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「パイド・パイパー・ハウス――自分たちの会社」

小林 トミ 19760620 『共同研究 集団──サークルの戦後思想史』,平凡社


■小林 トミ 19760620 「パイド・パイパー・ハウス――自分たちの会社」,思想の科学研究会編『共同研究 集団──サークルの戦後思想史』,平凡社

レコード店「パイド・パイパー・ハウス」
東京都渋谷区南青山 75年11月15日オープン
従業員4人の有限会社
社長:岩永正敏 27歳

岩永:60年代後半〜70年にかけての安保闘争、ベ平連運動に関わる
昭和23年、ベビーブーム時代に生まれる
大阪から、小学校5年のときに東京に出てきた
高校生の頃、小林健・実方らと4,5人の勉強会を開く  日韓会談反対デモに参加
立教大学文学部の岩永・小林と法政大学の実方の3人が中心となり、自由主義学生会議をつくる
ベ平連運動とかかわりを持つ  自由主義学生会議 → ベトナム学生反戦会議
71年、大学卒業、「シコシコ模索舎」(70年10月〜)に小林とともに入社するも、入社1ヵ月で退社
音楽に関する仕事を経て、立川の米軍ハウスを借り4人で共同体を目差す
共同体解散後、京都へ  「ほんやら洞」で友だちをつくる  フォーク・パルチザンの青年、田中研二と知りあう
74年10月、田中研二のフォークのレコードを700枚つくる
ベ平連の事務局にいた吉田修造に会い、店を出すチャンスを得る
立教大学全共闘バリケード時代の友人の新井健文、吉田とともに〈パイド・パイパー・ハウス〉設立
4人の重役に加え、『ジャズ批評』に勤めていた25歳の今沢裕(立教大学バリケードの仲間)が参加

開店時間:11時〜21時
レコード(輸入盤・国内盤)、ロック、ジャズ、フォーク、現代音楽、楽譜、民族楽器、雑誌、ミニコミ、書籍、チケット、手工芸品、コーヒー、コピーサービス、イベント、コンサートの企画、進行、演出などを中心に「音楽を中心とした新しい空間を」

「四人の組合せは、それぞれのちがった性格をもち、足りないところを補いあうような若ものらしい集団であった。しかも、兄弟同様に暮らした仲間の結びつきの強いせいか、ひまさえあればあらたまらずに話しあう。年齢は二十八歳から二十四歳までのひらきはあるが、そこには社長とか社員とかのひらきはない。みんな対等のつきあい方のように思えた」(p.581)

「やはり、六〇年代後半から七〇年代にかけ、自分流の生き方を模索する青年たちを数多く輩出させていったのだと思った。だが、六〇年安保の世代はそれぞれの職場で安定した地位と平和な家庭を築いているのにくらべ、岩永さんたちの自由な生き方は、この十年のベトナム反戦運動や大学闘争の占める役割が大きかったにちがいない。それと同時に、六〇年安保闘争の世代は何らかの形で飢えを知っているのにくらべ、やはり日本の高度成長時代の飢えを知らない世代のちがいなのだろうと思った」(p.582)

「とにかく、彼らのなかに命令するもの、されるものとの関係はなく、そこに私は彼らの人間関係のなかにベ平連運動や全共闘運動のなかにみられたものがのこっていると思った」(p.582)

◆発言など
小林:「運動とは何か、常識的に政治に結びついたところで語られるが、政治で人間が生きるにあたっての自己目的化、個人のさまざまな運動、他の人との運動とのあいだでの自分の自己実現である。文化的であるとともに複合している運動、何派はどうかという一面的なものでなく、人間の行為全体の中に意味がある。それを僕はやっていると思う」(p.579)
岩永:友人たちとカンパを出しあい津村喬『魂にふれる革命』をエール出版から三千部出版した経歴あり
岩永:「僕らのレコードは千枚ならそれ限り、売れるからといって増盤するようなことはしない。商業主義の本にしろ、レコードにしろ売りまくってその若ものや歌手を神話化してしまうような愚はいやなんです」(p.580)
 「レコードを買ってしまって「はい、さよなら」ではなく、ゆっくりと音楽談義でもしてもらいたい」(p.580)
小林:「模索者時代から出版だけでなく、もっとトータルな形でサブカルチャーのすべてを従来なかった自主的なものとして生み出して行きたくなった」(p.580)


作成:村上 潔(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20051021 Rev: http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1970/7606kt.htm

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