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齋藤純一 「社会の分断とセキュリティの再編」 『思想』

齋藤純一 20010600 「社会の分断とセキュリティの再編」 『思想』第925号, p27-48
・本文における傍点の代わりに<>を使って表記

はじめに―自然状態の黙認?

・集合的な生の保証の著しい後退、社会の底辺層から社会保障の大幅な引き上げ

「社会契約論が克服すべき反価値として描いた自然状態が<新たに>つくりだされ、しかもその存在がすでに事実上黙認されているといっても過言ではあるまい。」

(注1)ネオ・リベラリズムの経済政策が「自由市場」と同時に貧困と底辺層を人為的につくりだす(J・グレイ『グローバリズムという妄想』)

一 「社会的なもの」と集合的な生の保障

・「一九七〇年代以前と一九八〇年代以降とを分ける一つの基準は、同化、画一化、平準化、同調圧力といった社会のコンフォーミズムの機制に照準する批判の有効性が相対的に失われ、差異化や多様化という逆の動きのなかに分断化や排除の規制がどのように組み込まれているかをとらえる視点が不可欠になったということである。『社会的なもの』という不可分であるはずの空間が分割可能になってきた・・・」

二 集合的なセキュリティの後退

・現在のセイフティネット論「『社会的なもの』の外部化を助長し、労働市場からの人びとの排除を正当化し、それを支持する効果をもっている。所得保障等の仕方で最低限の生活保障が社会的に用意されるならば、企業としては制約のない解雇の自由を手にすることができるからである。」
cf  Rosanvallon, Pierre. The New Social Question: Rethinking the Welfare State, Princeton University Press. 2000 60f

・雇用の安定性の崩壊が惹き起こす生の不安。
「中心的な労働市場にもインセキュリティ(解雇への不安)が積極的に組み込まれていると見るべきだろう」

「不安定就労は新しいタイプの支配様式の一環です。労働者に従順を強い、搾取を受け容れさせることを目的に全体的・恒常的な不安感を土台とする支配様式です。その結果において初期の野放しの資本主義に似てはいますが、このまったく新しいタイプの支配様式の特徴を表現するために、ある発言者が『弾力的搾取』(flexploitation)という造語を使いました。言い得て妙な表現だと思います。これが表現している現実は不安感の合理的な醸成です。」(ピエール・ブリュドゥー『市場独裁主義批判』加藤晴久訳、藤原書店、2000)

三 能動的な自己統治

・統治を統治するという再帰的なモード

・「自己統治の主体は、一時的に有用な人材にとどまってはならず、自己という『人的資本』を自らの手で弛みなく開発していく、そうした継続的な意欲の担い手でなければならない。そして、そのためには、すでに獲得されている安全性の外にでて、新しいことを始めるというリスクを引き受けねばならない。自己統治の行為主体には―ネオ・リベラリズムの思潮が好むボキャブラリーを引き続き用いるならば―「起業する精神」が要求される。それは、変化を拒み他を後追いするような精神ではなく、変化を恐れずむしろそれを先取りし、新規に事柄を開始する精神である。新しい始まりやイニシァティヴの強調という点から見れば、それがアーレントの行為の特徴をそなえていることは否定できない。」

・「『第三の道』の主唱者が語る『社会的な投資国家』では、『人的資本』たりえない人びと、有効な『投資』の対象たりえない(と判断される)人びとには、制度的なスティグマが貼り付けられることになるだろう。」

・失業者に対する処遇の変化 「能動性テスト」(activity test)を活用するシステム 例)駒村康平「マクロ経済と雇用政策」武川正吾・塩野谷祐一編『先進国の社会保障1イギリス』東京大学出版会、1999年 

・「失業給付は、無条件の社会的権利ではもはやなく、能動的な『求職者』(job-seeker)であることを実際のパフォーマンスによって証すかぎりで得られる条件づきの手当に変わっている。それは、市民の『権利』ではなく政府と求職者との間の『契約』に基づくものに実質的に変化しているのである(その背景には、『権利言語』の『インフレ』に福祉国家の財政赤字と依存文化の原因を帰す見方がある)。」

・失業者の統治「失業者が労働市場に戻るのを妨げ、彼らを社会的なネットワークや社会的な責務から疎外している障害を表すような彼ら自身の態度、感情、振舞い、性向に働きかける」
(Dean, Mitchell. 1995:572 “Governing the Unemployed Self in an Active Society”, Economy and Society 24/1.

・「失業者のみならず一般に福祉給付を受ける人びと、つまり、依存のリスクが高いと見なされる人びとに対する統治も、教育的な特徴を非常に色濃く帯びつつある。」

・ワークフェア=「失業者を労働市場に連れ戻すための福祉政策」

・“learnfare”=生活手当(AFDC)の受給者に子供を学校に通わせることを義務づける

・“wedfare”=離婚を抑制するために婚姻の維持に奨励金を与える

・「一方で自己統治を積極的に促す統治は、その能力において劣ると見なされる人びとに対しては、生のスタイルに深く介入する後見的な権力としての相貌をはっきりと見せる」
★「能動性を涵養することを通じて、失業者に労働市場への復帰を促し、依存の長期化や再生産を阻止しようとすることそれ自体は、不当なことではないかもしれない。自尊の感情、孤立や孤独の回避などの点から見れば、『労働を通じた包含』の方が所得保障より望ましいことは確かである。」 
(注5)
「ロザンヴァロンが『労働を通じた包含』を所得保障の考え方に対して強く擁護するのは、自尊の感情の問題を真剣に受けとめようとするからである。彼によれば、たんなる『生きる権利』ではなく『社会のなかに生きる権利』を擁護することが不可欠であり、それは『自らの労働によって生きる権利』に等しい。」
cf Rosanvallon, Pierre. The New Social Question: Rethinking the Welfare State, Princeton University Press. 2000 63-67 
「彼は『働くことへの権利』を実現する責務を社会国家に求めていくが、自尊の感情の回復を可能にするような仕方で労働の機会を公的に提供することはそう容易な事柄ではない。というのも、J・エルスターが指摘するように、そうした仕事が他者によって評価される質のものであれば当然それに対する市場の需要が生まれ、『働くことへの権利』を公的に保障する必要はなくなるからであり、逆に、他者が必要としていない仕事に就かされることは自尊の感情を促すどころかむしろそれを損なうことになるからである。」
cf Elster, Jon. 1988:76 “IS There (or Should There Be) a Right to Work?”, in Democracy and the Welfare State, ed. By Amy Gutmann, Princeton University Press.
・「自らが受け容れてきた価値への疑いや抵抗を惹き起こすような思考の動きをつねに注意深く回避する、そうした別様の『自己への配慮』がおこなわれている」
cf アーレントやフーコーの「自己への配慮」に決定的な思考―「自らの行動から自らを引き離し、その行動を対象として立て、それを問題として反省する動き」「自らが為す事柄についての自由」(Foucault, Michel.1988 “Social Security”, in Politics, Philosophy, Culture: Interviews and Other Writings 1977-1984, ed. By Lawrence D.Kritzman, Routledge, 1988.)―は欠落

四 排除とアンダークラス

・「労働市場からの排除は、経済的排除のみならず、政治的排除を含む生のすべての次元にわたる排除をともなう。身許を証明しうるかぎり、たしかに彼らは最低限の生活保障を、つまり労働市場の周辺部で働く人びとのインセンティブを損なわない程度に抑えられた保障を与えられるだろう。しかし、そうした境遇が社会状態に近いか自然状態に近いかは非常に微妙なところである。」

・排除された人びとの境遇が他の社会層と異なる3点

@「彼/彼女たちは、訓練や矯正がほどこされるべき個々の行為主体とは見なされない。社会への復帰を妨げている諸々の原因を除きさる試みはもはや無益である―能動性の欠如(inactivitiy)はすでに証明済み―とされるからである。」
「社会から排除された人びとはその排除に対して自ら責任を負っていると語る言説の支配[ヘゲモニー]であり、彼らは、自らと社会との間の深刻な不適合[ミス・マッチ]は自らの境遇のもたらす帰結ではなくその原因であるという見方を内面化することを余儀なくされる。」

A「一つの社会的集団をなすわけではなく互いに孤立しているにもかかわらず、彼らは、外部からは一体のものとして表象される。それが、経済的に『余計』であるというスティグマのみならず道徳的な特徴を色濃く帯びたものであることに注意したい。」
「『社会生活をまともに送れる』(civil)か『否』(uncivil)かを判断する道徳」

B「彼ら(少なくともその一部)は、社会秩序に対する潜在的な脅威としても取り扱われることになる。」
「(リスク管理によって十分に対処可能であるという点で、彼らは実際には社会秩序にとっての敵ではない。彼らは、対抗関係から実質的に除外されているにもかかわらず、秩序への脅威として過剰に表象される)」

五 生の空間の隔離

・生の隔離化―アーレントの「世界疎外」
「人びとは安全を得るために自らの生活を囲い込むが、そうした自己排除の行動によって、自らの生を私的なものに封じ込めていく。」

・集合的な生の保障は強固な集合的アイデンティティの裏付けを不可欠なものとして要求するという想定そのものが疑問に付される必要がある

六 集合的なセキュリティの理由

・人びとに離脱(exit)の自由を保障することによって声を挙げる(voice)自由を可能にする。
「社会国家の意義は、人びとが生存のために誰か(集団の)意思に服さざるをえないような人称的な依存関係を廃棄し、その非人称の連帯を通じて、成員が間接的に相互の自由をサポートするところにある。社会権(生存権)は、政治的自由を保障する権利としてとらえ返すこともできる。」

・有用かどうかで人びとが測られるのではない空間を分節化するという仕方で、政治的自由の条件を明らかにする。
「アーレントやフーコーが強調するように、自由は自由の実践によってのみ保障されうる。だが、自由は解放―生存への気遣い=不安のなさ(se-cura)―なしにはありえないということもまた真実である。」


製作:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20050713 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0106sj.htm

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