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『ミシェル・フーコー思考集成T 1954-1963 狂気/精神分析/精神医学』


Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=19881110 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成T 1954-1963 狂気/精神分析/精神医学』,筑摩書房,393p. 5200

作成者:橋口昌治(立命館大学先端総合学術研究科1回生)


もくじ
謝辞
編者緒言
年譜 ダニエル・ドフェール/石田英敬訳
1954
1 ビンスワンガー『夢と実存』への序論 石田英敬訳
1957
2 心理学の歴史 1850?1950 石田英敬訳
3 科学研究と心理学 石田英敬訳
1961
4 『狂気の歴史』初版への序 石田英敬訳
5 狂気は社会のなかでしか存在しない 石田英敬訳
6アレクサンドル・コイレ『天文学革命、コペルニクス、ケプラー、ボレッリ』金森修訳
1962
7 ルソーの『対話』への序文 増田真訳
8 父の〈ノン否〉 湯浅博雄・山田広昭訳
9 カエルたちの叙事詩 鈴木雅雄訳
10 ルーセルにおける言うことと見ること
11 かくも残酷な知 横張誠訳
1963
12 人間の夜を見守る者 三浦篤訳
13 侵犯への序言 西谷修訳
14 言語の無限反復 野崎歓訳
15 夜明けの光を見張って 野崎歓訳
16 水と狂気 野崎歓訳
17 距たり・アスペクト・起源 中野知律訳
18 恐怖の「ヌーヴォー・ロマン」 野崎歓訳
日本語版編者解説(石田英敬)

内容の紹介
謝辞
編者緒言
「『ミシェル・フーコー思考集成』全十巻に収録されたのは、生前に単行本として刊行されていた著作をのぞき、フランスおよび諸外国で刊行された、序文、序論、紹介文、対談、論文および記事、講演記録などからなる、ミシェル・フーコーの全テクストである」とまず初めにあり、そのあと「一 コーパスの定義」「二 テクストの配列」「三 テクストの提示の仕方」「四 テクスト校訂の規則」「五 年譜、索引、および書誌」と説明が続く。

年譜 ダニエル・ドフェール/石田英敬訳
「思考集成」を刊行する際に、「読解の道具」として作られたもの。それぞれのテクストには説明がほとんどないので、そのテクストの背景などを知るのにとても役に立つ。またフーコーがいつどういう仕事をしていたかというだけでなく、何の本を読んでいたか、誰の影響を受けていたか、などが分かるのでおもしろい。あと説明が簡潔なのもいい。

1954
1 ビンスワンガー『夢と実存』への序論 石田英敬訳
 L.ビンスワンガー『夢と実存』(J.ヴェルドー仏語訳)への序論、パリ、デスレ・ド・ブルウェール社、1954年刊、9-128頁

「現存在分析」の創始者であるL.ビンスワンガーの論文「夢と実存」のフランス語訳の単行本につけられた「序論」。
『夢と実存』は、みすず書房から荻野恒一ほか訳で1992年に単行本として出版されている(フーコーの「序論」付き)。ちなみにフーコーの「序論」の訳が「思考集成」の石田訳と結構違うが、私にはどちらが正しいか判断できない。
また中山元訳『精神疾患とパーソナリティ』(ちくま学芸文庫、1997年)に付された訳者による解説「フーコーの初期」に、この「序論」についても詳しい説明がされているので参考になる。

1957
2 心理学の歴史 1850-1950 石田英敬訳
 D.ユイスマンとA.ウェベール共編、『ヨーロッパ哲学史』、第二巻「現代哲学の諸相」、パリ、フィシュバヒェル書店、1957年、591-606頁

「序」「自然の先入見」「意味の発見」「客観的意味作用の研究」「客観的意味作用の根拠」という章立てでフーコーが心理学の一世紀を振り返る論文。
「二十世紀半ばまでの心理学の全歴史は。自らの科学としての企てとそれらの公準とのあいだの様々な矛盾の逆説的な歴史である」(本文より)とのことで、フーコーの心理学に対する立ち位置が分かる。

3 科学研究と心理学 石田英敬訳
 E.モレール編『フランスの研究者は問う、…フランスにおける科学研究の方向と組織』、トゥールーズ、プリヴァ書店、「新研究」叢書、第十三編、1957年刊行、173頁-201頁

心理学を始めようとするフーコーに対しある教師が「メルロー=ポンティ氏のように「心理学」をやりたいのか、それともビネたちのように「科学的な心理学」をやりたいのか」と尋ねるエピソードから始まり、途中に「研究の合理性、科学性、そして客観性が、研究の選択それ自体にしか根拠のないものである以上、研究の有効性の実際の保証は非心理学的な方法と概念とに求められる以外ない」とあり、「心理学は冥界への回帰によってしか救われないのである」という言葉で終わる論文。

1961
4 『狂気の歴史』初版への序 石田英敬訳
 ミシェル・フーコー『狂気と非理性-古典主義時代における狂気の歴史』(パリ、プロン書店刊、1961年)p.T-]T。この序文は初版にのみ全文掲載。1972年のガリマール社版以後の3つの再版には未収録。

 田村俶訳『狂気の歴史』(新潮社、1975年)には、初版の序文を廃止した理由の書いてあるガリマール版の序文とともに全文掲載されている。
「編者解説」で石田英敬が「61年の序には文化の「構造」の概念が際立たされているのに対して72年頃にはそれが消される傾向にある(『臨床医学の誕生』の手直しに関する『年譜』の1972年の記述参照、本巻41-42頁)」と指摘している。

5 狂気は社会のなかでしか存在しない 石田英敬訳
 (J=P・ウェベールとの対話)、「ル・モンド紙」、5135号、1961年7月21日、9頁

短いインタビューで、『狂気の歴史』への当時の知識人の反応とフーコーのそれに対する応答が読みとれる。
「博士論文の審査委員会の反対質問のひとつはまさに私が『愚神〔狂気〕礼賛』を行おうとしているのではないか、というものでした。しかし、そうではないのです。私が言いたかったことは、狂気が科学の対象となったのは、狂気が古来から持っていた権力を奪われたからこそなのだということなのです…。」(本文より)

6アレクサンドル・コイレ『天文学革命、コペルニクス、ケプラー、ボレッリ』金森修訳
 「新フランス評論」、九年次、一〇八号、一九六一年一二月一日号、1123-24頁(cf. A.コイレ『天文学革命』、パリ、ヘルマン社、「思想史叢書」、1961年)

科学史家アレクサンドル・コイレの著作への書評。フーコーの科学史や認識論への関心のあり方を読みとれる。
「一七世紀初頭において、真理が生まれる場所は移動したのだ。それはもはや世界の姿の側にあるのではなく、言語の内的で交差した形態の中にある」(本文より)

1962
7 ルソーの『対話』への序文 増田真訳
 J=J.ルソー『ルソー、ジャン=ジャックを裁く-対話』序文(A.コラン、1962年刊)「クリュニー叢書」、7-24頁

「ルソーの晩年の作品である『対話』は、『告白』と『孤独な散歩者の夢想』の中間に位置し、この二作品とともに「自伝三部作」を構成するが、その特異な形態からルソーの狂気の資料として扱われることが多かった。フーコーは、対話の言語活動の立体的構成を分析し、作品の側からテクストを読み解くことによって、心理学や精神医学が前提とするような狂気の実定性をつき崩し、「作品の不在」としての狂気の問題系を浮き彫りにしている」(「編者解説」より)

8 父の〈ノン否〉 湯浅博雄・山田広昭訳
 「父の〈ノン否〉」、「クリティック」誌、一七八号、一九六二年三月、195-209頁(J.ラプランシュ『ヘルダーリンと父の問題』パリ、PUF社、1961年刊について)

「ヘルダーリンを論じた「父の〈否〉」も、詩と狂気との問題を、心理学的な事実としての狂気から説明するのではなく、作品が、「作品の不在」としての狂気の経験へと開かれていく〈境界=極限〉の言語の在り方として読み解こうとする戦略に貫かれている。しかも、芸術と狂気の問題の系譜を芸術家の成立に遡ってとらえかえし、「作品」と「作品とは別のもの」(=狂気)との一体性との問いが回帰してくる契機を、西欧文化の歴史のパースペクティヴのなかにとらえている。そして、ヘルダーリンのしの言語と神の死の問題を、『狂気の歴史』において示された「狂気の分割」の構図のなかに収めてみせている。」(「編者解説」より)

9 カエルたちの叙事詩 鈴木雅雄訳
 「カエルたちの叙事詩」、「新フランス評論」一一四号、一九六二年六月、1159-1160頁。ジャン=ピエール・ブリッセの『神の学、あるいは創造』(Paris,Charmuel,1900)について。

レーモン・ルーセルの同時代人ブリッセの言語論への評。
「忘却、死、悪魔との闘い、人間の零落といったすべては語のための闘いの一つのエピソードにすぎない。それは神々とカエルたちが、立ち騒ぐ朝の葦の葉むらでかつて繰り広げていた闘いである」(本文より)

10 ルーセルにおける言うことと見ること
 「レットル・ウーヴェルト」第四号、一九六二年夏、38-51ページ。『レーモン・ルーセル』(Paris, Gallimard, coll. 《Le Chemin》,1963)第一章の異文。

1963年出版『レーモン・ルーセル』の第1章の異文で、「単行本所収に際して削除された段落を含み、より詳細な読解を提示している(「編者解説」より)」。日本語訳は、豊崎光一訳で法政大学出版局から出ている。

11 かくも残酷な知 横張誠訳
 「クリティック」誌、一八二号、一九六二年七月、597-611ページ。(C.クレビヨン『心の迷い、気の迷い』〔エティアンブル校訂、解説、パリ、A.コラン社、1961年〕と、J=A・ド〔?〕・レヴェロニ・サン=シール『ボーリスカ、あるいは現代の倒錯』〔パリ、1798年〕について)。

「サドの言説と同時代に出現する一八世紀末の恐怖小説の言説空間についてクレビオンやレヴェロニの作品を論じた」論文。「古典主義時代と「文学」を隔てている言語空間の境界に対する関心」が現れている。

1963
12 人間の夜を見守る者 三浦篤訳
 H=L・スツェッグ編『ロルフ・イタリアーンデルとの旅』所収(J.シャヴィ訳)、ハンブルク、芸術自由アカデミー刊、一九六三年、46-49頁

「一九六〇年のクリスマスに書かれた私信。一九六三年にロルフ・イタリアーンデルの五十歳の誕生日を祝う記念文集の中で公表。フリード(P.G)『ロルフ・イタリアーンデルの世界』(クリスチャン書房、一九七三年)に再録。」

「それなればこそ、昨日の夜パリで貴方がセネガル人たちに話しかけるのを見たとき、おそらく間違っているでしょうが、こういう印象を抱いたのです。貴方は自分を孤立させるものによって人間と結びついていると。結局のところ、孤独な人間のみがいつの日か互いに出会うことができるのです。」(本文より)

13 侵犯への序言 西谷修訳
 「クリティック」誌一九五-一九六号、ジョルジュ・バタイユ特集、一九六三年八-九月、751-765ページ。

「一九六三年のバタイユの追悼号に「クリティック」誌に発表された論文「侵犯への序言」(No.13)は、六〇年代のフーコーにおける〈限界=境界〉および〈侵犯〉の概念を示した中心的な論考である。私たちはそこに、サドやバタイユをとおしてフーコーが、神の死んだ現代世界における〈限界〉および〈侵犯〉の言語の経験として〈性(セクシュアリテ)〉を問題化していく姿をみてとることができる。」(「編者解説」より)

14 言語の無限反復 野崎歓訳
 「テル・ケル」誌第一五号、一九六三年秋、44-53ページ

「サド、恐怖小説、ボルヘスを論じながら、古典的「修辞学」に対置される「バベルの図書館」によって定義される断片化し無限に連なる言語空間の布置に、一八世紀末に出現した厳密な意味での「文学」の言語の場所を見いだしている」(「編者解説」より)

15 夜明けの光を見張って 野崎歓訳
 「新フランス評論」誌、第一三〇号、一九六三年十月、709-716ページ(ロジェ・ラポルト著『夜を徹して』、パリ、ガリマール、「ル・シュマン」叢書、一九六三年刊について)。

「ロジェ・ラポルトの作品のエクリチュールの時を、夜と昼との分割の手前に維持された中間状態にもとめ、非限定の三人称代名詞による発話により宙づりにされた言説空間を論じた「夜明けの光を見張って」(一九六三、No.15)にも、境界=極限の言語空間において成立する文学経験という構図はつらぬかれている」(「編者解説」より)

16 水と狂気 野崎歓訳
 「医学と衛生」誌、第二十一巻六一三号、一九六三年十月二十三日、901-906ページ。

水と狂気の結びつきを軸に、西洋世界における狂気の位置の変化を論じている。
古来、理性は大地、非理性は水と結びつけられて考えられてきた。そのため水は狂気と闘う手段としても用いられてきたのである。狂気の水治療法は17世紀に体系的に確立され、19世紀になっても精神病院で定期的に行われていたが、その間にそれまで心を鎮めるような役割を持ってきた水が、恐慌をきたすための手段へと変化したのだ。フーコーはその新しい役割を、「水は辛いものである」「水は懲らしめる」「水は自白の道具である」「水は狂気に告白を強いる」の4つにまとめた。19世紀半ばまでの狂気に起きた変化をフーコーは「狂気は水に属するものであることをやめて、煙の親類になった」と言い、これを「狂気に関する想像的空間におけるきわめて重要な変化」と述べている。そして「今日、狂気はもはや水に属するものではない。水はしばしば、また別の種類の告白を強いているのである」という文章でこのテクストを終えている。

17 距たり・アスペクト・起源 中野知律訳
 「クリティック」誌、第一九八号、一九六三年十一月号、931-945ページに初出〔後に『テル・ケル理論総括』(スイユ社、一九六八年)に所収〕。
 (J=L・ボードリ、『イマージュ』、スイユ社、一九六三年;M・プレネ、『二分された風景:散文の行線』、スイユ社、一九六三年;Ph・ソレルス、『中間層』、スイユ社、一九六三年;「テル・ケル」誌一-一四号、一九六〇-一九六三年、について論じたもの)

「シミュラークルの言語・記号空間における言語作用の、同形性(イゾモルフィスム)から、ロブ=グリエと「テル=ケル」派の作家たちの作品を論じた「距たり・アスペクト・起源」は、同時代の文学との関係をあかす、代表的な論文である」(「編者解説」より)

18 恐怖の「ヌーヴォー・ロマン」 野崎歓訳
 「フランス=オプセルヴァトゥール」誌、第十四号、七一〇号、一九六三年十二月十二日、14ページ(J=E・アリエ著『若い娘の冒険』、パリ、スイユ社、一九六三年について)。

「この当時まだ「テル=ケル」派の一角を占めていたアリエの前衛的小説を評する」文章。この文章の背景には、「かくも残酷な知」と同じように、フーコーの「古典主義時代と「文学」を隔てている言語空間の境界に関する関心」があった。


UP:20031114 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400fm01.htm
Foucault, Michel  ◇BIBLIO. 

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