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『ミシェル・フーコー思考集成VII 1978 知/身体』


Foucault, Michel 1994 Dits et Ecrits 1954-1988, Edition etablie sous la direction de Daniel Defert et Francois Ewald, Ed. Gallimard, Bibliotheque des sciences humaines, 4 volumes
=20001125 蓮實重彦・渡辺守章 監修/小林康夫・石田英敬・松浦寿輝 編『ミシェル・フーコー思考集成VII 1978 知/身体』,筑摩書房,375p. 5500

作成者:橋口昌治(立命館大学先端総合学術研究科1回生)


目次
1978
219 フーコーによる序文 廣瀬浩司訳
220 十九世紀司法精神医学における「危険人物」という概念の進展 上田和彦訳
221 権力をめぐる対話 菅野賢治訳
222 狂気と社会 M・フーコー+渡辺守章
223 紹介文 鈴木雅雄訳
224 私の好きなウージェーヌ・シュー 渡辺響子訳
225 驚くべき博識 坂本佳子訳
226 アラン・ペイルフィットの釈明……ならびに、ミシェル・フーコーの返答 國分功一郎訳
227 伝統的な政治的枠組み 國分功一郎訳
228 危険、要注意 高塚浩由樹訳
229 近代テクノロジーへの病院の組み込み 小倉孝誠訳
230 性と政治を語る M・フーコー+渡辺守章+根本長兵衛
231 危機に立つ規律社会(記事)
232 政治の分析哲学 M・フーコー+渡辺守章
233 〈性〉と権力 渡辺守章訳
234 哲学の舞台 M・フーコー+渡辺守章
235 世界認識の方法―マルクス主義をどう始末するか M・フーコー+吉本隆明
236 M・フーコーと禅 佐藤清靖訳
237 神秘なる両性具有者 鈴木雅雄訳
238 権力に関する明言―一部の批判に答えて 菅野賢治訳
239 「統治性」 石田英敬訳
240 犯罪者の善用について 高塚浩由樹訳
241 軍は大地の揺れる時に 高桑和巳訳
242 M・フーコー、「権力構造」を分析する哲学者とのコンプレックス抜きの会話 菅野賢治訳
243 シャーは百年遅れている 高桑和巳訳
244 テヘラン−シャーに抗する信仰 高桑和巳訳
245 イラン人たちは何を考えているのか? 高桑和巳訳
246 レモンとミルク 高桑和巳訳
247 鮮烈な驚き 西宮かおり訳
248 素手での反抗 高桑和巳訳
249 反体制派への挑戦 高桑和巳訳
250 理念のルポルタージュ 高桑和巳訳
251 イラン人女性読者へのミシェル・フーコーの回答 高桑和巳訳
252 イランの反抗はカセット・テープ上を走っている 高桑和巳訳
253 反抗の神話的指導者 高桑和巳訳
254 フーコーから「ウニタ」への書簡 西宮かおり訳
255 治安・領土・人口 小林康夫訳
日本語版編者解説(小林康夫)

内容紹介
1978
219 フーコーによる序文 廣瀬浩司訳
 G・カンギレム『正常と病理』(ボストン、D・リーデル、一九七八年、9−20ページ)所収。

「カヴァイエス、コイレ、バシュラール、カンギレムなどの作品の等価物をフランス以外に求めるとするならば、それはおそらくフランクフルト学派のなかに見いだされることだろう。もちろん文体はかなり違うし、研究方法や研究分野も異なる。一方はデカルトの記憶につきまとわれ、他方はルターの亡霊におびやかされてはいるが、最終的にはどちらも同じ種類の問題を提起している。(…)フランスの科学史とドイツの批判理論のどちらにおいても、根底から検討すべきものは理性である。理性は、その構造的な自律性そのものにおいて、独断論と専制主義の歴史をかかえこんでいる。したがって理性が解放の効果を持つことができるのは、おのれ自身から解放されたときだけなのだ。」(本文より)

220 十九世紀司法精神医学における「危険人物」という概念の進展 講演  上田和彦訳
 「十九世紀司法精神医学における「危険人物」という概念について」(「十九世紀司法精神医学における「危険人物」という概念の進展」)、「法・精神医学ジャーナル」、第一巻、一九七八年、1−18ページ。
 トロント「法・精神医学」シンポジウムにおける発表、クラーク精神医学学院、一九七七年十月二十四日―二十六日。

「始めに、先日パリ重罪院にて取りかわされた言葉をいくつか報告したいと思います。一九七五年の二月から六月にかけて起こった五件の婦女暴行と六件の婦女暴行未遂の廉で起訴された一人の男が、裁判にかけられていました。被告人はほとんど無口でした。裁判長が彼に訊きます。
「あなたは自分の事件についてよく考えようとしましたか。」
沈黙
「どうして二十二歳になって、ああした暴力があなたの内で突如生じるのですか。分析の努力を、あなたはする必要があります。あなた自身の鍵を握っているのは、あなたなのです。私に説明しなさい。」
沈黙
「どうして繰り返すことになるのですか。」
沈黙
すると一人の陪審員が発言し、思わず声高に叫びます。「とにかく自分を弁護しなさい。」」(本文より)

221 権力をめぐる対話 菅野賢治訳
 (ロサンゼルスの学生たちとの対談、F・デュラン=ボガルト訳)、S・ウェード編『フーコーのもとで』、ロサンゼルス、サーカブック、一九七八年、4−22ページ。
 一九七五年五月、クレアモントのポモーナ・カレッジ創立者記念ルームでおこなわれた非公式の対談の録音テープを、のちにグラント・キムが活字におこしたもの。「サーカブック」とは、シメオン・ウェードとマイケル・ストーンマンが大学のキャンパス向けに運営していた講義録などの謄写版出版組織である。

「ただ、わたしは爆弾としての書物を書きたいと思う。つまり、誰かがそれを書く、あるいは読む、まさにその瞬間に役に立って、あとは消えてなくなってしまう、そういった書物です。」(本文より)

222 狂気と社会 M・フーコー+渡辺守章
 M・フーコー、渡辺守章『哲学の舞台』、東京、朝日出版社、一九七八年、63−76ページ。
 (一九七〇年十月、東京大学教養学部での講演。『東京大学教学部報』一九七〇年十一月二十日号、1ページ)

「否定的システムの研究」「四つの排除システム」「〈精神疾患〉の誕生」の順で話がまとめられている。

「現代の高度産業社会においても、狂人のあの〈民族学的規定〉は変わらない。しかしそのような古くからの〈排除のシステム〉の上に、資本主義はいくつかの新しい規範を、要求を作り出した。だからこそ現代のわれわれの社会では狂人は〈精神病患者〉という顔立ちを取るに至ったのである。精神病患者とは、ついに発見された狂気の真実の姿ではなく、狂人の民族学的歴史における、本来的に資本主義的な変形にほかならないのだ。」(本文より)

223 紹介文 鈴木雅雄訳
 『エルキュリーヌ・バルバン、通称アレクシーナ・B』(パリ、ガリマール社、「いくつもの平行な人生[=対比列伝]」叢書、一九七八年)の裏表紙の文章。
 『公共衛生年報』から抜粋されたエルキュリーヌ・バルバンの回想録は、性の問題、とりわけ両性具有のそれを扱う医学的=法的アルシーヴのシリーズの第一巻となるべく上梓された。ただしこの叢書は、『エルキュリーヌ・バルバン』以後には一九七七年に『アンリ・ルグランの愛のサークル』を出版するにとどまった。

「すなわちあまりに平行であるがために、もはや何ものも交わることのできないいくつもの人生である。」(本文より)

224 私の好きなウージェーヌ・シュー 渡辺響子訳
 「レ・ヌーヴェル・リテレール」五十六年目、二六一八号、一九七八年一月十二−十九日、3ページ。(E・シューについては、『人民の秘密』、F・ミッテラン序文、パリ、レジーヌ・デフォルジュ社刊、一九七八年)

「フランソワ・ミッテランは、『人民の秘密』に寄せた序文の中で、ウージェーヌ・シューの社会主義者としての真剣さを強調しているが、これは、まったく道理にかなったことである。シューの生涯の終わりが、それを立証している。だが、この文章もまた、証しとなっている。われわれには風変わりな、遠いものと感じられるかもしれない考えが交錯する文章ではあるが、こうした考えは、十九世紀半ばの社会主義的主題の構想過程にあっては、本質的だったのである。」(本文より)

「〔9〕シューは、ルイ・ナポレオンのクーデターとともに亡命し、当時まだサルディニヤ領だったアヌシーで、この作品の一部を執筆。亡命先で一八五七年にこの世を去っている。」(注〔9〕より)

225 驚くべき博識 坂本佳子訳
 「ル・マタン」紙、二七八号、一九七八年一月二十日、25ページ。(P・アリエス『死を前にした人間』、パリ、スイユ社、「歴史の世界」叢書、一九七七年、について)

「アリエスにとって決定的なのは、死後の世界の形而上学(メタフィジック)ではなく、むしろ死そのものの「物理学(フィジック)」なのだ。死をまず集合的儀式の中で手懐け、次にそれを自然の威嚇的な野蛮性に関係づけ、それから愛情や家族的な感情の関係の網の目の中で備給し、結局は医療の対象とし、隠し、孤立させた、そうした戦略こそが、アリエスにとって決定的だったのだ、と、彼によって見出されたここ千年間における五大局面を再び思い起こしつつ、わたしは言いたい。」(本文より)

226 アラン・ペイルフィットの釈明……ならびに、ミシェル・フーコーの返答 國分功一郎訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、六八九号、一九七八年一月二十三−二十九日号、25ページ。
 法務大臣アラン・ペイルフィットは、クラウス・クロワッサンの強制送還に関するM・フーコーの左翼指導者宛て書簡(既出n°214参照)の中でやり玉に挙げられたのを受け、「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌上で、M・フーコー宛て公開書簡の形でこれに答えた。以下はそれに対するフーコーの返答である。

「ご存じの通り、クラウス・クロワッサンの強制送還は、ある不快感を生じさせました。それを感じたのは私だけではありません。この強制送還がかくも多くの否定的な反応を引き起こしたのは、いいことだったと思います。」(本文より)

227 伝統的な政治的枠組み 國分功一郎訳
 『ポリティック・エブド』誌、三〇三号(選挙特集)、一九七八年三月六−十二日号、20ページ。
 五月の国民議会選挙の一週間前、政界では、共産党の共同綱領からの離脱にもかかわらず左派の勝利が予想されていた当時、M・フーコーは、『ポリティック・エブド』誌(親社会党の雑誌)に立場表明を求められた。

「この十五年の間に成し遂げられた仕事の中に何か実りがあったとすれば、それは、我々が自分たちの目を開こうとし、選挙の駆け引きが我々に課してくるところの伝統的な政治的枠組みを消し去ろうとしてきた限りにおいてである。」(本文より)

228 危険、要注意 高塚浩由樹訳
 「リベラシオン」紙、一二八六号、一九七八年三月二十二日付、9ページ。

「結論。もし監獄が危険を産み出すとしたら、そこからの逃亡は正当かつ当然だということになる。いずれにせよそれは不可欠なのだ、もし危険人物になることを自ら望むのでないとしたら。自分のことをわざと追い込んで危険人物にさせようとするような人たちに荷担する者など、誰ひとりとしているはずがない。この場合、脱獄とは義務なのである。」(本文より)

229 近代テクノロジーへの病院の組み込み 小倉孝誠訳
 「中央アメリカ保健科学評論」誌、第十号、一九七八年五−八月、93−104ページ(一九七四年十月、リオ・デ・ジャネイロ国立大学で社会医学講義の一環として行われた講演)。

「いつ人々は病院を治療施設と見なすようになったのでしょうか。病院を、病気に処置をほどこす施設、それ自体として、そしてそれがもたらすひとつひとつの効果によって病人を治療できる施設、と見なすようになったのはいつなのでしょうか。/実際、治療施設としての病院というのは十八世紀末に生まれたものであり、かなり新しい概念にほかなりません。病院は病人を治すための施設になれる、そうなるべきだという考え方は、一七六〇年頃現れたものです。それは、病院を視察し、体系的に比較検討するという新たな実践をつうじて起こったことなのです。」(本文より)

230 性と政治を語る M・フーコー+渡辺守章+根本長兵衛 (渡辺守章と根本長兵衛によるインタヴュー)、「朝日ジャーナル」一九七八年五月十二日号、15−20ページ。
 ミシェル・フーコー氏は一九二六年生まれ。クレルモン=フェラン大学等を経て、一九七〇年以来、コレージュ・ド・フランスの教授である。(かなり長い省略)フーコーはまた、祖述的講壇哲学と化した哲学者という呼称も嫌う。しかし、哲学とは、〈見えるもの〉を見えるようにする作業であり、すでに人々が見、また人々に見えてもいるものについて、自己の〈視線〉を僅かにずらすだけで、今までとは違うようにみえてくる、そういう作業だと語りながら、その意味でなら、自分もまた、すべての専門知において〈視線の移動〉を試みた人々と同じく〈哲学者〉であり、十八世紀において〈フィロゾフ〉と呼ばれたものによほど近いだろう、と述べていたのである。/以下のインタヴューは、フランス語で一時間にわたり行われたものを、渡辺がところによっては要約しつつ、日本語に書き直したものである。

「フランス人にとっては、男性器は文字どおり「男性の象徴(アトリピュ)」であり、男性は自分と自分の性器とを同一視し、自分の性器に対して全く特権的な関係を保っている。(…)ところがあの映画(大島渚監督の『愛のコリーダ』のこと)では、男性器は二人の登場人物の間にあるオブジェであって、二人はそれぞれの形でこのオブジェに対して権利がある。それは、二人にとっての快楽の〈道具〉であって、二人がそれぞれの仕方でこのオブジェから快楽を引き出す以上、結局は、より多くの快楽を得た者のほうが、このオブジェに対してより多くの権利を持つに至る。だからこそ、最後に女は、自分のものに他ならないこの性器を独占してしまい、男のほうはそれを奪われてもよい理屈になる。それは普通の意味での〈去勢〉ではない。男は彼の性器が女に与える快楽と同じ高みにいなかったわけで、彼の性器が彼から切り離されたというよりは、彼が彼の性器から切り離された、といったほうがよいと思う。」(本文より)

231 危機に立つ規律社会(記事)
 「朝日新聞」一九七八年四月十八日号(夕刊)。
 フランスの哲学者ミシェル・フーコー氏が二度目の来日をした。(長い省略)かつての管理社会論をミクロ権力の視点から再構成しようとしているようだ。そのさしあたっての成果が「監獄の誕生」(田村俶訳・新潮社)であり、これまでの氏の著作「言葉と物」「狂気の歴史」「知の考古学」などには潜在的にしか扱われていなかった権力論がそこでは全面展開されている。今度の来日でも各地で「なぜ、監獄か」(二十七日、東京・朝日講堂での講演)などその周辺がテーマにとりあげられているが、京都滞在中のフーコー氏に権力論にしぼって話を聞いた。

「テクニックに興味」「「知」と権力の変化」「なぜ仏政府使節か」の三つの見出しがある。

「−反規律の危機といわれた。今後その危機はどうなるのか、新しい社会の可能性はあるのだろうか。
「ここ四、五世紀、西欧社会の発展は、権力がいかにうまく機能するか、にかかっていると見られてきた。たとえば家庭では、父親の権威が、両親の権威がどう子供の行動を律するか、が重要で、それがこわれたとき社会も崩壊する。いかに個人が服従するか、が重要な課題だった。近年、社会も変わり個人も変わってきた。多様で多彩で自立的になってきた。規律に縛られないタイプの人間がふえ、規律ぬきの社会発展を考えざるをえなくなっている。支配階級には旧態依然たるテクニックがしみついているが、現在の規律社会のあり方を将来、私たちが断ち切らねばならないということは考えられて当然だ」」(本文より)

232 政治の分析哲学―西洋世界における哲学者と権力 M・フーコー+渡辺守章
 「朝日ジャーナル」一九七八年六月二日号(渡辺守章『哲学の舞台』所収。一九七八年四月二十七日、朝日講堂での講演)。

「何故〈権力〉か」「〈反権力〉としての哲学の役割」「〈権力のゲーム〉の分析学」「日常のなかの権力―直接的闘い」「〈革命〉の独占的地位の終焉」「〈牧人=司祭型権力〉の技術」「権力の対象としての〈個人〉」「個人と革命と権力と」という章立てで話が進んでいる。

「近代社会ほど個人に注目をしている社会はないのだ。近代社会ほど個人の配置に関心を抱き、個人を監視、管理、訓練、矯正の仕組みから絶対に逃れられないように取り組んでいく技術の発達した社会はないのだ。兵営、学校、工場、監獄、すべての規律・矯正の大きな仕組みは、個人を捕らえて、個人が何者であり、何ができ、また何に用いたらよいかを知り、どこに配置したらよいかを知るための仕組みなのだ。個人の認識を可能にさせる知の形式として人文諸科学も同じ役割を果たしている。」
「人間の精神的変革が国家の変革の条件なのか結果なのかという古くからの議論についても、そもそも、個人が〈主観性〉〔自己についての自己の意識〕という形で自己と保つ関係は、実は権力の関係ではないのかと問うてみる必要がある。つまりそれは精神=道徳の関係ではなく、政治の関係なのであって、すでに触れたような運動―健康にせよ、狂気にせよ、環境にせよ−によって、これらの日常的な、しばしば取るに足らぬ〈劇の仕組み〉のなかで問題にされているのは、個人というものを政治的に変えることにほかならない。それは国家の変革を待ってなされる類のことではないのだ。」(本文より)

233 〈性〉と権力 渡辺守章訳
 (一九七八年四月二十日東京大学における講演と討論)、「現代思想」一九七八年七月号、58−77ページ。渡辺守章『哲学の舞台』所収。

「なぜ〈性(セクシュアリテ)か―二つの様相〉」「〈性〉についての二つの言説―〈性の科学〉と〈性愛の術〉」「キリスト教と〈抑圧の仮説〉」「ローマ帝国における〈性〉」「〈牧人=司祭権力〉」「キリスト教的人間の成立」「〈牧人=司祭型権力〉と〈主体=主観性〉の成立」「〈肉体の成立〉―個人に対する管理装置」というふうに話が進む。

「ここで問題になるのが、非常に難解なキリスト教的〈肉体(chair)〉の考えであり、現世を拒絶する禁欲主義と、宗教の外にある世俗的社会との間に均衡を保つ役割を果たしてきたものがまさにこれなのです。それは個人を彼らの〈性〉によって管理する権力だった。(…)キリスト教においては、〈肉体〉が切り捨てられるべき絶対の悪と考えられたことはない。そうではなくて、それは、〈主体(subjectivite)〉の内部にあって、個人の内部にあって、個人を一夫一婦制や生殖のための性的快楽の縮小というすでに通用している道徳の限界の外へと導くような、〈誘惑〉の絶えざる源泉と考えられているのです。」(本文より)

234 哲学の舞台 M・フーコー+渡辺守章
 (渡辺守章とのインタヴュー、一九七八年四月二十二日)、「世界」一九七八年七月号、312−332ページ。

「視線・闘い―哲学と演劇」「〈空間〉の歴史学」「言説と身体と権力と」「〈主体〉の解体―ニーチェの徴しの下に」「視座の転換―知識人の役割」というふうにまとめられている。

「西洋世界では、哲学が演劇に関わりをもったことはほとんどない。少なくともプラトンが演劇を断罪して以来そうだったし、哲学と演劇との関係についての問いが、もっとも尖鋭な形で提出されるためには、結局のところニーチェを待たなければならなかった。/事実、西洋哲学の内部で演劇が無視されてきた事情と、視線についての問いを提出するある種のやり方とは、関連づけられねばならないと思います。プラトン以来、そしてデカルト以後その傾向は一層顕著になるのですが、哲学上の最大の問題の一つは、物を見るという事実は何に拠っているのかを知ること、というか、自分の見ているものが真実か幻影か、現実の領域に属しているのか虚偽の領域に属しているのかを知ることだった。現実のものと幻想のものを、真実と虚偽を分割すること、それが哲学の役割だったわけです。/ところで、演劇とは、このような区分を全く知らない何物かです。」
「他方、私は、科学史の専門家カンギレムの弟子であったので、私の問題は、一科学の誕生と発展と組織化を、その内的構造化からではなく、その支えとなった外圧的・歴史的要素から出発して研究する、そういう科学史は不可能だろうかという問いでした。」(本文より)

235 世界認識の方法―マルクス主義をどう始末するか M・フーコー+吉本隆明
 (吉本隆明との対談、一九七八年四月二十五日)、「海」一九七八年七月号、302−328ページ。(『世界認識の方法』、中公文庫、一九八四年、所収)

「ところが今日、われわれの政治的イマジネーションの涸渇ぶりはどうか。その貧困ぶりには全く驚嘆せざるをえません。その意味でわれわれは十八世紀や十九世紀の人びとの対極にいるのです。現在を分析しながら過去を理解しようとするのは何とか可能です。ただ、政治的なイマジネーションという点についてみるかぎり、何とも貧困な世界に生きているのだと認めざるを得ません。そして、この二十世紀の社会的=政治的な場における想像力の貧困なさまが、一体どこからくるのかとその理由をさぐってみると、やはり私にとっては、マルクス主義というものが重要な役を演じているように思えるのです。」(本文よ
り)

236 M・フーコーと禅―禅寺滞在記 佐藤清靖訳
 (クリスチャン・ポラックによる記事)「春秋」一九七八年、第一九七号、1−6ページ。
 コレージュ・ド・フランス教授ミシェル・フーコー氏は、仏政府の文化使節として、去る四月九日から二十九日までの二十日間、日本に滞在した。二度目の来日であった。哲学者として氏はつとに令名高い。今回、氏は日本に対するより深い理解のために、講演よりも対話を多く望んだ。一方、氏の東洋の思想に対する関心はここ数年来高まっており、今回の来日では、実際に仏教寺院、とりわけ禅宗寺院に滞在することを望んだ。(…)

「西欧とは、世界のある特定の地域であり、世界史上のある特定の時期にあるものです。ただそれは、近代世界の特徴をなす普遍的カテゴリーを想像するという特性をもったものではあります。西欧とは普遍の誕生の場です。」(本文より)

237 神秘なる両性具有者 鈴木雅雄訳
 (E・グイッチャルディとの対話。C・ラッツェリ訳)、「ラ・スタンパ」紙、別冊文学覧、四年次第三〇号、一九七八年八月五日、5ページ。この対話は記者によって要約されたものなので、ミシェル・フーコーの発言であることが明示されているごくわずかな部分のみ収録する。

「エルキュリーヌ・バルバンの物語の中で私がもっとも惹かれたのは、この事例には真の性別が存在していないという点です。あらゆる個人は一つの決まった性別に属さねばならないという概念が医師や法学者によって定式化されるのは、ほとんど十八世紀のことにすぎません。しかし実際のところ、各人が一つの真の性別をもっているなどと主張できるものでしょうか。」(本文より)

238 権力に関する明言―一部の批判に答えて−一部の批判に答えて 菅野賢治訳
 (P・パスクィノとの対談、一九七八年二月、C・ラッゼーリ訳)、「アウト−アウト」誌、第一六七−一六八号、一九七八年九−十二月号、3−11ページ。 一九七八年二月に行われたこの対談は、共産党系の哲学者マッシーモ・カッチャーリが、同じ「アウト−アウト」誌に掲載した論評(「ドゥルーズとフーコーにおける政治的なるものの合理性と非合理性」、「アウト−アウト」誌、第一六一号、一九七七年九−十二月号)に答えるかたちとなっているが、内容的に単なる反論の枠にとどまるものでは必ずしもなく、また、途中カッチャーリが名指しされているわけでもない。(…)

「要するに、連中はわたしがやっていることを理解している。しかし、わたしが言っていることは理解していない。」(本文より)

239 「統治性」 石田英敬訳
 「ラ・ゴベルナメンタリータ」(「統治性」、コレージュ・ド・フランス講義、一九七七−一九七八年度。『治安、領土、人口』、第四回講義、一九七八年二月一日)、「アウト−アウト」紙、一六七−一六八号、九月−十二月、一九七八年、12−29ページ。

「No.239で言われているように、「国家は複合的な現実、神話化された抽象性にすぎず、その重要性は人が思っているよりはるかに限定されたもの」だということが示されようとしていたのだ。ちょうど『言葉と物』の末尾で「人間」という人間科学にとってのキー概念の消滅が予告されていたように、フーコーは、国家という作業概念は、フーコーが『言葉と物』における人間科学における言説と表象に対して行ったアルケオロジックな分析とパラレルであるような、しかし社会の組織全体を対象とする広大なスケールの分析に着手していたことをうかがわせる、後期フーコー思想の重要な鍵のひとつなのである。」(「編者解説」より)

「換言すれば、統治の技法は、人口の問題系が現れるまでは、家族のモデルからしか考えることができず、家族の経営という意味での家政=経済(エコノミー)から出発してしか考えることができなかったのです。反対に、人口が家族には絶対還元不可能なものとして現れてくるや、家族は人口に対して後景へと退くことになる。(…)家族が、モデルのレヴェルから道具類のレヴェルへと移行するというこの移動は、極めて根本的な意味をもつものです。そしてじっさい、十八世紀の半ば以降、家族は、人口との関係における、この道具としての配置において現れるのです。死亡率についてのキャンペーン、結婚やワクチン接種や種痘に関するキャンペーンがそれを示している。人口が統治の技法の閉塞打開を可能にしたのは、それが家族のモデルを排除したからなのです。」(本文より)

240 犯罪者の善用について 高塚浩由樹訳
 「ル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、七二二号、一九七八年九月十一日付、40−42ページ。ジル・ペロー著『赤いセーター』(パリ、ラムゼ社、一九七八年刊)に関して。

「逆説的な事実だ。つまり、今日、死刑のもっとも堅固な根拠となっているものの一つが、犯罪ではなく犯人を裁くという、現代的で人道的で科学的な原則である。しかるに、その原則は、様々な事実を確認することに比べたら、経済的には安上がりで、知的には簡単で、判事や世論にとっては喜ばしく、賢明な人々の目には合理的に見え、「人間を理解する」ということに夢中な人々には満足感を与えてくれるものなのだ。まさにそんなふうにして、安易で習慣的な、半ば眠りこけているかのような仕草によって、ある朝、二十二歳の「犯人」は真っ二つにされてしまったのだが、彼の犯罪はまだ立証されていなかったのである。」(本文より)

241 軍は大地の揺れる時に 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二二八号、一九七八年九月二十八日、1−2ページ。
 イラン革命に関するフーコーのルポルタージュがここから始まる。一九七八年五月にイタリアの出版社リッツォーリ−一九六三年に『狂気の歴史』の翻訳を出している−が大日刊紙「コッリエレ・デッラ・セーラ」の株主となり、視点の簡単な提示という形での定期的な協力をフーコーに要請した。フーコーは、理念の出来事が生まれ死ぬ現場での報告をする知識人リポーター団を構成することを提案した。これについてはn°250を参照のこと。(…)(またp.282に「イラン事件の推移」という説明が付いている)

「テヘラン−イランの中央に拡がる二つの塩の砂漠の果てで、大地が揺れたばかりだ。タバスと四十の村が灰燼に帰した。」(本文より)

242 M・フーコー、「権力構造」を分析する哲学者とのコンプレックス抜きの会話 菅野賢治訳
 (J・バウアーとの対談、A・ギッツァルディ訳)、「プレイメン」誌、第十二年十号、一九七八年十月、21−23、26、29−30ページ。
 二度の翻訳を経たためか(J・バウアーはアメリカの哲学者である)、この対談には、フーコーの分析スタイルとはおよそ相容れない諸概念の援用が目立つ。さらにイタリア語のテクストには、パリのサン=タンヌ病院をサン=タンジュウ・ド・モルニー病院と記すなど、数々の単純な誤謬が含まれていた。

「はじめ精神医学を専攻しようと思い、パリのサン=タンヌ病院に三年間勤めました。当時、わたしは二十五歳、非常に熱しやすい、いわゆる観念論者で、丈夫が取り柄の脳味噌に大仰な思想を山ほど詰め込んで暮らしていました。すでに当時からそうだったのです!その頃、一人の男と知り合いました。かりにロジェと呼んでおきますが、二十二歳の被収容者でした。彼は激しい苦痛をともなう発作に頻繁に見舞われ、その際、自分で自分を傷つけてしまうのではないか、自己破滅に走ってしまうのではないかと家族や友人らが心配し、結局、病院に送り込まれることになったのです。(…)次第に彼の精神状態は悪化し、そして、とうとう医師たちは結論を下しました。早急に何らかの処置をほどこさないかぎり、彼はみずからの命を絶つであろう、と。こうして、家族の同意のもと、前頭葉白質切截手術が行われました。」(本文より)

243 シャーは百年遅れている 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二三〇号、一九七八年十月一日、1ページ。
 フーコーの付した題は「近代化の自重」(Le poids mort de modernisation)だった。この記事はペルシア語に翻訳され、十月末の始業の際、テヘラン大学の壁に学生たちによって貼り出された。

「一切の「近代化」が巨大な窃取を可能にしている。農地改革による利益は、オムラーン銀行のおかげで、シャーとその家族の手の内に入った。テヘランの開発地域は戦利品のように山分けされた。/ほんの一握りの受益者の一族が、経済発展と征服者の権利とを混同している。外国企業が政府に残した石油収入のすべてを政府が手にしているということ、そのようにして政府は「自分」の警察、「自分」の軍を自分で養い、途方もない実りのある契約を西洋人たちと交わすことができるということ、こうしたことを付け加えれば、イランの民衆がパフラヴィー朝を占領体制と見なしているということは、火を見るより明らかである。この体制は、イランを今世紀の初めから隷属させてきた植民地体制と同一の形式をもち、同一の年齢をもっている。」(本文より)

244 テヘラン−シャーに抗する信仰 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二三七号、一九七八年十月八日、11ページ。
 フーコーの提案した題は「エマームを待望して」(Dans l'attente de l'Imam)だった(これはシーア派の伝統の第十二代エマームのこと)。(…)

「日常生活を、家族の結びつきを、社会関係を、数世紀にわたってあれほど心をこめて定めてきたイスラーム以外のどこに防備を求めればよいのか、それ以外のどこにありのままの自分たちを再び見出せばよいのか?」(本文より)

245 イラン人たちは何を考えているのか? 高桑和巳訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、第七二七号、一九七八年十月十六−二十二日、48−49ページ。
 この記事は、フランスで発表された唯一のイラン関連のルポルタージュであり、「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙の以下の「預言者への回帰?」を、n°241から一節を、n°244から二節を借用して増補したものである。

「「あなたは何を欲しているのですか?」イラン滞在の間、私は「革命」という言葉が口にされるのを一度も聞かなかった。五回のうち四回までは「イスラームの統治」という回答だった。これは驚くことではなかった。」(本文より)

246 レモンとミルク 高桑和巳訳
 「ル・モンド」紙、第一〇四九〇号、一九七八年十月二十一−二十二日、14ページ(フィリップ・ブーシェ『司法ゲットー』[一九七八年]への書評)。
 当時「ル・モンド」紙の記者だったフィリップ・ブーシェは、結成されて日の浅い司法官労働組合の歴史とその目指すところに特に注意を寄せていた。

「十八世紀や十九世紀が希望できたこととは反対に、法権利という建築物は、それと同時に秩序の機械仕掛けであることはできない。法と秩序(Law and Order)。これは単にアメリカの保守主義の標語であるのではない。交雑によって産まれた怪物である。人権のために闘っている人々はこのことをよくわかっている。そのことを忘れている者たちに、フィリップ・ブーシェは憶い出させてくれるだろう。ミルクかレモンか、と言うように、法か秩序か、と言わなければならない。この両立不可能性から、未来のための教訓を引き出すのは我々である。」(本文より)

247 鮮烈な驚き 西宮かおり訳
 (J・シャヴィ訳)、「シュピーゲル」誌、三二年度、第四四号、一九七八年十月三十日、264ページ。

「〈パリ−ベルリン〉展を観て、一九一〇年代から三〇年代にかけてのドイツの作家たちを読み、わたしは、二十世紀というものが、その思想、その問題、その独自の文化形態をもって、現実に存在しているのだと気づかされました。わたしにとって、この展覧会はまさに、二十世紀の証拠なのです。」(本文より)

248 素手での反抗 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第103巻第二六一号、一九七八年十一月五日、1−2ページ。

「問題なのは、長らく主権者に否と言ってきた、主権者をついに武装解除したこの裸の集団的な意志がこれからどのような形を取るのかということである。問題は、万人の意志がいつどのようにして政治に場を譲り渡すのか、ということだ。これは、あらゆる革命の実践的問題であり、あらゆる政治哲学の理論的問題である。白状するが、我々西洋人は、イラン人たちにこの点で助言をするには悪い位置にいる。」(本文より)

249 反体制派への挑戦 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二六二号、一九七八年十一月七日、1−2ページ。
 フーコーはこれとは違う題を二つ提案していた。「秩序には危険がある」(L'ordre a des dangers)と「テヘランの週末」(Le week-end de Teheran)である。この週末というのは、十一月四日の土曜日と五日の日曜日のことである。この間、学生たちは、パフラヴィー朝や西洋を象徴するあらゆるものを壊し燃やした。

「ある朝、ある将校が、シャーを前にして譲歩する用意のないらしい宗教運動と契約を結ぶことを夢見るということもあるかもしれない。シャーが戦車の後ろに隠れているにしてもである。あらゆる政治的反体制派を吸収した宗教運動は、軍の一見した統一性を破砕し、その分派の一つと同盟を結ぶということがあるかもしれない。秩序にはそうした危険がある。」(本文より)

250 理念のルポルタージュ 高桑和巳訳
 (クリスティアン・ラッツェリ訳)、「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二六七号、一九七八年十一月十二日、1ページ。
 この記事は、アラン・フィンケルクロートによるアメリカ合衆国についてのルポルタージュの前に置かれ、「理念のルポルタージュ」の企図全体を提示している。(…)

「それは世界を導く理念ではない。だが、まさに世界が理念をもっているからこそ(そして多くの理念を絶えず産み出しているからこそ)、世界は、世界を指導する者たちや世界にこれを限りと教えを与えようと欲する者たちによって受動的に導かれるものではない。」(本文より)

251 イラン人女性読者へのミシェル・フーコーの回答 高桑和巳訳
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌、第七三一号、一九七八年十一月十三―十九日、26ページ。
 「ヌーヴェル・オプセルヴァトゥール」誌はその第七三〇号に、パリ在住のイラン人女性読者の手紙を掲載した。彼女は、フーコーが−「イラン人たちは何を考えているのか?」(n°245を参照のこと)で−今日「脆弱なものとなっている金権主義的な残忍な独裁に尊大に取って代わろうとしている『ムスリムの精神性』に感動しているようだ」と非難していた。

「政治力としてのイスラームの問題は現代の、またこれから数年の、本質的な一問題である。いささかなりと知性をもってこの問題に取りかかるための第一条件は、はじめから憎悪をもってこないことである。」(本文より)

252 イランの反抗はカセット・テープ上を走っている 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二七三号、一九七八年十一月十九日、1−2ページ。
 この記事はフーコーの二回目のイラン滞在中に執筆された。国際ジャーナリストたちがアーバーダーンに赴いていた。彼らは、組織された労働者階級を探し求めていた。その労働者階級は、西洋がその解決を期待ないし懸念している軍の後に、決定を下すかもしれないものとされていた。

「ド・ゴールがアルジェの武装蜂起に抵抗できたのは、トランジスタ・ラジオのおかげらしい。シャーが失脚するのは、部分的にはカセットのおかげということになろう。カセットは、対抗情報の優れた道具である。」(本文より)

253 反抗の神話的指導者 高桑和巳訳
 「コッリエレ・デッラ・セーラ」紙、第一〇三巻第二七九号、一九七八年十一月二十六日、1−2ページ。
 フーコーの提案していた題は「イランの狂気」(La folie de l'Iran)だった。

「これは、文字どおりの意味では革命ではない。あれは、立ち上がり、再び立ち向かうやり方なのだ、と。これは、我々皆に、ただしとりわけ彼らに、あの精油所の労働者、諸帝国の果ての国の住人にのしかかっている恐るべき重み、全世界の重みを取り除けたいと思う、素手の人々の蜂起なのだ。/これはおそらく、惑星規模の諸体系に対してなされたはじめての大蜂起であり、反抗の最も近代的な、また最も狂った形式だろう。」(本文より)

254 フーコーから「ウニタ」への書簡 西宮かおり訳
 A・ギッザールディ訳、「ウニタ」紙、五五年度第二八五号、一九七八年十二月一日、1ページ。
 (文頭に背景を説明する文章が掲載されているが、長すぎるので省略する)

「「エスプレッソ」は一九七八年十一月十九日号で、イタリア共産党の知識人とわたしとのあいだの論争を演出した。演出?いや、こう言うべきかもしれない、捏造した、と。」(本文より)

255 治安・領土・人口 小林康夫訳
 『コレージュ・ド・フランス年鑑』第78年度、「思考システムの歴史」講座、一九七七−一九七八年度、一九七八年刊、445−449ページ。

「ゼミナールにおいては、十八世紀のドイツにおいて「警察学(Polizeiwissenshaft)」と呼ばれていたもののいくつかの位相を明らかにすることが中心となった。それは、「国家の権力を強め、増大させるようにし、それらの力をうまく用いて、その臣民の幸福を供与する」すべてのもの、主には、「社会秩序と規律の維持、臣民に快適な生活とかれらが生存のために必要とする事物を供給する諸規則の制定」についての理論と分析の学である。」


UP:20031114 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9400fm07.htm
Foucault, Michel  ◇BIBLIO. 

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