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Harris, Johnny L., 197206, A Historical Analysis of Educational, Economic and Political Changes in Fayette, Mississippi from 1954 to 1971,The Florida State University College of Education.


Harris, Johnny L., 197206, A Historical Analysis of Educational, Economic and Political Changes in Fayette, Mississippi from 1954 to 1971, A Dissertation submitted to the Department of Adult Education in partial fulfillment of the requirements for the degree of Doctor of Philosophy, The Florida State University College of Education. 6+172p


■Table of Contents

Acknowledgements
List of Tables

1. Introduction

Statement of the Problem
Purpose of Study
Need for the Study
Conceptual Framework
Specific Objectives
Procedure

2. Rationalization for Oppression

Introduction
Origin of Mississippi
Civil War
Reconstruction
Politics
Education

3. Politics in Fayette

The Turning Point
Charles Evers Comes to Fayette
Charles Evers Elected Mayor of Fayette
Evers in Action
Medican Services
Law and Justice in Fayette
Improvements in Sanitation
Summary

4. Economics

Summary

5. Educaation

Background of Desegregation Efforts
Efforts to Educate the Adult Population
The Vocational Training Center
Adams-Jefferson Improvement Corporation
Summary

6. Summary and Implications


Appendix
 A. Population Tables
 B. Maps
Bibliography
Vita




■メモ

■3. Politics in Fayette

◆Evers in Action

・フェーエットに投資してくれるよう北部や西部の都市を訪問。エドワード・ケネディ上院議員の支援を受けて、1970年の冬に初めての成果。

@国際電信電話の子会社(Thompson Industries)が自動車のダッシュボードのための電線収容具(harnesses)を生産する工場を設置することに合意。
→ 1970年7月に、プレハブの製鉄所がオープン。
→ 最終目標は150人の労働者の雇用だったが、ピークは約50人。というのも1970年の夏の終わりに自動車業のストライキが注文を削減し、労働力の削減を強いられた。
→ 1972年春の自動車の売れ行きの好転にともない、受注は増加し労働力は拡張された。
→ 1971年4月、フォード社はフェーエット工場に初めて収容具の生産を発注。
→ マネージャーは、夏の終わりまでにほぼ100人の労働者を雇用すると予想。
1970年の6月までに、Chrysler Motorsは工場の収容具の唯一の購入者だった。

A1971年3月、St. Gravel Companyがフェーエットに小さなコンクリートミキサー工場を開き、12〜15人を雇った。

B3番目の新工場は、ミシシッピーの企業である業務用化学薬品会社(Commercial Chemical Company)によって所有される工場。1971年の5月後半に建設され、大きく拡大している南部の産業市場のための企業用洗剤、エアゾール浄化剤、研磨剤、ワックスを生産。
← 建設と設備は利息付きのローンで運営:ジェファーソン郡改善会社(the Jefferson County Improvement Corporation――地元の開発機関)
← フォード基金から提供された40万ドルから初期資本をを受け取っていた:フォード基金は、その工場の生産物が南部の実質的な需要を満たすかどうかを決定するために市場での実行可能性の調査を依頼した。
→ 1971年8月オープンして、2週間毎に新たに5人を雇い、約100人から125人の従業員でフル生産に達すると計画した。

・前政権による工業団地(230エーカー)の計画
→ 設置場所が悪い
→ エヴァーズによって変更(?)
→ EDAの助成金17万6千ドルとフェーエットが追加した4万4千ドルが、このプロジェクトに支払われた。
← メドガー・エヴァーズ基金によって地理的な専門家が新産業を誘致するための地域を研究・推薦。
→ AとBは工業団地のなかに位置し、職業訓練センターに近かった。団地は、連邦ハイウェイ61と州ハイウェイ33に隣接し、イリノイ州の主要な鉄道と交差。

・様々な寄付:News Week, July 13, 1970: 36.



■4. Economics

・1950年代前半まで綿花がジェファーソン郡の主要産物であり、1960年代前半まで年間5000バール(俵)以上が生産された。労働は基本的にシェアクロッピングの観点から黒人家庭によって提供された。他の産業は製材産業など。

・農業の機械化により、1960年代前半に自動綿摘み器の採用は最高潮に。
→ 綿栽培はとうもろこし・大豆・穀物飼料・松の苗の栽培にとってかわられたが、これらのすべては未熟練労働を要するもの。

・連邦の農業省の Soil Bankプログラムによって綿花耕作地の削減
→ 田舎の黒人が最低限の生活を妨げられた理由
@綿花栽培の収穫のために全家族を雇用することは継続できなくなった。
A最適な農耕規模は増加し、白人の地主はシェア・クロップの耕作地から手を引いた。
B小規模な耕作地の黒人地主はもはや近代技術と機械を用いる大地主と競争して採算がとれなくなった。

・一般的に黒人は、最低限の技術が要求される仕事でさえ認められていなかった。

・ジェファーソン郡での農家の数:1959年の915人→1964年の628人に約31%減少
しかし、黒人の農家の数は74.7%減少。借地人の数は、1200以上から300未満に減少。

・エヴァーズ市長と市議会によって雇われたRobert R. Nathan Associates, Inc.は1969年のフェーエット地域の独自の経済調査を行い、1967年のジェファーソン郡の個人所得の1/4を移転給付(transfer payments)が占めると報告。

★経済機会局(the Office of Economic Opportunity)の貧困ガイドラインによれば、

「1091人の貧困家族が存在したが、これは1966年の郡の総人口の半分以上である。これが指し示すのは、当時約5000人の<94<人々が貧困であったということであり、この数字は実質的には変化してこなかったように思われる。1969年には、ジェファーソン郡の1795人が公的扶助を受給し、そのうち1057人はADCプログラムのもとで扶助を受給する家族に属していた。言い換えると、郡の貧困層の2/5未満が公的扶助を受給していた。同時に4463人が農業省による選挙区の食料分配プログラムに参加した。これは1968年の間に維持された分配率で毎年一人につき80ドルを提供した。」(94-5)

★ジェファーソン郡公的福祉課による郡管理委員会への年次報告によると、1968年7月1日から1969年6月30日にかけて、

「これはOld Age Assistance, Aid to the Blind, Aid to Dependent ChildrenとAid to the Permanently and Totally Disabledを含む。受給資格は、成人カテゴリーで毎年1回、ADCで6ヶ月毎に1回再決定されなければならない。しばしば個人の状況は変化するので、より頻繁な家庭訪問とインタビューが要請される。また受給資格の有、場合によっては受給資格の無の証拠を含む記録が保持されなければならない。」(p95)


・フェーエットはアメリカのなかで4番目に貧困な郡に位置した。エヴァーズが政権に就いたころフェーエットの人口は約1600人に減少していた。郡の人口は約9600人だが、1950年から1970年の間に約2000人減少したのだった。
・ジェファーソン郡の一人当たりの所得は1967年で1000ドルだったが、これは全米平均の1/3。郡の人口の3/4以上が黒人。・・・。 ★「[ジェファーソン郡の]全黒人家族の半分から2/3にかけてが生き延びるためになんらかの形で福祉に頼っていた。」(p97)

・第一優先事項:基金の獲得
エヴァーズの全米のTV(CBS Evening News)で訴え。
→短期間で人々から10万ドルの支援。
・何から手をつけたらよいか調査依頼。
→Robert R. Nathan Associates of Washington, D. C.
→政権の最優先事項:新しい産業を通して仕事を呼び込むこと。産業の設立と雇用を増やすことによってのみ貧困のサイクルを絶つことができると信じられた。500の新しい仕事はこの地方を全米平均に近い水準まで引き上げる。
→エヴァーズの目標:4年間で500の新しい仕事を創出する

★エヴァーズ政権によって獲得されたフェーエットとジェファーソン郡のための基金の一覧
@28,000ドル(from the Department of Housing and Urban Development):計画助成金(planning grant)。1969年8月〜970年8月。
A37,000ドル(the Economic Development Actのもとでなされた助成金→フェーエット):technical assistanceのための助成金。1969年12月〜1970年12月。
B445,000ドル(労働省→Copiah-Lincoln Junior College):失業者と潜在失業者に対して地元の雇用のための技術を訓練する。1970年1月支給。
C131,000ドル(健康・教育・福祉省(HEW)→フェーエット):ジェファーソン郡とClaiborne郡で運営される包括的なヘルス・ケアプログラムの展開。1970年5月〜1971年6月。
D680,000ドル(HEW→フェーエット):ヘルスケアサービスを継続させるための基金。1971年7月〜1972年6月。
E132,000ドル(労働省→フェーエットのヘルスセンター):公共サービスの職員の訓練。1970年11月支給。
F366,000ドル(from the Department of Housing and Urban Development→フェーエット):多目的の近隣センターの建設。1971年2月。
G警察署の向上(司法省→フェーエット):1,268ドル(制服)+9,956ドル(基本機材の購入(車とラジオ))+8,220ドル(録音システムの改善)。
H400,000ドル(フォード基金→ジェファーソン郡改善会社):業務用化学薬品工場の建設費用のためのローン。
I50,000ドル(フォード基金→ジェファーソン郡改善会社):フェーエットに産業を誘致するための社長と社員を雇うための助成金。1971年5月〜1972年5月。

・ジェファーソン郡の一人当たりの所得は1967年で1000ドルであったが、1960年の国勢調査では、白人家族の平均所得が4180ドルなのに対して、黒人家族はたったの890ドルであった。これは4.7対1の割合だが、平均的な家族の規模の差異を想定すると、その割合は6対1になる。

・ミシシッピー州の雇用保障委員会の報告によると、1968年の失業率は9.0%。しかし、1960年の国勢調査では、ジェファーソン郡の黒人の失業率は10%で、白人の4%の2.5倍であった。

◆要約
・フェーエットやジェファーソン郡の長年にわたる白人権力構造の戦略:市民に雇用を提供しないことで人口を減らす
→ 機会化された農業は黒人の大量失業を引き起こしたが、新産業の設置は認められていなかった。
← 権力構造の利害は、黒人を郡の外に追いやり人種問題を通して展開していた危機を回避すること。
→ 産業化が起こり民主的な文脈での変化が生じると、差別を維持するのは困難。

・有権者登録運動が高まるに連れて、アレン政権は方針転換(産業化、人種協同)をして、有権者(黒人)の関心を引かざるおえなくなる。
→ それらの展開はフェーエットの黒人に投票の力を証明した。またそのことがアレン政権の敗退をもたらした。


■5. Educaation

◆The Vocational Training Center

・エヴァーズは市長になる前に、ジョンソン政権に職業訓練センターのための基金の申し込み。
→建築のためにEDA助成金から24万2千ドルが支払われた。地方政府の負担分の6万ドルはフォード基金が提供。労働省(のMDTA)が機械と設備のために20万ドルを提供。
→1970年1月6日に完成。

・議会が承認し資金が割り当てられたにも関わらず、労働省が1年目の運用をカバーするために38万ドルを自由にしたのは、3月の最後になってからであった。

・初年度は、175人のハードコアな失業者(男性と女性)を訓練、彼/女らのほとんど全員が黒人で、木工技術、板金工、自動車修理、事務的技能の職のための訓練であった。
→1971年4月板金工として訓練された7人の若い男性が、BiloxiのIngalls Shipyardsに最低賃金自給3.04ドルで雇われた。



製作:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20061020 REV:1021,22 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1970/7206hj.htm
チャールズ・エヴァーズ  ◇初期ワークフェア構想の文献表 

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