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『自由論――現在性の系譜学』

酒井 隆史 20010723 青土社,452p.


酒井 隆史 20010723 『自由論――現在性の系譜学』,青土社,452p. 2940 ISBN-10: 4791758986 ISBN-13: 978-4791758982 [boople][amazon][bk1]

■内容(「MARC」データベースより)
私たちはいま、ほんとうに自由なのか。「自由」の名の下にはびこる「人権侵害」という「人間性」の剥奪、それに対する沈黙や称賛、「能力」による階級格差を促進させるエリートたちの姿を指摘、警鐘を投げかける。

*ここでは、序章第一章第四章を紹介する。

〈目次〉

はじめに

序章 新しい権力地図が生まれるとき―〈運動〉以降
1 〈運動〉以降
2 労働の拒否と一般的知性
3 市民社会の衰退と新しい権力のイデオロギー
4 非物質的労働と大衆知性
5 multitudes のエクソダズ

I フーコーと自由の現在
第一章 リベラリズムの差異と反復―統治論
第二章 生に折り畳まれる死―権力論
第三章 敵対の転位―法・ノルム論

II セキュリティと自由
第四章 〈セキュリティ〉の上昇―現代都市隔離論
1 セキュリティと分解する「市民社会」
2 コミュニティの「自発的ゲットー化」
3 「アンダークラス」とその〈隔離〉
4 ポスト・ノワールの時代?
第五章 恐怖と秘密の政治学
最終章 現在性の系譜学へむけて―「犬」と例外状態

参考文献
あとがき



序章 新しい権力地図が生れるとき――〈運動〉以降

1 〈運動〉以降

■1977イタリア・ミラノ――フリーフェスティバルの「若者」(高学歴、消費者、半失業者)
「われわれの生をわれわれの手に」−マルクスとウッドストックの同盟。
→既成左翼と中道の結託に対して、時短、欲求の充足、祝日削減反対などを掲げる。

「新しい集団的欲求を、既成の政党や集団が媒介者となり、政治システムに回路をつくることでその出口を与えること、これが「イタリアの制度的特質」ゆえに、既成 左翼勢力(共産党と「新左翼」)に演じ切れなかった、と。「過小代表(underrepresentation)」ゆえに、「過剰政治化(hyperpoliticization)」がそのバランスを とろうとする。具体的には、国家の側と〈運動〉の側の双方の暴力がスパイラルに上昇していき、やがてモロ誘拐殺人にいたって破裂する。それをきっかけにした議会 外左翼ひとくくりの大弾圧によって60年代終わり以来の〈運動〉の脈流はひとまず窒息させられたのだ。」(20頁)
→68年〜77−78年〜79年=アウトノミア

■「構成的実践」(スピノザ)
運動=自足−「別種の生き方をとそれを可能にさせる時間・空間を構成する」
「第二の社会」の実験。←快楽と運動を分裂させる重苦しい倫理主義=「革命」との差異

■照準としての現代
「反革命」=「反転された革命(Revolution in reverse)」
「それは〈77年の運動〉――さかのぼれば68年――のもたらした時代のうねりに、あたかもサーファーのように積極的に身を委ね、たくみにそのベクトルを向け変えた のである。」
→「現代は、敵が運動の担い手であるという意味でも〈運動〉以降なのだ。」

■対象としての世界
「68年がはらみもったポテンシャルにたいする搾取や規制ぶくみの促進=搾取をはかるニューライト主導の攻勢を甘受しているという点で」世界全体の話しでもある。
*グローバリゼーションの時代
最大の敵としての「シニシズム」=「支配的感情」、何かをはじめる感情を消しさる効果。

「80年代の展望と経験を変革し投げ捨てるため」(ヴィルノ)の「準備作業」

2 労働の拒否と一般的知性
【1】一般的知性
■オペライスモ
イタリア共産党に代表される運動に抗しつつ、「熱い秋」(69年)に爆発。
→「労働の拒否」「より少ない労働と、より多くの賃金を」
*根拠としてのマルクス『要綱』「機械についての断章」

「のちにテーラー主義の原理である「構想と実行の分離」へといたることになる相対的剰余価値追求のための生産過程の機械装置による合理化の過程は、労働を生産過程 の中心の座から追放し周縁化する。つまり、機械あるいは固定資本と一本化した抽象的知が、労働を周縁化しつつ主要な生産力となる。」(25頁)
抽象的知=「一般的知性」(general intellect)

「もはや労働は主要な価値源泉ではない、だがそれにもかかわらず依然として価値法則は用いられている」という「矛盾」を推し進め激化させることで、「労働からの 解放」(≠労働の解放)を目指す。
スローガンとしての「労働の拒否」:サボタージュ、集団移住、組織的スト、個人的アブセンティズム、過剰な賃上げなどの闘争形式
→政治闘争の前景化

【2】「分離」のポリティクス
■「労働の拒否」
テーラー主義・フォードシステム・ケインズ主義的福祉国家=フォーディズム体制を危機に叩き込む。
70年代初頭 「労働の拒否」戦略の危機
→資本が労働者の「分離」戦略を逆手に取り、労働の場面から撤退していく。

*テーラーの「二元論哲学」=構想と実行の分離
→ここからさらに進んで、生産の場から労働を排除していく。

「アブセンティズムのような個別的な労働の拒否にたいしては、工場にオートメーションを導入する、労働の協働的関係を切断する集団的な拒絶への応答としては、 生産的社会関係のコンピューター化を推進する。さらにグローバリゼーションの進展によって、テーラー主義は第三世界、周辺部へと移転する」(29−30頁)

3 市民社会の衰退と新しい権力のイデオロギー
【1】歴史的妥協
■「歴史的妥協」の時代(76〜79)――ネオリベラリズム「反革命」の条件
イタリア共産党とキリスト教民主党の「妥協」(*PCIの得票率30%越え)
「68年」のポテンシャルを「妥協」(あるいは議会・政治的回路)から排除
→「過剰政治化」の促進へ…「国家の市民社会の省略」(セルジオ・ボローニャ)

【2】テロリズムと市民社会のシミュレーション
「つまりシステムにとって「外的」なエレメントを一面では規律・訓練、他面では交渉・代表によってシステムへと包摂する媒介的場としての市民社会ではない。危機 管理、緊急事態のポリティクスは、こうしたコンフリクトをはらんだ場としての市民社会を宙づりにするのであり、そしてその空白にシュミラークルとしてのより高次の 「市民社会」を生産するわけである。」(33頁)
*ベルルスコーニ(現首相)の登場

【3】新しい権力のダイアグラム?
■「管理統制社会」
フォーディズム体制=「規律」(あるいは「抑圧」)から、〈排除〉へ統治権力のスタイルが変わる。
→「媒介の省略」=暴力性の上昇―ネオリベラリズムにとっての「常態=正常」へ
*ネグリ=ハート「ポストモダン国家」論
ロールズ=ローティ―「ポスト・福祉国家の理論」
→「重なり合う合意」=「回避」(「希薄な国家」=「希薄な政治」)≒〈排除〉

■陣地戦の無効
「資本主義のグローバル化の文脈でいえば、情報化によって資本は、世界のどこであれ、投資と生産のための最適な環境を瞬時に把握し貨幣を動員する。それは国民国家 のような「場所」に依存した単位を超えて、リアルタイムに世界単位で作動するのである。」(38−39頁)

4 非物質的労働と大衆知性
【1】テーラーの工場から統合工場へ
■「統合工場」
「ネオ・テーラー主義」以降―資本は労働者の身体へと知を送りかえす
「工場から社会へ」の限界
「生産は過剰に量を増大させず、かつ同時に生産性を上昇させるというかたちで構造化されなければならない。フォーディズム期とは異なり、生産をあらかじめ プログラムすることはもはや不可能である。そのため、工場は市場に直結して自らを共振させ、変容することのできるオート・ポイエーシス的システムとならねば ならない。」(40頁)

→生産過程へのコミュニケーションの導入(ポストフォーディズムは日本が起源、「かんばん」)「媒介的企業者」としての労働者の形成。
資本の運動のネットワーク性・フロー性に合わせた雇用形態=不安定雇用
「私たちは常態としてパート労働者なのであり潜在的にはつねに「失業者」なのである。」(41頁)

■79年 イタリアの「反革命」
ファイアットを起点とした総資本の攻勢―指名解雇、リストラ断行
→イタリア共産党の「共犯」性、イタリア社会党のネオリベラリズム政策(1983〜、社共統一路線の放棄)
*84−89年 「第二の奇蹟」(エレクトロニクス、化学、繊維、サービス産業、自動車産業など)

「社会的必要労働時間の急激な縮減を、労働市場を通じて資本主義的にマネージメントする戦略の展開」(43頁)
=運動の持っていたオルタナティブのポテンシャルを資本が活用(運動ノマディズム・安定した職への嫌悪、アントレプレナー的尊大、個人の自律、実験への嗜好 など)。

*「サードイタリア」=「自立的労働―自立的搾取」という現実(ヴィルノ)
*労働者育成の場としての「生活世界」
→一般的社交性、人間関係形成能力、情報を駆使し言語学的メッセージを解読する才能、予期しえぬ不断の刷新への適応力(これこそ「立命資本」が躍起になって進める 教学改革の中身ではないか!)

【2】価値法則と大衆知性
■大衆知性
必要労働時間と剰余労働時間の区別が曖昧な時代
一般知性と「生きた労働」が結合する(*『要綱』との違い)
「だがいまでは一般的知性は「生きた労働」と一体化する。非物質的/知的労働においては、社会的協働、そしてその協働の組織化、運営は一般的知性を備えた労働者の ヘゲモニーのもとに回帰する傾向があるのだ。」(46頁)
→前提としての労働者の「社会的協働」(*これを労働者が再領有できるかどうか?)
価値化/自己価値化―資本の価値形成の源泉としての「自己価値創造」を取り戻すこと。
資本は既に外側からコマンドを与えざるを得ないという条件をどう生かせるか。

「大衆知性」(mass intelectuality)―集団的インテリジェンス・蓄積された知的力(ラツッアト)、「自己価値化の要求と資本主義的生産の要求とのむすびつき」

5 multitudes のエクソダズ
【1】運動するニューライト――フレキシビリティのなかのルーツとルール
「揺るぎない不安定性」(ヴィルノ)のなかで、フレキシビリティはまさに専制的に振舞わざるを得ないちおう逆説的な戦略=運動するニューライト
*ポストモダニズムの「罪」=ルールへの無批判性と、ルールへの軽蔑
「むしろ「現状」とは、市場の収縮に対応したい、社会的必要労働時間の縮減をなんとしても(暴力に訴えかけても)管理したい資本による労働力の激しい移動・運動の 要求のことなのだ。」(51頁)→「現状を維持する」という身ぶりが「現状」を拒否する闘争となる可能性

【2】ポストフォーディズムのmultitudes(群集=多数性)
■純粋な帰属
ファイアットの「場所」(不動性)戦略の敗北
→しかし「根こそぎ化」は「マス・マイノリティ」をも生み出しつつある。
その「純粋な帰属」(68年のポテンシャルでもある)を右派が領有している現在、どう抵抗の側がそこに「領土」あるいは「政治的形式」を与えるかが問われている。
*レギュラシオン派に対するネグリの批判
→既存の社会政体を前提にし、「妥協」によってアフターフォーディズムを考えている。そこでは、命令者(構想)と服従者(実行)の関係は固定されている。限りなく、 その境界が曖昧になり、社会的協働の可能性が拡大しているにも関わらず。

■multitudes
「multitudes は、伝統的に「アナーキー」の恐怖のもとで、民主主義・社会主義においては集団的(生産者=国家)なものと個人的なものの二分法のもとで、(ばらばら の)個人へと還元されて、そのポテンシャルを封じ込められていた。ところが、それらの二項対立を無用なものにしたポストフォーディズム的協働においては、multitudes は一挙に舞台の中央へおどりでる。市民なのか生産者なのか、あるいは消費者なのか、作者なのか受け手なのか、この不分明な「いまだ」統一を欠いている「渦巻き」、 本来的に代表=表象不可能な、それゆえに国家とは根本的に異質な「単位」、すなわち公共的〈知性〉を出発点に政治は再考されるべき」(54−55頁)
*ゴルツの「二重社会論」批判

■〈エクソダス〉
〈知性〉が〈労働〉から引き離され、〈活動〉へと向かう。
そして、ポストフォーディズム時代の非物質的な〈労働〉は、「技芸」としての性格を持ち、それは、まさに〈労働〉を嫌悪したところのアレントを裏切り(?)、 〈政治〉の特徴を帯びてくる。
→「積極的引き下がり」を通じて、新たな集団性・共和制を構築していく闘争へ



第一章 リベラリズムの差異と反復―統治論

1 権力のマクロ物理学

[1]国家をめぐるプーランツァスとフーコー

●プーランツァス

・国家とは何か?「戦略的場であり、交叉する権力ネットワークの過程である……それは国家のうちに諸戦術が書き込まれているかぎりの水準においては、しばしば高度に明確な諸戦術によって貫かれている。それらの戦術は互いに交錯しあい争いあい、いくつかの装置内に自己の目標をみいだしつつ、または他のものによって短絡化されつつ、最後には国家内の敵対関係を貫くような一般的力線、国家の“政策/政治”を描き出す」(Poulantzas1978=1984)

・「偶発的な構造間の接合をあくまで最終的に規制する審級として経済的なものを位置づけ」

・「マクロな『戦略』はさまざまな戦略の結合をとおして事後的にあらわれる」

・「偶発的であるはずのミクロな諸戦術や目標、政策が、階級支配というマクロな必然性に折り畳まれるその因果性」

●フーコー

・権力のミクロ物理学→「マクロ物理学」

・「国家の統治化」 「国家の統治化というパースペクティヴは、国家という制度に対し、権力のテクノロジカルな側面に分析的優越性を与えることで、後述する法律‐主権的権力表象がどうしても含意してしまう、特定の優越者に所有され/そこから行使される権力といったニュアンスを払拭する」もくろみ


[2]リベラリズム―多形的かつ再帰的

・現在 「国家の脱統治化」「統治の脱国家化」

・「過去の堆積物と未来へと連なる現在性の衝突」

・フーコーの「統治性」論

司牧権力(宗教的コード)→政治的・主権的権力にコード化、国家という審級に収斂

            →「固有の統治性」

・ポリスの知「Polizeiwissenschaftは国家理性の原理が支配する統治テクノロジーがとる形態」「従来の主権的枠組みから脱出し、国家に固有の統治活動を反省、確定し、国家の目標、『幸福』を、その個別の主体、全体と個別の『幸福』や安寧/福祉(well-being)とむすびつける。」

・「内在的超越」(Lazzarato) 「脱土地化、脱コード化した諸力の流れを、内在的に管理・統制するテクノロジーは、アルカイックな超越的なコード化に従属することによって十分な発展を阻止されていた。だが内在的テクノロジーをより柔軟に駆使せねばならない事態が訪れ、超越の次元は内在の次元に埋め込まれる。」

・初期リベラリズム=「『ポリス/ポリツァイ国家』の統治実践への批判を含意していた政治経済学」⇔「国家理性やポリス科学においては知と統治は直接に結合」

・リベラリズム「実践として、つまり持続的な反省によって、諸目標に向かい、自らを規制する“ことをなす方法”である」(フーコー[以下フと略記]) 「知は絶えず統治の過剰に批判的に介入しながら、同時に統治の輪郭を描いていくという二重の動き」

・統治の軸のシフト(=主権の枠組みから自律) 

国家の下における直接統治 → 自律的な<人口>のまわりに「私的装置」がめぐらされることを通した「遠隔統治」(governance at a distance)

・「社会」の発見 「統治[政府]は、領土、地域あるいはその臣民を扱わなければならないだけでなく、それ自体の反応のメカニズムと法則とを、その規則性と一方での撹乱の可能性もともにそなえた複合的かつ独立的な現実をも扱わなければならない」

・「リベラリズムは資本制生産様式の浸透にともなって解放された諸力にとって桎梏となった主権的権力行使を批判によって規制する『現実批判のツール』である。」


[3]Une et multiple

・「統一性と多元性の隔たりのはざまにリベラリズムは位置し、『その内部で、経済的、法的主体性がともに相対的モメントとして、つまりより包括的エレメントの部分的諸側面として位置づくことのできるような統治性の複雑な領域の構築』を目指す」(Gordon)

・「リベラリズムにおいて市民社会は市場あるいは人口と主権/法の狭間に亀裂を刻み込み、それをふまえた上で和解を模索するための場の構築と対象化を示唆する、統治実践の相関物なのである。」

・リベラルな統治実践と法の関係

リベラリズムは法思想・政治思想ではなく、本質的に経済分析に由来(フ) (法は「はるかに有効な道具を構成している」)

・主権−法律というカップリング リベラリズムにおいては微妙に緩んでいる

・「最初は過剰な統治性のテストとして用いられたはずの政治経済学は、『その本質においても、美徳という点でもリベラルではなく、やがて反リベラルな態度にまで行き着くようにな』(フ)る」


2 アンチ・ポリツァイとしての古典リベラリズム

[1]自由の活用/悲惨の散布

・「富の増進と人民の貧困とが比例するというねじれた関係」

・「人間の手ではいかんともしがたい経済法則の支配する『市民社会』の法の基礎、そなわち『所有権ならびに世俗法を支配する自然の法』(D・ヒューム)」

・効果的な救済策はそれゆえ監禁なのではなく「自由である」。―ポリツァイの統治術の代替案としてのリベラリズムの核心


[2]統治不能から<社会的なもの>を通した統治へ

・「初期リベラリズムが貧困を経済的メカニズムのうちに配置しなおし、自然な<人口>動態の一契機として埋め込んだとしても、二〇世紀においては、経済法則は貧困を排除するベクトル上に再配置される。つまり国家による市場のマクロな管理運営、すなわち『流通する正貨の量をつねにわずかずつ増大させることにより、物価の上昇速度より生産の増加する速度のほうを早くする巧妙な政策』(フ)のようなテクノロジーの発明が、完全雇用の達成を可能にし、貧困は国家の管理によって原則上、最大限に排除可能なものとなる」

・「真のブルジョアジーのヘゲモニー」たる「国民社会国家」の種別性(バリバール)

・フーコーのパースペクティブ「規律テクノロジーというミクロな権力テクノロジーが、ブルジョア階級の戦略に組み込まれ、国家を折り返し点とする相対的戦略の線に統合される、局地的次元と包括的次元との作用が明確化」

・「剥き出しの労働市場の脈動に従属する人口法則の下、労働者と失業者、ひいては犯罪者などの『非行者』のあいだの区分のあいまいさ、親密さによって、それらのカテゴリー相対が大衆・群集(masses)という未定形のブロックとして、ブルジョアジーと分断される傾向(「二つのネーション」)があった」

・社会国家=「漸進的に階級間の、とりわけ資本と労働間のコンフリクトを“ノルム化”するための諸制度をしかるべき場所におく国家」(バリバール) 「こうした過程は公的領域と私的領域の“融合”、経済的なものと国家的なものの“融合”をもたらすことはいうまでもないが、さらに最終的には以前のどのカテゴリーにも還元不能な“社会的なもの(le slcial)”という現実を生み出す」(Balibar)

・<社会的なもの>=「きわめて様々な問題や特殊事例がそこにおいてひとまとめに括られる特殊なセクターであり、特定の制度や資格所有者の総体を包摂している」(Deleuze) 「社会統計学、そして社会学、さらにはすべての社会科学が、社会的なものを独特な領域として確立する役割を果たした。その現実はもはや無視することはできない。と同時に、政治勢力はいまや、国家にたいして社会的なものの名の下に要求を表明することになる。つまりネーションは、社会防衛、社会正義、社会権、社会連帯のために統治されねばならない。」

・「『介入的立法』によるノルム化と、それが確立しようとする社会権の受け入れは、同時に、工場内の人間関係を機会の主導のもとに合理的に再編すること、つまり経済的合理性の追求に雇用者が専念できることを意味する」

・「一九世紀の階級闘争のひとつの主要形態であった労働者と雇用者のあいだの和解不能な敵対は、経済的なものと社会的なもの、すなわち経済的合理性と社会的合理性のふたつのレジームのあいだの重点のおき方をめぐっての闘争に変容する。ノルム化はかくして<経済的なもの>と<社会的なもの>を分離し、労働者と雇用者の関係を両者同じ<社会>(=国民)の内部での関係へと収束させる」

・保険技術=「もの、人びと、それらのあいだの関係の対象化の原理を与えてくれる『図式(diagram)』(Ewald)となる」 「階級は異なれどもたがいに相互依存しており、その『連帯性』を基礎にして、義務と責任が配分される平面たる<社会>の形成を可能にした」


[3]関与/媒介から分離へ

・70年代の監獄での闘争≒19世紀の叛乱の社会的背景 (フ)「ノルム化、すなわち規律的ノルム化は主権の法律的システムとかつてなく摩擦を起こすようになっている。つまり、それらのたがいの両立不可能性がかつてなく鋭く感じとられ、明白なものになっている」

・「市民社会」「組織されていない社会‐経済的・法的交換、敵対、紛争が表現され、かつ組織されるダイナミックな場所」「労働力の組織化と労働者団体の形成の場所」「教育や訓練によって特殊な個別の利益が普遍的なものへと包摂され飼い慣らされる場」

・「媒介を可能にしたのが規律という権力テクノロジーだとしたら、分離を可能にするのが管理統御という新しい権力テクノロジーである」


3 リベラリズムの回帰

[1]自由の差異と反復

・ネオリベラリズムの照準 <社会>

・リベラリズムの自由=合理的統治の技術的条件(特定の方法で振舞え)

・(フ)どのようにして自己の統治が他者の統治の実践に統合されるのか? 「統治」という概念=自身の統治と他者への統治とをまたがって示唆する概念。統治の統治。他者への振る舞いへと働きかえる次元と、自己が自己へ折りかえす自己統治の次元とが交わる次元を示唆

・市場 準自然的現実/政府によって積極的に構成されるべきもの

・指導 自由な市場で交換する個人の自然的で私的利益に動機づけられた行為/競争的な経済的‐合理的個人の行為の人工的にアレンジされた形態

・空間 自然的領域(市民社会)は統治さるべきものであり統治が生み出されねばならないもの/「統治は市場競争のゲームのためのそして一種の企業それ自体として作動」


[2]撤退と構築―いくつかの論点と事例

A homo criminalisからhomo oeconomicusへ―犯罪政策に即して

・知の動向→統治実践=構成と撤退の両義的な動き サッチャリズム=ハイエク+オルドー学派の「統治的構成主義」

・「素質」ある犯罪者→心理学的・生物学的要素の追放→操作可能な人間、休みなくその環境の刷新に対応できる人間

・「選択」概念の変更 「環境や空間へのはたらきかけによって計算可能になり、操作されうる人間の根本的能力として把握」

・「新しい慎慮主義」:原因観念そのものを迂回することで責任が、そして個人の重要性が復活させられる。―ネオリベやネオコンと親和的 <社会的なもの>から撤退したリスク概念によりリスク集団のカテゴライズと予防の強化を可能にする。


B ニューライト―新保守主義とネオリベラリズム

・ハイエク/サッチャー達が受け止めたハイエク

・「ネオリベラリズムがしばしば文化的にきわめて保守的な立場を示す、あるいはそうした言説と接合するという事態の裏には、自然でもなく<社会>という人工性・創設性でもない第三の次元、『文化』をネオリベラリズムが重視するからである。」

・なぜネオリベは保守的であると同時に「ラディカル」でもあるのか? 「二重化と折り返しの過程によって、それが固有の道具とエージェンシーを有していた新規の領域へとこうした価値とルールを多元化し枝分かれさせる」(Dean)


C 失業政策―失業者から求職者へ

・フーコーによるオルドー学派の分析

@市場は自律的だが自己維持的秩序ではない→市場維持のため積極的介入的政策の要求=統治的活動の根本的合理性を構成 「社会政策の問題は、・・・社会の半競争的効果」

・さらに進むシカゴ学派 (フ)「<社会的なもの>の<経済的なもの>の形態としての包括的な書き換え」 「経済自体を超えて、合理的−経済的モデルを拡大すること、そしてそれを統治的活動を限界づけると同時に合理化するための原理として一般化すること」

・米新保守主義「統治される者がもはや有徳な存在ではない場合に、その自律を通して統治するにはいかにすればよいか。」→ネオリベとネオコン「こうした連中が自らの責任を受け入れて、ふたたび徳ある市民に導く」必要がある→「一種の文化革命」

★「ネオリベ的統治合理性」=ハイエク+オルドー学派+シカゴ学派  統治・政府の撤退/政府[統治]による市場の積極的構築


例)オーストラリアの失業政策

@失業者は「求職者」として「問題化」される 失業の統治の変化「自らの存在を資本化することで、自らの経済的統治を積極的にこなすエージェントとして個人は捉えられる」。+労働者/経営者の欲求と、企業のニーズの接合 = 労働はもはや「社会的義務とは解釈されないし……労働の習慣の社会的効果によって個人を集団へと結びつける役割を主要に担うとも考えられない」。 「われわれのやり方で自由を行使するかぎり、君は君の自由を行使できる」。

A「手を引いた」 「国家と求職者のあいだの契約は、求職者と競合する“職業紹介業者”のあいだのおびただしい契約にとってかわる」。 「君が自由の行使において指導と訓練を必要とするのなら、まず君の自由をそんな指導と訓練へのアクセスを獲得するための雇用サーヴィスの消費者として行使したまえ」(Dean)

・オルドー:競争的市場の作動のために社会的環境を構築→シカゴ:これまで市場の存在しなかった場所にまで市場を構築

・失業者も「人的資本」 サービスを選択・購入する「慎慮ある」「消費者」に

・「問題は…、社会的統治の枠組みをサーヴィス、供給、専門的技術分野における市場の集合として再構成することであり、これらの市場の内部で消費者として失業者を構成しなおすこと」

・「奴隷から消費者へ」福祉受給者の主体性のイメージの転換〜消費社会論は、ネオリベの統治術のうちに位置づけられる必要がある。


D 構築と撤退―バウチャー方式と準市場の構築

・「政府自身のエージェンシーすらも市場における競争者として再構築される」という「二重化と折り返し」の作用。それを可能にするテクノロジー「バウチャー方式」

a)「特殊法人化」 「バウチャー制を通して事業体は、独立採算方式へ、そして公的機関は個人と事業者の契約にかんするコーディネーターの機能に限定される。バウチャー方式はこうして<社会的>装置の国家からの分離を可能にする。というのも民間企業への公的助成が現行の事業者補助方式では不可能であるために、バウチャー方式を介して利用者補助へと公的助成をシフトさせることによって企業に助成できるのであるから」


[3]<社会的>テクノロジーとグローバリゼーション

・ネオリベ(個人強調)/ネオ社民(コミュニティ)=「中道左派」をとりこみ「ヘゲモニー化したネオリベラリズム」「アドヴァンスト・リベラリズム」 

・リバタリアニズム/コミュニタリアニズム=「ポストモダン国家」の権力配置を二つの側面から反映したものにすぎない(ネグリら)

★<社会的なもの>を通した統治からのシフトをめざすという点では共通

・「自由」の活用のされ方―公私のはざまで社会的なものを構成してきた専門家の布置転換

(1)専門家と政治の関係の変容

・国家装置からの福祉機構の分離   政府 / 専門家 : 市場

・福祉のテクノロジーが専門家に授けていた権力→専門家の閉域形成→彼らの権威は外部の政治的試みから遮断され防御

・人間の行動に対する実定的な知に由来した権力→会計や財務管理のような評価制度「これらの“グレイ・サイエンス”、数値化、計算、モニタリング、評価のノウハウは、慎み深いものであると同時に、全能であり、限定されているが一見したところ無限定である。それは医療手続きの適切性から大学の学部の存続可能性にいたるまで多様な問題に適用可能なのである」(Rose)。

(2)<社会的>テクノロジーの新たな多元化

・「二〇世紀には政治的装置に収斂するよう機能する単一のネットワークに組み込まれていたさまざまな規制的テクノロジーがそこから切り離され、それに代わって諸々の自立的要素――たとえば、企業、組織、コミュニティ、専門家、個人――の力や意思の形成を通じた統治の形態が採用されていることを観察することができる。これに伴っているのが、特定の算定様式を諸エージェントの中に『埋め込む』こと、献身と奉仕といった類のノルムを、競争、クオリティ、消費者の要求のようなノルムへと置き換えることである。」

・グローバリゼーションへの順応の集約形態

・「『国民国家批判』への強いこだわりが、世界レヴェルでの資本、<社会的>制度、国際金融機関、そしてとりわけ法・権利のレジームの変容―そこには驚くべき質があるはずなのだが―を見落とさせている。」

・国家の衰退ではなく、領土の位置変化 「フローの空間においてイメージされたこの経済が、その中継点としてローカルなものを要請している」=「統治の脱国家化」

・「こうした機関は、いまや、グローバルな資本市場の秩序と透明性を創りだす場合に鍵となる機構であり、そして政府債の格付けの場合には、こうした機関の権威が主権国家に対して大きな力をもつことになる。国境をまたぐ企業間の紛争を処理するための主たる方法としての国際商事仲裁の勃興もまた、こうした出来事―この種の司法の民営化―によって、国家の裁判所が重要性を失っていることを意味する。さらに、一九九八、一九九九年に実施されることになっている金融報告と会計報告における新しい国際ルールは、国家機能のある部分を、民営化された国際システムへと移しかえることになる」(Sassen)。=主権の機能の大きな変容→主権と統治の関連の変容→規律権力の位置低下

・「すべてが悪いというのではなく、すべてが危険なのだ」(フ)


  
第四章 〈セキュリティ〉の上昇――現代都市隔離論

1 セキュリティと分解する「市民社会」

【1】市民社会はゆるやかに死んでいく [ ダイイング・スローリィ ]

「セキュリティの論理は、インセキュリティの不安を煽るメディアのスペクタクルの上昇と比例して、その暴走をくい止めていた『たが』がはずれたかのように現代社会を 覆いつくしつつある」(p.258)

「『組織されていない社会‐経済的・法的交換、敵対、紛争が表現され、かつ組織されるダイナミックな場所』としての『市民社会』、〈内‐外(l’en-dehors)〉の 弁証法、あるいは交渉(negotiation)の場としての『市民社会』」(p.259)←一連の猛烈な日本の法制化の動きが主要な敵としているもの。

■法と秩序の相克 → 秩序(保全)の論理=セキュリティの論理の優位
*法→「威厳を自らかなぐり捨て、曖昧さ・グレーゾーンを大幅に内包することによって、セキュリティのフレキシブルな作動域を切り開き、そのスムーズな行使に奉仕 するためにのみ制定されているかのよう」(p.259)

■警察の変容の動向(pp.303-305)
現代の警察の動き:警察の近代化の方向を逆向きにたどっている。加速している。

「権力は、人口総体を(…中略…)潜在的犯罪者として仮定しながら作動できるようだ」(pp.259-260)

■ヤング
近代          → 後期近代
=内包(包括)社会 → 排除社会
=×多様性○困難さ → ○多様性×困難さ

「近代においてセキュリティの機軸となったのは(…中略…)主権国家の枠を前提とし、外に向かっては国家安全保障として、内に向かっては社会保障として作動する セキュリティの装置である」(p.261)
「だがいま、セキュリティの上昇と見なされうる事態で最大に焦点化しているのは、もはや一見『穏やか』な社会保障ではない。セキュリティは一方で、〈社会的な もの〉の持ち分を離れ、市場化されプライヴァタイズされていく。他方で、それは、いわば『内向きの軍事化』としても浮上してきている」(p.261)

■内包・統合→排除
マクロなセキュリティの装置とミクロな規律の装置のむすびつき/の後退→「管理統御[コントロール]権力」との新たなむすびつき

【2】都市の分解
■ロザンゼルス
「アーバン・リストラクチュアリングとはまさに内戦の構造化に他ならない」(p.263)
内戦を抑圧→あからさまに行使

*〈排除〉と現代都市 「フォーディズム都市」→ハイテク都市と残余エリア
生産関係→脱場所化

「上昇する社会的不平等と二極化への傾向」(p.265) ポストフォーディズム ヤング「排除社会」(p.267)
中心となる核/防疫線/外集団

2 コミュニティの「自発的ゲットー化」
【1】ゲーティッド・コミュニティと「防犯空間(defensible space)」のポリティクス
■都市の要塞化「ゲーティッド・コミュニティ」……「自らの属する居住地の特定の拡がりをすべてプライヴァタイズすることによって、〈他者〉、異質物の侵入を排除 する、自発的ゲットー化、あるいは自己隔離の空間」(p.270)
 (1)ライフスタイル・ゲーティッド・コミュニティ (2)特権的ゲーティッド・コミュニティ (3)セキュリティゾーン・ゲーティッド・コミュニティ―― 「防衛的排除」
現実とはほとんど関係がないが、リアルに感受される「恐怖」。

■ニューマン「防犯空間[守りやすい空間](defensible space)」 (1)領域性 (2)自然な監視 (3)イメージ
→「建築と警察機構との未曾有の規模での一体化」(p.274)
*インナーシティ 「準戒厳令状態」

「リスク」の問題がかつてのように〈社会〉へと向かわない。「リスクを最小化し損害を限定する犯罪予防政策を構築すること」(p.277)へ。

「ポスト工業時代における新たな階級分解と空間の分離」+「犯罪原因に照準を定めるよりは、むしろ犯罪をあらかじめ予防する方向への犯罪政策のシフト」 →「新しい権力の戦略、権力行使の布置を構成しつつある」(pp.277-278)

「犯罪政策はもはや主体を迂回してしまう」/「個人をどうこうするというのではなく、集合体のセキュリティにこそ一義的な関心が向けられる」(p.278)

「パノプティコンが集約するような規律権力の戦略は、パノプティコンという装置に組み込まれた超越論的まなざしを個体のうちに折り畳ませ、それによって『魂の鍛錬』 を遂行すべく作動した。だが現在のモニタリングはもはや『内面をもった個人』のような『センチメンタル』なものには関心を示すことはない。それはまなざしと相関的に 主体を構成したりはしないのだ。主要な問題は、犯罪を根絶する人道主義的課題ではいっさいなく、犯罪を特定のゾーンに封じ込めるなどして、それによって社会の一部に 与えるリスクを最小化することなのだ」(p.279)

【2】シミュラークルとしての「市民社会」――コミュニタリアンの夢としての?
■ゲーティッド・コミュニティ:「空間のハイパーな秩序づけ直し」……〈内‐外〉の弁証法の衰退

■ハート「古典的リベラルの政治理論における、公的なものと私的なものとのあいだの関係を規定する〈内‐外〉の弁証法はもはや『ポストモダン世界』においては消失 しつつある」(p.279)
「ゲーティッド・コミュニティは従来の〈内‐外〉の弁証法を基軸に据えた場としての『市民社会』をどこまでも真空化する」(p.280)

■ポストモダン化のプロセス:公的空間・都市空間→プライヴァタイズ
大都市の都市計画「一連の防御され切り離された内的空間を形成することによって、公的アクセスや相互交通を制限する」傾向(p.280)

■ハート「政治的なものの場は脱現実化(derealize)していく」
「現実を脱した上で、シミュラークルとして回帰している」=「壁に封じられたコミュニティにおいて」は「『自主管理』的な市民社会のイメージを生産する」 ――コミュニタリアン的。「市民のヘゲモニーによる『都市的なるもの』の構築や参加型民主主義実現」(p.280)
■住宅所有者の会(HOAs):「私的政府」

■「浄化された公共圏」
「他者との絆を一切切断して成立する壁の生む公共圏」。「そもそも異質な他者の交通の場としての公共圏の定義に反している。そこでは交渉も政治も シミュラークルとしてのみ存在を許される」(p.282)

3 「アンダークラス」とその〈隔離〉
【1】貧困者の犯罪化――「アンダークラス」の発見
■「アンダークラス」コミュニストに代わる、ポスト冷戦時代の新しい敵。内なる敵。
「自らの境遇とは交錯しない特定の人々を悪魔化し、敵とみなすことによって、自らの意味論的・道徳的宇宙から切断する」(p.284)

「保険数理的テクノロジーの作動が前面に押し出す〈排除〉の作用と、資本蓄積の新たな平面を接合させるのがネオリベラリズムやそれと並行するモラリッシュなアンダー グラスの言説・イメージの体制である」(p.284)――“貧困者の犯罪化”というプロセス

■アンダークラス概念における問題化の様式と知覚の変容
経済的観点からのもの→行動的観点からのもの(80年代中盤〜決定的に)
新しい「危険な階級」

「経済的・社会的・地理的環境にたいする彼らの反応様式」が問題→「このカテゴリーは融通無碍なフレキシビリティを獲得する」→「ある特定の集合体に属する人びとを 排除のまなざしのもとに切り分ける機能を果たす」=「この言葉は貧しい人びとを(……)スティグマ化するために用いられるラベルとなる」(p.286)

■異質で多様な人びとの集合に含意される一つの特性:「完全に無用(totally useless)」
「〈社会的〉装置を通してふたたび労働力商品化すべき『労働予備軍』として自らの運動のうちに包摂しうるような人口の一部門」ではなく、「労働力商品としてはムダ」 ――「貧民は社会的な有用性を喪失した」(p.287)

アンダークラスは、「個人による選択の帰結として把握されている」……個人化・責任主体化(行動の観点から捉えるという背景)=「ネオリベラリズムによる個人の 問題化の様式と密接に接合している」(p.287)

「アンダークラスにおける『クラス』は従来の階級概念のような社会的階層化という含意をもたない。(……)それは『道徳的境界区分』である」「貧困はもはや社会 階級間の不平等の問題ではない」。むしろ「行動・振る舞い(behavior)」の問題(pp.287-288)という認識。

【2】分解される身体と人工衛星、あるいは「ハイパーパノプティコン」の浮上
「矯正・社会復帰という目標を後退させ、規律テクノロジーを保険数理主義から離脱させるポスト規律・ポスト福祉国家的犯罪政策は、このアンダークラスという表象を テコにして進行していく」(p.288)

アンダークラスは「その集団的な潜在的不正行為(misbehaviour)のゆえに」危険な階級であるとされ、「彼ら以外の社会を防衛するために管理されねばならないハイ リスク集団として扱われる」(p.288)

■現代の刑務所 「資本蓄積とは交わらない、というか交わらないことによって機能するというような地平に再編成されつつある」=「『完全に無用な人びと』を隔離し 管理する場所と化している」(p.289)

刑務所が収縮した社会サーヴィスの代わりの受け皿になっている。
*刑務所の使命 矯正→犯罪者のなかでももっともハイリスクな層の管理=運営
「失業者や貧困者、福祉の受給者たちは、〈社会的なもの〉を通してではなく、いまや犯罪を通して統治される」(pp.289-290)

(「封じ込め」というイメージより)「むしろ監獄は空間の仕切りを横断して延長する〈排除〉のフレキシブルな(防疫)線の一つの中継点と見なすべきだろう」 ――脱拘禁化 「刑罰‐福祉複合体」(ローズ)(p.290)

■現代の〈隔離〉 従来の空間的封じ込めというイメージでは決定的に対応できない
「刑務所の『壁』のような物理的な仕切りに大きく依存することなくリスクを最小化し除去すること」――を可能にしているのが、「〈排除〉の空間を溶解させあらゆる 場所において〈排除〉の実践を機能させるべく作動しうるテクノロジーの発展、具体的には八〇年代からアメリカで急速に発展したといわれる電子モニタリング (electronic monitoring)システム」(p.291)

■「コミュニティ監禁」/監禁都市
「セキュリティ・ゲートウェイ」/人工衛星と監視
「そこにおいては、空間全域が権力の自在に作動するなだらかな平面となり、〈隔離〉や〈排除〉はほとんど液状化している」(p.294)

【3】リスクのスムーズ平面と〈他者〉の変容
「いわゆるグローバリゼーションは、内在的な資本の動きを解放すると同時に、こうした動きを管理するテクノロジーを付随している」(p.294)
現代の〈排除〉 「差異的内包(inclusion differencielle)」(ハート)

■アンダークラス概念==人種主義
「アンダークラスは貧困者を犯罪化することによって、その〈排除〉を正当化する機能を果たすわけだが、一方、そこにひそむあからさまな人種的バイアスを隠蔽する という役割も果たしている」(p.294)
*アンダークラス概念の対象 都市の貧困な黒人/エスニック・マイノリティ

「この見かけの脱人種主義化の下での深化というプロセスが、人種主義のその形態と戦略を変更させながら〈排除〉という機能を相変わらず果たしているのではないか」 (p.295)
「〈帝国〉は(……)人種的差異を(……)つねに程度の差異として措定する」(ハート)(p.295)
ポストモダン人種主義→〈隔離〉を強力に基礎づける

「ハートのいうこの『強度・程度の差異』を付与し、他者を相対化するものは(……)、リスク概念であり、また保険数理的テクノロジーである」(p.296)
相対的他者=保険数理的他者 リスクによって人間や集団を細分化 「絶対的〈他者〉を排除する場所(……)を喪失したグローバル社会において(……)、〈排除〉という操作がいかにして可能か、あるいは〈排除〉の強度の深化があると すればそれはいかにして可能か」ということ(p.296)

内包か排除かは変動する過程、排除は勾配を描きながら貫通(ヤング)
境界線はもはやあらゆる場所に位置している(バリバール)

「リスクという融通無碍な通貨がいたるところ、いたる局面に、しなやかに流通して生成するなだらかな平面。その平面上で、一見通約不可能にみえるきわめて多様な 〈排除〉の実践が生起している」(p.298)
「そしてそのような複数の次元で張り巡らされた〈隔離〉の毛細血管状の線を、ポストフォーディズムにおける階級動態がもたらす〈分解線〉がさらに太い線で重層決定 している」(p.299)

4 ポスト・ノワールの時代?
「セキュリティを目ざす権力にとって終わらせるべき暴力とはなによりもまず、自らに本性的につねにつきまとっていた『抵抗』がはらむ力だった」(p.300)
権力はそうした力をあたうかぎり「犯罪」として「問題化」

■もうひとつの空間
「明暗や距離を貫通して作動することで、『現実の』陰影やさまざまな襞をはらんだ空間に向かって、ある現実性をもった抽象的な平面を折り重ねる権力」(p.301)

■「恐怖からの解放の願いが、公共空間を『浄化』する動きに統合され」てしまうこと
「暴力、恐怖からの解放の願いは(……)、セキュリティの装置の回路を通してのっぺりとした安全への要求として吸い上げられてしまう」(p.301) 「セキュリティの装置は、自らの相貌を変容させながらどこまでも肥大化していく」(pp.301-302)

「セキュリティの論理による『暴力の終焉』は、現実上では最大の暴力を(……)付随するという逆説」(p.302)

「かつてのパノプティコンのまなざしは(……)、残酷ではあるが同時に温情主義的な色合いを帯びていた。だがいまパノプティコンはあらゆる人間的要素を剥ぎ取り はじめた」(p.302)
「セキュリティとその排除の暴力の循環を断ち切り、そのような暴力からはかぎりなく遠いセキュリティの空間を切り開いていくこと」=「私たちの『自由』の発明」 (p.302)


▼cf.
 森 達也 20030514 「酒井隆志『自由論』を読む――自由の実践の規定に向けて――」
 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife/8075/ukk030514.html
 オルタナティブ公共圏研究会(仮)第一回会合の報告原稿


作成:山本 崇記(序章)・小林 勇人(第一章)・村上 潔(第四章)(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20050215 REV:20050713 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0107st.htm

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