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> HOME >DATABASE [部落×女性] ◇玉井真理子 19971000 「「部落出身」であると同時に「女性」であること――二人の 被差別部落女性の口述生活史より」、『国立婦人教育会館研究紀要』創刊号 問題提起 第一章 「部落出身」であることによる女性差別の不可視化と「女性」であることによる部落差別の隠蔽 第一節 古沢なつみさん(調査開始時40歳)の口述生活史 1.「部落出身」の自己同定のプロセス 2.「部落出身」の自己同定が及ぼした影響 第二節 考察 1.「部落出身」であることによる女性差別の不可視化 2.「女性」であることによる部落差別の隠蔽 第二章 「女性」であることによる「部落出身」の無徴化と、「部落出身」であることによる女性差別の深刻化 第一節 波多野かづえさん(調査開始時55歳)の口述生活史 1.夫の女性蔑視と行為統制 2.夫との関係の変化 第二節 考察 1.「女性」であることによる「部落出身」の無徴化 2.「部落出身」であることによる、女性差別の深刻化 終章 まとめ―被差別属性の相互影響 「被差別部落女性の口述生活史から、複数の被差別属性の関わりについて以下の例が明らかにされた。 1.『部落出身』であることによる女性差別の不可視化 2.『女性』であることによる部落差別の隠蔽 3.『女性』であることによる「部落出身」の無徴化 4.『部落出身』であることによる女性差別の深刻化 これらが示唆するのは、同時に『部落出身』でも『女性』でもある彼女たちの人生に生起する問題を、部落差別の視点のみ、或いは女性差別の視点のみでとらえることは不適当だということである。」(p.55) 「例えばなつみさんにとっては、(1)経済的、そして社会的に夫に帰属・帰依する生き方が女性差別的ではなく、それはむしろ部落出身者を待ち受ける運命からの解放であったし、また(2)『男性』ではなく『女性』だからこそ、『一般』との結婚によって部落差別から逃避できると考え、それを実行に移した。またかづえさんの場合には、(3)部落差別に矛盾を感じ部落解放運動に参加しようとしたが、彼女が『女性』であるために参加できなかったり、また(4)部落差別による就労機会の制限が、経済的自立を困難とする状況を生み出し、その結果夫の女性差別的幾度に耐えねばならず、一度は自殺を考えるほどまで精神的に追いつめられた。すなわち『部落出身』固有の女性差別の表出の仕方、或いは『女性』固有の部落差別の表出の仕方が存在する。」(p.55) 「このことはまた、彼女たちの『女性』や『部落出身』としての連帯を困難にするという問題をはらんでいる。なつみさんの場合には性別役割分業における女性性差別の認識の共有が困難であるし、またたとえ部落差別に憤りを感じても、過去を消して『一般』として生活していた間は、『部落出身』の仲間と連帯して反差別の行動を起こすのは不可能であったと推察される。かづえさんの場合には部落差別の認識を共有しても、過去においては部落差別と闘う場から排除されていた。」(p.55) 「このような例を見てみると、部落差別、女性差別の単独の枠組みでとらえるのではない、新たな視点が必要であることがわかる。これまで見てきたように、『部落出身』或いは『女性』の被差別属性の問題は相互に影響を及ぼし、従来それぞれに言われてきた被差別の問題が変容したり、より強化されたりするのである。(ただし『部落出身』や『女性』は普遍的に被差別属性として存在するわけではないから、ある被差別属性に位置づくことが必ずしも人生に不利に作用するとは限らない。それは個人の社会化に関与する人々との関係において、個人が同時に属している複数の属性のうちにどれが有徴/無徴となるかにもよるし、その属性にいかなるイメージや言説が付与されるかにもよるのである。)」(p.55) 「本論で考察したのは『部落出身』と『女性』の問題であるが、被差別属性はむろんこの2つに限られるわけではない。他の様々な被差別属性の問題においても、それらが相互に影響することによって、問題が変容したり複雑化することが考えられる。従ってより周縁化された人々の様々な被差別状況を把握するためには、『出身』や性別にとどまらず、階層、人種、性的志向性などの他の被差別属性の問題が、相互にいかなる影響を及ぼしているかを考察し、問題を複合的にとらえねばならない。」(p.55) [在日朝鮮人×女性] ◇鄭暎惠 20030806 『<民が代>斉唱―アイデンティティ・国民国家・ジェンダー』 岩波書店 第一章 アイデンティティを超えて 「差別と闘い、自己を解放するとは、アイデンティティをもつことを強制されることからの自由、境界を自由に往来する権利、を求める実践そのものの中にある」(p.23) 「私自身のために、わたし(たち)に向かって語ることが、『マイノリティ』にとって、反差別の迷路から抜ける<出口>なのだ」(p.33) 「結局、被差別者が、その差別を告発するのは、単に自分自身に対する義務だからである。差別を放置しない、自ら内面化しないための。決して、差別をなくす責任を一手に引き受けたからではない。ところが、『マジョリティ』たちは、こうした『マイノリティ』の告発を、<支援>するというかたちで、反差別の態度をとろうとする。だが、差別と闘う主体となり、差別をなくす上で、社会的義務と責任を全うすべきなのは、むしろ、差別する側の人々なのであって、被差別者ではない。それを、『マジョリティ』が『マイノリティ』を〈支援〉すると言った途端、その責任は巧みに『マイノリティ』側に転嫁され、『やってあげる』『やってもらう』という上下関係が生じて、再び『マジョリティ』側が優位に立つ。これでは差別構造の上塗りとなるだけだ。」(p.33) 第二章 フェミニズムのなかのレイシズム 第三章 交差するヒロシマ 第四章 家族と異文化適応 第五章 「戦後」つくられた植民地支配 第六章 定住外国人と近代国家の誤算 第七章 国民主権原理と定住外国人の参政権 第八章 マルチカルチュラリズムの可能性と困難 第九章 ジェンダーの政治と国民の再構成 第十章 難民受け入れとポスト国民国家 はじまりのための、あとがき 初出一覧 [障害×女性] ◇荻野美穂 20051105 「障害を理由とした中絶とフェミニズム―アメリカの場合、日本の場合」 『思想』No.979、岩波書店 一 問題の設定 二 歴史的経緯の相違 「中絶をめぐる日米間の体験の差異は、大きく分けて三つの要因によって規定されている。第一は中絶が国家によって合法化された時期の違い、第二は中絶に反対する勢力の質や力関係の違い、第三は中絶合法化の法的根拠である。」(p.85) 三 反対勢力の布置 四 優生保護法と障害者運動 「青い芝は、中絶の自由を守ろうとして優生保護法改定反対運動に立ち上がった女性たちに対しても、厳しい問いかけを行った。女たちは中絶を『権利』だと主張するが、障害児とわかれば中絶するのも女の権利なのか、それは女のエゴイズムではないのか、そうした『健全者』である女たちと障害者運動は安易に連帯することはできないというのが、その主張であった。こうして優生保護法という特異な法律をはさんで、同じく法改定反対を主張しながら、女性運動は障害者運動の側からの批判に対峙することになったのである。」(p.92) 五 リブの中絶論 「田中(美津)はさらに、堕胎の権利とは『産み育てる権利』、すなわち未婚であれ既婚であれ、自分の意思で産みたい時に子供を産める状況作りと表裏一体のものであって、そうした状況ぬきに中絶だけを『エセ権利化』させてきたのは『女の怠惰さ』であるとも書いている〔田中一九七三b、八〕。そこでは、女に中絶を強いる社会を告発しながらも、同時に女自身がそうした社会に迎合し、なるべく楽な道を選ぼうとしてきたという苦い現実からも目がそらされてはいない。」(p.94) 六 出生前診断と選別中絶をめぐる議論 「フェミニストの多くに見られる、生殖の権利や自由に少しでも条件をつけることは敵であるプロライフ派を利することになるのではという意識は、選別中絶ばかりでなく、クローン人間作りや受精卵の遺伝子操作などの新技術が、個人の『選択』という名のもとに『商業化された優性文明』〔Levine2002:29〕を浸透させようとしていることに対しても、フェミニズムの追求すべき課題として取り組むのを遅らせてきた。」(p.103) 七 議論の共有に向けて 「だが私は彼女(米津知子)の文章を読んだ時、先に紹介したハバードやアッシュをはじめとするアメリカのフェミニストの議論と相似性を強く感じずにはいられなかった。そこに共通するのは、選別中絶は女性の止するのではなく、それを選択する女性がより少なくなっていくような社会の条件作りを目指すという志向性である。」(p.108) 「中絶という現象をめぐってそれぞれに異なる歴史的背景と困難とをかかえて歩んできた日本とアメリカのフェミニズムは、今それぞれの道が交錯する地点にさしかかっており、共通の問題関心のもとで議論の場を共有しうる可能性が増してきているように思われる。そしてその中では、金科玉条のように掲げられてきた女性の『自己決定権』という概念自体の中身を勇気をもってより繊細に問い直すことによって、フェミニズム思想のさらなる鍛錬を目指す、そうした時代に私たちは生きているのではないかと思う。」(p.108) ◇<戦後と女性>研究会 ◇差別論 作成:山本崇記(立命館大学先端総合学術研究科) UP:20070129 Rev:20070302 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/d/women02.htm |