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『[増補]国境の越え方──国民国家論序説』

西川 長夫 20010207 平凡社,477p. 1365



・西川 長夫 20010207 『[増補]国境の越え方――国民国家論序説(増補)』,平凡社,477p. 1365


<目次>

T 日常のなかの世界感覚

 1 世界地図のイデオロギー
 
 2 好きな国・嫌いな国――心理的な世界地図

    時代の流れ
    日本人の人種的距離――アジアの問題を中心に
    日本人の自己同一性

U ヨーロッパのオリエント観

 3 サイード『オリエンタリズム』再読

    湾岸戦争とオリエンタリズム
    『地獄篇』のムハンマド
    オリエント巡礼と巡礼者たち
    マルクスのインド論――文明論の陥穽
    二項対立の限界とそれを超える可能性

V 日本における文化受容のパターン

 4 欧化と回帰

    欧化と回帰のサイクル
    受容における二重構造

W 文明と文化―その起源と変容

 5 起源――ヨーロッパ的価値としての文明と文化

    文明
    文化

 6 フランスとドイツ――対抗概念としての文明と文化

    歴史的条件
    フランス革命の役割
    人類学者の観点
    補論――整理のためのノート

 7 日本での受容――翻訳語としての文明と文化

    文明開化ノ解
    岩倉使節団と福沢諭吉――文明論から脱亜論へ
    文明から文化へ――陸羯南の文化概念
    大正文化と戦後文化

X 文化の国境を越えるために

 8 国民国家と私文化――日本文化は存在するか?

    国民文化への疑い
    <民族>概念の揺らぎ
    文化相対主義の役割と限界

 9 二つの『日本文化私観』――ブルーノ・タウトと坂口安吾

    対立的な二つの文化観
    文化価値と生活価値
    俗悪の闊達自在
    文化の国境を越える

Y 補論―一九九〇年代をふり返って

 10 グローバリゼーション・多文化主義・アイデンティティ――「私文化」にかんする考察を深めるために

     グローバリゼーションとは何か
     多文化主義の可能性
     アイデンティティの政治性

・参考文献

・あとがき

・平凡社ライブラリー版 あとがき

・解説――「国民国家」論の功と罪 上野千鶴子



<概要>

 Tでは日常生活における世界感覚として、世界地図の持つイデオロギーから話が紐解かれ、著者が大学で担当する講義でのアンケート分析から本論へ誘われる。Uでは本書での理論的前提の一つともなるサイードの『オリエンタリズム』が再読され、ヨーロッパのオリエント感が俯瞰される。その際サイードが「文明」や「文化」概念のもつ西欧中心主義のイデオロギーに無自覚であることが批判される。Vでは日本の文化受容パターンが論じられ、そのような概念が持つイデオロギーと国民国家の関係が確認される。
 それらを受けて、本書の核とも言うべき「文明」と「文化」概念の起源に遡っての考察がWで行われる。そこでは「文明」・「文化」の持つイデオロギーを示す例としてそれぞれフランス・ドイツが挙げられ、それらが輸入された日本と共に、それらの概念が起源からどのように変容されたのかが分析される。これらの考察は衝撃的で、筆者はしばらく何を見ても何を聞いても国民国家のイデオロギーだという感に捕らわれたが、裏を返せばそれだけ深く国民国家のイデオロギーは日常生活に深く浸透しているということなのであろう。
 続くXでは国民文化への批判のもと文化相対主義の持つ限界が確認された後で、「私文化」なるものが提示される。国境の越え方としてタウトと安吾を対比させ、前者が文化相対主義のもつ限界から国境を越えられてはいないとされ、後者には国境を越える可能性があるとされる。その「私文化」の考察を進めたものが補論であるが、それは初版が出た後のポスト国民国家的状況とうもいうべき一九九〇年代を振り返る作業ともなっている。

<ポイント>

3 サイード『オリエンタリズム』再読

異文化の交渉という観点から『オリエンタリズム』の再読

★「この書物を書いたサイードの意図を以前よりは身近なものとして理解できるであろうし、またサイードが西洋と東洋、われわれと彼ら、強者と弱者、支配と被支配といった二項対立を強調することによって自ら閉ざしてしまった隘路を開く可能性をできればさぐってみたい。」(p72)

・方法:思い切った単純化によりメッセージを際立たせる
〜典型的な三つの場面の考察
@ダンテの『神曲』に描かれたムハンマド
 〜キリスト教とイスラム教の問題
Aフローベールの旅行記に描かれたエジプトのクチュク・ハネム
 〜ロマン主義におけるオリエントが問題
Bマルクスの「イギリスのインド支配」『ニューヨーク・デイリー・トリビューン』
 〜マルクス主義が脱却しえないでいるオリエンタリズムが問題

★サイードのオリエンタリズムの定義から受ける印象

@「議論の方向性が明確でつねに一つの結論に導かれる」
 〜「西洋と東洋の二項対立によって導き出された、差別と抑圧の体系」
   by 「西洋人の東洋に対する関心と支配の意思」
A「議論に出口が用意されていない」
 〜「オリエンタリズムがそのような差別と支配の閉じられた体系であるとすれば、西洋と東洋のあいだの関係は救ういようがない。サイードが支配-被支配の関係の逆転を望んでいないことは確かだろう。」

→「異文化とは何なのか」「知識人の役割は何であるのか」といった基本的な問いの提出
★サイード批判:「この書物を通してサイードは、「文化」や「文明」といった概念や用語を、それ自体が強烈な西欧中心的イデオロギーの表明であるという自覚なしに、一般的な用法に従って使っている。」(p121)
@「知あるいは文化には本来的に他者に対する支配の意志が内在しているのではないかという疑問」(p122)
A「サイードはオリエンタリズムを、相互性を欠く一方的な支配の観念体系として描きだすことに専念した結果、そうした変形や変換の相互性――文化間の交渉は一方的でありえず、他者の理解は他者を変形して受けいれると同時に自己を変形せざるをえない――についての考察を深めることができない」(p122-123)

★「だがオリエンタリズムによって描きだされる西洋と東洋の境界線を引いているのは西洋(オリエンタリズム)ではなくサイード自身ではないかという疑問にとらわれる。そのような錯覚を読者に与えるのは、サイードの論述の技術的な問題である以前に、サイード自身が既成の文化概念――例えば西洋文化と東洋文化といった――を意識的無意識的に受けいれてしまっていることにかかわっているだろう。」(p123)



5 起源――ヨーロッパ的価値としての文明と文化、6 フランスとドイツ――対抗概念としての文明と文化、を通しての強調点(p222)

@文明と文化は一八世紀後半に使われるようになった新語であり、ヨーロッパにおける国民国家の形成に深いかかわりをもっている。

A文明と文化は対抗的な概念であり、文明の概念はとりわけフランスとイギリスにおいて、文化の概念はとりわけドイツにおいて発達した。文明はヨーロッパにおける先進国の意識を、文化は後進国の意識を映している。

B文明と文化の概念は、非ヨーロッパ世界に対しては、西欧の自己意識、すなわち対をなす一組の西欧的価値観を表明している。西欧は世界を文明あるいは文化の名において裁き判断する。



<メモ>


1 世界地図のイデオロギー

・「地図は人類の偉大な発見であるが、人類の思考の枠にもなる。」(p14)

・「そうした世界の状況をわれわれは事実として、あるいは知識として、よく知っている。だが何かある具体的な事柄に直面したときのわれわれの反応は、驚くほど愛国的であり自国中心的であると思う。」

・「国際化とは、・・・、身近に外国人労働者をいかに受け入れ、いかに接するかにかかっていると思う。」(p21-22)

・「メルカトル的世界史像」の誤った原理二つ

@世界史の流れを東から西へとみる「光は東方から」観――これによれば、西ヨーロッパにおいて文化は最高度に達し、そこで完結する――、

A西ヨーロッパより東の諸文明を一括して東の文明ととらえ、オリエントとオクシデントの対比によって西ヨーロッパを不当に拡大する偏西史観



2 好きな国・嫌いな国――心理的な世界地図

・「好意の裏に、自己中心的な思考や他者に対する蔑視が入りこむ余地のあることを、忘れてはならないと思う。」(p43)

・「「文句なしに」とか「当然だ」といった強調の言葉がはからずも示しているように、この二つの文章は非合理的な感情を自分と他人に強制している。まさにイデオロギー的な文章である。これは他者の介入を拒む自己愛の言葉ではないだろうか。」(p51)

cf:植谷雄高の「自同律の不快」:加藤典洋による批評『批評へ』『君と世界の戦いでは、世界に支援せよ』『ホーロー質』

★「自分は日本人であることを止めることはできないのだから、その中でも良いものと悪いものとを見分けてゆこうとする、きわめて現実的な思考と一種の平衡感覚ではないかと思う。・・・、国粋主義やナショナリズムに走らない醒めた愛国者という、前世代には少ない新しいタイプの誕生と成長を示す・・・。」(p54)

・「日本人は、アメリカを参照基準として自分の位置をたしかめ、日-米の軸を基準にして世界のイメージを描いてきたと思う。」(p55)

・「日-中の軸が含むナショナリズム、自己愛と自己同一性への執着が、いつか他者との交通を妨げかねない要素を含んでいることを知っておく必要があるだろう。」(p57)

・「両国の人気が、一時的な気分やたんなるツーリスムの段階を越えて、両国の新しい国家原理――すなわち現在のアメリカのように、強力な国民統合によって、他民族をアメリカ人という一つの鋳型にはめこむのではなく、それぞれの民族の特色を生かしながら独自の統合を試みている両国のあり方――への共感にもとづくものであれば、日本-オーストラリア・カナダの軸は、日本の将来に新たな可能性に満ちたオルタナティヴを指し示すことになる。」(p57-58)

・「われわれの属する社会と国家にはじっさいに「好きな国」と「嫌いな国」を生みだす構造が存在しており、われわれの意識のなかには現実に「好きな国」と「嫌いな国」が存在しているということを、このアンケートの結果の分析からほとんど確信するに至ったからである。人種差別は現実に存在しているのであり、われわれはそれを曖昧な言葉や人種主義的な言葉でおおいかくしてはならないと思う。」(p61)

・「外国や外国人のイメージは(自国についても同様であるが)現実を映したものではなく、さまざまな回路を通して作りあげられたものである。だがそのイメージは現実に存在し、われわれの思考や判断に大きな影響を与えている。」(p62)



3 サイード『オリエンタリズム』再読

・「「オリエンタリズムとは、オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式なのである」、というのがサイードのオリエンタリズムの定義の一つ」(p69)

・「現代のオリエントがみずからのオリエント化に一役買っているという、オリエントの自己疎外の問題。」(p69)

・「アラブ・イスラム世界がアメリカの巨大な消費者に変容した結果、この地域にはトランジスタやブルージーンズやコカ・コーラ、等々とともに、オリエントにかんする数々の文化的イメージが氾濫する。そこで、「アラブが自分の姿を、ハリウッドがつくり出すような『アラブ』として認識するといった逆説」が現れる。」(p70)

・「彼らの奉ずるマルクス主義は、私がすでに本書で議論してきたような、第三世界を均質化してとらえるマルクス自身の考え方をそのまま受けついだものとなっている。つまり、オリエンタリズムのもろもろのイメージや教義に知的に黙従しようとする傾向が全体的に存在するとすれば、この傾向を強化しようとする非常に強力な力も、経済的・政治的・社会的交流のなかに存在しているのである」(p71(サイードからの引用p329))

・「・・・、巨大な「虚構の体系」としてのオリエンタリズムの全容を浮かびあがらせることに成功したのであるが、迷路に入り込んだ読者には、語られている対象が虚構であるのか現実であるのか、あるいは虚構が現実であるならば、どのレベルの現実が問題となっているのかといった疑問にとりつかれてしまう。」(p74)

・「・・・、サイードが『神曲』のテクストのなかに、異文化が「他者」として形成されてゆく過程をはっきり読みとっている」(p78)

・「二つの世界が遭遇することによって、両者の文化的、知的、精神的な距離がいっそう広がるという文化交渉史のパラドクス」(p78)

・「アブデル=マレクによれば、こうして強いられたものとしてアラブの闘争的性質が形成され、アラブの歴史に名を連ねる偉大な人物の名は、西欧の攻勢に対決した偉大な軍人と思想家で占められている。」(p80)

・「・・・、キリスト教とイスラム教は同じ源泉をもち、いわば同一世界に内在する二つの宗教であって、両者の対立よりはむしろ同一性が際立ってくる。そこに展開されているのは近親憎悪の世界ではないか」(p81)

・「オリエントはキリスト教に限らず、ロマン主義的な理念と夢想の対象であり源泉ともなった」(p81)

・「したがって、近東を通過するとういことは、主要な植民地インドに至る道すがらそこを通るということにほかならなかった。そこで想像力を働かせうる余地は、行政や領土保有の合法性や統治権力といった現実によってすでに制約を加えられていた」(p82,(サイードからの引用p173))

・「一続きのイギリス帝国領を歩くイギリス人の想像力は支配者の「政治経営術」から遠く離れることはできない。」(p82)

・「ヨーロッパの宗主権のもとに解体され保護されるべき「領土も祖国も、権利も法律も持たぬ国民」」(p86)

・「ここで重要だと思われるのは、オリエントに対する強烈な個人的欲求(夢と狂気)が、オリエンタリズムの力(たとえばレインの書物)を利用しながらも、それに屈しなかったという事実」(p89)

・「・・・、東方への巡礼者のほとんどすべてがオリエントの性的魅力にとらえられ、オリエントは性的開放の場となる。だが一個人の内的な問題も、それが大勢の人びとによってくりかえされれば一つのクリッシェとなり、大衆文化のなかで商品化されることになるだろう。」(p94-95)

・「オリエントでヨーロッパ人であるためには、しかも知識によってそうなるためには、人はオリエントを、ヨーロッパによって支配されたひとつの領域であると認めなくてはならない」(p96(サイードからの引用,202))

・二つの問い
@「これらのオリエントへの巡礼者たちはそれほど非難すべき存在であろうか。もしそれが厳しく非難すべき存在であったとすれば、他にどんな巡礼の方法がありえたのだろうか。」(p97)
A「サイードがオリエンタリズムと呼ぶものは、多くの場合、もっぱらオリエントのみに向けられているのではなく、より広く西洋的な文明概念に包含されているのではないだろうか。」(p97)

・「・・・、十九世紀初期の思想家たち、特にオリエンタリストに共通する人間観、すなわち人間の個としての多様性を無視して大まかな集合的見地から一般化し類型化してとらえる人間観」(p104)

・「「歴史の立場からすれば」とマルクスが書くとき、彼の脳裡には、一つの歴史的発展段階があったことは確かである。・・・。しかもこの発展段階説は、やがてマルクス=エンゲルスがモルガンの『古代社会』をよりどころに展開させる人類学的分類――野蛮-未開-文明――に、十分の理論的検討を経ないままで、支えられている。」(p106-107)

・「マルクスが理論化をはかろうとしていた、資本制への移行やプロレタリア革命の必然性という論理の構造が、不幸にしてここでは西欧中心の文明概念と合体して、植民地主義者と同じ言説を呼びだしている。サイードがオリエンタリズムと見たものは、より本質的には西欧的文明概念ではなかったか。じっさいこうした言説は、オリエントに限らずヨーロッパやロシアの遅れた地域や民族に対しても向けられることになるからである。」(p108)

・「いったん資本主義の巨大な中心部が形成されると、周辺地域での発展の諸条件は根底から変えられてしまうという認識に基づいて、わたしは反撃を試みたのであった。」(p110(ブライアン・S・ターナー『イスラム社会学とマルキシズム――オリエンタリズムの終焉』からの引用))

・「コーエンは、アメリカ流の「近代化論」にかぎらず、マルクス主義的「帝国主義論」もまた経済発展や近代化を望ましいものとして無前提に受け入れていることを厳しく批判している。」(p111-112)



4 欧化と回帰

・「近代日本の外部の世界との関係は、外部に対抗するために外部から学ぶというこの<<対して>>と<<から>>の逆説的で二重の関心の構造からはじまった」(p129,(加藤周一「日本人の世界像」から引用))

・山本新:欧化と国粋のサイクルがくりかえされるたびに欧化の力が圧倒的に強くなり「国粋」は弱体化してますます苦境においつめられる



・西川:日本における主流は国粋であって欧化は苦しいたたかいを強いられている

「日本の近代は欧化の時代と国粋の時代とではきわめて異なった様相を示しているし、またそれを観察するわれわれが欧化と国粋のどちらの側により近く身を置くかによって、見えてくる世界がちがうということもある」

・山本に触発された西川の意見

@「圧倒的な欧化」とみなされているもののなかには、「欧化」ではなく「普遍化」あるいは「世界化」とでも呼ぶべき部分があるのではないかという疑問。

〜「欧化と国粋という問題設定はたしかに歴史事実に照応していると思うが、もしこの二項対立だけで歴史が進行してゆくとすれば、どちらかの項の一方的な勝利がうまくいっても欧化の土着化といった解決しかありえない。」(p132)

A欧化と国粋のサイクルは近代国民国家の枠のなかで、国民統合のイデオロギーの磁場のなかで、成立している。

〜「「国粋」が翻訳語であるという事実そのものが示しているように、「国民国家」の形成自体は「欧化」であった。さらに事情を複雑にしているのは、国民国家の形成とはたんに一つの国家の形成だけではなく、同時に世界の国民国家のシステムへの加入を意味する。つまり近代の国民国家は世界の国家システムへの参入と国内における国民統合という、時に相矛盾する二面をもっており、前者の要素が強く働くときは国際主義(したがって欧化)が表面に現れ、例えば一国の国際社会における孤立や危機的状況によって後者(国民統合=結束)の力が働くときはナショナリズム(したがって国粋)が表面に出てくる」(p133)

・「欧化と国粋、あるいは欧化と回帰の現象にかんする山本新氏のなによりの貢献は、この問題を日本に限られた特殊事例ではなく、西洋文明を受け入れた諸国に共通の問題として、あるいはさらに広く、近代以前にも存在した異文化交流にかかわる普遍的減少として、世界の文明交流史のなかに位置づけたこと」(p134)

・「「文明」とは理念的には人類の進歩と普遍的な価値の確立をめざすものであるが、現実的には早期に国民国家形成を実現した西欧先進諸国(英・仏)の支配と拡張をめざす国民意識であった。「文明」のイデオロギーによって、世界は文明と野蛮(あるいは文明と半開と未開)に二分され、植民地支配は文明による野蛮の文明化として正当化される。」(p140)

・「・・・、しかし政府の側の近代化に批判的であった福沢諭吉が、例えば『文明論之概略』で説いたのは真の国民国家にふさわしい国民(ネイション)の形成であって、国民国家(Etat-Nation)の国民(Nation)を強調するか国家(Etat)を強調するかのちがいはあれ、文明=国民国家の形成という共通の問題意識のなかでのちがいであった。自由民権運動が結局は国粋に至り、天皇制にからめとられてゆくのも、それが文明=国民国家という枠内でのできごとであるかぎりは(諭吉のリラリズムが脱亜に向かうと同様)、論理的必然(Nation→Nationality)であったといえよう。」(p140-141)

★:果たして本当か。論理的必然という時の「論理」とは何か。

・「第二次の欧化は英仏流の欧化(文明化)ではなく、ドイツ流の、ヨーロッパにおける後発の近代国家をモデルにした欧化であった。」(p141)

・「英仏、とりわけフランス的な価値としての「文明」に対抗してドイツで形成された「文化」概念は次第に、文明の物質性に対する精神性、文明の普遍性に対する個別性を強調するようになっていった」(p142)

・「「文化」概念が後進的国民国家の国民意識の表現であった」(p142)

・「戦後の欧化主義は「文化」という言葉とともに大正の欧化主義(必然的に国粋に至る)をほとんど無反省に持ちこんでしまってはいなかったかという反省である。別の言い方をすれば、戦後のさまざまな思想の大部分は(マルクス主義も含めて)第二の欧化-国粋期にセットされていた問題設定のなかでの展開ではなかったか」(p143)

・「戦後の「文化」をアナキズムに対置させることによって太宰は「文化」という言葉の背後にある「国家」を見ぬいていた。」(p145)

・欧化と回帰の現象における日本独自の問題

(b)「国民国家の時代の遅れた出発、したがって強制された外発的な近代化を実現するためには、早いリズムの急激な変革(欧化)と同時に、強力な国民統合(国粋-ナショナリズム)が必要とされる。その結果、欧化と国粋の二重構造が強化される。」(p146)

(c)「急速な変化の結果として、新しいものがめまぐるしく出現する一方では古いものもそのまま残存する。ある思想や観念が成熟し定着するのに必要な時間がなく、古い思想は打倒し克服されるのではなく、たんに時代遅れとなり忘れられるだけであり、新旧の二重構造が欧化と国粋の二重構造に重ねられる。」(p146)

(d)「こうした急激な変化が始まる以前には、鎖国の時代の長期にわたる安定と停滞の時代があって、その時代に形成された鎖国的な国民性を日本の近代化はひきずることになるだろう。ただしこの国民性なるものは必ずしても保守や国粋を意味しない。むしろこの時代に形成された権威主義や集団主義は、欧化の時代には急激に欧化に流され、回帰の時代にはまたその傾向をいっそう助長するように作用するだろう。そうした権威主義や集団主義は変り身の早さ(転向)としても現れる。」(p146-147)


・「国民統合の協力なイデオロギー装置であった天皇制は、欧化と回帰の矛盾・対立を吸収する装置としても見事に機能している。」(p147)

・「こうして今後こうしてしばらく国粋的な傾向、日本回帰の動きは、回帰すべき日本がもはや現実には存在しないだけに、いっそう強化されるだろう。」(p150)



5 起源――ヨーロッパ的価値としての文明と文化

・「フランス語の「文明」(civilisation)は、十六世紀の後半(ワルトブルクによれば一五六八年)から使われていた動詞civiliser(開化する、文明化する)の名詞形であり、それ以前に使われていた形容詞のcivil(市民の、礼儀正しい―― 一二九〇年)、その名詞形のcivilite(礼儀―― 一四世紀)などをも含めて、「文明」にかかわるこれら一連の語は、ラテン語のcivis(市民)、civilis(市民の)、civitas(都市)に由来する。「文明」とは古代ギリシアの都市国家とローマ帝国の世界観を受け継ぐ言葉であり概念であった。とりわけここでは都市の生活が問題になっていることに注目すべきであろう。」(p162-163)

・「一八世紀後半期における「文明」概念の形成には、仏-英の経済学者のグループが大きな役割をはたしていた」(p170)

・「「文化」(Kulture-culture)の概念は、一八世紀末から一九世紀にかけて、とりわけドイツにおいて発展し深められたが、もともとラテン系の言葉であり、フランスで一定の概念形成が行われた後にドイツに移入された。
 フランス語の「文化」(culture)はラテン語のculturaに由来する(一三世紀末)。culturaは「住む」「耕作する」「守る」「尊敬する」といった一連の意味をもつcolererから派生したいくつかの名詞(Colonus→Colonie植民地、cultus→culte崇拝)の一つで、culturaに由来するcultureもはじめは<<耕作された土地>>と<<宗教的な崇拝>>の両義を備えていたが、一六世紀に入ると後者の意味はすたれ、前者の意味が発展する。cultureは「耕作された土地」といった状態を示すよりは、「耕作」や「世話とする」といった行為を表す語に変化していった。」(p171-172)
 
・「文化」概念の形成にとって重要な二つの契機
@土地の耕作や家畜の世話といった本来の意味→能力の育成や精神の修養というような比喩的な意味が派生した
A「比喩的な用法のなかで、「・・・の」育成、あるいは「・・・の」修養といった、いわゆる補語(「・・・の」)が脱落し、cultureのみが独立した一つの概念として使われるようになった」(p172)

・「「文化」は精神形成(formation)や教育(education)といった知的形成の過程を表す意味を次第に獲得していったのであるが、同時に、現代の用法にあるような、その過程の結果をも意味するようになる。」(p174)

・「ベネトンは、古典主義時代のドイツの作家や哲学者、ヘルダー、カント、シラー、ゲーテなどにおける「文化」には、共通して(1)反-野蛮、(2)偏見からの解放、(3)マナーの洗練、という三つの含意があり、そこには、いまだに民族的優越と結びつかない状態で、物質的、精神的な進歩の観念が働いていたことを指摘している」(p178)

・「「文明」の堕落、あるいは「文明」と「自然状態」の矛盾、人間と同時に市民を育成しなければならない困難といったルソーの根本問題を、カントは「文化」の究極目標である「完成された公民的組織」によって解こうとしたのであった。このカントの「文化」による「文明」批判は、ミラボーの真の「文明」による偽の「文明」批判ときわめて類似した内容となっている」(p181)

cf:「人類の歴史の憶測的起源」『啓蒙とは何か』岩波文庫:ルソーについて



6 フランスとドイツ――対抗概念としての文明と文化

・「「文化」とか「文明といった「国民の自意識の構造」は、その中に生きる国民にとってまったく自明なことであるだけに他の国民にはほとんど伝達不可能である」(p187)

・エリアスの強調点

@「「文化」と「文明」はその語を用いるドイツ人やフランス人(あるいはイギリス人)の国民意識と彼らが世界を全体として考察するやり方を示している。――したがって「文化」と「文明」は彼らの国民的な価値観であり世界観の表明であるといってよいだろう。」(p187)

A「ドイツにおいて人間の価値(本質と業績)を示す第一の言葉は「文化」であり、「文明」は有益であるが二流の価値を示すにすぎない(逆にフランスでは「文明」が最高の価値であり「文化」は二義的なものである)。」(p187-188)

・「「文化」という概念は、フランス語を話しフランスの宮廷や貴族社会の強い影響下にあったドイツの貴族と宮廷の価値観(「文明」)に対するドイツの知識人や上層市民階級の反発と強い自己主張――ドイツでは貴族と市民層のあいだには超えられない隔壁があった――を表しているのに対し、「文明」の概念は、フランスの貴族や宮廷における価値観を、フランスの知識人や市民層が受け継ぎ――フランスでは貴族と市民層との隔壁は低く、早くから交流が行われており、王の絶対的な権力とやがてはフランス革命がその融合をいっそう促進した――それを自己のものとして発展させた。したがって「文化」という語はドイツにおいては知識階級の言葉にとどまって一般化しえなかったのに対して、フランスにおける「文明」は広く国民的な言葉となる。」(p190)

・「ドイツ・ロマン主義はフランス革命に対する素早い反応(基本的には反革命)であるが、この運動の中核をなしていたのは、まさしくドイツ的な「文化」概念の形成であり、「文化」概念と結合した「国民-国家」概念の形成であった。」(p213)

★「人類学的な文化概念の特色の一つは、こうした国家のイデオロギーとして出現した文化概念から国家の枠組みをはずすところにあった。それは人類学を科学として成立させるために必要な手続きであったが、その反面として文化概念が内包している国家イデオロギー的な側面に対する感度を鈍くするという結果をもたらした。」(p214)

cf:「フランス革命とロマン主義」宇佐美斉編『フランス・ロマン主義と現代』筑摩書房

・「昔から、というより正確にはプラトンからヴォルテールにいたるまで、人間の多様性は普遍的価値の裁く法廷に出頭してきた。それをヘルダーがやって来て、多様性の司る法廷にあらゆる普遍的価値を裁かせたのである。
 ・・・。多くの公国に分裂していたドイツは、フランスの征服に直面してみずからの一体性の意味を悟る。集合的アイデンティティーの昴揚が、軍事的敗北およびその代価としての恥ずべき服従の代償となる。」(p215,フィンケルクロート『思考の敗北あるいは文化のパラドクス』からの引用)



7 日本での受容――翻訳語としての文明と文化

・「文明」の古典的な意味:「文徳の輝くこと」「世の中が開け、人知の明らかなこと」
cf:『書経』『易経』

★「日本と西欧の出会い、日本の近代化の歴史は、このcivilisationと「文明」、cultureと「文化」のあいだの距離を埋め、あるいはこの二つの言葉に独自の解釈を加えることから成る、「文明」と「文化」のいわば定義と再定義の歴史であった。」(p224)

・「civilisationの訳語として「文明」が勝利をおさめて後、「文化」はcultureの訳語として定着したのであった、「文明」と「文化」の概念が厳密に検討された結果として用語法が決定されたのではないだろう。一度選ばれた訳語としての「文明」や「文化」にいかにして西欧のcivilizationとcultureの新しい意味を導入するかが問題であった。」(p227)

★幕末から明治初期にかけて、新しい観念である西欧的な文明(civilization)を理解するためのキーワード: 「礼儀」 と 「交際」 と 「品位」

・「西欧的なものと中国的なもの、あるいは日本の伝統的な道徳が「礼儀」という既存の一語によって結びつけられた」

・「「社会」という概念と用語が定着する以前に、日本の知識人は、「交際」という現在では私的な領域に限定されてしまった用語を用いて、西欧社会と国際関係の特色をとらえようとした」

・「むしろ「社会」が確立することによって「交際」が追放されたとき、日本人の社会認識に重要なものが欠落したことを悲しむべき」(p230)

・「西村は・・・、文明という語からはけっして人民の威勢や力量や富貴のことに思い到らず、「唯人民ノ人柄ト人間相互ノ交際ノコトニノミ考ヘ到ルナリ」と書いているが、そこには富国強兵が文明の支配的な概念となる以前の、たしかな文明認識が認められる。」(p230)

★西欧世界の出現に対する日本人の反応
@明治政府と政府側の知識人の対応
A反政府、あるいは民間の知識人の反応
B農民や都市の住民の反応

・「岩倉使節団の当初の主要な目的は不平等条約の改正にあったが、同時に条約を改正して世界の諸国と国交を確立するためには、日本を列強なみの近代国家として(したがって文明国として)変革しなければならないという認識があった。条約改正が思うように進行しないなかで、使節団の任務は欧米における近代国家の仕組の視察のほうに重点を移してゆく。」(
p235)

・「・・・この大使節団は、当時「文明」概念の支配的なアメリカ合衆国からイギリスを経てヨーロッパの大陸に入ったのであるが、そこではまさに「文明」と「文化」の闘いが「文化」の勝利によって終ったところであった。」(p236)

★「ここでさらに注目すべきは、この「文明」に対する「文化」の勝利が、国民国家の世界的なシステムにおける一つの時期を画しているという事実である。プロイセンの勝利はドイツの統一(ドイツ帝国の成立)をもたらした。それより一年前、一八七〇年にイタリアの統一があり、さらに一八六八年の明治維新を加えるならば、第二次大戦の枢軸国はこのほとんど同じ時期に近代的な国民国家として登場したのであった。それは後進国型の国家の登場と同時に、一七八九年のフランス革命からほぼ八〇年を経て、世界の国家システムが一つの環を形成したことを意味する。」(p236-237)

・「日本には政府ありて国民(ネーション)なし」(p238(福沢からの引用))

・「・・・における福沢の特色の一つは、「文明」を「自由」に結びつけて、「文明開化に従って、法を設け、世間一様にこれを施して、始めて真の自由なるものを見る可し」と書くところにある。福沢は野蛮すなわち自然、文明すなわち人為とする説をしりぞけて、文明においてこそ人間の天性が発揮されることを主張する。・・・そうした文明の幣はすべて文明によって解決しうるのだというオプティミズムが根底にある。」(p239)

・「だがこの書物における福沢の真の狙いは、「権力の偏重」(したがって封建制)の打破と、近代的な国民国家にふさわしい「国民」(Nation)の形成にあった。」(p241)

★「福沢は文明概念を深く理解し、文明と未開という二分法を歴史的必然として全面的に取り入れた結果として自ら「脱亜論」への道を準備したのであった。それは西欧の文明概念が植民地主義に至るのと軌を一にしている。」(p243)

・「「正に西洋人が之に接するの風に従て処分す可きのみ」とは何を意味するのであろうか。それは具体的には、朝鮮、台湾、中国の植民地化を意味したはずである。それが許されるのは、文明の名において、つまり日本が文明国の域に達したからである、という論理を福沢の「脱亜論」は内包している。」(p246-247)

★「「脱亜論」の同じ論法は、同じ国内の“遅れた”階層や集団に対しても向けられはしなかったであろうか。」(p248)

・「アジアの他の諸国に比べても、「文明」に対する拒絶反応がこれほど弱い国は少なかったであろう。それは明治政府の開化政策が支持されたということではなく、それ以前に異文化を受けいれる土壌ができていたのではないかと思う。そのことは逆にいえば、民衆には「文明」に反対するためのよりどころ(例えば強力な道徳や宗教)が欠けていたことになるだろう。」(p248)

・「明治期においてフランス=イギリス的な「文明」概念からドイツ的な「文化」概念への転機を作るのに、おそらく決定的な役割をはたしたのは、『日本』や『日本人』によって活躍した明治二〇年代のいわゆる日本主義者たちであったと思われるからである。」(p252)

・「陸羯南の文化概念の第一の特色は、その「国民主義」的な内容にある。羯南は国民統合と文化的統一が一体のものであり、文化は国粋(nationalityの訳語)と密接不離の関係にあることを見抜いていた。」(p252-253)

★「文化の視点は国民性のちがいと同時に主体性を強調する。文明の視点はヨーロッパの水準にいかにして到達するかを問題にするが、文化の視点は受け入れた文化をいかに同化するかを考える。」(p254)

・「羯南、文化の問題を世界の国際関係のなかの、強国に対する弱小国、あるいは先進国に対する後進国の立場から考えていることであろう。こうした立場は、ヨーロッパにおいては英仏に対する後進国の立場から考えていることであろう。こうした立場は、ヨーロッパにおいては英仏に対する独伊といった「新造の国家」、ポーランド分割問題、オスマン帝国に対するギリシアや東欧の小国(ルーマニアなど)の独立、等々への関心となって表れている。またこのような視線が国内に向けられるときには、中央に対する地方、政府主導の近代化に落ちこぼれた階層の人びと、といった弱者の観点から国民のイメージを形成することにつながるだろう。このような観点はまた、国家と個人の関係や自由と平等のあいだの矛盾的な関係の考察へも導くものであった。」(p256)

・「文明に抗して文化を保持することによって、最終的には文明の進歩を可能にする、というのが陸羯南をはじめとする当時の日本主義者に共通の論理であった。」(p259)

・「だが雪嶺の場合、一国の特性の発揮は、世界全体の可能性の発現であり、それは全宇宙の秩序に通じるという発想が根本にあった。・・・。明治二〇年代の国粋主義者にはたしかに国家をこえてインターナショナリズムの方向にむかう可能性が秘められていた」(p260-261)

・「しかしながら・・・、彼ら日本主義者の変質の真の原因は、彼らの国粋概念、したがって彼らの文化概念に秘められていた」(p261)

★「文化主義が容易に国家主義に転化するのは、もともと文化が国民統合のための国家のイデオロギーにほかならないからである。」(p262)

★「国民国家を前提とするかぎり、国民主義と国家主義は盾の両面であって、国民主義が最後まで国家主義に抵抗しうるとは思われない。」(p263)

・「明治の知識人が文明の真の理解が人民のあいだに浸透しないことを嘆いたと同様に、大正の知識人は文化が大衆に理解されないことを嘆いている。だが明治の場合と非常に異なっているのは、右の文章にもあるように、大正の知識人たちが「民衆的なる」ものの圧力をきわめて強く感じとっていることだろう。」(p265)

・「文明がたちまちにして風俗化したと同様、文化もまた一挙に大衆化し商品化したのであった。語源的な意味から考えればいささか逆説的であるが、大正期の文化は都市生活の成立を表すものであった。」(p266)

★「明治二〇年代の日本主義者たちの国粋概念もまたドイツ的文化概念の移入であって、わが国においては国粋主義さえもが欧化主義であった。」(p267)

・「戦後の文化概念は、アメリカ的文化概念とドイツ的文化概念の奇妙な混合であった。これからは文化の時代である、というのが戦後の合言葉であったが、これは軍国主義の武に対する文の時代であるという意味である。文化はここに至ってついに漢語の古典的な意味を回復したのであった。文化はデモクラシーと平和主義の合言葉となる。これは占領政策とも一致して、ついには新憲法に「文化」の文字が入る。
「第二五条 すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」。
 この条文に対応する総司令部案は<<有ラユル生活範囲に於テ法律ハ社会的福祉、自由、正義及民主主義ノ向上発展ノ為ニ立案セラルヘシ>>であったから、「健康的で文化的な・・・」のこの条文は押しつけられたものではなく、おそらく自発性がもっとも発揮された部分であろう。司令部案における、社会福祉、自由、正義、民主主義という具体的な項目が、ここでは「健康で文化的な」という曖昧な一句にすりかえられてしまった、という批判は成り立つだろう。「健康で文化的な最低限度の生活」が具体的に何を意味するかは明らかではない。だが当時の焼跡で最低限度の生活を強いられていた人びとは、この一句に来るべき社会の希望をかけたのであった。
 憲法のこの一句は「文化国家」という戦後の流行語につながっている。人びとはこの言葉に平和国家の未来を見ようとしたのである。だが「文化国家」という言葉が流行語になりえたのは、戦争と軍国主義に対する反省がけっして深いものではなかったこと、を示してはいないだろうか。」(p268-269)

・「「文化国家」は夜警国家や軍国主義的な専制国家に対立する理想主義的な概念であった。だがそうした理想主義がいかに無力なものであり、またいかに欺瞞的なものであったかがドイツと日本の歴史的な現実によって証明されたあとで、「文化国家」というスローガンが何のこだわりもなくふたたび、しかも国民目標として持ちだされ、国民的な支持をえたのであった。文化概念の歴史は、文化が国家のイデオロギーであることを明らかに示している。文化は国家と一対のものであり、恐るべき国家理由の美しい魅力的な仮面としての役割をはたしてきたのであった。戦後における文化の流行は、国家イデオロギーとしての文化の仮面をはぐことなく、逆に文化のイデオロギー性を最大限に発揮させることによって、国家の保持に貢献したのであった。国家の危機的状況は国家のイデオロギーである文化の活躍をうながす。文化のそうした役割は、戦後五〇年をへた現在においていっそう顕著に観察される。」(p270)



8 国民国家と私文化――日本文化は存在するか?

・「・・・、すべて国家のイデオロギーのなかで形成された対象を国家のイデオロギーのなかで取り扱っているのであるということを、われわれは十分自覚的に受けとめなければならない」(p273)

・「文化の定義が、本質的な部分として、文化を維持する特定の社会あるいは集団の同一性を前提とするならば、国民国家の枠から解放された文化の主体は、広く拡散する。個人、家庭、職場、学校、地域社会、国家(形を変えた)、人類(世界)、等々、大小さまざまな集団を主体としてさまざまな文化の複合的な構造のなかに置かれたとき、文化は個別性と普遍性という二つの相対する方向性をいっそうあらわにするにちがいない。個人の決断やライフ・スタイルとしての文化と、世界に共通する普遍的な部分を拡大していった文化(したがって文明)。」(p274)

・「最近、学生たちのあいだに日本文化論に対する関心が年々高まっていることは知っていたが、興味深いのはこのテーマを選んだ学生の大部分が、まるで自分自身の存在理由を疑われ彼らの誇りを傷つけられたかのように、懸命に時にはきわめて激しい調子で日本文化を弁護し、日本文化の存在を証明しようとしていることだ。」(p279)

・「・・・文化論とは究極的には価値の問題を扱うのだから、これはある意味では当然なことだろう。だがここで興味深いのは、われわれは個人の好みの問題にかんしては、さほど熱心に争わないのに、問題が宗派や国家間のことになると熱狂して時には流血の惨事をひきおこすということだ。」(p281)

・「創造者たちはそれぞれに自己表現の究極を目ざしたのであった。別に、日本文化をつくろうとしたわけではない。強いていえば、自分文化をつくろうとしたのである。」(p284(岩田慶治からの引用))

・「では「民族」であれば文化の基礎的な集団となりうるであろうか。一般に民族は文化の母胎であると考えられている。だが「民族」は「国民」以上に曖昧な概念である。「国民」にはその容器ともいうべき国家があり、領域を区切る国境があるが、「民族」の境界を定めるものは想像力以外に何もない。」(p286)

・「おそらく羯南には、「外国の文化」と区別された日本の「国民文化」という意識はきわめて強烈であったが、しかしそれはきわめて観念的なものであって、統一的な「日本文化」のイメージはいまだ明確には形成されていなかったのではなかろうか。「国民文化」が「日本文化」として結晶するためにはさらにいくつかの契機が必要であり、天皇を核にして「日本文化」のイメージが形成されるにつれて、今度は「国民文化」の概念が退いてゆくという逆説的な過程が想像される」(p292-293)

★「近代的な国民国家の成立とともに国民統合のイデオロギーとして形成された文化(「国民文化」)とそれ以前、あるいはそれ以外の文化とを区別する必要がある」(p293)

・「自由民権運動や社会主義も含めて、主観的には反政府、反権力を主張していた運動も、結果的には国民統合のイデオロギーの強化に役立った」(p293)

・「現在のわれわれの生活と感性を根底から規定しているのは、何よりも国民国家のルール(法律や経済)であり、国民国家のイデオロギー(日本文化)である。」(p295)

・「普遍に対する個別性という文化概念をつきつめてゆけば、文化は必然的に個の問題に直面するはずである。」(p297)

・「・・・文化は究極的には価値観の問題であるということだ。価値を決定するのは最終的には個人である。「私」の選択は一つの文化のなかで自己の位置を決定するだけでなく、一つの文化を捨てて他の文化を選ぶこともありうるだろう。そしてそのような個のあり方が、より上位の文化の性質を変えてゆく。」(p299)

★文化が「構造」をもつと同時に「変容」を続ける点を考える手がかり
@「「文化」が特有の構造をもつということは、それが一つの価値体系として、他の「文化」に対して排除と受容の作用をもつことを意味する。国民国家は文化の排他的側面や闘争的性格を強化させたが、国民国家という枠組みをはずしてみても、文化的接触とは二つの価値体系の接触であるから、必然的に闘争的な側面を含むことになるだろう。異文化の受容は、それを受け入れる文化の体系が全体として破壊されないことを前提としており、それはつねに受容と排除の境界線を引くための闘争を伴っている。」(p301)

A起源の神話の打破:「文化は受容と変容を続けるものであって、異文化交流は文化の存在条件である。また主体の側から見れば文化交流とはたんなる交流ではなく、多少とも自己変革を伴っている。国際化とは自-他の変容である。」(p302)

B第三の領域=世界性:「「万民(国)法」を国家間のルールを定めたたんなる国際法ではなく、文字通り世界を構成する「人びとの法」として、世界性をもった世界共通の文化として理解するとき、われわれはこれまで、歴史的制約としておおむね否定的に述べてきた国民国家や世界的な国家のシステムにも、世界性への契機が含まれていたことを認識できるであろうし、また欧化と国粋の循環や異文化交流にかんする理論のペシミスティックな隘路から脱けだすことができるであろう。そしてそのとき「文明」と「文化」の語は、国民国家の時代の歴史的規定性から解き放たれて、本来の姿を現すことができるかもしれない。」(p303)

・文化相対主義への批判:「文化相対主義は世界のあらゆる文化の独立と固有の価値を認め主張することによって、結局は文化的な世界地図を描き、文化の国境を作りだしてしまったのではなかったか。文化相対主義は国民国家のイデオロギーの批判として出発しながらも、結局は国民国家の固定的な文化モデルを受け入れている。」(p304)



9 二つの『日本文化私観』――ブルーノ・タウトと坂口安吾

・タウトの文化概念:美や文化を国民性の高度な精神的表現とみなして文化的伝統や文化遺産を重視する〜文化相対主義の最良の例

・安吾:美の判断基準は文化や伝統の側にあるのではなく、あくまでも個々人の内面にある

★「安吾は一つの個としての人間が、自分自身、すなわち「生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独」に直面すべき場所としての家について語っている」(p346)

・「我々は小説を書くに当って自我を意識する結果、小説は自我によって限定され、自我の領域と通路の中でしか物がいえない状態になる。もともと我々は如何に自我に無意識であろうとも、結局小説の最後においては自我を語っているのである。そうして、小説を制作した後において小説の結果として自我を発見する方が、芸術本来の非限定性、発展性、自由性に添うことであり、かくあらねばならぬことなのだ。」(p361(坂口安吾「日本精神」からの引用))



10

★テーゼ:「グローバリゼーションとは文明化の最終局面である」(p373)

・「文明(化)の時代が終焉をむかえようとしているのは、その時代を支えていた資本主義と国家システムの均衡と相互依存的関係がくずれたからである。・・・。・・・、世界資本主義のシステムがある種の均衡と調和を保ちえたのは、戦争をも含めて、国家間の強い対抗関係があったからだということを証明」(p377)

・「生活の流動性やアイデンティティの重層性は、国民国家形成の当初からすでに予感され部分的に実現されていた」(p383)

・「世界システムの中で国家間システムの一環として形成される国民国家は、国境によって国を閉ざす一方で、世界との交流を余儀なくされている。国民性や国民文化論によって代表される国民統合のイデオロギーは、そうした地域や住民の多様性と移動の実態を覆い隠す役割をはたしていた」(p383-384)

・グローバル化の推進:資本主義と国民国家の共犯

★命題:「国民国家は帝国を志向する」

・「被支配層は国家を、特にその社会福祉的側面を、擁護しなければならない、と私は考えています。この意味での国家擁護はナショナリズムに発するものではありません。国民国家とたたかうことはありえます。しかし、国民国家が果たしている「普遍的な」機能――そして、超民族国家もまた同じく果たしうるであろうような「普遍的な」機能――は擁護しなければなりません。」(p385-386(ピエール・ブルデュー「『グローバリゼーション』神話とヨーロッパ福祉国家」『市場独裁主義批判』からの引用))

・ブルデュー批判:「旧植民地の住民にとって国民国家の「普遍的な」機能とは何であったのか」(p388)

★「だが福祉や社会政策はグローバリゼーションがなければ、はたして後退しなかったであろうか。ここで国民国家とは何か、福祉国家とは何かを改めて問う必要があるだろう。福祉国家は博愛主義や人道主義の結果ではない。第二次大戦後のイギリスの例が典型的に示しているように、福祉国家は第二次大戦という総力戦の一つの結果として誕生する。総力戦は国政に参加すべき国民の基盤をひろげ、もはや貧民や労働者や女性を無視して国政を維持することは不可能になったからである。だが世界システムが経済的な搾取と格差の上に成立し、国家間システムが国家間の格差と国民のあいだの差別を前提として成立している以上、福祉や社会政策がいずれ限界につきあたることは必至であろう。福祉国家は、特定の歴史的条件のなかで闘いとられたものであると同時に妥協の産物であって、国民国家のなかで完成した全き姿を現すことはできないだろう。国民国家の衰退、福祉国家の衰退は、グローバリゼーションのせいばかりではない。グローバリゼーションの圧力が、実現するはずもない福祉国家を美化している。福祉国家擁護の観点からグローバリゼーション批判を続けることは、国民国家にアリバイを与え、ノスタルジックな見果てぬ夢をたどることになるだろう。」(p389-390)

・「国粋主義者や伝統主義者は、国家や文化という、自己の外にある基準や権威に自己を従わせることにどうして満足していられるのだろうか。どうしてそれを屈辱とは感じないのであろうか(もっともそう感じること自体が、彼らに言わせれば個人主義に救い難く毒されていることになるだろう。)」(p396-397)

・「多文化主義は国民国家の不可逆的な変化の方向を指し示している。」(p400)

・「多文化主義政治理論では、市民の基本的な諸権利が守られている限りでという留保はあるものの、「人権」とは異質の「民族的文化的価値」が、時には「人権」に優越する価値として主張される。」(p401)

cf:チャールズ・テイラー、ユルゲン・ハーバーマス他著『マルチカルチャラリズム』、テイラーに対するインタビュー「多文化主義・承認・ヘーゲル」『思想』一九九六年七月
・「国民形成に際してはあらゆる差異が動員されただけでなく、差異と差別が必要とされ、必要であるがゆえに作りだされたのであった。中核に対して周辺が、中央に対して地方が必要であったように、マジョリティの形成には劣位の他者としてのマイノリティが必要とされる。」(p403)

・「文化の古典的な定義にとらわれている限り、多文化主義は、国民国家の形成期に現れた民族自決の原理の現代版であり、民族と文化の数だけの分立したミニ・ネイションを意味することになる。」(p404)

・「リサ・ロウはアジア系アメリカ人の民族的なアイデンティティの追及が、彼らの異質性と同時に彼らの雑種性と複数性の発見に至ることを記しているが、そのような事態はすべてのマイノリティ移民の上に起こりうることであろう。」(p405)

・「一般には、多文化主義の効果は、規範から同時に逸脱したものとして、差異を必然的に均質化することにある」(p406-407(ビル・レディングズ『廃墟の中の大学』p155からの引用)

・「個人の主体的な自我形成の問題であったアイデンティティ概念は、はじめからナショナル・アイデンティティ論への方向を含んでいた」(p421)

・「アイデンティティ概念の導入は、・・・つねに「新しさ」と「差異化」を求める「アイデンティティの問い」として消費社会のイデオロギーとなった。」(p421)

・国民国家の形態と国民国家における思考(思想、イデオロギー、科学、等々)の構造上の類似:「近代の国民国家も同一性の原理によって構成されている。国民、領土(国境)、主権の概念は同一律と排中律によって規定されていて、そのためには国民国家は、一国語・一民族・一国家の神話に傾斜しやすい」(p423-424(『岩波哲学思想事典』「アイデンティティ」の頁からの引用)

・国民国家と精神分析学の相同性

cf:リン・ハント『フランス革命と家族ロマンス』

・スチュアート・ホールへの批判:「動態的文化モデル」にふさわしくない〜「文化やアイデンティティの概念を根底から疑うよりは、既成の概念の枠内で概念を変容させようとしている」

★「現在、パーソナル・アイデンティティは『故郷喪失状態』となり、たえまなしに変貌する状況や出来事に対応して、個人は自己の『故郷』を絶えず再構築し続けなければならない」(p431(アルベルト・メルッチ『現在に生きる遊牧民――新しい公共空間の創出に向けて』p132))

・「・・・、人々が運動に動員されることによって、それまで水面下に隠されていたネットワークが可視化されることを指摘する文脈のなかで記された文章であるが、それを逆に、動員される個々人の側から読めばどういうことになるだろう。水面下のさまざまなネットワークを通じて動員され運動に参加する個人は、そこで出会った人々と短い期間、一種の共同体を形成するが、その期間が終われば元の場に戻るかあるいはまた別の運動に入ってゆく(つまりメタモルフォーゼが行われる)。この「瞬間の共同体」とでも言うべき人々の結合関係は、これまで言われていたような中間集団や民族や市民社会、あるいはゲマインシャフトやゲゼルシャフトとは全く異なる、移動の時代の新たな共同体のモデルを提供するだろう。」(p433)

・「文化を対象化し問題化できるのは、文化がもはや私たちを全的に拘束する力(かつての国民文化のように)を失って、断片化し周辺化されているからである。」(p434-435)

・「「私文化」にあっては他者との境界の設定(国境と国民性)や同一化が問題ではなく、他者とのかかわり方とその時々の共同性のなかでの自己変容と選択の能力(メルッチの言葉を借りればメタモルフォーゼと現在性)が問われることになるだろう。」(p436)



平凡社ライブラリー版 あとがき

・文明と文化の概念の形成と変容をめぐる考察→書き直し:「国家イデオロギーとしての文明と文化」(『思想』一九九三年五月)

・「国家装置や国家イデオロギーの問題を、私はフランス革命と明治維新の比較検討から始めたのであるが、それを進めるためには、その問題を理論的に深める一方で、国民国家形成をめぐる同じ問題が日本やフランスに限らず、ヨーロッパの他の国々やとりわけアジア、アフリカ、ラテンアメリカなど、私がこれまでほとんど知らなかった地域について指摘できることを証明する必要があった。また現在の国民国家の変容とそれをのりこえる可能性について、したがって『国境の越え方』で提出した「私文化」についてより深く考えるために選んだのは、多言語・多文化主義の問題であった。」(p456-457)



解説――「国民国家」論の功と罪 上野千鶴子

・「九〇年代の西川さんは、矢継ぎ早の著作の刊行や講演やシンポジウムの組織化を通じて、「国民国家」という新しいパラダイムを日本に確立し流通させた「国民国家」論の立役者としての活躍で知られる。」

・「わたしたちは自然視されてきた国家が人為的な仕掛けにほかならず、それが成立することもあれば目の前で崩壊することもあることを、つまり他の人為的な装置同様、国家には耐用年数があることを目の当たりにした。・・・国家が統治機構として機能しない泥沼のような現実を見るいっぽうで、国家のない/国家の後の世界をかいま見る構想力もまた、与えられたのだ。」(p463)

・「国民国家」パラダイム→比較の視座

・「「市民」とは「文明化された人々」の集合であり、「文明」の普遍主義は、どんな人間でも「文明化されうる」ことを可能にしかつ要請し、したがって「文明化途上にある人々」を序列化し、差別と植民地主義の正当化のイデオロギーとなる。だれもがフランス市民になれる、ということは裏返せば、市民に一級市民、二級市民・・・の序列があることを意味する。」(p467)

・「「文化」はその成り立ちの最初から普遍性に対する固有性の主張を伴っており、「普遍性」に対する「補遺」もしくは「残余」として、すなわち移転や同化の不可能な精神性として構築され、したがって排他性と人種主義を正当化するイデオロギーとなる。」(p468)

・「よくできた理論というものは、それ自体自己完結性を持つ傾向があるが、「国民国家」論が説明能力を持てば持つほど、「何でも国民国家」という「ひとつの結論」が用意されていると見なされるようになったことが、「国民国家」論が飽きられる原因のひとつに挙げられよう。そして国民国家を相対化するための理論であったはずのものが、かえって国民国家の拘束力の大きさを証明する結果になり、「出口なし」の印象を与えるという逆効果を持つに至った。」(p470)

★「「文明」はその普遍主義によって、発明者の意図を越えて諸権利を要求する二級市民、三級市民の自己主張を引きだす効果を持った。」

・「「文明」「文化」は国民国家の自己意識である、という命題は明晰だが、イデオロギーを個々の歴史的文脈にみれば、概念が矛盾し、輻輳し、自己を越え出ていくプロセスを見ることも可能だろう。」(p471)

・「私文化」=「脱国家」的な生存の様式
cf:沖縄の「反復帰」思想〜「本土への同化・統合をめざすナショナリズムとも、「独立」論につながる土着ナショナリズムとも一線を画」(新川明『沖縄・統合と反逆』)

・国民国家を超える思想: 難民の視線 と 治者の視線


作成:小林勇人 UP:20040416 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0102nn.htm
西川 長夫  ◇BIBLIO. 

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