>HOME >DATABASE 三宅一郎・村松岐夫(編)『京都市政治の動態 大都市政治の総合的分析』有斐閣 三宅一郎・村松岐夫(編)19810820『京都市政治の動態 大都市政治の総合的分析』有斐閣 はしがき 目次 第1部 制度と歴史(1〜52) 第1章 大都市の制度的環境と都市政治研究 村松岐夫 1 地方自治体としての京都市 A 中央−地方関係 B 府との関係―指定都市 2 都市政治研究 第2章 京都市の戦後政治史序説 山口定 はじめに―保守と革新の独特の対峙 1 京都市の構造的特性とその変容 A 六〇年代の初めまでの京都市の特性 B 三次型都市としての京都市の特性 C 事業所規模の零細性と旧中間層の比重 D 「封鎖性都市」から独特の「中心性都市」へ 2 京都市政の展開とその特質(1) A 左翼的伝統の再生と高山保守市政の対抗 B 高度経済成長政策と京都市の岐路 C 革新市政の誕生と住民運動 D 社会党の衰退と共産党の躍進 E 府市民団体協議会と市民参加の模索 F 五党支持体制 G 京都市の戦後政治史とドーナツ化現象 3 京都市政の展開とその特質(2) A 高山保守市政の政策体系 B 富井・舟橋一期革新市政の政策体系 C 五党体制への歩み D 市電撤去・地下鉄建設と京都市の新たな岐路 第2部 政治過程への参加(53〜250) 第3章 京都市民の社会・政治意識と政治参加 三宅一郎 1 はじめに 2 京都市民の社会・政治意識 A 京都市民の社会意識 B 京都市民の政治意識 C 政治態度の分極化と一貫性 D 政治意識と社会意識 3 地域社会と政治参加 A 社会関係と対地域社会意識 B 都市環境の悪化と政治参加 C 参加行動のモード D 参加行動のモードと団体活動 E 特定の参加行動モードに作用する要因 F 参加者グループとその代表性 第4章 京都市の地域構造―「自治連合会」を中心に 上田惟一 はじめに 1 京都市における学区 2 学区内地域団体 3 市行政と地域団体 4 市会議員と地域団体 第5章 経済団体と政治 T 京都の経済界 波多野進 はじめに 1 京都の経済団体 A 経済団体の構成 B 京都商工会議所 C 京都経済同友会 D 経済界のリーダーシップ 2 京都府・市政と経済界 A 戦後京都経済界の三つの時期 B 一九六五年まで C 一九六五年から七〇年まで D 一九七〇年以降 U 京都府中小企業団体中央会 岩瀬庸理 A 京都の中小企業 B 中央会の組織構造 C 中央会の組織体質 D 京都府・市政と中央会 E 工業再配置促進法 F 中央会の今後の課題 V 経営者の政治参加と政治献金 小平修 A 問題の所在と基礎資料 B 政治参加の基礎的諸態度 C 政治家との接触(参加T) D 選挙における投票(参加U) E 個人献金の態様(参加V) F 企業献金の態様(参加W) G 主要な要因間の相互連関―多変量解析による分析 H 政治献金の問題点と課題 第6章 労働組合と市政 間場寿一 1 労働諸団体の現況 2 労働諸団体と政党の関係 3 団体間の協力と競合 A 選挙運動 B 経済闘争 4 要求行動の諸局面 A 利益・要求の表出チャンネル B 予算過程への関与 C 京都市における重要問題へのアプローチ 第7章 政党制、政党組織、支持基盤 T 市長選挙と政党間の対立と協調 依田博 はじめに A 京都市長選挙と政党制 B 一九六二年選挙まで C 富井市長の登場 U 政党の組織構造と活動 三宅一郎・須藤真志 A 党員数 B 後援会活動 C 支持団体 D 党内派閥 E 市会議員団の地位と自律性 F 候補者の選定 G 選挙活動 H 情報蒐集活動 I 世話役活動 J 市会議員の行動決定基準 K 市会議員の活動時間 L まとめ V 政党のフォーマルな組織 須藤真志 A 自民党 B 共産党 C 社会党 D 民社党 E 公明党 W 政党の支持基盤 三宅一郎 A 政党員と活動家 B 一般政党支持者層 C 政党支持の社会的特性 D 政党支持者の動員 第3部 政策決定の動態(251〜398) 第8章 市会と市会議員 T 市会議員の誕生 木下冨雄 1 立候補にいたる経歴 2 立候補者の主観的動機 3 初立候補・初当選の年齢 おわりに U 市会議員の行動 伊藤光利 1 市議活動の社会的・経済的条件 2 議会活動 3 選挙区活動 4 所属団体と支持団体 5 市会議員の圧力活動 6 代表関係の類型 V 立法過程における政党間の対立と協調 依田博 1 京都市政府と政党 A 予算案と政党 B 市長議案と政党 2 市会の会派構成と政党間の対立と協調 A 市会の会派構成の概要 B 意思決定の要件 C 会派の変遷と意思決定要件 D 議員提出議案と政党制 むすび 第9章 行政過程 T 市長と行政組織 村松岐夫 1 市長 2 官僚制 A 行政幹部の出身とキャリア B 市役所行政組織の分業体制 3 職員組合 4 市長、官僚制、職員組合の関係 U 総合計画と企画調整部門 君村昌 はじめに 1 市町村計画の動向 2 総合計画の意義と問題点 3 企画調整部門をめぐる諸問題 4 京都市における総合計画と企画調整部門の変遷 むすびにかえて V 中間管理者のリーダーシップ 山川雄巳 1 リーダーシップの問題 2 中間管理者の個人的特性 A デモグラフィック特性と経歴 B 部下の数 C 厳格型と放任型 D モラール 3 中間管理者のリーダーシップ A 職務の一般的特徴 B リーダーシップの主要な次元 C リーダーシップの根拠 D 垂直的紛争と権威関係 E 水平的紛争と水平的モラール F 「ポリアーキー的官僚制」 第4部 政策への結実(399〜450) 第10章 京都市の交通政策 山田浩之 1 問題の背景 2 市電事業の経営悪化に対する行政の対応 3 市電存続を求める市民運動の審議 4 交通事業審議会における審議 5 行政と審議会―中間報告をめぐって むすび―都市政策の必要性 第11章 福祉政策―その拡大と限定 森田久男 1 大都市の福祉政策 A 福祉政策の概念 B 福祉政策の現状と傾向 C 福祉政策考察の視点 2 京都市における福祉政策の展開 A 戦前社会事業 B 戦後・高山市政期 C 富井・船橋市政期 3 現行福祉政策の問題点 A 京都市国民健康保険 B 児童福祉 C 老人福祉 D 障害者福祉 4 大都市福祉政策の課題 A 福祉政策の拡大 B 福祉政策の限定 調査一覧 引用文献・参考文献一覧 第1部 制度と歴史(1〜52) 第1章 大都市の制度的環境と都市政治研究 村松岐夫 1 地方自治体としての京都市 A 中央−地方関係 B 府との関係―指定都市 「こうした一般的傾向の中で、指定都市は特別の地位を有する。何より明確なのは、指定都市には、一般市町村には与えられない一定の「事務」が、与えられていることである。それらは、一九五六年に府県から移管された一六項目(地方自治法二五二条の一九に列挙)である。この一六項目移管(後に、若干の変更あり)の沿革は、府県と指定都市の微妙な関係を語るのに恰好の材料である。一九四五年、戦争の直後、大阪、京都、名古屋、神戸、横浜の五大都市は、新しい政治行政制度の下で、大都市が強い自治権を与えられるべきであると主張していた。この要望はGHQの承認するところとなり、新地方自治法(一九四七年四月)二六四条は、特別市の制度を認めた。特別市の具体的内容については未確定のものが残っていたとしても、その骨格Kは、府県と同格の市制を措くということであった。そのような市として右の五大市が予定されていた。 しかしながら、特別市制を施行する段になって、府県側から強い反対の意向が示され、この問題を担当しGHQと交渉の任にあたっていた内務省も、反対の意思を固め、この反対が、結局、GHQのうけいれるところとなった。この一九四六年時点で実現しなかった特別市運動は、一九五〇年代に再燃する。しかし、この時も、これら都大市(ママ)は府県の壁を破ることはできなかった。この時の運動の結果として、一九五六年に府県の事務とされていた一六項目を移管するという妥協が得られて決着することになるのである。府県と同格の行財政能力を持つという自信を持ち、しかも地方自治法にはっきりと定められた「特別市」制を獲得できなかった五大都市にとって、そのような妥協は勝利ではなかった。府県の側からいっても内部に強力な反乱軍をかかえて愉快ではなかった。府県―市関係は、基本的には反目の条件をかかえながら今日にいたっているというべきであろう。京都市の場合も、乙訓地区の合併により、その地域を含む発展計画をたてたこともあるが、府の反対が強く実現しなかった」ことがある。もっと小さな事項を含めて、府と市の関係は、それほどスムーズとはいえない。」(9頁) 2 都市政治研究 「しかし、筆者は、地方自治は、中央からの諸制約の中でも自治的に運営されていると考える。各地域の実情に応じて市長は政策をたて、議会が討議し、中央や府県と予算措置について協議し、実施体制をつくる。中央政府の影響は強いとしても、地方政府は自らのイニシアチブによる独特の政策の形成と実施のシステムとそれに対応する独自の権力構造を持つと考えられる。」(12−13頁) 「しかし、後者の立場も、長浜の例にみるように現代政治過程についての考察が不足していたように思う。地方の問題は地方で決めるメカニズムがあるとき、地方レベルではそれなりの権力と政策の争いが生じ、それは、中央における政治のあり方と微妙に連動して複雑な役割を演じうるのである。このことを前提にした地方政治の研究の展開は日本の政治学にとって今後の課題である。とりわけ先述のように、地方レベルでいかなるアクターが何についてどのように行動しているか、諸アクター自身の役割認識を明らかにする研究は少ない。地方における自主性の欠如が前提となっていたため、地方の対中央戦略と中央の対地方戦略の交錯の形態についての研究もこれまでのところ存在していない(その試みとして、村松、一九八一)。中央−地方関係研究は今のところも、機関委任と財政関係の一本槍になっている。」(15頁) 第2章 京都市の戦後政治史序説 山口定 はじめに―保守と革新の独特の対峙 1 京都市の構造的特性とその変容 A 六〇年代の初めまでの京都市の特性 B 三次型都市としての京都市の特性 C 事業所規模の零細性と旧中間層の比重 D 「封鎖性都市」から独特の「中心性都市」へ 2 京都市政の展開とその特質(1) A 左翼的伝統の再生と高山保守市政の対抗 「要するに、この時期には、京都大学、同志社大学、立命館大学を中心とする大学人から宗教関係者にまで広がる文化人集団と、京教組、府職労、市職労など公官労を先導とする労働組合(地評)勢力に根をはった左翼(もしくは革新派)に対して、地域社会に根をすえ、市政協力委員のネットワークと地域名望家集団としての保守政党に支えられ、有能な市長のリーダーシップによってまとめあげられた保守派が対抗し、後者が優位を占めるという構造は簡単には崩れそうもない状況が続いていたのである。」(31−32頁) B 高度経済成長政策と京都市の岐路 「このように、事態を先導したのは−そして京都市の都市構造をめぐる政治への最大のインプットとなったのは−つねに中央政府の政策であるが、それに対する京都の産業界の対応に今日から見ると注目すべき点が二つあるように思われる。一つは、当時革新派からは「保守反動」呼ばわりされ、実際、前述のような形で保守派の支持に依存し続けて来た高山市政が、今や「高度経済成長」政策のなかで京都市だけがとり残されることを恐れ始めた京都の産業界からは不信の目で見られるようになり始めていたことであり、もう一つは、その産業界内部で、京都市のあるべき未来像をめぐってこれまでよりも積極的に発言していこうとする動きが出て来たことである。」(33頁) C 革新市政の誕生と住民運動 「まず前者についていえば、その種の住民運動は、一九六二年の伏見区の区画整理反対運動、新五条線建設反対運動、山科の用途地域変更運動、北区の清掃工場建設反対運動、一九六三年の松ヶ崎修学院区画整理反対運動、一九六四−六年の山科四ノ宮地区生コン工場建設反対運動などを先駆的事例とするが、それらのいずれもが京都市内周辺部における生活環境悪化への住民の抵抗運動であったことに注目する必要がある。そして、その間に蜷川府政の方は、一九六四年秋に生まれた「鴨川を美しくする会」への助成(→一九六八年からの鴨川納涼・夏の夜店の復活につながる)、一九六五年三月の文化財保護基金の設立など環境保護と伝統文化財保護の方向を明確化しつつ、最後には、前述の山科四ノ宮地区の生コン工場建設問題に際して、同工場の建築確認の取消しに応じない京都市当局に反対して、京都府が直接間接に住民運動を支援するところまで乗り出したのである。」(35頁) 「それに対して、むしろこれ以上に注目されるべきもう一つの動きとして、一九五四年に医師会の不信を買った府保険課長を厚生省に迫って交替させて以来の蜷川知事と京都府医師会ならびに保険医協会との親密な関係(京都府保険医協会、一九七〇、八〇−一〇〇頁)、京都府レベルでの一九六六年四月の「一〇〇万円まで無担保・無保証人」の「小企業特別融資制度」の導入以来一挙に蜷川支持勢力が拡大した中小企業・零細商店の自営業主たち、さらには前述のような京都の文化人のあいだでの左翼的伝統が一体化して、一九六六年五月に「京都府市民団体協議会」が誕生したことである。この動きは、同年四月の知事選挙で、それまでの蜷川支持勢力から民社党と全労会議が脱落したのに対して、それに入れ替って登場した「府市民団体連絡懇談会」から発展したものだが、これが、社共両党、民主革新会議ならびに地評、市労連、医師連盟と結んで蜷川知事の五選を実現し、引続いて翌年二月には、富井革新市政を生むのに決定的な役割を果たしたのである。(富井清氏は、京都府医師会会長であり、かつこの「府市民団体協議会」の初代会長でもあった。)」(36−37頁) D 社会党の衰退と共産党の躍進 「ところで、このような共産党の組織力と地域活動への献心による目覚ましい前進は、民青、民商などの党周辺組織や京教組、府職労、京建労などの労働組合内部に献身的で精力的な活動家層を擁していたことによっても支えられている。(京都総評内部における共産党支持者の増大は、同総評が、一九七〇年一〇月の第二〇回大会以来、それまでの社会党推薦をあらためて、政党支持の自由化をうち出したことからも確認できる。)しかし、ここでも具体的に同党躍進の契機となったのは、中央政府による全国的な、巨大資本中心の高度経済成長政策が京都市の伝統的な産業構造をゆさぶり続けたことから生まれた土着中間層の危機感に対して同党の掲げる「反独占」の主張がアッピールしたことである。」(38頁) 「この年の夏(一九七二年、引用者補足)、当時の田中内閣の一枚看板である「日本列島改造計画」に沿った工業再配置促進法の線引きの通産省素案が発表されたが、そのなかでは、通産省の電算機ではじき出された工業集積度が高かったばかりに、京都市全域が移転促進地域とされていた。京都市では、それを見て伝統産業界、とくに西陣の織物工業組合からすさまじい反発が起り、これが京都中小企業団体協議会、府中小企業団体中央会へと広がった。それに対しては、京都一区選出の各党の国会議員がこぞってそれぞれの立場から通産省の官僚的線引きを撤回させることを約束して奔走したが、その際、共産党の谷口善太郎代議士が機敏に行動したことが、それまでの保守的な西陣の業界に共産党が受けいれられる突破口となったといわれる。」(38頁) E 府市民団体協議会と市民参加の模索 「ただ、この「住民議会」運動は、社共両党の見解が対立する市電撤去や部落解放運動、反戦青年委員会の取扱いなどの問題や「府市協調」を攪乱しかねない微妙な問題を扱うことが慎重に回避されたり、団体代表の「議員」しか発言のチャンスがないとか、一般労働組合員の無関心などの困難をかかえ、その後の発展を見ることはなかった。しかし、ともかくも、これが当時の東京都の美濃部革新都政における「対話集会」や横浜市の飛鳥田革新市政における「百万人集会」にあたる京都の革新派の「住民参加」の模索の表現形態なのであった(山口、一九七二、五六―九参照)。そして、この「住民議会」こそは途中で雲散霧消したものの、府市民団体協議会が、参加団体の府・市政への要求をまとめて、議会とは別のルートで直接に府・市の当局者に伝達するという努力自体は、今日まで、とくに予算編成期を中心に行われ続けているのである。そして、それに対して、一九七八年四月以来保守府政に転換した京都府の当局者はこれに対して拒否的態度をとっているが、京都市の船橋市政の方は、五党支持への変容以降もなお窓口を残し続けているのが現状である。」(40−41頁) F 五党支持体制 G 京都市の戦後政治史とドーナツ化現象 3 京都市政の展開とその特質(2) A 高山保守市政の政策体系 (1)文化(観光)政策 (2)社会福祉政策 B 富井・舟橋一期革新市政の政策体系 (1)くらしと健康を守る都市計画 「富井市政―"ちびっこ広場"設置助成(六七・七)、道路舗装計画公表(六七・八)、ごみの週二回収集実施(六八・二)、調査室、都市開発室新設(六八・四)、「市民のくらしと市政」白書発刊(六八・一〇)、「まちづくり構想」の策定(六九・三)、「生活環境図表」発表(七〇・五)。船橋市政一期目―公害対策室設置(七一・七)、「青い空をまもる運動」推進(七一・一二)、市街地景観条例制定(七二・四)、洛西ニュータウン建設起工(七二・八)、「百万本植樹運動」推進(七二・九)、「日照等に関する指導要綱」制定(七三・六)、マイカー観光拒否宣言(七三・一一)、「市公害防止基本計画策定」(七三・一二)、「京都市環境保全基準」告示(七四・七)。以下、船橋二期―消費者保護条例施行(七六・三)、市公害対策室に環境影響評価専門部会を設置(七七・二)、深夜騒音の規制のための「飲食店営業の取り扱いに関する指導基準」(七七・一〇)、「下水道汚濁防止対策指導要綱」(七八・四)。」(48頁) (2)健康と福祉 「富井市政―各保健所に「市民健康相談室」設置(六七・八)、インフルエンザ予防注射無料実施(六八・一)、身体障害者家庭奉仕員事業開始(六八・五)、敬老祝金支給(六八・九)、盲人センター開所(六八・一〇)、心身障害者扶養共済事業発足(六八・一一)、ろうあセンター開所(六九・一〇)、市同和対策長期計画第一次試案発表(六九・一一)、児童手当制度発足(七〇・三)。船橋一期―老人福祉課設置(七一・七)、「市民しんぶん」の点字版と弱視版創刊(七一・八)、休日急病眼科診療スタート(七二・三)、休日急病小児科診療所開設(七三・一)、「福祉の風土づくり"京都宣言"発表(七三・二)、同和対策室新設(七三・四)、七〇歳以上の老人の市電・市バス無料化(七三・一一)、六五歳以上老人の医療費無料化(七四・二)、老人福祉員設置(七四・三)、休日急病歯科診療スタート(七四・九)、その他、小児ガン治療費の全額公費負担、小児ゼンソク・ネフローゼ・じん炎患者の治療費負担、障害児保育所の建設。以下、船橋二期―在宅重度心身障害者に福祉手当支給開始、身体障害者等に「福祉乗車証」交付(七五・一〇)、「市民の健康と福祉に関する総合政策体系のあり方」答申(七六・七)、身体障害者の運転免許取得に対する半額助成制度実施(七七・一一)、「中途失明者巡回生活指導員派遣制度」発足(七八・五)、身体障害者リハビリテーションセンター、中央老人福祉センター開設(七八・六)。」(48−49頁) (3)中小零細企業と伝統産業ならびに一般勤労者のための政策 「富井市政―無担保無保証人一〇〇万円融資制度発足(六七・四)、その他、無担保無保証人融資の二〇〇万円への増額、かけこみ融資五万円、住宅資金融資制度の創設、保育所・学童保育所の増設、青少年会館建設、労働者総合会館建設。以下、船橋二期―伝統産業会館完成(七六・一一)、消費者センター開設(七六・一二)、夏休み等「季節学童保育事業」開始(七七・七)、「京都市における商業施設の設置に関する要綱」策定(七七・一一)」(49頁) C 五党体制への歩み D 市電撤去・地下鉄建設と京都市の新たな岐路 (2) 「なお、この経済同友会を拠点とした「近代派」(塚本幸一・ワコール社長、立石一真・立石電機会長らに代表される)は、一九七〇年二月に長年同友会代表幹事をつとめて来た森下弘氏(日本新薬)を京都商工会議所会頭に当選させた。それ以来、繊維、小売商業、観光、食品などの業界を拠点とする伝統産業派は、京都財界での主導権をうしなったといわれるが、この両派の対抗の最近の状況については、読売新聞の記事「根深い近代・伝統派対立−京都商議所の”森下五選”」(八〇・四・一三)を参照。」(52頁) 第2部 政治過程への参加(53〜250) 第3章 京都市民の社会・政治意識と政治参加 三宅一郎 1 はじめに 2 京都市民の社会・政治意識 A 京都市民の社会意識 「結論として、京都市民ので伝統志向の程度はわれわれのデータから見る限り、全国大都市の平均値に近く、とくに保守的でも進歩的でもない、また、全国的な意見変化の流れに沿って変動している、といえよう。」(64頁) B 京都市民の政治意識 「きわめて簡単にいうと、前半における社会党の六九年選挙の敗北からの復調と自民党の停滞、後半における自民党の復調と社会党の下降、共産党の勢力維持と支持なしの増大がそれである。」(65頁) C 政治態度の分極化と一貫性 D 政治意識と社会意識 3 地域社会と政治参加 A 社会関係と対地域社会意識 「だが上田(一九七六、引用者補足)の仮説は旧市内の町内会にはあてはまるとしても、それ以外の地域とくに新市域で戦前の町内会との連続性を欠く町内会や自治会にあてはまらないだろう。われわれの町内会調査(村松ほか、一九七六)によると、町内会・自治会は次のように類型化される。 類型T 公同組合設置以前からあった、何らかの自治組織にその淵源を推定できる町内会、旧市街地型で現市内のほぼ中心部に位置する。 類型U 一八八九年市政施行以降に京都市に編入された地域の町内会。 類型V 市域に関係なく戦後に成立した町内会、例えば市街地に建設された公団住宅や、振興住宅地の町内会、自治会を含む。」(74−75頁) B 都市環境の悪化と政治参加 C 参加行動のモード D 参加行動のモードと団体活動 E 特定の参加行動モードに作用する要因 F 参加者グループとその代表性 第4章 京都市の地域構造―「自治連合会」を中心に 上田惟一 はじめに 1 京都市における学区 2 学区内地域団体 3 市行政と地域団体 「ただ町内会なり「町内会連合会」を直接にではなく、間接に掌握するようになった点では変化をみている。すなわち行政側は、町内会とはあくまでも住民の任意組織であって行政の容喙するところではないとしながらも、他方で両者を媒介する制度を導入したのである。これが一九五三年六月に発足した市政協力委員制度(その前身は一九四七年六月発足の事務連絡嘱託員制度)である。市政協力委員とは「市政の円滑な運営と行政能率の向上をはかるため」一年を任期として市が委嘱する非常勤の特別職である。それは行政の側からみるかぎりは、行政事務に協力する一定の諸個人であって、町内会そのものとは形式的には無関係である。しかしながら地域の実状に即してみるならば、市政協力委員とは「自治連合会」の各種団体の一つである市政協力委員連絡協議会の構成員であって、しかもその実態は町内会役員の兼任職である。とりわけ町内会長が兼任している場合が大半である。」(105−106頁) 「さて以上のような各種の「行政懇談会」の存在は「自治連合会」の要求活動を容易ならしめている。それは例えば次のように展開されるであろう。地域に問題が発生しその解決のためには行政の関与が必要であると考えられたとする。「自治連合会」は区民相談室に話を持ち込むとともに、区長や助役との、あるいは市役所の担当部局の責任者との交渉を開始したとする。この時「自治連合会」は「行政懇談会」を活用すればより有効に活動を展開することができる。まず学区で開催される「行政懇談会」の場で「住民の声」を出席した行政担当者に伝え要求の解決を求める。ついで第二の「行政懇談会」、つまり区長と市政協力委員連絡協議会会長との懇談の席上で、自分の学区の要求を再度提示する。この席上で解決のつかなかった問題は行政側が持ち返り担当部局で検討を加え後日回答を行なうこととなる。それでも解決がみられぬと考えた場合には「自治連合会」はさらに第三の「行政懇談会」すなわち市長公聴会の場において、直接市長に要求を伝え、その判断に影響を与えることができるのである。かくして「自治連合会」の要求活動にとって「行政懇談会」の存在はきわめて有効に作用するのである。この有利さは一般市民が要求活動を行う場合と比べると一層明白である。一般市民が行政に対して通常なしうるのは、比較的解決の容易な問題(例えばゴミの取残し分回収とか側溝の補修)を例えば電話でもって市・区民相談室か担当部局職員に伝える程度であろう。これに対して「自治連合会」は、解決の相当に困難と思われる地域要求をも、多種多様な要求チャンネルを駆使して、市長、局長、区長といった、かなりハイ・ランクの行政担当者にまで直接に伝えうるからである。」(107−108頁) 「かくして京都市(行政)と学区地域団体とは、前者が行政事務補完のために後者の協力を必要とし、他方後者が、行政への協力の代償として、行政に対し地域要求を表明する重要なチャンネルを掌握することができるという点で、相互依存関係にあるのである。」(110頁) 4 市会議員と地域団体 「結局学区レベルの地域団体全体についてはつぎのように言えよう。こういった地域団体に依存しうる度合では、自民党の議員候補者がまず圧倒的に優位にたち、これに極めて劣勢ながら、社会党の、さらに民社党の議員候補者が続く。最後尾に来るのは公明党および共産党の議員候補者であって、彼らの場合、地域団体への依存度は微弱かあるいは皆無に近い。」(115頁) 第5章 経済団体と政治 T 京都の経済界 波多野進 はじめに 1 京都の経済団体 A 経済団体の構成 「京都市域における主要な経済団体は次の五つである。(1)京都商工会議所、(2)京都経営者協会、(3)京都経済同友会、(4)京都工業会、(5)京都府中小企業団体中央会。」(117頁) B 京都商工会議所 C 京都経済同友会 D 経済界のリーダーシップ 2 京都府・市政と経済界 A 戦後京都経済界の三つの時期 B 一九六五年まで C 一九六五年から七〇年まで 「戦後京都経済界の第二期は、岩井盛次日本レース(株)社長の会頭就任とともにはじまる。岩井氏は、中野時代の七期二〇年を副会頭として共に会議所を代表しうる地位にあったが、当時の副会頭は格別の役割を演ずることもなかったようである。中野会頭第七期の副会頭は、岩井氏に次いで山岡景範日本電池(株)会長、円城留二郎ヤマサン(株)社長(室町の京都織物卸商協会理事長)及び村田禎介村田機械(株)社長であった。岩井氏の昇任のあと、空席となった副会頭一名に、三月まで京都経済同友会代表幹事を一七年間つとめた森下弘日本新薬(株)社長が指名された。」(134頁) 「以上、第二期においては、"近代派"と称される経営者グループと、"伝統派"と称される旧中間層の一部との間で、経済界のリーダーシップをめぐって激しい闘いが行なわれ、とくにその後半期には革新府市政とのからみが生じ、近代派経済人の政治的活性化が誘発されたということができる。」(138頁) D 一九七〇年以降 U 京都府中小企業団体中央会 岩瀬庸理 A 京都の中小企業 B 中央会の組織構造 C 中央会の組織体質 D 京都府・市政と中央会 E 工業再配置促進法 F 中央会の今後の課題 V 経営者の政治参加と政治献金 小平修 A 問題の所在と基礎資料 B 政治参加の基礎的諸態度 C 政治家との接触(参加T) D 選挙における投票(参加U) E 個人献金の態様(参加V) F 企業献金の態様(参加W) G 主要な要因間の相互連関―多変量解析による分析 H 政治献金の問題点と課題 第6章 労働組合と市政 間場寿一 1 労働諸団体の現況 「京都(府)における労働組合および組合員数は一九七七年現在、組合数一、六二一(うち京都市は一、〇七四)、組合員数二六万六九三名(うち京都市は一八万六四一名)で戦争直後の労働組合の集団噴出状況に比べても組合数で約五・一倍、組合員数で約二・五倍に達し、労働運動の成長を跡づける集団化・組織化の動向を知ることができる。」(173頁) 2 労働諸団体と政党の関係 「京都同盟→民社党の「非常に強い」支持関係は、中央同盟と民社党との「目標と理念の一致」、すなわち「同盟をはじめ民主的労働組合が民社党を支持しているのは、民社党の掲げている理念や行動の中に、民主的労働組合の目指しているものが基本的に一致しているからであり、この関係が続く限り、私たちは、私たちの政治的な要求を実現する場としての民社党を、より強固にしていかなければならない」と強調する中央同盟の基本方針に即応しているといえよう(全日本労働総同盟教育局編、一九七七、四二頁)。」(181頁) 3 団体間の協力と競合 A 選挙運動 B 経済闘争 4 要求行動の諸局面 A 利益・要求の表出チャンネル B 予算過程への関与 C 京都市における重要問題へのアプローチ 「調査にたいする回答によれば、京都地評は「市電撤去反対・地下鉄建設賛成」、京都同盟は「市電路線一部残存・地下鉄建設賛成」が当時の基本的態度であったという。それにたいして、市労連は「単組によって賛否両論があり結果的に調整しえなかった」という回答が寄せられた。市電撤去(=市電路線廃止)が市民の関心を喚起する大きな争点となったのは、撤去反対「一〇万人署名」の市会請願(一九七一年七月、同年一二月に市会委員会で請願否決)を達成した「京都の市電を守る会」の活躍に負うところが大きいことはいうまでもない。しかし、この市民運動の発生にいたるまでの公営交通事業をめぐる長い前史があったことは指摘されるべきであり、その経過における諸団体の対応と市会・諸党派の動きの関係を見落すわけにはいかない。」(198頁) 第7章 政党制、政党組織、支持基盤 T 市長選挙と政党間の対立と協調 依田博 はじめに A 京都市長選挙と政党制 B 一九六二年選挙まで C 富井市長の登場 U 政党の組織構造と活動 三宅一郎・須藤真志 A 党員数 B 後援会活動 C 支持団体 D 党内派閥 E 市会議員団の地位と自律性 F 候補者の選定 G 選挙活動 H 情報蒐集活動 I 世話役活動 J 市会議員の行動決定基準 K 市会議員の活動時間 L まとめ V 政党のフォーマルな組織 須藤真志 A 自民党 B 共産党 C 社会党 D 民社党 E 公明党 W 政党の支持基盤 三宅一郎 A 政党員と活動家 B 一般政党支持者層 C 政党支持の社会的特性 D 政党支持者の動員 第3部 政策決定の動態(251〜398) 第8章 市会と市会議員 T 市会議員の誕生 木下冨雄 1 立候補にいたる経歴 2 立候補者の主観的動機 3 初立候補・初当選の年齢 おわりに U 市会議員の行動 伊藤光利 1 市議活動の社会的・経済的条件 2 議会活動 3 選挙区活動 4 所属団体と支持団体 5 市会議員の圧力活動 6 代表関係の類型 V 立法過程における政党間の対立と協調 依田博 1 京都市政府と政党 A 予算案と政党 B 市長議案と政党 2 市会の会派構成と政党間の対立と協調 A 市会の会派構成の概要 B 意思決定の要件 C 会派の変遷と意思決定要件 D 議員提出議案と政党制 むすび 「以上にみてきたように、京都市長選挙に示されてきた「保守対革新」の対抗図式は、市会の常態ではなかった。 大統領制型の首長選挙では、アメリカ合衆国の大統領と議会との関係のように、首長選挙の論理―政府形成の論理と、議会を通じた政策決定過程での論理―政策実現の論理とが整合しにくい。議院内閣制での政府が議会に責任を持ち、政府それ自体の存在が通常は、議会の多数派(連合)に依存するが故に、政府の政策は、与党の政策方針に拘束されがちである。大統領制では、政府が有権者の投票に直接依存するために、政府と政党とが必ずしも議院内閣制のような形で結合していない。」(318頁) 「それ故にこそ、たとえそれが五五年体制を説明する有力なモデルであったとしても、「保守対革新」の対抗図式だけですべてを論じてしまうのは乱暴である。国政レベルでの政党制の対立と協調のパターンと地方自治体レベルでのそれとが一致しないことは、大いにありうるのである。第一に、京都市の一九五九年以前にみられたごとく、国と地方との対抗関係の中で、保守から左翼まで結束して地方が国に対抗する必要が存在した。第二に、第2章で述べられているように、都市や地域の類型化が可能であるのは、それぞれの都市や地域の社会経済的水準に違いがあるからである。保守県や革新都市が存在するのは、何よりもこの違いに依存する。政治力学的にも、保守県で圧倒的に優位にある保守勢力に対して、左翼勢力が根を張るためには、保守勢力との妥協もやむをえないであろう。反対に、京都市のような多党制のもとでは、争点ごとに連合パターンが変化するのは当然であろう。」(319頁) 第9章 行政過程 T 市長と行政組織 村松岐夫 1 市長 「まず、富井もかれを助けるスタッフ機構の設置に注意を払っている。しかし、かれは高山が統制部局にそれを求めたのとちがい、それまでの統制部局ではなくもっと機動力のあるやや個人スタッフ的性格を兼ねた調査室を設けた。調査室にはその意味で政治的性格があったといってよい。そのため議会でもたえず調査室の作業方法や予算規模には眼を光らすことになる。富井の問題は少数与党であることにあった。そこで議会対策上も、市民参加はかれにとって重要な意味をもつ。富井は、市民との対話集会を公的なものだけみても、一九六七年六〇回、六八年九九回、六九年七三回、七〇年三一回をこなしているのである(市政調査会報二〇・二一合併号、一九七一年一月)。」(326頁) 2 官僚制 A 行政幹部の出身とキャリア B 市役所行政組織の分業体制 3 職員組合 「二・一スト、レッド・パージ問題とその残響を別にしても、この時期は組織形成の時代である。組合自らも新しい組織の役割をどこにみつけていくかについて試行錯誤があったし、理事者側にも政治的立場を異にする者の態度と同時に誤解や不安に基づく行動があった。初期における最大の事件は、戦後の数年にわたって行われた夏期闘争と越年闘争である。続いて京交ストライキ(一九五一年)があった。これらの争いにおいては激しい言葉のやりとりがなされている。この時代、市長と組合の関係は対立で特徴づけられている。それが、とくに上京区職のストライキにいちじるしい。」(343頁) 4 市長、官僚制、職員組合の関係 「高山市政では市長が強いリーダーシップをとった。それは官僚制を掌握し、組合と対立するという構図をとった。それは、高山のパーソナリティであると同時に、時代の要請であった。それが可能であったのは議会与党が安定多数であったからである。」(345頁) U 総合計画と企画調整部門 君村昌 はじめに 1 市町村計画の動向 2 総合計画の意義と問題点 「このような東京都の経験をかえりみると、たとえいかに秀れた総合計画を樹立したとしても、国庫補助金の交付基準をはじめ、基準財政需要額の算定方式や地方債の許可基準などの面で、国が地方自治体の総合計画を尊重する基準を設定しない限り総合計画の実効性を確保することは困難であることを示している。したがって、行財政制度の改革を要求する地方自治体や住民のねばり強い運動が、低成長下の今日においてとくに重要であろう。」(351頁) 3 企画調整部門をめぐる諸問題 4 京都市における総合計画と企画調整部門の変遷 むすびにかえて 「(3)京都市は他の大都市と比べて大企業の数も少なく、経済的基盤が弱いため、市民税、固定資産税中心の税収の面できわめて見劣りがした。当時の平衡交付金もこれを補う程十分には機能しなかったといわれる。 (4)京都経済同友会はこの前後にも、いくつかの提言を行っている。たとえば一九五八年「京都市都市計画に関する要望書」、六五年「近畿圏整備法にもとづく区域指定に関する要望書」、六八年「京都における中堅的企業の成長とその課題」、同年「豊かな京都への提言」、七五年「京都産業における知識集約化の方策」等である。」(369頁) V 中間管理者のリーダーシップ 山川雄巳 1 リーダーシップの問題 2 中間管理者の個人的特性 A デモグラフィック特性と経歴 B 部下の数 C 厳格型と放任型 D モラール 3 中間管理者のリーダーシップ A 職務の一般的特徴 B リーダーシップの主要な次元 C リーダーシップの根拠 D 垂直的紛争と権威関係 E 水平的紛争と水平的モラール F 「ポリアーキー的官僚制」 「上級管理層がなんらかの理由によって積極的なリーダーシップを発揮しえない場合には、組織がより下級の単位に分権化され、各下級単位が自律的に職務活動を遂行しうるようにつくられていることは、この組織が生き残るうえでプラスになることが少なくないであろうが、その場合でも、組織は多くの機会損失を蒙らざるをえないであろうし、組織効率も落ちやすい。大規模組織が全体的調整機能なしに長期にわたってシンフォニックな活動をしうると期待するのは楽観的にすぎるであろう。中間管理者のリーダーシップを生かすためには、より上級のリーダーシップ機能の活性化が必要である。」(397−398頁) 第4部 政策への結実(399〜450) 第10章 京都市の交通政策 山田浩之 1 問題の背景 2 市電事業の経営悪化に対する行政の対応 「市電撤去への最初にステップとなったのは、高山市長のもとで一九六四年に設立された「京都市交通事業審議会」(会長、米谷栄二・京大工学部教授)が翌六五年一二月に提出した「市内交通体系整備計画の基本的構想に関する答申」である。」(408) 3 市電存続を求める市民運動の審議 4 交通事業審議会における審議 「バスと電車のコストについては、交通局によって提出された表10・4によると、原価で電車はバスの二倍強、純原価でちょうど二倍であった。コストの差は主として人件費と支払利息の差にもとづいているが、支払利息は過去の債務の結果であるので、これを除いて計算しても、もちろん人件費の差が大きく、電車の高コストが印象づけられたといってよい。なお、この純原価を償う運賃は電車が二〇一年、バスは九三円と算出されたが、その時の運賃は電車・バスとも五〇円であって、合理化や運賃値上げ等によってその差を埋めることは極めて困難と考えられたのである。市電廃止を止むなしとするA案の支持者にとって、電車の高コストは最も重要な論拠と受けとられたといってよい。」(415頁) 「評10・5にみられるように、小委員会では、C案(全面的存続論、引用者補足、以下同。)は少数意見であり、他はA案(廃止論)とB案(一部・一定期間存続論)とが相半ばしている。したがって、C案支持者が妥協してB案に賛成したならば、B案が優勢となる可能性があったが、そのような動きは全くみられなかったことに注目しておきたい。つぎに、審議会における小委員会以外のメンバーの意見は、カッコ内の数字に示されているように、市電廃止=A案賛成が多数を占めることになった。関連業界が全員、廃止に賛成することは予想されたところであるが、市民各界代表の半数も廃止に賛成を表明した。その場合、もっとも重要な理由としてあげられたのは、赤字財政の市電を存続することは市民に「余分の負担」を強いることになる、という点である。 また、市電を運行する労働者をも代表する交通労働組合(全日本交通運輸労働組合京都地方協議会、いわゆる京交連)出身の委員が廃止に賛成したのも注目された。」(416−417頁) 5 行政と審議会―中間報告をめぐって 「他方、「市電を守る会」は、一九七五年末より七六年はじめにかけて、市電の存続・市バスの拡充を求めて、名簿に署名した人は二七万七、〇〇〇人をこえ、そのうち有効数は二三万三、二〇九人であった。つまり市内全有権者の四分の一に近い人びとが署名したわけであり、住民運動としては大きな成果であったといえよう。しかし、二月一九日の市議会で、自社公民四党の反対によって、直接請求はあっさりと否決された。」(420頁) ・三案併記の中間報告 むすび―都市政策の必要性 ・市電廃止の要因 1 「地方公営企業法」における独立採算制 2 労働組合の市電廃止支持―社会党 3 「市電を守る会」の路線拡大論への固執 第11章 福祉政策―その拡大と限定 森田久男 1 大都市の福祉政策 A 福祉政策の概念 B 福祉政策の現状と傾向 C 福祉政策考察の視点 2 京都市における福祉政策の展開 A 戦前社会事業 「京都市における戦時態勢下の社会事業は、国民厚生事業へと再編成されていったが、その基底には常に社会主義的、社会改良的思想が流れていたとみてよい。第二次大戦前夜の一九四一年度社会部事業要覧は「貧困なる事実は必ずしも個人的要因に基くものではない。むしろ社会的諸原因により多く基いてゐる。」とし、明治以降の我が国のかたよった歩み方が産み出した浮浪的貧困者層―潜在的・停滞的な過剰人口―に対する対策を「我国近代社会創立の為の強行軍は之が解決の途を、社会政策としてよりも社会事業の中に選ばしめた。」と国の社会問題対応の怠慢、社会政策の不在を指摘している。しかしいかに国民厚生の擬装をもってしても、このような思想が支配権力からの弾圧を免れるはずはなく、京都市社会事業近代化の長年の指導者であった漆葉部長をはじめ、当時の有能なスタッフには翌四二年三月には特高警察の思想弾圧による市政からの追放が待ちうけていたのであった(京都市社会課調査報告、一九七八)。」(430頁) B 戦後・高山市政期 「しかし全般的にみれば京都市はその貧弱な財政力にもかかわらず、あるいはむしろその都市経済力のゆえに、他の大都市に比較して福祉関係に多くの予算を割いている(図11・1)。高山市政最終年度の一九六五年当初予算の市長説明で「いわゆる民生福利事業の内容とその財政支出につきましては、とくに本市の都市性格もからんで、他都市と比肩し得ないほどに充実してきたところであります。」とその自負の一端を述べているが、これは前記の数字からみてもあながち誇張ではない。しかし他都市と比較した場合、その内容を予算的にみれば、主として生活保護と失業対策によるふくらみであることは(図11・2)の通りである。」(433頁) C 富井・船橋市政期 3 現行福祉政策の問題点 A 京都市国民健康保険 B 児童福祉 C 老人福祉 D 障害者福祉 4 大都市福祉政策の課題 A 福祉政策の拡大 ・社会経済状況の変化―高度経済成長とその歪 ・社会経済状況を基盤とする政治的条件 ・福祉政策の対象拡大を促す行政側の要因 B 福祉政策の限定 「まず、第一に、社会生活の基盤となる所得や医療の保障が基本的普遍的な国の政策として充実されることが最も根本的な条件であって、その基盤の上に立ってはじめて対象者の地域における共同生活者としての個別のニードに対応することのできる地方の福祉政策が体系づけられうるであろう。」(449頁) 「第二には、国とのかかわりにおいて、大都市が果たすべき公的責任を総合的な計画性のなかで明確にすることである。」(449頁) [ 「第三に住民参加の形態の一つである福祉運動については、それが保育の拡充や障害者福祉の充実向上に対して大きなモメントとなったことについては既述の通りであり、今後も福祉政策の形成に大きな役割を果たしていくことと思われる。」(449頁) 「いずれにせよ、「現代政治において、技術的専門官僚、いわゆるテクノクラートが決定的に影響力を行使していることは改めて指摘するまでもない。」(阿部、一九七五、八七頁)が、これは中央に限らず地方政治についても同様である。現代資本主義国家は「本来統治の出力過程(執行)の公式担い手たる行政が同時に入力過程すなわち政治(国家基本政策の形成決定)にも進出して中心的かつ決定的役割を営む(手島、一九七六、一三頁)ところの行政国家としてとらえられるが、この状況は大都市政治においても普遍的である。少数者の福祉実現のためには、このようなテクノクラシー、あるいは更に進んで計画の支配(プラノクラシー)(手島、一九七六、一六頁)への危険を孕んでいようとも、政策形成の主導的立場にある行政執行部、とくに首長の指導性が必要不可欠であろう。「対象が少数であることや要求する力関係が弱いことによって疎外されてはならない。」という前記答申の指摘は、今後の大都市福祉政策を進める上にもっとも重要な指針であると思われる。」(450頁) 製作:山本崇記(立命館大学大学院先端総合学術研究科) UP:20050321 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8108mi.htm |