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東 琢磨 「(コラム)緑地帯」 (全8回)

『中国新聞』 2006/05/19,20,23〜27,30


東 琢磨「(コラム)緑地帯」(全8回),『中国新聞』2006/05/19,20,23〜27,30

1 組織嫌い
 「あらゆる組織は大嫌い」。師とも姉とも慕う韓国人女性の政治学者が放った一言である。フリーランスライターになってはや八年、パートタイムの大学教師もやるようになって数年がたつ私もしごく同感である。
 広島に生まれ、人生のちょうど半分を東京で過ごし、再び郷里に戻ってきた。その間、大学生、今でいうフリーター、サラリーマンといろいろ経験してきた。
 私の本業は音楽評論ということになっている。専門的には、カリブ、ラテンアメリカ、ラティーノアメリカ(米国の中のラテンアメリカ系)、沖縄のそれといったところだろうか。いわゆるJポップについて書いたものもあれば、ジャズや現代音楽についても論じている。さまざまな大学や講座で請われるままに、いろいろな切り口で話もしてきた。
 音楽を芸術と考える人も、娯楽と割り切る人もいるかもしれない。幸か不幸か、私の場合は、さまざまな土地や集団と密接にかかわる音楽文化と、それもどちらかというと周縁部に置かれているような地域や集団のそれと付き合ってきた。そのせいか、音楽とは、音楽という形をとったコミュニケーション、境界を越える行為であるという見方をしてきた。
 音楽は、あらゆる「世界」に向かって私たちを開いてくれるものなのである。その可能性を妨げる「組織」を嫌うのは、私にとって道理である。
 タイトルに掲げた「路上」とは、「組織」の対極。さまざまなものが行き交い、交感し、時にごつごつと衝突し合いながら生きていく、そんな空間のイメージとしてある。そこに立ってヒロシマを論じてみたい。(音楽評論家=広島市〔以下同じのため略〕)

2 変わった経歴
 ある大学で講演をした時に、「変わった経歴の方に話をしていただいて」という感想をもらった。ほっとけ、という感じだが、その時に気が付いたことがある。今でも日本では、大学を卒業すると何らかの組織に属さないと奇異の目で見られるということだ。
 それどころか、私がここ数年、教えに行っている大学の大学院では「プレゼンテーション」と「アカデミズム・ライティング」が必修になっていると、仲良くなった院生に聞いてビックリしたのだった。彼・彼女たちが、企業に進もうが、アカデミズムの世界に残ろうが、組織のなかで生き残るテクニックをたたき込むということらしい。
 広島に帰ってきて、まず驚いたのが、個人商店主たちによる商店街が衰退していることである。フリーランス仲間としては寂しい限りである。友人に誘われて商店街振興シンポジウムなどにも顔を出してみたが、「大きな事業がなければ」なんて発言を聞くと、本末転倒ではないかという気もしてくる。
 大きな組織に入らずに、あるいは頼らずに生きてゆくのは、大変な体力と知力を要するのは確かだ。失敗も多く、リスクも自分で負う。しかし、組織に属さないでいる人間も必要だし、そうした人間でなければできないこともあるのだ。
 生きるスタイルは、いっぱい失敗しながら、知らず知らずのうちに身に付いてくる。しかし、失敗を許さない社会は人々を委縮させる。委縮した人々は、失敗した人間をとことんおとしめる。そのため、ますます委縮が進む構造がある。
 そうした委縮を和らげることが、私のような人間の存在価値かもしれない。

3 文化と政治
 「専門」とは大事なものだが、一方で、細分化されすぎて大事なことを忘れているのが、現代なのかもしれない。思考や行動を一定の枠内に限定させてしまう傾向が強まっているように感じるのだ。
 私は、大学などで「文化政治」ということについて講じることがあるが、そもそも文化と政治は関係ない、あるいは関係させてはいけないと、多くの学生が信じ込んでいる。実は、そうした思考自体が政治的なのだ。ハイカルチャー、サブカルチャーという言い方があるように、狭義の文化、芸術領域の中でも序列があるのは、「政治」にほかならない。それに目をつむることも、またしかりである。
 ある学生が「メッセージを音楽に込めることをどう思いますか?」という質問をしてくれたことがあった。音楽を政治に関連づけるのはよくない、という趣旨で。
「メッセージ」というだけでは、愛する人へのささやきも、社会的・政治的な主張も含まれるから、質問の意図を汲んで「社会的メッセージ」と言い直してもらってから、一緒に考えることにした。
 なぜ愛の歌がよくて、社会的メッセージはいけないのか。戦時下なら逆の思想が幅を利かすだろう。フェミニズムの重要な主張である「個人的なことこそが政治的である」なども合わせて考えていけば、政治的に中立で自立した文化、芸術など、ありえないことに気が付くだろう。
 近年、被爆の語り部の人たちが「政治的な発言」を控えるよう要請されることがあると聞く。語り部として「専門」に徹せよ、というのだろうか。これこそ、極めて「政治的」な圧力というほかない。

4 平和映画祭
 二〇〇二年に那覇市で開催された沖縄映画祭で見た「島クトゥバで語る戦世」というビデオドキュメンタリーは衝撃的だった。沖縄の写真家比嘉豊光さんらの「琉球弧を記録する会」の製作だ。
 島の、あるいは集落を意味するシマの、言葉(クトゥバ)で語られる戦争の記憶。百人の語りを六時間にまとめたものだが、そのバージョン以降も証言記録は増え続け、現在、五百人を超えようとしている。
 日本語=標準語の字幕が付いているものの、見る者はまず、語り手の表情や声に引き込まれざるをえない。この「記録」は極めて親密な空気の中で撮られているため、映像を見るというより、身近な人から話を聞いているかのような雰囲気になる。
 私が広島に帰るきっかけの一つにヒロシマ平和映画祭とのかかわりがあるのだが、この作品との出合いはその動機となった。
 映像作家青原さとしさんらを中心にして結成されたヒロシマ平和映画祭実行委員会は、既成の組織によらない自発的な市民の集まり。昨年十一月、原爆や戦争をテーマにした新旧の多彩な作品上映やシンポジウムなどを実現した。米アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされたスティーブン・オカザキ監督の「ザ・マッシュルーム・クラブ」もこの場で初公開された。
 広島を再発見し、戦争と平和を考えていく新たな方法を見いだせた。鳴り物入りで作られ、洗脳するかのように宣伝される作品が集う映画祭とは違う、ささやかだが確実な一歩が踏み出せたと思う。
 ヒロシマ平和映画祭は隔年開催をめどとし、来年を見据えて準備をしている。皆さんの参加と支援をお願いしたい。

5 広島独立論
 「広島独立論」という本を書けと、知人の編集者に勧められている。二〇〇三年のイラク開戦のころに書いた原稿が元になっているのだが、この広島独立論とは、平和記念公園を住民のいない独立国家にし、賛同する世界の人々からの寄付だけで国家運営をしてはどうかというものだ。
 この独立した広島の国民は、原爆で亡くなったあらゆる国籍・民族の死者たちである。そして、生者も現在の国籍に属したまま、自らの希望と所属する国家の判断に基づき、この国との二重国籍が取得できるようにする。そんな実験国家である。
 こんな発想が浮かんだのは、現在の日本の急速な軍事国家化の中で、ヒロシマがアリバイとして使われている気がしたからだった。それなら、この被爆都市を日本から解放してしまおうと。そうすれば、日本は「唯一の被爆国」と称して被害者の顔をし、加害を忘れて軍国化することは許されなくなる。独立した広島は、日米両国に対して戦争責任もきちんと追及する。
 それは果たして国家と呼べるのか? 現実に機能するのか?と問い詰められることは百も承知だ。ただ私は、ジョン・レノンが「イマジン」で歌った「国のない世界」の像を、もっと鍛えてみたいとも思うのだった。
 何もかも拘束をなくすことは難しい。私たちは国家をはじめ、いろいろな所属がある。だがそれは、幾つもの所に足を掛けうるということでもある。
 広島に住んでいてもヒロシマに心がない人もいれば、広島にいなくてもヒロシマに心を寄せ続けている人もまたいるのである。広島独立論は国家の存在を前提にしている分、「イマジン」の世界より現実性があると思う。 

6 市民球場跡地
 広島市民球場の跡地利用について、いろいろな議論がされているようだ。「路上」派の私にいわせれば、あまりごちゃごちゃ作らないで、広場にしてしまうのが一番だと思う。
 公共機関は多様な文化的価値に口出しすべきではないという議論もある。「クラシック専用ホール」といった限定的なジャンルの固定的な施設は避けた方がいいと思う。あらゆる人々に開かれた公園をコンセプトに設計されることを願っている。
 目先の利害調整に走ることなく、焦らずに時間をかけて議論を広げていかなければならないし、それでいいのではないだろうか。大きな工事を進めてしまった後では手遅れになる。その間、旧球場はそのままフリースペースにしておけばいいだけのことだ。
 広島の都市計画で、多くの「失敗」が露呈して久しいことをよく思い出してほしい。中区の紙屋町地下街シャレオも、運営する第三セクターの債務超過が報じられている。球場移転後は、球場へのアクセス道としての価値もなくなる。
 その時々の、行政や大企業といった組織の都合で都市計画が動いているように思える。その時はお金が動いていいだろうし、組織の中で働いている人はいいかもしれない。しかし、路上にたたずむ一人の人間としては、なんともちぐはぐな風景に写るのだ。
 大きな組織の発言を重視するだけではなく、小さな無数の声を拾うことが、民主主義の揺るがせない大原則である。せめて地方自治ではきちんと守ってほしい。

7 大和ブーム
 映画「男たちの大和」が大ヒットし、呉市の大和ミュージアムも大人気という。なぜ、この時期に戦艦大和なのだろうか。多くの人々がなぜ、あまりに無批判にそれを受け入れているのだろうか。
 大和は、既に地上戦の地獄と化している沖縄へ「水上特攻」して、誰を誰から守ろうとしたのだろうか。映画公開時の「泣ける映画」的なテレビCMのあざとさには驚いた。多くのマスコミが、映画やミュージアムの観客動員ぶりを無邪気に報道する姿勢にも危ぐを覚える。
 私の大切な沖縄の友人たちは、米軍再編へ関心も寄せず、大和ブームに浮かれる「ヤマト」(日本本土および本土人)には怒りを募らせている。もし、映画やミュージアムを見て涙する気持ちがあるなら、その場限りの涙に終わらせないでほしいと思う。
 土産物売り場に並ぶ海軍カレーやサイダーもなく死んでいった子どもたちのことや、大和を造るためにどれだけの富が人々から奪われたかを考えてほしいと思う。沖縄戦の歴史や、現在の沖縄の基地問題をきちんと学んでほしいと思う。戦争を止めようと闘った人、闘っている人たちのことをこそ知ってほしいと思う。
 大和の物語は、過去の歴史にとどまるものではない。この国に持続している現実と深くかかわっているのだ。
 私の沖縄の友人の一人(二十代の女性)は、米中枢同時テロ後の沖縄観光キャンペーンのキャッチフレーズ「だいじょうぶさあ、沖縄」に対し、国会議事堂前のパフォーマンスで「だいじょうぶではありませえん」と応じた。大和ブームにわき、「ええじゃん、広島」の観光キャッチフレーズが躍る広島で、自分を問われる思いがする。

8 挙動不審?
 広島に帰ってきていい友人に恵まれ、数人でいろいろな街角を歩いている。その名も「路上文化研究会」という。被爆の後を訪ね、軍都の痕跡を探り、再開発された街にかつての記憶を拾う。基町、宇品、海田…。案内人を決めて動くことはあるが、会費もなく、交通費と飲食費を自己負担するのみの自由な会だ。
 「歩く」という行為は、クルマや自転車に乗っている時より、いろいろなものが見えてくるようだ。見えてくるだけではない。匂いをかぎ、音を聴き、味わう豊かさが広がる。
 海外も含め、私はかなりいろいろな街を歩いてきた。米ニューヨークでは、ごく普通のドーナツ屋さんが実はギリシャ系であることを、店に張ってある音楽のポスターから言い当てて仲良くなった。マイアミでは、タクシーの運転手さんがドミニカからの出稼ぎであることに、なまりから気が付いて仲良くなった。
 ボリビアの高山都市ラパスでは、薄い空気にぜいぜい言いながらサックスを吹き続ける流しのミュージシャンに驚嘆しながら、路傍に座り込んで聞いた。東京・蒲田では、一日に何度も黒湯温泉の銭湯に浸かりながらフィールドワークを続けた。
 旅先で地元民になる、あるいは、地元で異邦人になってみる。それぞれの街で人の営み、生活のひだを感受しつつ、自分の足元を見つめ直したい。
 今の社会は、路上で無為に時間を過ごしている私のような人間を、「挙動不審者」と受け止めかねない。それもまたよし。これからも「きょどって」いこうと思う。

*著者ご本人の承諾を得て掲載しています。


作成:村上 潔(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20061114 Rev: http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0605ht.htm

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