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The Rights of Minority Cultures
Kymlica, Will ed. 1995 Oxford University Press


http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0198781016/ref=lib_rd_ss_TC01/103-4988279-8213434?v=glance&s=books&vi=reader&img=4#reader-li

00:The Rights of Minority Cultures Kymlica, Will
 佐藤奈奈 2003/09/28
03:National Self - Determination Avishai Margalit and Joseph Raz
 小川浩史 2003/09/23
05:Individual Rights against Group Rights  Nathan Glazer
 野田桃子
08:Native Rights as Collective Rights:A Question of Group Self-Preservation
 佐藤奈奈
12:Self-Determination versus Pre-Determination of Ethnic Minorities in Power Sharing Systems  Arend Lijphart
 青木洋子
13:Democracy and Defference:Some Problems for Feminist Theory  Anne Philips
 北本潮
14:The Rushdie Affair:Research Agenda for Political Philosophy  Bhikhu Parekh
 青木洋子
15:The Capacity of International Law to Advance Ethnic or Nationality Rights Claims S. James Anaya
 野田桃子
16:Aliens and Citizens:The Case for Open Borders:Joseph  H. Carens
 北本潮

 
 
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序章The Rights of Minority Cultures
WILL KYMLICKA
訳:佐藤奈奈

 多くの人々が、冷戦の終わりがより平和な世界を導くであろうことを望んでいた。資本主義と共産主義間のイデオロギー戦争の代わりに、民族と国民グループ間の紛争の急激な盛り上がりがとってかわった。世界中のあちらこちらで、少数者と多数者は言語権、連邦主義と地域自治、政治的な代表、宗教の自由、教育カリキュラム、土地請求、移住と帰化政策のような問題や、国歌の選択や公共の休暇のような国の象徴に関してでさえ激突する。
 このような議論を解決することは、おそらく、今日の民主主義に正面から向かう、非常な挑戦になるだろう。東ヨーロッパと第三世界では、自由で民主主義的な施設を作る企てが、暴力的で国粋主義的な紛争によって徐々に基盤が崩されている。西洋では、移民者の、先住民の、そして他の文化的少数者の権利に関する爆発しやすい論争が、何十年もの間政治的な生活を統治している、という前提の多くに問いを投げかけている。冷戦が終わってから、民族文化紛争は、世界の政治的な暴力の最も共通の原因となっていて、それらがおさまる気配はない。
 このような紛争は、社会学者と政治科学者によって集中的に研究されてきた。しかし、つい最近まで、それらのほとんどは、ほとんど全く西洋の政治理論家によって無視されてきた。アングロアメリカンの世界は、1970年代と1980年代に規範的な政治思想家のたいへん有名な「復活」を目撃したにもかかわらず、―正義、自由、権利、共同体、そして民主主義についての新しい重要な理論も含まれる―少数者の文化によって起こる問題の類は、めったにこのような議論には入らない。
 これは、驚くべきことである。なぜならば、このような紛争は、私たちの最も基本的な政治的原則のいくつかについて、難しい問いを提起しているからだ。例えば、今日では多くの人々が、民主主義の理想に同意する。−ということは、多くの人々が、特別な共同体によって統治される政治的な権威が、断続的な選挙を通して、市民に対して責任をもつべきである、という考えを受け入れている。しかし、それ自身では、特別な共同体の境界がどこに描かれるべきかを私たちに語らない。それは、政治の力が、政府の異なる段階(地方自治、地方、連邦、国際)の間でどのように分配するべきかをも語らない。
 けれども、これらの問いは、まさしく、文化民族紛争の論争の中で、しばしば提起される質問の類である。少数者が境界を描きなおすことを求める、または、より「自決的」になるように権利を再分配することを求めるなどのように。グループにとっての民主主義の価値は、このような問いがどのように答えられるのか、ということによって、劇的に異なるかもしれない。けれども、民主主義に関する現代のほとんどの理論家は、このような問いに直接取り組むよりはむしろ、政治的な共同体の境界と力はすでに固定している、ということをまったく当然のことだと思っている。
 関連する問いは、移民に関することである。民主主義の理論は、市民の政治的な権利の特有の用語で、典型的に表現される。しかしこれは、それ自身では、誰が市民になることを許されるべきか、ということを私たちに語らない。ある国は、ほとんど移民を受け入れない。そして移民に市民権を得ることを許す前に、文化的な融合の高いレベルを要求する。他の国々は、より開かれた移民と帰化の政策をもっている。このような政策は、民族紛争の別の原因でもある。このような問題は、政治思想家によって無視されてきた。なぜならば、政治的な共同体のメンバーは、自由で民主主義的な理論の範囲内で解決されたものとして、典型的に取り上げられるからである。
 または、言語政策を考えてみよう。自由主義の理論家は、個人的な自由の促進の中で公共の教育の役割について論じる。しかし、どの言語が公共教育として提供されるべきなのだろうか?どの言語が公判廷で使われるべきで、または、いつ公共のサービスは提供されるべきか?これらの諸権利と機会が誰かの自由を促進する程度は、少なくとも、ある程度、それらが彼女自身の言語に役立てられるかどうかによる。同様に、理論家は、共同体の自覚を奨励する中で、共有の政治的協議の役割について論争する。しかし、どの言語でこのような協議が行われるべきなのか?共有の政治的協議は、多言語社会において可能なのだろうか。
 言語の問題は、ほぼ間違いなく個人の自由と政治的な共同体の両方の中心をなす。そして、言語政策についての問いは、世界の多くの場所で起きている民族文化紛争の核心である。けれども、現代の理論家は、このような質問をなげかけたとしても、めったに答えない。Brian Weinsteinが注目したように、政治的な理論家は「政治の言語」について多くを語る。−それは、象徴、比喩、そして政治思想の伝達の修辞法を用いた道具−しかし、「言語の政治」について実質的には語らない。−それは、政治、法律、そして教育の形式においてどの言語を使うのかの決定。
 要約すれば、政治的理論家が単純に避ける、しばしば問いの核心である民族文化紛争は、政治共同体の境界から、言語権、移住と帰化の政策まで、まったく無視される。受け入れの原則がない中で、このような紛争は、しばしば残酷な力の論拠によって決められる。−つまり、多数者が、少数者文化の切望を制圧する力をもつかどうか、または、少数者が現状を転覆させる力と政治的な譲歩を、力ずくで得る力をもてるかどうか。このような紛争に対する公正かつ公平な解決になるかもしれない何かについて、ほとんど、意見がない。
 けれども、ここ数年、民族文化の運動として起こってきた問題の多くは、政治理論の最前部となってきている。ひとつには、人々は、このような紛争に光明を投じる政治理論だと期待をよせ、また、道徳的に正当と認められ、それらが政治的に実行可能な解決案であると考えるように、私たちを助ける。しかし、このような問題は、いくつかの基本的な概念と、政治的な理論の原則に光明を投じることができる、という認識もある。このような問題について考えることは、私たちの、自由、公正、民主主義、そして正義の伝統的な理解が、民族または、国の文化的な構造について述べられていない前提、多民族、または、多国籍国家の文脈の中では不適切になるかもしれない前提を理解することを助ける。
 この論文集は、規範的な問題を調べる、政治的で法的な理論家による、最も重要な現代の17論文を寄せ集める。私は、このような論文を集める中で、より一般的な倫理コース、または応用倫理では取り上げられることが、ありそうにもないテーマを選ぶようにした。たとえば、メタ倫理のレベルで、実質的には、道徳的な哲学のあらゆる学部学生の読み手が、道徳的な相対主義の項を付け加える。同様に、ほとんどの応用倫理のテクストは、人種的少数者、または女性のためのアファーマティブ・アクションの節を含む。これらのテーマは、この読み手によって相当数の論文で提起されているけれども、もっとも重要な焦点は、少数者の文化により特定である問題と、文化的差異の適合の問題である。このような17本の論文は、少数者文化の権利における文学の急速な広がりのほんの一部分を描写している。本の終わりにある「さらに高級な読み手へ」は、より包括的な書籍解題を提供する。
 もし、文化的な差異の適合に焦点をあてるならば、私は、最小限の忍耐の水準と良い意志が一つの国の中のさまざまなグループの間に存在していることを当然のことだと思う。いうまでもなく、世界の多くの地域で、少数者グループはひどい差別、迫害、虐殺や「民族浄化」に直面し、それだから、伝統的な自由民主主義理論の根拠による最小限の基本的な市民的、政治的な権利のために戦う。このようなグループにとって、ここに提起された問題の種類−言語権、地方自治、またはグループの代表−は、ユートピアの理想に思えるかもしれない。
 しかし、民族文化の紛争は、基本的な個人の権利を尊重することを確実にすることによって、単純に解決されるということが、ますます明確になってきている。西洋のいたるところで少数者グループは、彼らの文化的な差異の今までより大きな評価と適合を探している。彼らは、もし彼らの切望が、存在する国家に満たされることがない、と考えた場合には、脱退することも求めるかもしれない。もちろん、それぞれの民族文化紛争は、それ自身特別な歴史をもっている。その歴史は、入り組んだ道徳的な原則について、一般化する企てを難しくしている。しかし、このような議論が繰り返し起こってくる多民族国家の中の正義、自由の意味に関して、いくつかの基本的な問いがあり、それが、この本で提出される問題である。
 この論文集は、5つの一般的な問題に編成されている:西洋政治の伝統の中における少数者文化;文化的構成員の性質と価値;文化多元論の枠組みと模範;個人権と集団権の間の関係;少数者グループの政治的な代表。この論文集は、このような一般的な主題を説明するのを助ける−すなわち、国際法、宗教的、移住、そして脱退に関する論争、4つの明確な論争について議論するセクションで終わるだろう。

1、 西洋政治理論における少数者文化

民族グループの権利に関する研究のなかで草分け的なものの一人は、Vernon Van Dykeで、彼の1977年の論文は、いまだに、政治的な理論のために起こった、少数者文化のある種の挑戦の有用な概略を提供する。Dykeが示すように、少数者文化の無視は新しい現象ではなくて、西洋政治習慣のなかで深く根づいている。
 Dykeは、特に自由の習慣に焦点をあてる。そして政治理論の重要な問題は、個人と国家の間の適切な関係であると仮定する。彼は、伝統的な自由への接近の無慈悲な個人主義が、国家自身の形成または、政治的な境界線を引くことを含む、政治生活の中に内在する固有の共同体の特徴のいくつかを、説明することを不可能にしていると論じる。このような問いに答えるために、Dykeは、自由主義が典型的に、しかし暗黙のうちにするように、グループに編入される個人の習慣についての前提を導入することを提案する。それがゆえ、自由主義理論家は、しばしば市民、彼ら自身が、異なるグループを構成し、共通の言語を共有し、一緒に住みたいということを共通して要求し、そしてこの共同体は、いくつかの「社会契約」のある形式を通じて、国家のなかにそれ自身が編成されることを、当然のことだと思っている。
 Dykeが気づいているように、問題は、多くの国々で、二つかそれ以上の民族文化共同体が、ひとつの国家の中で共同生活をしていることである。近年の見積もりによると、世界の184の独立国家は、600以上の生きた言語グループ、そして5000の民族グループをもつ。ほとんどの国で、同じ言語を共有していることで、または同じ民族国家グループに所属していることで、市民だと言うことはできない。なぜならば、自由主義は、政治生命を基礎におくグループを避けるからである。集団権の理論を伴う自由主義によってのみ矯正することができる、少数者文化によって苦しめられる不公平には、気がつかない、とDykeは論じる、
 Dykeは、自由主義習慣の欠点は、個人と国家の間でどんなグループの身分にもあてはめることができない個人主義であると論じる。けれども、Ephraim Nimniが注目する論文として、私たちは、マルクス主義の伝統の中にとても似通った模範を見つける。実際、マルクス主義は、どちらかといえば、少数者文化の要求に無関心であるか、反感をもっていた。マルクスとエンゲルスは、独立のための「ヨーロッパの大なる国家の再分割」の権利を受け入れており、そしてそれがゆえ、フランス、イタリア、ポーランド、そしてドイツの統合を;そして、イギリス、ハンガリー、スペイン、そしてロシアの独立をサポートした。しかし、彼らは、チェコ、クロアチア、バスク、ウェールズ、ブルガリア、ルーマニア、そして、スロヴェニアのような、より小さな「諸国民」がこのような権利をもつという考えを退けた。このようなより小さな「諸国民」は、言語権または、民族の自治になるかもしれない、いかなるマイノリティ権利の利益も持たずに、「大きな国家」のひとつに同化されることが期待された。少数者権利に対する社会主義者の敵意は、しばしば、「国際主義」への参加という観点から説明された。マルクスが「共産党宣言」において、語った有名な言葉は、無産階級は国籍をもたない−彼らは世界の労働者だからだ。マルクス主義はしばしば、世界の市民となる過程における一時の踊り場として、文化または国家の分裂を見る。
 自由主義の個人主義と社会主義の国際主義は、両方とも少数者文化の権利を否定する方向へ導くように見える。けれどもどちらの場合も、この否定は、より小さな文化の自民族中心主義を軽視することによって、そして進歩は、彼らを大きな文化の中に同化することを必要とするという信頼によって悪化する。J.S.ミルとエンゲルスから、以下に引用する文を比較してみよう。

 経験は、ひとつの国民が合併し、別のものに吸収されることが可能であることを証明する:そしてもっとも劣った、そして人種のより遅れた部分だったとき、吸収は、大変好都合なことになる。誰も、高く文明化され、洗練された人々の感覚と考えの最新の流れの中に、−フランス国民の一員となること、フランス市民の全ての特権が公平な条件の下に認められる、、、世界の一般的な動きの中で参加や興味をもたずに、彼自身の石の上で、過去の半分未開の遺跡、彼自身の小さな精神軌道中の循環の中ですねていることよりは、−導かれて行くということが、French・Narraveのブレトンやバスクにより利益にならないということを、想像することはできない。同様な見解が、イギリス国家の一員としてのウェールズとスコットランドハイランド人についても当てはまる。
 ヨーロッパの中で、どこかのすみに、または別のすみに、一握りの人々、後に歴史的発展のための重要な動力になる国家による束縛の中に所有され、制圧された以前の集団の残りを持たない国などない。このような国々の遺跡は、情け容赦なく歴史の通過によって踏みつけられる、ヘーゲルが説明するように、この民族のがらくたはいつも、反革命の狂信的なありふれた使者となる。そして彼らが完全に根絶するまで、または彼らの民族的特長をなくすまでは、そのままの状態である。ただ、彼らのすべての一般的な存在は、大いなる歴史革命に対する抵抗である。スコットランドにおけるゲ―ル人のように、フランスにおけるブレトン人のように、スペインにおけるバスク人のように。

 19世紀における、自由主義とマルクス主義の双方とも、彼らの高い中央集権化された政治と経済構造をともなう偉大な国々は、歴史的発展の動力であった。より小さな民族は逆行して、流れない。そして彼らの民族的な特徴を捨てることによってのみ近代性の中に参加することができる。そして偉大な国民に同化していく。少数者言語の維持を企てることは、誤った方向へ導く、ドイツ語がボヘミアのチェコ人のための「自由の言語」であり、同様にフランス語が、ブレトン人に対して自由の言語である、そして英語がカナダ人のケベック人にとって自由の言語であるように。
 このような見方は、19世紀にとても広がった。実際、Hobsbawmは次のようなことを要求する。ミルやマルクスを、それを捕らえて批判することは、「まったく時代錯誤である」と。なぜならば、このことは、事実上19世紀における、右派も左派も、すべての理論家によって共有されていたことだからだ。この見解は、ヨーロッパ諸国の中で少数者を同化することを、正当化し、提供するだけではなく、海を越えて他の人々を植民化することの正当性をも提供した。
 歴史的な発展の概念、他の何ものでもない、少数者権利に対抗する伝統的な自由主義とマルクス主義が形成された。それがゆえ、自由な「個人主義」の、または、社会主義者の「国際主義」の観点から、この抵抗を説明することは、誤解を招きやすいように思われる。代わりに自民族中心主義的な国粋主義のより騒々しい形式を反映する。ミルとマルクスは、個人と国民の間にいる、すべての組織のアイデンティティを否定しなかった。むしろ、彼らは、特にある種のグループ−「偉大な国民」−に特権を与えた。そして小さな文化を軽視した。彼らは、人々の文化的なアイデンティティやグループの忠誠に無頓着であることを表明しなかった。むしろ、彼らは、進歩と文明は、「遅れた」少数者を「精力的な」マジョリティに同化するのに不可欠であると主張した。
 この仮定は、−19世紀、そして20世紀初頭に少数文化の議論のもっとも中心にあった−徐々にすてられた。チェコがドイツの中に同化することを除いて、現代世界の中に参加することができなかったという主張は、間違っていたことを証明している。フランドル人、ケベック人、そしてバスク人もまた、同化に抵抗することに成功した。そして、今、活気にみちた現代の社会を形成する。しかし、19世紀の見解の影響は、私たちとともに、とどまり、無意識のうちにどのくらい多くの人々が少数者権利に答えるのかということに影響を与え続けると私は信じる。西洋政治の伝統は、少数者文化の要求を無視する、または、軽視してきたとするならば、今日の理論家はますます、私たちが再びこのような問題群を調査し、いわば、始めからやり直す必要性を認めている。このコレクションにおいて小論文群とともにあることは、この方向への一歩として位置付けることができる。

2.文化的な構成員

 少数者権利の問題を考え直す中で、最初の仕事は、文化的なグループの性質、そしてこのようなグループに属することの価値観を明確に理解することである。人々が生きる中でこのようなグループが、どのような役割を演じるのか。そして、このようなグループが同化や他の不安定な形の主体となったならば、どのように人々は影響されるのか。
 Avishai MargalitとJoseph Razは、「浸透する文化」の中における構成員は、二つの理由により、人々の幸福にとって重要あると議論する。最初の理由は、文化成員が、考えられる限りの文化が決定する境界との親交関係という意味で、どのように彼らの人生を導くかについての意味のある選択を人々に与える。それがゆえ、もし、文化が腐敗する、あるいは、「成員に開かれる選択と機会」が差別待遇をされるならば、魅力が減っていき、そして彼らの遂行は、より成功しそうにない。
 もちろん、腐っていく文化の成員は、別の文化と統合することもできるが、これは難しいことで、MargalitとRazは、実際にとても遅い過程をへるからということだけでなく、人々の個人のアイデンティティにおける文化的な成員の役割のためでもあると、論じる。文化的な成員は、私たちの自己アイデンティティを形作る結果、どのように他者が認識して私たちに反応するのか、ということに影響を与える、という意味において、「高い社会のプロフィール」を持っている。さらに、文化的アイデンティティは、特に、「同一化の最も重要な焦点」として役立てることに、ふさわしい。なぜならば、功績ではない所有物に基づいているからだ:

 同一化はより安全で、脅迫となる法的責任が少ない。もし、それが業績によらないならば。業績は、彼ら自身の資格の意味で、人々のなかで役割を演じるけれども、私たちの最も基本的なレベルでの私たち自身のアイデンティティの意味は、それらの業績よりも、所有物の基準による。そのレベルにおける安全な同一化は、特にある人の幸福に重要である。

 それがゆえ、文化的アイデンティティは「人々の自己同一化のための錨」を提供し、簡単で安全な所有の安全性を提供する。しかし、このことは今度は、人々の自尊心が、彼らの国民的グループが握っている評価と、尊重することと硬く結び付けられていることを意味する。もし、文化が一般的に尊重されなければ、成員の尊厳と自尊心は、脅かされるだろう。
 Jeremy Waldronは、このような批判を退ける。そして、少数者権利の擁護者は、私たちの特別な文化的グループに依存することを誇張すると主張する。彼は、彼が「全世界的な代替」と呼ぶものを擁護する。この観点から、人々は、成員というどんな感覚も持たずに、または、特別な文化に頼ることなく、「多様な民族文化的源泉からくる文化的な断片」を選び取ることができる。現代社会においては、人々は、「文化の万華鏡」に住んでおり、無数の文化的伝統の産物の間を自由に動いている。それぞれの人々の人生が、文化的なかけらの混合物−例えば、イヌイット・アート、中国料理、ドイツ民俗学、そしてユダヤ−キリスト教宗教などを含む−に編入している。
 実際、Waldronは、本当に異なる文化のようなものがあるのかどうか、と問う。貿易のグローバリゼーション、人間の移動性の増加、そして国際研究所の発展、そしてコミュニケイションは、どこで一つの文化が始まり、別の文化が、終わったと言うことを不可能にした。彼は論じる。異なる文化を損ねずに守るたった一つの方法は、一般的な人間の催しの行動から、人工的に切りとってしまうことだろう。Waldronが言うように、特に文化の「確実性」または「高潔」を守るたった一つの方法は、すべての確実でない人生の道を採用することであろう。−圧倒的な文化的相互交流と世界的な相互依存の現実性を否定する意見。
 Waldronは、自己の「地域社会」概念を批判している彼自身を取り上げる。それは、特別な文化に埋め込まれるような人々を眺める、対照的に自己のより自由主義的な概念は、個人の能力を問い、受け継いだ人生の改定を強調する。そして多くの注釈者が少数者権利の擁護者は、自由主義個人主義の地域社会批判を支持しているようだ、と仮定する。
 いま、RazとMargalitが彼ら自身を自由主義として見ていて、Waldronの人間の自由の重要性への参加を共有していることに注目することは興味深い。実際、彼らの見解は、彼らが最初に思ったほど遠く隔たっていないかもしれない。私たちの選択と自己アイデンティティは、私たちの民族的な血統によって決められる、という考え方の、最初の対象としてワルドンを読むことは可能である。例えば、彼は、中国料理を食べ、彼の子供にグリム童話を読み、イタリアオペラを聞いているケベック人は、「文化の万華鏡」に住んでいる。なぜならば、このような文化の実践は、ことなる民族グループから始まっているからだと提案する。
 一方、RazとMargalitは、文化は、共有の言語と共有する歴史というようなものの見地から定義するべきで、このようなことは、新しい考えの編入を排除しない。そして、世界のほかの部分から実践する、と論じる。この見解は、ケベック人が、彼らの異なる言語と歴史という理由によって、北アメリカの異なる文化を作る。あるケベック人がいま、中国料理を食べ、イタリアのオペラを聴くということは、彼らが異なった文化をやめるということを意味しない、という事実がある。単純にそれは、彼らが所属する「包括するグループ」は、開かれていて、多元的なものであり、それは、他の文化に価値があることを見つけた場合はなんでも借りて、それを私たちの実践に融和するか、そして彼らの子供にそれを伝える。
 Waldronは、この文化の相互交換の経過は、もし、私たちが、少数者文化の「真実性」が少数者権利によって守られるべきだ、という原則を受け入れたならば、劇的に妨げられるだろう、ということを心配する。しかし、少数者権利の擁護者は、めったに、彼らの「高潔な」文化を探そうとしない。もしそれが、他の人々や文化から学ぶことは不可能な、彼らの祖先が何世紀も前にしていたのと同じやり方で住んでいるということを意味するならば。ケベック人やフランドル人がほしいものは何か、例えば、文化的に異なるグループとしての彼らの存在を守ること−いつも、もちろん、彼らの文化を適合させ、変形させるが、彼らのグループ人生を完全に断念し、他の大きな社会に同化させる力に抗する。要約すれば、このような少数者の文化は、世界主義的になることを望んでおり、Waldron自身の、人々が彼ら自身の言語や文化的共同体のどのような深い絆を持つことも否定する「世界主義的な選択肢」を受け入れることを除いた、文化的な相互変容には喜んで応じるとWaldronは強調する。

3.文化多元主義の形

 理論家が、文化的アイデンティティの重要性について争っている間に、今日、ほんのわずかの人が、少数者文化と言語は「鉄の冷酷」さで鎮圧されるべきだ、というエンゲルスの見解を支持した。文化的なアイデンティティは、少なくとも、ある程度まで、自由で民主主義社会においては、許容し、順応するべきである、ということに広い賛同がある。
 しかし、文化的なアイデンティティに順応するとは、何を意味するのだろうか。NathanGlazerとMichael Walzerの双方が、二つの広い形、または、民族文化的多様性に順応するためのモデルを区別する。あるモデルは、「差別のない原理」に依る。この見解によると、文化的アイデンティティは、公共の政策によって擁護されるべきでもなく、罰せられるべきでもない。それ以上に、文化的なアイデンティティの表現と永続は、個人的な範囲にとどめるべきである。
 Walzerが注目するように、実際、宗教的少数者の範囲内で実施されるこのモデルは、自由主義国家のなかで扱われている。16世紀に、ヨーロッパの国々は、カソリックとプロテスタントの間の紛争によって分裂していたが、宗教はそれぞれの国土を支配するべきだとされていた。このような紛争は、特別に宗教少数者に特別な権利を与えることなく、しかし、教会と国を分けることによって、そしてそれぞれの個人に、自由と宗教をしっかり与えることによって、とうとう、解決された。宗教少数者は、「間接的」に、崇拝の個人的な自由を保証することによって、守られた。それがゆえ、人々は、自由に他の共存する宗教者と、国家の差別や、不満の恐れを気にせずに、交際した。
 差別のないモデルは、同様に、民族文化的な原理にまで拡張する。宗教のような民族的アイデンティティは、人々が、個人の人生において、表現することを自由にするべきだが、国家にとっての関心事ではない。国家は、彼らの特別な文化的な愛着を表現する人々の自由に反対しない。しかし、このような表現を育てることもしない。−それ以上に、Glazerが他で、それについて述べているように、国家は、「有益な無視」で答えるだろう。民族や国家グループの成員は、差別と偏見に対して守られている。そして彼らは、他の者の権利と矛盾しない、彼らの民族遺産、または、彼らの望むアイデンティティの部分は何でも、維持しようとすることは自由である。しかし、彼らの努力は、単に個人的で、法的なアイデンティティ、民族的成員の法的無力、民族的アイデンティティを付与することは、公共機関の役目ではない。
 対照的に、二番目のモデルは、民族的なアイデンティティを守ること、または、促進することを狙っている公共の方策も含む。このような方策は、言語権や、地域自治、土地要求、保証された代表、拒否権、などを含む。Walzerはこれを、「組合」モデルと呼び、グレイザーは、それを「グループ権」モデルと呼んだ。このモデルは、政府が特別なグループを同定し、おそらく、このようなグループに個人を分配し、誰がこのようなグループ権を与えるべきか、ということを決めることを要求する。
 「差別をしない」と「集団権」の間の違いは、ひとつには、文学でよく知られている。しかし、この違いは、しばしば、現実的に描くことが難しい。Walzerによれば、差別を・しないモデルは、「国家と民族共同体の鋭利な分離」を含んでいる。国家はとりわけ、国におけるさまざまな民族と国家グループの上に立っている、「それらの生活方法を支持、または擁護すること、または、彼らの社会再生における活発な関心を獲得することを拒むこと」。代わりに、国家は、このようなグループの「言語、歴史、文学、暦」に関して中立である。彼は、このような中立の明らかな例はUSAだという。
 しかし、USAは、例えば、言語や歴史や暦に関して中立なのだろうか。英語は、USAの学校、裁判の進行や、そして福利機関の公共の言語である。政府の法律制定や調整は、英語で印刷される。USAへの移住者は、市民権を得る前に、英語を習うことや、国の歴史について何か学ぶことが必須である。USAの子供たちは、さらに、法的に英語とアメリカの歴史を学ぶことが必須である。それぞれの国は、政府言語、学校のカリキュラム、そして帰化の政策に関するこのような決定をさせなければならない。彼らはさらに、西洋の国々(含むアメリカ)では、例外なくキリスト教の暦と一致する公共の休みを決定しなければならない。(例えば、学校や政府の事務所は日曜日、イースター、クリスマスのような休日に閉まる)。
 Walzerが「中立国」と呼ぶものは、基本的には、少数者の言語、歴史、文化、暦を支持する「集団権」のシステムとして見ることができる。政府の政策は、体系的に全員に英語を学ぶこと、そして、英語言語慣習に参加することと結びつく生活選択を見ることをけしかける。これが、少数者グループは、多数者文化の中で、差別されないという意味において、「差別のない」システムである。しかし、文化的アイデンティティとの関係で、それは中立ではない。
 対照的に、Glazerが「集団権」と呼ぶモデルは、実際、「差別をしない」のより頑固な形として見ることができる。結局のところ、アメリカのスペイン語話者、または、カナダのフランス語話者が言語権を求めたとき、彼らは、英語話者と一致しない、特別な「言語権」のような類のものを要求しているのではない。彼らは単純に、多数者によって当然のことと思われている類の権利を要求しているのである。
 GlazerとWalzerは、少数者権利を支持する可能な衝撃、民族紛争の高い可能性を含む、について、多くの重要な心配を挙げる。Glazerによれば、差別のないモデルは、政府が、共通の言語、共通の歴史、政治的な制度に基づく、一つの国民文化の中に、本質的に異なるグループを統一させることを企てるたびに、適切である。一方、集団権モデルは、もし、社会が「グループの連合、グループの成員が中心で永続的である、そして、このようなグループアイデンティティは共通の市民権によって、やがておきかえられ、弱められる、非現実的または、不公平なものであるグループの間における分割」の仮定の上に作動するならば、適切であろう。
 それだから、Glazerの見解によると、「差別しない」と集団権の間には、本当に共通の民族文化をつくるか、ひとつの国家に、二つか、それ以上の民族文化の永続的な存在を受け入れるのかの選択になる。Glazerは、アメリカは、目的として、前者をしっかりと採用し、そして、実際、多くの異なった人種や宗教をもつ人々を共通の文化に融和することに大きく成功した、と主張する。けれども、世界の多くの場所でこの融和の類は、ありえない。そして少数者グループは、「グループの連合」としてより大きな国をみることに固執する。
 この違いは何を表しているのか? Walzerによれば、差別のないモデルがなぜアメリカでうまく行くのか、ということの鍵となる理由は、民族少数者は、生まれつきの統合の動力にもかかわらず、「移住者」グループである。移住者は、彼らの本来の文化を離れるという痛い選択をする。そして、彼らの決定が成功するかどうかは、この新しい社会の主流に融和するかどうかによるということを知る。Walzerは、これを「新世界」多元主義と呼んだ。そこでは、民族的多様性が、個人の自発的な決定や、それらを根絶し、別の社会に賛同する家族から起こる。
 これは、Walzerが論じる、少数者文化が領土的に集中している、彼らの歴史的な母国に落ち着いている・「旧世界」多元主義とはとても異なる。このようなグループは、彼ら自身を少数者の位置に見出し、彼らが彼らの故国から根絶しているという理由からではなくて、故国が、より大きな国の境界の中に併合したからという理由によってである。この併合は、通常、非自発的なもの、征服の結果、植民地化、または、ある帝国の力から別のものへ領土が割譲された、ことに起因する。このような状況下で、少数者は、めったに差別のない、そしてその結果起こる融和に満足しない。何が彼らの望みかというと、それは、「国家の解放」であるとWalzerは言う。−彼らの異なる文化の発展を続けることを確実にするための、集団的な自己政府のいくつかの形である。
 もちろん、Walzerが注目するように、新しい世界には、移住者ではなくて、実際、古い世界??にあう少数者グループがいる。たとえば、北アメリカの先住民は、植民地化、または征服された。そして彼らの故国が不本意ながら、より大きな国家に併合する。ケベック人とプエルトルコ人は、さらに不本意ながらカナダやアメリカの中にそれぞれに併合された。そしてこのようなグループは、実際、Walzerの仮定を裏付ける。なぜならば、彼らは強く融和に抗し、そして、北アメリカの中で民族主義の動きを起こした唯一のグループである。
 このことは、流行の用語である「多文化主義」の中の重要な多義性を指摘する。この用語はしばしば、民族の多様性のすべての形を含んでいたことがあるが、Walzerが示すように個人と家族の自発的な移住によって作られた多様性の?と、分割や自己統治というような彼らの地位を、あきらめたくはなく、不本意ながら、完全な文化に併合されることによって作られた民族の多様性の間には、重大な違いがある。私たちが後に見るように、いくつかの移住者グループは、彼ら自身の「集団権」の類の確実性のために、彼らの要求を掲げる。そして差別のないモデルに不満を抱く。(次の「論争」を見よ)。しかし、彼らは一般的に、主流社会の支配的な制度の中における彼らの民族的特質のより多くの許容範囲をみとめてもらうために、融和という用語との再交渉を捜している。彼らは、完全に融和を否定していないし、「旧世界」の民族グループと結び付けて自己統治の類を捜している。
 それだから、この二つのモデルは、典型的にグループのことなる類と結びつく。−移住者と併合した文化−二つの異なった目的の類−融和と自己統治。Iris Marion Young、彼女の論文では、彼女が差異の「関係」理論とよぶ、別の選択を表現することを企てる。Youngによれば、多民族国家の論争は、あまりにしばしば二つの極端な−同化(彼女が自由主義個人主義と結び付ける)と分離主義(彼女が外国人嫌いの民族主義と結び付ける)が交互に現れる。前者は、文化的な差異の現実性と彼らの政治的な表現の必要性を否定する;後者は、文化的な異なりを「他者」のように排他的に定義する。分離主義は、彼ら自身を単に異なっているというだけでなく、他の文化の成員を完全に相容れない、そして、まさっているものとして定義する。この避けられない結果は、とにかく脱退を、または、グループ間の意味のある併合と交換の排除を奨励する。
 Youngの「関係」差異の記述は、グループ間の好意的な相互依存、そしてより流動的な促進、境界を通過することが可能な概念だけれども、文化的な差異の現実性に適応させる企てである。解決の一部で、彼女は、「異質公共性」を作るように論じる。−ひとつには、グループとしてグループを一緒に運んでくること、そして、グループの差異の表現を奨励すること、しかし、共通の制度と大きな政治的秩序に共通して参加すること。彼女はそれから、二つの事例研究を説明する。−以前のユーゴスラビアの分裂、そこでは、国家主義的な分離主義が、どんな相互の併合の可能性もだめにした。マオリは、ニュージーランドで「半文化主義」を要求した。これを彼女は、不完全ではあるとしても、期待できそうなものとし、「関係」の文化的な多様性の概念を例示する。
 多くの文化的多様性のモデルとほぼ同じくらいに、多民族国家がある。それぞれ、このような国は民族的な多様性にそれ自身独特な答えを発展させ、そして近年の研究では、多くの成功した興味深い例や特別な政策や制度の失敗の例を提供する。ある程度、近年の少数者権の理論的見解は、まだ、世界中の少数者権利を含む政治的な実験の豊富な多様性に同化しようとしている。Youngが正しく主張するように、私たちは、国家がどのように構成されるべきか、というときに、あらかじめ想定された信念、または、同化か分離かの二分を過度に簡略化する中に閉じこもるべきではない。

4.個人権と集団権

 DykeとGlazerは、少数者権を「グループ権」または、「集団権」として説明する。多くの人々にとって、「グループ権」の考えは、いずれも、不思議で心をかき乱す。なぜならば、グループは、どのように彼らの個人の権利に結局は縮小可能ではない権利を得ることができるのか。そしてもし、グループが権利をもったとして、これらの権利は、本来、個人権と対立するのではないだろうか。
 Darlene Johnstonの論文では、近年のグループの権利の分析を、「グループ」の用語の定義をどのように行っているのか、そしてこのようなグループはどのような意味で権利をもつのかを、概説する。彼女は次のことに注目している。グループ権の多くの評価は、グループの適切な種類が「本来的」または、「不本意」であり、その人々は、典型的にそれらの中に生まれる。さらに、このようなグループは、重要な相互依存の「多次元」関係、承認と義務によって一緒に結びつけられる。
 それだから、「グループ」は、人生を共有する人がいなくて、Kで始まる名前をもっている人々のような、そして、自発的な組合や契約上の組合、気晴らしのグループやビジネス会社のような人々の、人工的な、または無作為の類の双方から区別されなければならない。ジョンストンによれば、かつて、私たちが幸福の水準として承認したものは、彼らが所属するグループと結びついている。それだから、私たちは、明確なグループ権の広がりを、個人権として還元可能なものではなく、自己保存を含むものとして、認めるべきである。彼女はそれだから、この理論を、カナダの先住民インディアンの例に適応させて、個人保護としての集団権は、彼らの土地要求に重要な支持を与える、と論じる。
 Michael Hartneyは、グループ権に対して、より批判的な観点を提供する。彼は、グループまたは共同体における成員は、しばしば、個人として偉大な価値であることを認めるが、この要求は、グループが権利をもつべきだということを、それ自身は、示さないということを主張する。彼は、集団権について話し合う中で、可能性のある混乱の数、「権利」の異なる意味(たとえば、法的対道徳権に対する)、そして「集団」の異なる意味(たとえば、集団の権利は行使させられる、または、集団の利益を求める訓練をさせられる)を含むことを指摘する。しかし、このようなすべての例について、彼は論じる。特定の権利に対する道徳的な正義は、個々の個人としての価値のうえにある。そして、それだから、グループの中で権利が「本来」であるとすることは、間違いである。さらに、グループ権について語ることは危険である。Hartneyによれば、私たちは、集団権の名の下に個人の権利を制限しているということは、現実の状況をあいまいにする。私たちは、他のものをこえて、いくつかの個人的な利益に優先権を与えている。
 JohnstonとHartneyの双方は、それゆえに、個人と共同体の優先権(道徳、存在論、発達)に関する良く知られた問いをあげる。けれども、Hartneyはついでに、ここに二つの重要な異なる例があることに、注目する。いくつかの例は、少数者文化が、それをより多くの住民の経済または、政治的な決定から守るために、より大きな社会に対して支配的な権利であることである。他の例は、少数者文化が彼ら自身の成員に抗して、個人の意見の相違に抗して、伝統的な生活を守るために、支配的な権利を要求する。
 このようなものは両方とも、しばしば、グループ権や集団権として説明されるが、それらは、全く異なる問題を起こす。前者は、グループ間の関係だと考えられて、その要求は、少数者と多数者の間の正義を、多数者の決定が少数者の弱さを低減させる集団権を必要とする。後者は、グループとその成員との間の関係だと考えられていて、その要求は、伝統的な生活を変える、または退ける、個人成員の自由を制限する明白な「集団権」を認める文化的な自己保護である。この二つの要求を避けるためには、私たちは、前者を「永久的な保護」と呼び、そして後者を、「内部の制限」と呼ぶことができるだろう。
 このような二つの要求は同時に進行するが、そうである必要はない。例えば、Chandran Kukathasは、彼らの成員の自由に多くの内部的な制限を課す少数者文化の権利を擁護する。成員は、一つの不可欠な自由−外に出る権利を保つかぎり。彼は、不正義を招くかもしれない可能性を認める。−例えば、グループは、女性に対する教育や経済の可能性を拒むかもしれない、または、性的な傾向、または宗教的な信頼に基づく差別を行うかもしれない−。しかし、彼の外に出る権利は、このような不正義の危険性を減らし、自由主義的平等主義の規定と一致する、少数者文化を彼ら自身で再組織することを強いるどんな企ても、耐えられないものになるだろうと考える。
 しかし、Kukathasは、少数者がより大きな社会に対して、外的な保護を提供するための特別な力と手段を持つという見解にも懐疑的である。このような永久的な権利を提供することは、何が自然に流れるのか、グループの境界を定期的に変えるのか、ということを人工的に調整し、そして、それぞれのグループの中の力関係の性質も変えるだろうと彼は論じる。
 この論文でLeslie Greenは、Kukathasに対して本質的に反対の位置にあるものを擁護する。彼は、少数者文化は、しばしば、良い文化成員を促進していくために、外的な保護の正当な要求をもつことを受け入れる。しかし、彼は、まったく同じ理由によって、少数者文化の外的な保護に賛成する議論はさらに、グループ内部の、反対する成員に対して、内的な抵抗に対する論争である、と彼は主張する。(彼が内的なマイノリティと呼ぶ)。少数者文化はただ、多数者文化に同化されることを強いられることから守られるべきなのか、それだから、内的な副組織は、伝統的な規範や組織の実践に従うべきなのか。Kukathasにとっては対照的に、Greenは、外へでる権利がこのような不正義な扱いを許すという見解を、明確に拒否する。
 KukathasとGreenの双方が、彼ら自身を自由主義者として見ていることに注目することは、興味深い。そして、実際、この論争を特徴づけるたった一つの道は、自由主義理論の中で、何が基本的な価値なのかの理由を説明する二つの両立しない言葉の中にある。ある人々にとっては、基本的な自由の価値は、自治であり、それだから、自由主義の国は、すべての市民が、伝統的な文化の行為を改定する権利と、問う権利とを含む良い生活についての情報を知った上で決定をすることを必要とする方策と自由をもつことを保証するべきなのだ。
 実際、自治か寛容かと言うことについての同時代の自由主義の生きた論争が、自由主義理論の中で高慢になることがある。この対照は、異なる方法で説明される。−例えば、「教化」と「改良」自由主義、または、「包括的な」そして「政治的な」自由主義の間、または、「カント哲学者」と「口頭の」自由主義。このようなすべての対照の裏に、同じような考えがある。−つまり、個人の自治を評価しない、そして彼らの成員の問う能力を制限して、伝統的な行為に反対する、自由主義的な国家の境界の中に多くのグループがいる。
 しかし、自由主義理論を忍耐の上に置くことは、個人の選択の自由についての伝統的な自由主義の利益を捨てることである。それは、実際に不満足で抑圧的になるであろう、伝統的役割を少数者の文化の中にいる個人や副グループに強要する脅威がある。
それだから、KukathasとGreenの間の論争は、より一般的な自由主義的政治哲学の中で、重要な論争の具体的な例を供給する。

5.少数者文化と民主主義理論

 少数者文化の最も共通する要求の一つは、政治的な過程の中でのより大きな代表である。いくつかの例は、主流の政党政治が、政党の候補者やリーダーになることから、少数者グループの成員が居住する境界を縮小することによって、より多くのものを詰め込むようにするという単純な要求。(例えば、推薦キャンペーンの費用の公共の基金、または、アイデンティティを助けるためにそれぞれの政党が調査委員を設立する。そして少数者から潜在的な候補者を推薦する)
 しかし、少数者は、政治的な過程のなかで代表者の確かなレベルを保証するべきだという考え方に対する関心をさらに増加させている。Arend Lijphartは、政治的な代表に基づくグループのよりよく知られた形成の一つについて論じる。−つまり、連合。連合民主主義のたくらみ、または、「力の共有」の下で、それぞれのグループは、それだから、「見事な連合」、政治と官僚的な過程および、その他の範囲の中で調和の程度と同様に、内閣の中で場所を保証される。さらに、少数者グループは、彼らの決定的な利益に影響する確かで基礎的な問題に関して拒否権を持つ。
 Lijphartは、このシステムは、政治的な意思決定の中で、基本的な公正を保証することを助けるという。そして、多数者圧制の制度の中で退化的になることから、民主主義を守ると論じる。しかし、連合に伴うある危険、または、他のグループの代表の形成は、誰かが何が妥当なグループなのかを決めることを、そして誰がどのグループに所属するのかを承認することである。いくつかの例の中で、これは、比較的議論の対象にならない。しかし、他の例の中では、それは、多分、大きな紛争の原因や、巧みな操作の原因になるかもしれない。Lijphartは、人々が、白人支配の一般的なシステムの一部として、公的に人工的な民族と人種的な種分けを設ける、南アフリカのアパルトヘイトの例を論じる。この危険性を避けるために、Lijphartは、連合の代替的な形、グループは自由にばらばらな政治政党を組織でき、比例した代表のシステムの基礎に基づいて選ばれるであろうことについて、論争する。これは、グループの自己同一化を強制的に課すよりも、合意と確実な利益をともなう少数者表象の利益を結合させると彼は論じる。
 Lijphartは、グループの「あらかじめの決定」を含む伝統的な連合模範とは、対照的に、「自己決定」の形として、この代替案を説明する。リイファルトが注目するように、この「自己決定」の使用は、民族的な少数者が、独立国家を通じて、または、領土的な自治のほかの形成を通じて、より大きな自己統治の考えを探す、「民族的な自己決定」のよく知られた考えとはまったく異なる。民族的な自己統治の支配は、脱退や連邦の地方分権を通じて、民族的な少数者を覆う、より大きな国家の力を減じる欲求を反映する。民族的な自己決定は中央議会から、力を奪うことを含み、民族的な少数者によって支配された、いくつかの、ほかの機関に力をあたえることを含む。対照的に「自己決定」として、Lijphartが言及していることは、中央議会の中でより大きな影響をもつ自己同一化したグループを生じさせることを含む。中央議会の中で、民族的な少数者が、中央議会から離れ、分離して、彼ら自身を統治する力を与えられるよりもっと、少数者に力をあたえる
 Anne Phillipは、フェミニストの観点から似たような問題にについて論議する。彼女は、現代のフェミニスト理論は、自由主義理論の「抽象的な個人主義」によって決定的に拒絶されたことに注目する。自由主義理論は、人々が彼らの身体の体現と社会的な環境によって方向づけられる深い(そして深く異なった)方法を無視、または退ける。このことが 民族や人種的な少数者ばかりでなく、女性と他の障害グループも、社会グループの適切な代表の必要性を主張するために、Iris Marion Youngのような、多くのフェミニストを導く。しかし、PhillipやLijphartのような人は、このようなグループがどのようにして定義されるのか、そして、グループの代表が、グループアイデンティティの「凍結」または「終結」を奨励し、他のグループの関心や社会の共通の良さを考慮する、より広い観点を採用することから人々を妨げる、ということについて懸念する。
 さらに、Phillipは、さまざまなグループの成員のための州議会の中で、確かな数の議席を保証する、分譲システムを基礎にしたグループの中での責任について、重要な問いを起こす。このようなグループの成員に州議会の責任をもつ仕組みはない。彼らは、おそらく、代表者として、グループの成員が実際に欲しいものを決める道はない。Phillipがそう言うように、「責任はいつも代表のもう一つの側にある。そして、他のグループが何を求め、何を考えているのか、知る方法がない中で、私たちは、有益に政治的な代表について有益な話をすることはできない」
 現代のグループ代表のための提案について懐疑的に表現する一方で、Phillipは、それにもかかわらず、少数者グループの代表不足は、もし、政治的な決定が公正ならば、そして民主主義的な方法が適正であるならば、焦点をあてなければない深刻な問題であると主張する。

6.論争

 最後の論文は、いくつかの広いテーマと他の論文の中で論争される視点を例証することを助ける少数者文化の権利についての、4つの明確な論争について議論する。James Anayaは、人権の国際宣言を含む、国際法のなかでの少数者権利をゆるぎないものにする、最近の企てについて論じる。彼が注目するように、特に、第二次世界大戦以降の、国際法の存在は、差別のないモデルに重要な基礎を置いていた。(上述した、「文化多元主義の形成」を見よ)。実質的な少数者権利の国際法の中で、自己統治の権利のようなものには、比較的小さな認識しかない。
 国際連盟の計画による「少数者保護」の下で、少数者権利がいくつかの国際認定を受けたことに注目することは、興味深い。けれども、この計画は、彼らのマイノリティ権利に対して支配を増大させた、チェコスロバキアやポーランドの中で、ドイツ人少数者を奨励した、ナチによって、とてもひどく悪用された。チェコやポーランド政府がこのような支配を受け入れない、または、快く承諾しなかった時に、ナチは、これを侵攻の言い訳にした。結果として、国連が全世界の人権宣言を採用し、民族や国民の少数者の権利へのすべての言及は、削除された。「人権」への新しい強調は、−そして、特に、差別のない重要性−少数者の紛争を解決するという希望があった。直接的に弱点があるマイノリティイを保護する以上に、指名されたグループの成員への特別な権利を通して、文化的マイノリティは、グループの成員のすべての個人に関係なく、基礎的な市民と政治的な権利の保証によって、非直接的に守られるだろう。
 けれども、存在する人権基準は、文化的少数者と関係のあるもっとも重要で論争されている問題のいくつかを絶対に解決できない、ということがだんだんと明確になってきた。発言の自由への権利は、何がふさわしい適切な言語政策なのか、ということを言わない;投票する権利は、どのように政治的な境界が描かれるべきか、または、力がどのように政府のレベルの間で分配されるべきか、ということを私たちに言わない;移動する権利は、何が適切な移住なのか、そして帰化政策なのかを言わない。このような問いは、それぞれの国家内で、多数者の意思決定の普通の過程にまかされてきた。この結果は、多数者の手によって、重大な不正義を、攻撃されやすい文化的な少数者に与えている。そして、民族文化紛争を悪化させている。
 結果として、少数者権利に伝統的な人権の原則を補う中で、国際的レベルで、関心が増している。例えば、安全保障会議やEU協力は、1991年に国家的マイノリティの権利を採択した。そして1993年に国家的マイノリティのための高等委員を設立した。国連は、国家や民族、宗教や言語マイノリティ(1993)そして、国際先住権宣言の草案(1988)の双方について議論している。EU評議は、1992年にマイノリティ言語の宣言を採択した。(地域の、または、マイノリティのための、ヨーロピアン憲章)
 しかし、Anayaが論じるように、国際法の中にマイノリティの権利を組み入れる、この計画には重大な障害がある。多くのマイノリティ要求は、歴史的な主権の要求と結びついている。例えば、多くの先住民は、彼らが不本意に、より大きな国家に組み入れられたと批判する。そして彼らの自己統治の歴史的な権利は、今、回復されるべきであると主張する。そして、国際法にとってこのような論争を受け入れることは、難しくもあり、潜在的に政治が不安定化する。なぜならば、実質的には、それぞれの国の起源が、実質的にはそれぞれの政治的な境界が、戦いや、他の不正義によって、堕落させられるからである。
 他のマイノリティの要求は、文化的なアイデンティティが、基本的な人権の一つであるべきだという考えの上にある。しかし、この考えは、グループの成員からの独立した権利として人権を見る、西洋政治的な理論にとって不可欠な個人主義を否定する、とアンニャは論じる。さらに、自己統治への要求は、国家主権の伝統的な概念に意義を申したてる。それが故、アンニャは、民族、そして国家的マイノリティが国際法から、近い将来多くのサポートを得るだろうということは、起こりそうにない、という結論を下す。
 Bhikhu Parekhは、近年最も有名な、マイノリティイ文化に関連している議論は何か、ということを論じる。−つまりイギリス(そしてどこか他のところ)に住むムスリムによる要求、サルマンラシュディの「悪魔の詩」の禁止。そして、イランにおけるイスラムの支配者によってラシュディに課された、彼らのFETWA(死刑)への答え。おそらく、他のどの出来事以上に、この例であっただろう。それは、西洋人に「多文化主義」の本質について注意深く考えるように導き、そして、マイノリティ文化の要求の広がりが、自由民主的な体制の中に適応させるべき、またはさせることができる範囲について注意深く考えさせる。
 Fetwaは、ほとんど例外なく、多くのムスリムのグループを含む、西洋において責められた。けれども、ラシュディの本は、かなり多くのムスリムにとって、冒涜的で不快なものであることがわかり、そして、多民族社会の本質について重要な問題を提起したとパルケは論じる。パルケンは、特に4つの問題を提起する:(1)移住者の融和は、一方通行の過程なのかどうか、そこでは移住者が、受け入れ社会の基準と習慣を受け入れ、学ぶことを期待されている。または、適応の相互方向過程は、受け入れ社会のどの成員がさらに、移住者の基準や習慣を尊敬し、学ぶのか;(2)西洋民主主義が、彼らの宗教グループの扱いの中で本当に「中立」であるか、または、キリスト教信仰の内面的、または外面的特権があるのかどうか、−例えば、公共の休暇を選ぶときに、または、公共の象徴や法律;(3)法律が、一般的に、個人を守るだけの名誉毀損に対して、さまざまな中傷の形や、うらむ発言からグループを守ることまで広げるかどうか;(4)道徳を基礎とする話す自由の伝統的な説明は、話し手の利益に、焦点をあてすぎないようにする。そして、いくらかの費用と聞く人に向けられるかもしれない害を避ける。
 Parekhは、次のようなことを提案する。ラシュディの事件がひいたあとも、このような4つの問題は、移住の結果として、より多民族で多人種になる西洋諸国で重要性を増すだろう。移住者のグループが、もしまれに、合体した文化によって、同様な国家的な自己統治の類を得ることを求めていなかったとしても、だからといって、彼らが必ず、伝統的な差別のないモデルに満足するわけではない。
 多民族や多国民国家の中で生じる多くの論争や、紛争を仮定すると、ある人々は、多国民帝国主義や越境する移住の増加以前、早い時期におそらく存在していた、文化的に同質の政治的な単位の類への郷愁を表現する。実際、民族的に同質の政治体はいつも、人間の歴史における軍事的な紛争と長距離貿易の双方がいたるところに存在する約束事である。
 けれども、多民族国家が基準である間、国家が、民族的な多様性を制限、または、減少することを企てることができる。一つの明らかな手法は、第二次世界大戦後のチェコスロバキアから民族ドイツを追放したことや、1970年にウガンダからアジア人を追放したような、追放(または、民族浄化)を強いることである。このことは、堅く、国際人権教義によって禁じられている。それは、以前のユーゴスラビアでの最近の出来事が見せたように、いまだに生じるけれども。
 しかし、人権に違反する必要のない、民族文化の多様性を制限する、少なくとも二つの手法がある。まず、領土的にマイノリティが集まっている国は、脱退を許し、奨励することができる−以前のチェコスロバキアのように−。それだから、ひとつの多国籍国家は、それぞれが文化的同質の高い程度をもっている、二つの国家になる。二番目に、多かれ少なかれ文化的に同質の国−アイスランドのように−は、移住者に境界を閉じることによって、同質を維持しようとすることができる。コレクションの中の最後の二つの論文は、脱退の道徳と移住の限界に焦点をあてる。
 Allen Buchananは、次のように論じる。マイノリティ文化が集まった領土が、法的に、脱退する権利を要求することができるいくつかの事情があるという。けれども、彼は、これはとても限られた権利だという。特に、彼は、マイノリティ文化が簡単に、より完全に表現し、発展することができる異なった文化へと脱退できる、という考え方を退ける。彼は次のように論じる。「文化擁護」は、もし、文化が文字どおりに危険にさらされていて、−同化を強いられて−、そして、もし、より大きな国家の中で文化を守るための代替案がなかったとしたら、脱退は正しいものになる。(たとえば、連邦制を通して、または他のマイノリティ権利を通して)。すべての民族文化的グループが彼ら自身の国をもつことは、無理なことだ。ブチャナンは論じる。領土の欠乏や文化の雑種化を仮定しない限り、それだから、厳しい状況は、このような国家の必要とする、グループに課さなければならない。
 どのような場合でも、脱退が完全な同質に到達することはめったにないだろう。チェコスロバキアの解体は、他のマイノリティの間で、スロバキアとチェコ共和国におけるドイツ人のマイノリティ、そして、チェコと、スロバキアにおけるハンガリアン・マイノリティを、まだ残している。もし、ケベックが、ケベック文化を促進し、守るために、脱退したら、新しい国は、境界の中に、いくつかの先住民をもつことになるだろう。(モハウク、クリ―、イヌイットを含む)、同様に、長い間定着した、イングランド嫌いの共同体と、世界中からの移住者グループ。それだから、もし、私たちが、脱退が、時々、マイノリティ文化の妥当な選択だと受け入れたならば、このことは、ただ、どのグループが、どの国家の中に陥るのかということを配列し直すことになるだろう。同質的な国家世界を創ることはできない。
 民族浄化は別として、国家にとって民族文化の多様性の存在する度合いを減らすことが難しい。しかし、諸国家は民族的多様性の新しい源泉を、少なくとも、彼らの境界を移住者に対して閉じることによって、制限することができる。西洋国家の中での移住の範囲は、劇的に、諸国家が、労働力を拡大することを求めたときに、戦後の時代に増えた。しかし、多くの国々は、今、彼らの移住程度を削減し、そして、いくつかの国々は、外国人が彼らの国に居住を始めて、市民になれるようにするべきだという考えを受け入れない。
 彼ら自身の移住の程度を決める国家の権利は、国際法によって、そして、一般の公共によっての両方で受け入れられている。そして、移住者の流入はその国の文化の構造を変えるかもしれないという恐れが、移住者の数を制限するための妥当な理由として、しばしば取り上げられる。しかし、ヨゼフ・カレンスが論じるように、境界を閉じるという行為について、重大な道徳的問題がある。実際、カレンが論じるように、自由と平等を基本とする民主主義原理は、公共の秩序を維持するための最小限の制限以上には、移住者に対するどのような制限も不可能にする。彼は、民主主義にとって、最も有名な理論的基盤の3つについて考察する。−つまり、功利主義、ノジックの自由至上論、ロールズの民主主義平等主義−そして、誰もが、そこに居住し始め、国に入り、財産を分け合い、そして政治的な過程に参加する、外国人の権利を制限するためのどんな根拠も提供しない。市民権は、それを必要とするものすべてが入手できる基本的な権利であるべきで、その国に、たまたま生まれた、誰かだけが得ることができる特権ではないと論じる。
 もし、BuchananとCarenaが正しければ、私たちは、境界を閉じたり、書きかえたりすることによって、民族文化的多様性を避けることを、望むことができない。私たちは、文化的な多様性と暮らすことを学び、自由、正義、そして民主主義の原則と調和すると共に、共に暮らすための計画を工夫する

 
 
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3.National Self - Determination
 Avishai Margalit and Joseph Raz


 紹介:小川浩史 2003/09/23

 民族自決権(national rights to self-determination)は如何にして道徳的に正当化されるのか。
 * 道徳というものを、理念的、ユートピア的に検証するのではなく、世界のおかれている現状(国家や多様な民族、種族集団、その他の集団に分かれていること)をあるがままに捉えているために、その「現状」に対する「正当化」についてはここでは議論の対象とされていない。「現状」がそのようなものであって、それらがその状態を維持していると仮定した場合、民族自決(national self-determination)によって道徳的な状況が生み出されるのかどうか、ということを問題にしている。

1. Isolating the Issue

 民族的な独立をするかどうか(ある国家の中で自治を守るか否か)を決定する権利があるとする主張を検証。(=民族自決権を正当化する主張を検証)

 2では、権利主体となる集団の特質について
 3では、政治的独立によってどのような価値がそれらの集団にもたらされるのか
 4では、自己決定に道徳的な権利があるということを認める場合、そのようなケースはどのようなものであるのかを検証している

 * 自決権は、国民政府(national self - government)が所有する広範囲に渡る価値の中に根ざしている。(集団の社会的、経済的環境や財産、発展の方針、などのあり方を決定する)

2. Groups

 自決権がある集団によって享受されるものであるならば、どのような集団がそのような資格をもっているのだろうか? (「領域とそこに住む人々」などの定義はあいまい)

 ・ 自決権の正当化に関連する特徴によって集団を特定する
 ・ (自治政府によってもたらされる)利益を享受するにふさわしい集団とする条件
 ・ 利益を享受する集団が持つ特性とは何か

 * このような定義の仕方は人民(peoples)や民族(nations)には該当しないことになるかもしれない。あるいは、民族集団はその他の集団と同様にそのような集団の中の一つとして包含されることになるかもしれない。

 @  多様な生活様式や行動様式、職業、追求する事柄、人間関係などを特徴付ける文化を所有する集団
 * (民族料理、固有の建築様式、共通言語、固有の文学や芸術的伝統、民族音楽、習慣、衣 装、儀式、休日)これらのどれもが必要であるわけではないが、自決権を持ちうる集団を特徴づける典型的な例となる

 A  ある集団の構成員の中で育った人々は、その集団の文化を獲得する
 * 趣向や選択、その人に開かれているキャリア、レジャー、風習や習慣、配偶者や家族との間で期待される事柄や行動、生活様式、これらは全てその集団の文化によって特徴づけられている。
 * その特定の文化によって人々が永久的に特徴づけられるとは限らない。
 * 個人と集団の紐帯(個人の福利と集団の繁栄)は必ずしも全ての成員に拡大されるものではない。
 *  世代によって受け継がれるものであって、それらの集団は歴史的な性質を持っている。歴史の共有によって文化は発展し、伝達される。

 B  相互承認によってその集団の成員であるとみなされる
 * 承認のための正式な手続きを所有する公的に制度化された集団を想定しているのではない。
 * 読書研究会(the fiction - reading public)などは@、Aの「文化」によって特定される集団でもなければ、他者による承認を必要とする集団でもない。

 C その集団の構成員であることが個人の自己同一化(self-identification)において重要となっている場合
 * その構成員であることによって社会的に高い注目を集めるような集団。その集団の構成員であることが人々を特定する最も主要な要素の一つとなっているもの。その集団の構成員であることによって、それらの人々がどのような存在であるかという期待や予想が形成されうるもの。他のものの行為を理解する上で主要な手がかりの一つとなるもの。
 (=ある社会において自己を特定する/される重要な名刺となっているもの)
 読書研究会やサッカークラブのサポーター (⇒ a highly visible social profileではない)

 D その集団の構成員であることの要件は「そこに所属している」ということであって「それが獲得される」ものではない
 * 他の集団に所属することも可能だが、それにはその集団が持つ文化を吸収しなければならない。しかもそのペースはとてもゆっくりとしたものである。
 *  根本的には、われわれのアイデンティティの感覚は「達成されること」よりも「所属していること」による基準に依存している。
  「所属」(>「達成」)⇒ アイデンティティの確実性 ⇒ 個人の福利(well - being)

 E  お互いをよく認識しているような小集団ではなく、相互の承認が一般化された特徴の所有によって確保されるような集団
 * シンボル的なものや集団儀礼への参加、独特な風習、独特な語彙、などを発達させ、それによってその一員であることを特定することが容易になっている集団。

 ★ @〜Eはそれぞれが両立(調和)する。
 ★ そのような集団への所属は必ずしも一つに限られるわけではない。
 ★ 民族や種族集団だけでなく、宗教集団や社会階級もこれらの条件に適合することがある。

3. The Value of Self - Government

(A) The value of Encompassing Groups

 〈個人の福利〉

 個々人の福利(幸福)は、価値ある目標や人間関係の追及が成功するかどうかにかかっている。そして、これらの目標や関係性は文化的に決定されている。生存すること自体が問題となっていないのであれば、その目標自体が社会的産物、つまり、文化によって作り出されたものなのである。(家族関係、その他全ての社会的人間関係、キャリア、レジャー活動、芸術、科学、等)

 * その集団(encompassing groups :2で説明した条件に適合する集団)の一員であることは、個人の福利にとって大きな重要性を持つ。
 なぜなら、文化によって特徴づけられた社会的関係性や、目標に向かう諸個人の機会や能力に多大な影響を与えているからである。
 * 文化の繁栄は、その成員の福利にとって重要である。文化が衰退すれば、個人が所有する選択肢や機会が縮小し、目標も達成されにくくなる。

 〈自己の尊厳〉

 自己のアイデンティティは、それらの集団に帰属しているという感覚と密接な関係があり、彼ら自身の尊厳はそれらの集団が共有する尊敬の意識によって影響を受けている。

 * 個人の尊厳と自尊心は、それらの集団が尊敬されることを必要とし、嘲笑や憎悪、差別、迫害などの対象とならないことを要求する。

 ★ 集団の利益はそのまま個々人の利益に還元されるものではない。(数の問題、非直接的な問題)
 ★ 集団の利益と個人の利益を相互に結びつけるア・プリオリな道筋は存在しない。
 ★ 集団の利益の道徳的な意義が、個々人に対する貢献(service)の中に存在しているという事実は、それがその集団の大きさに深くかかわっていることを意味する。(より大きな集団の財産はより多くの人々の福利に大きな影響を与える)

 (B) The Instrumental Case (これが4に相当?)

 集団の繁栄によってもたらされる成員の利益は、自決権を確立させる(正当化する)ことが出来るだろうか? ⇒ NO
 集団の繁栄と彼らの政治的な独立との関連性からこの問題を検証する。両者が容易に結びつくケースはそれが「手段」となる場合である。集団の繁栄と尊厳は、政治的主権を享受することによって促進される(それがなければ困難なこともある)。政治的独立が「手段」となるケースは歴史的な状況によるものが多いが、「迫害の歴史」からこの問題を考察する。

 * 独立を達成していないという理由は、集団が被る損害の唯一の理由ではない。マイノリティー集団の繁栄に対する無視や無知、無関心もその理由となる。
 * 「迫害」に抵抗し、克服するその他の方法も存在するだろうし、独立によって得られる利点が何であろうと、(独立闘争は)経済的な疲弊や文化的荒廃、社会的混乱を引き起こす。
 *  有害な集団は保護をするに値しない。(もし、その保護によって彼らの弾圧的な行動を支援してしまうことになるならば)
 *   集団の構成員でないものの利益も考慮に入れる必要がある。

 ★ 「手段」的な議論は取り扱いに慎重を要する問題である。

 (C)An Argument for the Intrinsic Value of Self-government
   個人の自立性や自己表明に関わる議論

 @ 集団の一員であるということは、彼らの個性の重要な一側面であり、彼らの福利はそれを十分に表現できるかどうかに関わっている。
 A 構成員であることの表現には、共同体の生活の中で公にそれを明示できることが本質的に含まれている。
 B このことは、その共同体内の政治的活動において、彼らがその集団の一員であることを表明可能にすることを要求する。政治は、共同体生活の本質的な場(arena)であって、結果、個々人の福利にとっても本質的な場となるのである。
 C それゆえ、自治政府(self-government)は本来的に価値が高いものであるから、その集団に政治的次元を与える必要があるのである。

 * @は非の打ち所なし
 * Aの持つ重要性を二つの要素に分割

 1:もし、集団の一員であることが人々の福利にとって重要であるとすれば、その集団の尊厳が確保されることが何より不可欠である。

 2:福利には、自分たちが集団の一員であることを公に表明する能力と、その集団の公共的な文化に参加する能力が含まれている。

 人間の福利が集団のアイデンティティ(表明)と密接に関係しているのであれば、そのようなアイデンティティ(表明)は重要な公共的次元をもっている。しかしながら、そのような公共的次元は必ずしも狭い意味で政治的である必要はない。

 ・ 平常時であれば、政治は人々が選ぶ選択肢の内の一つにしか過ぎない。(道徳的次元を孕む政治的緊急時にはそれに立ち向かう義務がある)
 ・ 政治的選択肢は開いておかれなければならないが、排他的な政治的枠組みの中でそれがなされるべきであるということではない。異なる共同体の成員が、それぞれ公共資源を求めて政治的な場に参加できるような多民族国家であれば何も問題はない。

 (D) The Subjective Element

 自治政府の「本質的」な価値に対する検証は、「手段的」なアプローチへの誤解の危険性を指摘するものである。

 @ それ(手段的アプローチ)は、自己表明の場としての政治的選択肢の本質的な価値を否定するものではない。純粋に手段主義的な政治的観点に立っているのではない。個々人の政治的選択の本質的な価値は、集団の境界と一致した政体の中での「表明」を必要としているのではない。

 A ここで述べた実用的、手段的アプローチは非人間的結果主義(impersonal consequentialism ←利益のトレードオフを行う官僚のイメージ)と同じことではない。官僚はそれ以上に、人々にとって何が本当に良いことであるかを決める責任を課されている。紛争にはかなりの不確定性が含まれており、その他の多くのオルタナティブな解決方法が妥当する。

 B 手段的主義的、実用的な性質を持ったアプローチは「主観的要素」(人々の持つ認識や感覚)に対する感受性をなくしてはならない。客観的な要因と主観的な認識との間での微妙なバランスが要求される。集団が持つ認識が誤っていたり誇張されていたりするということは、異なる解決の方向へと向かわせる可能性があるという点で重要である。誤った認識を取り除くことが出来るからである。

 
 
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05
Individual Rights against Group Rights NATHAN GLAZER


紹介:野田桃子

  今日、アメリカは、多くのエスニックや人種で構成される国々、そして、それは、世界の諸国家の大部分を意味するのだが、そういった国々に関して、結局は関係を持たねばならない、大きな国家的な論争のただ中にある。政府の行政、立法、司法の各機関、学術的な刊行物やマスメディア、組合や企業主たち、学校や大学で起こっている論争は、以前には不当に扱われてきたマイノリティのための正義の意味に集中している。アメリカの歴史において主要な法律の一つである、1964年の公民権法が通った1964年に、人種的及び集団的差別の問題に対する私たちの理解がいかに単純であったかを、その論争は強調していた。
  1964年、アメリカで、差別の終結は単純な問題のように思えた。おそらく、差別的な行動(黒人を雇わない、昇進させない、10ドル以上払わない、大学や病院に入ることを許さない)を認識できた人もいただろうし、そのような行動を罰するために罰則を考案することができた人もいただろう。1964年の公民権法と差別を禁止する州、そして国家による他の法律のもとで、多くの訴訟は毎日持ちこまれたし、差別されていた多くの人々は、これらの法のもとで安堵を手に入れた。罰則は、差別を避けるよう、企業主を注意深くさせるに十分な厳しいものだった。特に、雇用で差別されてきた個人に対して過去の分の給与の払い戻しを承諾するなど。法の結果は、1964年以降、よりよい仕事に雇われた多くの黒人に見られる著しい改善において明らかである、と主張されてきた。
  個人は差別反対を訴えるため、集団の特質のために与えられなかった権利の正しさを立証するために、これらの訴訟を起こす。しかしながら、私たちは個人権という言葉や法を用いることによって、集団差別の問題を解決することができるのだろうか?
  その問いに、マイノリティ差別に対する正義のジレンマは要約されている。個人はグループの特質によって差別的な扱いを受けてきた。法律は、個人権を弁護するために書かれている。しかし、もし、差別待遇に基づいて訴訟を起こす個人が、差別に対する個人的な告訴の結果として満足と補償を得られさえすれば、個人権は弁護され得、過去の集団差別の結果は克服されうるのだろうか?集団の一員である全ての個人もまた、満足と補償を要求しないのだろうか?しかし、もし、法的権利の全ての概念が、個人という条件において発展してきたならば、私たちはいかにして正義を集団に提供するのだろう?そして、例えば、非常に多くの仕事が集団の構成員のところへ行き届かなければならないことを決定する人数枠制のように、もし、私たちが正義を集団に提供するならば、同様に、私たちは、差別を受けてきた集団を含まない他の集団を個人から奪わず、いかなる集団の特質からも自由に、個人として扱われ、考慮される権利を奪わないだろうか?これらは、合衆国で起こった問題である。私はそれらをいくつかの疑問に分けてみようと思う。
  
  1. なぜ、私たちの法律は、差別の問題がまるで唯一個人に影響を与えるかのように書かれているのか?すなわち、なぜ、私たちは、差別に直面しているにもかかわらず、正義が集団のための新しく平等な立場というよりはむしろ、個人のための正義だと、実際には主張するのだろうか?
  
  2. まるで、不満の原因と考えられる状況は個人によって生み出されるかのように書かれた法律や規定は、集団差別の結果を克服でき、集団に満足を与えることができるのだろうか?
  
  3. かわりに、もし、私たちがマイノリティ集団に基盤をおく個人に補償を与えたら、私たちはマジョリティ集団に基盤をおく個人から権利を奪ってしまったことになるのか?
  
  4. 私たちが個人権に取り組むことによって差別を克服しようとするべきとき、私たちを導いてくれるどんな包括的な原則があるのだろうか?また、私たちが集団権に取り組むことによって差別を克服しようとするべきときには?
  
  私がこれらの疑問にせまっていこうとする際の観点を説明しておこう。私は、社会学者であり、政治哲学者でも、法律家でもない。政治哲学者や法律家であったなら、私は、他のあらゆる原則に支持され、そして、それらから反対の論をはられる正義の基本原則を見つけようとしただろう。しかし、私は社会学者なので、具体的な社会のために、様々な政策の具体的な結果を見る。そして、ここに、一つの主要な原理が私を導いてくれる。その原則とは、これらの規定が、正しく適当な政策として差別を克服しようと試みられる政策の一般的な受け入れにつながるかどうか、そして、マジョリティと同様にマイノリティの中で、賢明な受け入れにつながるかどうかである。それは、純粋に実用主義的、機能主義的な原則だとして、公然と非難されるかもしれない。それは、平等と正義という大きな目的を考えていないからである。しかし、これらの目的もまた、その原則に取り入れられるのである。なぜなら、今日、人々は、大きな不平等を持続させ、彼らの正義感を強く攻撃する取り決めを受け入れようとしないからである。これらは、私が提案してきた実用主義的原則の使用が考慮されるときの重要な現実である。差別を克服するためのどんな政策が、多民族社会のあらゆる集団を十分に満足させ、そして彼らがほどよい調和の中で暮らすことができる機会を私たちに与えてくれるのだろうか?


  人種や宗教や出自などの集団の特質に基盤をおく個人権を奪うことが、それでもやはり、法律、少なくともアメリカの法律において、個人権を守る問題として扱われているのはなぜか、という問いを熟考することは興味深い問題である。州政府を制限し、米国憲法修正第十四条において用いられている言語、すなわち、黒人や他のマイノリティに対する憲法上の保護の基礎を提供している、米国憲法修正第五条にはこうある。「正当な法の手続きによらないで、生命、自由または財産を奪われることはない。」また、新しく解放された奴隷の権利の保護を採用した米国憲法修正第十四条にはこう記されている。「いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定あるいは施行してはならない。またいかなる州も、正当な法の手続きによらないで、何人からも生命、自由または財産を奪ってはならない。またその管轄内にある何人に対しても法律の平等な保護を拒んではならない。」citizens、persons。これは、集団・黒人を守るためにつくられた言語であり、活動家の拡大によって、最高裁判所が中国人・日本人・インディアン・メキシコ系アメリカ人・プエルトリコ人・居留外人・女性、そして様々な方法で定義された多くの他の集団権を守るものでもある。同じような言葉は、1964年の公民権法や1965年の投票権法の中に見つけることができる。それらはどんな単一の集団についても言及していない。憲法のような法律は、人種や出自が、ある集団の個人の運命をある程度決定する重要な現実であるような社会において、人種の違いが考慮されないよう試みている。
  個人権を保障することによって集団に対する偏見の問題を克服しようと試みているのは、何も憲法や法律上の言語だけではない。最近の正義の問題に対する最も重要なアメリカの哲学的な貢献である、John Rawlsの A Theory of Justice はまた、集団に対する正義の問題を無視している。Vernon Van Dykeが読みの深い小論の中で次のように指摘している。

  『(Rawlsは)原初状態における人々は、「次世代における人々の幸福について気にするべきである」と明記する。しかし、彼は、弱いかあるいは不利であったり、それらの明らかな特質とアイデンティティを保存したいと心に抱くか思っていたりする、人種的、言語的、宗教的あるいは民族的集団について、匹敵するような規定を作っていない。私はその本の中に、言語の多様性に言及した一文を見ない。人種は主に、差別の原因として除外されると言及されている。宗教はいくつかの点において言及されているが、ほとんどいつも忠実な信者たちの集団というよりはむしろ心の中の個人的な信者とともにある。』


  それは、魅力的な問題である。そして、疑いようもなく、答えは、人種、肌の色、出自故の剥奪の一つというよりは、個人的な決定と行動故の、そして良心故の剥奪の一つとして問題が考えられた時代と場所(17世紀のイングランド)において、人権保護の言語と理論は発展したということである。イングランドは、多くは宗教的信念に由来する宗教的、政治的立場を除いては、比較的多様性の少ない国である。立場の違いは、個人的な決定だと考えられており、多様性の保護は、個人的な決定に由来する多様性の保護の問題として考えられている。
  しかし、すでに存在している共同体に生まれてくるという偶然から生じ、人種・出自・宗教によって定義された多様性についてはどうだろうか?宗教についての論の中で、Rawlsが、「忠実な信者たちの集団というよりはむしろ、心の中の個人的な信者」という考えをもつ、というVan Dykeの指摘によって、私たちは次のようなことに気づく。ちょうど、肌の色や母国語が生まれによって限定されているように、宗教は、個人的な選択だけではなく、多くの場合において、生まれによって限定された信条をも含んでいるのである。これにより、宗教は、個人の良心的行動とはずいぶん違ったものになる。北アイルランドにおけるカソリック教徒とプロテスタントの意義や、マレーシアにおけるイスラム教徒と非イスラム教徒の意義を考えるとき、容易に知ることができるように。信仰の自由を認める法律を作ることによって集団間の対立という深刻な問題を解決しようとすることは、これらの国においては見せかけに過ぎない。というのも、信仰の自由は問題ではないからである。これらの国、そして、宗教間の対立が、私がエスニックの特質だと呼んできたものの様相を帯びている、すなわち、文化の違いによって集団間の対立が起こっているような国における問題は、二つの宗教集団の相対的な経済的、社会的地位なのであって、信教の自由ではない。
  集団に属するために不利な立場に追いやられている個人を守るための新たな法律的な言語、憲法上の言語はあるのだろうか?もちろんある。それは、政治、行政機関、大学、職業における職のある程度の枠を、集団のために特別に取っておく、という集団権という名のもとに特に保障する言語である。ただ個人にのみ焦点を当てた取り組みと全く同じように、集団権に対するこの種の取り組みは、明らかに、人権に専心する政治制度と矛盾しない。どんな程度でも、私たちは、カナダ、ベルギー、インド、マレーシアにおけるこの種の取り組みを見ることができる。しかし、アメリカにおいては、政治的、経済的に重要な機関に、型どおりに枠を取る試みは、個人権を破壊するものだとして強く抵抗された。そして、事実、1960年代半ばにおける、黒人と他のマイノリティに対する差別の克服のために、法的に安定した土台を打ち立てようとした革命的な努力は、はっきりと個人を守り、いかなる法律においても、どの集団が守られるべきか明記することを注意深く避け、特に、ある特定の集団に枠を取ることを主張するいかなる取り組みをも禁止する言語を使った。1964年の公民権法が通ったとき、これは国会と、マジョリティもマイノリティも含んだアメリカの人々の明らかな意志であった。例えば、差別されてきたいくつかの集団のための、雇用人数枠制のように、法が集団を救済しうるかもしれない可能性を保護すること。これは、その法の中で特に禁止されていた。おそらく、そのことは、長い間差別に直面してきた全ての集団を高めるのに欠かせないだろうものに応じて広がった、多くの人に共通する単純さを証明する。私はすでに、他の国家における、別の取り組みは、集団の向上という問題に専心してきたことを指摘した。すなわち、それは、適切な数の集団が、教育や雇用の恩恵を受けることを保証するために、数的な人数枠制を単刀直入に採用してきた取り組みである。それで、インドにおけるあらかじめ決められたカーストや部族のための「留保」や、マレーシアにおけるより高い教育と雇用においてマレー人の数を増加するための特別な計画があるのである。
  この集団を基礎とした取り組みに対して、アメリカの取り組みは、法律においても、それより先にあり、またそれを継承する重要な最高裁判所の決定においても、個人権という用語を用いる。それは、各訴訟において告訴する個人である。Brown v. the Board of Education(Brown対教育委員会の裁判) Griggs v. Duke Power(Griggs対Duke Power社の裁判)など。個人権の弁護を強調する言語や法律の重要性を過大評価も過小評価もしてはいけない。それを過大評価してはいけない。それは、個人の原告によって探されたり、逆に彼らを探したりする、集団の利害関係を代表する方法だからである。それは、最高裁判所が訴訟を取り上げることが必要とされていた集団の手段であった。それは、人が個人の訴訟によって高めたいと望んだ集団全体の位置であった。もし、Brownが、人種のために差別されなかったら、WhiteもWilkinsも他のどの黒人も差別されなかっただろう。もし、Griggsが、彼が就職のために受けた試験が、審議中の仕事に対する彼の素質や能力をきちんと試験しなかったために、職を断られなかったとしたら、どの他の黒人もその基準故に雇用を断られなかっただろう。
  しかし、私たちはまた、これらの権利の個人的な側面を過小評価すべきでもない。各訴訟は差別に対する個人の報告、個人への損害を説明する。そして、差別に対する個人の告訴に逆らって行動することによって、彼らは地位を高め、集団全体の権利を高めていることを、判事がよく知っていたとしても、個人がそれらを要求し、彼らが、今や、肌の色や出自によって区別されることなしに、個人として扱われるため、1964年には疑いなく、これらの権利が効果的になるだろうことが期待された。


  集団差別を克服するためのそのような取り組み、すなわち、個人が彼らの権利を弁護するために行動し、個人の行動が奪われた集団の地位を克服するだろうと仮定した取り組みは本当に効果的たり得たのだろうか?1964年の公民権法の施行準備に対する主な告訴の一つは、国会によって書かれ、意図されたように、彼ら自身の主導で、教育、職業、政治的な代表者を得るための個人の行動によって、集団が、その差別的な境遇を克服しようと望むことは実情にそぐわないというものである。関連する機関が、国会においてかなり多くの反対意見を生じた行動を起こしはじめたのはこのためであった。
  初めに、それら機関は、雇用のある程度のレベルにおいて、特定の集団が、いなかったり、十分に現れていなかったりするかどうかの予備的な査定をするために、大企業主が人種やエスニック集団に基づいて、彼らの従業員を調査することを要求し始めた。これらの報告要求の初めの段階は、企業主がどの集団を報告すべきかを決められるかに注目していた。法律はどの特定の集団が差別から守られているかに関しては無言だった。全ての個人は、人種や肌の色や出自や宗教に基づいた差別から守られている。しかし、企業主の報告制度を設立するために、国会独自の焦点であるとして、行政の規則によって、いくつかの集団が選ばれなければならなかった。実施機関が報告のために採用したのは、むしろ、集団の奇妙なカテゴリー分けであった。黒人は、差別の主なターゲットなので、彼らが、国会の主な関心であることは疑いない。このため、企業主は黒人の従業員の数について報告することを要求された。メキシコ系アメリカ人とプエルトリコ人は、教育及び職業の達成平均より低い二つの大きな集団であるが、これらは、「スペイン系の姓を持つ人々」あるいは「ラテンアメリカ系の人々」という新しいカテゴリーへ組み入れられる。そしてそれらにはまた、彼あるいは彼女の生まれがスペインあるいはキューバあるいは何か他の地域であろうとスペイン風の名前を持つ人々が含まれる。最後に、四つ目のカテゴリーが「オリエンタル」あるいは「アジア系アメリカ人」と定義されている。それらは、主に中国人と日本人からなっている。残り全ては、「その他」あるいは「白人」である。教育的な機関は、大学や学校に、同じカテゴリーでの報告を要求していた。
  報告制度の問題は、第一に、それが、おそらく差別に直面してきたであろう集団と、メキシコ系アメリカ人やキューバ人のように差別を受けなかった集団の両方を含むことによって混合物を作り出してしまったことである。第二に、それは中国人や日本人のような、差別に直面してきたがそれにもかかわらず、統計上差別の排除を決定する基準として扱うべき「その他」の集団よりも、教育や職業の達成において高い成績を収め、すでに差別の障害を克服した集団から成り立つカテゴリーを設定したことである。第三に、それは、過去であれ現在であれ、自らもまた差別に直面してきたと感じているいくつかの集団を含んだことである。例えば、イタリア系、ポーランド系、スラブ系のアメリカ人はしばしば、自分たちは差別に直面してきたと感じてきた。しかし、彼らは「その他」にまとめられてきた。ユダヤ人は、疑う余地なく、差別に直面してきたが、彼らもまた、「その他」にいれられてた。実際には、実施機関は報告制度によって二種類の集団を作ってきた。起こりうる差別の対象として特別に関心を持たれている集団、そして、少しも関心を持たれず、起こりうる差別に直面するとは認められていない集団の二つを。有名なオーウェル主義者たちの主義の新しい型は導入されている。あらゆる集団は法律によって差別から守られているが、実施機関によれば、いくつかの集団は他の集団に比べてより多く守られている。一つ目と二つ目の間に線を引くことは、集団への偏見が長い歴史を持ち、また、実施機関によって定義された、たった4つの見せかけのカテゴリーが、今日の差別の課題でさえあると主張するのが、無謀な社会解説者である、複雑な多民族社会においては容易な問題ではない。
  二つ目の問題は報告制度に関して起こった。それは、差別の推定を作り出してきた。一方で法律は、統計上の不均衡だけが、差別の証拠であって、実際にこのように、市民権法を施行する機関は行動したという見解を却下する。それらの機関は、差別の証拠として統計的な不均衡を採用し、公にそして個人的に、企業主に、人種や肌の色や出自に基づいて雇うことによって不均衡を克服するように圧力をかけようとした。これは、まさに、もともとの1964年の市民権法が禁じてきたことである。
  しかし、特定の集団の調査と不均衡に基づいた差別の推測に変わる何かがあるのだろうか?この取り組みの擁護者は何か他の方法で差別に取り組むことは、差別に直面してきた個人にとって犠牲が大きく、十分な結果について確信がないと指摘した。個人は実施機関に対して差別について訴えるべきであり、調査、調停、その訴訟が調べられるかどうかの最終決定、そして、できれば次の法的手続きを待つべきであろう。あるいは、かわりに個人は、自分自身で訴訟をはじめなければならないだろう。そして、かつて訴訟が起こったとき、実施機関あるいは法廷は、差別の問題にいかにして決着をつけたのか?差別行為は合理的に説明され、行為の見せかけの基盤の背後に隠され、偽られることができ、正確に規定することが困難になるだろう。集団に行くことはたやすかったのだ。
  では、国会は、不均衡を探し、人数枠制を課すことによって差別を克服することはできないとする、1964年のその前提において、単に世間知らずだったのか?私はそうは思わない。そのような取り組みが弁護されうる重要な理由は二つある。一つ目は、民主主義においては、各集団が政治的権限を行使するという点にある。多くの訴訟において、政治的権限は合理化の背後に差別がどっちつかずに隠されるのを防ぐ。政治的な代表者や、政治的な考慮が直接的に最も高いレベルにおいて役職を任命し、より低いレベルで有力である政府機関における代表者は政治的権限を持っているだろう。特定の法律の保証がなくても、政治的な代表者は、各集団が枠を得るために、政府の仕事や契約や是認の割り当てにおいておおまかな公正を導くだろう。このように、公的機関のための立候補者の決定において、政党はしばしば、一つの原理として、「balanced ticket」を用いる。このもとでは、各主要集団が政党の選挙リストにおいて代表され、二大政党制において、各政党はほとんど全ての集団について主張しなければならない。選挙事務所における代表者は、政府機関の政治的な役職を作る影響を意味する。政府機関において政治的に任命された人は、契約を分け与え、銀行に政府のお金を投資し、企業や大学や学校に様々な種類の特権を与える。事実、政治的代表者は、社会のあらゆる主要な部分の、より一般的な代表者のための鍵として見られている。そして、極めて厳しい1965年の投票権法によって補われた、1964年の公民権法は、マイノリティ集団の登録と投票に対する全障害は、事実そうされてきたように、一掃されるだろう、ということを保証した。
  差別克服の純粋に個人的な取り組みがユートピア的でないと、国会が、容易に信じてきた二つ目の理由は、過去に差別に直面してきた、ユダヤ人、中国人、日本人のような集団が、合衆国の権利法の強力な助力がなかったにもかかわらず、個人的な主導権の基盤を向上させてきた点にある。もし差別が違法であったら、そして、もし差別に対する罰則がわずかであれ、厳しいものであったら、黒人、メキシコ系アメリカ人、そしてプエルトリコ人の主導権もまた、政治的、教育的、経済的に彼らを向上させるようになると期待しなかったであろうか?
  この確信は証明されるだろうか?集中的に調査することによって、公民権法が通った1964年から、雇用が統計上の目標あるいは割り当てに達するための雇用要求に基づいた政策が、行政機関の規則と合衆国裁判所の決定によって、だんだん合衆国の共通認識となり始めた1970〜71年の間の6年間にマイノリティは前進したと答えることは可能である。これは、そのような調査の余地はない。私たちはまた、どんな社会的変化の中でも、処理している様々な他の訴訟と一つの訴訟を区別するための十分に満足のいく技術を持っていない。結局、黒人の要求が、最も暴力的で、都市暴動の恐怖であり、都市反乱の中で最大であったのも、この6年間であった。にもかかわらず、この時期に大きく前進し、この前進が、マイノリティの前進に関する国会の見解を弁護した、というのが私の見解である。このため、黒人の政治的代表者が急速に増え、今も増え続けており、黒人の大学入学数が飛躍的に増え、白人と黒人間の給料の格差が狭まる進歩をしたのも重要だった。
  もちろん、この判断には議論の余地がある。私がここで述べられなかった、統計とそれらの解釈という大きな論争がある。しかし、統計の論争の背後には、イデオロギー的な態度が横たわっている。アメリカ社会はすくいがたく人種差別主義的であり、差別の減少を示している世論調査は単にごまかしであり、黒人と他のマイノリティの前進は、政府の介在なくしては不可能である、と感じている人々は、統計の中に、全くないか、あってもわずかな彼らの前進の判断を支える証拠を見つけようとしている。偏見や差別が、合衆国の中で減ってきており、合衆国は未だ基本的に、恵まれない集団や移民がより古い開拓移民や集団と同じように目標を達成できる開かれた社会である、と信じている人々は、統計の中に彼らの信念を弁護する証拠を見いだす。
  この基本的な態度の他に、悲観主義と楽観主義とを分ける考えにもう一つ異なるものがある。奴隷として差別や偏見を受けた時代によって、黒人がひどく損害を受けてきた、と信じている人々は、非差別的な機会を切り開くことが、いかに平易に黒人を高めうるかを理解していない。そして、中には、他の集団に対しても、黒人の時ほどではないにしても、同じことを言う人もいるかもしれない。議論はさらに、非常に多くの黒人は、不自由すぎたために、新たな非差別の機会を利用するために個人的に行動することができない、と続く。従って、個人が主導権を持つのを期待できないため、一定の人数の黒人が雇われ、昇進し、大学や専門学校に受け入れられるように、目標や人数枠制によって保証しなければならないのである。


  このことは、私たちを私の三つ目の問題に連れて行く。もし私たちが人数を設置したら、つまり、ボストン要求における判決のように、もし、私たちが、黒人の数が教師全体の20%に達するまで、一人の白人教師に対して、一人の黒人教師を雇わなければならないと言うとしたら、あるいは、デイビスのカリフォルニア大学医学部がそうしたように、医学部の募集枠の16%を、ある特定のマイノリティのために取っておかなければならないと言うとしたら、私たちは、マジョリティ、すなわち、マイノリティでない集団から何らかの権利を奪っていることになるのだろうか?私が述べてきたこの種の活動は、今や、合衆国全体に広がっている。多くの警察署や消防署は、今日、人種の人数枠制に基づいて雇用しなければならないし、多くの教師や管理職もこれに基づいて採用しなくてはならないし、多くの医学その他の専門的な学校は、マイノリティの入学許可の目標数を持つ。主な憲法上の訴訟は、1978年に最高裁によって決定されたように、この問題を処理した。これは、Allan Bakkeの訴訟である。彼は、カリフォルニア大学医学部の入学許可を求めたが、二度断られ、学校がマイノリティのための16%の枠を持っているために、非差別の原理に基づいた入学に関する個人権が否定された、と主張した。
  彼がしたのは、公平な主張であっただろうか?最高裁に提出された多くの法廷助言者の訴訟事件摘要書において、彼が実際そう返答されたように、どんな場合でも、多くの医学部入学希望者のほんの数名しか入学を許可されない。そして、黒人は人口の11%を形成するが、医者の2%しか黒人ではない。黒人の入学許可をある人数に到達させようとする具体的な取り組みがなされない限り、この数は増えないだろう。故に、黒人が募集人数の84%の枠を持っても、マジョリティに対する差別があると言えない、とBakkeに対して答えることができた。
  しかし一方で、以下のことが議論されうる。医学部における黒人の割合は最近増えてきた。数的に決められた人数枠制の設置によるより他に、黒人を医学部に入学させる方法がある。憲法と公民権法は人種、肌の色、出自による差別は誰に対しても禁じられており、これは、黒人にはもちろん、白人にも適用しているのではないか。黒人は、一般的な入学手続きによっても、16%の枠を取ってあるマイノリティのための特別な入学手続きよっても、医学部に入学する機会を与えられている。一方、白人は、一般的な入学手続きによってのみ、医学部に入学する機会を与えられているだけである。結果、能力の低いマイノリティの入学希望者が、マジョリティの入学希望者にかわって、受け入れられた。
  もし、集団の大きさによる、大まかな正義のつりあいについて考えるならば、Bakkeは敗訴したはずである。黒人の医者はとても少ない。故に、もっと多くいるべきだからである。しかし、もし、個人権、すなわち、人種や肌の色や出自から独立したその人自身の人間性が考慮される権利について考えるならば、Bakkeは勝訴したはずである。ぎりぎりの判決において彼が結局は勝訴したように。
  ここに、対立における正義の二つの見解がある。一つは、正義は、釣り合いに基づいた集団に対する価値に匹敵するものだという見解であり、もう一つは、正義は、人種を考慮せず、ただ個人について考えるべきだ、というものである。Bakkeは言うことができた。「私は、黒人あるいは白人の医者が何人いるかということは気にしない。私は、人種から自由に、私の個人的な長所に基づいて入学許可を考慮してほしかった。私が医者になりたかったのであり、医者になりたかったのは、白色人種ではないのです」
  最高裁に届いたのは、医学部の入学許可の問題であったが、雇用や昇進を決定する原理もそんなに違わないと言うことは、一般的に受け入れられている。ここでも、同じ葛藤に直面する。集団による釣り合いとしての正義か、人種、肌の色、出自、宗教に関わらない、独立した個人を考える正義か。
  個人権という言葉をあげて、アメリカの人々は、明らかに考え方を統一させていた。ギャラップ調査によると、白人という巨大なマジョリティと、黒人という本質的にはマジョリティにあたる集団の両方が、人種を基盤にした差別的な扱いに反対している。(9章参照)言うなれば、個人主義はアメリカにおいて未だに強いのである。
  もし、私たちがそのジレンマを避けることができるのなら、また、もし、多民族社会において、差別がない状態で、個人の選択が、個人の基準と集団の基準の両方を満足させる正義となる大まかな釣り合いに帰結するとしたら、それはよいことだろう。しかし、そうではない、あるいは、そうではなかった。それが問題なのである。人種集団とエスニック集団の間の代表者に本質的な違いがあるとき、私たちは原理に頼ることができるのだろうか?あるいは、これが、個人が個人として扱われず、しかし、集団の一員として考えられるにちがいない、ということを意味するとしたら、それは、代表者を平等にするための、まさに社会的な任務であろうか?
  
  
  多民族社会のどの策が続き、あるいは続くべきかを提案する原理があるだろうか?各集団のために政治と経済において限定された枠を設けることによって、差別と集団の多様性を処理するべきかどうか、あるいは、代わりに、会社選び、政府の役職の任命、雇用、教育的施設への入学許可のために、集団の特質を無視して考えられる個人権を強調すべきかどうか?私はすでに、合衆国、そして、おそらく、イギリス、フランス、オーストラリアにおいてみられる最も有力な個人権への取り組みには反対の立場である。様々な程度で、カナダ、ベルギー、悲劇的な内線以前のレバノン、マレーシア、インドに見られる集団権の観点からの取り組みにも。疑いなく、もし私が、他の多民族国家(例えば、チェコスロバキアやユーゴスラビア)についてよく知っていたら、私は集団の取り組みにもっと付け加えることができた。その言葉の使用が、ここでは、皮肉に聞こえるだろうけれども、集団権に専心している国として、南アフリカを加える人もいるかもしれない。南アフリカにおいて、政治的、経済的により高い階層から、黒人、有色人種、インディアンを除去することの合法化は、各集団は全く異なっており、異なったままでなければならないということを示している。この合理化は、中央に集団代表を要求する下位の集団によって奪い取られるに違いない。
  国家が、民族の多様性に、公式にそれを無視することによって対処することを選ぶか、公式にそれを認めることによって対処することを選ぶかは、それが民主的か否かということとは関係ない。民主的であれ、「国民の民主主義」であれ、独裁であれ、民族の多様性に対する各取り組みは可能である。個人権か集団権かという、多様性に対する国の反応の形は、私たちが、国が人権に答えたと考えるか、公民権に答えたと考えるかとは、関係があるべきではない、ということをこれは示している。むしろ、私たちは反応に二つの全く異なる形があることを理解すべきである。合衆国において、この問題によって私たちが二分されているように、私たちは、一つの策が憲法を支持し、もう一つはそれに背く、そして、このため、一つの策は合衆国における民主主義と平等をたかめるが、もう一つはそれを弱めると信じているようである。私は、合衆国の個人権に対する取り組みの支持者である。しかし、世界の同じような民主主義国家においては、この種の問題に対する別の処置が与えられたし、私はその問題がこれらの用語で決められ得るとは思っていない。
  私は、合衆国を含む多民族国家のために、集団権の方針を選ぶか、個人権の方針を選ぶかを実際に決定し、決定すべき重要な原理が、様々な集団を、永遠に存続し、連合した社会の個別の選挙有権者であると見なすか、あるいは、それらの集団を、理想的に共通の社会に統合し、最終的には同化するものとして見ているかである、と信じている。もし国家が、それ自身の前に、集団の構成員は純粋に個人的で、個人的な選択と程度の変化する問題であり、他のアイデンティティが優勢になるにつれ、弱まり、結局は、消滅するものであるという形を設定するならば、集団権を重視することは、この発展を阻止し、社会の方向を変化させ、人々が一般的な公民権からだけでなく、集団内にある別の種類の公民権からをも権利を引き出す、全てのその個人と集団に対する申し立てをすることになる。そして、法律や規則が、誰がその国の国民であり、公民権を行使することを許されているかを決定することを要求されるように、法律や規則はまた、誰が派生的な集団の構成員であり、そのような公民権を行使することを許されているかをも要求されている。
  一方、もし、社会が、今日もそして未来も、それ自身のために所持している形が、社会は集団の連合体であり、集団の構成員は中心的かつ永続的であり、集団の分割は、共通の公民権によって取って代わられ、結局は弱まっていくこれら集団のアイデンティティを考慮することは非現実的、あるいは不平等だというようなことであれば、それは、各集団権がそうあるべきものを決定する方針をとるべきである。このように、カナダは、自らを、英語とフランス語という二つの基盤を持つ民族の連合だと思っている。マレーシアはマレー語と中国語とを分ける線がなくなったとは思えない。ベルギーは、ふらんすご使用者の優勢と共に、中央集権制としてやっていこうとしていた。しかし、いったん、フラマン語使用者たちがその平等権要求を主張したら、ベルギー憲法は国家の中に永久にこれら二つの中心的な要素を受け入れなければならなかった。
  もちろん、多民族国家の中には他の重要な相違もある。すなわち、一つの集団が差別直面している明らかに下位のマイノリティであるような国がある。そして、様々な集団が互いをより高いとかより低いというように階級の中に配列されていると見なさない国もある。しかし、ほとんど多くの他民族国家では、集団は互いをランク付けしている。きっちりしたカーストのような状態が法の中で決定されているような南アフリカや合衆国南部におけるほど、階級は絶対的ではないかもしれないが、一般的に、一つの集団による別の集団に対する不平のような感覚がある。しかし、この問題は私が提唱してきた原理には影響を与えない。政治的、経済的力において、だいたい同じような集団が、それにもかかわらず、あまりにも分割され、自らを異なるものだと思いすぎているために、共通の規範への統合や同化の考えはあり得ないことになる。これはまさに、カナダにおける英語使用者とフランス語使用者やベルギーにおけるフラマン語使用者とフランス語使用者の場合である。一方で、階級の中に並べられ、「より高い」とか「より低い」と考えられており、現実的な経済的、政治的下位がもたらされている集団は、それにもかかわらず、彼らの理想を設定し、結局は、共通の社会への統合を期待するかもしれない。これは、確かに、黒人の指導者が、他のアメリカ人全てが持つ権利をもって、アメリカ人、完全なアメリカ人になること以外は望まなかった、1960年代後半までのアメリカ黒人の公民権運動の目的でもあった。そしてこれはまた、合衆国にやってきたヨーロッパ系移民の目的でもあった。移民及び二世としての彼らの多くは差別に直面したからである。同様に、自らを黒いイギリス人と見なしたし、おそらく今も見なしている、イギリスにやってきた西インド諸島の移民もまた、完全な受け入れと、他のあらゆる国民がもっている様々領域における同じ権利以外は望まなかった。移民やマイノリティ集団のどの態度が、一つには、集団の維持と集団権の新たな可能性へ向き、他方では、個人の統一と個人権の新しい可能性に向くだろう、ということを方向付け、決定する国家のイデオロギーあるいは国家的一致のようなものがある。同じ背景から、移民集団をカナダとアメリカで比較することはおもしろい。すでに、二つの基盤を持つ明らかに異なる民族からなっているため、カナダは、やってきたマイノリティ集団のために、可能な限り集団の維持を選択させる機会を与えていた。このように、合衆国にやってきた同じ血統を持つ集団と比べて、カナダにやってきたスラブ系の集団やユダヤ人は、あまり統合されず、また、集団の保持の方により関わり合いを持ったということをそれは示す。差別と人種差別が現実的であろうとなかろうと、合衆国は、国家的な考えとして、まとまった新しいエスニックアイデンティティ、すなわち、アメリカ人というアイデンティティを持っていた。合衆国は経済的ではなく、政治的に定義された州の連合体である。一方、カナダは、様々な州の中にうまく計画された民族の連合体である。エスニックの自らのイメージに対するこのうまく計画された枠組みの影響は、両国にやってくる二次的な移民に関してみることができる。そして、私は思いきって言うが、同じ違いを法制度の中に見ることができる。カナダにおいては、形式的にも、そして法的にも、エスニック集団としての存在をより快く受け入れる。私は違いを強調するつもりはないが、それはあるのである。
  しかし、私が強調したいのは、いくつかの社会にとって、選択は可能だということである。そして、今私は、合衆国の話に戻ろうと思う。社会は、個人権でも集団権でも、どの道にも進むことができる。そのことが、Bakkeの訴訟をめぐる意見の相違が、1960年代、公民権闘争中に個人権を好む一つの意見の堅い集結を形作った社会の要素を教え込まれたエリートの間でも、とても強烈であった理由である。合衆国において、移民集団を国家に入れたがる現実と共存すること、アメリカナイズしはじめること、経済的、社会的、政治的に向上することは、同様に、黒人、中国人、日本人、インディアンの立場が、差別と人種差別のために、法においても人種用語の中でも定義された強力な事実であった。そして、一つの民族や平等な権利を受ける個人に対する、全てを含む国家的な目的やイメージと共存することは、疑問の余地なく、ある程度、差別によって後押しされた、文化の多様性や集団のアイデンティティの持続を好むマイノリティの感傷であった。合衆国における多くの意見は、常に、アメリカの理想である個人権と平等にたいする裏切りとして、差別及び人種差別と戦ってきた。1960年代半ば、人種への言及を除き、民族性に基づくあらゆる人数枠制を除いた1964年の公民権法と1965年の移民法が通ったことに伴って、まるで、個人権の理想が、勝ったかのように思えた。しかし、私たちが見てきたように、現実の平等にどうやって到達するのかという疑問が生じた。そして、私たちは、再び、集団の定義、そして、差別と人種差別のためというよりはむしろ、修正と利益のための時代へ向かって動き始めたのである。
  明らかに、一つの重要な問題が、前もって従属され、あるいは独立した集団が個人権の方法のもとで前進を考慮することができるか否かである。Gordon P. Means はこの問題を良く書いている。
  
  「特権に賛成しても、反対しても、よい事例は作られうる。文化の多様性が考慮される必要がある場合において、そのような制度は、めまぐるしい社会変化を引き起こすための効果的な計略になりうる。優先権なしには、分割された、あるいはまとめられた文化集団及びエスニック集団の機会構造の改善を引き起こすことはないかもしれない。集団のアイデンティティと地方自治主義とエスニックに対する偏見が社会に浸透する場所で、もし、個人の達成と普遍的な規範に基づいた機会の平等について話すことが偽善的でないとしたら、それは単純である。」
  「集団のアイデンティティと地方自治主義とエスニックに対する偏見が社会に浸透する場所」という語を私は強調したい。もし、彼らの境界が明確で、法律や慣習によってきちんと定められ、浸透されうるようになることを望んでいないために、社会において、集団が互いにきっちりと分けられていたら、また、集団のアイデンティティが差別及び人種差別のために使われてき、また、使われているような長い歴史的な伝統の中に彼らが住んでいるとしたら、代わりのものはないかもしれない。すなわち、特権は、下位の集団を守り、集団間の調和を育成するのに不可欠かもしれない。このように、私たちは現実の問題を解決しなければならない。しかし、私たちはまた、方向性の問題も解決しなければならない。なぜなら、もし、下位や多様性が克服されつつあるとしたら、私たちは、集団権と優先権の方針を選んだことに対するネガティブな結果について考えなければならず、また、私たちは、可能な限りそれらを避けようとしなければならないからである。Meansは次のように続けている。「しかし、全てが言われてきたら、集団の特別権の制度がかなりの社会的コストを意味し、むしろ、社会的変化を引き起こす大まかな計画になることを、それはまた、認識すべきである。」
  インディアン最高裁の裁判はまた、そのジレンマに立ち向かうのに有益な言語を提案した。彼以前の訴訟は、初めは最も遅れた社会的階級として認められたが、特別権の訴訟において期待する傾向、他のより遅れた社会的階級と階級を含むまでに広がりはじめた特別権として扱った。判事のKrishna Iyerは書いている。
  
  「社会の分割は、好意的な差別を基盤として扱うために、堅く現実的であるべきである。もし私たちが、そのような階級について調べるなら、私たちは、あらかじめ決められた階級制度と部族の他にはいかなる大きな区分も見いだすことはできない。」
  
  
  これは、私たちが適用する訴訟である。社会の分割はとても堅く現実的であるため、故意的な差別の代わりはないのだろうか?
  私たちは、今、現実的にも理想的にも、多民族社会がどの方向に動くのかという基盤を、理解しなければならない。しかし、選んだ方針の結果は何だろうか?もし、私たちが集団権の取り組みを選んだら、私たちはいくつかの集団間の違いはとても大きいので、それらは、個人権に基づいた満足に到達できないと言う。私たちはまた、私たちが望むと望まないとに関わらず、私たちが永久に、法によって社会をエスニック集団分割するだろうとも言う。彼らが、インドで、そして合衆国でするように、集団権の主張者たちが要求するとしても、これは、不平等の問題の一時的な解決にすぎない。集団の構成員に基づいて法的に与えられた特権が集団を強くせず、彼らの境界を必ずしも維持せず、いったん与えられた特権が取り消され得ない民主的な社会において永続しないということは、私にとって、不可解である。事実、アメリカの社会は、集団の合併と多様性が国家にとってどうでもよい問題になっていて、国家は、そのような合併が個人の運命に何ら影響を与えなかったことにだけ関心を持っている、個人権を主張する方向に進んできたが、もし、アメリカ社会が、集団権の方針に沿って進み続けるなら、社会は何かとても異なったものになるだろう。より多くの集団は、特権を受ける対象としてすでに選ばれた四つに加わっている。そして、人種、肌の色、出自に関わらず、個人としてのみ考えられる個人の要求は、集団権の方向に進む全ての運動と共に、また、集団の合併を基盤として採用するために、ますます多くの枠が残されるにつれて、却下されるだろう。
  アメリカ社会のような社会が、アイデンティティの統一の主張という伝統と、マイノリティの伝統である、文化の多様性の議論という二つの方法に直面したとき、富や力においてかろうじて区別されている多くの集団、しかし、とても遅れている他の集団は他の選択から逃げる余地がない。アメリカ社会において、集団間の違いが「とても堅く現実的」なために、特権以外の他の方法がないのだろうか?私にとって、そして、他のアメリカの状況の分析家たちにとっては、黒人と白人間の格差、ほとんどのマイノリティ集団と社会の残りの人々との格差が政治的代表者、収入、教育においてなくなってきつつあるその速度は、とても速く満足できるものである。他の人にとっては、これらの変化は取るに足らず、重要なものでない。私にとっても、アメリカの社会の全体的な方向性は、共通の理想に基づいた共通のアイデンティティを持った社会へと向かってきた。共通のアイデンティティの中で、集団のアイデンティティは、個別的でかつ個人の選択として尊重されるが、これらのアイデンティティは厳しく、国家における、公式で法的な憲法上の規則からきっちりと除外されている。他の人にとって、集団が過去に、差別及び人種差別及び排除のために、法的に決定されたという事実が、私たちが賠償のための法的な集団の定義づけを復活すべき十分な理由となる。
  私たちが個人権対集団権という困難な問題において今している選択は、私たちに、アメリカの社会のどちらの見方が勝っていて、また、結果として、アメリカの社会における個人権の運命がどうなるのかを教えてくれるだろう。

 
 
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The Capacity of International Law to Advance Ethnic or Nationality Rights Claims
S. James Anaya


 紹介:野田桃子

【エスニック集団あるいは民族集団の要求】
@非差別と平等な扱いの要求
〈例〉
・1950年代と1960年代のアメリカにおいて集結した市民権運動
・南アフリカにおけるアパルトヘイトに対する運動

〈国際法の対応〉
・明白な援助
・国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約、人種差別の排除に関するあらゆる国際規約などの主要な国際的な法律

A分離あるいは自治の要求
〈例〉
・ソビエト連邦におけるバルト海沿岸諸民族の脱退論者たちの努力
・北アメリカにおけるインディアンの部族や世界中の他の先住民族による拡大された自治への試み

〈国際法の対応〉
・明確には受け入れていない
・多国間条約の中で使われてきた「あらゆる民族が自決を持つ」という民族自決の肯定は、エスニックの自治要求に対して糸口は提供。


【著者の焦点】
Aのエスニック及び民族による自治要求とそれらを擁護する自決の理論を採用する国際法の本質的な法的立場。
【エスニック集団による自治要求】
T.「歴史的主権」の取り組み(2.The Historical Sovereignty Approach to autonomy Claims)
・領土的に限定されるか、独立しているか、あるいは主権のある国家に分割された世界という、西洋における理論上の起源の前提を容認
・歴史的な共同体の査定に基づいたオルタナティブで競合する地政学も容認

〈自決の扱い〉
・自治を回復するために引き合いに出される。
例)北アメリカインディアン部族
より拡大した政治的自治を要求する際、前アメリカの国民であるという主張、あるいは主権に頼る。

〈国際法による制限〉
1.時際法の規則
・歴史的な出来事を、それらが起こったときに有効だった法に従って判断
・国際法は、先住民族の意志にもかかわらず、歴史的に、国による領土の獲得を有効にしてきた。
例:アメリカ大陸における現代の政治的構成につながる帝国の建設を支えていた、征服主義と有効な占有の主要な、より初期の公式化

〈例外〉
・バルト海沿岸の共和国
1940年にそれらの国々が強制的にソビエト連邦に併合されたことは、現代の規範においても、その時代に適用できる国際法の規範においても、独立した主権国家としての共和国の地位に対する不法な強奪であった。
・ヨーロッパの強国と多くのアメリカインディアン部族の間で締結された条約は、19世紀半ばを通して、16世紀の国際法を採用

→これらの条約のほとんどによって、領土が減っていく中でも部族の自治力は支えられてきた。

しかしながら...
19世紀末から20世紀初頭にかけての調停によって、現代の国際法のためにこれらの条約の存続性を評価することは困難になった。
2.承認の問題
・承認は「あいまいな起源の状況を法的に有効にするかもしれない」国際法的な事象

〈例外〉
・バルト海沿岸諸国
合衆国と西ヨーロッパ諸国は、1940年のソビエト連邦によるバルト海沿岸諸共和国の併合を承認するのを拒否し、諸国におけるソ連の主権を承認しない公式の立場を打ち立てた。

3.国際法的なプロセスにおける標準的な傾向
・伝統的な原理を犠牲にしてさえ、不安定を乗り越え、実用的な方法による安定へ向かう傾向
・おそらくはほとんどの重要な制度上の制限でもある

〈例〉
・国際組織と法廷
国境を再調整し、歴史的共同体という単純な方式によって新しい国境を創造するであろう自決の様式に抵抗
←歴史的な主権の取り組みに基づいたエスニックの自治要求の国際法による受け入れは国際的な制度の法的不安定さにつながるから。

・国連
アフリカとアジアの脱植民地化において植民地以前の政治的な単位を回復するという政策を取らなかった。

・アフリカ統一機構
    その境界が先住民族に関して人工的であると広く認識されている植民地的な領土の独立させる政策を採用

・国際司法裁判所
「西サハラ事件」における決定に従った。
└スペイン法の下にあったサハラ砂漠における領土の脱植民地化と関係。
1975年、北アフリカの西サハラがモロッコに侵略された事件

裁判所の認識:現代における居住者の意志の自由で純粋な表現を通して、領土の将来的な地位が決定されるような自決の様式に賛成

国際司法裁判所の勧告的意見
「スペインが西サハラを植民地化した時である、スペインが西サハラに保護関係を宣言した1884年の時期の国家慣行では、社会的・政治的組織を持った地域は無主の地とはみなされておらず、それらの地域の取得は「原始的権原による無主地の先占」ではなく、地域の首長との合意によるものである。」とし、当時の西サハラは首長の下に社会的・政治的に組織されており、無主地ではない、とした。(1975・10・16勧告的意見)

U.人権の取り組み(3.The Human Rights Approach to Autonomy claims)
〈自決の扱い〉
・人権関連の語彙を拡大している国際法内部で生じ、それ故に、生きている人間集団に一括して付与される基本的権利
・外部支配から自由になるための植民地的な領土における現代の居住者たちの権利
・自由・平等・平和という概念に由来する権利
・国連の研究
先住民族の立場においては、「彼らの結合と彼らの社会的、文化的伝統の継続に貢献してきた文化的、法的伝統の固有の部分」だと結論づけている。「もし、同時に、先の世代に対する彼らに特有のエスニックアイデンティティを守り、発展させ、伝える一方で、先住民族が、彼らの基本的な権利を教授し、彼らの未来を決定できるとしたら、自決は、その多くの形の中で、基本的な前提条件である。」
  ・独立国家の権利と同等に扱うべきではない

〈文化保全〉
・国連憲章、市民的及び政治的権利に関する国際規約27条、集団殺害に関する条約、ユネスコ文化的協力の原則の宣言など
→自由、平等、平和という人間価値と、文化保全の原理を代表するものとを結びつけることによって、エスニックの自治要求は有力な正当性を与えられる。




〈問題点〉
1.人権概念に対する個人的なバイアス
・国際法における人権の発達の主な原動力を提供した伝統的な西洋の自由政治哲学に起因する。

〈西洋の自由の見方〉
「一方で個人の権利を承認し、もう一方で全社会的集団の主権を承認している。しかし、それは実際に人間の文化に存在する、中間的でオルタナティブな連合的集団の豊かな多様性に敏感ではないし、また、市民の自由あるいは国家の特権にも敏感ではない。」

〈国際的な法的、政治的な言説〉
先住民族の権利を集団の権利とし、個人や国家の権利とは区別する、国連とその機関である国際労働機関の先住民族関連のとりきめ
・国連人権委員会によって発展せられてきた、最近の世界先住民族の権利宣言の草稿
・1989年の国際労働会議によって採用された、先住部族についての国際労働機関協議会
・人間と民族の権利に関するアフリカ憲章

2.伝統的な国際法、国家主権の原理
・領土保全、独占的な支配、そして不干渉の推論と共に、国際的な共同体から承認された国家によって主張される、自治領域内の問題を制限する国際法の法的立場を、国家主権の原理は妨げる。

〈現代の国際法〉
・主権拡大の原理:国際的な共同体によって採用される人権価値の対象
安定した人間価値と、秩序だった自由とを、ある程度発展させ続ける。

しかし...
二つの大戦の残虐行為と被害以来、それらが、人権の征伐の共犯者として扱われ、あるいは、人権の価値を促進するために連合する国際関係に対抗する盾としてはたらくとき、国際法は主権原理を十分に理解してこなかった。

〈現代の国際法における、人権義務に対する主権原理の柔軟性〉
・自国民についてあらゆる国に適用できると見なされる人権規範の適用範囲の拡大
・脱植民地化の過程そのもの
【結論】
・国際法は、第一に歴史的評価に基づいた主権のオルタナティブな見方に基づいて、単純に国家構造に異議を唱える自治要求を簡単には手助けしようとはしない。
←国際法の制度的な枠組みに大きな緊張を与えるため
・エスニックの自治要求が、人権に基づいて正当化でき、独立した国家という絶対的な主張を避けるとすれば、国際法は、独立した国家に対するエスニックの自治要求をよく受け入れることができる。


参考
http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/la%20paz2.htm

1. Introduction

 地球上のあらゆる地域において、人類の一部は、人種・言語・宗教・血縁・慣習などの結合に執着し続けているし、また、それらの結合を政治的な未来へと投影しつつある。あらゆる多すぎるほどの例があるが、エスニック集団と民族集団が相互に影響しあう状態は、現代の国家制度を基盤とした人間組織の構造によって圧迫されているということを、最近の出来事によって気づくことができる。彼らを巻き込む国家構造に疑問を感じてきた集団には、アメリカ大陸の先住部族、ケベック人、バルト海沿岸諸国民、エリトリア人、クルド人、バスク人がある。
 包括的に示すと、エスニック集団あるいは民族集団の要求は、二つのカテゴリーに分けることができる。一つ目のカテゴリーは、非差別とより広い範囲での社会的環境における集団のメンバーに対する平等な扱いの要求に相当する。そのような要求の例として、1950年代と1960年代のアメリカにおいて集結した市民権運動と、南アフリカにおけるアパルトヘイトに対する運動があげられる。国際法はこれらの要求に対して明白な援助をしてきた。非差別の考え方は、国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約、人種差別の排除に関するあらゆる国際規約などの主要な国際的な法律の中に、堅く埋め込まれ、念入りに作られてきた。
 二つ目のカテゴリーは、エスニックの共同体が、彼らが住む国家における他の人々からのある程度の分離あるいは自治をその中で探し求めるというような要求からなっている。例としては、ソビエト連邦におけるバルト海沿岸諸民族の脱退論者たちの努力や、北アメリカにおけるインディアンの部族や世界中の他の先住民族による拡大された自治への試みがある。「あらゆる民族が自決を持つ」という言葉は、多国間条約の中で使われてきたけれども、国際法はまだ、過去の植民地主義の文脈をこえた政治的自治に対する要求を明確に受け入れてはいない。それでも、民族自決の肯定は、現代の国際的な法的、政治的言説へ確実に進むというエスニックの自治要求に対して糸口を提供してきた。エスニック及び民族による要求というこの二つ目のカテゴリーとそれらを擁護する自決の理論を採用する国際法の制度上の法的立場に、私の考えは焦点を合わせている。

2.The Historical Sovereignty Approach to autonomy Claims

 エスニック集団による自治要求は、一つあるいは二つの基本的な取り組みの組み合わせの形をとる。一つを、私は「歴史的主権」の取り組みと呼ぼう。この取り組みのもとで、現代の要求者集団と大まかには一致する歴史的な共同体が主張する自治を回復するために、自決は引き合いに出される。この取り組みは通常、領土的に限定されるか、独立しているか、あるいは主権のある国家に分割された世界という、西洋における理論上の起源の前提を容認する。しかしながら、この取り組みは、歴史的な共同体の査定に基づいたオルタナティブで競合する地政学を認めてもいる。例えば、より拡大した政治的自治を要求する際、北アメリカインディアン部族の代表は、しばしば、前アメリカの国民であるという主張、あるいは主権に頼る。
 この取り組みを制限する国際法の側面は少なくとも3つある。一つ目の制限は、いわゆる時際法の規則の中にある。それは、歴史的な出来事を、それらが起こったときに有効だった法に従って判断するというものである。しかしながら、不幸なことに、国際法は、先住民族の意志にもかかわらず、歴史的に、国による領土の獲得を有効にしてきた。例えば、征服主義と有効な占有の主要な、より初期の公式化は、アメリカ大陸における現代の政治的構成につながる帝国の建設を支えていた。
 もちろん、時際法の規則が障害でないという場合もある。例えば、バルト海沿岸の共和国の場合においては、極めて説得力のあるケースが作られてきた。つまり、1940年にそれらの国々が強制的にソビエト連邦に併合されたことは、現代の規範においても、その時代に適用できる国際法の規範においても、独立した主権国家としての共和国の地位に対する不法な強奪であった。同じ傾向において、ヨーロッパの強国と多くのアメリカインディアン部族の間で締結された条約は、19世紀半ばを通して、16世紀の国際法を採用した、というケースも作られた。これらの条約のほとんどによって、領土が減っていく中でも部族の自治力は支えられてきた。しかしながら、ヨーロッパ人ではない原住民と結んだ条約の国際的な地位を、国際法が拒否してきたようにみえる、19世紀末から20世紀初頭にかけての調停によって、現代の国際法のためにこれらの条約の存続性を評価することは困難になった。
 歴史的な主権の取り組みにそったエスニックの自治要求を受け入れる法的立場を制限する国際法の二つ目の側面は、承認の問題である。承認は「あいまいな起源の状況を法的に有効にするかもしれない」国際法的な事象である。すなわち、国の優勢、国際的な組織化、そして他の関連した国際的な活動者たちが、国の境界と領土における主権の一致を承認するとき、国際法は、伝統的に守られた基本的な原理の問題として承認された主権を是認する。国際法的な過程はこのように、領土は法的な意味によって得られるのかどうかということにほとんど疑問を感じない。そして、歴史的な状況や出来事を基盤とした主権争いのみを主張する見せかけの承認された主権をもつ集団のためにわずかな可能性も残さない。
国際法の原理として、承認は、制限された環境において、主な障害ではないかもしれない。再び、バルト海沿岸諸国は事例を提供する。合衆国と西ヨーロッパ諸国は、1940年のソビエト連邦によるバルト海沿岸諸共和国の併合を承認するのを拒否し、諸国におけるソ連の主権を承認しない公式の立場を打ち立てた。、たとえいかなる主要勢力も乗り出してこず、また、リトアニア(ほとんどの独立国が諸国を心にとめているが)が繰り返し要求しているけれども、バルト海沿岸諸国のどの国も独立した国家の共同体に明確には迎え入れないとしても、この立場は明らかに変化しなかった。
 エスニックの自治要求に取り組む歴史的な主権を制限し、おそらくはほとんどの重要な制度上の制限でもある、国際法の3つ目の側面は、伝統的な原理を犠牲にしてさえ、不安定を乗り越え、実用的な方法による安定へ向けた国際法的なプロセスにおける標準的な傾向である。社会学者たちは、今日、世界におよそ5000の分離しているエスニック集団あるいは民族集団があると見積もっている。各集団の大部分は歴史との関連によって、定義づけられ、自らも定義している。この見方では、今日の世界における独立国の数は少なくなる。およそ176国である。さらに、彼らの歴史のある時点で主権のようなものを奪われてきた非常に多くの、国家ではない文化的集団の多くは、同様に、他の集団からある時点で自治を奪ってきた。もし、国際法が、歴史的な主権の取り組みに基づいたエスニックの自治要求を十分に受け入れているとすれば、国境の存在に対する多くの潜在的な疑念は、時代をこえた主権要求の争いを査定してきたことの不確かさとともに、国際的な制度を法的に不安定な状況に持ち込め、国際法を安定というよりはむしろ不安定の手段にすることができる。
 従って、現代の主要な国際組織と法廷は、国境を再調整し、歴史的共同体という単純な方式によって新しい国境を創造するであろう自決の様式に抵抗した。国連は、第一に部族の加入に基づいた植民地以前の政治的な単位を回復するという政策による、アフリカとアジアの脱植民地化を促進しなかった。代わりに、その境界が先住民族に関して人工的であると広く認識されている植民地的な領土の独立を、国連の政策は遂行したのである。アフリカ統一機構もまた、いくつかの議論を経て、この政策を採用した。
 国際司法裁判所は「西サハラ事件」における決定に従った。この事件は、もともとはスペイン法の下にあったサハラ砂漠における領土の脱植民地化と関係している。裁判所は、勧告的意見において、植民地政治的な共同体は、西サハラの民族を、隣接するモロッコやモーリタニアと、影響力と忠誠という歴史的な領域を通して関連付けた、と認識していた。しかし、裁判所はそのような「合法性」が、西サハラの脱植民地化において自決の原則を適用することに影響を与えるべきではないと考えていた。代わりに、裁判所は、現代における居住者の意志の自由で純粋な表現を通して、領土の将来的な地位が決定されるような自決の様式に賛成した。
 以上より、先に存在し、努力して主権を手に入れたという報告に基づいたエスニック集団あるいは民族集団の本来の自治要求を、国際法は簡単には受け入れることができないのだと私は思う。

3. The Human Rights Approach to Autonomy claims

 「西サハラ事件」において国際司法裁判所によって提案された二つめの取り組みは、現代の人間の相互作用と価値に焦点を当て、また、おそらくは、国際法を通した自治要求の進展により大きな可能性をはらんでいる。私はこの二つ目の取り組みを「人権の取り組み」と呼ぼうと思う。この取り組みのもとで、自決は多少固定的な用語で説明され、未来に投影されている歴史的に得られた主権の実体とは基本的に関係ない。むしろ、自決は、人権関連の語彙を拡大している国際法内部で生じ、それ故に、生きている人間集団に一括して付与される基本的権利として捉えられる。脱植民地化の状況の中で、国際的な共同体は、人権への取り組みを好んだ。そして、それは、アフリカ・アジア・そしてその他の地域にまで広がった植民地帝国の崩壊において成功した。この状況の下で、関係者たちは、自決が、外部支配から自由になるための植民地的な領土における現代の居住者たちの権利であり、自由・平等・平和という概念に由来する権利であると考えた。植民地的な領土にかわる独立した国家は、規範だったことが理解できる。人権への取り組みの中、現代のエスニックの自治要求の状況に自決の原理を適用することにおいて、他の発達している人権の概念、特に文化保全の概念がはたらき始めた。国際法における文化の保全と発展という人権の出現は、国連憲章、市民的及び政治的権利に関する国際規約27条、集団殺害に関する条約、ユネスコ文化的協力の原則の宣言などによって示されている。自由、平等、平和という人間価値と、文化保全の原理を代表するものとを結びつけることによって、エスニックの自治要求は有力な正当性を与えられる。先住民族の立場においては、例えば、国連の研究は、自治は、「彼らの結合と彼らの社会的、文化的伝統の継続に貢献してきた文化的、法的伝統の固有の部分」だと結論づけている。「もし、同時に、先の世代に対する彼らに特有のエスニックアイデンティティを守り、発展させ、伝える一方で、先住民族が、彼らの基本的な権利を教授し、彼らの未来を決定できるとしたら、自決は、その多くの形の中で、基本的な前提条件である。」その主張にもかかわらず、もし、権利の所有者が実際にはもっと低い地位を望んでいるかもしれない場合でさえ、独立した国家を選ぶ権利を主張する絶対的な言葉においてそれが表現すれば、人権への取り組みは、国際法の規範的な傾向に反して、不安定という不安材料を生じる。もし、現在のエスニックによる自治要求のほとんどの状況において、自決が意味あるものになりうるなら、独立した国家という言語表現を超えて動くことは、大いに助けとなり、おそらく避けられないものになる。
自決は独立国家の権利と同等に扱うべきではない、と私は考える。人権への取り組みのもとで、自決の概念はもっと意味ある解釈を適用できる。特に、国家が公式な属性が意味を持たなくなってきており、ますます相互依存している世界においては。自決は、集団がその明確な特質に従って存在し発展することを許すのに不可欠な政治的制度という文化的集団の権利として理解されているかもしれない。各々の場合の状況が様々であるため、制度とある程度の自治は必然的に多様となるだろう。そして、要求している集団のために必要な状況の決定において、意志決定者たちは他集団の人権の重さをはからなければならない。一方で、排除されない独立国は、ごくまれな場合にしか正しいとされない。そのような自決の公式化は、国際法の規範的な傾向と矛盾しない、世界平和と安定とを促進するだろうと私は信じている。
 エスニックの自治要求に対する人権への取り組みが、そのような絶対的ではない用語として理解されるときでさえ、その取り組みは国際法の組織内部から起こっている妨害に立ち向かい続ける。二つのまだ残っている、しかし、克服できないわけではない問題がある。一つ目は、集合的あるいは集団の権利の認識を妨げる現代の国際法における人権概念に対する個人的なバイアスがある、ということである。このバイアスは、国際法における人権の発達の主な原動力を提供した伝統的な西洋の自由政治哲学に起因する。私が至るところで議論してきたように、西洋の自由の見方は、「一方で個人の権利を承認し、もう一方で全社会的集団の主権を承認している。しかし、それは実際に人間の文化に存在する、中間的でオルタナティブな連合的集団の豊かな多様性に敏感ではないし、また、市民の自由あるいは国家の特権にも敏感ではない。」
しかしながら、国際的な法的、政治的な言説は、集合的あるいは集団の権利のさらなる実現に対して重要な動きを作ってきた。重要な例としては、国連とその機関である国際労働機関の先住民族関連のとりきめがある。国連人権委員会によって発展せられてきた、最近の世界先住民族の権利宣言の草稿も、1989年の国際労働会議によって採用された、先住部族についての国際労働機関協議会も、先住民族の権利を集団の権利として声明している。また、人間と民族の権利に関するアフリカ憲章もまた、家族と「民族」における集団の権利を、個人あるいは国家の権利とは異なるものとして述べている。
二つ目の制限は、これまで議論してきた承認の問題と関連して、伝統的な国際法、国家主権の原理の中にある。領土保全、独占的な支配、そして不干渉の推論と共に、国際的な共同体から承認された国家によって主張される、自治領域内の問題を制限する国際法の法的立場を、国家主権の原理は妨げるのである。主権は、特に、社会的、政治的問題にかんして周到である。しかしながら、エスニックの自治要求の広がりは、人権関連として位置づけられ、国家の主権の障害は克服され得ると私は信じている。
現代の国際法において、主権拡大の原理は、国際的な共同体によって採用される人権価値の対象になってきた。国家の司法権的境界によって実質的に組織化され続ける国際的な共同体において、主権原理は安定した人間価値と、秩序だった自由とを、ある程度発展させ続ける。しかし、二つの大戦の残虐行為と被害以来、それらが、人権の征伐の共犯者として扱われ、あるいは、人権の価値を促進するために連合する国際関係に対抗する盾としてはたらくとき、国際法は主権原理を十分に理解してこなかった。自国民についてあらゆる国に適用できると見なされる人権規範の適用範囲の拡大と脱植民地化の過程そのものは、両方とも、現代の国際法における、人権義務に対する主権原理の柔軟性を示している。

4.Conclusion

 国際法は、第一に歴史的評価に基づいた主権のオルタナティブな見方に基づいて、単純に国家構造に異議を唱える自治要求を簡単には手助けしようとはしない。そのような取り組みは、国際法の制度的な枠組みに大きな緊張を与えるからである。もし、エスニックの自治要求が、人権に基づいて正当化でき、独立した国家という絶対的な主張を避けるとすれば、国際法は、独立した国家に対するエスニックの自治要求をよく受け入れることができると、私は信じている。事実、エスニックの共同体は現在と過去両方の状況と出来事の産物である。歴史的な現象は、共同体の現在の生活と大きく関わることができ、このため、人権の見地から持続的でありうる。人権への取り組みは歴史的な状況の考慮を省く必要がない。しかし、それは、そのような考慮を、現時点での人権実現の要求のより大きな査定に再び集中させる。その人権の議論を通して、現代の国際法は、そのような査定とエスニック及び民族の権利要求と関係させる価値との関連を喜んで受け入れる。


UP:20030924 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9500kw.htm REV:0927,30,1006
多文化主義/多言語主義(http://www.arsvi.com)  ◇BIBLIO.  ◇WHO 

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