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Lowe, Donald, 1982, History of Bourgeois Perception, Chicago University Press
Appendix: Methodology


◇Lowe, M., Donald, 1982, History of bourgeois perception, Univ. Chicago Pr. 
Appendix: Methodology(pp.163-176)
■方法論

 方法がなければ知識もない

知る者と知られること The Knower and the Known
・「知る者と知られることの間のつながりについてから始めよう。知る者がいなければ知識もない。そして知る者とは、なによりもまず、すでに生きているヒトである。…ヒトはわかりにくいモノ=客体 object ではなく、反省な主体 subject なのである。反省的という語によって意味しているのは、相互作用的な意識、主体と世界の間の独立した関係である。世界での自分の位置を知ることなしに、自分のことを知ることはできない。その上、世界はそれ自身客観的な構造なのではなく、集団、階層、階級へと組織されたヒトの相互作用によって構造化されたものなのである。」(Lowe, 1982: 163)
・「他方で、知識を客観的な存在として、すなわちどんな知る者ともつながっていないものとして考えることもできる。この知る者と知られることの断絶は、ハンナ・アレントがアルキメデスの神話と呼んだものだ。この神話が想定しているのは、知る者が知られることの世界のいかなる場所も占めていないということ、あるいはむしろ、時空間の外部のゼロ点から、知る者は世界とその住人を客観的に知ることができる、ということだ。」(Lowe, 1982: 163)
・「17世紀のことだったが、デカルトは、知識は経験的で数学的で明白でなければならないと断定した。この客観的知識という理想は、このときから、自然の諸力を開発し、世界の風景を変えることに成功したのだった。」(Lowe, 1982: 163)
・「しかしながら、十八世紀初期のヴィーコのニューサイエンスから、現在のマルクス主義と現象学に至るまで、[デカルトとは]反対の、知識についての反デカルト主義的伝統が存在する。この伝統が焦点を当てたのは、モノ=客体の科学的研究と主体の全体的 holistic 研究のあいだの重要な区別であった。ヒトは、モノ以上のものなのだ。ヒトをモノとして研究すれば、人間主体に特有の現実の段階を見落としてしまう。」(Lowe, 1982: 164)
・「世界内のヒトは、その世界のなかで利用可能な available 知識の土台の上で生活を引き受けている。しかしながら、世界はヒトと知識の乱雑な寄せ集めではない。それは、世界の住人がすでに希望や期待の構造のなかへと組織されているといいう意味で、間主観的構造なのである。…知識は社会的行為によって引き受けられているような意味である。同様に、社会的行為は知識を変容させる。」(Lowe, 1982: 164)
・「世界内の知識は、現象学的社会理論家のアルフレッド・シュッツが現実の一次的構成と呼ぶところのものを含んでいる。…現実の一次的構成は、世界の固有の一部をなしている。それは社会科学者の思考対象とは異なっている…。社会科学者または歴史家が世界について知るのは、その限定され、変えられない時‐空間の外部から、遡及適応されたものである。一方で、住人が世界について知っていたことは、その現実を構築していたのである。」(Lowe, 1982: 164-5)
・人間科学の方法論の中心問題
「人間科学の方法論の中心問題は、現実の一次的構成と、社会科学者や歴史家による二次的説明の間の関係である。二次的説明は、世界内の現実の一次的構成を還元するのではなく、解明しうるのだろうか?これこそが難問なのである。…ここにこそ社会科学にとっての現象学の重要性がある。というのも、現象学は、世界の一次的構成の意味の解釈論的記述を可能にするような二次的構成を提供してくれるからだ。」(Lowe, 1982: 165)

知覚の現象学 Phenomenology of perception
・「世界を客観視するデカルトのコギトや超越的概念への参照によって世界を判定するプラトン的イデアに似ておらず、現象学は、世界の内部から、世界についての知識を探求する。…もはや合理性は、現象の向こう、世界の彼岸にはないのだ…。ここに現象学の言葉の難しさがある…。」(Lowe, 1982: 165)
・「われわれは、われわれ自身と世界との間にスクリーンを置く、客観的分析の言葉を捨てる必要がある。…身体 The body、原因と結果 cause and effect、時間 time、世界 the world、そして知覚 perceptionはよく知られた概念である。これらは行動科学によって研究され客観化されてきた。しかしながら、受肉 embodiment、志向性 intentionality、一時性 temporality、生活世界 life-world といった現象学の用語や知覚の現象学でアプローチしたとき、これらは客観的科学によって抑圧されてきた間主観的経験の領域を明らかにするのである。」(Lowe, 1982: 165-6)

受肉 embodiment
・「長い間、我々は人間の身体を機械とよく似たものとしてきた。…[だが]私の身体はたんなる道具ではない。私自身を感じるのは、他者を感じるのとはまったく別の仕方によってである。私は、この受肉した主体なのだ。」(Lowe, 1982: 166)
・「受肉した主体としての私の出発点は、直立姿勢である。ほかの動物と違って、私が属しているのは、直立し、立ったままで移動する地点から、世界内に自らを慣らす種なのである。」(Lowe, 1982: 166)
・「私の直立姿勢から、世界の中へと手を伸ばし、それに応じて世界は私の生活のための地平を開く。いまここ here and now に、位置する身体的な私と、そのときそこ there and then、距離を置いて開かれた地平との間に、反省的=再帰的な関与 engagement があるのだ。ここからそこへの拡張は空間的距離であり、一方、今からそのときへの拡張は時間的距離であり、両方とも、世界内に位置する私の受肉から始まる。」(Lowe, 1982: 166)
・「時‐空間の地平のなかで、私は、感覚 sensing、感情 feeling、情緒 emotion、表現expression の順序 order をのぼることを通じて、他の主体へと関与する。…私は世界の中での私の関与である。」(Lowe, 1982: 166)
・「聴覚、触覚、嗅覚、味覚、そして視覚といった私の感覚は、私に世界を開く。感覚は、自己と世界の間の原初的な関与なのである。聴覚、触覚、嗅覚そして味覚は、内包的[強度的?] intensive で包み込むものである。一方、視覚は距離とって外延的 extensive である。それぞれのひとにとって、感覚のヒエラルキーがあるのだ。」(Lowe, 1982: 167)
・「感覚が、世界への関与や世界を意識し始める原初的段階だとしたら、そのとき感情、情緒、そして表現は、意識段階、受肉した関与の段階をあがることである。この感情や情緒と、そして表現を通じて、世界との関与を増やし、私自身を正しく理解するのである。」(Lowe, 1982: 167)
・「感覚から感情を通じて情緒へ、そして表現という頂点へ――ここには意識段階の上昇、受肉した主体の世界への関与の高まりがある。」(Lowe, 1982: 167)

志向性 Intentionality
・「私は関与 engagement という用語を、主体と世界の間の相互的、相互作用的関係を記述するために用いてきた。これは原因と結果よりも現実的な用語である。…原因と結果の概念、個別的な対象という概念は、客観的観点から引き受けられた二次的な構成なのである。これらの客観的構成の押し付けの前に、既に受肉した主体と世界の間での意識的で反省的な関係は実在しているのである。…このような関係の解釈的記述は、志向性という現象学的概念から始められる必要がある。」(Lowe, 1982: 167-8)
・「志向性とは、世界内の他の主体やモノへ向けられたある主体の"intendedness"である。主体は、それらの主体やモノに注意をむけたり、やめたり、別の何かに注意を変えたりする能力を有している。…モノは志向性をもたない。」(Lowe, 1982: 168)

時間性 Temporality
・「時間性は、機械的で系時的 chronological な時間ではない。その時間性のたくさんの次元を現象学的に説明する必要があるのだ。…誕生した子どもは、活動と睡眠、食事と遊びのパターンをゆっくりと獲得する。後になって、昼と夜、24時間のサイクル、四季を区別しはじめるのだ。…この人間の生理学的な時計は、意識に先行する。それが生きた身体と世界の、前意識的なシンクロなのである。」(Lowe, 1982: 168-9)
・「無意識段階においては、生命はたんなる生理学的リズムである。だが、志向的な意識の段階では、それは自己反省的なものになる。…新たな次元である学習、習慣そして発明が可能になる。このように、反省的意識は生理学的リズムを改変する。」(Lowe, 1982: 169)
・「主体の生理学的リズムと反省的意識の彼方には、生命のペースの変化と世界がある。…季節の周期のペースは我々に自然のリズムを暗示させる。この自然のペースは都市の中心よりも田舎でのほうが確からしい。…規則性と単調さとともに、時間の機械的計測のペースがある。」(Lowe, 1982: 169)
・「われわれは世界のペースを不可逆的なものとして経験する…」(Lowe, 1982: 169)
・「われわれの内的な時間‐意識は、世界のペースをつかもうと努めている。この時間‐意識は、…追憶 remembrance と予想 anticipation に満ちている。…世界のペースは不可逆的だけれども、われわれの意識の時間は反省的なのだ。」(Lowe, 1982: 169)
・「変化の持続としての時間性は、主体のリズムと反省と、世界内のさまざまなペースのシンクロである。われわれがこのシンクロを経験するのは、セックスと音楽、神秘的な儀式においてであり、それを抑圧するのは、量的な言語や機械的な計測を通じてである。」(Lowe, 1982: 170)

生活世界 Life-World
・「私の生きている世界は客観的で中心のない世界ではない。何よりもまず、私にとっての現実の前理論的世界は、私が毎日の生活をしている中にある。これが私の第一の現実である。私は世界を客観的構造として研究し分析するかもしれない。だが、世界の科学的な研究は、毎日の生活のリアリティに比べれば二次的なのだ。」(Lowe, 1982: 170)
・「世界の中には私以外の主体がある。この世界はそれゆえに間主観的なのだ。…この間主観的世界は、希望や期待の構造としての、集団や階層や階級へと階層化される。」(Lowe, 1982: 170)
・「主体は世界に自らの知識の枠組みの中からアプローチする。同様に知識は、行為やコミュニケーションや相互行為によって改訂される。」(Lowe, 1982: 170)
・「生活世界は多数の現実からできている。…それぞれの現実とは、象徴的な秩序でありその内的な整合性と意味である。」(Lowe, 1982: 170-1)

知覚 Perception
・「知覚する者と知覚される内容がなければ、知覚は存在しない。…知覚は主体と世界の間の意識的で反省的なつながりなのである。」(Lowe, 1982: 171)
・「主体の知覚行為は、受肉されており、大局的で投影的である。」(Lowe, 1982: 171)
・「知覚する者の観点からだと、世界は親しさと匿名性の異なった時‐空間を開く。しかしながら、世界は文化的、歴史的に発展し、沈殿する。…知覚は常に、これらの文化的、歴史的遺産によるものなのである。」(Lowe, 1982: 171)
・「要約すれば、知覚は受肉された知覚する者と生活世界の間の反省的なつながりである。それは主体の感覚、感情、情緒、そして表現によって組織され、同様に世界の利用できる文化的、歴史的遺産によって実現される。」(Lowe, 1982: 171)

志向性と弁証法 Intentionality and Dialectic
・「現象学とマルクス主義はともに反実証主義的 antipositivist である。…現象学派は生活世界を記述するために志向性の概念を用い、一方でマルクス主義者は全体性を分析するために弁証法を用いる。」(Lowe, 1982: 171)
・「弁証法的知識は実践 praxis をめざし、実践によって改変される。…現象学的記述とちがうのは、マルクス主義的分析は活動家のそれであるということだ。」(Lowe, 1982: 172)
・「志向性は、生活世界を、大局的で水平的な間主観性として記述する。…対照的に、弁証法は全体性を多数の段階をもった構造 multi-level structure として分析する。」(Lowe, 1982: 172)
・「現象学にとって、意識の志向性は世界を解明する出発点である。それは知覚領野を意味の枠組みとして明らかにする。だが、マルクス主義はこの意識を上部構造として、すなわち、経済的下部構造によって条件づけられたものとしてみなす。」(Lowe, 1982: 173)
・「マルクス主義は正しい、意識以上のものがつねに存在するということにおいて。そして全体性は意識を決定するのである。しかしながら、現象学は世界内の知覚的つながり、マルクス主義が知覚しえないつながりを明らかにしうる。」(Lowe, 1982: 173)
・「志向性と生活世界の間に必要な格子があり、同様に弁証法と全体性の間に格子がある。…それゆえに、志向性は全体性を説明できないし、弁証法は知覚的な意識を明らかにしないのである。」(Lowe, 1982: 173)
・「にもかかわらず、世界は現象学とマルクス主義がともに参照する共通の基盤である。…志向性は全体性の一次的な知覚を進行中の現実として明らかにする。弁証法は、意識の下または上の構造の観点から、生活世界の2次的説明である。…マルクス主義的構造は現象学的生活世界を説明し、一方、現象学的知覚はマルクス主義的イデオロギーを明らかにする。」(Lowe, 1982: 173-4)

歴史と過去 History and the Past
・「われわれは過去と現在を、異なる様式の時間意識として経験している。…歴史は過去の表象である…。…我々は過去を直接経験することはできない。代わりに、現在において、過去の痕跡やモニュメントや遺産を見るのだ。これらの基盤の上に、過去の歴史がある。歴史はそれゆえに過去ではない。それは過去の表象である。」(Lowe, 1982: 174)
・「歴史家がいなければ歴史はない。…証拠の変化とともに、歴史的視座も変わり、過去の表象もまた変化するだろう。…過去そのものを知ることはできない。代わりにいつも、過去の証拠と現在の表象の間に、必然的なつながりがあるのだ。歴史文献は、過去を表象しようと試み続けるなかでの、このつながりの変化の歴史なのだ。」(Lowe, 1982: 174)
・「進行している現在の現実は、予測されるもの prospective である。…歴史的表象は過去の回想 retropspection である。…どのようにしたら、この予測される現実という視野を失うことなしに、過去を表象することができるのだろうか?私は信じているが、これこそが、歴史的方法論にとって決定的な問題なのである。歴史は、現在の歴史家の回想の中で、過去の予測された現実の再‐現前化 re-presentation であるべきなのだ。」(Lowe, 1982: 175)
・「フランス革命を、ただ現在の観点から見るだけではなく、1789年のフランス人民の多様なグループは、自ら切り開いた革命をどのように見ていたかを示す必要があるし、その説明の中では、彼らの経験の意義を還元してしまうべきではないのだ。」(Lowe, 1982: 175)
・「マルクス主義は、我々が利用しうる説明の形式の中で、最も包括的なものであると私は信じている。それは、過去を多数の段階をもった構造の全体性として説明する。他方で、その過去の住人は、世界を彼らの一次的構成を通じて予測していた。現象学的記述は、この過去の一次的構成をわれわれに理解させてくれる。それゆえに、私が前節の最後に言及した現象学とマルクス主義の間の相補関係は、本当に反省的なものなのだ。」(Lowe, 1982: 175)
・「加えて、マルクス主義は、時代区分の重要性も教えてくれる。」(Lowe, 1982: 176)

知覚の歴史の手順 A Procedure for the History of Perception
・「現象学は、思考を予測された現実として記述する。一方、マルクス主義は社会を多数の段階を持った構造として説明する。知覚の歴史は、思考内容と社会構造の間を媒介するリンクである。その手順は以下。
1.社会を時代区分する。多数の段階をもった構造の用語で行なう。
2.その時代の文脈のなかで、知覚の進行していく領野を構成する。そのコミュニケーションメディアの文化の用語、感覚のヒエラルキーの用語、そして言説の認識論的秩序の用語で行なう。
3.その知覚の領野のなかで、時間、空間、そして身体的生 bodily life の生きた経験を記述する。」(Lowe, 1982: 176)


作成:中倉智徳(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20060621 Rev: http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8200ldb.htm

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