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Teles, Steven M., 199609, Whose Welfare?: AFDC and Elite Politics, Kansas: University Press of Kansas.

Teles, Steven M., 199609, Whose Welfare?: AFDC and Elite Politics, Kansas: University Press of Kansas. 226p ISBN: 070060801X [amazon]


■[目次]

序文 vii
謝辞 ix

1. AFDC:コンセンサスか、それともディセンサス(Dissensus:意見の不一致)か? 1
2. AFDCプログラムの展開 19
3. あるコンセンサスの破綻と、別のコンセンサスの台頭 41
4. エリート文化の矛盾の本質 60
5. 包括的な改革の失敗 75
6. AFDCにおける法廷の役割 98
7. AFDCの連邦形態での存続 119
8. 失われた機会: ディセンサス、権限委譲、そしてクリントンの福祉計画の破綻 147
9. 結論: 解決法を見出すこと 164

注記 177
参考文献 205
索引 221



■メモ

5章 包括的な改革の失敗

・なぜ新しいコンセンサスがAFDCの転換へと至らなかったかを分析

・モイニハンレポートとFAP:貧困や福祉へのコンセンサスがとれたアプローチを表していたが、それは政治的論法の文化的統合モードに基づいていた。それらは各々、アメリカの文化的継承物の様々な要素を和解させようとしたが、その方法は、労働、家族、自助といった伝統的価値を、所得支援や雇用において政府の役割を拡大させることを通して、支援するというものだった。両者を非難したのは、大きな政府に反対する人々ではなく、より利益の少ない人々を擁護する左派であった。

・モイニハンレポートへの非難は、アメリカにおける新種の左翼政治の政策表明であると理解できる。その新しい政治は、積極的に単一文化主義で人道主義的な性格を、国民意識の他の要素の中に統合する試みを拒絶する。その新しい政治は、アメリカを原理的に欠陥があるとみなし、不正手段以外では、貧困層のニードに対応することはできないと考えていた。同レポートへの非難によって阻害されたのは、福祉と貧困へのコンセンサスアプローチの可能性であり、それにより、1960年代半ばからのAFDCを特徴付けた党派政治の段階を用意した。

・FAPに反対するキャンペーンで用いられたレトリックは、モイニハンレポートに反対する時に用いられたものであり、同様の政治戦略に基づいていた。すなわちall or nothingである。ディセンサス政治の特徴的な要素の全てがFAPを巡る論争で現れ、提案を挫折に導いたのだが、その提案が意図していたのは、国の何百万の貧困層に、より多くの収入をもたらし、アメリカ社会の本流へと統合することであった。

◆ディセンサス政治と包括的な政策変化

◆モイニハンレポート

◆福祉権運動の勃興

・PivenとClowardの戦略
★ディセンサス戦略:体制の安定性を、それが完全に壊れるまで攻撃し続けること
選別的なインセンティブ、高水準の熱心なモラル
さらに、@告訴戦略、A地域組織による貧民の直接の組織化

・1968年までに第一歩は成功:AFDC制度は、多分に任意の助成金―扶助プログラムから、ほぼエンタイトルメントに転換
→ 州と連邦政府の財政に大混乱を引き起こす
→ 2つの対案
@新しい受給者を登録名簿から追い出すか、給付金を削減する
Aプログラムの連邦化と広範囲の所得保障プログラムへの転換

◆家族支援計画(FAP)の挫折

・ニクソン内閣の内部で実質的な反対があった―Arthur Burns と Martin Andersonは、1975年のスピーナムランドプログラムの提案に例えた。・・・。ニクソンは毎年の保証所得が必要であるという点で彼らに賛成し、それを自分の業績にした。・・・。その実質は同一のものであったが、象徴的に勝ったのは、資本主義制度の非効率性ではなく、労働の価値であった。(p90)

・この専門主義の規範により、委員会は提案された法案を自身で、あるいは行政機関の官僚制の助けを借りて、書き直すことができた。(p91)

・共和党保守と南部民主党からの反対

・保守のFAPへの反対は予想可能であった。結局、FAPが打ち立てたのは、毎年の保証所得という典型的にリベラルな原理だった。ニクソン政権が期待したのは、多くの保守を、FAPの反官僚的な構造と、就労対策とによって、動揺させることができるということだった。議会で大多数が動揺させられ、財政委員会では、FAPに反対する強力な保守の議論はほとんど存在しなかった。この保守の支援は、いったんFAPについての本当のことがより明らかになれば、消えるであろうと予想した者もいた。そのプログラムの就労対策が、少なくとも紙上では、現在(WINの下で)あるものよりも弱められるのであったならば、保守の支援の消滅は不可避であっただろう(p91-2)。

・リベラルの反対、容易には予想できなかった:Fred Harris, Eugene McCarhty と Albert Goreの3人は、上院で最もリベラルな議員であった。

・仮に金銭面の問題を脇に置いておくならば、FAPはAFDC構造と比べて、寛大な福祉給付にとって極めて有利な制度的構造を設立したであろう(p92)。

・FAPは、給付水準の州間の格差を減らすことによって、NWROが最も組織されていた州での給付金を下げる政治的インセンティブを限定したであろう(p92)。

★FAPはAFDCの自由裁量の特性を排除するように設計されていたが、その特徴はNWROが会員名簿を増やす主要な手段であったのだ(p93)。

★NWROとそれを支えたリベラルは理解していなかったことなのだが、毎年の保証所得を獲得するために危機を作りだすというその運動の戦略が、極めて不安定なものであり、彼らが望んだ最後までに至るのと同様に容易に、本当の弾圧に至ったのであった。FAPは、その状況での政治が許す限り、おそらくそれ以上に、リベラルな方向で進んでいたことを、彼らは理解しなかった。仮に体制により多くの抵抗を押し込むならば、南部でのSCLCの戦略を採った時のように、体制はもはや抵抗できない点に達するであろうし、降伏しなければならないであろう、と彼らは考えていたかもしれない。仮にそうならば、彼らは間違っていた(p94)。


◆FAPへの代替案:就労インセンティブプログラム(WIN)

◆結論

・FAPが挫折したのは、部分的には左派の予期せぬ非協力と、右派の予想通りの反対が原因であったが、中道の政治的また知的弱さが原因でもあった。3人の上院議員は、上院財政委員会でFAPの挫折に関与したのだが、それを引き起こしたのは、左翼の過激思想であった。というのも彼らを中道に引き込む強力な思想的な力が存在しなかったからである。

★「そのような試みは全て、極端な反対に直面するが、その成功を決める鍵は、強い、文化的に統合的な思想における中道の存在であろう。ディセンサス政治は、その種の中道が存在しないところでは存在するし、中道が存在するところでは打ち負かされるであろう。」(p96)

・モイニハンレポートとFAPの両方は、それぞれの方法で、既存の福祉制度への文化的に統合的な代替案を設立しようとする試みであった(p96)。

★仮に福祉政治が、代議員の指向よりはむしろ擁護集団によって独占されるならば、改革は不可能であろう(p97)。



製作:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20060812 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9609ts.htm
初期ワークフェア構想の文献表
 

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