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天野正子 『「生活者」とはだれか 自律的市民像の系譜』 中公新書

天野正子 19961015『「生活者」とはだれか 自律的市民像の系譜』 中公新書 242p ISBN:4-12-101323-9  [amazon][bk1]

目次
プロローグ―生活者探しの旅へ
第一章 ファシズム体制のもとで
 一、生活者は芸術家である―三木清の生活文化論
 二、街の生活者―新居格の世界
第二章 戦後の出発へ
 一、「生き方」との対話から―今和次郎の生活文化論
 二、生活者の思想―思想の科学と「ひとびとの哲学」
 三、地方発信の生活者像―溝上泰子の世界
第三章 消費社会を行く
 一、さようなら消費者―大熊信行の経済学批判
 二、柔らかい個人主義の病い―山崎正和とベラー
第四章 「論」から「運動」の舞台へ
 一、「弱い」個人の強さ―ベ平連の実験
 二、生き方を変える女性たち―生活クラブの生活者運動
もうひとつのプロローグ―生活者像をひらく
あとがき
参考文献


プロローグ―生活者探しの旅へ
・生活者とは
1.生活の全体性を把握する主体をさす。
2.静的な形態ではなく、「生活者」へと生き方をかえていく一つのダイナミックな日常的実践をさす。

第一章 ファシズム体制のもとで
 一、生活者は芸術家である―三木清の生活文化論
「こうした三木の時代感覚は、戦後の花森安治のそれへとまっすぐにつながっている。戦争に敗れて三年目の一九四八年、花森は衣食住の雑誌として『暮らしの手帖』を創刊する。その創刊の初心となったのは、大政翼賛会の宣伝部に籍をおき、戦争遂行の旗をふったという戦中の花森の、自分自身に対する深い悔恨であり、戦争に捲き込まれたのは、自分を含む民衆一人ひとりが守りたい自分の暮らしを創ってこなかったからだという、戦中体験の「記憶」にほかならなかった。」(p.36)

 二、街の生活者―新居格の世界
「彼の生活文化論はその意味で、政府・軍部が国策的な新生活運動を通して、市井人の生活に枠をはめようとする動きに対する批判であった。厳しい思想統制のもとで、新居も三木と同じように、「生活者」の手による文化性(創造性や隣人との協同性)の必要を主張することによって、国策的な新生活運動への抵抗を試みたのである。」(p.49)
「新居は、「生活者」を知識人やエリートではなく、また中産階級でなく、それ以下の生活の根をもった「市井人」として明確に規定することによって、三木の観念的な生活者論をこえた。しかし同時に、家族や小地域のなかで育まれた民衆の創意としての生活文化を重視し、厳しい戦時体制下の国策として枠づけられた生活に一定の距離をおく人びとのなかに生活者の姿をみようとした点で、三木と共通するものをもっていた。」(p.55)

第二章 戦後の出発へ
 一、「生き方」との対話から―今和次郎の生活文化論

 二、生活者の思想―思想の科学と「ひとびとの哲学」
「その「思想の科学」が「生活者」という言葉を明確な形で使い、「無名の生活者」のなかに「思想のかくれた鉱脈を掘りあてたい」と宣言するのは、それから一三年後の一九五九年になってからである(第四次『思想の科学』の創刊の言葉)。しかし、「ひとびとの哲学」研究の「ひとびと」とは、初めから「生活者」であり、「ひとびとの哲学」とは「生活者の思想」にほかならなかった。」(p.73)
「普通の人びとのもっている哲学、いいかえれば民衆の思想は固定して静止したものではない。それは人びとの暮らしのなかで具体的な行動として表現され、たえず変化していくものである。日々の生活を生きていく、その過程で開かれていくものである。また、人びとの思想は、あいまいで、はっきりした形をとらず微妙な感情のなかに埋もれていることが多い。精密な意味をもつ命題に置きかえ抽象化してとらえようとすれば、こぼれ落ちてしまう。このことは、「ひとびとの哲学」にアプローチするには、独自な方法が必要とされることを意味している。人びとの生活世界のなかに息づき隠れている思想性を、原形をそこなうことなくすくい取り、記述し、形あるものとして紙の上に定着させることは、どうすれば可能なのか。「思想の科学」はそうした新しい方法を模索する、一つの実験の場だったのである。」(p.80)
・「ひとびと」
「第一に、そこには普通に暮らして生きる人びとを、「人民」「人民大衆」「国民」という「マス」あるいは「かたまり」でなく、「バラバラ」な個人として、さらにいえば「大衆のひとり」ではなく「ひとりの大衆」としてとらえようとする明確な意思があった。」(p.82)
・『民衆の座』(1955年)
「一方では人民や民衆・大衆にこび、煽動するような言動、他方では人民・民衆・大衆の啓蒙や指導の立場をとる運動と議論が横行するなかで、「思想の科学」の伝記づくりグループがめざしたのは、明らかにそれとはちがう方向であった。それは、「大衆のなかへ」というより、「一人ひとりの大衆のなかへ」、さらには「一人ひとりの生活者のなかへ」入っていくことをめざす運動だったのである。」(p.89)
・『身上相談』(1956年)
「「接合」重視の立場には、身上相談を戦略的な拠り所としながら、小状況における「ひとびと」の問題を、体制のかかわる大状況の問題にまで掘りさげ、結びつけていこうという問題意識が強く流れていた。」(p.100)
「生活者の思想に接近しようとするこうした「思想の科学」がきり拓いた視点と方法(聞き書き、生活記録、身上相談と大衆娯楽の分析)は、いまでは、広く一般化している。そこには、もはや方法論としての新鮮さをみることができないかも知れない。しかし、生活者である民衆の思想を真正面にすえる学問や研究がほとんどなかった半世紀前、敗戦直後の時代に、「思想の科学」は、マルクス主義者から非マルクス主義者まで、労働者や主婦、学生から研究者まで、考え方や立場、生き方を異にする人びとが幅広く参加し、対話を重ね、方法論を試行しつつ生活者の暮らしの思想形成をめざす広場を提供した。」(p.108)
 三、地方発信の生活者像―溝上泰子の世界
「「思想の科学」は思想的にも階層的にも異なる立場の人びととの交流を、運動の目標の一つにかかげてきたが、それでも異質のメンバーの登場が大きな話題になる程に同質的な人びとの集まりにとどまっていたのである。他者との交流を通して自己の思想を創りあげようとするメンバー一人ひとりの「誠実さ」とかかわりなく、こうした担い手の階層的・地域的偏りが、「ひとびと」の対象や視点に一定の限界を課していたことは、否みがたい。」(p.110)

第三章 消費社会を行く
 一、さようなら消費者―大熊信行の経済学批判
・第一次、第二次主婦論争と大熊『家庭論』(1963年) 「経済学批判と国家観の転換から導きだされた大熊の「男の女並み」化論は、それと違ってフェミニズムと交流しうる視点を萌芽的にはらむものであった。」(p.139)
・「男の女並み化」を掘りさげるところまではいかなかった。

 二、柔らかい個人主義の病い―山崎正和とベラー

第四章 「論」から「運動」の舞台へ
 一、「弱い」個人の強さ―ベ平連の実験
「ベ平連も生活クラブ生協も、一九六〇年代後半に生まれ七〇年代に定着をみた、わが国の「新しい社会運動」(New Social Movements)の一環として位置している。「新しい社会運動」の登場は、先進産業社会に共通の現象である。それは、六〇年代の学生運動にはじまり、この運動を母体に擡頭してきたマイノリティの公民権運動、フェミニズム運動、エコロジー運動、平和運動など多彩な運動を含んでいる。」(p.170)
「誰にでも開かれていて出入り自由、重視されるのは個人の自発性と創意、だからこそ、個人の責任は重い―市民運動としてのベ平連の原則は、その後の環境や公害、人権問題をめぐる多種多様な「新しい社会運動」に採用されることになる。」(p.176)
「小田実によれば「タダの人」の立場とは、「人間の都合」を、いいかえれば私的な利害を優先する「弱い個人」を意味した。かつて市民社会の人間モデルとして大塚久雄が描いた、日常生活をきりすて現世拒否的な禁欲のうえに自分を律する「強い個人」ではない。一人、孤島のなかで道なき道を切り開いていくロビンソン・クルーソー的な個人でもない。いかにも頼りなげな相貌をもった「ひとりの大衆」である。「タダの人」「ふつうの人」である生活者が、日常性からいっとき自由になり、家計からささやかなカンパをひねり出し、ベトナムの人びとのための労働奉仕のひとときをもち、反戦の自己確認をする―そこに弱い個人の思いをかけようとした。」(p.182)
「ベ平連の運動は、弱い個人から出発して新しい市民像、新しい生活者像を探ろうとした運動であった(鶴見俊輔「憲法の約束と弱い個人の運動」同右書、一四二ページ)。そこには、人間のもつ弱さ、あいまいさ、あやうさ、もろさにこだわりつつ、そこから「ひとびと」の思想的な、かつ行動的な可能性をとらえようとした思想の科学研究会の方法論との共通性がみえてくる。」(p.184)

 二、生き方を変える女性たち―生活クラブの生活者運動
「ベ平連の運動はつねに、個人が「私のことは私できめる」「自分で自らの行動に責任をもつ」という単数のかたちを重視した。「私は私」と言いきることによって、市民運動が自分を殺すのではなく、自分を生かす運動であり、他者を抑圧するのではなく、他者の生きることを励ます運動であることを確認しようとした。」(p.196)
「それに対して、生活クラブの運動は、組合員が「大勢の私」とか「自分たちのことは自分たちできめる」として完結しえないという一種の哲学がある。そこには、「私」とは違う他者の存在が意識されている。「自分のことは自分できめる」という自己決定性は、しばしば他の、別の一人の自己決定性と抵触する。「自分のことを自分できめる」には、自分の体験のもつ私的な意味をたえず他者の体験とつきあわせ、対話させ、なんらかの合意を形成していかなければならない。」(p.196)
「「生活」とは、「調和」とか「共生」などの美しい言葉でとらえきれるような、単純なものではない。「生活者」や「オルターナティブ」などの言葉が飛び交い、理念が先行するといわれる生活クラブの運動だが、そこにはむしろ、組合員のかかえている利己性や受動性をリアルにとらえ、それを否定のために否定するのではなく、否定を通して逆に肯定的な契機に反転させよう、そこから活力を得ようとする方向性をみることができる。そしてその人間観は、「思想の科学」の「ひとびと」像やベ平連の「弱い個人」と重なりあっている。
 それは、山崎正和が楽観的な人間観にたって、「生の意味」を探究する人びとにロマンティックな期待をかけたのとは対照的な方向である。」(p.199―200)
「生活クラブの共同購入活動が、全日制住民である「主婦だからこそできる」運動として出発したように、半人前の市民としてしかみられない主婦という存在の負の規定性が、逆に彼女らを市民主体の政治を創る代理人運動へと押しだす要因として働いてきた。ただし、その場合、生活者参加型政治をめざす実践が、なぜ、女性だけの、主婦だけのものなのかを開きなおって対象化する作業がされてこなかったこともまた、事実である。主婦を担い手とする代理人運動は、この「聖域」にあえて踏みこむことを避けてきたようにみえる。」(p.221)
「しかし同時に、大都市のミドルクラスの女性に特徴的な、家庭生活の調和とハーモニーを重視する意識の構造も重要である。夫との社会関係を変え、新たな関係を組み直そうとすれば、日常生活に波瀾を起こす危険性がある。コミュニケーションとディスコミュニケーションの交錯は、ミクロな家族関係のなかで、基本的ともいえる根深さをもつ。夫を暮らしの領域に引き入れ、「生活者」に変えようと強く主張することで夫婦間に波風をたてるより、主婦として「まとも」でありたいと家庭責任をわが身に引きよせ、背負い込むことの方を選ぶというのが、ワーカーズ・コレクティブのメンバーたちの「いま」の選択である。地域のなかではのびやかな発想と行動力をもつ「新しいタイプ」の主婦たちも、家庭のなかでは良妻賢母に親和的な心情に深くとらわれている。」(p.223)
「こうした生活クラブの歴史をふりかえってみたとき、男性を運動の担い手として積極的に組み入れ、彼らを生活者にする可能性を拓いてこなかったところに、生活クラブ運動の一つの限界性があるのではないかと思われる。「生活者」は、本来的には男か女かという社会的な性別(ジェンダー)から中立的な概念である。生活クラブのこれまでの運動の限界性は、皮肉にも「生活者」概念それ自体に内在的なのかも知れない。」(p.224)
「また、「生活問題の政治」化というとき、単に「主婦の台所感覚を政治へ」という次元での問題ではない。それはなによりも「公」と「私」を分離し、女性の生きる世界を「私」的な領域に囲いこんできた、性別分業体制自体の変更を含むものでなければならない。生命の再生産のための労働が、不払いの家事労働と有償の職業労働とに分離され、それぞれの労働が特定のジェンダーによって固定されていることが自体が、政治課題化されねばならないのである。」(p.226)

もうひとつのプロローグ―生活者像をひらく
「生活クラブの「生活者」概念について、もうひとつ大切なのは、「私」的な利害を基盤としながら、「私」をこえて創る「共」的領域としての「地域」へのかかわりかたである。「生活」から生み出され「生活」をこえる概念としての「地域」(共同性)は、それまでの生活者論で本格的に展開されることのなかった、新しい視点である。そこでの「生活者」とは、「私」の利害を変容させて下から創る「共同性」を、もう一つの「公」へと押し上げていく人びとをさす。」(p.234)



製作:山本崇記(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20051030 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1990/9610am.htm

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