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マルト・ロベール, 19730720, 『古きものと新しきもの――ドン・キホーテからカフカへ』城山良彦・島利雄・円子千代訳、法政大学出版局


Robert, Marthe, 1963, L'ancien Et Le Nouveau: De Don Quichotte A Franz Kafka, Paris : B. Grasset. (=19730720,城山良彦・島利雄・円子千代訳『古きものと新しきもの――ドン・キホーテからカフカへ』法政大学出版局.) 310p ASIN: 4588000462 [amazon]

■目次

最高の模倣
 分身
 偽装

新しいオデュッセイア
 寓話
 叙事詩的真実
 書物と生

最後の使者
 寓話の織物
  一.解釈者たち
  二.探索
モームス、つまり「嘲笑」の神
  一.叙事詩の法則
  二.書物と生活
真の城

原注
訳者あとがき



■メモ

・「<大人たち>はみな、まだ<子供>にすぎない彼に向かって、ほぼ同じ言語を語るが、大人の世界に属さない彼には、大人の言うことを理解する手段は何もない。そこでみんなは彼に繰り返して言ってきかせる。君はここの者ではない、だから君の努力と乏しい結果という不均衡があるのだし、他の人たちにとっては当然である所で、神秘や謎しか出会わないと、君が思うのも無理はないのだと。
 彼が思いめぐらす疑わしい事態には、実は彼の他国者の身分とそれに伴う奇妙な状態以外に原因がない。・・・。『この土地の』人は普通、日常の現実に順応していて、生活にじかに必要な手段をとる。その人の実生活はそれ自体で十分に正当化されており、当局(Kが不可能な許可を求める集団の力)は住民の自由を妨げない。この土地の人は真実も権利も必要としない。ここにいること自体が、とりもなおさず真実のなかにいることを意味するからである。
 ・・・。そこで彼は城へ行き、クラムと個人的に話し合って、自分の地位、自分の職業、自分の妻が特赦とか黙認に基づくのでなく、権利として帰属するのかどうかを確かめる。フリーダから見れば、それこそ無分別な強情であり、一種の精神病であって、二人の共同生活の機会をあらかじめぶちこわすようなものである。彼女の見解によれば、自分の言う通りであって、だれもあらかじめ自分の任務に規定と認証を与えた明示的委任を、ジェネラリテから受けることは期待できない。そのようなことをする者は、生意気な子供であるか、それとも結局同じことになるが、危険な空想家である。Kにしてみれば、反対にこの病気こそ唯一の突破口であり、それを治療したいと思う方が正気の沙汰ではない。みんなが生まれながらに知っているらしいのに、自分には努力しても学べなかった基本的規則を、現実が奪うのだから、自分は現実自体を左右する最高審の法廷に直訴するつもりである。たとえそのために生の向う側に移らざるをえなくなろうとも直訴するであろう。
・・・。村の人にとって、城を信ずるということは、帰するところ、自分らの頭上なり傍らで、自分らの日常生活の真ただ中なり、それとも超えがたいほど離れて、いずれにせよどこかで何かが、自分らの歴史のばらばらな要素を結合し、自分らの集団的運命を決定し、全く想像もつかない方法で自分らの幸運ないし不幸のために活動しているのを認めることである。」(Robert1963=1973: 235-7)

★「Kは生活の具体的条件に従って行動し、考える力を自分の本質から汲み出しえないので、おそらく彼を自由人としたはずの個性的、独創的な、先例のない決意をする代わりに、巨大な文化の過去に誘惑されて既成の解決に走る。本質的に新しくユニークな状況を客観的に評価する代わりに、彼はたえず未知を既知に、新しいものを古いものに、自分自身のアクチュアリテを過去の倫理的かつ宗教的観念に、したがってかつてはそれらの観念の真実はどうであったにせよ、今は不十分な観念に関連させる。その点、彼はなるほど彼自身の根なし状態の深刻さを証明してはいるが、・・・ドン・キホーテ的拡大を伴いつつ、およそ人間は前例なしには考えることも、またモデルなしには行動することもできないという根本的無能力をも表現している」。(Robert1963=1973: 242-3)

・「自分のきわめて細密な観察のなかに入ってくる既成観念や集団的かつ時代遅れの夢の一切を情け容赦なく識別する時、彼は神話に反抗する精神からの要請と、絶対的なものを渇望し、永久に満たされず、代償を見出そうとしても無駄な絵本に囚われる子供じみた心情からの欲求との間で引き裂かれている。この両極端な傾向はどちらもごく強力なので、一方が他方に勝つ機会はまずなく、出口のない両者の戦いがあらゆる事物に不吉なのろいをかける結果、Kは事物をあるがままに知覚することも受け取ることもできず、したがって愛することもできない。」(Robert1963=1973: 243)

・Kの視線: 農民を見る様子 = 昔、ヨーロッパの旅行者が黒人や中国人を見たのと同じ――どこに視線を注げばよいのか自信なし → 事物や人々の外面に必死 → モードへ(Robert1963=1973: 244-6)

・Kの奔走が実り少ないのは必然:「いかなる人間も、自分の能力だけが頼りとなれば、『古いもの』と『新しいもの』の選別をおこなうことはできない」(この選別ができれば、諸々の原型の圧制から解放されると同時に、自分の個性的な生存に堅固な集団的基礎を保証する)「Kは数々の集団的暗流に流されずに、個人的行為によって世界の全面的理解に到達したい(クラムと対談したい)と思う。そこでまず、彼は不屈の個人主義者を自任し、およそ社会が結局は依存する信仰、目標、慰めといった諸々の観念の正体を容赦なく暴露することを決意する。しかしその結果、自らきわめて恐ろしい失敗を余儀なくされる。なぜなら、そのような実験は生身の人間の世界から実験者を抹殺し、死においてしか完了しないからである。時間の一切の緊張関係、一切の矛盾が、むろん探求の諸結果と探求者の身柄と一緒に、実際に解消するのは死においてである。」(Robert1963=1973: 257)

・「その結果、女たちの優位が生じ、彼女たちは城にたいして弱く、隷属しながらも、暴君のごとく村を支配し、制度上は規定されていなくても、村じゅうの者に黙認され、したがって合法化された一種の母権制を社会に課している。・・・。最後に、Kもまた一般の偏見を共にするから、女を見るとかならず城とのひそかな関係を、それだけに絶大な力を想定せずにはいられない。男たちがみな脱帽するこの優位は、しかし女たちに幸福も自由ももたらさない。個人的価値によるよりも、むしろ女性という性の力によって、集団的にこの優位を行使しているので(ペーピーをもフリーダと同様に好きになれたかもしれないと、Kはみずから認めざるをえない)、彼女たちは内心ではそんな優位から解放されたいとひたすら願っている。その結果、互いに救いを期待する滑稽な相互関係が生じる。すなわち、Kは女たちに救われたいと思い、女たちの方でもKを解放者と見なすのである。」(Robert1963=1973: 264-5)



製作:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20060822  http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1960/6300rm.htm

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