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> HOME >DATABASE 年譜 著作集 年譜(「高野時代の労働運動を偲ぶ」p11,12『労働経済旬報』第49巻第1528号、労働経済社、1995年) 1901年 東京・内幸町にうまれる(1月) 1918年 麻布中学校卒業。早稲田大学高等部入学。 1920年 「早大文化会」を結成。暁民会に加入。 1921年 早稲田大学理工学部応用化学科に進学。 1922年 第一次日本共産党創立に参加(7月)。全学連結成(11月)、書記長となる(初代委員長・黒田寿男)。 1924年 「政治研究会」が結成され、本部書記に就任。 1926年 「大衆」創刊号の編集責任者となる。政研を退き、豊島合同労組書記長となる。 1927年 長山の妹、伊藤花子と結婚、カリエス病む。 1928年 東京出版労組書記長となる。 1929年 全産業労働組合全国同盟(全産)を結成(7月)。結成大会当日、逮捕・拘留される。 1931年 全国労働同盟(全労)に加入。右翼的戦線統一に抗し、全労内に「全労倶楽部排撃同盟(俳同)」結成。妻・花子死去。 1933年 俳同を発展的に改組し、「全労統一全国会議」を結成、会計に就任。反ナチス・ファッショ粉砕同盟本部書記長となる。 1934年 11月、「日本労働組合全国評議会」(全評)を結成。組織部長と機関紙部長を兼任。 1936年 労農無産協議会の結成に参加。 1937年 日本無産党結成に参加。人民戦線事件で逮捕され(11月)、40年まで獄中生活。 1941年 兄・石附慶太郎の経営する昭和電熱で働くかたわら、大森の姉・貞子宅に住みオモチャ屋を手伝う。 1943年 猪俣倭文子と結婚。 1945年 荒畑、山花夫妻、佐竹ら、下北沢の高野宅に寄宿。「巨象のような大統一組合」結成をめざし東奔西走す。労働組合組織準備会中央常任。 1946年 関東金属主事。全国金属副主事。総同盟結成、主事となる。 1947年 2・1スト準備過程で、野坂、徳田らと高野宅で方針を討議する。全国金属主事。「労働組合幹部必携」刊。 1948年 総同盟総主事、組織宣伝部長を兼任。経済復興会議幹事、生産復興実行委員長となる。「民主化運動の理論」「新労働運動の戦略」等、刊行。 1949年 社会党に入党 1950年 日本労働組合総評議会(総評)結成、組織部長となる。 1951年 総評事務局長となり、「ニワトリからアヒルへ」の路線転換。訪英。「イギリス労働組合に学ぶ」刊。 1953年 ビルマのアジア社会党会議に参加。「労働組合実践論」刊。 1954年 MSA予算に対し労働プランを提示し、平和経済国民会議を結成。日鋼室蘭、尼鋼、近江絹糸など大争議を指導し、「家族ぐるみ・地域ぐるみ」を提唱。雑誌「国民」創刊。 1955年 第一回訪中。総評事務局長退任、常任幹部組織部長となる。 1956年 全金副委員長。日本共産党に入党。「労働者のモラル」刊。 1957年 「車座になって」刊。生産性向上運動批判。勤評闘争指導。 1958年 「日本の労働運動」刊。 1959年 「労働情報」主宰。三井三池闘争などを指導。 1960年 療養と世界労連評議会参加のため第2回訪中。 1962年 登戸病院に入院。 1963年 総評顧問となる。 1964年 第3回訪中、旅大、広州で長期療養。 1967年 第4回訪中、療養。「労働週報」創刊。中国のプロ文革をうけとめて新しい質の労働運動・革命運動の構築に着手。各地の反戦青年運動を指導。 1968年 戸塚国立病院に入院。日本共産党除名。 1969年 登戸病院に転院。「労働週報」停刊。 1970年 「猪俣津南男研究会」を組織し、雑誌「猪俣津南男研究」を発刊。病床より運動史整理の指導に当たる。全金顧問となる。 1972年 登戸病院退院。自宅で資料整理に全力をあげる。 1973年 病状悪化し、国立南横浜病院に入院。「猪俣津南男著作・遺稿刊行会」創立。「第一の遺言」口述(10月)。 1974年 「第二の遺言」(労働図書館設立の構想)まとめる(1月)。「第三の遺言」(日本の労働者階級へのメッセージ)口述。9月23日、肺結核で死去(9月29日、妻・倭文子死去)。 著作集 『高野実著作集』高野実著作集編集委員会編、大河内一男等監、拓殖書房 高野実著作集 第一巻(1976) T 大労働攻勢の性格と方向 労働組合と政党 単一労働組合への具体的実践 <資料> 「統一労働同盟」の三原則 当面の主要綱領 戦災者生活擁護渋谷大会 労働組合再建問題について・・・荒畑寒村 関東金属創立大会運動方針案 拡大中央準備委員会 当面の運動方針書 野坂参三氏歓迎会 東京連合会職場会議 勤労所得税撤廃労働者大会開催 ソ連作家アガポフ氏と工場探訪の記 U 第十七回メーデーに寄せて 結成、一日争う 労働運動の新しい課題 総同盟全国大会に当りて全国の労働者諸君に! 新労働組合運動の展望 二つの労働組合中央部の誕生 労働組合会議を提唱す 労働戦線統一の新段階 新政局と内閣打倒の努力方向 吉田内閣打倒国民大会の組織方針(私案) 倒閣運動の新陣営 <資料>労働組合の統一について・・・徳田球一 産別会議準備会の全組合員諸君に贈る手紙・・・労働組合総同盟関東金属労働組合 総同盟全国金属越冬攻勢方針 産別から合同申入れ 第一回労働組合懇談会 吉田内閣打倒の烽火 V 『労働組合幹部必携』 まえがき 一、ポツダム宣言 二、世界情勢に於ける二三の特質 三、日本に於ける二三の特徴 四、労働運動の新しい形成 五、総同盟の綱領と組織 六、産別会議の綱領と組織 七、労働組合運動の展望 八、労働組合の民主的運営の問題 九、労働組合法の正しい理解 十、労働協約、経営協議会 十一、労働委員会の重要性 十二、労働者教育の問題 十三、調査活動の目的と方法 十四、事務活動の改善 十五、ストライキ戦略戦術 十六、賠償関係工場対策 十七、失業対策、経済復興運動 十九、政党と労働組合 二十、民主人民戦線と労働組合 二十一、労働組合統一戦線 資料 一、戦後領土及海外勢力の喪失 二、戦災による影響 三、賠償指定工業生産力対照表 四、労働者生計調査 五、勤労者給与統計表 六、製造工場生産指数 七、通貨・金融・物価 八、組織労働者数一覧 九、失業者数の概況 十、復員と失業農村人口 主要労働法規(全文)(略) W 労働運動当面の転換点 新労働運動の転換点 平和革命への徹底的反省なくして何の自己批判ぞ 何が労働運動のキイポイントであるか 暫定標準賃金の考え方 労働攻勢の性質と展望 労働運動の回顧と批判 経営協議会の目標と運営 <資料> 労組の連絡協議機関"全労連"の結成決る 労働戦線統一のための要綱 X 産業復興運動の先頭に起て 賠償関係工場の対策に就て 失業反対闘争の具体的綱領 経済復興会議の誕生 経済復興運動の指向 生産危機の突破へ 産業復興と労働組合 産業復興の組織を動かせ 電源開発運動を起せ 国土計画案のための科学的夢会議 民族の生きる途 企業整備への労働対策 生産競争の旗 失業反対闘争の積極面 生産復興運動はかくして成功する 生産復興の大道につけ <資料> なつかしい科学者 経済復興会議解散と再建について Y 『新労働運動の目標』 まえがき 一、新労働運動とは何か? 二、新労働組合基準案 三、労働運動の新しい段階 四、民主化運動の具体的実践へ 『民主化運動の理論』 はしがき 一、民主化運動はいかに組織されるべきか 二、組合民主化運動の提唱 三、資料(1)産別会議民主化同盟の声明書 (2)産別会議への四組合連盟抗議文 (3)民主化運動への総同盟の声明書 (4)全逓民主化連盟声明書 (5)全逓民主化連盟運動要綱 統一の基盤としての民主化運動 <資料> 労組民主化運動に関する件 Z <遺稿>T 二・一ストの評価について <遺稿>U 民主化運動をとらえた条件−自己批判 解説 刊行の辞 高野実著作集 第二巻(1976) T マ書簡についての正しい理解と緊急対策 団結への巨歩 三原則と労働階級の立場 総選挙戦の目標 九原則に就いて 九原則に対する労働組合の対策 共産党の組合政策の問題点 『労働』主張集 T 大望を抱くべき秋(一九四八・二・二六) 新しい段階への心構え(一九四九・一・一四) 三百万全労会議の結成にあたって(一・二八) 労働法規改悪と闘え(二・一八) "党"生活をはじめよ(四・二九) 臨時国会へ労働者案を集中させよ(八・一二) <資料>総同盟の全労連脱退声明 経済独立運動に関する総同盟第四回中央委員会決議及び質疑 U 労働組合右翼支配の陰謀 新差別と総同盟との即時合同の提唱 新差別。総同盟合同運動の失敗 独青否決の描く波紋 『労働』主張集 U 全国大会の階級的意義はどこにあるか(一九四九・一〇・二一) 決議を実践へ大衆行動へ(一一・一一) <資料>大衆の中に問題移せ・・・細谷松太 新差別への合同申入れに関する高野談話 V 輝やく新年労働運動 今後の組合運動と総同盟 労働運動の直面する二つの課題 おろかな総評ぶちこわし論 ドッジ・ラインと取り組む労働運動 エーミス提言を正しく評価する 九州走りある記 『労働』主張集 V 統一合同への新しい展望(一九四九・一一・二五) 社会党一月大会を労働者のものたらしめよ(一二・一) 新春労働運動における二つの組織問題(一九五〇・一・一) 国会共闘を全国的統一闘争へ(一・二〇) 総同盟の統一闘争の底力を発揮せよ(二・三) 政治批判の貧困を打ち破れ(二・一〇) 現実の要求をひっさげ、闘争態勢を強化せよ(二・一七) 親愛なる米国労働顧問サリバン氏におくる(二・二四) 総評の結成を祝す(三・一〇) 総同盟の当面する二つの課題(三・一七) 石炭スト禁止の意味するもの(三・三一) 社会党の統一を祝す(四・七) 組織問題を根本的に検討し改善せよ(四・一四) 学卒を歓迎せよ、臨時工を組織せよ(四・二一) 吉田首相の暴言をわらう(五・一二) <資料>GHQに提出した「戦線統一に関する意見書」 W 統一戦線の展望と組織問題 当面の基本任務 新差別の批判に答える 『労働』主張集 組織改革を具体化し前進せよ <資料>総同盟第二回中央委員会(一九五〇・五)決議 X 朝鮮事件と労働運動 朝鮮事件とわれらの態度 アジアの労働運動の立場 『イギリス労働組合に学ぶ』より 日本労働運動の前進へ 大会決議を実践へ! 年頭所感 我ら民族の柱たらん 『労働』主張集 X 便乗的反動とたたかえ(一九五〇・六・一六) 総評の結成を祝す(七・七) 国会闘争委の反省を求む(七・二八) 労働組合破壊の危険(八・一一) "労働"を輪読している話(八・一八) 平和運動をすすめる(九・一) 全繊組合員諸君に訴う(一九五一・一・一九) <資料>ブラッティー書簡(全文) 第三回中央委員会における答弁より 朝鮮事件対策の件 座談会「新情勢に対処する途」より 総同盟第五回大会(一九五〇・一一)における本部一般報告 Y 前進する統一政策 総評いまや新段階に立つ ニワトリからアヒルへ 総評の打出すべき政策 労組産報化の不安はないか 平和闘争の実践について 『労働組合運営論』はしがき 『労働』主張集 Y 社会党の前進のために(一九五一・一・二六) いかにして総評を前進さすべきか(三・一六) われら、屍こえて進まん(四・六) 『総評』主張集 総評強化は何から始むべきか(一九五一・三・一五) 広汎な賃上闘争を組織せよ(三・二五) 日米経済協力の条件(四・二五) 警職法改正等の意味するもの(六・一) 吉田新内閣と愛国労働運動(七・六) 平和闘争の陣頭に起て(七・一三) 独自の講和闘争へ(七・二〇) 平和を守るための法規改悪反対闘争(八・一〇) 来るべき賃金闘争の性格について(八・一七) 対日講和について毅然たれ(八・二四) 多数講和に反対する(九・七) 独立の日本を保障するもの(九・一四) 吉田政府の反動たたかえ(九・二一) 社会党よスジをとおせ(一〇・一二) 社会党大会に求めるもの(一〇・一九) 反動をうちやぶる大衆反抗について(一〇・二六) 大ストライキの波を前にして(一一・二) 政府の反動化に厳重抗議する(一一・九) さかんなる哉"秋期闘争"(一一・二三) 小地区のストライキ団をつくれ(一一・三〇) 再軍備反対について(一二・七) 解説 『労働組合運営論』目次 はしがき *第一章 統一戦線の展望と組織問題 1 序説―組織についての考え方 2 資本攻勢とたたかう組織 3 総評を軸とする統一と総同盟の解消過程 資料 1総同盟の総評を軸とする統一政策に関する決議 2新差別と総同盟との即時合同提唱 3GHQに提出した「戦線統一に関する意見書」 第二章 戦線統一のための論争 *1 新差別・総同盟合同運動の失敗 *2 新差別の批判に答える *3 労働組合右翼支配の陰謀 *4 独青否決の描く波紋 5 愛国労働運動とのたたかい 第三章 組織戦術の問題 *1 前進する統一政策 2 統一戦線を攪乱するもの 3 組織の根本的改善の問題 4 極左労働運動の実態 *5 共産党の組合政策の問題点 第四章 活動の運営と改善 1 労働運動に於ける後進性 2 組合活動の改善 3 大衆指導と機関の権威 4 英国労働党の経済基盤 第五章 1 対日講和をみる視角 2 平和闘争の発展方向 *3 平和闘争の実践について (*印は本巻所収) 高野実著作集 第三巻(1977) T 『対日講和と今后の労働運動』 はしがき 一、ダレス特使の構想 二、アジア民族の立場 三、黄色い悪魔の口 四、組織の根本的改革 五、大衆の経験の上に 六、組合活動の改善 七、戦略的視角から U 労働運動の前進 民族闘争の視野に立つ 社会党中心の民族闘争について 行政協定と労働階級 わが賃金綱領について <資料>総評賃金綱領草案 五月事件後の労働運動 統一闘争の舞台を職場と地域におろせ たたかう総評をきずくために 大衆指導の組織問題 労闘ストの自己批判 V 秋季労働運動の展望 秋季闘争の背景と構想 選挙戦と賃金闘争―九月選挙のアッピール 要求の大衆化の問題 平和闘争の組織問題 賃上げの突破口について やつらをぶったおす闘い 敵は戦慄し動揺する 正攻法で対決する W われわれはいかにたたかうか 二つの社会党大会 中国貿易を促進せよ 炎えるアジア 解散前後の政局 最軍備政策との対決 選挙戦と賃金闘争―四月選挙のアッピール 打倒吉田の大衆行動へ 不安定政権をゆさぶるもの 職場討議にうつすこと 階級的成熟ということ 吉田独裁政権の現実を視よ 再軍備経済の様相 X 総評大会の成果と意義 MSA下の労働運動 総評はかく闘う 「共闘のかたまり」をつくろう 産防大会の成果 「機関紙月間」に寄す MSAに挑戦する 行動の統一について Y 一九五四年の労働運動 MSAに挑戦する労働運動 職場大衆に根ざし家族ぐるみ闘争へ 権力的抑圧に立ち向かう国民的闘争の結集 春闘を盛り上げよ 先生を守る国民運動へ MSAデフレの挑戦 労働運動は逆襲に転じた たたかうメーデーの実行委を組織せよ 栄誉をもってメーデー決議を実行しよう <資料>全世界の平和な国民にたいする総評のアピール Z 賃上げと労働プランによる就労闘争 いかに闘うか 総評第五回大会一般報告 新しい闘争の芽 労働プランの実践 長期化覚悟で断乎たたかえ! 「人殺しの挑戦」にストライキ団で この段階におもう [ 労働者の要求と当面のい闘争の性格 産業別組合への前進の年 日鋼のストを守ってくれた全国の兄弟に報告する 総選挙をかく闘う 春闘と総選挙戦 三党よ即時合同せよ 新政局への大衆的開眼 解説 『労働組合実践論』 はしがき 一 労働運動の戦略点 民族闘争の視野に立つ/行政協定と労働階級/平和闘争の組織問題 二 大衆的経験と指導 労働運動の前進/大衆指導の組織問題/労闘ストの自己批判 三 大衆的ストライキの経験 秋季闘争の背景と構想/賃上げの突破口について/やつらをぶったおす闘い/敵は戦慄し動揺する/正攻法で対決する 四 労働階級の選挙戦 選挙戦と賃金闘争/解散前後の政局/再軍備政策との対決/打倒吉田の大衆行動へ/不安定政権をゆさぶるもの/職場討議にうつすこと 五 大衆抵抗の組織 MSAに挑戦する/行動の統一について 高野実著作集 第四巻(1976) T 『労働者のモラル』 はじめに T アカハタびらきで話合ったこと U 搾取するものとされるもの V どんなに怒りを爆発させてもおおすぎることはない W われわれの団結を守ることは全日本の労働者の団結を守ることだ X 主婦たちは日本の良心を代表する Y 民独の根っこは、かたく太くなった Z 階級的成熟・未成熟ということ [ 国際連帯は最高の指標 \ 階級と規律と幹部と ] よい幹部をつくり集団指導をたかめること 労働者大衆の切なる願望としてのA・A労組会議を結集するために 今日の労働運動の問題点 総評・臨時工、臨時職員全国懇談会での発言 <資料> <座談会>労働組合と政治活動…大河内一男・高野実・野村平爾・清水幾太郎 春季闘争強化のために…木村忠 U 『車座になって』 はしがき 一、生産性をあげると幸福になるか 二、生産性向上に反対か、それとも条件づき賛成か 三、日本労働運動における精神的支柱 四、"春闘"はかくのごとく組織しよう 五、事実にてらし思想を深めよ 六、大衆的経験にまなんで 七、好況期における労働運動 一九五六年のたたかい ヴィットリオ・アピールと日本の労働運動 革新政党はどう出るべきか 労働運動における指導性 <資料>一九五六年度(総評)運動方針(案)の修正案文…全国金属産業労働組合 V まず何から始めるべきか スターリン批判と日本の実践運動 国鉄労組松山大会に当って ゆるぎない全国的指導のために * 春闘(1958年)をいかに闘うべきか 第十回総評大会(1958年)における総括質問 総評大会の評価と課題 解説 高野実著作集 第五巻(1977) T 『日本の労働運動』 はしがき 青天からポツダム宣言が降ってきた 巨象のような統一労働同盟をめざして 「人民社」の焼ビルに巣立つ 荒々しいストライキの波 底流する食糧危機 「吉田打倒」の烽火ひろがる 生産復興運動は、失敗したのか 全労連を築いた力、崩した力 退潮にさおさす片山政権 民主化運動は"運命の子"か 渦巻くドッジ旋風―百万人の首切り 総評を軸とする統一政策 総評が"平和三原則"をきめた 平和闘争の基本線を守り抜く 逆襲への転化する段階 解放感に燃えたつ―労闘スト 炭労・電産の二大争議 春闘は一律アップでたたかう 総評は平和国民の柱である MSAの重たい"くさり" 不況の中の苦悩と反撃 デフレの壁を突き破っていく 根っこをはった"統一の思想" 職場の中に、生産性向上運動が打ち込まれた 原水爆禁止世界大会から秋季闘争へ 独占資本の土台をゆさぶる 正しい思想と若い世代の登場 U 労働運動の前進のために 再びあやまちをおかすな! 安保闘争の戦略的"環" 第八次統一行動の成果にたって 請願文を手に手に国会へ 新安保の陰謀を粉砕するために"力一杯"たたかおう 天を焦がす中国の"安保闘争" 新しい反帝闘争のとりで 帝国主義打倒の大ハンマーをふりかざせ 世界労連の大団結万歳 "日本に革命が始まった" 「この瞬間」!―全努力を池田打倒へ― "白色テロ"と対決する 春闘の歴史的転換 春闘に独自性を発揮しよう 春闘の波の"高鳴り"を前にして 日本労働運動の基調 V 根本的な問題 春闘の点検、総括運動をおこそう 総評大会後の緊急任務 日韓闘争の新たな視点 K君への手紙 W 全日本の労働者諸君に呼びかける 日本労働運動の根本問題 北京市革命委員会の誕生を祝賀する 北京からのたより すばらしい情勢がやってきた 一〇・八羽田闘争実戦座談会における発言 「ドル防衛」と対決し、これを徹底的に打ち破いてしまおう 七〇年闘争めざす新春の政治情勢について 情勢をつかみ革命を促そう 日本の労働運動の根本的な変革を目指して立ち上ろう 「題辞」と「社説」におもう ささやかな「旅日記」 新世紀の青年層が登場しはじめた X 猪俣津南雄 猪俣の「実践」に学ぶ 猪俣の「労働運動統一戦線」論 同志への手紙 猪俣の戦略論を手にして いま猪俣になにを学ぶか Y 「都市パワー」の争奪戦 "不穏時"の労働運動段階 労働組合とは何か 五〇年代と七〇年代と 七四春闘をうけついで 第一の遺言 <日本労働図書館>設立への提言 総評および日本の労働者階級へのメッセージ 解説 その一 解説 その二 高野実著作目録 ◆高野実研究の整理 *高島喜久男「労働運動の統一―高野実死後十年を記念して」『運動史研究』14、三一書房、1984年 ・戦前戦後の共産党との距離 共産党との密な関係。党の適切な指導を必要とした労働運動。 猪俣津南雄と山川均―27テーゼ ・戦前戦後労働組合の統一 統一への献身。 「高野実にとって労働運動とはいつでも統一した規模のものでなければならなかった。」(4頁) ・戦後直後 「運動の自然発生的な高揚とそれに対する党の側の意識的な活動の欠如ということが当時の情勢のひとつの特徴をつくっていると私は考えている。」(10頁) *高島喜久男「高野はなぜ総評から離れるにいたったか―高野実死後十年を記念して(続)―」『運動史研究』15、三一書房、1985年 ・高野の運動論の矛盾 1940年代後半:「時間」「民主」「教育」と「中央からの指令」 →「鞏固な中央部の計画的な指導」への「あせり」。この時期の自然発生的運動(生管闘争)の盛り上がりへの評価と限界。 ・「経済復興会議」(1947年2月6日〜1948年4月28日)への自己批判 経済復興という「民族的自立」の課題という認識―「民族戦線」「民族の要求」など 片山内閣時に「傾斜生産方式」の登場(安本長官・和田博雄) 「総評以後日本の労働運動の指導権が戦後日本資本主義の復興に伴って次第に従業員組合型の企業組合である主要産業の大企業組合の手中におちるに至ったということ、そしてそういうことになるに至った主要な原因の一つは『経済復興会議』以来の生産闘争の経過の中からであるということである。このようにして、日本の労働組合運動の中にトレード・ユニオニズム、労働組合主義というものが定着していくことになった。」(30頁) →このことに高野が果たした役割は大きかった。 ・高野の自己批判―労働側が守勢に立っていたとき、資本の側から「傾斜生産方式」が言われ、その時期に「経済復興会議」を提起したのは誤りだというもの(階級間の力関係)。 ・高野の思想変化 組合員個人を単位とする産業別組合運動→中央と部分との関係性。全国闘争と地域闘争の相互作用。 職場闘争の重視→「家族ぐるみ、街ぐるみ」 総評の指導的な思想⇔高野―61、62年の総評大会 *塩田庄兵衛「労働組合と国民闘争―総評高野時代の経験から」『労働運動史研究』61号、労働旬報社、1978年 ・大河内・高野論争(1955年) 外延化か内包化か ・民族と階級 高野の情勢認識―左社よりも共産党(51年綱領)に近い。階級的矛盾と民族的矛盾との関係を捉える。 ・平和経済国民会議(1953〜1954) 実質化しなかった。鉄鋼・造船・石炭、電力・自動車・化学などの産業部門で合理化が進む。労働運動に対する攻勢もこの時期。電産争議、日産争議の敗北など。 国民運動に比重、階級的統一闘争は埋没。 ・ぐるみ闘争 国民会議とぐるみ闘争の結合―実態は観念レベル。 三鉱連首切り反対闘争、尼鋼、日鉱室蘭争議。産業別統一闘争の立ち遅れ。国民運動での補強。産別会議時代の弱点の継承。結果、闘争の敗北。 →太田=岩井ラインとの対立の激化。 @政治闘争の位置付け、A地域闘争と産業別統一闘争 →高野路線は、政治闘争至上主義として批判されていく。のち、左社綱領路線と結びついた産業別統一闘争、春闘路線が定着していく(『日本労働運動史G 総評運動の形成と展開』)。 ・共産党の新綱領と総評の挫折 ・「国民春闘」の登場 「平和経済国民会議」との差異 高野路線の評価と限界― 政党の主体性の欠落。 「国民春闘」をどう語るか? *清水慎三「五〇年代前半の労働運動(高野時代)は何であったか―戦後労働運動の時期区分のなかで―」『労働運動史研究』61号、労働旬報社、1978年 ・50年代前半の労働運動 「サンフランシスコ体制成立期における労働運動の戦闘性の回復というふうに総括したい」(28頁) ・49年社会党第4回大会 →民同の大量入党運動。講和問題・朝鮮戦争での民同左右分裂。組合指導者は現場のなかで左傾化・戦闘化の方向をとらざるを得ない雰囲気に。そこに、50年代前半から強まっていた資本側の攻勢に不満を持つ下部大衆と結合することで、「大衆運動としての組合運動の戦闘化の基盤がここに大衆的に形成していく。」(34頁) 「高野時代といわれる五〇年代前半の運動は、サンフランシスコ体制の成立という政治過程のなかで、そしてまたそれは経済政策、社会的な諸政策を包含して事態が進行するなかで、講和条約問題を中心に組合幹部層が思想的に幹部としての戸籍をどこに置くかというような選択を迫られていく。そのなかで、下部に充満していた不満、支配層から押しつけてくる認めがたい諸政策のるつぼのなかで、全体として労働運動が戦闘化、左翼化の方向をとる客観的条件を持っていたということができるのではないか」(34頁) ・52―53年に運動の戦闘化 →53年以降、民同左派―左社と高野の関係が悪化し、運動も沈滞していく。「平和経済国民会議」をめぐる態度。 ・高野の評価点 @政党の空白期を埋める。 「高野さんが総評事務局長という場にあってその空白を埋め、全体の運動を左翼的・戦闘的方向で旗を振ったという意味で、政党空白期における革新政治代表の任を果たしたといえるのではないか」(36―37頁) →戦略目標の中心は労働戦線の統一。その負の側面として朝鮮戦争に対する曖昧な態度。52年の炭労・電産争議後の「四単産批判」にも動じず、その頃には左社・民同左派よりも左に踏み切っていた。中国への訪問、共産党51年綱領の具現化。 A「労働組合運動を初期民同ないしは民同右派時代の停滞から脱却させ、上昇気流に乗せる旗振り役を縦横に演じたということ」(40頁) →民同左派との関係悪化以降は、急降下。高野の民同=反共と言う見方の弊害。反共と非共(細谷理論)の区別がなかった。 B戦後民主主義知識人との連帯 「平和問題談話会」系知識人の活用。 ・限界点 「日本の独占復活の方向とその事実の進行に対する軽視というか、この点についての目の届き方が弱かったり、悪かったりした」(44頁) 51年経済統計数字の評価、財政投融資の活用、輸出入銀行・開発銀行・長期信用銀行などの動きを正しく評価できなかった。 →春闘方式とは異なった経済闘争のアプローチを開発すべきであった。経済闘争の空白期。 他には、民族資本論、農村・農民問題など。 ・高野以降 「五〇年代前半の時代につくられていた運動主体の骨格が運動として開花したのは、五〇年代後半で、むしろその次の太田・岩井時代の前期であったと見るべきであり、そのピークが安保と三池であった」(47頁) 「それにさかのぼる高野総評時代に、しだいに各職場や地域に種がまかれ、芽生え、そして、増え始めていた。ここにはやはりその源流を求めていくほうが正確である」(49頁) →プラス遺産として評価できる。職場闘争・職場活動をうまく高野路線のなかに組み入れることはなかった。 *神林彰夫「高野"構想"と経済復興会議―1947―」『信州大学経済学論集』第11号、信州大学人文学部経済学科、1977年 ◆回想など *太田薫「七八年日本労働運動の展望」『朝日ジャーナル』Vol.20No.4、朝日新聞社、1978年 ・二人の指導者 徳田球一の指導の正しさ―戦後直後、人民解放的になっていた労働者、インテリの気持ちを救い上げ労働運動を革命的に指導 高野実の指導の正しさ―共産党追放後、平和運動を展開し憲法を国民に定着させた。 「この二人の偉大な指導者が、労働運動は近代的な産業別に組織すべきだということ、労働運動本来の賃金や雇用の要求は産業別統一闘争ですすめ、そして労働者も国民なのだから、国民的要求は地域で国民と一緒になってすすめるという原則を知っていたならば、日本の労働運動は、今日のように企業に癒着しやすい企業別組合を基礎にした組織にならなかっただろう。そこに日本の労働運動の不幸な出発があるように思う。」(66頁) 「高野さんが安保条約に反対するまでに総評を育てたことは高く評価すべきだが、労働者の要求である賃金や雇用の闘いを軽視したことが、民間大企業労組が労資協調の全労へと分裂していく、スキをあたえることになったのではないだろうか。」 ・徳球、高野的指導による活動家層の政治主義の助長→反動として「癒着しやすい民間大企業労組を労資話しあいへと追いやり、同盟・民社党ブロックとなっている。」→「資本家陣営に対する拮抗力をもっていない最大の原因である。」 →労働戦線統一の障害 ・「ぐるみ闘争」から学ぶこと 失業者・未組織労働者の要求を取り上げる必要性。教条的な体制変革を目指すのではなく、地区労を基点に運動を展開すべき。→総評への苦言。 ※政治学からの見方 *大嶽秀夫「高度成長期における日本社会党のラディカリズム」『法学論叢』第133巻第3号、京都大学法学会、1993年 「総評における反米、反再軍備への強い関心は、こうした企業レベルの労使の直接対決における後退によって生じた鬱積したエネルギーを、政府とか米国とか、いわば遠い敵との『対決』という、直接傷を負わずまた内部分裂の危険もない安全な争点における運動によって、発散していたという面があると言わざるを得ない。」(7頁) *渡辺治「高度成長と企業社会」『高度成長と企業社会』吉川弘文館、2004年 総評の戦闘性の原因 ・指導者のリーダーシップ ・企業支配の未確立→「職場闘争」 ・知識人との共闘 *松尾喬「"高野実"先輩をしのぶ」『月刊総評』7号、1976年 *高野孟「玄関先でイデオロギー論争をした総評事務局長の父と子」『文藝春秋』2月特別号、文藝春秋社、1997年 ・革命家=高野実 *津村喬「高野実―"もう一つの道"に邁進した労働運動家」『現代の眼』1月号、現代評論社、1981年 ・「行かなかった道」の象徴=「高野時代」 →労働運動の行き詰まりとともに語られる名前。 ・一貫した革命家・コミュニスト ・「猪俣派」(「前衛機能論」=「横断左翼論」、『猪俣津南雄研究』)としての独特の位置 →早大文化会、全労排同―全評、反ファッショ粉砕同盟、総同盟、総評。 「教条的なまでの原則主義と、曲芸的ですらあるプラグマティズムの組み合わせ」(205頁) →一貫した同志、側近が一人もいない。社共二重党籍も辞さない。GHQに対する「優等生」(「アヒル」)から総評左傾化(「ニワトリ」)。 ・「自前の領域」 →「地域ぐるみ・家族ぐるみ」、「労働者のモラル」。 「労働者は秩序から押しつけられる身ぶりをどのように脱ぎすてて、自前の身ぶりを打ちたてるのかという、労働者のモラリッシュ・ヘゲモニーの問題がここで語れていた。」(207頁) 背景としてのイギリス労働運動と中国革命戦争 「自主管理にむかう市民と労働者の運動は、これからもこの『行かなかった道』にこだわることになるだろう。」(207頁) ◆現代史からの視点―「高野時代」(あるいは高野実)から何を考えることができるか *「経済復興会議」の位置 ・総同盟、産別会議、日労会議、同友会、日本産業協議会、関東経営者協会、関西経営者協会などが参加。 ・解散後、日経連が誕生(1948年12月)。 ・第一次吉田―片山―芦田内閣 *総同盟左派 *「1952年」という年 →電産、炭労スト(9月〜12月、このスト敗北で四単産批判―全繊同盟、海員組合、日放労、全映演。のち全労会議)、日産争議(1953年)、尼鋼闘争(1954年)を経て、高野の政治主義路線が失墜していくとされている(久米郁男『労働政治』中公新書、2005年、171頁)。 ・高野が最も活躍していた年 *高野実の思想 ・猪俣津南雄の弟子として 全評―総同盟左派―総評。独特の立ち位置。 ・身代わりの早さと一貫性 *論点 ・企業支配の未確立 →1952年の闘争。「四単産批判」。 ・総評の左傾化 →高野の個性が実現したもの。 ・レッドパージと反共民同の「共犯」(兵藤サ『労働の戦後史』1997年、96―97頁) →反共⇔非共という捉え方。 作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科) UP:20050630 Rev:20050701,0928 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/tm.htm |