
  大学紛争が残したもの
 6 大学運営臨時措置法―村山松雄・清水成之
  法律立案の経緯
  中教審答申と法律案
  法案をめぐる論議
  臨時措置法の成立と施行
  影響と評価
 7 京都大学の紛争―奥田東・岡本道雄・上柳克郎
  総長就任のころ
  学生部封鎖
  自主防衛と封鎖実力解除
  八項目要求の「総長団交」
  入試阻止闘争への対応
  紛争の拡大・長期化
  機動隊の導入と封鎖解除
  学内体制
  授業再開へ
  紛争を顧みて
  大学の変化
 8 広島大学の紛争―飯島宗一
  紛争の前兆
  広大紛争のはじまり
  学長就任と学長団交
  紛争収拾
  教員層の動向
  大学側の問題点
  学外の動き
  国際的な流れのなかで
 9 中教審答申と大学改革―天城勲
  60年安保と所得倍増計画の影響
  中教審の38年答申
  次官就任前夜
  緊急答申と臨時措置法
  中教審の46答申
  大学改革の流れ
10 戦後大学の歩みと「大学紛争」―大崎仁
  戦後の改革
  大学管理をめぐる動き
「そして昭和24年の教育公務員特例法による教授会の人事権の保障などの暫定措置が継続し、教授会自治を中心とする戦前の大学自治の理念と慣行が、そのまま新制大学に受け継がれていく結果となりました。昭和26年の大学管理法案の挫折をもって、新制大学の形成期が終わったと見てよいと思います。」(p.282)

  高度経済成長と大学の拡充
  大学紛争
「戦後あの紛争にいたるまで、激しい学生運動が何回も展開されましたが、あの紛争ほどわが国の大学の歩みに大きな影響を与えたものはありません。それは、あの紛争がそれまでとはっきり違った性格をもっていたからだと思います。」(p.286)
「まず挙げられるのは、大学自体が学生の闘争の対象になったということです。もちろんそれまでも、学費値上げ反対とか、学生処分撤回とか、自衛官入学反対とか、大学当局を対象とした学生運動はいくらでもありました。しかし、大勢としては運動の目標は大学の外の政治的動きに向けられていて、学生の気持ちの奥には、多少なりとも先生方との連帯感、大学との一体感というものがあったと思います。しかしあの紛争では、直接の引き金となった問題は従来の学内紛争と大差ない場合でも、一度紛争がはじまると『大学解体』のスローガンが象徴するように、大学自治、学問の自由の理念までも含めて、それまでの大学のあり方自体が否定され、攻撃の対象とされました。そんなことはそれまでになかったことです。」(p.286)
「第二に挙げられるのは、紛争の幅の広さと規模の大きさです。たとえば60年安保のころ、近い将来慶應や日大で全学無期限ストが起きると言ったら、何人の人が本気にしたでしょうか。あの時期の紛争は、それまで学生運動と縁の薄かった多くの大学をまきこんで、前例のない広がりを見せました。あの時期に、程度の相違はあっても、なんらかの紛争を経験しなかった大学はほとんどなかったと言っても、言いすぎではないと思います。」(p.286-287)
「第三に挙げられるのは、手段の厳しさ、つまり著しい暴力的傾向です。それまでの単なる授業放棄などの方法をはるかにこえて、学長、学部長に対する『大衆団交』の強要・軟禁、バリケードの構築、長期にわたる施設の占拠、設備の破壊、学生の党派間での暴力による主導権争いなど、かつて想像もできなかった過激な手段が学園内で日常化しました。」(p.287)
「第四に、以下述べた特徴と深くかかわっていることですが、全共闘方式による運動が出現し、それがそれまでにない多くの学生と一部教職員を引きつけて中心的役割を演じたことです。全学共同闘争会議等の名称のもとに組織化されたこの新しい学生運動の形態は、それまで学生運動を主導してきた共産党などの既成党派に対する強い不信感、学生自治会の党派的運営に対する反発、戦後民主主義に対する信頼感の喪失などから生まれた直接参加・直接行動の運動組織であり、あの時代の紛争を象徴する存在でした。」(p.287)

  紛争の原因
  紛争後の大学改革
「よく、紛争によって大学はなにも変わらなかったとか言われますが、それはフランスなどのように一律の改革が実施せず、従来どおりのあり方を認めながら漸進的改革を推進したからで、紛争後の大学改革は、戦後の改革以来の広がりと重さをもっていたと思います。たしかに各大学でつくられた膨大な改革案の大部分は実現しないままにほこりにまみれていますが、それでもその改革案をつくり上げた努力がそれぞれの大学の教育研究のあり方になにがしかの影響を及ぼしたことも事実です。大多数の大学人の無関心が戦後の改革を未消化なものにしたことを思うと、あの時期に多くの大学で戦後の改革の意味や大学のあり方について、初めて全学的に真剣な検討がおこなわれた意味は大きいと思います。」(p.294)
「紛争後の改革の動きは、昭和56年の臨時行財政調査会の設置にはじまるいわゆる行財政改革の開始によって一応の終幕を迎えます。しかし、あの紛争からはじまった大学の見直しが、昭和59年からの臨時教育審議会、さらにはそれを受けて新設された大学審議会を中心とする改革論議につながっていることはまちがいありません。」(p.294)

  終わりに
参考文献

◇大崎仁 19991130 『大学改革 1945〜1999』 有斐閣
 目次
第T部 占領下の改革と新制大学の形成
 第1章 占領下改革の背景
   1 占領の開始
   2 大学再建の動き
   3 米国教育使節団の勧告と教育刷新委員会の発足
   4 改革前の高等教育
 第2章 新制大学一元化過程の謎
   1 常識の誤り
   2 推進主体不明
   3 学制改革推進の構図
   4 日本教育家委員会報告書の謎
 第3章 日本教育家委員会の改革案
   1 改革案の考え方
   2 改革案の背景
   3 教育改革同志会の影
   4 東京帝国大学の動き
 第4章 教育刷新委員会の論議と新制大学の法制化
   1 新大学のイメージ
   2 新制高等学校のイメージ
   3 旧制高校の位置づけと柔軟な建議
   4 CIEの強硬姿勢と一元化の法制化
   5 教育刷新委員会最後の努力
 第5章 新制大学像の形成
   1 CIEによる学校教育法案の修正
   2 マスター学位をめぐる日米間ギャップ
   3 「大学設立基準設定協議会」の登場
   4 CIEの大学構想
 第6章 大学基準の策定と教育課程の枠づけ
   1 アクレディテーション制度の提示
   2 基準の性格をめぐる混乱
   3 大学基準協会の創立と大学基準の決定
   4 擬似アクレディテーション導入の疑問
   5 CIEの戦略
 第7章 「一般教育」の義務づけと課程制大学院の導入
   1 教育課程の枠組みと一般教養科目
   2 一般教育強化の基準改訂
   3 CIEの独善
   4 「一般教育」混迷の源
   5 課程制大学院の導入
 第8章 新制大学の発足
   1 「日本における高等教育の再編成」
   2 12大学の抜けがけ
   3 国立大学の地方委譲問題
   4 国立大学設置11原則
   5 新制大学の発足
 第9章 大学管理問題
   1 国立大学管理問題の発端
   2 大学法試案要綱の提示
   3 大学法試案の大学管理方式
   4 日本の大学自治
   5 日米大学自治観のギャップ
   6 CIEの挫折と暫定管理制度の定着
 第10章 私学制度の確立
   1 私学制度改革の動き
   2 学校法人法構想
   3 私立学校法の制定過程
   4 CIEの介入
   5 私立学校の自主性の確立
 第11章 占領下大学改革の評価
   1 責任主体なき改革
   2 占領下大学改革の評価
   3 負の遺産
第U部 独立回復後の大学改革と大学像の模索
 第1章 独立後の改革見直し
   1 文部省の復権と大学設置基準の制定
   2 画一化批判と種別化論
   3 高等専門学校制度の創設と短大制度の恒久化
   4 高等教育再構築の動き
 第2章 大衆化の進行
   1 大衆化の出発点
   2 マンパワー・ポリシーの登場
   3 私学拡充の自由化
「もっとも、既述(第T部第10章)のように、私立学校法では、大学・学部の設置までが認可事項であり、学科の設置改廃や、学生定員の変更などは、認可の対象から外されていた。それを文部省は、新制大学認可の際に共通条件を付して、実際上認可に等しい文部大臣への協議を義務づけていたのである。それは、私立大学の基準維持のためには有効な方法であり、それゆえに、私学側も容認してきたのであろう。しかし、法律の裏づけなしに、認可条件のみで長期にわたって協議を義務づけるのは、もともと法制上無理がある。この協議制度は遅かれ早かれ崩れざるをえないものだった。」(p.216)

   4 私学中心の急増対策と私学経営の性格変化
   5 私学中心の大衆化
   6 臨時私立学校振興方策調査会
 第3章 「大学紛争」
   1 大学紛争の始まり
   2 大学紛争の本格化
   3 異質な学生運動
   4 紛争の原因
「もちろん、単に世代間ギャップや大衆化だけで、学生のあのような激しい行動が起こるわけではない。大学の急速な拡充、学生の著しい増加が、教育条件の悪化と学費の高騰を招き、学生の間に大学に対する不満が鬱積していたことは、想像に難くない。日本の大学紛争が、私立大学の学費値上げ反対から始まったことは、きわめて象徴的である。さらに、大学が占領下の改革を消化できず、旧制の意識と新制の制度が乖離、混在し、教育機能を低下させていたことが、学生の不満を一層増幅していた。多くの大学で一般教育担当の教養部が紛争の中心になったこともまた、偶然とは思われない。(改行)占領下の大学改革から積み重なった我が国大学の矛盾の集積が紛争の根底にあった。」(p.244)

 第4章 大学紛争の収拾と改革の動き
   1 政府・文部省の対応
   2 大学運営臨時措置法の制定
   3 紛争の収拾過程
   4 改革の動き
 第5章 紛争後の大学改革
   1 中央教育審議会のグランド・デザイン
「さらに、国・公立大学が、広義の行政機関としての性格を持つことが、大学の自律性と自己責任の妨げになっているとして、『公的な性格を持つ新しい形態の法人』にするか、『学外の有識者を加えた新しい管理機関を設け、これに大幅な権限を委任する』か、いずれかを選択できるようにすることを提言している。この提言が国立大学法人化論の始まりである。なお、新管理機関方式は、占領下の『大学法試案』の管理委員会構想に酷似している。」(p.263)

   2 文部省の改革路線
   3 教育課程の弾力化
   4 大学院制度の確立
   5 筑波新構想大学の創設
 第6章 私学政策の転換と高等教育計画
   1 高等教育計画と私学政策
   2 私大経常費補助の開始
   3 私立学校振興助成法の制定と私学政策の転換
   4 初めての高等教育計画
   5 後期計画の変質
 第7章 臨時行政調査会から臨時教育審議会へ
   1 臨調行革と紛争後改革の終焉
   2 臨時教育審議会の改革構想
   3 管理・財政問題の提言
 第8章 大学改革の新段階
   1 大学審議会の発足
   2 教育課程の自由化
   3 大学院の拡充政策
   4 大学院の独立性と「重点化」
   5 評価問題の登場と展開
   6 教員任期制の導入と学内管理システムの整備
 第9章 大学像の模索
   1 大学のボーダレス化
   2 科学技術政策のインパクト
   3 「21世紀の大学像」
   4 大学像模索の方向
索引―巻末
◇中野実研究会編 20050515 『反大学論と大学史研究―中野実の足跡』 東信堂
 目次
はしがき
第一部 序
座談会 中野実の人と仕事…寺崎昌男・新谷恭明・久田邦明・米田俊彦/司会 駒込武
「(久田)ニヒリズムって言われたけど、確かに私もそれは感じます。というのは、社会教育の世界でいうと、自由大学運動が一時期すごく関心を持たれていた。私も関心を持っていたけれども、学生に語っても、それが『もうぜんぜん通じない時代だな』って思った時期があるんですよ。『大学っていうものの社会的な位置が変わっちゃったんだ』という風に思った。それまでは学生と一緒に、上田の自由大学が誕生したところへ一緒に行って、本堂で話しをするということもあったわけです。でも、もうそれは通用しない時代。ただそこで思うんだけど、人々の願いを受けとめるはずなのに、そうなっていない『現場』というのはどこにもあると思うんですよ。大学が当時ちょうど槍玉に挙げられるにふさわしい位置にあったのだと思います。そういうところは、今でもある。まずいのは、全共闘とか大学闘争のその後を見ると、そのことがはっきりした形で継続されてこなかったことです。」(p.22)

一九七〇年代の中野実
 はじめに
 一、自主講座運動
「(一)中野は五十嵐良雄編『続学生・単位・教師』(現代書簡、1973年11月)に『立教大学自主講座設置運動の軌跡』(107頁〜)を寄せている。1972年度の秋から冬にかけて立教大学文学部教育学科において自主講座設置運動(具体的には『教育原論』という科目を設置し、その担当者に五十嵐良雄氏を招くことを要求する運動)が高まった。運動は目的を果たせずに終わった。中野はその運動にかかわる記録文書を多数紹介する形で右の文章を書いた。また中野は、『自主講座・批判的継承のために』(144頁〜)を立教大学教育研究会内螺旋編集委員会が編集発行した『螺旋』通巻一号No.2(1973年11月)に掲載している。右の二つの文章において、仮に学生にとってどれほど望ましい授業を自主的に開講し、かつそれを正規の科目としてカリキュラムに位置づけることができたとしても、大学やそのシステムを解体しない限りは、本質的には何も変えられないという運動の限界を指摘している。にもかかわらず、中野はなぜ74年の東大における自主講座の中心にいたのだろうか。そのことを中野自身が説明した文章は、今のところ見当たらない。『自主講座』という形式ではなく『大学論』という内容に意味を見出したのであろうか。」(pp.32-33)
「『現教研通信』の第三十四号(1975年8月、実際は1976年7月21日発行)に所長の五十嵐良雄が『自主講座運動に関する念い』と題する論考を掲載している。もともと五十嵐自身、自主講座運動の推進者であり当事者でもあったのだが、この文章では、『今、全国各地で展開されている自主講座運動は、私たちの志向した自主講座運動とは、全く異質のようである。なぜなら、そこには、念いがなく、関係も断ち切られており、共有する運動や活動も志向されず、一種の流行や風景として行われている』からであると批判している。中野はこの研究所の所員であった。中野自身の言葉ではないが、中野と五十嵐の関係の深さを考えれば、中野が自主講座運動から離れた時の思いを強くうかがわせる文章である。」(p.34)
「(五)中野が百年史編纂の仕事に従事するようになった後の1980年2月24日、いくつかの大学で自主講座運動を担っている人たちを集めての座談会が自主講座『大学論』実行委員会の主催で開催された。ここに中野は現代教育研究所から出席している。そこで中野は次のように発言している。
 『人民が大学を奪取しなくちゃいけない、特権的な学生がやってちゃいけないんじゃないか』っていう論に、いつも僕たちばぶつかったわけです。しかし、その様な客観的な論理・図式があって、それに対して独自の運動をすすめていくとき、"制度としての学生"ということに僕は問題を焦点化させたいと考えてるんです。学費を払い、授業に出、単位をとる者が"学生"だと思うんです。学ぶということは、人間すべてがそうなんです。だから、僕が考えているのは、"制度としての学生"どういう形で大学内で運動できるか、大学を解体できるか、ということなんです。そこに、さっきのよう客観的図式がでてくると一歩も進まないんです。(改行)そもそも大学なんか人民の側にたったことなんか一度だってないんですよ。そしたらそこからは何も出てこないということになっちゃう。そうじゃなくて、"制度としての学生"にこだわることの中から、単位認定権や成績評価権にのっかるんじゃなく、食いつぶしていくんだっていうことです。
 」(pp.36-37)

 二、現代教育研究所
 三、書評活動
 四、一般雑誌への執筆活動
 五、『現教研通信』の編集担当
 六、近代日本教育史料研究会と「かわら版」
 おわりに
(注)―4(p.60)
「『・・・管孝行の、敗戦以降の学生運動を思想史的観点から捉えようとした試みが、編集子に、なにも得るところがなかった原因は、制度として学生を位置づけられていないからであった。視点、関心を異にしながらも、二/二四の大学論自主講座交流会においてもこの点に注意を払うものは一人もいなかった。』と書いている・・・。この頃の中野がなお制度としての大学を内側から『食いつぶしていく』論理を摸索していたことがうかがえるが、その摸索の出口が見えているようには読めない。」

第二部 一九七〇年代の「反大学」論・教育批判論
 第一章 「反大学」論
  1 現代教育研究所関係
   1 「子供のため」へ一言
   2 労学連続アッセンブリーアワーいろいろ
   3 さらに深く潜行せざるを得ない―「続学生・単位・教師」について
   4 私の現教研にむけて
   5 日教組第二三回全国教研大会見聞録
   6 NEIの活動に関連して
   7 『現教研通信合冊版』と『吉本をどう捉えるか』(仮称)の宣伝文
   8 トンネルの出口は
   9 大学論序説T〜V
「大学の教授・研究者が大衆の秩序意識にのり、決してそれと対決することなく、ひたすら学問・研究を意味づけし生活過程を捨象していき、大学の職階制をのぼり社会的プレステイジを得ていく過程は決して大学論の対象にならないのが、彼らの発想であり研究のあり方である。」(p.89)

   10 大学論序説
「すでののべてきたことが、全共闘圧殺以後の、『正常化』された大学は、腐敗菌を底に充満させながらも『新しい』理念、目的の模索を、学生を巻き込むようにして始めている。カリキュラム、教授会へ学生を参加させる路線はそのひとつのあらわれである。大学の日常にあって、教師はよく教えるようになり学生はよく学ぶようになっている。」(p.94)

   11 反大学からの遡及
「『「反大学」』誕生の経緯と思想」という仰々しい題名であるが、内容は自主講座運動から反大学(運動)への転位の軌跡をなぞったものである。わたしが考えて、前史としての自主講座運動のひとつの特徴は大学のアカデミズムに対抗してより先進的な学問を学ぼうとした点にある、と思う。結局、それは教養の枠に逆規制されて講義の代行物になったり、あるいは参加した者の初発的動機といったものを、たとえば大学の講義に対する異和を掘り下げることはできなかった。(改行)反大学は、自主講座運動の持っていた限界―学問内容の先進性を追求することに目を奪われて、学問(研究)行為のよってたっている人間的基礎から掘りおこし、学問、大学を変革しようとしなかった点―を、まさに課題として真正面からとりあげたのである。(改行)反大学の前史は自主講座運動であるが、その直線的な延長上に位置づけられないものであったし、あるのである。」(p.98)

   12 反大学の思想から2
   13 反大学の思想から(3)
   14 反大学の思想から(4)
  2 立教大学関係
   1 立教大学自主講座設置運動の軌跡
「自主講座、自主ゼミをなぜやるかというと、現実の授業の中で満たされないからであり、それは、我々自身の課題と教授の課題があわないからである。我々自身の課題は我々自身で追求していかねばならない。だが自主ゼミがいくら勝手になされようと、カリキュラム体系、現行学問、教育体系自体は何ら痛くも痒くもない。悪い授業の補完物となってしまうかもしれない。」(p.119)
「自主講座運動が大学改革につながるかどうか、解体につながるか否かの論議は無意味である。僕らは『これが革命につながるのだ』といった確信の下に闘った覚えはない。もしあるとしたら、今闘っているこういう行為こそが革命だということだった。それが一体、何なのか訳はわからなかったけれども、自らの情念につき動かされて行動したし、感性が情況を鋭くとらえていた。いかなる思想云々はえらい人はどうかしれないが、僕らにとってはみんな後付けであった。あの時、僕らは確かに生きていた。それで十分だった。(改行)あれが誤りであったのか、方針がちがっていたかなどという論議にはあまり関心はない。個有の総括があり、やったことを背負い、今どう引きうけていくのか、という一点に於てこそ論議はせねばなるまい。法学部自主講座が単位認定権、評価権あたりが厳密でないにもかかわらず、自らの主体をきたえ、学びたいものを自ら学ぶ、それをこの大学でもやるということであり、結果的にカリキュラム体系を撃つことになっていくのかもしれないし、自由な空間の拡大になるかもしれないし、逆に包摂され、補完物となっていくのかそれはやはり結果なのである。」(p.137)

   2 自主講座・批判的継承のために
  3 市販雑誌掲載の論考
   1 マンガチックな構図
   2 大学への問い―文献解題
   3 裁判としての東京大学論―大学順列体系の頂点に君臨する怪物を告訴
   4 「反大学」誕生の経緯と思想―ゼロ地点に立つ大学生はこれからどこへ行くのか
   5 「私学抬頭の」の虚説と実説―大正期に見る『大学改革』の研究から
   6 大学環境論事始
   7 予備校―風化地帯の情念の府―現在の予備校にレーゾン・デートルを探る
   8 天国の会話たる大学論の現状―大衆の幻想をもかかえ込むような大学論への期待
   9 新しい世界への問いかけ
 第二章 書評による教育批判論・大学批判論
  1 『図書新聞』掲載の書評
   1 永井憲一『国民の教育論』
   2 生越忠『これからの大学』
   3 三好信浩『イギリス労働党公教育政策史』
   4 本山正雄他『日本の教育批判』
   5 槙枝元文『日本の教師たち』
   6 石倉一郎『教師聖職論批判』
   7 望月一宏『昼下がりの教員室』『孤独な教室』
   8 尾形憲『学歴信仰社会』
   9 天城勲他『大学設置基準の研究』
   10 内田宜人『教育労働運動の進路』
   11 高田昭彦他訳『青年の異議申し立て』
   12 尾形憲『教育経済論序説<私立大学の財政>』
   13 前山隆『非相続者の精神史』
  2 『としょ』所収の記事
   1 新堀通也「アカデミズムと出版ジャーナリズム」
   2 ルック社編集部『学歴拒否宣言』
   3 読売新聞社編『大衆大学』
   4 『流動』「全国大学卒業論文一覧発表」
   5 本多顕彰『知識人の地獄極楽 大学教授』
   6 『現代教育論批判序説』
   7 アカデミズムとジャーナリズムの交流(U)
   8 尾形憲『私立大学』
   9 宮川透他『日本近代哲学史』
 第三章 「かわら版」主要記事
   1 福原鐐二郎関係資料について
   2 久保田譲文書の概要
   3 教育調査会の史料について
   4 教育調査会の史料調査について(一)
   5 辻新次について
   6 手島精一教育関係史料について
   7 菊池大麓「閑話」題目一覧
   8 久保田譲関係文書目録(稿)一
   9 久保田譲関係文書目録(稿)二
   10 手島精一関係史料について(二)―教育調査会関係資料目録(一)
   11 手島精一関係史料について(三)―教育調査会関係史料目録(二)完
   12 手島精一教育関係史料について(四)―臨時教育会議関係(完)及びその他の史料目録
   13 手島精一教育関係史料について(五・完)―その他の史料目録(二・完)
   14 水野直教育関係文書:教育調査会事項(一)
   15 水野直教育関係文書:教育調査会事項(二)
   16 水野直教育関係文書・教育調査会事項(三)
   17 調査会事項(四)―水野直教育関係史料
   18 水野直教育関係文書・教育調査会事項(五)
   19 水野直教育関係文書・教育調査会事項(六)
   20 水野直教育関係文書・教育調査会事項(七)
   21 水野直教育関係文書・教育調査会事項(八)
   22 水野直教育関係文書・教育調査会事項(九)
   23 水野直教育関係文書(一〇)
   24 『自第八回至第十一回 高等教育会議決議録 完』の紹介(一)
   25 『自第八回至第十一回 高等教育会議決議録 完』の紹介(二)止
   26 水野直教育関係文書・教育調査会事項(一一)
   27 教育調査会、一九一五年の賛否両論
   28 『自第六回至第七回 高等教育会議決議録 完』の紹介
   29 辻新次と沢柳政太郎
第三部 回想・追悼文集
 中野実君のこと―出会ったころ/寺崎昌男
 人生のなかの出会い/五十嵐良雄
 見事な人生だった/久田邦明
 雁の声―中野実さんについての一、二の思い出/又重勝彦
 中野実君のこと/福山清蔵
 遠い闘争宣言/新谷恭明
 『私が私であるために』…中野実くんへ/水嶋純作
 中野実君追悼/宇井純
「今振り返ってみて惜しまれるのは、日本の高等教育を担ってきた大学というシステムの巨大さについてはある程度予想はしたが、後に大学教育学会に参加してようやく気付いたその複雑さに取り組むためには、自主講座大学論実行委員会はあまりにも小さな、ほとんど空手空挙に近いような存在でしかなく、十分に相手を分析できなかった、あるいは切り込めなかったという力の限界であった。」(p.345)

 中野実君の思い出―大学論自主講座と寺崎ゼミ/本多二朗
 中野実さんとアーキヴィストというもの。/中山茂
 無念の思い/天野郁夫
 永遠の少年のまなざし/舎官 昭
 中野実さんのこと/荒井克弘
 中野さんとのこと/松崎彰
 大学史協議会功労者中野実さんの弔辞をよんで/鈴木秀幸
 中野さんのこと/西山伸
 中野さんと東大百年史/照沼康孝
 「中野実先生とは?」/平賀勇吉
 東大百年史編集室の頃―酒にまつわる思い出/清水康幸
 中野実さんの思い出/湯川次義
 嗚呼、先輩、中野さん/前田一男
 恩人 中野実先輩への手紙/菅原亮芳
 中野実さんの思い出/小熊伸一
 中野実さんと『かわら版』/駒込武
 中野実先生の思い出/江津和也
 中野実先生の思い出(太政類典や公文録、公文類聚のこと)/古賀徹
 旧制高等学校とのかかわり/谷本宗生
 恩師・中野実さんへ/大島宏
中野実実業目録
中野実略歴

◇五十嵐良雄 19800425 『裁かれる大学』 現代書館
 若い友人の皆さんへ―まえがきにかえて
第一部
 一 「大学」政策の歴史的変遷過程
 二 卒論規定の歴史と問題状況
第二部
 一 なぜ虚妄か、戦後史を抉る・・・対談者 羽仁五郎
 付論 私たちにとってのイリイッチ―その思想と衝撃/五十嵐良雄
「私は、イリッチの思想や主張に触れながら常に想起させられたのは、1960年代後半から70年初頭にかけて展開された、あの全共闘の大学闘争と、その闘いの思想や理論であった。人間根源主義と称された、その全共闘思想も、まぎれもなくヒューマニスト・ラジカリズムの思想であったし、学校・教育文化に対する根源的な対決と、その告発こそ、大学闘争を導いた思想と理論でもあった。脱学校という新しい概念に託したイリッチの念いや思想は、私は、全共闘の大学闘争のなかから生み出されてきた大学解体の主張と、その根源においては同じように思えてならない。」(p.107)
「そうです。イリッチが提起している現代社会総体および現代文明総体に対する根源的な批判は、私はすでに、日本の現実のなかで、それぞれの人たちが、個別・具体的な形で行ってきていると思うし、日本の現実のなかで行っているその個別・具体的なものを媒介とせずに、イリッチの提起している問題や批判に触れてみても仕方がないように思えてならない。」(pp.107-108)
「とにかく、全共闘思想を継承しつつ、教育における反権力をもって出発した私たちの『反教育シリーズ』の思想イデオロギー活動は、常に理性に先きだつ人間の魂の本源を発想の基礎としているが、既成の教育秩序や既成の教育関係を解体していくという、私たちの活動は、まさに、イリッチの"脱学校"の主張と通底しているといえよう。(改行)能力や才能にかかわりなく、同時代に生きる人間の現代への対決の姿勢の、共通性を新たにしつつ、私のイリッチ論をここに記しておく次第である。」(p.108)

 二 大学問題とのかかわり方・・・対談者 森毅
 三 虚像としての大学教員・・・高橋晄正
生産点を喪失している全共闘
「高橋 若い全共闘の学生の話が出ましたけれど、ぼくらの医学部の青年医師連合でも、結局彼らは帝国主義医療の再編反対と言うでしょう。ところが彼らが病院へアルバイトに行ったときに書く処方は何かというと、製薬資本がデザインし学者がでたらめな太鼓判を押し、国家権力が許可した薬をそのまま処方して、製薬会社をもうけさせ学者を太らせている。これはおかしいですね。まずそれをこわさなきゃいかんです。自分自身の日常の医療そのものが、いかに国民に被害を与えているかというところから突きくずしていかなきゃいけない。(改行)ぼくらは、一番物質的な基盤から出発するわけでしょう。だから、アリナミンやグロンサンがダメならダメだということを率直に訴えなければならない。そこのところは、唯物弁証法なんてちっとも教わらなかったぼくらのほうが、はるかに唯物的であって、青医連の彼らのほうがむしろ観念論的じゃないかと思うんですけどね。」(pp.158-159)
「五十嵐 そうだと思いますね。あたりまえのことですけれども、教育の場合はまさしく高橋先生が言われたように、教育現場でしょう。その現場から繰り返し繰り返し発想する、そして問題を考えていく、それをまた現場に戻す、そういう環境の中で、付属の学校とかが最初はできたんですね。ところが、いまや全部違う。付属に行くことがなにか権威のあることのように考えるし、いまでは実験学校じゃなくて、頭のいい子、できる子を集めますね。」(p.159)

 四 大学教師の虚像と実像・・・長谷川宏
第三部
 一 私のなかの出会いと関係性・・・その(一)
 二 私のなかの出会いと関係性…その(二)
「私たちの反教育シリーズは、その大学闘争の闘いの思想を教育分野において継承し、発展させようとして出発し、そしてその反教育シリーズの活動のなかで私たちのNEI(ネーイ・現教研)は、教育分野における思想イデオロギー活動の拠点として生み出されていった。しかし、大学闘争が閉塞し、大学が大学闘争以前の日常性に回帰していった時、私たちの活動も、次第に日常性のなかに組み込まれていった。つまり、日常性に拮抗し得るし思想やイデオロギーを、私たちは、未だ生み出し得ずに到っているということなのである。」(p.224)


世代論/文化論
◆天野正子編 20010215 『団塊世代・新論―<関係的自立>をひらく』有信堂
プロローグ:団塊世代の「もう一つの」読み方/天野正子
 1 イメージの混沌へ
 2 「発見」された世代
   あたえられた世代名 最後の世代論
 3 特異な世代の特異性
 4 「記号」化された世代
 5 ジェンダー不在の世代論
   経験の非対称性 持つ様式か、関係を築く様式か
 6 アメリカのベビーブーマ論
   ブーマーが映すアメリカ社会 病める社会 <あれからの日々>と<これからの日々> ブーマー、ジェンダー関係を変える ワーカホリック批判
 7 本書のねらいと構成
 本書で使用するデータへの招待
1章 自立像の現在形―「もたれあい」から「支えあい」へ/天野正子
  はじめに―追い風か、逆風か
   脱会社人間のススメ 関係がつくる自立
 1 「男の自立」前史―女の自立との対話へ
   時代の転形期 対話の失敗 個人的なことの政治性・政治的なことの個人性 「身体」を変え、「頭」を変える
 2 「自立した個」の限界
   西欧型自立論にひそむ危うさ 「自立と依存」の相互性 「もたれあい」か、「支えあい」か 「男らしさ」を映す公的空間
 3 「働きすぎと企業社会」批判の系譜
   単身者主義のゆくえ ひよわなマイホーム主義 働きすぎの構造とジェンダー 働く論理・働かされる論理 男の目でみなおす企業社会論
 4 男にとって自立とはなんだろう―「東京男性」調査から
   二つのベクトルの拮抗 自立をめぐる希望と不安 関係を築く力へ
 5 男の自立の理念型
2章 団塊世代のジェンダー意識―変わるタテマエ、変わらぬホンネ/山嵜哲哉
  はじめに―戦後五五年をへて
 1 団塊世代の時代体験とジェンダー
   「しつけ」と「教育」のはざまで 移動の世代 消費社会一期生 「金の卵」と「サラリーマン」世代 「全共闘」と「対抗文化」 ニューファミリーと活動専業・主婦 マスメディア世代
 2 性別役割分業を否定する男たち
   全体的傾向:10年遅れで「女」を追う 世代・年代別特徴:分水嶺としての昭和一桁後半生まれ 否定する男たち、肯定する男たち
 3 俺の女房と娘は別…
   「女性の働き方への意識」にみる自己矛盾 子どもの将来像にみるホンネ
 4 「男らしさの呪縛」と「男の自立」
   男らしさの呪縛 <関係的自立>への模索
 5 男たちの現状と課題
3章 会社からの自立の条件―「家族と会社」の関係のつけ方/天野正子  1 団塊世代の「社員」行路
   ふつうの生き方としての会社人間 会社人間への誘導環境 変わる雇用環境のなかで 社員という人生の「いま」 「会社の自立」の規定要因
 2 企業のなかの最後のランナー
   よく働き・よく働かされ 「私」を消す職場文化 強いられる自発性
 3 変わる/変わらない企業意識
   「会社優先」と「個人本位」のはざま すすむ内部分化 高い労働密度・高い満足感
 4 「家族と会社」の統合幻想
   家族の幸福は会社のおかげ 「家族のため」の共犯関係 ものわかりのよい/希薄な存在 個人の「顔」の不在 定年:「不安」の季節
 5 男らしさの再編成期
   職場のジェンダー化 最後まで残る男らしさ
 6 団塊世代における「身体と観念」
   さようなら、「もたれあい」構造 関係性のリストラクチャリング
4章 いま団塊夫婦は…どこからどこへ
   はじめに―新たなステージ
 1 過去:団塊世代の人生行路
   子ども時代 進学と就職 仕事と結婚 仕事と家庭生活 社会参加
 2 現在:子どもの自立と夫婦関係
   団塊夫婦にみられる共通性と多様性 データにみる夫婦関係
 3 将来:団塊夫婦の今後
   ライフイベントへの対応 積み残した課題への挑戦 団塊夫婦の明日
もう一つのプロローグ:「塊り」から顔をもった「個」の時代へ/天野正子
 引用文献一覧
 事項・人名索引


社会運動論
◆粟田宣義19940620「抗議世代のイデオロギー持続―学生運動従事による政治的社会化の経路」(社会運動論研究会『社会運動の現代的位相』成文堂) cf.社会運動論


運動(史)研究
◇住谷悦治・高桑末秀・小倉襄二 19530210 『日本学生社会運動史―京都を中心に』 同志社大学出版部
 目次
序章 学生社会運動の社会史的背景
 1.明治初期の社会的混乱と矛盾
 2.社会労働問題の発生と社会運動
 3.第一次世界大戦と社会運動の展開
 4.敗戦後における社会運動の解放
  日本社会運動史系譜

第一章 黎明期
1.自由民権運動と学生
・学生運動史の通説
「通説によれば、日本における学生社会運動は第一次世界大戦後のデモクラシー思想の昂揚および労働運動の興隆に付随して起ったものとされる。」(p.34)
・明治15年(1883年)―三重県阿濃津・中学校卒業生による「学生不敬事件」
→「専制政府倒すべし、然る後はじめて自由民権の旗は翻るべし」
「明治の学生も、通説に反して、日本の自由民権獲得闘争史上に忘れることのできない足跡を残している。ただ自由と真理への動きを一切圧殺されたとき、彼らはようやく『狂噪客気の中に雑(ま)じれる一点の活気さえ何時か失い果て、全然青年の特性を棄て、若隠居とも貴公子とも婦女子とも分たぬ、一種の腰弱く腸柔らかなる太平の装飾物と為り済しけるぞ憐れなる』学生となってしまったのである。」(p.46)

2.火花は消えなかった
・明治30年代の学生運動・社会主義運動の持続

3.大学の自治と学問の自由
「日本における大学の自治と学問の自由は、一般に、東京帝大の七博士事件および京都帝大の沢柳事件をもって確立されたといわれる。」(p.58)
・七博士事件(明治33年〜明治39年)
・沢柳事件(大正2年)
「東大の七博士事件は大学における学問の自由を、京大の沢柳事件は大学の独立を確立したといわれる。しかしいずれも社会の『外』に確立されたものであったから、その根拠は極めて脆く、東大は早くも森戸事件でみずからその自由を放棄し、京大もまた河上事件と滝川事件でその自由と独立をじゆうりんされ、美濃部博士の天皇機関説問題では全く鳴かず飛ばず、かつて『大学の?(てん)落』論争で『将来においてもマルクス教授は単にマルクス・イデオロギーの故をもって学外に放逐されるとは私には思われない』と大学の自由について大見えを切った河合栄治郎みずからも、のちには自由主義的イデオロギーの故をもって学外に放逐されたのであった。(改行)といってすべてが空しい白日夢であったわけではない。学問の自由のための闘いは、『大学の?(てん)落』を乗り越えて、学生と民衆によって正しく受けつがれた。」(p.65)

第二章 『先駆者』時代
1.米騒動
「この暴動に学生が積極的に参加したのは岡山だけだといわれるが、東京法廷で裁判された273名のうちには12名の学生がおり、大阪では2名が起訴された。」(p.76)
→無視しがたい影響

2.京都帝大労学会と赤旗事件
「京都では米騒動は京大学生を中心とする労学会となってまず結実した。友愛会の京都分会が生れた(の)は大正四年(金津彌五郎らによる)で、高山義三はすでに同年二月以来友愛会神戸連合会を指導していたが、米騒動後間もない9月、京大基督教青年会館に集まった労働者約20名および学生約10名とともに『労学会』なるものを結成した。志賀義雄『日本革命運動史の人々』は『1919年頃東大の麻生久君、赤松克麿君、明大の加藤勘十君、慶大の野坂参三君等が一緒になって「労学会」をつくりましたが、これが日本において労働者と学生とを結びつけた最初の団体でした』(142頁)と述べているが、労学会の先陣争いをするならば京都の方が先である。高山義三、古市春彦、水谷長三郎、小林輝次らがその主なメンバーであった。」(p.81)
「一方、『肝心の高山君はこの事件(奥村電気争議)におそれて、犠牲者の救援も放棄して神戸市へ逃避し、労働運動から足を洗ってしまった。』と同時に労働者は漸く『労働運動は労働階級それ自身の運動でなければならない』ということを自覚しはじめ、労学会もまた大正10年のメーデーに正服正帽で参加しようとしたことが事前にばれて大学当局から解散を命ぜられた。労働者と学生との結合の初歩的形態はこの一幕で終わりを告げた。」(pp.89-90)

3.普選獲得運動
「しかし学生が『君民一致の政治』の理想の下に、あるいは、『天皇陛下に対し奉り盡忠奉公の微誠を致す所以の一なる』が故に普選を要求したのに反して、労農大衆はまず何より『人生悲惨のどん底より向上せんための階梯として』普選を求めたのであった。」(p.94)
・森戸事件(大正9年)
→学生は普選運動におけるような情熱と関心を示さなかった。

4.同志社における学生運動の萌芽
・同志社―日本社会主義運動史上における得意な位置
・同志社学生運動
自由人連盟同志社支部(対象10年)→十月会(大正11年)→社会科学研究会→学連事件
「学内の学生啓蒙運動や学校別の運動が、横の連絡組織運動を積極的にはじめ、学生運動が社会運動と結びつくようになったのは学連からであり、それは、第一次世界大戦中、今までおくれていた国々にデモクラシー運動がおこり、労働者運動、社会運動が急激に勃興するとともに、中国、インド、朝鮮などにおいても学生運動と社会運動とが結びついたように、日本でも、この世界的背景において労学会、新人会、暁民会、建設者同盟等々とくに学生連合会という学生社会運動が展開されていったのである。」(p.103)

第三章 『地獄の門』に入る
 1.マルクス主義の旗印
「大正11年11月7日、ロシア革命五周年記念日の夜ひそかに発会式をあげた学生連合会といい、翌年一月末生れた高等学校連盟といい、いずれもこの飢饉救済運動を機縁に結ばれた団体であつて、高等学校連盟の如きは、もはや『無政府主義か社会主義か?共に麗わしき花ではある。選択を強いられるる時、私は沈潜して現実には社会主義の花を手折る。而して夢に無政府主義の花を抱く』と迷うことなく、直截に『本連盟は高等学校学生間に於ける共産主義的宣伝に従う』『本会員たる者は共産主義に対して熱意と犠牲の精神を有し、且つ完全に秘密を厳守し得る者たるを夢す』と規約にかかげた。」(p.106-107)
「そして、当年の理論的指導者、林房雄はこれらの論争に終止符を打ち、学生運動の基礎・任務を次のように規定した。『二〇世紀に入つて世界の資本主義が到達した新様相、帝国主義の時代に於て出現した種々の新現象の一つは、新中等階級(俸給生活者群)の急速なる没落と無産階級化とであつた。此の新傾向は学生の社会的地位に非常なる変化を引き起す。大学が大臣博士の養成所であつた時代は夢と過ぎ去り、卒業後に於ては、従来の特権的地位と優遇との代りに、就職難と生活難、単なる頭脳労働者として加えられる露骨なる搾取の手とがまつている。一方独占的資本主義の重圧は、大部分の学生の故郷なり、生家たる小ブルジョア階級を破壊し、学資の杜絶は在学中の労働をさえも余儀なくする。此の事実は、一部の学生のブルジョア的心理の基礎を破壊し、彼等をして次第に社会的自覚に到達せしめ、進んでは無産階級運動の積極的肯定に迄導く。』」(p.109)
「九月東大内で開かれた学連の全国的懇談会は、スト破り学生問題の反省の結論としてこの林房雄の理論を確認・採用し、その名も『学生社会科学連合会』と改め、関東・関西・東北・の地方連合会をつくることと同時に『研究会未設校に拡張運動を行うこと』を新しい決意をもつて決議した。」(p.110)

 2.「嵐」の前
・京都労働学校(大正13年3月)―東山今熊野の総同盟事務所二階・校長山本宣治

 3.レプセ歓迎事件
 4.治安維持法

第四章 京都学連事件

1.第一次検挙の「ミステーク」
1925年11月 同志社大学内の掲示板に軍教反対のビラ
→社研解散を狙う警察が関係者を検束。しかし、全員釈放。その過程で、京大寄宿舎に無断でガサ入れ。それに対して抗議。知事陳謝。京大学生大会1000名の参加。学問と研究の自由の確保、学生生活の自治確立のための学生自治機関の設置を決議。

2.警察に対する京大教授団の「訓諭」
・京都帝国大学法学部教授団意見書―犯罪捜査の手続問題と学問研究・教育の自由の強調
・京都帝国大学経済学部教授団意見書―結論・手段方法・発表(研究)の自由の強調

3.第二次検挙
1926年1月15日〜 社研学生の一斉検挙
京大:全学生に訓示
同志社:学連加入を許さず
→学生38名が治安維持法で起訴

4.事件の真相
1926年9月 全員保釈
1927年4月〜 京都地裁で公判
→第一審:出版法違反・不敬罪関係は「特赦」、地方維持法を適用して全員有罪。控訴。
1928年4月〜 大阪高裁で公判
→3・15事件に17名が連座・分離。残り21名中、3名のみ無罪。残りの18名は上告を申立したが、当局はこれを却下。
警察当局:
「日本帝国の根本的組織に大変革を加え、かつ経済組織を根底から覆えし、同時に私有財産制度をも覆えして共産主義社会を建設しようと企画し、この信念を目標として運動を進めたものである」という認識。
→しかし、京都検事局も受理しないほど証拠不十分であったのが実際。

5.学連事件の歴史的意義
・事件の中心人物・淡徳三郎の反省
「此の度の事件が学生大衆に与える反響は、反動勢力の結成という事意外の何ものでもない」「社会科学研究会は此の反動的地盤から咲き出た例外的現象である」
・森戸辰男の評価
@社会科学運動が思想観念の生産分配の中枢機関たる学校に進撃した
A現代学校教育と社会科学の根本に疑を挟んだ
B担い手が××××青年学徒である
C社会科学運動が思想闘争において無産階級的立場に立つという事実
→被告一同の「労農大衆諸君に檄す」との呼応

第五章 狂瀾怒濤の10年
 1.学生自由擁護同盟の闘い
 2.相つぐ共産党事件と学生
 3.学校騒動慢性時代
 4.学生消費組合運動
 5.女子学生運動
第六章 京大滝川事件
第七章 ファシズムへの抵抗
 1.抹殺された「道理の感覚」
 2.京都における人民戦線運動
 3.「リアル」
 4.「世界文化」
 5.「学生評論」
 6.「土曜日」
 7.最後の火花
第八章 政府の「左傾」学生対策
 1.「左傾」の原因と経路
 2.学生主事
 3.学生思想問題調査委員会
 4.精神病理学的考察
第九章 右翼学生運動
 1.国粋主義から天皇中心主義へ
 2.京大「猶興学会」と立命大「双刃会」
 3.京都愛国学生連盟
 4.同志社「洛北青年同盟」その他
第十章 戦後学生社会運動の展開
 1.はじめに
 2.カオスの戦列
 3.教育復興―防衛闘争
 4.イールズ声明反対闘争とレッド・パージ粉砕闘争
 5.全学連指導グループと日本共産党分派問題
 6.平和擁護同盟の焦点―講和・安保条約反対闘争
 7.京大天皇事件から破防法粉砕闘争まで
 8.おわりに
日本学生社会運動史年表
あとがき
索引

◇越生忠 19681111 『東大―大学紛争の原点』 三一書房
 目次
序 大学紛争の結晶体=東京大学
T 大学の変貌 病める巨像
U 法学部 独善の論理
V 医学部 紛争の火床
W 駒場 もう一つの予備校
X 日本の優等生たち 栄光と悲惨
Y 大学付置研究所 巨大科学の研究体制
Z 講座制 前近代の悲喜劇
[ 教授会と評議会 無責任の体系
\ 研究費 国家・企業・大学
] 給与と待遇 学者貧乏の神話
]T大学革命の胎動 管理への参加
終 東大の死と再生命
あとがき

◇井上清 19690520 『東大闘争―その事実と論理』 現代評論社
 目次
T 東大九〇年の歴史と大学の「自治」
 一、天皇制と帝国大学
  1 東京帝国大学の確立とその役割
  2 天皇制・帝国主義と大学の「自治」
 二、現代日本の大学と全学連
  1 占領下の民主改革と大学
  2 義務教育の統制・産学協同・近代化路線
  3 大学の帝国主義的再編と全学連
U 東大闘争の事実と論理
 三、東大闘争の底流
  1 学生運動・階級闘争の新段階
  2 「師弟関係」の永遠の破綻
    3 医局制と医療の帝国主義的再編
 四、医学部無期限ストと安田講堂封鎖
  1 青医連・医学生の闘争と「理性の府」の実態
  2 安田講堂の封鎖と警察機動隊の導入
 五、医学部闘争から全東大闘争へ
  1 安田講堂の再封鎖=解放と学内諸潮流
  2 東大全共闘の結成とその基盤
 六、大学革命の論理と体制内改良の論理
  1 全学無期限ストと封鎖の拡大
  2 民青の「民主化」論と全共闘の根源的否定論
 七、全国学園闘争の頂点へ
  1 加藤近代化路線と一一・二二全国学生総決起集会
  2 全共闘の危機とその克服
「秋田明大編の『大学占拠の思想』には、この時期までの東大は「貴族の闘争」であり、日大は最初から「蛮族の闘争」であったといい、「早い話が、またたく間に全学バリケード闘争に突入した日大に対して、六八年一月二九日からの医学部闘争から数えれば、三〇〇余日の闘いを経験しながらも、全学封鎖という戦術はなお実行されていない東大闘争が、何らかの決定的弱点を持っていることは明らかだろう」と指摘する。さらに「日大闘争が、直接には、全理事総退陣をはじめとする五大スローガンを掲げつつも、闘いの方向と質は、五大スローガンを超えて日大古田体制の根本的破壊を基調としていることと、当時の東大闘争が七項目要求の次元に終始し、七項目自体のもつ東大体制破壊の徹底性を引き出しかねていたことを対照してもよかろう」という。」(pp.290-291)

  3 一九六九年一月の悲壮劇
 八、むすび
  1 「一〇項目確認書」と東大改革の行方
  2 東大闘争の意義

◇Immanuel Wallerstein, University in Turmoil, The Politics of Change, Atheneum,1969(=19691130、『大学闘争の戦略と戦術』公文俊平訳、日本評論社)
 目次
  序文
  第一章 大学の理念と理想
  第二章 大学と政府、世界情勢
  第三章 大学と国内の社会変革
  第四章 大学の管理
  第五章 社会変革の戦術
  第六章 結論

◇折原浩 19731115 『東京大学―近代知性の病像』 三一書房
 目次
 序文
 はじめに
 第一章  論告求刑批判
 第二章  先行四判決批判
 第三章  <七項目要求>の内容と性格
 第四章  第一次研協闘争とその後―医学部処分の背景
 第五章  国大協路線の「思想」
 第六章  文学部処分とその背景
 第七章  第二次研協闘争と医学部処分
 第八章  粒良問題
 第九章  六・一七機動隊導入と六・二八「大衆会見」
 第一〇章 八・一〇告示
 第一一章 九・四文学部処分解除
 第一二章 一一・一大河内退陣の表舞台と楽屋裏
 第一三章 一一・四〜一一「文学部団交」と法華クラブの密議
 第一四章 一一・一二大衆団交拒否  第一五章 一一・一八公開予備折衝と加藤執行部の「宿題」
 第一六章 一二・二「加藤提案」と「加藤路線」の本質
 第一七章 「加藤提案」拒否と「入試問題キャンペーン」の開始
 第一八章 「入試中止―東大閉鎖キャンペーン」と全共闘「切り落とし」策動
 第一九章 入試中止決定と「復活トリック」
 第二〇章 収拾セレモニー・七学部集会への道
 第二一章 「一〇項目確認書」と法学者の小細工
 第二二章 一・一四〜一七導入正当化策動と一・一八〜一九導入の真意
 第二三章 <七項目要求>と<帝大解体>
 第二四章 一・一八〜一九闘争の「目的」と「状況」
 第二五章 一・一八〜一九闘争の諸「結果」
 結論
 資料・参考文献一覧
 あとがき

◇管孝行 19791105 『現代史のなかの学生』 思想の科学社
 序章 心躍る時代?
  そしてひとつが終り
  学生のエリート性の解体
  ブルジョワ的再編か、新たなはじまりか
 第一章 はじまりの希望と反動の間で
  絶対的欠乏から出発
  「民主化」と反共の角逐
  攻勢から守勢へ
 第二章 戦後派のダンディズム 若き自殺者の肖像
  アプレゲールのダンディズム―山崎晃嗣の場合
  自殺の伝統美学と戦後的反逆―原口統三・長沢延子
  死ななかった彼、彼女はいま
 第三章 反米反戦の烽火
  一九四七年の情勢と学生運動の一時的混迷
  新たな昂揚―全学連の結成へ
  初期全学連の牧歌と矛盾の構造
  レッドパージと反戦・平和闘争の昂揚
  混迷の中の学生
 第四章 戦後民主主義の暗渠
  リンチの傷痕
  残された記録の語るもの
  闘いのうた、うたの闘い
  貧困の中の甘い水
 第五章 画期としての一九六〇年
  「不潔な」ルビコン河=高度成長
  青年のニヒリズムとその下部構造
  権力闘争の大衆的自覚とその抽象性
  嵐のあとに―池田内閣のもたらしたもの
 第六章 白夜から饗宴へ 高度成長と学生
  六〇年的抽象から具体性へ
  六〇年代学生反乱の歴史的根拠
  高度成長の文化構造と学生大衆の意識
  叛乱の饗宴―自己否定と自己肯定の合作
 第七章 甘い夜の果てから
  身体性と党派性のわかれ
  感性からの解放を
  今、市民社会の地肌に降り立つ
 付 戦後学生史の中の現代学生(『思想の科学』一九七五年十月号掲載)
   あとがき

◇Bill Readings, The University in Ruins, Harvard University Press, 1996(=20000630、『廃墟のなかの大学』青木健・斎藤信平訳、法政大学出版局)
 序文(ダイアン・イーラム)
 謝辞
 第1章 序論
 第2章 エクセレンスの概念
 第3章 国民国家の衰退
 第4章 理性の範囲内の大学
 第5章 大学と、文化の理念
 第6章 文芸文化
 第7章 文化闘争とカルチュラル・スタディーズ
 第8章 ポスト歴史的大学
 第9章 研究の時節―1968年
 第10章 教育の現場
 第11章 廃墟に住んで
 第12章 不同意の共同体
原注
訳注
訳者あとがき
総索引


運動論/回顧
<反大学>
◇藤本進治・滝田修・滝村一郎 19691030 『反大学70年戦線』 合同出版
 目次
反大学運動と七〇年代闘争/藤本進治
<全共闘=反大学闘争>京都大学/滝田修
 1 戦闘への招待
「上下あわせて秩序そのものが破壊されなければならないとすれば、精神労働の生産する<秩序の上部構造>は、現実の内実としての<秩序の下部構造>の流動的隆起と同時同質的に、全面的な流動のただ中にぶち込まれなければならない。精神労働は、みずからの依拠たる<人間の物的な営み=肉体労働=生産的実践を基軸にした人間実践の総体=現実の実践=実践そのもの=現実そのもの=現実の存在領域と生成過程>へと還帰し、結合し、両者の間に、真の意味での相互否定的な矛盾の展開過程を、実現しなければならないのである(精神労働と肉体労働との矛盾の止揚―マルクス)。」(pp.52-53)

 2 全国学園闘争=全共闘運動の現局面
「現局面における学園闘争のスローガンは、したがって、こうである。『二つ・三つの<日大=東大>を、そして数多くの<日大=東大>を、<つくりだす>だけでは決定的に不十分であって、更にそれを踏まえて、数多くの全共闘を<結合>しなければならない』(全共闘の形成結合のスローガン[強調は原文では傍点])。全国学園闘争=全共闘運動は、明確に、形成から形成=結合へと、みずからのスローガンを質的に飛躍させた。」(pp.55-56)
「われわれは、学園バリケード占拠=街頭バリケード占拠=工場バリケード・ストの同時同質性を、物資的=大衆的に、闘いとることによって、あるいは同じことであるが、迫り来る総力包囲戦を主体的に準備するところの<陣地戦=街頭機動戦の同時同質性>を現実のものにすることによって、まさにこのことによって、学園闘争が決して大学生のみの闘いではありえず、帝国主義的市民社会をも同時に巻き込んだ全人民的な闘いとして展開されなければならないし、また展開しうるのだということを示し、かつ、この同時同質的な結合のパターンを、七〇年闘争のパターンとして、萌芽的に示したのであった。」(p.63)
「かくして、われわれ京大全共闘は、みずからの闘いの経験を総括して、次の二点を提起する、すなわち、一<闘いの中の結合・結合する政治・反日共反権力闘争を闘う戦闘的大衆の全国的全人民的部隊的結合>を、全国全共闘運動の戦線形成(=全国全共闘評議会の結成)によって現実のものとしなければならないということ、二 更に、この全国全共闘戦線の形成=学生権力の形成=あるいはいいたければ自らの主体形成を、<全人民的部隊的結合>として、より原理的には、階級形成として展開しなければならないということ、これである。」(p.64)

 3 <全共闘=反大学>運動の運動論
「これ、すなわち、われわれ全共闘学生集団が、<みずからの主体形成=学生権力の形成>を、ひとつには、<階級形成=全人民的団結=反帝統一戦線の形成>として、あるいは<全人民的団結=階級形成>として、展開しなければならない所以である。われわれ<全共闘=反大学>旅団は、全国労働者評議会・全国朝鮮人評議会・全国部落民評議会・全国高校生評議会・全国中学生評議会等々のソヴィエト戦線を、全国全共闘評議会=学生ソヴィエトの建設とともに、左派的にひき出し、各評議会ソヴィエトの全人民的団結の上に、反帝統一戦線(―それは、たんに反帝派の党派間統一戦線に矮小化されてはならない―)の革命暴力をうちたてる闘いに勃起しようとしているのである。」(p.78-79)

 4 大学存在のブルジョア性批判
「更にこの<特殊地帯=大学>論と関連して検討しておかなければならないのは、共産党系の勤労者学校や社会党系の労働大学の試みであり、最近の<塾>の提起であり、そして自己批判的にいうなら、わが大阪=京都労働者学園の営為であろうだろう。というのも、こうした試みはすべて、上述の特殊地帯としての大学存在そのものに対する理論的な―いわんや物質的な―批判を自覚して展開することなく、その存在を許容し、他方(―他方というよりも、むしろそのことによって―)、別個の場所に、量的に矮小で質的にほぼ同質的な、そして形態からいえばまったく同じ<特殊地帯>をつくりだそうとする試みであり、したがって、みずからのそうした善意ではあるが無批判的な・部分的・実用主義的な対応によって、客観的には、みずからをも含めた<閉じられた特殊地帯>を延命させる試みだからである。大学という特殊地帯の存在そのものには手をふれず、自己免罪的=自己欺瞞的に、別個の特殊地帯を用意するという、<善意の>利益償還主義的志向は、いまや、破産しつつある。いまや、問題は、当の特殊地帯そのものの破壊にあるからである。わが大阪=労働者学園(―学園長=藤本進治・学園関係者は、すべて<わが>大阪=京都労働者学園と語る権利義務を有する―)は、延べ六年、一一期を経過し、六〇〇名の先進的青年を戦士としてあらゆる戦線に送り出してきたが、日本階級闘争の現在的要請に全力をあげて対応し、みずからの運動のパターンを自己止揚し、みずからを革命的に解消して、反大学運動へと突出しようとしているのである。」(pp.82-83)
「だが、このような<大学=共犯的加害者>は、どのようにして、みずからを実現しているのであろうか。それは、周知のように、第一には、帝国主義市民社会秩序派イデオロギーとこれを担うところの帝国主義市民社会秩序の<主人と番人>との再生産によって、第二には、労働力商品(知的専門労働力商品・中級技術労働力商品・サラリーマン事務労働力商品など)の拡大再生産によって、実現されているのである。そしてこの両者の<再生産>は、次の回路によって、すなわち、―学生(=原料)を募集し入学試験を受けさせ(=競市にかけ)、勉強させ(製造過程)、学年末試験を受けさせ(動力装置)、卒業証書(=商標)を付与して卒業させる(=製品完成=市場放出)ところの回路によって、持続的に貫徹されているのである(=大学工場の再生産過程・<大学=大学工場>論)。」(p.84)
「このように大学は、大学工場とその再生産過程として存在することによって、帝国主義市民社会のブルジョア機構の一つの、それも重要な、拠点としての任務を果たし、ブルジョア社会総体の物質代謝を、成功的かつ一貫的に、保証しているのである。したがってまた、大学は、帝国主義市民社会と等質性にあり、帝国主義的階級規定性を、受取らざるをえず、かくて、最早、単純に、大学一般であることはできないのであって、階級大学として存在するよりほかないのである(<大学=階級大学>論)。」(p.84)

 5 学問のブルジョア性批判
 6 教育のブルジョア性批判
「最後に、われわれは、学生運動がこの数年来追求してきた<自主講座方式の自己批判的検討>を、ここで、踏まえておかなければならない。なぜなら、中央大学の自主講座を究極的形態とするところのこの方式は、ブルジョア学問・ブルジョア教育・ブルジョア大学そのものに対して激しく敵対し、この敵対をバネにして、営まれたものではあるが、この敵対を真に根底的な敵対にまで純化し異質な境地を切開くことに成功せず、したがってやはりブルジョア的教育として存在し機能するよりほかなかったからである。中大自主講座以降にも、そして現在ですら、自主講座という運動のパターンは、みずから部分的対応であることを暴露しつつ、続いてきているし、これからも同じような仕方で続いてゆくであろうが、それにもかかわらず、わたしがとくに中大自主講座をそれの究極形態であると主張するのは(―わたしは自主講座最初の年である六七年度の<社会思想>の講座を担当し先進的な学友諸君と討論を重ねた経緯があるので、中大自主講座の批判的総括は、わたしにとっては、他意のない自己批判なのである―)、第一に、中大のそれは、先立つ学館闘争の中であたためられてきた内的必然性を物質化するものとして提起されたのであり、物質的にも理論的にも―文化運動のかぎりでは―それなりに十全なる体系的内実を整えて、ゆきつくところまでゆきつくしていたからであり、第二に、以後の運動過程は、むしろ、無自覚的にではあるが、みずからの批判的総括を、つまり文化運動としての自己の総括=止揚の形態と方向性を、求めていたといえるからである。」(pp.99-100)

 7 管理のブルジョア性批判
「資本=権力は、財政(カネ)と人事(ヒト)とを二大パイプとする、ところの大学の直接管理(―上からの管理・外からの管理、それは、みずからの超越性・外面性を払拭して、いかにも自主的かつ内面的な管理行動であるかのように、登場し得てはじめて、みずからを完成するのである―)によって、大衆がみずから行動しその行動の過程と結果とを点検しかくしてみずからを管理する能力(=大衆の自己行動・自己点検・自己管理の力量)を、上へと吸い上げ、収奪し、その発露を封鎖し、こうして大衆を無力な砂のような大衆個人へと去勢し、私的商品所有者へと解体するのである(―管理における私的商品所有者的形態規定性の貫徹)。そしてこの<自己行動=自己点検=自己管理の力量>は、そのまま、<自己対象化=自己展開の力量>であることによって、<自己学問=自己教育の力量>を形成してゆく上での、とりわけ主体的な不可欠の前提条件なのである。だからこそ、逆に、管理における私的商品所有者形態規定性は、教育と学問における私的商品所有者形態規定性を総括的に貫徹しうる前提なのであり、だからまた、資本=権力は、この管理権(=財政権と人事権)を直接掌握することによって、大学を、共犯的加害者としてみずからの陣営に位置づけ、<大学工場=階級大学>としての性格を保証し、かくして、みずからの権力意志を、成功的に、貫徹し得るのである。」(pp.102-103)
「このように<上からの大学管理>は、学問・教育・管理における私的商品所有者形態規定性を貫徹することによって、大学に関係するすべての人たちを、私的商品所有者として完成することに、したがって解体することに、主たる力点を置いているといえるのである。だとすれば、彼らの路線は、基本的に、<上からの大学管理=上からの大学解体>路線なのである。そしてこの、彼らの、大学<管理=解体>路線は、まさしく、彼らの<大学における階級解体路線>であり、したがって同時に、彼らのヘゲモニーのもとへの<結集政策>である。われわれは、こうしてブルジョア管理に真向うから敵対し、これを物質的に破壊しなければならないのである(―以上によって、敵もわれわれも、とりわけ管理および管理権をめぐって闘かわなければならない内的必然性が、明らかになったであろう。)」(p.103)

 8 <全共闘=反大学>運動の原理とその展開

<大学解体=反大学闘争>東京教育大学/滝村一郎

<全共闘=反大学運動>の結果と展望 京都大学/滝田修
 1 第一期全共闘運動
「全共闘は、日共民青における<政治と戦術との相互瞞着>関係に助けられて、この段階では、<戦術による牽引>で突進し、それでもって、新たな局面を打開することに成功し得たのである。そしてこの段階で提起された政治主張とその内実は、次の四点にわたっていた。すなわち、(a)大学論、正しくは大学批判論の提起 (b)自己否定運動の問題性 (c)共産主義と暴力 (d)大衆武装・全人民武装―の四点であった。」(p.162)
「そしてこのうち自己否定運動は、東大闘争の最大公約数であり、第二期にいたるまで大きな流れを形成することになるのだが、これは、第一には、われわれにおける学問論(=学問解体論)不在の負の表現であり、第二には、大学悪・学問悪・自己悪との直接的対決をモチーフにした小ブルの局限的意識形態であり、そして第三には、自己否定の論理とは自己の既成性の解体と改変の論理でなければならないにもかかわらず、それを実現してゆく媒介の論理・対象化の契機を一切もつことができないことを特徴としていた。すなわち、自己否定=主体変革が、対象変革をバネとしつつも、対象変革の個々の局面・その流れを構造的に媒介することができず、したがってみずからダイナミックに動くものとなることができず、したがって狭くみずからの内に閉じ込もる回路を描いてしまうのである。だから、厳密にいえば、自己否定「運動」なるものは成立し得ないのであって、ただ自己否定「観念」のみが固定的に形成されるという構造になるのだ。」(p.163)

 2 第二期全共闘運動
「反大学運動のモチーフは、―同じことだが、分けていうなら―次の二点にあった。第一には、第一期全共闘運動において提起された帝大解体は、いかにして可能か、という問題意識であり、そしてこれに対して、むしろ、大学=帝大が敵の重要拠点である以上、その解体作業は、全人民の革命的営為とならざるをえないし、したがって、この解体を貫徹し尽すためには、全共闘の学生がみずから、帝国主義市民社会の只中に身を投じ、高校生・浪人・部落民・朝鮮人・官公労働者・反戦中小企業労働者などと結合することによって、―換言すれば、学生、革命力量の不均等発展から客観的に要請されている<逆倒されたプロレタリア英雄主義>を<結合する政治>の展開によって担い、かくして、全人民的団結の、より基本的には、階級形成の工作者集団(―われわれはこれを反大学旅団と呼んだ―)として登場することによって、いわゆる「学生突出部隊〜労働者本隊」論の不毛性とその風化現象を克服しなければならないのであった。」(pp.172-173)
「反大学運動のモチーフの第二は、これまた第一期全共闘運動の中で提起された自己否定運動に対する疑問であり、またすでに述べたように、この『自己否定』論に禍して生じた、<大学批判論はあるが、学問批判論となると全く提起し得ない>という事態についての疑問であった。」(p.173)
「そしてこのあらたな人間群は、同時的に組織者であり教育者であり扇動者であり工作者であり戦闘者であるような<戦士>として形成されなければならないのであった。」(p.174)
「だとすれば、反大学運動の第二のモチーフは、文化革命の追求ということを結果とすることになるのである。」(p.174)
「ふりかえってまとめてみれば、第二期全共闘運動は、(A)自己否定としての全共闘大衆運動と帝大解体のための大衆武装としての全共闘大衆運動との分化の過程であり、また全共闘における個別性の問題領域と普遍的総体的全人民的課題との分化・葛藤を闘い、これを統一させる努力が問われた段階であり、そのイミで、<発展>の段階であった。(B)したがって、全共闘に関わる一切の既成性・自然成長性との向自的な闘いという困難な闘いを主体的に持続しなければならず、その意味で、<困難な模索>の段階とならねばならなかった。(C)困難をかたちづくっている根拠は、全共闘の個別大学的・地方的分散性、経験の狭隘性、そして個人主義的傾向・マキャベリズム、の三点にあった。そして、われわれはそれぞれの解決を、全国全共闘評議会の結成、反大学運動の始動、ソヴィエト運動の形成、に求めたのである。(D)こうした方針は、先駆的にも、第二期全共闘運動の政治の質を牽引し、そのかぎりでは第二期全共闘運動が<発展>の段階であることを物語るものであったが、同時に、それぞれの方針を貫徹させる手だてをつかみえなかったという点では、<模索>の段階としての第二期全共闘運動の苦悩を語るものであった。」(p.176)

 3 第三期全共闘運動
「しかし、全共闘解体のこの作業は、全共闘の暴力における既成性・自然成長性を解体することを抜きにしては、つまり全共闘暴力の質的飛躍を貫徹せずしては、夢物語にすぎない。したがって、またしても、全共闘とこれを担う一人一人の人間が、二者択一の前に立たされることになる。防禦と抗議の臆病な暴力か、それとも、とらわれざる態度の大胆な暴力か。一限的かつ直接的な受身の暴力か、それとも、計画され組織された執拗な暴力か。<たんなる>封鎖・占拠・徹底抗戦の戦術か、それとも、大学解体と市民社会解体の同時戦術か。丸抱えの突込み部隊と決意部隊との負の結合軍事か、それとも、<パルチザン遊撃軍団=パルチザン五人組>による大衆武装か、と。もはや大衆武装は、大衆武装<一般>ではありえない。われわれは、いずれについても、断固として後者を選択しなければならない。」(pp.185-186)
「この要こそ、―すでに提起してきた当のもの、パルチザン軍団でなければならない。この組織方針を抜きにして、というより、こうした営為を一度はかいくぐらないかぎり、われわれは、自発的部隊的総合的団結の力量はわがものとなしえないのである。だが、レーニンのいう『パルチザン行動のもつ非組織性・無秩序性』は、成功的に止揚されるであろうか。パルチザン遊撃軍団の形成を<組織的な規律をもって系統的に>おし進めることは、これを止揚する主要な必要条件である。しかし、それでは十分ではない。一人一人の戦士の組織性と規律を培養するための方向性が打ち出されなければならない。それは、遊撃軍団それ自体が同時に、いわば共産主義共同労働団として、<労働=生産的実践>のなかで自己を訓練することによって、可能となるであろう。全共闘遊撃軍団が、日帝の下部構造の基幹部分へ<共産主義共同労働団>として潜入すること―若年労働力の逼迫事情により、肉体的臨時市場は可能である―は、戦士としての自己形成の上で、積極的な意義をもつばかりか、更に、それが現実の下部構造から、再編過程にある帝国主義上部構造の一つである大学へと、解体的力量として還流する回路をうちたてることによって、巨大な力をわれわれに保障するであろう。」(p.194)

*滝田修
◇滝田修 19740620 『只今潜行中●中間報告』 序章社
 はしがき
 潜行記
 プロローグ
  2度目の埼玉入り
  海辺の町―自然と公害
  最大の政治警察都市・東京
  何から始めるべきか
 第一章
  夫婦仲がいいとうこと
  小松左京『日本アパッチ族』を読む
  "実際に"鉄を食うということ
  情勢をつかむということ
  人間的であるということ
  <廃墟>こそ<沃土>なのだ
 第二章
  めまぐるしい神経戦
  敵の懐中へ押入る
  "泣きたいからこそ笑うのさ"
  現実する人間の立場―啄木と親鸞
 第三章
  突然の移動
  京大の闘う友人たちへの檄
  新たなアジトへ―ポンコツ屋見習い
  第三世界との連動―アンジェラ・デービスとサム・グリーン
 第四章
  ポリ公の出没
  心のこもった近況報告
  一心・二物・三意・四力・・・・・・
  W・ヒントン『翻心』
 第五章
  アジトの判断規準
 「第1=第2」世界のからくり―マルクーゼの批判的検討
 "人々的世界"のありかた
 民衆を知るということ―堀田善衛『方丈記私記』
 革命家の心構え―寺尾五郎『吉田松陰』
 第六章
  ある男の風景
  東京へ、そして焦立ち
 再びプロローグ
  鉄工場―底辺での労働
  モーテルの裏側―我慢だ頑張れ
  人民の海は広く、そして深い
 愛をこめてアピールn→∞
 付録
  72年1月 確実に反撃を開始しよう
  72年2月 2・11集会へのアピール
  72年5月 全国の友へ! 地下からの政治的ラヴレター

◇イサド同盟『たけもとのぶひろ全集 第一巻』(豆本)
 目次
  つよし
  ひとごろし
  そしていまぼくは
◇イサド同盟『たけもとのぶひろ全集 第二巻』(豆本)
 目次
  プロローグ「いのち」
  「合言葉はクラムボン」
  自由連合へ
  無力感を超えて
  エピローグ「希望」

<日大>
◇日本大学文理学部闘争委員会書記局 19690131 『増補 叛逆のバリケード』 三一書房
まえがき
第T部 ドキュメント日大闘争
 はじめに
 前篇 蜂起前夜    (一)続発する不正事件
   (二)決起への道
 後篇 蜂起とバリケード
   (一)蜂起
   (二)国家権力との対決
第U部 圧殺と抵抗の記録
第V部 自己変革の記録
 第T章 夜明けの声が聞こえてくる
 第U章 たたかいのなかで
 第V章 構内に眠る名句百選
第W部 中間総括と展望
 第T章 闘争の保証
  第T節 救援対策
  第U節 日大闘争を支えた情宣活動
  第V節 ゼロからの出発
  第W節 実力闘争の教訓
  第X節 「日大闘争の記録」
  第Y節 技術工作
  第Z節 闘争支援
  第[節 支持・支援の声明と手紙
 第U章 新たなる闘いのために
  第T節 主道的積極的・攻撃の闘いをさらにさらに、前進させよ!
  第U節 日大闘争中間総括
  第V節 文闘委アピール
 第V章 われわれの課題―座談会
 第W章 九・三〇大衆団交
付録 資料篇
編集後記

◇日本大学全学共闘会議編 19690215 『バリケードに賭けた青春<ドキュメント日大闘争>』 北明書房
 目次
われ反逆の旗手となりて/秋田明大・田村正敏
「そしてまた、かつて最低の形容詞として使用された『日本大学』というレッテルに象徴されるように、日本大学はエリートの学ぶところではなく、ごく普通の日本の民衆の学ぶ場所であったがゆえに、日大の卒業証書をもつ機動隊員もおれば、中学教員もおれば、バーテンもおれば、裁判所書記もいる。そして運転手もおれば下級技術者もおり、むろんサラリーマンもおれば、テレビ演出家もいる。そしてまた歯科医も開業医も獣医もいる。文字どおり日本中、津々浦々に日大の卒業生がいるように、今後も日大卒業生は日本の津々浦々に送り出されてゆくであろう。残念ながら、東京大学も一橋大学も、早稲田大学も慶応大学も、日本大学の右の特徴に比較したら、はるかにはるかに見劣りがするというものである。従って、そこに生ずる可能性に関しても、日本大学は断然他を圧倒するものを秘めている。」(pp.42-43)

日大株式会社への破産宣告/井出孫六
弾圧され反逆し勝利する<座談会>丸山邦夫・日大生
「―自主講座では大学のつくったカリキュラムと同じ講座をやってます。ただし、話す方も聞く方も熱意がちがいます。ときどき取っ組みあいになりそうになったり、講師がポロッと涙を流したりする、そういう内容だ。それがぼくたちの求めてる大学だし、闘っている理由です。」(p.66)
「―全共闘はヤクザだね。ヤクザは、堅気に衆には迷惑かけないというけど、全共闘は迷惑かけるね。(笑)秋田組、田村一家って感じだ。(笑)」(p.76)

三万五千人の目撃者<大衆団交・全記録>/日本大学全学共闘会議
バリケードの中の祭典/柳田邦夫
破壊と創造の拠点として<座談会>/日大・東大全共闘
秋田明大(日大・全学共闘会議議長・経済学部)
今井澄(東大・医学部)
大川正行(日大・法学部)
田村正敏(日大・全学共闘会議書記長・文理学部)
山本義隆(東大・全学共闘会議議長・大学院)
「大川 一一・二二の総括をすれば、日大闘争と東大闘争には、山本君がいったように結合できない質があったことは、結果からみてまちがいない。だが、一方は、国大協路線で支配者階級が将来の支配者階級をつくりだす場としての設定を行ない、一方はいわゆる中堅肉体労働者を大量に生産する場として設定されている。闘争の質から考えると、東大闘争のほうに革命性がある。佐藤の息子がいる大学で、現実に闘争が起こっている、ということだから。(笑)象徴的にいえば、権力が足元からくずれさりつつあるということが、今日の東大の闘争の姿であり、それは、東大の伝統がつくりあげてきた、権力を独占してきた母体としての大学に対する闘いだ。日大は、六〇年代の高度成長の時期に産学協同路線として早くからマスプロ化・マンモス化の極限状況にあった。将来、どちらがプチブル的な願望をもちうるかといえば、東大のほうが学生としてはもてる。その主体の変革をせまる闘争が展開されているんだ。日大闘争の場合は、資本主義がつくりだした古田体制の中で、これを破壊しなければ生きていけない、大学の学生として生活できない、というせっぱつまったところから古田体制に対する攻撃が始まったし、ぼくらの反逆がある。主体のエネルギーという点からいったならば、日大のエネルギーが強いのはあたりまえであって、エネルギー的に強いから日大を東大にもちこむというだけではいけない。しかし、ぼくはぜひ東大の全学共闘会議が全学封鎖をやってもらいたいと思う。東大闘争が二百何日も医学部を出発点として続いていながら、なぜ全学封鎖が行なわれなかったということは、日大生としては不思議でしようがない。」(p.236)
「今井 客観的にいって、すわり込んで暴力反対という者は結局は体制支持者であり権力の手先です。しかも彼らの行動には自己矛盾がある。彼らが暴力反対といってすわり込み、すさまじい形相でぼくらに対しヘルメットを取れと叫び、あるいは棒を持っているのが少数の場合は、多数で取り囲んでこづきまわし、実力で棒を取り上げる。カンパに対する妨害だってひどくなってるし、リンチも起こっている。あの姿を見ると、彼ら自身きわめて暴力的で、それこそ論理矛盾に陥っている。共闘会議の学友はただ暴力を振るっているのではない。現在の社会的条件に規定されて、権力支配が今日のように暴力的な本質を暴露するのに対して、われわれも暴力をもって立ち向かわなければならないということなんだ。その中で暴力反対というのは、今までのブルジョア的な平和・民主主義・非暴力・自由という、彼らのいつわりの存在のよりどころ自体が、もはや許されなくなってきていることに対する最後のあがきではないか。」(p.246)
「今井 支配者のための学問体系ということでもうひとついうならば、東大におけるマルクス経済学の役割をみればわかる。進歩的学問とか進歩的教授といわれるものは何をしているか。今や大内(力)経済学部学部長はガリガリの反動で、あの国大協路線の推進者であり、そのイデオローグとなっている。宇野学派はどこへ行っても、そういう役割を果たしているではないか。代々木系の講座派は欺瞞的な民主・平和派であり、川田侃氏も社会党系の学者である。彼らがいかにヴェトナムや日本経済の矛盾を語ろうと、結局なんの意味もない。進歩的学問をやっているといわれる教授ですらこのようにじつは反動であり、体制内の進歩派としてブルジョアジーが許容しているものだという実態が立証された。人民にとって何が必要かということは、闘争の中から出てこない限り、われわれの新しい学問・研究・教育の創造はできない。普通には、具体的な現実というものはあるのだから、ただ破壊するのではなく、新しい創造のビジョンをもってこないと建設はできないと考えるが、否定イコール建設なんです。」(p.252)
「田村 破壊こそがすなわち同時に創造であるということを弁証法的に理解できないと、新たな創造の問題を提起できないでしょう。」(p.252)
「山本 破壊の後、どうするかといわれたときに、単純によい大学、よい社会を先に描いて、そこに近づくのだなどという運動はありえない。ぼくらがやるのは、ぼくらに現実にかけられている攻撃、矛盾を徹底的に粉砕する運動を組織し、その組織自体が次の新しい秩序を担って行くということだ。」(p.252)

日大生である誇りと歓び/鳥越敏朗
「僕自身、大学像とは何かと問われたら、回答に困るのだが、現在、闘争の中で切実に考えていることは、いまバリケードの中で行なわれているような大学生活が、バリケードをはずして、いわゆる『正常化』されたあとにも行えるということである。」(p.270)

反動の砦を解放せよ/斎藤竜鳳
日大闘争の経過

◇秋田明大編 19690331 『大学占拠の思想』 三一書房
 目次
第T部 日本大学・敗戦から68年まで―日大闘争前史
 第1章 敗戦から60年安保闘争まで
 第2章 日大の確立過程と日韓闘争
 第3章 日大の恐怖政治の現実と羽田の二人
 第4章 闘争前夜=20億使途不明金
第U部 日大闘争・68〜69年―たたかいの思想と行動
 第1章 反動の日大から闘う日大へ
 第2章 実力闘争への質的高揚
 第3章 大衆的・非妥協的・永続的闘い
 第4章 「9・4仮処分」から「9・30団交」へ
 第5章 9・30の実質的破棄
 第6章 日大闘争の全国化めざして
第V部 大学破壊の論理―座談会/秋田明大・鳥越敏郎・酒井杏郎・佐久間順三・館野利治・大川正行・羽仁五郎・北小路敏
第W部 日大闘争とはなにか―激動期における大学闘争
 第1章 東大闘争と日大闘争
 第2章 蜂起から飛躍へ
 第3章 破壊の思想
 第4章 日本帝国主義の大学問題
 第5章 永久闘争への道
あとがき

◇日本大学全学共闘会議 19690428 『日大全共闘 強権に確執をかもす志』 しいら書房
 永続闘争宣言/日大全共闘
 日大全共闘は不滅である/秋田明大
 日本大学の学友諸君へ/山本義隆
T 討論「大学の破壊」からの出発
 日大闘争69年闘争
 さらなる進撃へ
 古田体制との不抜の闘い
 日大闘争の質的強化
 全国学園闘争
 表現としてのバリケードの構築―68年バリケード闘争の総括
 大学闘争・安保闘争
付 9・30大衆団交における自己批判書・誓約書・確約書
  日大全共闘が提起した五大スローガン・九項目要求
U 国家権力への告発状
 裁くのはわれわれである/間宮真
 獄中にあって/真武善行
 日大闘争の弁護にあたって/田賀秀一
 意志表示 ぼくらは人間のバリケードをつくる
  弾圧と圧殺に抗して 中村満
  「被疑者」とされて 佐村誠三郎
  黙否の思想 富所和彦
  法廷での闘争 三上宏明
V 変革のカオスの中から
 父さん母さんへ 吉川秀雄
 終わりなき闘い 大森節夫
 「単ゲバ」のこころ 山上健一
 「人民派右翼」の闘い 大塚彰
 人間の復権・人間の回復 岩淵進
 内なる山崎君との対話 安藤根八
 もがきそして闘う 渡辺隆行
W 日大全共闘 強権に確執をかもす志 石田郁夫
 日大闘争への出発
  原点とインテリ
  日大闘争への出発
 大衆の原像の戦闘性
  大衆性と戦闘性
  大衆に乗りこえられる
 武装占拠闘争
  幻の軍団、京大を走らす
  占拠の思想
  豆腐屋のラッパ卒
 日大と沖縄
  支配と退廃の病理
  国家の因果が……
 セクトとノンセクトの接点
  日大闘争の源流
  郡山と三島の闘い
  「日大全共闘」というセクト
 いたるところに日大闘争を
X 資料 郡山の闘い―工学部闘争委員会
 郡山68年10月14日
 郡山69年2月2日
 報告郡山工学部の現況
付 造反・占拠・永続闘争―68―69年闘争年誌―増田信彦


秋田明大
◇秋田明大 19691125 『獄中記―異常の日常化の中で―』 全共社
 目次
  はじめに 山本義隆
T 異常の日常化の中で
U 怒りと悲しみをもって訴える
   確約破棄に対して怒りを
   市民の皆さんへ
   怒りと悲しみをもって訴える
   我々の手による仮処分の粉砕を
   自らの手で解放された日大を
   貴族的東大闘争を変革せよ
   非妥協的、大衆的、永続的闘い
   日大闘争は不滅だ ≪インタビュー≫
V 秋田明大の思想
   秋田明大の思想    倉田令二朗
   獄中書簡によせて   館野 利治
   未完成なる革命ゆえに 酒井 杏郎
   秋田明大という男   大塚 規雄
   再度闘争宣言を    矢崎  薫
  あとがき        清宮  誠


<東大>
◇東大闘争全学共闘会議 19690410 『ドキュメント東大闘争 砦の上にわれらの世界を』 亜紀書房
 目次
序(山本義隆)
T 医学部闘争
 医学部闘争前史
 インターン完全廃止闘争から研修協約闘争へ
 第二次研修協約闘争
U 闘争の全学化と新しい闘争主体の形成
 闘争の全学化
 総長会見と時計台解放
 全共闘の結成と七項目要求
V 第一次収拾策動の展開とその大衆的粉砕
 8・10「告示」と全共闘の反撃
 医学部における闘い
 駒場における闘い
 第一次収拾策動の粉砕
W 闘争の深化と既成大学体制の根底的動揺
 封鎖の拡大と全学無期スト態勢の確立
 10・8、10・21、全国反戦闘争への決起
 新収拾案の破産と執行部交替
 文学部無期限団交
 文学部団交8日間の記録
X 全学封鎖の提起
 全学封鎖の提起
 加藤提案拒否と「提案集会」粉砕
 文学部学生大会と12・13
Y 「紛争収拾共同体」との武装対決
 武装行動隊の編成と「早期解決」路線粉砕
 日共・民青との武装対決
 <座談会>激闘の3日間
Z 全国労学による武装バリケード闘争
 本郷再封鎖
 バリケードの要塞化
 武装バリケード戦
 <座談会>民青重包囲下の第八本館のなかで
[ 東大闘争は不滅である
資料 東京大学黒書
東大闘争日誌

◇東大全学助手共闘会議 19690615 『東大全共闘』 三一書房
 目次
第一部 写真構成 東大全共闘/渡辺眸
第二部 われわれにとって東大闘争とは何か
 大学闘争の意味/羽仁五郎
 心情共闘派はいかにインチキなものか/野坂昭如
 東大全共闘/山本義隆
 第二の青医連の構築をめざして/川島宏
 東大闘争雑感/塩川喜信
 座談会/われわれにとって東大闘争とは何か

◇岡本雅美編 19690520 『大学ゲリラの唄―落書 東大闘争―』 三省堂
(採録・岡本雅美・村尾行一)
盗想詩篇
 編者の序
 編者の註
 助手共闘―参考 へんなやつ
 学生―参考 病気
 諸学生と諸要求―参考 エンピツとけしゴム
 教育的処分―参考 おとしだま
 いちょう―参考 いちょう
 民主化音頭―参考 水えい
 シュプレヒコール―参考 おさんぽ
 つまんないストライキ―参考 つまんない日ようび
 一般東大生―参考 とかげ
 トロ攻撃―参考 大きなあくび
 わがはいは教授である―参考 わがはいはけしゴムである
 紛争処理―参考 スケート
 頌歌 H・K教授に―参考 せともののブルドック
 きどうたい―参考 きんとまめ
pensees
 感謝状
 私たちになにができたか―11・19公開予備交渉報告
 いまこそわれわれの展望はなにか―11・25公開予備折衝報告
 東大民青化のために!!
 全学の統一と団結で全学トイレ化を早期に正しくかちろう
 日本共産党東大学生細胞OB会より現役諸君へ
 ある朝、突然革命が起った際の各派対照表
 俺たちに明日はない
 工学生委の泣き言に献げる嘲笑
 奇病<ゲバルギー>現わる!
 火事ど反対ひよりみ連合を設立せよ!
 「暴力行為・器物破壊・監禁・封鎖に道義的責任を感じる総決起集会」報告
 英雄衛藤瀋吉先生に捧ぐ
 東大民主化寿司
 城主加藤反動の守忠国と養ペテン集団
 特権階級="一般学生"の愁訴??「加藤先生へ」なる嘆願書発見さる!!
 箴言―深井君の泣き言に対する笑い言
 色気多ければ恥多し―「東大紛争」編集子を弾劾する
 オッコーチ先生に関する笑話集より
 中国古語「白虎が加藤清正を退治する話」
 真冬のサーフィン
 教官易腐学易鬻 一連臭態不堪嗅(付 註解)
 新訳論語
 暴力学生が一般学生に捧げる詩
 「一般学生」に訴える
 情況に溺れた仔犬たちへ
 有志連合諸君へ!!―君達は何者なのか
 衝突を心配してウロウロする一般教官諸君!!
 流血回避で虚脱状態に陥った教官諸兄へ
 吾輩ハ猫ニナル
 !!普=遍=的=自=己=権=力を!!―われわれにとって「闘争」とはなにか
 蜂起せよ、さらに蜂起せよ!!―われわれにとって闘争とは何か
 告示です
 穴化せよ!!
 「文化革命」としての東大闘争
 東大を妾にしよう!―"教育"拒否宣言
 俺は問われている
 母をこえよ
 砦の狂人たち
 ヒラメは海の中で泳ぐ
 冬の旅
 加藤學長代行に對する絶望的愚癡としてのMonologue
 パンセ断章
落書
 喪中広告
 時計台落書(安田講堂)
 法研落書(法学部研究室)
 八本落書(教養学部第八本館)
 雑
 ゲバツリー
 詔書
 死亡通知
替歌
 紅白歌合戦
 なつかしのメロディー
  枯れすゝき
  カチューシャ
  歌を忘れたカナリヤ
  君知るや
  まちぼうけ
  知りたくないの
  恋の季節
  紀元節
 おとなしい羊の群
 初笑民青バカシリーズ
 八本こぼれ歌
  八本を返せ―参考 沖縄を返せ
  ゲバの季節―参考 恋の季節
  駒場番外地―参考 網走番外地
  民コロ―参考 ドングリ
  民コロなんてさ―参考 新宿育ち
  民ちゃん―参考 象さん
秘 東大入試問題
 秘 東京帝国主義大学44年度入試予定問題
 秘 昭和44年度東大入試予定問題 国語現代文
大学ゲリラの歌
最後の時計台放送
闘争日表
戯註
 あとがき

◇山本義隆 19690615 『知性の叛乱』 前衛社
序■無際限の闘いの視座に立って―最首悟
「全共闘の誰もが、彼を代表者と認めず、何よりも彼が代表者を拒否するなかにおいて、彼が厳然として代表者らしき者であるという事実が存在することは、何という絶望であり、希望であることか。」(pp.4-5)

T 東京大学 その無責任の底に流れるもの
  神々は渇く
  丸山真男の場合
  痩せたソクラテスの弁明
U 生きのびた知性 東大全共闘の形成
  六・二〇集会
  研究者の組織的登場
  総長の「所信表明」
  本部封鎖闘争
  全共闘の成立
V バリケード封鎖の思想
  若手研究者と大学
  自己権力の確立1―学園闘争の現在的課題
「だかしかし、今大学は『社会のために』存在しており、学問は権力にとって危険であるどころか権力から認められており、学生が社会や国家に問題意識をもった時から大学には一元的価値が存在しなくなる。はっきり言わねばならない。「対話が不足」していたから闘争が起こったのではなく、『話し合っても解決しない』から闘争が起こったのだ。」(p.83)
「今『大学の自治』と呼ばれているものは自ら教育や研究の管理、学生の支配を行なうことにより、その相対的自律性をもつ『教授会の自治』である。教授会の個別人格化たる教授個々人はその主観的意図がどうであれ彼等が教授であろうとするかぎり―つまり知識や研究環境の独占とそれによる社会的経済的地位の保障にしがみつくかぎり―自ら文部行政官としての管理者とならざるを得ない。」(p.84)
「かかる社会的存在たる現在の大学は全社会的な闘争と無関係ではあり得ない。学生と政治権力との対決に際しては評議会、教授会は自主的に国家権力を代弁し、また学内闘争に於ても大学当局の自主規制を媒介に権力の意思は貫徹している(自主規制による学生の支配を正当化すべき『学生の自治』は教育の一環として位置づけられている。」(p.85)

  自己権力の確立2―東大闘争の普遍性
  新しい闘い
「学生運動は七〇年安保を向かえて、過去の補完物ではなく未来の出発点として、より困難な闘いの第一歩を踏みだした。今全国五十数大学で行われている学園闘争は、原因の違いはどうあれこの中でしか把えられない。このように闘いが未来の出発点としてあるかぎり、我我は過去の遺産を食いつぶしていたり、みがきをかけていたりすることは許されない。それは我々個々人の個人的な敗北を意味する。」(p.91)

  バリケードの意味
  結び
W 知性の叛乱 東大解体まで
  虚構の崩壊
  七項目要求
  「大学民主化」論
  「収拾内閣」と「話し合い」
  研究室封鎖闘争
  全学バリケード封鎖へ
  紛争収拾綱領
  訣別
  血と炎の一月
X いまこう考える
  燃え上る三十五年時間
  医療は金持の独占ではない
  「大学の自治」「研究の自由」
  研究者の知的荒廃
  何を目的としたか
  「近代化」路線と民青・右翼
  闘いへの出発
Y 攻撃的知性の復権
  大管法闘争に見る芽
  教授にとっての自治・自由
  青年医師の自己変革
  連帯した人たち
  一物理学徒として
  自己検証の上に立って
演説/東大闘争報告 2・21/日比谷公会堂労学市民連帯集会
討論T/反大学 日大・東大闘争の理念をめぐって
 秋田明大(日大)・佐久間順三(日大)・清水多吉(立正大講師)・山本義隆(東大)
 一一・二二闘争と学生運動
 民青は右翼、暴力団よりも悪質
 党派の結合ではない大衆の結合
 学生の中の支配者意識との対決
「東大の民青が、なぜ悪いかというと、民青の依拠しているイデオロギーが、日常的で保守的であるということにあると思う。民青がこっちに向けて、ゲバルトを振うとか、そういう現象的なことではなくて、こっちにゲバルトを振う、その、論理的根拠、思想的根拠です。たとえば、研究者という場合には、『研究することは良いことです。平和のために研究しましょう。民主的な研究者になれば良い。勉強することは良いことです。卒業することは良いことです。弁護士になりましょう。だから留年は避けましょう。早期解決を計りましょう』というように現在の東大生の基盤を全面的に肯定した上で、それに、免罪符的に『民主的ななんとか』『平和のためのなんとか』とかをくっつければ、一切が免罪されていくという、そういう意味で、保守的意識に立脚して運動が組まれていく。だから犯罪的だ。」(p.281)

 反大学の理念とはなにか
 "大学"破壊のための大学
 免罪符としての"自主カリ"を超えて
「そういう免罪的になっていることが、なぜかということの自己批判から、反大学は開始されねばならないと思います。自主講座で一番いままでしっかりしていたのは中大の自主講座だと思います。しかし中大の自主講座委員会のとったアンケートによると、ほとんどの学生が『一般教養を身につけるために参加している』と回答しているのです。それはそれで闘うという前提があれば、良いわけですけれど、実際にはあれは、ある意味では闘っていませんよ。つまり、問題は闘いを放棄したところで、一般教養的に、マル経を学んだとしても、それはブルジョア的だということだと思うのです。僕らが反大学のカリキュラムを作る上で、考えねばならないのは、反大学が、個別化された旧来の学問のカテゴリーから抜け出さなければならないということ、つまり、実践をともなった反大学にするということだと思います。」(pp.285-286)

 学問とはブルジョアのものだ
「やはり大学の中においても、社会的な矛盾は持ち込まれている中で、闘争を作っていく。大学の中にも教授会があり、その教授会と対抗関係を通じて、闘っているこちら側が社会的な運動を作っていくというもの以上は語れないと思う。」(p.288)

 理性、合理主義と大衆の武器
 闘う秩序とブルジョア秩序
 前衛不在下の労働者との連帯
 自ら首を締める"学生参加論"
「僕たちが決定権をもつとか、それを保証しろとか言っても、例えば民青が、運営協議会を作って制度的な保証をと言う―運営協議会自体ナンセンスだけれども―制度があったから権利が保証されるのではなくて、処分をさせない権利と言っても要するに力の問題で決まるのであって、文学部協議会があって、学生と教授が話し合って決める、それに一方的に教授が無理やり決めようとし、それに一方的に教授が無理やり決めようとして、それに学生が向かって行って、学生が処分される、要するに協議会があっても教授は都合が悪くなれば、それを無視できる。だから処分をさせないということ、処分権を制度としてなくすということでなくて、こうして処分出来ないということが最も重要なことである。処分などしたら大学が一年程収拾できない、あるいは総長の首が飛ぶという事態を覚悟でやるという情況を作っていくことだというふうに思うのですよ。(改行)大衆団交ということも団交権を取るという問題ではなくて、僕たちが実際に団交をやる力量があるということなのであって、追加処分にしても、終わったときにこれは後がこわくて追加処分などやれない、という情況を作っておけばいいわけですよ。」(p.297)

討論U/68'〜69'年越冬宣言
 ―究極状況における再確認と展望
 江草福治(東大理系大学院)・加納明弘(東大教養学部助手)・最首悟(青医連東大支部)・原田誠司(東大理系大学院)・松沢俊郎(東大経済系大学院)・山本義隆(東大教養学部LM)
あとがきに代えて■僕自身の「闘争宣言」 山本義隆
「商品生産の一層の合理化を目的とする独占資本は、今研究・開発にその延命を賭けており、労働はより非人間的なものとなってゆく。当然のこととして研究に『生産性向上』が採り入れられ、研究労働も『近代的疎外態』になってゆく。最も進んだ場合、アトム化された研究者は分業と競争の中に投げ込まれ、全体として見事に管理されている。競争の勝利者を目指し、自ら細分化された専門領域に閉じこもる研究者は、主体性を喪失し認識の全体像にも研究の社会的連関にも無自覚になる。そして『テーマを探す研究者といった悲劇的状況が生み出される。彼にとって研究は内発的なイデーに基づく人間的実践ではなく、業績をあげるためのものになっているのだ。」(p.337)
「しかも、競争の脱落をも賭して研究の小宇宙の外に出て<アルキメデスの点>に立った時、研究総体が独占のためのもの、労働者の収奪の効率を上げるためのもの、戦争の破壊力を増すためのものであることを知る。」(p.337)
「しかし研究過程の渦中にいる研究者は意識の上で労働者とは同じではない。彼らは自らの論文に自らの名を冠することにより少所有者意識をもちうる。自らの論文の上に新たな世界を構築しうる。その意味で彼らは、観念的には自己完結し自己発展のサイクルを所有しうる。」(p.337)

*出典
「東京大学」『現代の眼』1969年6月号
「生きのびた知性」『中央公論』1969年6月号
「バリケード封鎖の思想」『情況』1968年11月号
「討論・反大学」『情況』1969年2月号
「いまこう考える」『中央公論』1969年3月号
「攻撃的知性の復権」『朝日ジャーナル』1969年3月2日号

◇東大全共闘・駒場共闘会議 19700410 『屈辱の埋葬』 亜紀書房
 目次
第一部 無期限ストライキ闘争
 T 胎動―67年11月12日〜68年6月17日―
  一 東大の中の駒場
  二 佐世保闘争―第三の羽田
  三 佐世保の後に来たもの
  四 新入生を迎えて
 U 無期限ストライキへ―68年6月17日〜7月5日
  一 闘争の自然発生的な高揚
  二 大河内会見
  三 遂に無期限ストへ突入
 V 無期スト体制下の駒場―7月5日〜11月5日
  一 クラス活動・クラス闘争委員会
  二 クラス連合
  三 10・8、10・21反対闘争
  四 自主講座運動
  五 駒場祭
第二部 駒場共闘会議
 T 駒場共闘会議の大衆的形成―11月5日〜12月13日
  一 11・5代議員大会と駒場共闘会議
 <座談会> スト実・全学闘問題
  <出席者>学生会議・フロント・マル学同中核派・学生解放戦線・助手共闘・STU闘・基礎科スト実・全闘連駒場支部・教養学科スト実・LV闘
   組織問題について(全学闘書記局)
   反産協の旗の下、東Cスト実に結集し、全共闘―駒場共闘の再編強化をかち取れ(東Cスト実)
   駒場共闘結成への動き
   駒場共闘会議の当初の性格
  二 駒場研究棟連続封鎖闘争と11・14の敗北
 <座談会承前>
     三本・六本封鎖の敗北
   11・10赤旗論文
  三 全学封鎖闘争の停滞から八本封鎖へ
 <座談会承前>
   八本封鎖をめぐって
  四 八本を駒場の解放講堂に
 <座談会承前>
   八本の内部
  五 反帝学評―革マル派の武闘のなかで駒場共闘改編
 <座談会承前>
   いわゆる「内ゲバ」問題
   反スタというスターリニストへの我々の闘い(東大C反帝学評)
   12月党派闘争についての我々の立場(東大教養学生会議)
   民青、八本に攻め入る
 <座談会承前>
   12・13代議員大会
 <座談会承前>
   駒場共闘会議の改編をめぐって
   ノンセクトラディカル・全共闘運動
 U 八本コンミューン―12月13日〜1969年1月21日
  一 1月9日、10日、11日
  二 八本籠城
  三 本郷は機動隊、駒場は民青
第三部 教官弾劾
 T 3・3〜4教授会追及弾劾集会
  3・3(教)養教授会追及弾劾集会の記録
 U 教官論断片
  「存在」への埋没 足立和浩
  教官論断片 木村博
  われわれは「授業再開」を拒否する!
 V 別に起ち、共に撃つ
  東大闘争・教官団・学問 石田保昭
  教師論の試み(序説) 折原浩
第四部 闘うことへの問いかけ
  3・3、4闘争公判意見陳述書 今村俊一
東大闘争日誌
手引索引
 佐世保にて 岩井則衛
 1・18デモについての感想 外村桂輔
 3〜5月期における駒場の状況 小室昇
 ショック現象 梅原由紀子
 可能かもしれない 蔵田正彦
 DGT形成史 DGT・D機関史料編纂局
 クラ連小史 42LI16組
 10・8を語る視点 竜里智秀
 1968年10(月)21日 山上章
 ゼミナール運動総括 ゼミナール実行委員会
 駒場祭異状なし 吾妻蘭
 救対日記―1月9日
 「今日は、八本に泊らない方がいい」 中田伸枝
 食糧補給に従事して 寺崎ふみ子
 教授会は本当に粉砕・解体すべきだ 田中悠
 それを保障し得るのは"行為"だけ 無天坊(お)生
 「秩序遵守」のモラルを断ち切って Y・A生
 「東大生である」という呪縛からの解放 J・M生
 闘うことへの問いかけ Y・K生
 私は今こんな言葉しか吐けない T生
 薄くなった大気の中で D・K生
 東大への別れの挨拶 S・S生
 戦線離脱宣言 恩地豊志
 試験―進学派分けを拒否する 大西隆
ビラ索引
 本日反戦安保大行動へ総結集しよう!(反戦会議)
 全本郷は駒場六千の決起を心から期待し、呼びかける!(医学部43青医連他)
 代議員大会報告(東大Cスト実委員長野村)
 駒場共闘会議の下、八日学部長団交、教官会議室封鎖をかち取ろう! 日共民青の闘争妨害弾劾!(学生解放戦線〔中R4BML研〕)
 封鎖闘争の意義とは何か(社会学系大学院国際関係論コース自治会)
 第八本館封鎖要領(国際関係大学院)
 第八本館封鎖闘争の実現にあたって(教養学科闘争委員会声明)
 「八本バリケード共同体」への誘い(勝利の日まで闘う会)
 われわれは授業再開を拒否する(教養学部助手 足立和浩 木村博 最首悟 広部達也 山之内萩子 横山正)

◇島泰三 20051125 『安田講堂 1968−1969』 中央公論新社
はじめに
その一 発端
 原子力空母「エンタープライズ」
 佐世保にて
 「テト攻勢」
 処分
 青年医師
 卒業式・入学式阻止
 ヴェトナム戦争の後方基地日本
その二 未来の大学へ
 日大の暗黒
 日大生、立つ!
 安田講堂第一次占拠
 告示
 機動隊導入抗議
 総長会見
 安田講堂占拠
 東大全共闘結成
その三 バリケードのなかで
 バリケードのなかの祭り
 両極の大学教育
 「8・10告示」
 スト破り
 "あかつき部隊"登場
 日大バリケード「永久奪還」
その四 ひとつの歴史の頂点
 日大両国講堂集会
 東大全学無期限ストライキ
 東大病院での闘い
 「民青中央委員会破産宣告!」
 騒乱罪適用―10・21国際反戦デー
 大河内総長辞任
 責任感
 日大に吹きすさぶ暴力の嵐
その五 日大・東大全共闘合流
 加藤代行の手法
 ドタバタ
 総合図書館前の激突
 「カエレ、カエレ」
 すべては11月22日へ
 日大全共闘、東大に登場
 「日大父兄会」の屈服
その六 前夜
 東大全学部の学生大会
 教養学部の騒乱
 ストライキ解除―法、経済学部および教養学部教養学科
 ストライキ越年―教育、農、工、薬、文、理学部
 「医学部学生大会」強行
 理学部二号館事件の補遺
 1968年末、東大生は何を考えていたのか
 前夜の風景
 決戦準備
 その前夜に
その七 安田講堂前哨戦
 前哨戦
 「お前たちは政府の走狗にすぎない」
 生死をかけて
 「とうとうルンペン・インテリだ」
 四人の自由意志者
 それぞれの理由
その八 安田講堂攻防
 ニトログリセリン?
 1月18日
 列品館
 街頭の闘い
 安田講堂のなかで
 1月19日
 「ひるまず進め、われらが友よ」
その九 安田講堂始末
 暴行の実態
 第八本館と入試中止
 逮捕、勾留そして起訴
 裁判闘争へ
その十 1969年、そして今
 歴史の評価
 日本の教育は根底から間違っている
 「十項目確認」の茶番
 決算はまだ出ない
 アメリカはなぜヴェトナム戦争に負けたのか?
 アメリカ軍は必ず敗北する
 「ホおじさん」がいれば
 東大闘争の評価について
 ひとつの「仮定」を
 青空が見えた瞬間
おわりに
 写真提供一覧
 引用資料について
 引用文献
 資料1 1969年−69年年表
 資料2 1968年度の東大学生・院生・教官数

<個人>
◇天野恵一 19890615 『全共闘経験の現在』 インパクト出版会
 T 運動経験について
  運動経験について
 U 全共闘運動―その思想的検証
  「戦後」批判の運動と論理―安保全学連と全共闘運動
「『戦後』批判がなぜ端緒的なるものにとどまったのか、『戦後』批判がなぜ戦後革新政党と同伴知識人の運動とイデオロギーの批判としてしか成立しなかったかの時代的根拠が彼女(樺美智子―山本)の手記の中に明示されている。彼女(たち)にとって戦後の教育制度―大学はまちがいなく価値だったのである。彼女(たち)はまだ『戦後』(大学)の中に安住の地を保持しえたのだ。戦後の<制度>をまるごと疑問視するような感性と論理は、この時代の戦後革新の運動(イデオロギー)を全面的に批判しえた学生も知識人もまだ持ちあわせてはいなかったのである。」(p.45)
「この点は端緒的戦後批判の延長線上で戦後批判の深化という役割を担った、60年代末から70年代初頭の学生たちとは決定的にことなっている。彼等は戦後の(教育)<制度>全体を否定せざるをえなかった。戦後の<制度>を身をもって生きてきた人間の<制度>否定の闘いを必然的にかなり『内的』な闘いとならざるをえなかった。『試験』『卒業』などという問題をめぐって、どこまで妥協が可能か、あるいは全面的に妥協すべきではない、などといった主張が闘争主体から繰り返し繰り返し発せられたのだ。『大学』はもはや安住の地ではなくなってしまったのである。」(p.45)
「それは少なからぬ学生たちに日常の中にある<制度>のイデオロギー性を常に自覚し、それにできるだけ抵抗的に生きようとする姿勢を身につけさせた。戦後の<制度>を身をもって生きた世代の<制度>への挑戦は結局<制度>への再度の屈服という結果におちついた。しかしこの自壊せる闘いは日常的な<制度>にあらがう、倫理的ともいうべき姿勢の大切さを多くの人間に自覚させたのである。」(p.49)
「全共闘運動はもっぱら、戦後秩序に対する暴力的、全否定的、急進的な言説と行為という点で過剰に評価されたり、批判されたりしている。しかし、この運動の積極性はその倫理的で"オタオタ"する精神の姿勢の中に、自己凝視を徹底しようとする姿勢の中にこそあったのだ。急進的な政治意識をあらかじめ持った学生の闘いではなく、ごく普通の学生が"オタオタ"しながら闘い続けたからこそあれだけの暴力的な反乱が組織しえたのである。それはあたりまえの学生によるあたりまえの闘いがうみだした暴力性であった。この時代、学生たちが多くの政治理論書以上に高橋和巳の『わが解体』を愛読したのはこの教官の中に自分たちの姿を見たからである。とりたてて先鋭な政治的主張がもりこまれているわけではなく、愚直に自分の精神の"オタツキ"をさらけだしているだけのこの本に彼等が共感したのは、ある意味で当然である。外から見れば滑稽としか見えないこの"オタツキ"に、愚直で倫理的な姿勢にこそ彼等は共感したのだ。強靭さを誇る精神ではなく、"オタオタ"した脆弱な精神の自己凝視を忘れず倫理的にこだわり続ける精神のラディカリズムを刻印している点で、『わが解体』はたしかに時代の書である。」(p.50) 「(注2)加藤周一、鶴見俊輔、日高六郎、高橋通敏たちは『転形期八十年代へ』(1979年・潮出版)でもっぱら『三島由紀夫的なるもの』と『全共闘的なるもの』を同一のレベルにならべて批判している。マス・コミに演出された全共闘の思想はともなく、三島の政治思想と全共闘の政治思想は本来何の関係もない。右翼のなぐりこみにそなえてバリケードを常に防衛しなければならなかった現場の全共闘の学生が右翼天皇主義者三島の政治思想に共感するわけがない。全共闘の一部にあった心情主義(ロマン主義)的傾向が強かったことは事実であるし、のちに右翼と合流した元全共闘も存在しないわけではなかろう。しかし、そのことは相対的に別のレベルの問題である。」(pp.53-54)
(『流動』1980年4月号)

  大学闘争と自己否定―高橋和巳をめぐって
「吉本は自己否定論を『階級移行論』=『自己犠牲論』とまったく同一視している。これは根拠のあることであろうか。古典的な自己犠牲論と同一のレベルの自己否定論を主張した人間はいなかったわけではない。しかし、もともと全共闘の自己否定論は、旧左翼の『自己犠牲論』に対する批判の意識からうまれたものであり、多くの人間にとってこの二つが同一でないことは自明であった。(折原も自己犠牲=自己否定と考えているわけではない)。」(p.65)
「吉本にとっては『倫理主義』と『倫理的な姿勢』を区別する必要は論理的にないのである。倫理的にこだわること自体がナンセンスなのである。いったい個体(倫理)の問題と社会(共同)の問題がどうしてこう機械的に区別しえるのだ。すべての問題を資本制社会の悪に還元することで、社会批判の主体である<自己>の問題をまったく無視してしまった、古典左翼の古典的革命論と吉本の主張」はどこがちがうというのだ。特権―非特権といった差別の関係が重層化した社会の構造の絶対性をいいたてて吉本は、結局、その絶対の関係性をひらきなおることを、すすめているだけなのではないか。」(pp.67-68)
  「マルクス没後百年」をめぐる思想状況―思想を自己との格闘の場でとらえる作業を! 「自己を凝視する、そして自己との格闘の場を持った肉体化された思想の欠落を激しく批判した当の本人たちの少なからぬ人々が、自分の思想の肉体化をこそ問われる時間の流れの中で、ポロポロ垢を落とすように思想を投げ捨てしまっているとすれば、それは、やはり皮肉な事態である。」(pp.72-73)

  「全共闘」と<自滅のロマンチズム>
「かつて私も愛読したこの雑誌(『遠くまでいくんだ』―山本)に流れるトーンは、まちがいなく<自滅のロマンチズム>である。『潰れる』こと、『壊滅』、『勝利なき潰滅』、『必ず壊滅する戦い』これがムード的に価値化されている。自己否定というスローガンに象徴される、単に外在的な秩序をでなく、自己を貫徹する秩序の否定=自己変革への志向には積極的な意味はまちがいなくあった。自己との闘いを媒介することなく秩序(大学のあるいは国家の)と本当の意味で闘ったことにはならないというこの時代の人間が持った思いは正当である。しかし、自己凝視を持続し、自己変革をも射程に入れた人間の相互主体的関係を形成しうる集団の闘いをどう深化・拡大するのか、制度の変革と自己変革とをどう運動的に相互関連づけるのかといった課題への冷静な理論的配慮がまったく無視され、自己否定という論理が、自己破滅のロマンにすり替えられるムードはこの時代かなり支配的であった。ある意味で<自滅のロマンチズム>に酔っぱらってしまうほうがはるかに楽であったのだ。自滅必死の闘いの意味をロマンチックに歌いあげ、急進的な肉体行為をあおるといった主張が満載されているこの雑誌にはこの時代のムードがかなり正確に刻印されている。映画や漫画で流行の美学がそのまま横流しされている(おそらく高橋和巳の小説の流行もこの美学と大いに関係のあることであると思う)。」(pp.97-98)
「社会を根本的に変えるといった作業は、本当は、気のとおくなるような意気の長い作業なのである。命がかかってしまうような闘いというやつは、いつでも存在しているといえるかもしれない。しかし命がけを気取るべきではないし、その悲壮さに自己陶酔してしまったら終いだ。この手の心情主義は組織活動においては、妙に独善的な人間をつくりだし他人に開かれた関係を創ることを困難にさせるし、闘争戦術に柔軟性を喪失させる。」(p.101)

  「全共闘」ブームを撃て!
「もちろん、『全共闘で闘ったから自民党支持』(PENTHOUSE)だとか、かつて『全共闘だから私はこんなに有名になった』(BIG SUCSESSに多い)てな調子の個々の文章の醜悪さもまたすさまじいものである。大学の管理支配強化反対・ベトナム反戦・沖縄解放・安保条約粉砕などの目的をかかげて多様に闘われたあの運動は、まちがいなく敗北した。勝利したのは権力である。その後『全共闘』が闘い抜かんとした支配―管理体制は強化されっぱなしである。もちろんそれに抗する闘いも個別課題別に分断された形態であるとはいえ、様々に持続―深化されていないわけではない。しかし、それは権力を動揺させるほどの政治的パワーを結集させる状態にはほど遠い。」(p.113)
「時間が流れ、一般的には『全共闘運動』がほぼまったく過去のエピソードとしてのみ語りつがれるにすぎないような事態になった(もちろん、『過激派』キャンペーンが消滅してしまったわけではない)現在、過去の『栄光の青春』として『全共闘』が大量に商品化されだしたわけである。おそらく、これ以降ますます拡大されるであろうこのブームは、権力・大資本にとっては、勝利の確信をますます強める舞台となるであろう。なにせ、かつてあれほど激しく自分たちを攻撃した運動から、攻撃の"毒"を抜きとり、それ自体を大量に消費財として売りさばき、文字通り喰いつくわけであるから。」(pp.114-115)
「ブームに加担するよりは沈黙すべきであろう。しかし、私たちに本当に問われているのは、体験をどのように対象化し、語るのかということであるのではないか。そしてこの<経験>の思想化への作業の通路は『全共闘世代』の上下に開かれているはずである。様々な世代が固有の<経験>をふまえ『全共闘』を語るべきなのだ。」
(『新地平』1984年4月号)
<補注>
「ベトナム反戦を軸として70年前後の政治闘争も、総体としてみれば、ずいぶんナショナリズムの色彩のこいものであったことがあらためて確認できたのである。『全共闘・反戦』らの行動的突出による日本帝国主義自体との対決は、それほど具体性と大衆的広がりをつくりだしえていない様が、そこによく示されていた。」(p.188)

  「『全共闘』対丸山真男」の思想的意味―「丸山政治学」をどう読むか
「元『全共闘』活動家が大学教員になっていくこと自体よりも―このことも正直、いい気持ちがしないことは当然であるが―、吉本のいう『錯覚』、山本のいう大学『共同体』意識から―これは大学教員のみの問題ではあるまい―、はるか遠いところで私たちが今、思想的に生きられているか否かこそが最も重要な問題であるはずだ。」(p.131)

 V 「全共闘」以後―若者・学生論
  <悪夢>の総括
  "戦時体制づくり"と学生運動―「新人会」型ラディカリズム以後と「全共闘」以後
  「挫折(ズッコケ)小説」はなぜいつも優しさなのか―『されどわれらが日々―』から『優しいサヨクのための嬉遊曲』までを斬る
  若者論の現在―見るまえにやれ
 W 運動のなかから―闘いと<経験>
  全共闘世代の男お死に寄せて―山谷での虐殺
  資料●山谷のドヤ街冬の陣
  山谷の闘いと山岡強一―一人の支援者・共闘者として
  資料●山谷(「寄せ場」)の労働者の闘いを見殺しにするな!―追悼・山岡強一
  政治闘争・共闘の<質>について―"「借金」の支払い方"をめぐって
  反天皇制運動のなかの<全共闘経験>―その思想的総括
  反天皇制運動の現在―新たな<運動経験>とあの時代
あとがき

◇天野恵一 19940615 『「無党派」という党派性 生きなおされた全共闘経験』 インパクト出版会
 「党派性」ということ―まえがきにかえて
 T 「無党派」という党派性―「自己否定=自己処罰」の精神
 U 運動のなかの暴力―生きなおされるべき「運動体験」   資料 書評『デモと自由と好奇心と』(福富節男著)
  資料 書評『市民運動の宿題』(吉川勇一著)
 V 「内部ゲヴァルト」の心情と論理―裏切り史観(近親憎悪と独善)の磁場
  資料 吉本隆明と湾岸戦争
  資料 1960年代思想論―どのような思想(方法)が継承されるべきか
 W 運動の自壊と倫理主義―「過去を豊富化する」思想的態度<方法>
 X 「革命的暴力」の神話
  「革命的暴力」の神話@―東アジア反日武装戦線の思想と行動
  資料 「革命的ダボラ」について
  資料 書評『意見書―「大地の豚」からあなたへ』(加藤三郎著)
  「革命的暴力」の神話A―「パルチザン後史」
 Y 「革命的左翼」と「全国政治闘争」の神話―「普遍性」(「全体性」)への通路を求めて
  資料 80年代安保論議―論争は何故成立しなかったか
 Z 運動の持続と世代体験の交流―例外的戦中派としての平井啓之
  資料 書評『ある戦後―わだつみ大学教師の四十年』(平井啓之著)
  資料 追悼・平井啓之さん―反天皇制運動連絡会「特別会員」の死に寄せて
あとがき

◇天野恵一 19990130 『無党派運動の思想[共産主義と暴力]・再考』 インパクト出版会
 「無党派」ということ―まえがきにかえて
 共産主義(マルキシズム)と「東亜の新体制」―「最後の廣松渉」をめぐって
 十年後の「山谷―やられたらやりかえせ」―権力と右翼(ヤクザ)の暴力の記憶
  資料 書評『寄せ場に開かれた空間を』
  資料 十年の後に―佐藤満夫虐殺10年の集いのために
  資料 十年後の山岡強一
 沖縄の反基地闘争と基地の「記憶」―私たちと沖縄を結ぶもの
  資料 敗戦「51年」に向かって―「50年連」運動がめざしたもの
  資料 運動そのもののオルタナティブを
  資料 書評『アメリカが知らないアメリカ』
 「連合赤軍」という問題―<全共闘経験>をめぐって
あとがき

◇牧野剛 20021201 『30年後の「大学解体」』 ウェイツ
 目次
 全共闘運動は「戦後の完成」の証しである
「なぜ押し返せないのかに関して一つだけ言えば、日本の全共闘世代はヨーロッパの『緑の党』みたいに、社会的な影響力を持って政治の舞台に登場し、環境問題にしろ教育問題にしろ、オルタータナティブな、現在ともう一つ違った選択にしろ、提起することができなかったのです。(改行)そのことが社会全体を右のほうに移動させてしまい、バランスが取れなくなって、現在の小泉政権状態になったと思うのです。だから、全共闘として闘ったのは悪いことではないし当然だけれども、全共闘世代はそのあとの社会勢力としての結集と形成の失敗についてかなり歴史に責任を取らなければならないかもしれませんね。」(pp.17-18)
「つまり、全共闘で活発にやった人ではなくて、周辺にいてデモは見に来ただけという、いわゆるシンパみたいな人の中に意外と全共闘スタイルがまだ生きていたりします。」(p.22)

 恵那の気質が生きている
 大学解体は、ここまで進んだ
「あとから考えてみると、大学解体を言っていた者が、大学へ人を送るところにいるというのは皮肉の皮肉ですね。だけどそのくらいのことを引き受けなかったら、社会変革を言う手はないだろうということです。つまり、社会のいちばんの矛盾の中に入らなかったらだめということと、人の数だけ渦があって生き方があるという確信があって、若い奴の群れの中に入れば自分自身もその渦に巻き込まれて、もう1回何か考える契機になるかもしれないと思ったのです。」(p.80)
「『大学解体』をとなえながら、大学解体を内実化する『大学解放』と言い換えていたのもそうです。解体と言っていると肉体的にただ解体になってしまう気がする。一方で解体がどれだけ思想的な意味を持つかということを考えながら、同時に政治的スローガンとしては『解体を内包する解放を』と呼びかけるのは、そこに実現可能な段階をつくろうという意識です。」(p.83)
「ここまで来ると、もはや大学が解体していくのは必然です。だから解体してもいいと考えて、まさに全共闘のスローガンどおり『大学解体』だと名乗って、だけどうちは死に絶える前に『これをやる、これを目指す』と言わなければいけないのに、大学にはそれができないのです。」(p.106)

◇武井昭夫 20050615 『層としての学生運動―全学連創成期の思想と行動』 スペース伽耶
 目次
T 全学連の出発―その闘争目標はなんだったか(1998年〜2004年)
 新しき未来の僚友たちへ―全学連結成50周年を迎えて(『思想運動』第598号・1998年12月15日付)
 闘いのなかから生まれた全学連結成とその後の展開(『闘う青春の回顧』中央大学学生運動・写真と回顧刊行会・2002年10月15日刊)
 全学連結成の前後―それは逆流との闘いの幕開きだった(『早稲田―1950年史料と証言』第5号・1999年12月25日付)
 大学の自治と学生運動―ドキュメント『泥ウソとテント村』の上映に寄せて(『ドキュメント泥ウソとテント村―東大・山形大廃寮反対闘争記』2004年5月7日発行)
 全学連創成期の運動、その経験と思考―東大駒場の「テント村」喫茶室での講演と問答
U 「層としての学生運動」―その大衆性と戦闘性(1948年〜1951年)
 転換期に立つ学生運動―その新しき発展のために(『学生評論』第14号・1948年11月30日付)
 新制大学の意味するもの―九州学連に送る手紙(『学生評論』第16号・1949年1月30日付)
 教育のファッショ化反対闘争について(『前衛』第36号・1949年3月1日付)
 分裂主義者批判―学生戦線の統一と拡大のために(『学生評論』新編集第1号・1949年9月15日付)
 大学入試と教育の危機―白線浪人問題の本質(『学生評論』別冊「国立大学受験」特集号・1950年1月15日号)
 対日講和と学生運動の任務(『学生評論』新編集第4号・1950年2月15日付)
 平和擁護と愛国的国際主義―「対日講和と学生運動の任務」の訂正と補足(『学生評論』新編集第5号・1950年4月1日付)
 日本学生運動における反帝的伝統の堅持と発展のために―藤尾守「当面の学生運動の重点」(『前衛』1950年8月号)批判(『学生評論』第7号―1950年10月1日付)
 国際学連・全学連の伝統と意義を論ず(『学生評論』第8号・1951年3月1日付)
 日本平和擁護運動の前進のために(『学生評論』第9号・1951年5月1日付)
V 運動再建のための提言(六全協後―1956年)
 この沈滞はなぜか―科学的方針の欠如を克服せよ―東大教養学部自治会常任委員会の活動一般方針書をめぐって
 『日本の学生運動』(東大学生運動研究会編著)への批判的註釈―自己の運動への真摯な批判・総括からの出発を望む(『東京大学学生新聞』第248号・1956年1月16日付)
W 日本学生運動史年表(敗戦から60年安保まで)―山中明編
あとがき

<日本の大学革命>
◇日本評論社編集部編 19690930 『全国学園闘争の記録V』(日本の大学革命3) 日本評論社
 目次
はしがき
 東京工業大学・学寮闘争の記録
  闘争日誌
  資料編
  (一)闘争前史 屈辱的な敗北の歴史
   1 文部省/○○大学学寮管理運営規則
   2 東京工業大学寄宿舎規則(66・6・22)
   3 文部省/「2・18通達」(64・2・18)
   4 新寮建設特別委員会、五寮委員会/「覚え書」(68・11・21)
   5 実吉純一東京工業大学学長/学長団交確認事項(68・5・13)
   6 斯波忠夫東京工業大学学長/自己批判書(68・12・5)
  (二)第一期 団交要求から無期限ストライキへ(69・1・14〜2・13)
   7 五寮委員会/学友、教職員に訴える(69・1・18)
   8 学友会執行委員会/闘う学友は本日の寮団交に結集せよ!(69・1・18)
   9 山森茂夫学友会執行委員会委員長/明日の学生大会にクラス・サークルの決議をもって参加しよう!(69・1・21)
   10 五寮委員会/総ての学友は寮生と連体し、本日の学生大会に総結集しよう!総てのサークルはスト決議をもって参加しよう!(69・1・22)
   11 五寮委員会/学生大会「議案書」(69・1・22)
   12 学友会執行委員会/本日のストを○管規粉砕の烽火とせよ!(69・1・23)
   13 斯波忠夫学長/「学長声明」(69・1・25)
   14 学友会執行委員会/本日の学生大会で無期限スト突入を宣言せよ!(69・1・28)
   15 五寮委員会/「議案書」(69・1・28)
   16 学友会執行委員会/闘争委の旗のもとすべての学友は総結集しよう!(69・1・29)
   17 斯波忠夫学長/全学生諸君へ(69・2・1)
   18 全学闘争委員会/すべての教授は団交に出席せよ 二・四大衆団交で五項目要求を貫徹せよ!(69・2・3)
   19 学生会執行委員会、五寮委員会、全学闘争委員会/スト体制の更なる強化を(69・2・5)
   20 学友会執行委員会、五寮委員会/二・五学生大会議案書レジュメ(69・2・5)
   21 全学闘争委員会/自主管理宣言(69・2・9)
   22 全学闘争委員会/闘いのスローガンは教官の学内立入禁止だ!(69・2・12)
      23 全学闘争委員会/当局の学生対策的行為を弾劾する!(69・2・13)
   24 全学闘争委員会、五寮委員会/クラス、学科討議資料・五項目要求レジュメ(69・2・13)
  (三)第二期 事態収拾・闘争圧殺を実力で粉砕(2・14〜3・27)
   25 全学闘争委員会/当局の団交拒否にバリケードをもって応えよ! 2・14大衆団交実現総決起学生大会に勝利せよ!(69・2・14)
   26 全学闘争委員会/当局・革推会の闘争収拾・学生分断裏切り団交を粉砕せよ!(69・2・17)
   27 全学闘争委員会/2・19全学闘争委員会総決起集会に結集せよ!!(69・2・18)
   28 全学闘争委員会/当局・革推会のボス交粉砕! 収拾策動粉砕! 本日の公開予備折衝をかちとれ!(69・2・20)
   29 全学闘争委員会/革推会批判(1)<獲得物を明らかにするために>(69・2・20)
   30 全学闘争委員会/革推会批判(2)<獲得物を明らかにするために>(69・2・26)
   31 全学闘争委員会/自己の存在を明確にし、総てバリケードの中へ!(69・3・3)
  (四)第三期 四・二八沖縄奪還闘争勝利に向けて(3・28〜4・28)
     32 全学闘争委員会/四・二八沖縄奪還大闘争勝利のために(69・4・7)
   33 全学闘争委員会/四・二八全都制圧、官邸占拠を実現せよ 四・一七政治集会の成功こそそのカギだ(69・4・15)
   34 全学闘争委員会/4・17の圧倒的成功をステップに、4・20に大結集し大挙4・28へ(69・4・18)
   35 全学闘争委員会/首都制圧・首相官邸占拠をかちとれ! 沖縄県民の血を炎に!(69・4・26)
  (五)第四期 大学立法粉砕・安保粉砕へ(4・29〜)
   36 全学闘争委員会/秩序派に死を、当局に破産を宣言せよ(69・5・8)
   37 全学闘争委員会/デッチあげ学生大会粉砕、全闘委は不滅である 5・10破防法粉砕闘争に決起せよ(69・5・9)
   38 全学闘争委員会/5・10破防法粉砕集会へ(69・5・10)
   39 全学闘争委員会/安保粉砕・日帝打倒の砦としての大学を守れ!(69・5・17)
     40 全学闘争委員会/民主主義の防衛ということは?(69・5・20)
   41 全学闘争委員会/バリケードの中から安田講堂へ!(69・5・24)
   42 全学闘争委員会/5・30労学の力で外務省を包囲せよ 6・1出入国管理法案粉砕闘争に決起せよ!(69・5・28)
   43 全学闘争委員会/川奈を第二の佐世保にせよ! 軍事同盟会議=ASPACを粉砕せよ!(69・6・3)
   44 全学闘争委員会/ASPAC粉砕闘争、列車内で機動隊と激突! 6・15一〇万人国会デモを実現せよ!(69・6・10)
   45 全学闘争委員会/6・27一、〇〇〇名デモをかちとる!(69・6・28)

 横浜国立大学・統合闘争の勝利にむけて
  闘争日誌
  資料編
 (一)第一期 本部封鎖からバリケード闘争へ
   1 全学中央委員会、分校自治会、学芸自治会、工学自治会/1・14学長・工学部長団交に結集せよ!(69・1・13)
   2 全学中央委員会、分校・学芸・工学部自治会/嘘とペテンと裏切りの学長・工学部長に我々はもう我慢できない! 全学友は本日再度弘明寺へ(69・1・16)
   3 全学中央委員会、分校・学芸・経済・工学部自治会、全学統合闘争委員会/団交拒否―反動統合の本質は暴露された 一五〇名の学友怒りの学部長室占拠中、総ての学友は弘明寺に合流ストライキへ(68・1・18)
   4 全学共闘会議/工学部の裏切りに抗し、総合闘争勝利への第一歩=本部封鎖決行! さらにストライキへ(68・1・18)
   5 横浜国立大学学生関係資料
   6 学生中央委員会、全学共闘会議(準)/学部生廃止、工学部見解白紙撤回確約す! この実現のために直ちにスト権の確立を!(69・1・21)
   7 学芸学部自治会、学芸統合闘争委員会/ストライキ宣言(69・1・25)
   8 分校自治会、分校統合闘争委員会/分校ストライキ宣言(69・1・28)
   9 全学共闘会議(準)、工学自治会/遂にスト権確立す! 一・三一団交で五項目を貫徹せよ!(69・1・29)
   10 全学共闘会議(準)/遂に全学ストライキ体制へ突入! 一・三一明日学長・学部長団交要求!(69・1・30)
   11 全学中央委員会、全学統合対策委員会、工学部自治会/クラス討論資料「統合闘争の勝利のために」(68・12)
   12 全学共闘会議/統合闘争の勝利に向かって(69・2・10)
 (二)第二期 学校当局の欺瞞と裏切りへの我々の怒り
   13 全学中央委員会、全学共闘会議/学校当局の裏切りに対しバリケード強化!(69・2・7)
   14 全学共闘会議、分校闘争委員会/当局の一切の収拾策動を粉砕し、要求絶版貫徹・団交を勝ちとろう(69・2・7)
   15 全学共闘会議(準)/日共=民青の分裂活動とスト破壊行為を糾弾する!(69・2・12)
   16 全学共闘会議/横浜大全学共闘会議結成さる! 全ゆる分裂策動をハネのけ、更なる戦列の強化を!(69・2・13)
   17 全学共闘会議/学長、正式に中村から水戸部へ、事務封鎖を辞さず闘いの強化を(69・2・25)
   18 全学共闘会議/中村学長・岩田課長の逃亡を許すな! 全学封鎖で直ちに反撃せよ!(69・3・7)
 (三)第三期 帝国大学秩序の否定・破壊への闘い
   19 全学共闘会議/我々の全思想性、全物理力を結集し、全学封鎖を貫徹せよ!(69・3・12)
   20 全学共闘会議/学校当局の卒業=スト破壊策動をはね返し、大学秩序の徹底した破壊を!(69・3・18)
   21 学芸闘争委員会/学部生廃止! 統合粉砕! 四年生諸君へ(69・3・1)
   22 全学共闘会議/学校当局・国家権力の弾圧を断乎としてはねのけ、明日、入試阻止貫徹!(69・3・22)
   23 学芸・分校闘争委員会/入試粉砕闘争の勝利を打ち固め、闘いを更に高めよ!―経闘委の一部諸君の反動的総括反対(69・3・26)
   24 全学共闘会議/教育の反動化、大学の国家支配に対し、受験生も共に闘おう!(69・3)
   25 水戸部正男学長/当面の諸問題に関する基本見解―全学的討論のための提言(69・5・3)
   26 全学中央委員会、全学共闘会議/大学当局の基本見解を批判し弾劾する(69・6・1)
 (四) "安保粉砕・日帝打倒の砦"への進撃
   27 マルクス主義学生同盟中核派横浜国立大学支部/4・28沖縄奪還闘争勝利のために、横国大バリケードの歴史的意義を再確認しよう(69・4)
   28 全学共闘会議/4・28大勝利! この力で一切の反革命、破防法―大学立法を打破せよ!(69・5・7)
   29 全学共闘会議/明日(6・1)入管粉砕、6・8アスパック現地闘争へ連続的攻撃を!(69・5・31)
   30 学生自治会/「中央委員会からのアッピール」
   31 全学共闘会議/6・15安保大統一行動に闘う全学友は総決起せよ!(69・6・14)
   32 全学共闘会議/6・18大学立法粉砕、五、〇〇〇名デモに全学生は決起せよ!(69・6・17)
   33 新入生委員会(準)/すべての新入生は大学立法粉砕6・18市内デモに決起しよう(69・6・17)
   34 全学共闘会議/四全共闘(市大、神大、関学、国大)共闘、本日の県下大統一行動をもって大学立法を粉砕せよ(69・6・20)

静岡大学・移転反対闘争の新たなる出発に際して
 闘争日誌
 資料編
  (一)第一期の前期(68・9・25〜11・2)
   1 法経短期大学部学生自治会/闘争宣言(68・9・16)
   2 法経短期大学部学生自治会、移転阻止行動委員会/静大法短の片山移転阻止闘争への全昼間部学友の支援を訴えます! 九・一九から試験ボイコット闘争に突入す!(68・9・17)
   3 人文学部学生自治会/闘う法短に連帯する!(68・9・19)
   4 法経短期大学部学生自治会/試験ボイコット闘争の中間総括と今後の方針の確立のための九・二五臨時学生大学[ママ](68・9・20)
   5 法経短期大学部学生自治会、移転実力阻止行動委員会/十一・二教授会団交の意義と任務(68・10)
   6 法経短期大学部学生自治会/法短移転阻止闘争の中間総括と勝利への展望 法短闘争を70年安保闘争の一翼に!
(68・10)
   7 反戦反安保・法短移転阻止闘争委員会/教養部集会宣言(68・11・2)
   8 反戦反安保・法短移転阻止闘争委員会/法短勝利へ共闘宣言(68・11・4)
  (二)第一期の後期(68・11・3〜12・31)
   9 移転阻止教養部闘争委員会/法短を見殺しにする執行部に学生大会を要求しよう!―日共=民青の腐敗を糾弾する(68・11・8)
   10 岡本金市、佐藤吉元/自治委員総会への提案(68・11・12)
   11 岡本金市、佐藤吉元/執行部一、〇三五名の要求を圧殺!(68・11・15)
   12 全学闘争委員会/怒りをこめて糾弾する(68・11・16)
   13 全学闘争委員会/全闘委の方針を通そう!(68・11・19)
   14 全学闘争委員会/法短移転阻止、併設制度打破の鍵は評議会・本部―昨日の学長・評議会団交はすべてを明らかにした(68・11・21)
   15 全学闘争委員会/国家権力の大学支配を法短移転阻止で打ち破り、70年安保を闘いぬく不抜の砦を築こう!(68・12)
   16 火置敏彦人文自治会前期自治委員長/新たなるより強固な闘いをめざして(68・12・6)
   17 法経短期大学部学生自治会、全学闘争委員会/12・11評議会団交要求全学総決起集会基調報告(68・12・11)
   18 合宿実行委員会/合宿へ招請(68・12・20)
  (三)第二期の前期(69・1・2〜3月)
   19 全学闘争委員会/八日午後五時までに法短に総結集を!!(69・1・6)
   20 全学闘争委員会/決戦は開始された!(69・1・11)
   21 全学闘争委員会/本部、理科館封鎖を堅持して、学長―評議会―法短教授会団交を迫ろう(69・1・27)
   22 教養部有志連合/私達の学生大会への提案(69・1・28)
   23 全学闘争委員会/陰謀的学長会談を粉砕=当局の機動隊導入計画を糾弾(69・2・4)
   24 全学闘争委員会/学長に!「2・8団交要求書」(69・2・4)
   25 全学闘争委員会/今日は学生にとって最後の日だ 満身の怒りをこめて、当局の逃亡糾弾! 全学団交要求!! 全闘委―学生部・学生課抗議(69・2・10)
   26 全学闘争委員会/全学団交実現まで封鎖貫徹!―全闘委・A棟封鎖宣言―(69・2・11)
   27 学生有志/我々はなぜ無意味な封鎖解除に反対するのか(69・2)
   28 工一―二の学生大会への可決項目(69・2・7)
   29 教養部闘争委員会/要求貫徹のための全学合同団交をかちとろう!! A棟封鎖を堅持し、無期限ストで闘おう!! 2・18学生大会への提案(69・2・18)
   30 全学闘争委員会/民青執行部、完全に乗りこえられる!(69・2・19)
   31 教養部闘争委員会/2・22学生大会を成功させよう! 総力を結集し、自らの手で闘いの方針を決定しよう!!(69・2・20)
   32 教養部闘争委員会/民青の妨害をはねのけ、本日学生大会へ!(69・2・22)
   33 全学闘争委員会/闘う体制の確立こそ静大当局をおどす切札だ(69・2・24)
   34 静岡大学法経短期大学部学生自治会/一八〇日バリケード遂に来年度四月移転白紙撤回かちとる! 選挙戦、右翼、日共=民青を打倒し、移転実力阻止自治会再確立(69・3)
  (四)第二期の後期(4・10〜)
   35 全学闘争委員会/4月8日A棟に集合せよ!(69・4・4)
   36 全学闘争委員会/質的転換―第二次全闘委運動の出発点を確立する為に(69・4・10)
   37 全学闘争委員会/4月闘争方針を、全学友の手で決定していこう!(69・4・17)
   38 新入生からアッピール「裏切られた生活はどこで花開くか?」(69・5・12)
   39 全学闘争委員会/民青の野望、あえなく破産! われらも、大学治安立法粉砕・八項目貫徹を掲げて全学ストライキに向かおう!(69・5・23)
   40 全学闘争委員会/今こそ決起すべき時! 治安弾圧立法の実質化=機動隊導入を闘う学生の実力で阻止せよ!(69・6・13)
   41 全学闘争委員会/6・15闘争の爆発を片山へ―新たな出発をしよう(69・6・16)
   42 全学闘争委員会/本部・理科館内から発見された静大総合移転攻撃の、その驚くべき実態を中心に、事実をもって大学当局を告発する!(69・4)

沖縄大学・学園民主化闘争―総括と展望
 闘争日誌
 資料編
  1 全学共闘会議/学生大会(10月7日)にてスト権確立(67・10・8)
  2 学生一人を逮捕、理事長宅前で警官と衝突(『沖縄タイムス』記事より)(67・10・30)
  3 全学共闘会議/全県民へ訴える! 沖大学園闘争へ目にあまる警察権力の介入粉砕(67・11・2)
  4 全学共闘会議/理事長の本土高飛びを断乎粉砕し、学生・教授・事務職三者の共闘体制で、理事長・理事会不在の大学を自主的に運営し、要求貫徹まで闘い抜こう!(67・11・6)
  5 今週中に授業再開、沖大教授会の自主管理で(『沖縄タイムス』記事より)(67・11・8)
  6 全学共闘会議/理事長・理事会の協約破棄、会見拒否、警察権導入、事務職員への脅迫、学生の告訴と血走った態度を弾劾し、理事長・理事会を不信任し、自主管理闘争で要求貫徹まで断乎闘おう!(67・11・27)
  7 沖大内紛告訴事件、近く学生呼び出し本格的取り調べ(『沖縄タイムス』記事より)(67・11・27)
  8 狩俣学長を解任、沖大理事会内紛助長した責任(『沖縄タイムス』記事より)(67・12・18)
  9 全学共闘会議/理事会、再三教授会に催告文を出し、回答によっては、学長代行解任、不法占拠排除による卒業妨害を通告!(68・2・26)
  10 全学共闘会議/理事会・文教局のあらゆる妨害を拝し、全学友結束して卒業式をのり越えよう!(68・3・1)
  11 全学共闘会議/全県民へ沖大学園民主化・分離闘争に対する支援を訴える!(68・3・6)
  12 全学共闘会議/全学友さらに結束し、卒業生を無事送り出すため断乎闘い抜こう!(68・3・9)
  13 全学共闘会議/県民の皆さんの訴える!(68・3・12)
  14 全学共闘会議/教学維持費徴収開始決定!(68・6)
  15 学園民主化分離推進学生大会/「大会声明」(68・6)
  16 全学共闘会議/学園民主化闘争の新たな局面―全学友の力を結集せよ!(68・7・2)
  17 全学共闘会議/全学生は一、二部学生、教授会、事務職員統一行動デモに結集しよう!
  18 全学共闘会議/全学友は総決起大会に決起せよ!(68・7・24)
  19 全理事退陣要求総決起大会/「大会決議文」(68・7・24)
  20 全学共闘会議/沖大学園分離闘争の現状(68・7)
  21 全学協議会/全県民へ沖大民主化闘争の支援を訴える!(68・7)
  22 全学共闘会議/全市民へ訴える! 沖大紛争の原因は理事会の数度にわたる協約破棄=学園分離は民主化闘争の一環(68・7)
  23 全学協議会(教授会、事務職労組、一部学生会、一部学生会、二部学生会)/市民の皆さん!(68・7)
  24 全学共闘会議/全学協、共闘会議から全学生への報告!(68・8・3)
  25 全学共闘会議/全学友は泊まりこみ闘争に参加を(68・8・19)
  26 全学協議会/学園民主化を訴える!(68・10・6)
  27 学生自治会/B52撤去要求、学園闘争学内集会(68・12・7)
  28 全学共闘会議/三名の学友についての起訴―民主化闘争の一局面法廷闘争へ
  29 全学共闘会議/理事会の卒業、入学妨害を粉砕し、学園民主化闘争の推進の為に結束しよう!(69・2・14)
  30 学生自治会/受験生諸君健闘を祈る!―理事会の策動に決して動揺するな!(69・2・16)
  31 全学共闘会議/全学友は理事会の大学閉鎖策動粉砕に決起しよう!(69・2・21)
  32 島袋正治全学共闘会議議長/クラブ員要請(69・2・25)
  33 全学協議会闘争対策委員会/四・一一理事会総退陣学内総決起大会の成果をふまえて、四・一九闘争を勝利させよう!(69・4・14)
  34 全学共闘会議/沖大闘争支援呼びかけ!(69・4・15)
  35 学生自治会/沖高生へ訴える!(69・4)
  36 全学共闘会議/4・19沖大闘争勝利総決起大会に全学友は決起せよ!(69・4)
  37 全学共闘会議/理事会のマスコミ総動員による沖大闘争破壊を粉砕し、4・19に総ての学友は総決起せよ!(69・4・18)
  38 教授会、事務職員労組、学生自治会/支援要請文(69・4・19)
  39 学問と教育を守る総決起大会/「沖大民主化闘争支援要請」(69・4)
  40 西俵隆夫学生自治会会長/サークルへの協力願い(69・4・23)
  41 全学協議会、総務委員会、闘争対策委員会/沖縄大学の民主化闘争とその実態(69・4・16)

琉球大学 二・四ゼネスト=B52撤去・原潜寄港阻止闘争
 資料編
  1 学内討論集会/B52撤去・原潜寄港阻止闘争宣言(案)(68・11・29)
  2 農学部中央委員会/農科学友諸君! B52撤去闘争を戦闘的に断乎闘い抜こう!
  3 反戦学生会議/B52またもや墜落!(68・12・2)
  4 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/B52墜落、米軍支配に対する怒りは労学二、〇〇〇余名の大デモとなって嘉手納基地をうめつくす!(68・12)
  5 反戦学生会議/各職場・生産点を軸に大衆的実力闘争を実現し、B52・軍事基地撤去の闘いを嘉手納基地に向けて戦闘的に闘い抜こう(68・12・7)
  6 B52撤去・原潜寄港阻止英文科闘争委員会/英文科闘争委員会より全英文科学友への闘争宣言と結集アピール(68・12・14)
  7 B52撤去・原潜寄港阻止経済学科闘争委員会/経済学科闘争宣言(68・12・19)
  8 農学科総会/農学部闘争委を断乎結成しよう!(69・1)
  9 B52撤去・原潜寄港阻止法政学科闘争委員会/法政学科総決起大会に結集し、ゼネストと呼応した全学ストに向けて決起しよう!(69・1)
  10 琉大反戦と解放の有志/2・4ゼネストを自己解放の闘いに!(69・1)
  11 B52撤去・原潜寄港阻止理工学部闘争委員会/学科闘争委の結成とスト権確立をめざし、さらに学科活動を強化しよう!(69・1・24)
  12 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/闘争宣言(69・1・29)
  13 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会本日/(一・二四)の「総合労働布令」粉砕! 二・四反戦ゼネスト勝利! 県民総決起大会に結集せよ(69・1・24)
  14 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/総合労働布令粉砕、二・四反戦ゼネスト勝利の決意固く三大五〇〇名の大部隊、民青系一五〇名をのりこえ戦闘的デモを実現!(69・1・25)
  15 B52撤去・原潜寄港阻止英文科一年闘争委員会/一月二八日(火)英文科スト権確立をめざして共に闘わん(69・1・26)
  16 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/全学スト実現のために、学生自治会執行部への最後通達と全学友へのスト権確立の投票アピール(69・1・27)
  17 B52撤去・原潜寄港阻止心理学科闘争委員会/学科スト権を確立し、琉大初の全学ストの実現へ邁進せよ!(69・1・29)
  18 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/第四回全学闘争委員会報告(69・1・29)
  19 B52撤去・原潜寄港阻止経済学科総会/経済学科ストライキ宣言文(案)(69・1・29)
  20 社会学科総会/ストライキ闘争宣言(69・1・30)
  21 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/"四者共闘"の破産を隠蔽しつつ、遂に自治会を僭称しはじめた、投票妨害に狂奔する民青系執行部の策謀を粉砕し、全学友は二・四スト権確立のため断乎全学投票に参加することを訴える!(69・1・31)
  22 B52撤去・原潜寄港阻止物理学科集会/物理学科四八時間ストライキ闘争宣言(69・2・3)
  23 B52撤去・原潜寄港阻止全学闘争委員会/二・三、四全学スト勝利学内総決起集会圧倒的に実現!(69・2・4)

四・二八沖縄デー=反戦・反安保・沖縄闘争
  1 反戦学生会議/2・3〜4B52撤去闘争の教訓に踏まえ、4・26〜28闘争に再度全学ストライキで決起しよう(69・4・4)
  2 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会結成大会/基本方針(案)(69・4・14)
  3 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/決戦宣言(案)(69・4・14)
  4 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/4・28反戦・反安保・沖縄闘争のストライキ実現へ!(69・4・16)
  5 反戦・反安保・沖縄闘争経済学科闘争委員会/結成決議文(案)(69・4・21)
  6 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/70年安保粉砕、沖縄核基地付返還策動粉砕のスローガンの下、本土・沖縄の闘う学友の連帯をめざす第一次本土代表団帰る(69・4・22)
  7 反戦・反安保・沖縄闘争法政学科闘争委員会/4・28闘争を断乎闘い、反戦・反安保・沖縄闘争の革命的前進をもって日本政府支配者階級に鉄槌を加えよ!(69・4・22)
  8 史学科四年次討論会/史学科四年次スト権確立宣言(案)(69・4・22)
  9 反戦・反安保・沖縄闘争英文科闘争委員会/七二時間ストとは?(69・4・23)
  10 国文学科総会/4・26〜28七二時間スト権確立宣言文(案)(69・4・24)
  11 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/七二時間全学ストライキ闘争の爆発的高揚で米軍事権力者を震撼せしめよ!(69・4・26)
  12 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/圧倒的学友支持のもとに七二時間スト権確立す!(69・4・26)
  13 反戦・反安保・沖縄闘争英文科闘争委員会/4・26〜28反戦・反安保・沖縄闘争英文科闘争宣言文(案)(69・4・26)
  14 全学スト突入学内総決起大会/七二時間全学スト突入闘争宣言(69・4・26)
  15 沖縄闘争勝利三大学総決起大会/宣言アッピール(案)(69・4・26)
  16 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/4・26スト突入学内総決起集会を全学闘の旗の下に結集した六〇〇名余の学友によって勝ちとり、更に七〇〇名余の結集のもとに三大学総決起集会を勝ちとる!(69・4・28)
  17 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/4・26〜28闘争の総括をなし、反戦・反安保・沖縄闘争の理論的深化をかちとれ!(69・5・2)
  18 英文学科二年次生有志/四月二十八日(69・5・7)
  19 反戦・反安保・沖縄闘争全学闘争委員会/全学闘への弾圧・破壊策動に組織的反撃を!(69・5・8)
  20 反戦・反安保・沖縄闘争英文科闘争委員会/総括文(69・5・8)
  21 反戦・反安保・沖縄闘争歴史学科闘争委員会/4・26〜28七二時間全学スト総括(69・5)
  22 反戦・反安保・沖縄闘争経済学科闘争委員会/4・26〜28闘争を琉大の先頭になって闘った全学闘争委員会委員長、経済学科学友不当逮捕される!(69・5・8)
  23 嘉陽田朝信全学闘争委員会委員長/今男子寮長選挙に当たり、那覇署獄中よりメッセージを送る!(69・5・13)

◇東大闘争討論資料刊行会編 19690815 『東大解体の論理』(日本の大学革命4) 日本評論社
 目次
 はしがき
 凡例
第一部 七項目要求の論理
 第1章 われわれにとって東大闘争とは何か
  1 法4A有志「アピール」/我々の危機とは何か、ソクラテスとブタ―大河内語録より(68・11・29)
  2 工学部ストライキ実行委員会/東大闘争の本質(「工学部討議資料第一号」)(68・10・7)
 第2章 七項目要求の論理
  1 法学部共闘会議(助手・院生)/8・10告示を撤回せよ! 七項目要求貫徹!(「法共闘通信」第三号)(68・11・27)
  2 四三青年医師連合/提案拒否(68・12・15)
  3 都市工学科共闘会議(準)・建築学科共闘会議/諸君!幻想の時は過ぎた! 新提案=新告示路線は粉砕せよ(68・12・9)
第二部 バリケード封鎖と占拠の論理
 第3章 本部=管理中枢占拠の論理
  1 社会主義学生同盟東大支部ならびに医学連全国委員会は訴える!(68・6)
  2 42LUE自治委員・42SI22F自治委員/本部占拠は正当である。自治権確立の闘いに蹶起せよ「医学部闘争勝利のために」No.1(68・6)
  3 工学系大学院闘争委員会/我々は時計台解放支持を訴える(68・7・3)
 第4章 研究室封鎖の論理
  1 東大病院精神神経科医局解散宣言(68・10・14)
  2 工学部航空学科ストライキ実行委員会/7号館封鎖宣言(68・11・12)
  3 経済学部ストライキ実行委員会書記局/経院の研究室封鎖闘争支持!(68・11・4)
  4 法学部共闘会議(助手・院生、留学生を除く22名)/法研貴族の諸君へ(68・12・20)
 第5章 全学封鎖の論理
  1 社会学系大学院闘争委員会/全学バリケードを自主管理へ向けよ。「新執行部」の欺瞞性を暴露せよ。日共=民青の闘争破壊を許すな(68・11・20)
  2 大学院経済学研究科自治会中央執行委員会/全学無期限ストライキを東大コンミューンへ!(68・10・7)
第三部 東大解体と永続闘争の論理
 第6章 「正常化拒否」の論理
  1 工学部原子力工学科ストライキ実行委員会に対する我々の見解(68・2・7)
 第7章 東大解体の論理
  1 青年農業技術研究者連合/東大を破壊せよ―国民への真の学問、教育の解放のために(68・12・18)
  2 東大全学学生解放戦線/68後期全国闘争の階級的任務―二重権力の創出(「プロレタリア権力」創刊号)(68・12)
 第8章 闘争総括―永続闘争へ
  1 法学部闘争委員会/闘う連帯に君を! 砦の上に我等が世界を!(討議資料)(69・3・25)
  2 大学院経済学研究科自治会/東大闘争中間総括案―共闘会議運動の更なる前進深化のために(「東大闘争の現局面」No.5)(69・3・15)
第四部 大学革命の理論
 第9章 闘争主体の形成
  1 工学部電気電子工学科共闘会議/我々にとって七項目要求とは何か(68・12)
  2 43LTU14Bストライキ実行委員会YH/―闘争―(68・12・20)
  3 42LVB孤立者/東大闘争を転位せしめよ!―孤立者より連帯を求めて(69・2・22)
 第10章 現代資本主義と大学
  1 教養学部学友会文化サークル代表理事/全共闘の大衆的再建と全国闘争の勝利への組織を! 大学論の展開による十項目及び民青批判(69・2)
  2 文学西洋史学科ストライキ実行委員会K/西洋史学科スト実合宿への問題提起レジュメ(69・4・9〜11)
  3 法学部連絡会議「通信」第二号/大学紛争の客観的背景(68・9)
  4 大学院教育研究科院生会議「鏃」No.10/教育の帝国主義的再編と対決するために!(69・4・13)
 第11章 「学問の自由」「大学の自治」イデオロギー批判
  1 大学院経済学研究科自治会/東大闘争の現局面(2)(68・10・31)
  2 法学部共闘会議(院生助手)「法共闘通信」第4号/理念としての大学自治(68・12・2)
  3 経済学部闘争委員会/「学園防衛主義」「急進改良主義」を粉砕し、七項目貫徹、全学集会阻止に向け全学封鎖戦術で戦い抜け!(68・11)
  4 工学部電気電子工学科共闘会議/自治の概念―試論(68・12・13)
 第12章 研究体制・講座制の批判と解体の論理
  1 医学部若手研究者の会/研究室封鎖が提起した問題点―封鎖闘争を研究者の主体的運動へ
  2 工学系大学院都市工学専門課程(修士一年四名、博士一年三名、同二年二名)・工学系大学院土木工学専門課程(博士二年一名)/私達の考え(その2)(68・8・3)
  3 工学系大学院都市工学科ストライキ実行委員会情宣部/都市工学科における研究・教育体制の矛盾(68・11・4)
  4 工学部ストライキ実行委員会/講座制の研究(68・7)
  5 法学部闘争委員会「討論資料」(第五章)/法学教育・研究の帝国主義的再編―法共闘自主ゼミナール(69・3・25)
  6 統一社会主義同盟東京大学大学院支部/現行大学管理機構を全面的に解体し、闘う学生・研究者の自己統治体を組織せよ!―欺瞞的収拾策をのりこえ闘う視点確立のために(68・11)
 第13章 技術者運動・研究者運動
  1 工学部航空学科ストライキ実行委員会/技術者運動の展望(68・6・23)
  2 理学部闘争委員会/科学論―科学者運動レポート(68・9・23)
  3 工学部ストライキ実行委員会/『技術者運動の現状と可能性』(68・12・10)
  4 工学部電気電子工学科共闘会議/電気工学批判序説(68・12・25)
  5 工学系大学院闘争委員会/東大闘争と技術者運動―連続シンポジウム(69・2・27)
  6 工学系大学院都市工学科自治会/研究者運動論レジュメ(69・4・12)
  7 東大青年研究者会議(仮称)準備会(大学院経済学研究科気付)/『東大青年研究者会議』(仮称)結成への呼びかけ(68・4・25)
  8 基礎医学・社会医学若手研究者の会/東大闘争における若手研究運動の萌芽<東大闘争において研究者は何をしたか><変革主体の形成を>(68・10・17)
  9 人文系大学院国語・国文科大学院有志/研究苦から何を―「東大闘争と研究の立場とに対する私たちの考え」(第四章)(68・9・12)
  10 法学部助手・大学院生有志/「科学者」の理論と実践の問題―「問題の所在とその背景―討論の資料のために―」(第T章)(69・4・24)
 第14章 大学革命
  1 工学系大学院闘争委員会/大学革命テーゼ(第1版)(68・10)
  2 工学系大学院闘争委員会/大学革命の原理(68・12・7)
第五部 公判闘争の理論
 東大闘争統一公判を獲得するために/東大闘争統一救対本部(69・5・2)
未収録資料の紹介
付録 東大闘争資料リスト

◇日本評論社編集部編 19690920 『全共闘運動』(日本の大学革命5) 日本評論社
 目次
第一編 全共闘運動の思想と行動
T 日大全共闘の思想と行動 真武善行
 はじめに
  1 新しき時代の到来
  2 歪曲と圧殺に抗して
 一 大学の沖縄=日大―古田体制と日大生
  1 日大改善案とその本質的矛盾
  2 最少の経費で最大の利益を
  3 暴力万能主義の全盛
  4 日大闘争の知の道標
  5 垂直した死
  6 羽田の二人
 二 紀元0年の闘い―破壊の思想の革命的意義
  1 日大闘争の指導理念
  2 早稲田の敗北から日大の勝利へ
  3 大学の破壊から全社会的破壊へ
 三 疾風怒濤の進撃―日大闘争の運動論的教訓
  1 異常を正常へ
  2 日大から東大へ
 四 勝利に向かっての試練―全国大学闘争の進むべき道
  1 九・三〇以後
  2 資本制社会と大学
  3 「革命の砦」日大の創出を
U 早大禅学共闘会議の軌跡―早大闘争の若干の総括 長澤吉章
 はじめに
 一 全共闘会議の創出―早大闘争前史
  1 中央自治会再建の悲願
  2 八〇周年記念事業の発表と軍研闘争
  3 第一学館闘争敗北の教訓と共闘会議結成
  4 共闘会議結成から六五年まで
 二 早大本部封鎖闘争
  1 封鎖への権力の回答―寺尾判決
  2 一月全学ストから大衆団交へ
  3 大学の現実と抗議の正当性
  4 早大本部封鎖闘争の意義
  5 本部封鎖への弾圧
 三 闘争の敗北と早大全学共闘会議の限界
  1 四月以降の闘い―当局の攻勢と「有志会」の台頭
  2 早大全学共闘会議の限界
 四 第一審法廷闘争―その簡単な総括
  1 権力による断罪の論理
  2 早大法廷闘争の課題と若干の総括
 おわりに
V 中大闘争
 第一部 一九六七〜六八年中大闘争 田村元行
 一 中大闘争の新しい質
 二 革命的敗北主義の立場
 三 排外主義労働政策の一環―学費値上げ粉砕
 四 コンミューン運動―「全共闘」運動の先駆
 五 「全人民的政治闘争」への飛躍
 六 闘争の限界を越えて
 第二部 一九六八〜六九年中大闘争―中大闘争の現局面と我々の獲得した位相 鈴木滋
 プロローグ
 一 背景
 二 闘争の発展過程と当局に対する批判
  1 一期
  2 二○団交―二月一五日団交
  3 二月一九日ロック・アウト以降
 三 展望と我々の獲得すべきもの
W 医歯大闘争の総括 村田恒有
 一 医学生運動が到達した局面
 二 スト突入時点の階級関係
  1 第二次研修協約闘争の位置
  2 当局の攻撃の性格
  3 処分撤回闘争
 三 外来封鎖闘争
  1 運動内容と闘争戦術
  2 外来封鎖闘争は如何なる位置づけと展望のもとに闘われたか
  3 総括されるべき問題は何か
 四 個別闘争としての研修協約闘争の指導に何が問われたか
  1 指導理論の特徴
  2 全共闘運動と活動者会議
  3 病院全面封鎖闘争の提起
X 東大闘争と東大全共闘 小西隆裕
 はじめに
 一 東大闘争の切り開いた新たなる地平
 (1)青医連運動の必然性
  1 医局社会と医療の帝国主義的再編
  2 青医連運動の戦略はなにか
 (2)第一次時計台占拠闘争は何故に闘争の全学化を惹起したのか
  1 国大協自主規制路線の本質は何か
  2 講座制を基盤とした産軍学協同の実態
  3 ベトナム反戦闘争の高揚
  4 戦後民主主義の神話の崩壊
 (3)全学バリケード封鎖への進撃
  1 日共=民青は何故に破産したのか?
  2 全学バリケード封鎖の内包する思想的、戦略的意味とは何か  二 東大闘争の限界性とそれを突破する方向性について
 (1)膨大な秩序派の登場、それを惹起したものは何か   1 全共闘の否定的総括
  2 政府ブルジョアジーによる強権的闘争圧殺と大学当局による学内正常化路線
 (2)東大闘争の限界を突破する方向を求めて
  1 現代過渡期世界と国際競争闘争
  2 プロレタリア・ヘゲモニーの確立=ソビエト建設に向けて
Y 京大闘争と全共闘運動の理論 小俣昌道
 第一部 京大闘争の中間総括
 一 入試粉砕闘争とは何であったか
  1 京大入試粉砕闘争は全国ではじめての目的意識的闘いとして組織された
  2 京大入試粉砕闘争は京大闘争を反民青の質から、反権力の闘いへと発展させた
  3 入試粉砕闘争は全人民闘争であり、全国全共闘の結合をもたらした
  4 入試闘争は京大全共闘内部の諸傾向を明白にした
 二 京大全共闘内部の三つの傾向
  1 帝大解体=コンミューン派
  2 反戦連合
  3 戦闘的組合主義
  4 内ゲバ―権力闘争主体の形成
 三 学生部封鎖から入試粉砕まで
  1 寮団交→学生部封鎖へ!
  2 総長団交よりC無期限バリケード・ストへ!
  3 二・一三、一四の反革命粉砕
  4 時計台占拠と入試粉砕
  5 京大闘争の<静かなる一ヶ月>
 第二部 全共闘運動の理論
 はじめに
 一 学園闘争の戦略的位置
  1 個別学園闘争の全学化
  2 政治的経済闘争への転化
  3 権力闘争の根拠地
 二 占拠と大衆の武装
  1 バリケード占拠
  2 大衆の武装
  3 計画された戦術
 三 全共闘とコンミューン的団結
  1 実験としての全共闘
  2 コンミューン的団結
  3 全共闘の革命的再編
 おわりに
Z 立命館大学全共闘の運動 大久保哲夫
 はじめに
 一 立命館闘争の勃発とその意味
 二 「立命館民主主義」解体の闘い
  1 日共スターリン主義の立命支配
  2 「立命民主主義」の危険性
 結論にかえて
第二編 資料 全共闘運動の理論
 T 大学の破壊か、秩序の回復か(68・12・10)日本大学法学部闘争委員会
 U 東大奪還・再占拠をかちとれ(68・1・27)革命的共産主義者同盟全国委員会
 V 討議資料と展望(69・2・10)京都大学教養部闘争委員会/京都大学全学闘争委員会
 W 防衛庁突入―安田講堂死守の闘い=ソビエト運動の礎石(69・1・24)共産主義者同盟政治局
 X 第三次安保闘争における「組織された暴力の」位置―東大闘争総括のために―(69・1・29)共産主義者同盟京都大学細胞

◇青医連中央書記局編 19690920 『青医連運動』(日本の大学革命6) 日本評論社
 目次
第一章 青年医師運動の背景
 一 インターン闘争前史
  1 占領政策下における医療体制とインターン制度導入
  2 インターン制度の矛盾
  3 インターン闘争前史
 二 第一次病院ストライキとその評価
  1 病院ストライキ闘争の医師、医学生への問いかけ
  2 第一次病院ストライキ闘争の背景
  3 病院ストライキ闘争の経過
  4 医師の主体をめぐる論争
 三 医師層の流動化
  1 医師会の政治舞台への登場
  2 国民皆保険体制と医療体制再編
  3 日本医師会の分解
第二章 青年医師連合の歴史
 一 インターン闘争のはじまり
  1 厚生省改善案粉砕闘争
  2 インターン制度をめぐる関係諸団体の動き
 二 医療体制再編への対決とインターン完全廃止闘争
  1 自民党・厚生省の動き
  2 インターン完全廃止の論理
  3 インターン完全廃止方針の大衆的確立
  4 医卒連結成
  5 大学医局との対立
  6 インターン完廃闘争下における医学生の意識
 三 青年医師連合結成準備
  1 医学連大会決定
  2 国家行政機構権力と大学医局
  3 「大学たてこもり」戦術と自主調整権闘争
 四 青年医師連合結成
  1 インターン制度完全廃止の実践
  2 大学院ボイコット闘争と無給医闘争の開始
  3 医者造りの懇談会路線
  4 六・二四全国無給医統一行動
  5 十・二一病職時限ストの支援
  6 国試ボ体制の準備過程
  7 第一次研修協約闘争
  8 東大における第一次研協闘争
  9 国家試験阻止闘争
第三章 大学制度と医学部問題
 一 医局講座制の形成
 二 医局講座制の崩壊の危機
  1 臨床医学の変貌
  2 勤務医層の形成
  3 医療政策の展開
  4 製薬・医療機器資本との癒着
 三 医局講座制の解体と帝国主義的再編・再統合
第四章 医局講座制解体と医師運動の展望
 一 第二次研修協約闘争の開始
 二 六・一五時計台占拠闘争と東大闘争
 三 研究棟封鎖闘争と医局解散、医師連合の結成
 四 医局講座制の中核・人事管理体制の解体
 五 大学医局の近代化、合理化、教室員会議路線
 六 医師運動の展望
第五章 医療労働運動への展望―70年代医療危機との対決
 一 社会保障制度とはなにか
  1 社保=労働力の保全
  2 社保=搾取の変容形態
 二「60年病院スト」の青医連の総括
  1 成果
  2 敗北
 三 医療労働とはなにか
 四 医療の帝国主義的再編
  1 はじめに―政治情勢
  2 国民皆保険体制の成立
  3 国民皆保険成立から健保特例法まで
  4 67年健保特例法(69年同法修正)の意味するもの
  5 70年代健保体制再編
 五 青医連運動と統一戦線
  1 個別闘争の位置
  2 統一戦線
  3 組織方針
  4 全人民的政治課題
 六 闘いの方向
  1 安保闘争を病院ストで
  2 医局解体・第三次労働協約闘争を最後の勝利まで
  3 医師管理支配機構との対決(総定員法・臨床研究医・登録医)
  4 大学病院の近代化・合理化・営利化との対決
  5 大学院ボイコット・学位ボイコット―闘う医学研究者組織の結成
  6 青医連運動を大学病院から市中病院へ
  7 健保解体派の総結集を
付録 資料編
 第一章
  1 全日本医学生連合/第十回定期全国大会「インターン声明」(63・5)
  2 全日本医学生連合中央書記局/「インターン問題を医学生のヘゲモニーのもとに解決するため全医学生は九・二一厚生省デモに参加せよ!!」(63・9)
  3 全日本医学生連合中央書記局/「医学連書記局通達」No.1(64・6・16)
  4 全日本医学生連合/「インターン制」完全廃止決議にもとづく要望(64・6・29)
  5 全日本医学生連合書記局/「願書提出拒否の実力闘争で厚生省案粉砕・イ制完廃を勝ち取ろう インターン出願を一括管理し出願拒否体制を常時点検せよ」―インターン出願拒否宣言(「医学連書記局通達」より)(64・10・28)
  6 全日本医学生連合/「医学連のイ闘争の全体の運動の中での位置―その学生運動としての労働運動的側面」(65・5・25)
  7 全国医学部・医科大学卒業者連合/第五回全国大会「抗議声明」(65・6・13)
  8 全日本医学生連合山下浩志中央執行委員長/「国家試験ボイコット宣言」(65・9)
  9 全日本医学生連合/「自主調整権獲得のうえに青医連結成、仮免粉砕に闘争を集約せよ!!」(67・2・1)
  10 青年医師連合結成大会/「結成宣言」(66・3・12)
  11 青年医師連合結成準備連絡会議東大病院支部/「臨床系大学院ボイコットの実行宣言」(66・2・18)
  12 青年医師連合/第一回大会議案「4・28青医連・医学連統一行動に決起し、仮免今通常国会上程を阻止しよう!」(66・4・24)
  13 青年医師連合入局者会議東大支部、青年医師連合東大支部/10・21ストライキ支持声明―東大病院職員組合の闘いを支持する(66・10・17)
  14 青年医師連合入居者会議東大支部執行委員会、青年医師連合東大支部執行委員会/「10・21ストライキの支援行動を呼びかける」(66・10・17)
  15 青年医師連合東大支部/「研修医三百を全面受諾、青医連東大支部、東大病院に対する団交権確立、青医連・学四学生大会無期限スト突入から事態一変、団結して二年目研究体制確立、更なる前進を」(66・12・1)
  16 全日本医学生連合/「医歯大闘争全国化の動き 神戸、岡山、東大で闘いの火が」(67・1)
  17 第一次研修協約闘争東大全学闘争委員会/「研修協約とはなにか」(67・2)
  18 第一次研修協約闘争東大全学闘争委員会/「国試阻止闘争の意義」(67・2)
  19 「医学部スト解決す、覚え書きに署名」(『鉄門だより』記事より)(67・4・10)
  20 青年医師連合入局者会議東大支部/「研修医に対する研修停止の不当処分反対! あらゆる弾圧内規を粉砕せよ!」(67・6・9)
  21 全日本医学生連合/「医学・医療の軍事協力に徹底した痛打を浴びせよ!」(67・6)
  22 全日本医学生連合中央執行委員会/「山崎博昭君虐殺抗議! 官憲とマスコミのフレームアップを打ち破り、10・21(佐藤サイゴン入り国際反戦闘争)」闘争を成功させよう!」(67・10)
  23 青年医師連合入局者会議東大支部執行委員会/「10・21国際反戦=10・26東大病院職員組合休暇闘争を支援せよ」(67・10・20)
  24 41・42青年医師連合合同書記局/41・42青医連合同大会議案「青年医師運動の目指す方向」(67・6・4)
  25 全日本医学生連合中央書記局/「11・30登録医制国会上呈阻止医学連統一行動へ向けて」(67・11)
  26 43青年医師連合中佳一委員長/「永続国ボ―非入局路線、六月第一回新制度国家試験をボイコットしよう!」(68・6・1)
 第二章
  27 反帝医学生戦線/「医科歯科大学生戦線結成の意義」(67・1)
  28 全日本医学生連合/「医学連臨時大会に向けて」(67・10・20)
  29 反帝医療戦線/「医学連総括の視点―東大41の総括から」(67・10・25)
  30 41・42・43青医連東大支部/要望書(67・12・11)
  31 第二次研修協約闘争全学共闘会議/医学部全学大会への提案「第二次研協・無期限ストの方向性と勝利的展望」
  32 東大医学部全学闘争委員会/「我等は公聴会をボイコットする」(68・2・29)
  33 東大医学部全学闘争委員会/「本日、米陸軍野戦病院設置実力阻止第二派」(68・2・27)
  34 反帝医学生戦線/「帝国主義ブルジョアジーの処分攻勢に抗し、処分撤回実力闘争を反帝反政府闘争への飛躍の場とせよ!」(68・3)

35 東大医学部全学闘争委員会/「処分撤回闘争の経過」(68・3・12〜28)(68・4)
  36 43青年医師連合/「六月国ボ体制の確立を六月国試阻止へ。六月国試阻止の確立を十二月国ボ体制へ」(68・6・9)
  37 東大病院労働運動研究会/「医師に対する管理体制の中核=講座制医局の解体を病院労働者の階級的・戦闘的労働運動への跳躍台とせよ!」(68・11・4)
  38 社学同東大支部/『反帝戦線』No.12(69・1・21)
  39 青年医師連合中央執行委員会/青医連第二回定期大会議案「医局講座制解体―学会粉砕を軸に、第三次労働協約闘争=大学病院闘争を闘い抜こう!」(69・5・4)
  40 東大整形外科医局若手医師グループ、青年医師連合東大支部整形外科グループ/「9・28臨時総会(於東京)において学会専門医制白紙撤回を勝ちとろう!」(69・8・5)
  41 青医連東京医科歯科大(準)/「医局員から青医連医師への組織化を具体的にどうすすめるか」(69・4)
  42 臨床研究医制度実施要項(四四年度改正版)
  43 福島医科大学全学共闘会議/福島医科大全学―病院スト中間報告(69・8)
  44 関西精神科医師会/「今後の運動方針と組織論的展望」(69・5・18)
  45 大阪市立大学医学部教員会、厚生学院問題特別委員会/「現在の医療問題に於ける大阪市大付属厚生学院闘争の意義」(69・7)
 第三章
  46 大河内一男教授講演記録より 「日本の『貧困』と社会保障」(1959年第5回ゼミナール総会)(59年)
  47 西村豁通教授公演録より 「国家独占資本主義の社会政策」(1963年第9回ゼミナール総会)(63年)
  48 池沢康郎氏の論文 「インテリゲンチャ運動論序説」(63年)
  49 青年医師連合中央書記局/青医連ゼミナール報告「国際・国内情勢」(68・11・2)
  50 43青年医師連合/43青医連結成大会議案「医療情勢」(68・4・30)
  51 東大病院労働運動研究会/「東大闘争と医療労働運動を結合せよ」(68年)
  52 都立大久保病院外科有志/「都立大久保病院人員要求闘争経過報告」(69・5)
 53 シンポジウム「70年代医療危機との対決」開催への呼びかけ(69・7)
 第四章
  54 青医連・医学連闘争運動小史
  55 青年医師連合規約

<『情況』>
◇情況出版編集部 19970915 『全共闘を読む』 情況出版
 目次
第一部 バリケード封鎖の思想
 バリケード封鎖の思想―東大闘争と60年安保の教訓(1968.11)/山本義隆
 ノンセクト・ラジカルの思想―安保闘争から東大闘争へ(1969.3)/最首悟
「僕らが今闘っているのは、今の社会のなかでどう手がかりをつかむかということである。つまり組織化するということであるが、それは自己を語ることではないだろうか。自己を語ることによってしか、組織化はできない。これが全共闘の限界性であるが、その組織論である。幻想であろうが、何であろうが、革命までの道筋を一応組み立ててそれを示して大衆をオルグするという従来の方法で僕らは闘っているのではない。僕らが自己をしか語れないというのはこの東大闘争において、明るい展望を語るのではなく、ルンペンインテリゲンチャが何人出るかを指標にしてしか語れないからである。ルンプロ、ルンペンインテリゲンチャなどは公認マルクス主義においては常に切りすてられる存在で、公然とは言えない。それを、公然と言い、現体制の反秩序化の契機をつかむ、それは僕の闘いの現場である大学において、教授会の一人一人をどこまでも追求して行くことでしかない。追求して行くということは自分をも追求していくことになるからだ。僕は、今後もこういう闘いを続けるだろう。(談)」(pp.22-23)

 権力を持たない者は空間をもつことができる―神戸大理学部のシンポジウムから(1969.3.臨)/松下昇
 医局社会における叛乱(1969.3.臨)/金村元
 拠点での戦い―日大闘争(1968.11)/田村正敏
 学生叛乱から総叛乱へ―日大闘争は訴える(1969.3.臨)/秋田明大+福田善之
 日大闘争における革命と反革命(1969.3.臨)/鳥越敏朗
 反大学―日大・東大闘争の理念をめぐって(1969.2)/秋田明大+佐久間順三+山本義隆+清水多吉
 東京教育大からのアピール―研究学園都市構想粉砕のために(1969.4)/松村健
 日大全共闘からの出発(1969.3.臨)/渡辺隆之
 反大学アッピール(1969.2)/日本大学全共闘会議
 バリケードとは何か(1969.3.臨)/沢登誠
 不滅の根拠地 駒場「第八本館」(1969)/菅井秀次

第二部 全共闘―この"奇妙なるもの"
 東大闘争―運動の論理(1969.3.臨)/塩川喜信
「開放的論理体系の中での自己否定=自己創造の方向性が見失われた場合には、主体と客体との緊張関係は全て内面化されて、個としての主体確立に埋没し不毛な主体性論化するか、『挫折感』におおわれ、あるいは逆転して『単純ゲバルト主義』的頽廃を生みだすであろう。ノン・セクト・ラディカルとしての私達をこの危険から救うのは、『研究者としての自己否定』と同様に『運動主体としての自己否定』をも自己の課題として得る自由な批判的精神のみである。」(p.114)
「東大闘争は学生運動であると同時に、研究者運動でもある。研究者にとっての東大闘争は、自らの選択した職場における闘争であり、労働者の生産点闘争に類似した性格を持った闘争である。」(p.115)
「即ち、第一に個人の主体的決意のみによって参加する。第二に指導部は作らず、問題はすべて全員討議にかける。第三に主体的参加が低下し、集らないようになったら、組織の維持を自己目的化しない。また無期限ストの中でクラス単位に組織されたスト実でも、執行部を作らず、全員が順番に連絡、警備、自主カリなどの分拠をすると決めた所がある。このように、組織というよりは、『組織化された運動そのもの』とでもいうべきグループがあちこちに生れ、一見あきれる程非能率な、長時間にわたる論議をくり返しながら、運動の方向を見出していったのである。」(p.116-117)

 東大全共闘―この奇妙なる"生態系"(1969.3.臨)/村尾行一
 大学共同幻想論(1969.3)/吉本隆明  闘争の底辺から底辺の闘争へ―ノンセクト、フリー・セクトないしはノンポリの諸君に(1969.3.臨)/池田浩士
 立命館方式の成立と破綻(1969.3.臨)/師岡佑行
 大学コンミューンのために(1969.4)/新島淳良

第三部 知性の復権―叛乱する知識人
 知性の復権―「職業としての学問」をめぐって―(1969.6)/折原浩+清水多吉
 「頽廃の園」との絶縁―"内なる人民的なるもの"を原点に(1969.7)/折原浩
 偽りの「反戦・平和」の告発―「わだつみ」像の破壊の意味するもの(1969.7)/師岡佑行
 解体の道はあるか―東外大闘争と教授会(1969.7)/安東次男
 実験における当事者―京大闘争における教師(1969.7)/野村修
 学園闘争と言語状況―<書くこと>の暴力性をめざして(1969.7)/天沢退二郎
 表現運動としてのバリケード―六甲空間における反大学(1969.7)/松下昇
 大学闘争の中における文学―生涯にわたる阿修羅として(1969.7)/高橋和巳

第四部 終幕 そしてアドリブ派宣言
 パルチザン前史―京大全共闘<秋>のレポート(1969.12)/滝田修
 後退のなかの突出―学園闘争を永続化せよ(1970.6)/菅谷規矩雄+大西廣
「自主講座運動の本質そのものをきわめてゆくことによって、現在の大学の存在自体に決定的な対決を挑み得る、そのような闘争主体に、自主講座運動がなり得るのであろうか。ここに我々にとって解決のついていない大きな問題があると思います。」(p.269)

 <>告発の意味するもの(1970.7)/明大全学評
 アドリブ派宣言―高橋和巳の死と全共闘(1971.7)/最首悟
 私の<大学闘争>―その暫定的総括(1971.7)/滝沢克己
解説 全共闘運動とは何だったのか/ガイ・ヤスコー
年表 全共闘運動の軌跡

<自主講座>
宇井純編 19911115 『公害自主講座15年』 亜紀書房
 序章 自主講座の15年 宇井純
  なぜ自主講座を考えたか
  細川博士の意志を継いで
「大学の夜あいている教室を使っての自主講座の計画は、都市工学科教室、工学部教授会の拒否に逢った。拒否の理由を問うと、教室が汚れ、大勢の学外者が出入りすることで不用心になるという回答がかえって来た。このばかばかしい理由について、ちょうど来合わせいた毎日新聞の清水洋一記者があきれて、記事で東大の実情を紹介してくれた。この記事が学長加藤一郎の目にとまって、工学部のかたくなな態度からもう一度東大闘争がはじまっては大変だと心配したのであろう、工学部教授会に圧力をかけ、部屋が使えるようにしてくれた。自主講座の出発には、加藤一郎も力を貸してくれたのである。しかし全くはじめての試みであるから、蓋をあけてみるまでは皆目見当がつかなかった。もし三人集まったら開講しよう、三人に満たなかったらあきらめようというのが、当日の私の覚悟だった。受付は私の妻が担当し、会場の準備は、和光大学の学生、岡部豊範君が担当した。」(pp.8-9)

  急速な拡大・発展
  国連環境会議へ
  PCB問題にとり組む
  高知パルプ生コン事件
  ストックホルムでの活動
  コーガイニュースレター
  公害事例研究と主要政党の政策
  国際化の流れ
  公害を追い国際舞台へ
  大学論の出発と自主講座のひろがり
「大学論の講座はその性質上どうしても大学生が中心になるのは自然な成行きである。公害問題では、たえず公害の被害者や、地域の運動家などと生活の場面で接触することになるから、学校以外の条件、物の考え方がむしろ主であって、学生の普通日常の発想、考え方とはちがったものになる。この点は大学生中心の大学論ではかなり様子がちがって、大学生の中で主導的な考え方はかなり生硬な観念論である。大学論では幸いにこの観念論に足をとられることはなかったが、それでも公害原論とは大分ちがった議論の運びであった。公害問題では、わからなくなったら公害の現場にもどり、被害者の声を聞けば、なすべき方向は大体はっきりして来るものである。大学問題ではたしかに学生自身が現場にいるのだが、そこからの声というものはなかなか聞こえて来ないし、二十歳そこそこで自己をつき放して相対化するというのも、容易でないことである。また年長者の参加は主として大学教師ということになるが、これも集団としては観念で飯を食っているようなものであるから、市民的なバランス感覚の導入ということはむずかしい。このような困難な条件が大学生を主体とする大学論にあることを考えると、大学論はまずまずの成功面の方が大きいといえよう。」(p.35)
「公害原論、大学論の成功に刺戟されて、東京だけではなく全国の大学で、学生が用意した自主講座の試みが続発した。その多くは長つづきしなかったが、経験から言えば、学内の教員や職員の協力がないと、自主講座というものはかなりの労力と、企画能力を必要とするので、長くつづけるのはむずかしいように思う。私が出講を求められたものだけでも十指に余るものがあり、おそらく全国では数十の企画が試みられたであろう。その中には大阪市大のように、今日でもつづけられているものもある。たとえ長つづきしなかったとしても、それは参加した学生、特に計画した者にとっては、なにがしかの体験になったはずである。」(pp.35-36)

  企業から行政へ、二、三の試み
  自主講座のスピンアウトと本体の停滞期
  アジア環境協会のセミナーと海外活動
  米国留学と水のシリーズ
  沖縄行きの事情
  自然保護連合とのいきさつ
  自主講座の整理活動と東大人事
  十五年をふりかえっての反省
「私自身の個人的な性向から、自主講座はつとめて非組織的な方向をとった。それにもかかわらず持続的な活動がなされたのは、私の欠点も読み取った実行委員の人々の努力によるところが大きい。出版活動はその好例である。全国の運動のネットワークの結節点としては、やはりある程度の持続性が必要であり、その点では東大の部屋をはじめ施設が全面的に利用された。これが助手ではなく教授であったり、一つの講座全体がこのように動いたら、それは大学の歴史を変える力を持つことができたであろう。これまで、そういう試みが皆無であったわけではない。敗戦直後の大学では、学生と教師の生き残りのための協力がごく普通のことだったし、そこへ市民の参加もあった。ただ、多くの場合政党の介入や利用はさけられないことであって、その結果長つづきしなかったということはあった。もし一九五〇年代に自主講座のようなものがあっとしたら、現在の国立大学はかなり変った空気になっていたであろう。」(p.66)

  自主講座のあとに
  地域研究所と理科実験室の新設
  沖縄の水をめぐって
  沖縄の公害への取り組み
  外からの評価のありがたさ
  地域環境ブームに面して
  おわりに
 第一部 公害を撃つ―招待講師の講演摘録
 T 公害運動の社会理論
  1 六ヶ所村の実践で得たこと 自主講座実行委員会
  2 近代経済学の自己批判 宇沢弘文
  3 環境汚染と非定常性の科学・技術 星野芳郎
  4 公害研究の基本姿勢 庄司光
  5 本質をとらえる方法 羽仁五郎
  6 公害犯罪の費用負担 都留重人
 U 公害政策の検証
  1 公明党の公害政策 小平芳平
  2 民社党の公害政策 藤村明
  3 社会党の公害政策 土井たか子
  4 自民党の公害政策 小倉要
  5 共産党の公害政策 中島武敏
  6 革新自治体の役割 飛鳥田一雄
  7 横浜方式の問題点 宮崎省吾
  8 患者の苦しみがわかる行政 田尻宗昭
  9 環境行政の立場から 橋本道夫
  10 市役所行政の体質 武藤泰勝
 V 現場からのレポート
  1 銚子火力反対運動から 松本文
  2 イタイイタイ病論争 吉岡金市
  3 高知生コン闘争 山崎圭次・坂本九郎
  4 臼杵・大阪セメント反対運動 小手川道郎・後藤国利・平川清治
  5 マンション建設反対運動 斎藤驍。佐和慶太郎
  6 高知生コン闘争、その後 山崎圭次・坂本九郎
  7 沖縄アルミ工場進出阻止の運動から 伊波義安・照屋唯夫
  8 東京都の公害現場にて 藤原寿和・松岡宥二・遠藤保男・坂野百合勝・小池信子
 W 自主講座運動と国際舞台
  1 国連人間環境会議報告 松井やより・シェルストレーム
  2 海洋の物質環境と人間への影響 ゴールドバーグ
 X 被害からの出発
  1 カネミ油症の患者として 池田さとし
  2 カネミ油症の最初に認定患者 矢野トヨコ
  3 豊前火力と闘う作家 松下竜一
  4 四日市公害の証人として 山崎心月
  5 厚美火力と自主調査 清田和夫・橘進・森下隆蔵・宇治田一也
  6 よみがえれ石狩川 三浦国彦
第二部 行動しながら学ぶ―自主講座で体験したこと―
 座談会 自主講座を産みだしたもの 依田彦三郎・高橋昇・安川栄・松岡信夫
 自主講座が生まれたころ 松岡信夫
 自主講座開講前後 棗田金治
 公害原論との出会い 鈴木久仁直
 自主講座と私 内藤哲雄
 編者あとがき

◇宇井純・生越忠 19750530 『大学解体論T』 亜紀書房

宇井純  目次
T 大学論の核としての東大問題
 一 東大解体こと始め
  大学論をなぜ始めるか
「やはり、この講座を開きました最大の理由は、このままでいったら自分がダメになるということであります。自分がダメになるだけでなく、ここで勉強している学生も、あるいは、東大をめざして受験勉強を一生懸命やっている青年たちも、日々ダメになっていく。このダメになっていくのをほっておくわけにはいかんのではないか。また、東大闘争のなかで職を失った人もあれば、怪我をした人もあり、二度と学校へもどらなかった学生もたくさんおります。そういう人たちの傷ついたその作業を、おくればせながら、もう一度最初からやろうというのが動機であります。」(p.4)

  ほんとうの学問が行なわれていない
  東大解体の具体性
「東大解体というのは、実は学閥の解体、あるいは進学競争の分散化ということからいうと非常に具体的な提案であって、けっして闘争のなかで苦しまぎれに叫ばれたものではない。『なんでもつぶしてしまえ』という考え方から出てきたものだという受けとり方が、一部にはありましたが、実はいろいろ考えを詰めていったら、この大学をなくすのがいちばん具体的な行動だというように出てきたのです。それが国民にじゅうぶんわかるように伝えられなかった弱さが四三年から四四にかけての東大闘争にはありました。で、今度はすこし時間をかけて、ゆっくり伝えてゆこうというのが、この講座の目的であります。」(pp.12-13)

  「ニセ学生」のすすめ
「考えてもみよ。もし砂のごときニセ学生が都内を右往左往し、教授たちの虚名や実力を評定し、ニセ学生通信をもって得た情報を広めるようになったら、大学も教師たちも、いまよりもずっと真剣になるであろう。学生自身にも、学問は、『与えられるものでなく、行動を通してつかみ取るもの』という、本来の姿がはっきりするであろう。特権大学の東大が、内実いかにつまらぬものか、そのなかのわずかなよい授業を開くだけのために、あのきびしい競争が必要ないということになれば、高校生の生活も、もう少し明るいものになるのではないか。私の自主講座も、事実上はニセ学生のたまり場のようなもので、情報交換にも若干の役割を果たしているが、本気になって学生が自分たちの学校と比較してくれれば、それだけはげみも出るというものである。やがては学生が自主講座をつくり、それが集って大学となるのが、大学本来の姿ではなかろうか。」

 二 なぜ東大問題なのか
  <質疑応答・討論>
  無個性優等生論をめぐって
  矛盾が噴出する理工科系
  良心的研究とはなにか
U 大学百年の歴史をふりかえる
 はじめに―都市工学科のエピソード
 一 日本の近代化と大学教育の役割
  大学百年史の総括
  東京大学の誕生
  帝国大学令の発布と帝国大学の量的拡充
  大学令の発布と大学の量的拡充
 二 戦後における高等教育制度の改革
  学校教育法による新制大学の発足
  中教審構想にもとづく上からの大学改革
 おわりに―大学にとって戦後とはなにか
 <質疑応答・討論>
 再論・良心的研究について
 特権前提の自治論の空洞性
V 高度経済成長下における大学の変貌
 一「大学爆発」の進行状況
  無用の長物となった大学
  経済と大学の高度成長
  量的拡充の状況
  質的変貌の状況
  質的変貌―分野別の拡充状況
  理科系重視傾向の見通し
 二 大学の変貌過程で発生した諸現象
  大学教育のマスプロ化と大卒の非エリート化
  空転する大学教育
  大学の高度成長の終点―これからの大学
 <質疑応答・討論>
 中卒労働者にとっての大学問題
 本物の学問・教育が生まれる土壌は大学にあるのか
 自主ゼミ運動による苦闘
 民衆がつくる歴史にそう学問を


資料等
◇野次馬旅団編 19700615 『戯歌番外地』 三一書房
 目次 舌代
 T わかっちゃいるけどやめられねえ篇
  ―六〇年代初期―
  1 全学連中央執行委員会の歌
  2 勉強なんかやめちゃえ
  3 民青へ行っちっち
  4 学連男の歌
  5 赤蛙の歌
  6 全学連血風録
  7 なさけなや節
  8 代々木のまがりかど
  9 おいらは全学連
  10 構改ブルース
  11 ブントの本領
  12 代々木と奴隷
  13 山本派の歌
  14 民々綱領の歌
  15 デカンショ節
  16 民青ワルツ
 U 雨の降るデモは心も濡れる篇
  ―六〇年代中頃―
  17 赤い旗
  18 マル同ブルース
  19 学連時代
  20 デモ心
  21 悲しき活動家
  22 ストはまだ続く
  23 ハイそれまでよ
  24 パクラレ小唄
  25 左翼心の唄
  26 全学連かぞえ唄
  27 ルクセンブルギストの唄
  28 五万節
  29 ジグザグ銀座
  30 三派にさそわれて
  31 ゲバルトあんちゃん
  32 革マルの歌
 V 丸太かかえて丸太かかえて革命だ篇
  ―六〇年代後期―
  33 ブルー・サトー
  34 羽田の二人
  35 社共を乗り越え
  36 活動家ブルース
  37 入っちまったマヌケ
  38 初恋のブクロ
  39 初恋のZ
  40 ゲバ子の唄
  41 羽田の想い出
  42 ブント音頭
  43 あこがれのブント
  44 ゲバダコの唄
  45 新宿騒乱ブルース
  46 民が死ぬ
 W ゲバやれゲバやれゲバぐれて篇
  ―六八年〜六九年全国学園闘争―
  47 あんたがどこさ
  48 ゲバをやりたい
  49 日和ってみたい
  50 歌を忘れた民青
  51 民コロなんてさ
  52 ゆけトロツキー
  53 民コロ
  54 駒場の青いヘル
  55 民ちゃん
  56 知りたくないの
  57 君知るや
  58 アメクバリ   59 まちぼうけ
  60 黄色いメット民青
  61 八本をかえせ
  62 知らなかったの
  63 時計台
  64 日大闘争時代
  65 体育会ブルース
  66 古田ブルース
  67 戦友
  68 昨日民ちゃんといた時にゃ   69 京大仁義
  70 抗戦ブルース
  71 時には××のように
  72 網走番外地
  73 ハレンチおやじ
  74 八雲のゲバ囃子
  75 都立大闘争突然史
  76 私は真赤な社学同
  77 ゲバの季節
  78 ゲバルトのマーチ
  79 墓場のバリケード
  80 末期的ブルース
  81 空志士ボタン
  82 バリケード小唄
  83 工専生のブルース
  84 劣等生ブルース
  85 企業の奴隷
  86 生徒に嫌われるなんて
X 殴らば殴れ殺さば殺せ篇
 ―六九年一一月決戦以後―
  87 モロトフ節
  88 権力の奴隷
  89 ブントがわれた
  90 東拘の夜
  91 野次馬は今日も娑婆だった
  92 マル同流れもの
  93 夜の蒲田
  94 白ヘルのタンゴ
  95 サツのかたすみ
  96 世界革命音頭
番外 人民の酒焼酎は篇
 ―戦前及び五〇年代―
  97 君が代ブキウギ
  98 赤い山脈
  99 焼酎の歌
  100 時の流れに
  111 学聯の歌
  112 赤旗の歌
  113 メーデー歌
  114 ああ革命は近づけり
  115 革命歌
  116 大学の歌
歌の不在の闇は深い 上野昂志
あとがき
附録 六〇年代歌謡曲ヒット年表
※序詞 上野昂志
 挿画師 赤瀬川源平

 
出典:立命館大学『コンテスタシオン』編集委員会・法学部闘争委員会『支配に抗う《正史》立命館学園闘争の記録・上』(一九七〇年六月三〇日改訂増補版、糺書房、93―116頁)
◇全学共闘会議、対理事会全学団交の記録(一九六九年二月一二日)
<※引用者=山本による軽微な字句修正を行なった。修正箇所は必要があると思われる際は、(―山本)と記した。>

 理事会は、二月一二日、ついに、自らがろこつに嫌悪してきた全共闘との、容認できないと何度も明らかにしていた"大衆団交"を開くことに応じた。
 理事会は、死の息の「立命館民主主義体制」を総括し、歴史的な経過をふまえて意思を統一し、体制の革命機関―全共闘との決着を準備した。そして、理事会は、ある重大な決意をかためたと聞く。にもかかわらず、二・一二団交が不発に終わったのは、理事会の深刻な総括と重い決意が、こともあろうに(いや立命ではあたりまえのことかもしれない)ある代々木系理事から、学友会・民青にもれ、党からの圧力が加えられたことによる。しかしながら、当日、全理事からの圧力が加えられたことによる。しかしながら、当日、全理事のふところにしのばされていた"封書"を開くことができなかったのは、全共闘―院闘(大学院闘争委員会―山本)が、第一期学園復興民主化闘争、第二期平和と民主主義、よりよき学園生活闘争の重層する蓄積の上にある「立命館民主主義体制」に、整理された論点で切りこみつつも、その焦点となる全学協―学振路線の解体論争に際し、決定的な視点の未構築による論議の空転によるものと言える。
 二・一二団交が、立命館民主主義の体制化への歴史意識にうらづけられた批判として決定的に深められることがなかったのは、決定的であるがゆえに敵どもを、IMFの抽象論議を沈黙させるものとなりえなかったのは、自動的全員加盟制自治会―ポツダム自治会の、学生管理の基本的な枠組みへの変質が、重要な論点とならなかった点にある。この点こそが、全共闘をして、理事会の交渉相手とせざるをえなかった理由―全共闘が、各学部闘のヘゲモニー確立によって、理事会が管理しようとしている枠から外にでてしまったこと―なのである。
 全学協、学振路線が、はじめから学生をだますものであったとか、全学協―学振懇は、ボス交機関であるとかいう批判をこえて、ポッダム自治会の止揚という課題を通して、全共闘運動登場の意義もよく理解されるものとなろう。
 こうした注意を喚起しつつ、二・一二団交のほぼ全ての記録を公開する。

佐野(全共闘議長)全共闘の中川館封鎖に対する、それから寮連合の大衆団交に対する批判を撤回された。それから二〇日の全学集会、それから二二日の学友会・民青による中川会館の武力解除、この事に対して学振懇の名でもってそれを援助した、そのことを撤回されたと、しかしながら藤井先生、この事実は学振懇という名でもって中川会館封鎖の実力解除が行なわれたと、学校当局はそういう事に対して支持したと、承認したと、この事の事実は決してあなたは何度学振懇に於ける確認を撤回されようとしても学振懇という名でもってそのような事が行なわれたその事実は決して撤回(=消去)できないものであると、その事に対してあなたはどのように考えられるのか。私はですね、その事の事態の意味するものは、学振懇というものは中川会館封鎖あるいは大衆団交という寮連合の闘争が、根底的に既存の立命館民主主義の体制というものを一切、これを批判し解体していくという、そのような方向であったが故に、あなた方は学振懇の名を騙って、この理事会・教授会の大学に於ける専制支配に対して、そういうものを、体制秩序を維持するための全学協・学振懇路線=立命館民主主義を温存するために、それを徹底的に批判し解体するための闘争に対して、あなた方は学校当局(強調は原文では傍点。以下同)の名でもって、しかも、民主主義の名をもって物理的な政治的な圧殺をしたということである。この事実は、学振懇・全学協の実体は何であるか。(を問うている)理事会・教授会の大学に対する専制支配そのものであることを歴然として説明しているのではないかと思います。具体的に学振懇・全学協を解体することを要求します。
(「武藤はっきりせよ」騒然!)
武藤 何回も言う様な訳ですが、全学協は五年間、開かれていない訳でしょう。だから同時に学振懇も一昨年から昨年まで一年間開かれていません。昨年九月に再開されたわけだけれども、その時には本来の学振懇ではなくなっているわけです。私共は、それではイカンという風に考えながらも、それを大胆に改革しなかったということを自己批判しますという風に述べておるわけです。そして、それが二二日まで及んでいるのであり、そういう点を自己批判し、そこで確認されたことは白紙撤回いたしますという風に述べておるのと同時に、二二日の六時頃に五者共闘との強力関係は、私ども、なくなっておる。なくなっておるから責任が無いといっておるわけじゃないんです。そうではなしに、そういう協力関係がなくなった以後に於いて学生諸君の団体がどのように教学の視点に立って行動するか。そういう方向に私どもが努力をしなかったという点についても私どもは、自己反省いたします。そういうことを寮連合との確認において述べておるわけです。
稲村(経済院闘)先程から全体として立命館大学の特徴としての立命館方式・立命館民主主義というものについてのいろんな角度からの問題を提起してきたと思うのです。今、佐野君の方から出されてきた問題も、そうした問題の具体的なものだと思うのです。私はもう一回その点を繰返したいと思うのですけれども、結局、学振懇・全学協は武藤先生が先程言われたように、ほとんど開かれていないか、もしくはほとんど有効な役割を果たしていない、という風に言われましたけれども、それは少なくとも非常に有効な役割を、この事態の中で果たしてきている。それは、立命館民主主義体制そのものの根底にあるところの立命館大学の研究・学問そのものの方向性が歪められている基本的・根底的矛盾が、爆発しているという時点に立って、学振懇というものは、そうした問題提起を押さえる役割を徹底的に終始果してきている。それを見ただけでも、私としては、学振懇もしくは全学協もしくは五者会談というふうに言われる立命館民主主義体制が、実は大学を根底から変革し、たえず根底的に矛盾を問いかけていく方向性に対しては一つの反革命的なもの、反動的な役割以上のものを果たしていない(い。―山本)―少なくとも目に見える形でもっては、それ以上のものを学生の前に提起していないということを追求したいわけです。そういった状況にあるにもかかわらず、依然として学振懇というものは使い方が悪かったんでしょうか、もしくは全学協というものは開き方が悪かったんでしょうか。もしくは全学協を構成するメンバーが、悪かったんでしょうか。そうじゃないんです。それは明らかに全学協―学振懇―五者会談という機構そのものが、大学全体の中における基本的な決定権を具体的平和的に、しかも代表を承認させるという形でもって、同時的に学生全体の了解を得たものとして遂行していく、平和的に路線を決定していく手段にすぎない。逆にそれは、直接的に現在の段階において、立命館大学の本質問題・本質的矛盾が露呈した段階において、それに対してそれを直接的に隠蔽する役割以上のものを果していないという状況が、これだけ具体的事実があるにもかかわらず依然として立命館民主主義体制にしがみつく理由は、一体どこにあるのか。
 それを解体するということによって、我々は、全部が解決するとは考えていない。しかしながら、それは、それが解体するということを通して以外に、現在の段階における基本的な矛盾を自分自身に問いかけていくみちはないと先程から言っているのです。(拍手)
 その点について、私としては、再度問いたい。理事会はそのような問題に対し、一体どのように御考えなのか。
理事一同(沈黙)(騒然)
武藤(経済学部長―武藤守一。末川総長退任後、総長)あのー。説明をもうちょっとさせていただきたいのです。学振懇ができましたのは、三六年なのです。(騒然「それがどうした」)三六年から・・・・・・(「解体するのかしないのか、どっちなんだ」)
 イエスか、ノーですか。私が先程述べておりますように、今どうしても立命館は新しい方向へ行かなければならん、というふうに考えるわけですから・・・・・・(野次しきり)
 学振懇も全学協も今の時点では役割を果しえないと考えますので解体して、新しいものを、創りあげる方向に行かなければ立命館は十分に発展しないと私どもは考えております。
佐野 確認したい。全学協・学振懇・五者会談という機構を具体的に解体するこ(と―山本)を、あなた方理事会として、大学の最高責任者として決定されるのか。
理事全員(沈黙)(発言多数、騒然)
武藤 私どもはすでに、五者会談も十分に各学部の学生の意見を反映しえないものになっておるので、これを解体というか、全く新しい方向で改革して行かなければならないと考えます。そして学振懇も全学協もそうでありますから解体して新しいものを生み出して行く最大の努力をしなければならない、と考えております。(「理事会・教授会も解体せよ」)
稲村 もう一度お伺がいしたい。現在の立命方式は問題があるので全学協・学振懇・五者会談を部分的に改良するという立場でもって、武藤先生は言われているのか、それとも、それらの機構はそれら自身をまず否定することから新たな方向性を出さなくてはならないといっているのか、一体どちらなのですか。
武藤 部分的な改善では有効な役割を果しうる(ようになる)とは考えてません。根本的に改革しなければならない、と考えます。(騒がしくなる)
師岡(前文学部講師)今、学振懇・全学協じしんが部分的な改善ではどうにもならんと言われた。武藤先生が理事として単に自己批判するというような部分的な事でも、ことは終わらないではないですか。その点どうお考えか。(拍手)
武藤 それはこの場でお答えができません。(怒号で騒然となる)
佐野 我々は、再度、出席されている理事全員に全学協・学振懇を解体するかどうかに対する解答を求めたい。(騒がしい、代々木系学生と全共闘支持の学友の応酬がつづき混乱している)
藤井(藤井松一・産業社会学部学部長―山本) 簡潔に答えます。全学協は二四年(一九四九年―山本)につくられ、学振懇は三八年(一九六三年―山本)につくられました。けれども(ヤジにかきけされ、発言がとだえる)いいですか、ちょっと聞いて下さい。つくられてくる過程を、諸君、思い出していただきたい。それらは、理事会が一方的に作ったものではありません。当時の学生自身の要求によって下から創られたものであります。(騒がしい)ですから、当然(怒号をあびて、興奮しながら)ちょっと聞いて下さい。そこで、理事会は一方的にここで解体を言い・・・・・・どのような方式を創っていくかということをこそ、この全共闘との大衆団交で・・・・・・理事会として一方的に宣言することはできない相談です。(一段と声をはりあげて)この問題は、あくまでも全学生の中へ問うていく(べき)問題であります。(ずっと、ヤジをあび、騒然たる雰囲気の中で)ですから、私は、こゝでいかなる理由があろうとも理事会として、一方的にこの解体を宣言するのは、まさに無責任だということであり(より騒がしい)・・・・・・これは、これがどのような過程でつくられてきたかをみれば、あきらかと思います。これ(全学協・学振懇)は、全学生の要求によって十数年前、つくられたものでありますから(一段と騒がしくなり、場内の混乱がひどくなる)(発言をさえぎって)
佐野 藤井先生、先生におたずねしたい。藤井先生は、今、学振懇・全学協の解体は、理事会だけで決めることができない、学生の意見を聞かなければならない、理事会・教授会は、学生や教職員(職員)を組織するものがあるゆえ、学生(や職員)の意見を聞かなければならない、と言われた。今ここにいるのは"学生"です。(佐野発言に応じるようにただちに)
藤井 あのね、全学協とか学振懇は、どのようにつくられたかというと、「大学」が一方的に上からこういうものをつくろうといってできたものじゃないわけです。むしろ学生諸君の下からの要求でつくられたものですから、ですから理事会としては、これを一方的に解体を宣言するとか、あるいは、新しい方式をつくるにしても、これを、この全共闘大衆団交の場において、理事会が、理事会の責任において、これの解体を宣言することはできない。ということはやはり、これ(全学協・学振懇の解体問題)は、学生の前に問うていかなければならない問題だということをまさにそれ(学生に問うこと)が、全学協・学振懇がつくられた過程の中からそういう事がふさわしいこの問題の解決だと私思います。
師岡 藤井先生に質問したい。
遠山(学生)(師岡先生の発言をさえぎり)そんなことアッタリマエの事ですよ。ただ最后にあなた方の発言を認めてあげているって、そういうことじゃないですか。そういう立場に立って発言すべきなんですよ。
師岡 藤井先生におたずねしたい。藤井先生も歴史をやられておられる。私も歴史をやっておる。つまり全学協の歴史のなかで、一遍として学生の主張が貫徹したということがあるかということです。
 藤井先生、お聞き下さい。一回として学生の要求が貫徹したことはない。例えば、昭和三〇年の一二月二一日の学園新聞にはこう書いてある。「全学協で、学校側は全て我々学生の要求を単に聞くにとどめるという終始一貫した態度で臨み、教学関係は大学協議会、経営は理事会の決定が最高でもはや変えられないかのような印象を与えた。」これは昭和三〇年であります。けれども、これ以後ズッーと学生の闘いの中における全学協の場というのは常にこのような総括が為されてきた。それが、どれだけ無力な存在であるかというこ(と―山本)が、これだけ多くの学生が集まった集会の中で、今提起されているわけです。どういう場合で、それが必要であるとか必要でないということが決められるのですか。こういう全学協を解体することを要求している訳です。
 藤井先生どうですか。
藤井 いいですか。今の師岡君のことについてですが、いいですか、全学協や学振懇の作られた過程の中で、今日の問題を持っていることは、三九年以来全学協が開かれていない、学振懇も一昨年二回開かれましたが、しばらく、一年程開かれなかったということでの問題は、どこにあるのかということについて、私は私なりに把握しております。しかし、この全共闘との大衆団交において解体を宣言するかどうかということは、私は私の責任においていえないということです。そのことは、やはり理事の責任において、私個人の意見を言えと言われても、私はこれを言えないとくり返す外ございません。これをあらためて、全学に問うべきだと私は思います。(騒然)
師岡 今、藤井先生は理事としてこの場で答えられないというふうにおっしゃった。しかしながら、全学協それ自体が、例えば、一九六三年の場合、どういう風に言われているか。つまり全学協が全部理事者の経営主義方針を貫く場であるという風に指摘されている。つまり理事会を教授会を理事者としての責任回避に利用していると。つまり全学協が何ら民主的な問題を保障する場でないという事を、歴史の中ではっきりしている訳です。それを今、藤井先生は理事として言えないとおっしゃるのならば、この立命館大学の理事会の一員としての立場、すなわち、理事会というものがきわめて反動極まりないということになるのじゃないかと思うのです。
藤井 いいですか、師岡さんがきわめて保守的で反動極まりないという批判をしましたけれど、それは甘んじて受けましょう。いいですか、しかし、僕は一回師岡君たちに言う事があります。いいですか、それはまあ、その場じゃありませんからね。私は全学協や学振懇という従来の立命館方式が、これはやはり変革改善しなければならないという風に思っております。正にそのためにこそ我々全大学人があげてその事にむかってとり組んでいる訳ですね。いいですか、単にこれを解体するのではなしに、これをどのような方向で、立命館大学におけるいわゆる立命館方式・民主主義というものを発展させるのかという、そういう方向をはっきりさせなければ、ここで一方的に解体宣言を言ったって、これは意味ない、私はそう思うのです。(怒号・騒然)
師岡 今、藤井先生は、何ら展望を持たないで解体すると言われた。しかし、そうではない。明らかに新しい思想と新しいやり方での学問ンを創るところを学生達は提起してきている。何が何ら展望がないというのですか。
藤井(沈黙)
師岡 どういう意味で、展望がないといわれるのですか。そういう捉え方こそ、学生の間から澎湃(ほうはい)として起ってきている、新しい学問を創るところ、すなわち、教壇の上で説かれることと、その行動とが一致しないような学問でない学問、言行一致する学問を創るといううねりが、学生の間から澎湃として起っているではないか。
藤井 ですから、私はですね、古いものにしがみつくと師岡さんは言われるけれど、全然私は思ってはいませんよ。(騒然)いいですか、いいですか、古いものにしがみつくものは、この学園を去ればいいわけで、私はしがみつこうとは思いません。私は、いいですか、この問題について言えることは、学生諸君の従来の立命館大学がつくりあげてきた立命館民主主義のいわゆる形骸化といわれていますが、そういう問題を、形骸化というか、まさに破産しているという批判もあるでしょうけど、この問題について、全学生諸君のそれについての徹底的な討論の中から、やはり、理事会と大学とに、一定の明確な立命館民主主義についての展望・ビジョンを打ち出すべきである。しかし、この時点において、まだ私は、大学の問題が提起されている昨年の一二月以来まだ、ここで、一方的に解体を宣言し、それにかかわるものを提示することは、やはり、今後明日からでも、大学は、学生諸君のこれについての問題をはっきりと受け止めて出すべきであると思う。
(発言多数)
師岡 藤井先生におたずねしたい。全学的な討論が、巻き起っていないというふうにいいますけれども、いったい、このキャンパスをこれだけの人間がうずめ、更に、この校庭にこれだけたくさんの学生の意見が貼り出され、また、ビラがまかれるという事態は、かつてない事なんですよ! クラス、クラスといわれるけれど、まさしく、この前でこそ語られるべきである。この前でこそ問題は提起されている。そういう新しい動きの上に乗って、そういう新しい動きの上に乗らない限り、展望なんか切り開かれるはずがない。(拍手)
 そういう風な藤井先生の考え方は、私はやはり、理事会、結局この事態をこれまで混乱においこんだ、そういう理事会の立場を一貫してとっておられると考えますけれど、そういう理事会は、新しい大学を、新しい学問をするところを創る為には、有害無用の存在であるという風に私は思うんですが、どうですか。(拍手)
大久保(全共闘副議長)もう一つ藤井先生にはっきりと確認したいわけですけども、藤井先生は、この団交の中で、立命における理事会・教授会体制を、現実的に、どこで解体するのかという問題として、提起されていると思うのです。けれども、現在の立命館闘争の中で、全共闘による大衆団交がどういう内容で、持たれているかということを具体的に確認すれば立命の(「まてまて」と発言を止められる)
 藤井さんがね、藤井さんがね、理事会教授会の解体をここで決められない、と言ったことに対して、最終的に反論したいと思います。正に、この大衆団交は全学協でも実現できない、理事長・学内理事全員・総長を集めた団交として行なわれている。そして、藤井さんが、最後の希望を託されるクラスからも派遣された学生が、立命始って以来の学生が集っている。従って、立命においてこれ以上の最高決定機関はありえない。あなたが、全学協・学振懇等を再び持ち出すのは、これまであなたが、言って来たことを否定することになる。我々は、立命館の最高決定が、本日の団交で行なわれることを、確認しておきたい。
藤井 ここに集まられた全学友諸君の意見を聞きたいわけです。いいですか、立命館民主主義は非常に大きな問題をかかえているわけですが、いわゆる民主主義について、一個人として解体するかどうか決断を迫られているわけですが、私は、ここにおいて、個人としても、理事の一人としても、この席で、個人的な意見を発表することはできない・・・・・・なぜかというと先程の議論を繰り返すほかない。むしろ、ここで一方的に解体を宣言するということがどの様な意味をもつのか。それに替わるべき新しい大学の進むべき途を提示するなかで、(怒号、T女史の罵る声、満場騒然)古いものをのり越えて、大学の再生の途をすすめる、と僕は思うんです。そういう意味で新しい大学の途を具体的にだすなかで、はじめて・・・・・・ですから、ここで一方的に解体を宣言しても、なんら意味はない。そうでしょう。じゃないですか、(声をあげて)私は、この学友諸君の前に、一方的に解体を宣言して、何が残るんですか、大学の進むべき途をはっきり提示すべきでしょう。私は、師岡さんからさんざん言われましたが、いくら言われてもそう思います。古いものを乗り越えて新しいものをつくる必要があるんです。(拍手とヤジ)
稲村 我々が聞いているのは、現在立命館民主主義体制を解体する手続きの問題を聞いているのではない。藤井先生が先程から言っておられるのは、現在の立命館民主主義がいかなる役割を果していかなる内容としてしか存在しえていないかという事についての見解を述べられず、それを「一方的解体」手続きの問題に、事態をすりかえておられる。
 我々が聞いているのは、藤井先生が立命館民主主義の果たしている役割について、どう考えているのかという事であり、その事は、まず基本的に藤井先生が解体すべきかどうかについて、どう考えられているかという事であり、それを踏まえて、手続きの問題が出て来るし、それは次の問題でもあるが、その論議を回避して、新しい大学を云々するというのは、空理空論である。再度その点についておうかがいしたい。
藤井 質問はよく解かる。私がいうのは、ここで一方的に解体するのは何の意味があるのですか。(騒然)単なる手続きの問題を言っているので(ヤジを押さえながら)私はそれ程ぼけておりません。(騒乱)
林(文学生)質問に正確に答えなさい。立命館の諸機構を解体する必要があるのかどうか、そのことについて、どう考えておられるのか。
藤井 古いものにしがみつくような保守主義者ではありません。従来の立命館民主主義をはっきりと踏まえて新しい道へ進みましょうと提案しているわけですよ。いいですか、(騒然)新しい・・・・・・
(話しをさえぎって)あなたは、先程から新しい大学を創るなどという、末川先生が言っているような、きれい事を言っている。しかし、我々はだまされない。なぜかというなら、一切、問題をみつめようとしない、解体しようとしない(からだ)。今、起っている問題について、聞いているのです。立命方式が、学生に敵対し、学生を圧殺する役割を果している。これを解体するしかないと説明してきた。それに対して、一人の理事として、一人の教員としてどうなのかを聞いているのですよ。解体をする必要があるかどうか答えて下さい。
藤井 いいですか、あの、立命館大学が戦後築きあげてきた。
(再び話しをさえぎって)解体するかどうかについて
藤井 結論だけを言わせるのは真意を伝え(させ)ない。私は、古いものにしがみつくなんて絶対に考えていない。立命館大学が昭和二四年の総長公選以来ですね、創りあげてきた立命の方式・体制というものが、(ヤジを押えながら)立命館民主主義を現時点において乗り越えるべき宣言をここでやります。それは全学が責任をもって、それに代わるべき、理事会や教授会・学生、管理する者・管理される形ではなく、対等に決定に参加できるような、どういうものがあるか。あるいは、大学の意思決定・学部の意思決定に、どの様な形で学生の声が反映させれるのか、そういう方向へ、大学が進んで行くべきだという理解において、立命民主主義が乗り越えられるべき時だと思います。一方的に解体を宣言することで、一体何が残るかと私はいいたい。そういう意味で新しい展望を含めて、問題を提起することが重要である。解体を宣言するかどうか、答えられない。
師岡 今、古いものにしがみつく気はないとあなたは何度も言っているけれども、(「にがすな」「末川をかえすな」)(末川氏退席。末川総長の出席時間は、先生の体調もあって、夕方、寒くならないうちにという事に同意していた。)(「にげるな」)
師岡 そう言われたけども、その例として総長公選をあげたけれども、では、総長公選は民主的ですか。私はちがうと思う。総長公選制の基本は、教授会自治にもとづいています。最初の総長選は、(選挙人の)百人のうち五五人が専任教職員で、四五人が大学関係者である。総長公選制という名前だけきけば、学生も参加していてきわめて民主的であるという風に思われる。しかし、その実体はどこにもない。藤井さんは、古いものにしがみつかないと言われたが、文部省でさえ、恥ずかしくなるような教授会自治の下にある教学体制というものは、徹底的に解体されなければならない、と私は考える(拍手)あなた、どういう風にお考えになりますか。総長公選も含めて立命館民主主義体制は、理事会・教授会は何ら新味のないもので、その上に「平和と民主主義」というこしょうをふりかけているだけだ。今や、こしょうがふきとばされた。そういうものを解体しなければ、新生、新しい生は来ないと思いますが、先生はどう思いになりますか。
藤井(答えず)
武藤 立命館の総長公選制は、今の日本の実情においてはひじょうに進んでおると、私達は誇りに思っておる。しかし、現在の総長選の規則は、問題があるので、何年間にわたって検討をつづけてまいりましたが、今の改革案は現行規程よりも進んでおると思います。なお、問題点があることを認めます。よりすぐれた総長公選規程をつくるように理事会は努力したい。それから、さきの全学協・学振懇の問題でありますが、さっきも私も申しましたが、今、ひじょうに問題をかかえ、機能を果たしえなくてなっておるので、私どもは、根本的に改革する。そういう問題の提起をしなければならない。そういう責任をもっておる、そういう事ははっきり申しあげたわけです。
大久保 でもね、ぼくたちの迫っているのはそういうことじゃないんだよ。あなたがた理事会そのものの、堕落した理事会・教授会を打倒、解体することが、新しい大学の第一歩なんだよ。したがって、あなたたちは、新しい大学のデザイナーでは決してありえない。あなたがたが、新しい大学の展望云々を理由にして、ここでは決められないというのは、全くの欺瞞なんだ。現行の理事会・教授会体制の解体を現実に行うべきなんだ、ここで。
佐野 本日、ここに来ておられる全理事の発言をもとめたい。池田先生。
池田 さきほどから問題になっておりますように、現在の立命館大学における、五者会談・学振懇、そして全学協という体系に問題があるのは事実である、という事ができる。問題は、やはり、どういう問題があるかという事について、やはり考えなければならない問題が、この体系が、全学生諸君のこの教学要求を十分に反映できるものであるかどうか、これが、やはり、一つの大きな考える手がかりでなければならない。(発言のまま)私はそういう風に考えている。そういう風に考えるとすれば、一方では、この体系というものが、経営主義的な、体制保守的な側面を、一方ではもっておる。そういう性格をもっておる(ような)そういう傾向を克服しなければ、学生諸君の教学要求を十分に反映するような基盤をつくることができるか。そういう基盤(?)にたたなければ、この体制をどうかえていくかについて、これは明確な方向性をもちえないと考える。そして、それはただ単に体制をいじるということではなくて、やはり、かって、立命館大学の民主的な体制がつくりあげられたように、学生・教職員の民主的な運動の中でつくりあげられてきていると思う。そのような運動を組織していくこと、そのような運動の上にたっていくこと、そうでなければ、本当の意味での民主的な、さらに全学生・教職員の教学的な意見要求を、反映できるものになってはいけない、と考える。そうすれば、まず、第一の基盤は教職員・学生が相互に批判をおこない、また、教学実践のクラスを基盤において考えることが、第一の原点である。(池田発言をさえぎって)
〈民主的なはずの教職員は何を行なってきたのか〉(民青系学生と全共闘とのヤジの応酬)
岡本(経闘委)クラス・・・・・・
池田 私の発言中です。
岡本 あなたは、新しい立命館大学のデザインにあたる資格はないんだ。クラス段階で何がおこっているのか。(あなたは)クラスにでてきたことがあるのか。クラスや学生大会では、教授会を弾劾しているではないか。経済では、ハガキで学部集会を招集しておきながら、武藤氏はあらわれず、なおかつ、出席した教授は、尻に帆かけて逃げだす始末ではないか。一体、何がクラス討議だ!
池田 発言の途中で切られたわけですけれども、さきほど私が言ったことをもう一度、くりかえしていきながら(激しいヤジをあびて)考え方を明確にしていきたい。それは、今、指摘のあったクラスの討議だ、クラスの討議・・・・・・もう一つの問題は、現在の教授会・理事会の体制が、縦の関係になっているではないか、という指摘があったが、これは、ひじょうに重要な指摘だと思うんです。又、この大学の中で、現在の段階で大学を構成する教職員・学生・大学院の学生、この間の位置づけ―関係をどう考えるかという重要な問題がある。それは、ただ、単なる、支配―被支配の縦の関係とは思っていないけれども、やはり、この関係を我々自身が明確にとらえていく、そういう基盤の上に現在の我々がもっている立命館の体制は、つくりかえなければならないと私は考えておるわけです。
〈どういうものが、つくりかえなければならないか。二二日のあの事件に対して全ての理事は自己批判した。まさに、自己批判されるべき問題は、あれが失敗したからという問題ではなくて、その考えた方であり、そういうものを導いた古い保守的な反動的な考え方ですよ。では、はっきりと、一人ひとり答えて下さい。東大全共闘は、一年にわたって闘かってきたが、加藤代行(現総長)は、機動隊を使って、圧殺した。機動隊を導入し、東大全共闘の闘争を圧殺した。これに対して自主的な批判を表明せよ! したがって、国家権力に抗議し、権力にとらわれた全ての学友をうばいかえすための闘いを全ての理事がやるのかどうか。この立命館大学からも九名がとらわれている。この問題についても、根本からの批判をせよ〉
全理事(応えず)(「問題からはずれるじゃないか」「民青を使った闘争破壊と同じだぞ」などの応酬があって、混乱する)
佐野 他の理事の見解をききたい。今の問題は、これまでの討議の論理的帰結として、全学協・学振懇を解体されなければならない。この一点をめぐる問題について、他の理事の見解をききたい。瀬原先生。
瀬原 五者会談・学振懇・全学協が形式的なものになっていることをはっきりとみとめる。そして、そういう観点にたちますと、私自身の判断としては、それらを解体してもよい(陥穽、拍手)
 ただ、それに代わる全学一致の体制をつくりあげる努力をしなければならない。では、一体、その起点となるのはどこか。教職員について言えば、各々の職場であり、学生について言えば、クラスであろう。クラスこそが私の考えによれば、学生自治運動の起点とならなければならない。そして、我々、教員はクラスで様々な問題をぶっつけられ、今まで悩んでまいりました。そしてそれが、どのようなルートによって、実現されていったかと言えば残念ながら実現されていなかった。(「そうだ」)それは、他方においては自分の考えている問題を、率直に教授会に出して、民主的に討議していくという努力が不十分であった。それから、今一つは、学生諸君でないとわからない問題があるが、それが、学生自治運動の中へすいあげていくふうにあったとは考えない。私の判断によれば、まちがっているかもしれない。日常の教学要求がすいあげられる機構が十分に運営されていなかった。この観点にたって、五者会談―学振懇・全学協は、一応解散していいんだと考えている。そして、それに代わる全学一致の組織をつくる努力を原点から築きあげる努力をしていきたい、そして、そういう問題(の)提起をする。この際、文学部のことをふれておきたい。文学部は、日本史を中心として多くの教員が辞意を表明されている学部であります。そのために、たいへんな危機にある、みなさんご承知のことです。その辞意の理由は、さきほど、学園新聞をよまれたように、三役は、理事会体制(武藤氏らと)の不一致ということであり、あるいは、その他は、紙上(で言われている事)は別にして、正式には審議も受理もしておらない段階である。そして、では一体、文学部の新しい教学がどうなるのかという問題が、緊急にあるわけですが、私たちは従来、文学部がとってまいりました話しあいの路線、学生の要求を、全ゆる側面から、ぶつかっていって、とらえていく努力から現在の事態を(の―山本)解決の糸口をつかみつつ、その中で、全員復帰してもらう、そういう努力を現在かさねつつあります。そうすることによって、現在の事態を解決する、そういう努力を重ねることによって、辞意を表明されている教員に帰っていただいて、四回生の卒業を保障し、新学期の体制を組んでゆきたい。責任をもって、私は努力していきたい(拍手と非難のヤジの混唱)
坂寄 経営学部長代行の坂寄です。全共闘からの問いは、手続きの問題ではなく、解体する必要があるかどうかという事だが、私は解体する必要があると考えます(拍手)ごくかんたんに説明すれば、それは、すでに機能しておらない、(学生のヤジをなだめながら)こっちに言わせて下さい。全学協は、長い間機能していません。学振懇も昨年やっと、開かれるという状態で、そういうことからして、単に機能していないだけではなく、形式が残っているために、マイナスの効果をはっきりしていると考えます。(同意を示す強い拍手)そういうところから、私は、至急に、全学協方式に代わるものを考えていかねばなりません。とくに、私はこの点を強調したい。全学協方式は、教職員・学生・私たちの先輩が闘いとったものである。闘いとったところからして、クラスを通じて、全学生に提起し、教職員に提起する必要があると考える。そういう動きから、新しい方式を考えていかねばならない(拍手)
佐野 西村先生お願いします。
(西村財担理事は発言を鈴木先生にゆずる)
鈴木(理工学部長代理)立命方式の解体について、私は今までの団交経過におきまして、我々の態度や対応は、学生の側から考えないものがある(と反省します)現在、問題となっている立命方式についても、その欠点を多くもっている。そういう意味では、私は個人的ではあるが、解体というコトバは、私の体質にあわないのでありまして(「ナンセンス」)諸君にとっては「ナンセンス」であろうけれども、ですから、諸君のコトバで言えば「解体」という事ははっきり申してよいと思いますが、私としましては、そういう言葉は合わないと思います。その点はみとめて下さい。それから、こういう手続きの問題は言わなくてよいとのことですが、個人的な見解を述べるので、いっこうにさしつかえないと思いますが、私も、自分のこうした考え方を、自分の教授会・自分の学部に訴えてゆきたい(「無内容」)
佐野 西村先生
西村 私は、学振懇―全学協方式は、今日の段階では解体すべきものだと思います(拍手)これは、二四年(一九四九年―山本)当時の歴史的な役割と今日の役割とはちがっていると思います。それは、もともと二四年以後、立命館が、新制大学にきりかわっていく過程で、学生の組織の大衆的基盤がかわっている。そういうことに、正しく立脚しえないことが、今日の問題を提示していると考えます。そこで、「クラスから」としばしば言われます(が)私は学生の起点はクラスであると思っています。クラスが、なぜ問題になるかということは、クラスが、教育・研究を通じて真に、学生・教員の相互信頼・批判が生きてくる起点だということだ(拍手)そういうクラスでないクラスは真のクラスではない(拍手)ここで、相互批判にたえた教員が、教授会の民主主義を生かしていくのだ。したがって、その他の体制について言うならば、やはり「管理」ではなくて、下からの運動のつみあげである。したがって現在の立命館の直面している危機にあたって本当に必要なものを、どうやって実現していくか、という事に焦点をあわせていかなければならない(拍手)
小田(理事長)私は、学外理事です。本日は、学外理事も全部出席せぇという事でしたが、私ひとりで、よかろうという了解をとりましてあらわれてきた。私は率直に言って、全学協―学振懇―五者会談は、すみやかに解体すべきであると考えます(拍手)ここで、歴史を言わせてもらいますが、終戦直後、末川先生を迎えるときに、私は副理事長に就任いたしました。そして、組合ができて、奈良本先生が組合長であって、労働協約、いろんなあたらしい規程全部、私はかかわってまいりました。ここで、その当時のことを考えてみますと、あの当時インフレで賃上げ、授業料値上げを年二回やってもらわなければいかんという事態でありました。それを、私ひとりで、交渉しておったが、協議機関をつくってもらいたいということで、全学協をつくってもらった。そこで、その頃はみなさん、ご承知のように、ひじょうなインフレでありましたから、在校生の諸君にも(授業料を)あげてもらうようにしましたが、これは、まあ、あんまり無理をいわんとやってもらいました・・・・・・中略・・・・・・
佐野 理事長をはじめとして理事会のほとんどがその趣旨で発言された。しかしながら、武藤、池田、藤井の諸先生は、依然として解体するべきではないと言っておられる。他の理事の発言をふまえて、武藤先生におうかがいしたい。
武藤 今の全学協も学振懇も五者会談も十分にその機能を果たせなくなっておるので、だから、解体して根本的(に―山本)新しい制度をみんなの力でつくりあげるよう大胆に提起いたします。そのために努力をいたします。
武藤 現在では、全学協・学振懇・五者会談は、その機能を果たせなくなっているので、解体して新しいものをつくることを大胆に提案する。
池田 現在の立命館大学の体制には問題があるのだとさきほど述べた、現在の体制は、現実的に機能を果たせなくなっている。
池田(うながされて)現在の体制を・・・・・・解体して新しい制度をつくりあげることを大胆に提起する。
佐野 藤井先生おねがいします。
藤井 私ひとりが、反動の最後の生き残りの如くなりましたが、・・・機構や体制は、何のためにあるか。それは学内における・・・・・・〈解体するかどうかについて言え〉民主主義の問題は、すぐれて運動の問題である。今までの学振懇・全学協が機能をマヒしていた。一七日の拡大学振懇があのような形でもたれたことを重大に反省している。あの学振懇の決議は無効であることを認めている。・・・・・・結論を言うと全学協・学振懇はのりこえられるべきものである。立命館大学を構成する全てのパートが新しい大学のあり方へむかって努力することを訴えたい。
〈立命館民主主義の機能が果たせなくなっているというのではなくその機能が学生に敵対するものなのだ。問題がそうであるなら、全学協・学振懇の解体は、理事会、教授会の解体でなければならない。〉
稲村(院闘)立命館民主主義の制度、理念、体制の全面的な崩壊の中で、なにをバランス・シートにして入試を行なうのか。それは、研究・学問といった点からではなく、ただ財政のみをバランス・シートにして行なわれようとしているのではないか。立命館民主主義が学生を管理するスマートな形態であることが、この団交の過程であきらかになっている。それは、立命館大学の教学理念、方針の崩壊を意味する。したがって、現段階の制度、制度の依ってたつ基盤の根底的な切開へむけて大衆団交を継続することがもとめられている。入試中止を要求する。
武藤 一四日からの入試を中止すべきであるという問題提起については、次の様に考えます。今日の協議の中で、立命館の特徴であるといわれていた民主的な体制を解体して、さらにすすんだ体制をつくりだすため全力を尽くすと述べてきた、これはただ体制の問題だけでなく、教学の内容も改革すべきであって、よりりっぱな立命館大学をきずいていかねばならない。そのためには、新しい立命館の学生が入ってこなければ、立命館は前進できない。その意味では、入試はどうしても必要である(騒がしくなる)第二に七万五千の志願者がきておる。これはなお、立命館に守るべきもの、誇るべきものがあることを示している。(騒がしい発言者多く学生同士の応酬がつづく)立命館大学に学びたいというものがかくの如く多い。その背後には多くの父兄がおる。父兄の要望にこたえねばなりません。これは立命館大学に課せられた社会的責任であるという風に考えます。入学試験はどうしても実施したい。(「金だけとって授業はどうひらこうとするのか」「サギではないか」)
〈(経済学部の)手嶋教授は、学生は体を売ればよいと暴言をはいている、これは資本家の態度ではないか。こういう人間が入試をやろうとしている。〉
武藤 経営者として(入試を)言ったのではない。もしそうであるとしたら、いい大学にしていかねばならないという発言をこの場でするわけはない。教学の面でも、マスプロのへい害を除去するなどの充実をはからねばならない。現在の文教政策に対立してやっておるのは、二部の大学教育をやっておるのは経営者からの発想ではない。
 後継者なしに、大学の改革はすすまない。
和田(日本史闘争委員会)文学部、日本史を例にあげて発言する。日本史専攻では、五人の教員のうち四人が辞めている、どうして教学を保障するのか。又、文学部段階で教員の三分の一がやめている。残っているものも辞めたいと思っているが辞められないというにすぎない。学校にもでてこない無気力なものが多い。こういう状況でどうしてまともな教学を保障するのか。これはサギではないか。
武藤 多くの人が、学園を去ろうとしているのは立命館教学体制の弱さのあらわれであって責任を感じます。
和田 日本史において教学を保障できると思うのか、どうか。文教授会も衣笠講師も日本史の教学を保障できないと言明している。
武藤 教学内容を保障するよう全力あげる。(「具体的に言え」ヤジしきり)
瀬原 文学部の話しあい路線がとおらなくなった段階で三役と他数名の方が辞任した。よってきたるところは深い。立命館民主主義が形骸化し、それらが学生諸君にひとつの悪と作用している。理事会と学生とのパイプがつまっていることなどの問題を解決して、辞任された先生を迎えるようにしたい。その基礎はできた。教授会は、学校に登録されない先生に、復帰されるように全力をあげて動いている。四回生の卒業、新入生を迎える体制の確立へ責任をもってあたりたい。
和田 回答になっていない。日本史の教員は帰らないと言明している。これは、武藤氏らの強硬路線の責任であって、現在、卒業なども何の体制もとられていない。
瀬原 事態は流動的である(失笑するもの、「ふざけるな」)二三日までは、実力路線があった段階では、たしかに帰ることができない。四回の寮との団交、本日の全共闘との団交、新しいめばえの中で、必らず、学園に帰っていただけると確信している。
高野(日本史教室助手)私は二二日の実力行使に反対して辞表を出したのではない。一八日、それ以前の、こういった事態をおこす立命館の悪い深い体質に反対して辞表をだしたのだ。"事態は流動的である"と言う。ところで、このような根深い悪質な体質に対して学生諸君が屈することなく断固として抗議の行動をとったことが事態を流動的にさせた理由である。武藤理事が学友会の行動はちょっとまずかったからといって事態は流動的になったのではない。一月二七日の大学の声明では、このような時に大学を去るのは無責任であるといっている。しかし、そのような問題ではあるまい。そのところがわからない武藤理事は、全学協・学振懇を解体するとかんたんにいったけれども。しかし、体制が解除され、かりに学生諸君が非常な困難をはらって新しい立命館をつくっていくとしても、その転換のときに、じゃまになるのは武藤理事、あなただ!(歓声と同意をしめす拍手)武藤理事は今になっていとも簡単に立命館体制は問題があるという。もしも、一月二一日の学友会の行動が成功していたら、あなたは今何といっているか。おそらくこういったにちがいない。"立命館体制万歳"と。学友会の行動が多数の学生によって阻まれたとき、今になって甘いことを言えるのだ。あなたには、新しい立命館が生まれるなどという権利は絶対にないはずである。(「武藤理事、何とか言え」)あなたがいる限り、私は絶対にかえらない。私は、新しい立命館をつくる学生の運動に徹底的に協力することが私の任務であると考えている(強い拍手)そういう私にとってあなたのとっている態度は敵対的でもある。あなたの考えをききたい。
武藤(学生のヤジにうながされて)私が自己批判し、責任を感じるというのは決して安易な気持で言っているのではない(ヤジ多く騒然となる)私の言いましたのは体制とともに教学の問題であると、だから去った人が帰ってくるために全力を尽くさねばならないことをなすと言っておるのです。
高野 二二日夜に何をしていたか。あなたは清心館の部長室と会議室との間をうろうろしていただけではないか。あなたは、学友会の行動の前に全身をもって立ちはだからなかったのか。(「そうだ」)辞表をだした教員の私が放水をあびてずぶぬれになっている時に。私は武藤氏が帰ってくる(辞めずに居直る)のを許すことはできない。あなたは帰れないのだということ(学園から去らねばならないこと)をわからないのか。あなたは受験生が七万五千人いると言った。しかし、あなたを信頼して入学してくるような者なら何万人こようと立命館は悪くなるばかりではないか(高野助手の高い響くような発言が終わると間をおかず拍手が、応じるようにおこり、沈黙する武藤氏を指弾する声がわきおこる)
武藤 七万五千人の受験生が、私どもの行動を知った上でくるとは考えません。立命館で学びたいということである。学ぶところに価するために体制を整えていかねばならない。そのために障害になる問題を解決していきた(い―山本)。
〈はっきりと如何なる具体的な自己批判の行動をとるのか言え〉
武藤 どういう形をとるかということを言う場ではない。しかし私は文書で書き、又口頭で述べている責任をとるということは実行に移します。
〈一月二二日以後、一体何を考えてきたのか。その責任を果たそうと考えてきたはずだ〉
武藤 反省すべきものは反省してきた。私はその責任をとると申している。
〈責任のがれは断じて許さない〉
武藤 私は具体的にどういう責任をとるかということを答える場ではないと思っている。(「何を言っているのか、ふざけるな」)
〈全学理事会団交はカンパニアの場ではない、いかなる責任をとるのか答えることができないはずはない〉
武藤(沈黙して答えず)(激しいヤジで騒然)
樹谷(学思寮)教員の辞職は教学条件の崩壊であり、それは平和と民主主義の教学理念の崩壊に原因をもっている。そのような状態のなかで、入試ができるのか、新入生を迎えることができるのか。現在の事態は、単なる教学条件の崩壊ではないのである。
武藤(黙ったまま、発言する姿勢なし)(騒然となる)
樹谷 あなたが沈黙するということは我々、学生に対する圧殺行為だ。
武藤(学生のヤジをうけても、沈黙したまま)
樹谷 入試を行える状況にあるのか、答えよ。発言するのは、新入生への責任である。(「しゃべれ」「こたえろ」「努力するではだめだ」等、立って発言する者多く、その場の空気は緊張して、学生相互の応酬もあり、押し問答がつづく)
和田 つまり、抽象的には入試をできると言えても、具体的には何ら回答をもってないということではないか。文学部、日本史専攻(の教官と入試)はどうするのか。入試をできる状態にはないではないか、できるのかできないのか。
武藤(なお答えず、沈黙を守る)
〈武藤理事に答えることを求めてシュプレヒコールを行ないたい〉
和田 はっきりして下さい。簡単な質問なのだ。入試ができる状況なのですか。教官は帰らないと言っている。解らないではすまされない。全学的な問題なのだ。答えろ、学生は、四月でも、五月でも入れることはできる。問題が解決するまで大学はどういう責任をとるんですか。(騒然「答えろ」の声しきり)
理事一同(沈黙)
樹谷(寮連合)武藤先生、答えて下さい。
 武藤さん、あなたがこの問題について答えられないはずがないんだ。立命館は今、入試をできる状況にあるのかどうかということを、あなたは知っておられるはずだ。その見解を言えと言ってるんだ。何も無理難題をあなたに吹きかけているわけではない。答えて下さい。(呼びかけが続く。理事全員沈黙)
師岡 武藤さん、大学当局は、日本史受験生に対して、日本史はどうなるかと聞かれた場合に、受験生にはそんな心配をする必要はないと言えますか。
高野(前文学部助手)明確に答えるべきですよ。
樹谷 いいですか、武藤さん。あなたが、今ぼく達が提起している問題に答えられない限り、あなた方は、入試をスケジュール的に行なって、しかも七万五千人の受験料をあてにすることしかできないという事実を私達は知っているんだ。(理事、沈黙)
 武藤さん、あなたは知っているはずだ。今の立命館の現状で、入試が行なわれるかどうかということを。今、立命館の学生は一人一人教学条件の崩壊と、教学内容を支えてきた体制にに疑いを持っている。異議申し立てを行なっておるんだ。学生諸君が知っていることを、武藤さんが知らないわけはないんだ。その見解をあなたに言えと言っているんだ。武藤さん、答えて下さい。
 武藤さん、あなたが答えることによって、新入生に対する責任が取れるんだ。武藤さんが答えるべきだよ。(武藤、答えず)
 武藤さん、現在の教学条件の崩壊、文学部における教学条件の崩壊、特に日本史における教学条件の崩壊、こうした中で試験をやろうとすることを、あなたはいったいどう思っているんだ。武藤さん答えて下さい。(呼びかけが続くが、武藤、沈黙)
高野 武藤さん、あなたが答えることこそ社会的責任ではないですか。そうじゃないですか。はっきり答えて下さい。(場内騒然。「答えろよ」の声しきり)
 武藤さんのいう社会的責任とは何ですか。はっきり答えて下さい。何であなたはふてぶてしく黙っているんですか。(「答えろ」の怒号しきり)
樹谷 武藤さん。ぼくたちは、あなたに無理難題を吹きかけて、あなたをつるし上げているわけではない。我々と立命館大学を構成する全ての人間にとって、あなたの発言が必要だからこうやって要求しているんだ。武藤さん、答えて下さい。(「答えろ」のシュプレヒコール)
高野 これまでの抽象論議には、積極的には答えておきながら、具体的な問題について一切答えないというのは、どういうことなのですか。(「答えろ」の発言で騒然)
 まさしく、あなたの言う社会的責任とはこの問題にはっきり答えることではないんですか。(「理事一同、沈黙」)
高野 瀬原さん、はっきり答えて下さい。文学部の責任者として。
瀬原 文学部の問題については、先程からくり返し述べております。先程から高野君が発言しておられますが、私は、彼が大学改革の意志を持っているならば、学内にとどまって私と一緒に闘ってほしいと、そういう風にさえ思っております……(非難の声多数、発言とぎれる)(声をはりあげて)で、それこそが学問をする者の道だという風に思うわけであります。
高野 問題のすり換えですよ。
瀬原 で、今日すでにくり返し言っておりますように、我々は、新しい立命館教学を築くという姿勢を今日なお築きつつあるわけです。そのような中で、文学部の体制を整えることができると考えます。(学生側の発言要求を無視し、発言をつづける。怒号轟然)で、どうか、全学生諸君、全教職員に依拠してですね、私は入学試験をやるべきであると考えます。(「ナンセンス」の声多数)
和田 瀬原さん、再度質問します。今のは、具体的な解答なしに結論だけがでてきた。いいですか、どこからそんな結論が出る訳ですか。あなたは、日本史専攻の教学条件をいかに保障するかも言っていない。ましてや、文学部の三分の一の辞めた教授がいるのに、新入生、在校生に対していかに教学内容を保障するのかも言っていない。そういうことを具体的に述べないで、入試をやるべきだという結論がどうして出てくるんだ。はっきり答えて下さい。今、手をたたいた人も、そのことをはっきり考えて下さい。
 いいですか。日本史専攻の四人の教授のうち、一人しか残ってない。それに対して日本史の学生は、五百人いる。一人で五百人を受け持つ訳ですか。そうするつもりだ。答えて下さい。どうやって保障するか。努力しますでは、もう駄目なんですよ。
瀬原 それについては、私はやはり努力します。(非難の声しきり)
和田 それでは駄目なんだよ。(騒然)
瀬原 私は、努力するという他はありません。(非難、怒号)
高野 瀬原先生、それでは、具体的にどういう努力をするんですか。どういう風にするんですか。
瀬原 その努力の方向は(「内容は、だよ」の声が飛ぶ)今日、我々が確認しましたような、そういう旧い立命館の民主主義のコースや、ルートを、今や新しい方向へ(「具体的に言え」「内容はどうなんだ」の発言多数。騒然。発言とぎれる)向っていく。目指していく。そういう中で、私は辞意を表明されている教官全員に帰っていただく基礎ができていく。そういう風に私は考えております。
大久保 瀬原さん。現に、武藤理事を初めとして、現在の事態がある限り、絶対に戻らないと言っている文学部の教官がいる。従って、問題はそうやって辞めた先生にかわって新しい先生を入れればいいと言う問題では決してない。教学における根底的な矛盾をどう克服するかということが問題になっている。従って、現在の瀬原さんが考えているのは、辞めた先生に対して、新しい先生を入れるという技術的なことなんだ。そういった技術的なことは、いくら努力しても一切努力にはならんわけです。
高野 武藤さん、あなたが言った社会的責任とは、誰に対する、どのような責任なんですか、はっきり答えて下さい。(理事一同、沈黙)
樹谷 私達は、武藤先生、あなた達がそういう態度をとる限り、新入生を迎え容れるべき立命館の教学条件と言われたものの実体は何もない。そういう中に新入生を迎え容れるということは私達は非常に恥ずかしい。我々は絶対にそれを拒否します。(理事、沈黙)
 いいですか。そういう大学には、私達は守るべき何ものをも発見することはできない。そこで、学校は入試をやらなければつぶれるとか、つぶれないとか言う問題は論外です。いいですか。何ものもない大学です、立命館は。そこへ、あなたはどういう意思をもって迎えるんですか。受験生に対する保障などはどこにもないんではないか。(拍手)
稲村 瀬原先生。基本的に正しい姿勢を保っていた文学部教授会が最も第一に、トップを切って崩壊したのは何故ですか。基本的に正しい平和解決を志向している文学部教授会が現に崩壊している中で、例え他学部がどんなにいいことを言っても口先だけでは自己批判していますが、全然立命館の体制は変わっていない。これから変わっていくのですが、その中で文学部教授会としてあなたは、立命館体制の変革を担う自信があるのですか。そして、辞めていった先生を巻き込んでいって、文学部単独でもやっていく自信があるのですか。そういった自信も一切なしに、軽はずみな発言はできません。ましてや、こういった三悪人を追放せずして、そういう発言はできないんですよ。(理事、沈黙。「教学体制はガタガタなんだよ」の発言あり)
樹谷 武藤先生、具体的に日本史の入試の採点を誰がやるのか。多分すでに出来上ってるかも知れないが、試験問題は誰が作るのか。その点だけでも先ず答えて下さい。武藤先生、あなたは答えなければならないんですよ。(「答えろ!」の怒号、シュプレヒコール。武藤沈黙を続ける)
 武藤さん、今質問したことに答えて下さい。(発言要求の声がしきり)
 今提起した日本史の入試の問題についてまず答えて下さい。武藤さん答えて下さい。こんなことについては答えられないのですか。何が教学に対する責任だよ。責任なんてないじゃないか。どこにあるんだ、武藤さん、答えて下さい。(「どうなんだ」の声多数。) いいですか。そう言う基本的なことについてさえ、我々に入試を受ける全ての諸君に対して、あなた方はそういう見解を一片たりとも声明できないような状態の中で試験を行うなら、我々は断固としてそれを阻止するぞ。(「異議なし」の声、拍手)そうすることは、私達今、立命館における学生の、新しく入ってこようとする学生諸君に対する責任であると思う。(拍手)誰が、こういう無内容な大学に責任をもって入って来いとすすめることができるんだ。
武藤(沈黙 しばし場内騒然)
 まず第一点は社会的責任に応じるということでありますが、この志願者が七万五千人くる。これに対する社会的責任でありますが、これはです、立命館に来て学びたいというそうゆう志願者に対して応えるということです。だから、その来たり学ぶところの立命が、諸君がいわれるように、あるいはまた我々が、今まで答えてきましたように、いろいろな問題を持っておる。それを根本的に改革しなければならないような問題を持っておる。それを根本的に改革して行く、そして立命が良くなっていく、そういうことによって社会的責任に応えうると私は思っておるわけです。ただその中で私共の現在の理事会が、その発展の中でどのように私共が考え責任をとらなければならないか、そういう点について私共は考えておる訳であり、決めておる訳であります。それを具体的にここで言えといわれるから、それは言えません。こういうことを言っているのです。(騒然)
 もう一つの問題は、日本史の出題並びに採点、この問題について私共は出来る体制を持っておる。このようにお答えすることができると思います。
(「具体的な内容を言え」)
樹谷 武藤先生、大体ね、社会的責任なんて空々しい言葉を使わないで下さい。社会的責任とは一体何ですか。あなたは今の立命の情況の中で試験を行うということに対して、あなたの見解を我々自身にそして試験を受けようとするすべての諸君に言わないで、何が社会的責任ですか。まったくでたらめではないですか、しかも学びに来る諸君などという空々しい、いやらしい言葉を使わないで下さい。大学に来るという事と学ぶという事と全く違うんです。学ぶという保障は何もない。授業料と一緒に学校へ来ることと、学ぶこととはまるっきり違うんだ!
(喚声、どよめく)
武藤 私たちは、体制の根本的な改革もやりましょう。教学の内容の充実もやりましょう。あるいは又、去られた諸君の復帰についても最大の努力をいたしましょう。そして、それが実現しない場合は、前からいっておるように責任をとります。(発言多数、騒がしい)(怒号のなかで発言おわる)
樹谷 武藤さん、あなたが責任をとってやめようと、どうなろうと、もう、一文の価値もないんだ。試験をうけようとする諸君に対して、我々に対して、何らの見解も示しえないあなたは、責任をとる資格はない。まだ何も答えない、問題をすりかえ、事の本質にふれようとしない。立命には誰もいられない。
武藤 七万五千人の受験生に、試験をうけてもらうことだけを、社会的責任と言っているのではない。立命が体制と教学の上で前進するためには「断続」してはならない。どんなにりっぱな事を言っても、進んではいかない。だから、継続性をもたなければいけない。そして、体制の発展、教学内容の発展のために、私たちは、全力を注ぐが、去られた人が、帰られるよう努力して私どもができない場合、私どもは責任をとります。具体的には、それがどういう事かは、ここでは言えません。
樹谷 あなたの言う事には、七万五千人の受験に対する教学視点はない。きわめて、現実的な問題を出している。日本史はどうか、教学理念はどうか。
武藤(沈黙)
樹谷 試験をうけようとする人々に、どういう教学を保証しようとしているのか。何もない! 教学理念も崩壊し、教学条件も崩壊した。
武藤(沈黙して、しばらくのちに)私どもは今までのものを継続しようなどとは思ってない。体制も根本から変えていかねばならないと。教学の内容についても改革していかねばならない。そして去られた人を迎える体制をととのえねばならない。それができなければ、私どもは責任をとると、言っておるのです。
佐野 武藤先生は努力するといわれたけれども、今まで、経済学部の教員として何百ペン、教学の充実を言われたのですか。ことば(だけ)にはだまされない。教学内容はますます悪くなるばかりではなかったのか。大学の研究教育体制は学生を排除するものであって教員の独占するものであり、教員個人研究のための既得権擁護の体制である。研究・教育の内容とは、学会の権威に、大学の任務を従属させる形になっている。我々、学生が、排除される機構があるかぎり、いかなるコトバを乱発しても、あなたが、どう言おうと、それが実現されるわけがない。どうか。
武藤(やゝ、沈黙して)今の発言にありましたように、これまでの努力が十分に成果をあげたとは言いきれない、けれども、いろいろな努力が、ほとんど実をむすんでいないとは考えない。教授会の立場から申しましても「現代化」の要請にこたえる努力を長い間つづけてまいりました。(「異議あり」)あるいは、各科目の問題についても、グループ毎の討議をつづけたか、教室の現場にとどいたかは、十分であるといいきれない。あるいは、教授会内部についても、教授会の民主化を考えて、すでに、実行の段階に入っておる。又、教授会と事務職場についても……改善のあとがなかったとは思っておりません。けれども、そういう面をもっと根本的に改革しなければならないと考えている。どういう方向に改革をむけていくのか、数年来の討議をふまえて、全学的な基礎はある。私どもも努力してきたが、私どもそういう(新しい方向と)体制にどうしてもじゃまになるというのでしたら、私どもも、前もって責任を感じている(と言明している)のでありますから、だから、その責任はとります、と申しているのです。
樹谷 のらりくらりとくだらない事を述べないで下さい。教学の基本理念がなくなり、それが嘘であった事がバクロされた。(立命館大学は)教学の基本理念を喪失しているのだ、しかも、問題はきわめて具体的に出されているのだ、それに全く答えていないではないか、答えて下さい。
武藤 受験生に応えるというのは教学を前進させていく事だ(激しいヤジ)
 具体的に言いますと体制をととのえ、去られた教員を迎えいれる努力をする、ぜひ実現する! それが受験生に応えることだ。改革の後継者を迎えいれること(武藤理事の発言をさえぎって)
〈佐藤の答弁と同じだ! 今日の危機はあなたにあるのだ〉
佐野 これまで追求しても、教学理念の崩壊、教学条件の崩壊について、教育・研究体制の改革を示しえない(ような)理事が教学の最高責任者の地位にいる。……他の理事の意見をききたい。
瀬原 文学部の(かかえる)問題については、二九日以来、寮連合・全共闘との団交において、距離はありますが、一つの線上に立ちえたのではないか、と考えるわけです。この立場にたって、我々は新しい立命館の教学の方向を定めようとしているのです。その中にあって、基調となるのは、文学部の話しあい路線だろうと思います。もっとも重大な日本史の事態については、(辞職教員の)復帰へ全力を注ぎたい。我々は、新しい学生を迎えて、新しい学部、大学をつくってゆきたい。
樹谷 池田さん。
池田 入試の問題について意見を求められていますが、法学部においては、教学に問題があって、一昨年以来の調査委員会の活動の中で、我々の教学の問題についての討議がなされ……略(調査委員会をふまえて)教授会は、問題の提起をつづけてきた。以前の法学部の教育というものの基本的な姿勢において、これが国民と密着した、国民の批判を受けながら発展してきたという性格が弱くてむしろヨーロッパ的な近代法の導入が行なわれ、その上にのっかって、法学部の教育はそれを土台としてなされ、つまり、国民大衆と切り離された場所において、教育・研究が行われてきて、国民民衆と切り離されていた事によって、権力に奉仕するという側面があった。我々がこれを見きわめ、反省し、それでは、法学の発展、法学部の教育の発展はどうすれば可能か。真に国民に密着したものになる為には、どこに問題があるかが基本的な問題であって、みずみずしい法学の発展は権力でなく国民と密着したものであらねばならない。これが基本的な問題である。(こういう調子で、発言つづく)……略……(学問、教育の政治、法律、経済的側面にふれて)それぞれの専門科目の検討がおこなわれてきた。小集団教育を充実する努力をつづけてきた。さらに相互批判をつうじて前進しなければならない。その前進のためには、新入生を迎えねばならない。入学試験を実施して、具体的路線の基礎をつくらねばならない。
樹谷 提起している問題に答えていない。一般的、抽象的なことを羅列しているにすぎない。講演会をひらいて、あなたのお話をきいているのじゃない。
池田 教学を維持し、進めるために、入試をやらなければいけないといっているんです。
樹谷 維持する教学があるかどうか(が問われているのだ)財担理事の西村さん。
西村 立命館大学からたくさんの先生が去られたのは、大学の教学および体制の中には(責任や原因が)あったと考えている。そこで、やはり、教授会自治を主軸とする大学自治にメスをいれていく必要がある。そして、従来の教授会は上からの権威であった。学生とともにあることによって教師は、自分の人格をひきだし、そうして、学生に依拠する事によって、体制はつくりかえられる。そうして去った先生をよびかえし、立命館大学を発展させていきたい。そこで・・・・・・下から問題を・・・・・・(ヤジへの応答があって)財政上の問題だけでなく、立命館大学は、もう七〇年になりますが、絶えず循環しているいのち(です)、変革は、新しい諸君によっても担わなければなりません。入試をやめては新しい大学の出発はない。(拍手)断絶をふせぎ、新しい変革のエネルギーになると考えます。まずクラス、教学の起点としてのクラスから出発すべきです。そして、新しい立命の再構築をしなければならない(「入試は財政の問題ではないか」)現実に、私学が存在し、それが学費に依拠しているという現実の矛盾があるんです。その矛盾は、清次や経済の中にあって、だたちに解決できるとは思えない。矛盾は矛盾として把える!
樹谷 新入生は、たしかに新しいいぶきでしょう。しかし、(今は)新入生が新しいいぶきとなりうるかどうかが問題なんだ。
西村(沈黙)
藤井(樹谷にうながされて)今までの討議をふまえて考えを述べたい。いちばん、問題となっているのは、立命館大学の教学体制をそのままにして、入学試験をやり、新入生に対する責任を果たしうるかという事です。これは四四年度にむかって、立命館大学が古い体制から脱皮をして、新しいあり方にむかってすすもうとしている昨年以来、とくに、寮問題を契機にして、大学が、そういう(新しい)方向にむかっている。立命の教学をささえる立命の民主主義体制についても、問題が提起され、我々は、ここに「解体」を宣言したわけだけれども、各学部の教学体制―産業社会学部については、はじめて卒業生を迎えるわけですが、学生諸君の様々な要求がでておるわけですが、私の学部においても根本的に考えなければならない課題がある。それは、今年度の課題ともなるでしょう。その努力のなかで、入学試験を考えなければなりません。私は、単に、入試ができなければ、私学としての立命館が大きな危機になるという事からだけで考えるのではなく、やはり、大学の新しい道をおしすすめる主体―二万人の学生と数百の職員以外にはない。学生諸君の力によって、立命館大学の多数の学友諸君は、入試について危惧をいだいておられるだろうと思います。やはり、それに対して、責任をもって全学の教学体制の再建を追求し、解決していきたい。つねに、新たな学生のエネルギーを絶やす事なく、立命の教学内容をたかめていかなければならない。その点で、入学試験は、ぜひとも、実施しなければならないと思います。
樹谷 教学ということばを使えないような事になっているのではないでしょうか。
藤井 現実をどう見つめるかというところから出発しなければならない。
藤井 確信はあります。
樹谷 話しあってきた結論を出すべき段階である。ただ、スケジュールとして入試は行なうというのにすぎないではないか(理事の発言は)
坂寄 前学部長名和先生ら三役の辞表がでている。名和先生の場合について述べると、学部の姿勢を全員に生かしていくことに不安を感じ、又、身体の疲労から辞表を出したが、三人の先生ともども、今回の事態の解決のために、学部の教員としてふみとどまってあたりたいということで、教授会に残っていただけることになった。教学の基本的な問題を解決していくために、学部集会、クラス討議をやっていきたい。その条件に新入生が必要である。又、入試の制度については来年度以降、基本的には改めていくことを大学当局に要求していく。入試についてはやるという結論をだしました。
樹谷 入試をつぶそうとしているのはバリケード封鎖ではない。バリケード封鎖をもたらしたあなたたち自身が入試をつぶそうとしているのだ。入試(の内実)を保証しえないあなたたちによって新入生(の努力とその成果)が、破壊されようとしているのだ。ひらきなおって、立命が財政的につぶれるなどというのは、まことにひきょうである。
鈴木 私はこれまでの討論において、多くの点で心に入ってくるものがありました。こと、入試に関しては、一般的な考え方にやはり反対します。入試はやめるということはできない。やるべきであることをはっきり言っておきます(一部で拍手)というのは、今の状況の中へ新入生を迎えいれるのはたしかにいけないが、これまでのシステムを解体するということへむかって諸君とともにスクラムを組む姿勢をとりながらも、入試を行なわなかった場合、何がおこるかというと(ヤジと他の発言をおさえつつ)社会の機構が生命を継いでいかないで、しかも残しておくべき機構が、断絶してしまってはどうしようもない(「ナンセンス」)私の自然科学的な観点からだけでなく社会の機構にも言えるのではないか、完全に生命を絶ってしまっては(「我々がいるではないか」「退化論の発想だ」少し騒がしくなる)(ヤジをおさえながら)我々はフレッシュマンを迎えて、諸君とともにスクラムを組んでゆきたい。できあがった機構にフレッシュマンを迎えるというのではなく・・・・・・(騒がしくなり、発言はとぎれがちになる)(説得調を止め、自信がないのか半ば笑いながら、いきなり)入試はやるべきである。フレッシュマンを迎えるべきである。(学生のヤジに応じて)私は、個人としましては消えてもよろしい(笑いながらその発言をおさえる)(激しい非難のヤジと理事会の短絡主義を批判する発言が集中し、一部の拍手もあって騒然となる)
樹谷 フレッシュマンは、こういう状況のなかでフレッシュマンたりえないことが問題なのだ。
高野 入試をやるということで意見は一致しておられるが、一体なぜ、やるのか、全くあきらかになっていない。ただ、大学へ行かねばならないという社会通念を満たすためだけに入試をやるのではないか(「異議なし」)七万五千人の受験生に日本人民に対して無責任であると言わざるをえない(拍手)改革、改革というが統治の権限を握る理事会、教授会の古色そう然たること、救い難い! 平和と民主主義を語る諸君、立命館の中には平和と民主主義を守るものは何もない。立命館が腐敗しきったものであることを示したのは、まさいくバリケードであり、全共闘であり(強く長い拍手)外形的な危機に気をとられ、ごまかしの無責任で、入試をやるということは許せない(「ヨーシ」)
佐野 管理する者、管理される者、教える者と教えられる者といった関係が変えられる可能性がないかぎり、この場にいる理事、教授がその立場を放棄しないかぎり、我々の要求も理解しえず、我々の要求は満たされないであろう。入学試験については、これを中止することをあくまで要求する。我々の批判している大学をそのままにしてい生きながらえさせることはできない。入試を強行するなら、断固たる実力行動でこれを粉砕するということを宣言する。
大久保 (大衆団交を)二月一四日一時から再開したい。全学十項目要求を軸に理事会教授会の解体をかちとりたい。入試をやるという一点にむけてのみ自分の論理を組みたてている。もはや、我々の主張の正当性はあきらかである。一四日からの入試を阻止するという事を宣言したい。存心館バリケード封鎖を中心として全学バリケード封鎖を決行するであろう。
シュプレヒコール
学内デモンストレーションに移る。

〈関連する文献〉
・立命館学園新聞1967年〜1969年の各号
・師岡佑行[1969]「立命館方式の成立と破綻」『情況』1969年3月臨時号、情況出版
 ――――[1969]「偽りの『反戦・平和』の告発―『わだつみ』像の破壊の意味するもの」『情況』1969年7月号、情況出版
・大久保哲夫[1969]「立命館大学全共闘の運動」『全共闘運動』(日本の大学革命5)日本評論社
・『水平線の向こうに』刊行委員会編[2005]『水平線の向こうに―ルポルタージュ檜森孝雄』風麈社


作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科)
UP:20051031 Rev:20060411,0412,0413,0423,20070212,0219,0306 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/studentpower.htm

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