>HOME >DATABASE

江原由美子 『ジェンダー秩序』 勁草書房


江原由美子 20010425 『ジェンダー秩序』 勁草書房 3500+税 435p,16p ISBN:4-326-65251-9  [amazon][bk1] ※
*ここでは、第三章第六章第九章を紹介する。

【目次】
I 基本的枠組みの検討

第一章 予備的考察−ジェンダー/心/権力
第二章 ジェンダーの社会的構築
第三章 構造と実践

II ジェンダー秩序とジェンダー体制
第四章 ジェンダー秩序
第五章 ジェンダー体制
第六章 〈諸制度〉〈儀式〉〈メディア〉〈社会的活動〉

III ジェンダーの再生産と変動
第七章 ジェンダー知の産出と流通
第八章 ジェンダーと性支配
第九章 再生産・変動・フェミニズム


  
第三章 構造と実践

3−1 人格と社会関係
 性支配という事態を理論化するために必要な理論的枠組みを検討する。「心」あるいは「人格」は、発話あるいはふるまいの一連のまとまりとして把握される。
 社会成員が社会慣習や文化として把持している性別に関わる知識を使用して行為するあらゆる場合を通じて、ジェンダーは構築される。こうした理解は誤解を生む 可能性があるが、以下の利点もある。
1.ジェンダーを関係的な概念として把握できること
2.ジェンダーを性支配と密接に関連づけられること

3−2 構造と実践
 ギデンズの「構造化の理論」・「主体的行為」と「構造」 説明省略

■ 規則的な社会的実践
ギデンズの「構造化の理論」
 「構造と実践」は「契機と全体性」として把握される
「構造の二重性の定理」
1.「主体的行為(実践)と構造(構造特性)」の関連性
主体的行為(実践)は構造(社会システムの構造特性としての規則・資源)に依存的である
2.「社会システムの構造特性と行為あるいは実践」との関連性
「社会システムの構造特性」は、規則的な社会的実践によって生み出される

■ ブルデューにおける「構造と実践」「ハビトゥス」
「構造」は「実践」によって構成されるものであり、「実践」そのものが、「構造」によって「構造化されている」側面を持つ。「構造化する構造」を「ハビトゥス」 と言う。「ハビトゥス」は知覚の組織化を含む。「考えられるもの」と「考えられないもの」は吟味に先立って知覚される。

■ ギデンズとブルデュー
共通点−両者とも一種の「循環論」を積極的に取り入れている
(1)「主客図式」からの脱却

◆ギデンズ
「主体/客体」「個人/社会」などの二元論から「構造化の理論」への脱却
◆ブルデュー
「主観主義対客観主義」の理論対立図式から「文化的再生産論」への脱却
(2)「構造」を「実践」と不可分なものとして見る視点の確立
◆ギデンズ
社会システムの構造特性に規則づけられた社会的実践による社会システムおよび社会システムの「構造」の産出という視点
◆ブルデュー
「構造」によって構造化されたハビトゥスによる「構造」の産出という視点

相違点−ギデンズは柔らかく、ブルデューは堅い
◆ギデンズ
「構造特性」が「社会システム」と「パーソナリティ」を媒介する論理構成。「構造特性」という概念は抽象性が高く、「ジェンダーの社会的構築」論にも 適用しやすい。
◆ブルデュー
「構造」もハビトゥスも具体的なものとして把握される。しかしそれが「再生産論」を「世代間継承における再生産論」に限定する効果を持っている。

■ 「性支配」論への含意
ギデンズ「規則づけられた社会的実践」、ブルデュー「ハビトゥスに基礎づけられた実践」は、いずれも「構造」と不可分である。これは以下のことを明らかに 示している。
1.「構造」は、実践や社会的相互行為と独立したものとしてではなく、それと密接不可分なものとして把握できること
2.実践や社会的相互行為を、固有かつ独自のものとして把握するのではなく、ある程度規則的あるいは持続的なものとして把握しなければならないこと

■ ジェンダーと性支配を論じる上で存在する問題
1.ジェンダーと性支配を、同一の実践あるいは社会的相互行為から同時に成立してくる「構造」として把握することは可能であること、そしてこの視角は「ふるまい」に ジェンダーを求めるという最初の立場と両立可能なこと。
2.ジェンダーと性支配を生み出す「規則づけられた社会的実践」「ハビトゥスに基礎づけられた実践」が何であるのかについて、ある程度具体的に把握する(あるいは 理論家自身によって「構築」する)必要があること。
※本書自体がある種の「構築」を行なうことになることを、充分自覚している。

3−3 権力と支配
 ギデンズにおける権力と支配・ブルデューにおける支配・象徴資本 説明省略

■ ギデンズとブルデューの支配についての論述の比較
共通点−「積極的」な概念

(1)権力を行為者が行為を構成していくこと自体に関わる「積極的」な概念として把握している点
(2)支配を「資源:ギデンズ」あるいは「資本:ブルデュー」の配置が生み出すものとして把握している点
相違点−焦点の違い
◆ギデンズ
主要には相互行為に焦点を当てて権力と支配を論じている。
◆ブルデュー
相互行為の結果であるハビトゥスに基づく「社会的世界の見方」をめぐる闘争(という相互行為)に焦点を当てて権力と支配を論じている。

■ ジェンダーの社会的構築とギデンズ・ブルデューの関連性
「ジェンダーを社会的に構築」する実践(第二章を参照)
(1)対面的相互行為の場面における実践
(2)「諸言説−読み手」における実践

◆ギデンズ
エスノメソドロジーなどの流れをくむ言説分析
◆ブルデュー
フランス哲学の流れをくむ言説分析

◆ギデンズ
権力の媒体は「認証」と「配分」であるが、「認証」は言語行為論における発話を行為に結びつける「行為者のカテゴリーに関する正しい条件」に かなり近い。
◆ブルデュー
「象徴権力」「象徴支配」の考え方はドロシー・スミス(→第二章を参照)の「テクストを読む実践」と強い関連性を持つ。

3−4 相互行為水準の権力と支配/社会的地位水準の権力と支配
■ 実践

 自己あるいは他者によって本人のふるまいとして認知されうるふるまいを、そのふるまいがなしえたことに関連させて考察するようなふるまいについての(本人あるいは 他者の)認識枠組によって把握された「ふるまい」のこと。実践を、行為や行動を把握する視角として把握する。

■ 象徴実践と解釈実践
◇解釈実践 何か(兆候)を、それとは別の何か(意味)として把握するという人間の営み
◇象徴実践 他者の「解釈実践」に向けて象徴を提示する(発話するなど)ふるまい

■ 社会的実践
◇広義の社会的実践 他者のふるまいあるいはその成果を他者の心に関連づけて解釈する解釈実践
◇狭義の社会的実践 自己の実践によりなしうることが、他者の実践に依存しているような実践

■ 対面的相互行為とそれ以外の相互行為
(1)対面的相互行為においては、社会的実践の相手と自己は同じ時間/空間を共有することによって、自己の狭義の社会的実践に対して時間的に継続した相手の実践が 自分の社会的実践に対する呼応として把握される。
(2)対面的相互行為における狭義の社会的実践は、社会的実践の相手と時間/空間を共有することによって、その実践が向けられた相手を、暗黙に特定できる。

 逆に対面的相互行為でない相互行為は、メッセージの受取人を敢えて特定しないという言説戦略をとることもできる。人々が自分自身を自発的にメッセージの受取人と みなすことをあてにしている。

■ 相互行為水準における権力と支配
◇「権力」

自己が目的とする事態に向けて他者の実践を積極的契機として動員しうる力
◇「支配」
相互に権力を行使しあう関係において、一方が首尾よく「権力を行使」できる度合いと他方が首尾よく「権力を行使」しうる度合いに著しい相違がある場合に、 この両者の間になりたつ社会関係

 「権力」「支配」ともにギデンズの定義に近いが、本書では「資源」という概念を立てることなく、「権力」を直接的に相互行為における「他者を動員しうる力」に 関連づけている。相互行為水準における「性支配」は、性別カテゴリーにおいて女性/男性として把握される社会成員間において、どれだけ権力行使を行なうことが できるかに関して、相違がある場合に見出される。

■ 社会的地位水準における権力と支配
 「地位」にともなう「権限」を、社会的地位水準における「権力」、「権限」の非対称性を「支配」として定義する。社会的地位水準における「性支配」とは、 大きな権限を持つ地位にある人々の性比に相違がある場合に見出される。この「性支配」のイメージは男女間にいわゆる社会的地位の相違があるということと、 かなり等しくなる。

■ ジェンダーと性支配についての予備的考察
図3(p110)を参照のこと。


  
第六章 〈諸制度〉〈儀式〉〈メディア〉〈社会的活動〉

 多様な諸活動の中で、社会的場面としてある程度のまとまりを持つものを、「ジェンダー体制」として把握する。

6−1 〈諸制度〉
〈諸制度〉として挙げられる民間施設や公的施設(あるいは制度)を利用者として利用するという社会的場面は、非常に多様である。そこで、以下のように簡略化 して、例示的に提示して考察する。
1.消費活動として把握されるような様々な商業サービス施設利用に関わる「ジェンダー体制」
2.生存に不可欠な社会保障・社会福祉・安全・健康に関わるサービスの利用に関する「ジェンダー体制」

■ 商業的サービス
 商業施設は「客」が行なうべき行動について、明示的なあるいは暗黙の、規則を課している。もっとも明確な規則は開店・閉店時刻である。朝10時〜夜7時の時間帯に 開店しているということは、家族の中で誰かが就業していないということを前提としている。さらに、自分で移動できる客のみを客として暗黙に想定している。
 商業施設は暗黙に、自分の店の主力客層に関して男性/女性などジェンダーを想定している。男性は飲食・セックス・賭博、女性は外見というこの商業施設の配置にも 「性別分業」と「異性愛」パターンが明確に影響している。日用品や食料品の買い物を女性に、耐久消費財や車や住宅などの高額商品の購入を男性に割り当てる ジェンダーも健在である。「女一人ではばかにされてしまうのではないか」と不安がる女性もいる。

■ 病院
患者あるいは患者の家族としての「ジェンダー体制」
1.患者の治療に関する意思決定の責任を男性にとらせたいという意識
2.入院患者の付き添いや身のまわりの世話は女性がするものという暗黙の了解
 患者の世話をする者が劣悪な環境に置かれてきたのは、それが女性であったから気にならなかったというジェンダー感覚が、病院関係者にあったように思われる。
3.男性は泌尿器科、女性は産婦人科という「ジェンダー体制」
 妊娠で喜んでいる女性のそばで、不妊や習慣性流産で通院している女性がいる。これは不妊という問題を女性のみの問題として把握する社会通念も生み出している。

■ 社会保障・公共サービス
 専業主婦の年金権を夫である男性の年金権に付属させる社会保障体制は、女性が離婚した場合に、女性に大きな不利益をもたらすとして批判されている。女性の職業 従事を一時的なものと前提する「性別分業」パターンと、「妻は夫に従属するもの」と考える「異性愛」パターンを前提としている。
 警察や司法も「ジェンダー体制」として機能してきた。特に女性が被害者となることの多い「性犯罪」や「ドメスティック・バイオレンス」の扱いについて、従来の 警察や司法は女性の人権に対する配慮を欠いてきたことが厳しく問われつつある。

■ 公的家父長制
 「女性」(若者、子ども、障害者など「周辺化」された人たち)という社会的カテゴリーを与えられる人々が、「依存的であるのか自立的であるのか」「成熟している のかどうか」とは、単にそうした社会的カテゴリーを与えられた人々の意識やパーソナリティの問題なのではなく、そうした社会的カテゴリーが、制度の中でいかなる 「権利と責任」を与えられているのかということにも依存している。(ジョーンズとウォーレスの議論)
 近代化によって機能分化し専門的サービスを行なうようになるとそれを職業とする人々によって組織された。この過程で職住分離が生まれ、女性は私的領域である家族に おいて再生産労働・無償労働を行なうよう、配置された。これが家庭における女性の男性への経済的依存と、職場における女性の男性への従属化をもたらした。その裏側 には、
1.女性の不充分なシティズンシップ
2.それぞれの専門的機能を担う組織・機関における「男性の優位化」に伴う、制度の暗黙のジェンダー・バイアス

 ウォルビーは、現代の「家父長制」を「公的家父長制」として把握した。

 「ジェンダー体制」は機能分化した全ての組織・機関にも書き込まれている。現代は「公的家父長制」の社会ということができる。現代フェミニズムが試みているのは、 専門知識そのもののジェンダー・バイアスを洗い出すことを通じて、「公的家父長制」を洗い出そうとしているとも位置づけうる。

6−2〈儀式〉省略
6−3〈メディア〉省略

6−4 〈社会的活動〉
■ 〈社会的活動〉の定義

 営利を目的とする企業/親族集団/宗教集団/学校以外の、様々な利害関心や必要性や興味などに基づいて組織される社会集団や組織への参加活動、あるいは社会集団や 組織が提起する活動・集会・イベントなどへの参加活動。よって、(1)社会的活動であるかどうかは、参加する集団や組織の掲げる活動目的によって定義される。 (2)社会的活動の定義には、政治団体・労働組合・生活協同組合・職業団体・住民運動体・社会運動体・文化団体・スポーツ団体など多様なものが含まれる。

 これらの社会集団や組織は、個人生活と国家を媒介する機能を担う中間集団として位置づけられる。社会集団や組織の制度化の度合いは、近代社会における社会問題の 「問題化の歴史」を反映している。

■ 伝統的な中間集団における女性の周辺化
 それぞれの中間集団の中で、男性が役員や代表などの地位を独占しているのであり、それぞれの中間集団の中で女性の意見は相対的に「周辺化」されてしまった。 その「周辺化」された状況で、女性の意見を法や諸制度に実現していく社会的活動においても「周辺化」されてきた。女性は二重に「周辺化」された。

■ 既成政党・労働組合・地域団体への女性の参加状況
 党員の女性比率はけっして少なくはない。しかし党役員における女性比率は、党員総数における女性比率と比較するとあまりにも少ない。労働組合においても、中央 執行委員に占める女性比率は5.6%にすぎない。(p277)
 地域団体活動や生協活動においては、実際の活動者には女性比率が高いにもかかわらず役員は圧倒的に男性が占めている。参加者としては少数派である男性を役員と する非常に根強いパターンがあることが原因である。ここに、男性を「中心的活動」に、女性を「男性の補佐役」に割り当てる「性別分業」パターンが明確に見出せる。 (p278)

■ 〈家族〉とのかかわり
 女性に家事労働や育児労働を担わせる〈家族〉の「ジェンダー体制」は、女性労働者が自らの不当な労働条件を改善するために活動する余裕すら与えない。同様に、 介護や育児に追われる女性たちも、そうした状況を改善するような制度改革のために社会的活動を行なう余裕がない場合が多い。
 女性たちにとって社会的活動に対して市町村や県が後援や支援を行なっていること、「母親」という役割を強調することによってはじめて、社会的活動が正当化 される。しかしそうした「ジェンダー秩序」に沿った社会的活動への参加が、逆に女性たちをとり囲む「ジェンダー秩序」を強化してきた側面があることも見逃す ことはできない。

■ 女性の社会的活動の新しい流れとNPO活動
矢澤澄子の指摘

 1970年代以降活発化してきた女性運動を「都市化・家族的要因・大学進学率などの要因によって性役割革命が起きた」後の政治・社会参加意識の高まりによるものと 把握し、その特徴を「市民化」(自覚的市民としての意識形成とアイデンティティの変容)とする。

 しかし、この層の女性たちの社会的活動も「ジェンダー」から完全に自由でなかった。

 「女性の自立」を実現しつつあるかに見える仕事を持つ女性たちの方では、家庭生活と職業両立に精一杯で、社会的活動に参加する余裕すらなく、「女性の自立」を 主張できる時間的余裕を持つ女性たちは「自立」できない…。この女性たちのねじれた位置こそが、1980年代の女性運動の限界性であった。

 〈社会的活動〉もまた根強い「ジェンダー体制」をともなっている。


  
第九章 再生産・変動・フェミニズム

9−1 再生産と変動
■ 江原のまとめ

 「性支配」は変わらないとは全く思っていないが、そんなに簡単に変わるものではない。「性支配」が変わるには、長い時間が必要なのであり、そのためにはさまざま な場所で、その時その時の状況に応じて、別のパターンの社会的実践を持続的に行いつづける社会成員の実践が不可欠である。この本が「性支配」の存続に一定の効果を 持ってしまう可能性を否定しないが、その変革が一筋縄ではいかないということも、はっきり見据えておくべきである。
 性支配が見えにくくなる状況において、「社会成員の選択能力を否定することなく『支配』を論じること。女性自身の認識能力や判断能力を否定するのではない形で、 『性支配』の成立とその全面性を論じること」が本書の課題であった。

■ 本章の狙い
1.これまでの枠組に即して、ジェンダーの再生産と変動をどのようなものとして見るかという視角を呈示
2.フェミニズムがある程度定着した社会における「ジェンダーの再生産」の様相について、ある程度の読み解きを行う

■ 他の社会的カテゴリー化装置とジェンダーの関連性は、次の二点が挙げられる。
1.他の社会的カテゴリー化装置とジェンダーの代替性
性別カテゴリーよりも別のカテゴリーの方を使用する方が「権力行使」を達成しやすいとするならば、性別カテゴリーの使用は控えられるであろう。
2.異なるカテゴリー化装置の存在が矛盾を認識する可能性
なぜ「同じ」職業なのになぜ性別が違うだけでこんなに違うのかという疑問を持ちやすくなる。

 再生産は、その内部に一定の範囲内での流動性をおりこみつつ、また異なる社会的条件のもとでなされることによって、変動の可能性をも含み込んでいる。再生産と 変動は、けっして別の過程ではなく、同一の過程に含まれる二つの側面に過ぎない。

9−2 フェミニズム言説成立後におけるジェンダーの再生産
 「フェミニズム離れ」「フェミニズム嫌い」の現象を「ジェンダーの再生産」という視角でもって記述する。その理由は、
1.「社会が変わった/変わらない」という二つの言説に対して本書の立場からの認識を示す
2.再生産と変動の関係を示すことになる
3.フェミニズム的実践についての認識を深めてくれる

 フェミニズムは社会を変化させつつも、「ジェンダーの再生産」に関与してきた。例えば、現在の若い女性たちの間には、上の世代と比較して強い傾向として、
1.「家事をする女性」を「つまらない女性」として見てしまう感覚
2.自分の行動に「女性だから」という理由を見出すことに対する嫌悪感

 「先生たちの時代はよかったですね。自分ができないことを、社会のせいとか、男性のせいとかに、することができたのですから。私たちはもうそうできない。 選択肢があることが明らかになってしまったんですから、できないということは、自分のせいだということになるんです。自分が悪いということを抜きにして表現する ことはできないんです。」

 「自立する女性」に高い評価を与える知覚評価図式が成立しても、他のジェンダー・ハビトゥスに関わる知覚評価図式がすっかり変わったわけではない。「自立する 女性」という評価図式は、「女性」の評価図式にすぎない。そのため再び「ジェンダーの再生産」機能を果たしていく。例えば「社会に対して告発する」という行為を 「いつまでも人のせいにばかりにして自立していない」と感じてしまうのは、従来のジェンダーが影響を及ぼしているからである。

 フェミニズム言説がはらむ「ジェンダーの再生産」という効果は、変動するジェンダーと変動しないジェンダー両方のせめぎあいから生み出されていく。
 しかしフェミニズムが免責されるわけではない。「自立する女性」像を他者から自分を「卓越化」しうる評価図式であるかのように提供してきたことは確かである。 フェミニズムが闘わなければならないのは社会であるのに、自分たちの言葉を聞いてくれそうな女性たちにプレッシャーをかけ、「私たちは新しい女性。あなたたちは?」 という問いを作り出し、女性たちをその問いの罠に追い込んでいった実践を行ったことがないという言いきれるフェミニストはどれだけいるのか。

 必要とされているのは、変化するジェンダーが課す新たな「ジェンダーの再生産」のなかで、言説上の権利を奪われ、呻吟する人々のかすかな声を聞きとる力なのでは ないか。そしてその声を新たな言葉や実践に結びつけていくことこそが取りうる道である。


作成:北村健太郎(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20040528 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0104ey.htm
江原由美子  ◇フェミニズム

TOP  HOME(http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/)