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根岸毅宏,20061120,『アメリカの福祉改』日本経済評論社.



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根岸毅宏,20061120,『アメリカの福祉改革(渋谷博史監修 アメリカの財政と福祉国家 第9巻)』日本経済評論社.8+229p ASIN: 4818818496


*書評

小林勇人,200802(予定),「書評:根岸毅宏著『アメリカの福祉改革』日本社会福祉学会発行『社会福祉学』48(4): **-**.


■目次

図表一覧
略語一覧


序章 分析視角と構成
1. 福祉改革の分析のための2つの視点
2. 本書の構成

第1章 アメリカ福祉の現代的枠組み:就労と分権

1. 1935年社会保障法における枠組み
(1) 基本的な枠組み
(2) 公的扶助の対象:政府が対処すべき貧困
(3) 公的扶助の給付水準の設定をめぐる対立
(4) 第2次大戦後における枠組みの維持

2. 1960年代の公的扶助制度をめぐる諸問題
(1) 貧困の再発見
(2) 貧困ラインと公的扶助制度の問題の表面化
(3) AFDC制度の拡充
(4) AFDC受給者の急増

3. ニクソン政権によるAFDC抜本的改革案をとの挫折
(1) FAP法案
(2) FAP法案への反発
(3) FAP法案の審議とノッチ問題
(4) 歴史過程の論点と1990年代の福祉再編との関連


第2章 AFDCの抜本的改革にむけた議論

1. 貧困の実態と問題点の表面化
(1) 貧困星家族と福祉依存
(2) 母親の労働参加率の増加

2. AFDC改革に向けての議論の展開
(1) モイニハン議員とライシャワー
(2) 全米州知事協会の会長:アーカンソー州知事クリントン

3. 1998年の議会公聴会『アメリカにおける家族の貧困の克服』
(1) 3人の代表的な研究者
(2) 中道的なエルウッド
(3) リベラル派のウィルソン
(4) 保守派のミード
(5) 討論1:貧困と労働時間
(6) 討論2:シングル・マザー
(7) 討論3:鉄鋼業のケース


第3章 福祉のアメリカ的枠組みの再確認

1. レーガン政権によるAFDCの抑制

2. ウェイバー条項
(1) ウェイバー条項の歴史
(2) レーガン政権によるウェイバー条項の活用
(3) 大統領府への権限の移行
(4) JOBSとウェイバー条項の普及

3. EITC制度
(1) EITCの歴史
(2) EITCと最低賃金:1980年代半ば以降
(3) クリントン政権の福祉改革におけるEITCの位置づけ
(4) EITCの算定式
(5) 就労者への所得保障としてのEITC

4. 新たなアメリカ的枠組みの構成

補論:労働を刺激するEITCの役割


第4章 1996年福祉改革法とニューヨーク市の福祉改革

1. 1996年福祉改革法の内容と意義
(1) AFDCからTANFへの転換
(2) 分権化への補助金改革

2. 1996年福祉改革後の政策展開
(1) 就労支援策の拡充
(2) 受給者の減少とTANF財源の支出先
(3) TANF離脱者の動向
(4) 受給期間経過後の扱い

3. ニューヨーク市の福祉制度と福祉改革
(1) 1997年ニューヨーク州福祉改革法
(2) 1995年の州レベルの福祉改革
(3) ニューヨーク市の福祉改革の概要
(4) 転換政策
(5) 職業教育・訓練プログラム:フル・エンゲージメント
(6) 低賃金労働と経済的な自立
(7) 就労と福祉の整合性の困難


終章 今後の課題:アメリカ連邦制と福祉改革のさらなる分析


参考文献
あとがき
初出一覧
索引




■メモ

序章 分析視角と構成

分析対象:福祉改革の過程
縦軸: AFDC → TANFの転換
分析視角:アメリカ的自由主義と連邦制

転換
@問題:福祉依存 → 解決策:受給者の就労を通した自立(自己責任) = 自由主義
⇒公的扶助:所得保障 → 就労支援
A問題:連邦政府が誘導する一元的なシステム=租税資金の使い方が不効率かつ不的確
→解決策:州・地方政府のイニシアチブ強化=現場に近く地域の実情や多様性に整合できる
定率補助金 → 包括補助金 = 連邦制の復活

★分析の焦点「第1に「福祉の罠」から救出し、「福祉依存」から脱却させるために就労促進策を推進するという面と、第2に貧困対策としての福祉政策を、現金扶助を中心とする所得保障制度から、就労を促>>3>>進するための体系的な制度・政策運営に重点を移す際に、現場に近く、地域の実情や多様性に整合できるように州・地方政府のイニシアチブを強化する面」(3-4)


1章 ニューディール期以降の歴史過程を検討:焦点を絞って
@ニューディール:中央集権的な方向には限界 州政府の強い裁量性の維持
A60年代〜70年代のリベラルな改革にも、就労促進的な内容あり
Bニクソン

2章 1996年福祉改革の背景
@問題:長期の福祉依存 → 受給期間の制限、就労促進・強要の改革への支持
A議論:モイニハンなど
Bコンセンサスの形成:リベラル・保守ともに貧困脱出には就労で一致 → 中道主流に

3章 福祉再編の特徴
@レーガンの福祉抑制策:財政再建のための「小さな政府」、自立を阻害する福祉を取り除く意味での「小さな政府」
Aウェイバー条項:州・地方レベルで柔軟かつ効率的な就労促進策を奨励する重要な手段
BEITC:福祉再編の前提

「福祉については、現金扶助から、就労を促進するための職業教育・訓練とそれを支援するための保育や通勤援助などに政策の重点が移ったことにともなって、現場に近い州・地方政府の裁量権を大きくすることで、各地域の実情に整合できる「きめの細かい」効率的なサービス提供を実現させ、他方では、収入不足は画一的な方法で測定することが容易であり、全米統一基準で運営したほうが効率的で簡素な制度になるので、連邦所得税制を通じてEITCとして実施するのである。」(7)

4章 1996年福祉改革法
州・地方政府レベルでの福祉改革

「レーガン政権は、「福祉依存」を減少させるためにAFDC制度を厳格化して福祉を抑制するが、他方では、ウェイバー条項を活用して、州政府の自発的な就労促進策を誘導していた。そうして、1996年福祉改革法の実現に向けた準備が州政府サイドで進んでいたことが重要である。逆からみれば、1980年代以降に実際に進行していた州政府サイドにおける裁量性を高める形での政策運営を、制度的に追認しながら、いっそう、そうした方向を推進するというのが、1996年福祉改革の位置づけになる。」(7)

「本書の主要課題である就労促進に重点を置く福祉再編が、州政府への分権化の方向の中で模索されるのは、まさに、そのような21世紀的状況の中で、低所得者へ貧困者に就労機会を見つけだすことの困難性の故に、福祉の現場に近いレベルでのきめ細かい効率的な政策運営がいっそう必要になるからであろう。」(8)


第1章 アメリカ福祉の現代的枠組み:就労と分権

「実際に公的扶助を運営する上で最も重要になるのは、受給資格を認定する際の所得上限と資産上限や現金給付の水準であり、これらを決定する権限は州政府が持ち続けたのである。また実際の事務はカウンティ政府が行う場合が多く、その制度運用にともなう裁量性は、受給者や申請者にとって大きな影響があり、その実際の現場の運用がさまざまな問題につながった」(14)

・就労可能か不可能か:「肉体もしくは精神の状態を判断材料として区分できる」
⇔援助に値するかしないか:「その時々の社会経済的な環境によって変化する」
「…、公的扶助制度の対象とする根拠は、1935年以前は援助に>>17>>値するかどうかであり、1935年社会保障法では就労不可能な者かどうかであった。老齢者と視覚障害者では、援助に値する者という考えと就労不可能な者という考えが一致するので矛盾はなかった。しかし、母子家族の母親は、性別により役割が決まっている当時の状況下で、児童を養育することを重視して、肉体および精神的には就労可能であるにもかかわらず、公的扶助の対象になったのであり、そうであるが故に、児童を養育する場としての家庭の健全性が要求されたのであった。」(17-8)

「ADCを受給する家族の中で黒人が目立つようになった理由は、遺族年金の導入によって、夫と死別した寡婦が社会保障年金を受給できるようになったにもかかわらず、黒人が働いていた農場や小規模な事業所では社会保障年金に加入できなかったためである(注38)。その結果、児童を扶養している黒人の寡婦は、ADCを申請したのであった。こうして、黒人の受給者が目立つようになり、<それにともない>、適格家庭規則などのモラルを問う規則が、黒人の受給を抑制するような形で運用されたのであった。」(28<強調引用者>)
注38 American Voice 2004

フレミング・ルール:「1935年社会保障>>29>>法が成立して以来、はじめて、州政府が保持し続けた受給資格の判断について、連邦政府が踏み込んだ規定」(29-30)

★★「黒人問題あるいは黒人運動に触発されて国民的コンセンサスが形成されるという政治状況の中で、戦後アメリカ経済および社会の構造変化によって増大しつつあった福祉需要が福祉拡充策や福祉支出に結びつけられた。その福祉拡充策によって、白人貧困者も恩恵を受けていた。白人の場合でも、ハリントンの指摘するように、貧困の故に教育や技能訓練の機会に恵まれずに貧困が再生産されるという構造的貧困の悪循環は存在するし、その絶対数は黒人よりも多かった。しかし、仮に貧困問題がそのように一般的な形で提起されたとすれば、自由主義的コンセンサスの下では、現実に1960年代に「偉大な社会」政策として展開されたような福祉拡充策に結びつきえたかは疑問である。戦後の福祉拡充策傾向の根本的な要因は「豊かな社会」における現代>>31>>的貧困あるいはそれに対する恐怖であるが、それが、アメリカにとって宿命的難問題である黒人問題と結びついて提起されたために、社会全体に対するインパクトはいっそう大きくなり、福祉拡充へ向けての広汎かつ明確な国民的コンセンサスの形成を可能にしたのである。」(31-2)

★「大森が指摘するように、コミュニティ活動(Community Action Program)でも、その策手過程に貧困者を参加させることで、貧困者に自立の機会を与えようとした(注54)。大森は「施しとサービスの供与はかりに貧困層の物的な欠乏を緩和したとしても、その『深い心の傷』をいやすことはできない。自分たちのための事業の運営に自ら参加して初めて人間的尊厳と独立とプライドへのやみがたい渇望が充足される。貧困問題の解決は単なる福祉サービスの配分問題ではなく、優れて名誉価値配分の問題なのである」と指摘する(注55)。」(33)
注54 大森(1974)

「こうして確立された貧困ラインが、全米統一基準として貧困者を測定する際に使用されるようになると、視点を変えれば、福祉に関しても全米的な見地から比較、検討が可能になるので、公的扶助に関して、次の2つの問題があらためて顕在化した。第1は、年間フル・タイムで働いても貧困から抜け出せないワーキング・プアが存在することであり、第2は、公的扶助の給付額に地域間格差が存在することであった。」(37)

2点目:「一般に公的扶助の給付額は南部や農村部で低く、北部や都市部で高い傾向があり、北部や都市部では現金扶助の給付額が貧困ラインを上回るが、南部や農村部では下回ったので、南部の給付額を引き上げる動きにつながった(注69)。」(39)

・1967年改正:「第1は、AFDCを受給する失業中の父親だけでなく、母親も参加が可能になった職業教育・訓練プログラムの導入であり、」(43)
★「WINプログラムの対象は、AFDCを受給者[ママ]する成人であり、男性には参加義務を課し、女性は自発的な参加とした。1971年の改正では、一部の免除者を除き(注75)、16歳から65歳のAFDC受給者に参加を義務づけた。1971年まで、母子家族の母親はWINプログラムへの参加が実質的に免除されていたので、母子家族の母親に参加を義務づけた改正は画期的であった。しかし、6歳未満の児童を>>43>>扶養する母親は児童への保育サービスが提供されないと免除者に該当したので、予算が不足していたこともあり、その多くがWINプログラムへの参加を免除された。そのため、WINプログラムの参加者の多くは、就労の経験があったり、学歴が他の受給者に比べて高かったり、子供の年齢が高い、いわば就労しやすい母子家族の母親になった。皮肉なことに、彼女たちは、WINプログラムがなくても就労する可能性が高かったのである。」(43-4)
注75:「6歳未満の児童を扶養する母親に保育サービスが提供されない場合は免除され、また家族に介護を必要とする人がいる場合も免除された。」(43)

★「AFDCを申請する貧困者が増えた直接的な理由は、「貧困との戦い」により生まれたコミュニティ活動と、公民権運動を引き継いだ権利獲得運動である福祉権運動が複雑に結びついた結果であった。今岡は「貧困との戦い」がコミュニティ活動を通して大都市の貧困地域に多大な連邦補助金を与えるとともに、コミュニティ活動の指導者であるソーシャル・ワーカーやボランティアが貧困者に権利意識を自覚させる努力をしたこと、さらに公民権運動が福祉権運動の指導者を育成したことを指摘している(注79)。コミュニティ活動の1つに貧困者への無料法律相談があり、それに大学法学部の教員や学生らが多数参加し、先に指摘した一連の裁判を助けたのであった(注80)。1967年には、福祉権を訴える全国組織、全国福祉権協会(National Welfare Right Ortganization)が結成された。コミュニティ活動は、地域の中で貧困防止策を実施することを意図した活動であったが、皮肉なことに、これまで水面下にあった貧困を現金扶助受給者の増加という形で表面化させたのであった。」(46)


第2章 AFDCの抜本的改革にむけた議論

■実態

@婚姻外出産の増加 → 母子家庭の増加 → 貧困な児童を扶養する母子家族の増加
「母子家族が増え1つの要因は、婚姻外出産の増加にあった。新生児に占める婚姻外出産の割合は、1970年10.7%であったが、1980年18.4%、1990年28.0%、1998年32.8%に増加した。これを人種別にみると、1998年には白人が26.3%、黒人が69.1%、ヒスパニックが41.6%であった。」(60)
A母子家族の児童扶養数の減少 4人家族 → 3人家族
(受給理由の変化:寡婦→離婚・別居→婚姻外出産)

・長期的な福祉依存
「調査期間にAFDCを初めて受給した日と(継続受給)の48.9%は2年以内にAFDCから離脱し、10年以上受給し続けるのは14.1%のみである。しかし、受給と非受給を繰り返す人々が多くいるので受給期間の累積年数を示す、継続受給期間をみると、2年以内にAFDCから離脱する人は36.5%になり、10年以上受給し続ける人々の割合が22.1%になる。AFDCを10年受給し続けるのは、継続受給だと14.1%であり、継続受給だと22.1%である。しかしながら、継続受給期間をもとにして、ある一時点の受給者の構成をみると、56.6%が10年以上の受給者になり、5年以下の受給者は23.9%になる。つまり、長期的な福祉依存者は受給者の2割強であるにもかかわらず、ある1日だけを見ると、長期的な福祉依存者が半数以上を占めるのである(注6)。」(62)
注6
「例えば、10人の病室に5人の長期入院患者と5人短期入院患者がいるとして、長期入院患者の5人は入れ替わらず、短期入院患者の5人が何人もの入院患者と入れ替わった場合、延べ入院者数は多くなる。これと同じである。」(62)

・長期的な福祉依存の要因
「最低賃金では年間フル・タイムで働くことができても貧困ラインを超えることは困難であり、18歳未満児童を扶養する母子家族はその所得中位値でも、保育費や就労経費を考慮すると、貧困ラインをわずかに超える程度であったことがわかる。」(63)
「AFDCの受給資格を喪失するとメディケイドや保育サービスの受給資格も1年後には喪失してしまう仕組みが、受給者の長期的な福祉依存に寄与したといえる。…医療費や保育費を自己負担することは困難であり、とくにメディケイドはその喪失が医療の無保険状態をもたらしたので、就労しても再び受給者に戻ってしまう悪循環を招く要因となった。」(64)

・女性の労働参加率

表2-4 女性の労働参加率
    全体 既婚 未婚 その他  18歳未満の児童を扶養
                   既婚 未婚 その他
1960  37.7 31.9 58.6 41.6
1970  43.3 40.5 56.8 40.3    39.7    60.7
1980  51.5 49.9 64.4 43.6    54.1 52.1 69.4
1990  57.5 58.4 66.7 47.2    66.3 55.2 74.2
1999  60.0 61.2 68.7 49.1    70.1 73.4 80.4

「第1に既婚女性の労働参加率が未婚女性のそれよりも高いことであり、第2に>>65>>…寡婦や離婚・別居した女性の労働参加率が…最も高い」(64-5)

★考えられる批判
「AFDCを受給する母子家族の多くは、婚姻外出産を理由に受給を開始し、それを受給しているがゆえに、母親の就労が一般的になっているにもかかわらず、とくに寡婦や離婚・別居した母親はその多くが就労しているにもかかわらず、就労しないで家庭内で児童を養育している。これに、AFDC受給者に対してしばしば言及される長期的な福祉依存が加わると、婚姻外出産を理由に受給を開始する母子家族は長期にわたり福祉に依存し、就労しない生活スタイルを身につけることになる。」(65)

cf「アンダー・クラス」として批判(Murray 1984)
「アンダー・クラス」の生活スタイル:「家族を放棄し、麻薬や犯罪に手を染め、法や秩序を守らず、就労もしない」


「AFDCはその制度の存在自体が批判され、制度があるために、婚姻外出産が行われ、就労しないで福祉に依存する生活スタイルが身につくと批判された」(66)

「…AFDCへの批判は貧困および未婚の母子家族問題と複雑に交錯した。なぜなら、婚姻外出産の増加を背景にした母子家族の増加は、児童の貧困を生み出すと同時に、AFDC受給者やその予備軍を増加させたからである。これに、「アンダー・クラス」と人種問題が複雑に入り交じって、受給期間を制限し、就労を促進もしくは強要するAFDC改革に、国民の多くが賛成する背景を形成したのであろう。」(66)

・ワーキング・プアの問題
「18歳未満の児童を扶養するワーキング・プアの半数強は母子家族であった。」(66)

■証言、意見

・モイニハンの証言@1987年1月28日の下院歳入委員会の公聴会:超党派の合意
@子供の責任は両親が負う
A両親であろうが一人親であろうが、働く
B職業教育・訓練、保育サービス
「労働省の統計を引用し、18歳未満の児童を扶養している母親の70%が働いていること、6歳未満では54%が、3歳未満では51%が働いていると指摘した。」(69)

・ライシャワーの意見:責任、労働、家族、教育、州の裁量について意見の収斂

・クリントンの証言@1987年4月9日の上院財政委員会
クリントン:アーカンソー州知事、全米州知事協会の会長
同協会のタスクフォースの福祉改革案:再投資戦略

■議論
1988年9月22日の公聴会:『アメリカにおける家族の貧困の克服』(Overcoming family poverty in America)@児童・若者・家族特別委員会(Select Committee on Children, Youth, and Families)

・中道的なエルウッド
福祉=貧困の原因ではなくその症状(としての金の不足)を扱う
⇔そのため、われわれの基本的な価値(自律、労働、家族、コミュニティ)と対立
「何かを行おうとしている人に援助をすると、それに向かって努力する意欲を喪失する可能性」がある。Ellwood(1988: 16)(47)例:就労
2人親家族の貧困=ワーキング・プア → 医療の保障、最低賃金とEITCの引き上げ
「私の研究で明らかになった最もショッキングなことの1つは、公的扶助受給者と比較すると、フル・タイム労働者がいる家族が実際は最も貧困なことである。彼らの所得は、障害者のいる貧困な家族よりも低く、失業者のいる家族よりも、福祉を受給している1人親の家族よりも低いのである。こうした(2人親の就労している)家族が福祉制度に憤りを感じても不思議ではない。」(77)
1人親家族の貧困=仕事と家事の二つの役割 → 別居父から養育費の徴収、保育サービスの保障

・リベラル派のウィルソン
産業構造の転換 → 男性に職がない → 結婚する男女の減少 → 母子家族の増加 → 福祉受給者の増加    + 中流階級の郊外への流出
⇒雇用保障重視

・保守派のミード
雇用機会の欠如という主張に対する反論:非熟練労働者には需要がある。大恐慌のような欠如ではない。
働かない → 貧困
根拠:児童を扶養する母子家族の母親の1/2は働く、その3/4はフル・タイム労働であり貧困ではない。→「貧困者の大部分は働かずに福祉を受給している」
保育の欠如≠雇用の障壁:公的な保育サービスなくても自分で見つける
低賃金 ← 「賃金を問わなければ、貧困と福祉から脱出するには十分な仕事が、多数存在する。」
⇒最低賃金とEITCの引き上げ、養育費徴収、賛成 + ワークフェア:「義務教育と同じように理解すべきであり、アメリカの生活に人々を参加させるための準備期間」として、「教育の1つの形態として考えるべきである」

★「中道的なエルウッドの提案に対して、このような保守派からの圧力と、先のウィルソンのようなリベラル派からの圧力が、両側から加えられるのである。当時のアメリカ社会の状況の中では、保守派の勢いが強く、その分だけ、1980年代後半からの福祉再編は、ワークフェア的な色彩を帯びる就労促進を軸に展開されることになる。」(83)

★「貧困なシングルマザーの80〜85%は働かず、働くことが無理だと考えているだけでなく、働く義務を感じていない。ワークフェアは、働かない人々に働くことができる状況や働かなければならない状況を作り出すことなのである。」(85)


第3章 福祉のアメリカ的枠組みの再確認

1. レーガン政権によるAFDCの抑制

レーガン政権
@受給資格の厳格化=「AFDCを受給しながら就労している人々を、受給者から締めだすことを意図した。…AFDCにおける就労促進策を大きく転換することを意味した。1980年代前半に、受給資格の厳格化は受給者全体を減少させるが、同時にその中で「就労している受給者」も減少する結果を招いた。つまり、「AFDCのみに頼る受給者」を増やしたのであった。」(90)
A「AFDCを受給する成人に職業教育・訓練への参加を義務づける措置を、州政府が主導して実施する環境を整えた。」(90)

「母子家族の母親を現金扶助の対象にし続ける根拠がなくなりつつあるばかりでなく、AFDC制度が批判されるようになるので、その抜本改革の議論は、母子家族の母親を就労させる方向で収斂していくのであり、州政府が主導する職業教育・訓練策も、そうした流れの中に位置づけられて、>>90>>議論され、提案されるのである。」(90-1)

★「これらには財政支出の削減という目的もあったが、AFDC受給者から締め出された者や給付額を削減された者の多くは、労働時間を増やすか仕事に就くかして所得を増やすと想定され、このような厳格化は、結果的に、受給者の自立を促進することにつながるとみなされたのであった。」(91)

・1981年改正:「408千家族が受給資格を失い、299千家族が給付を受けられなくなった。」(93) Green Book 1994, 331-2.

★「1981年改正は、財政支出の削減という目的のもとで、受給者を締め出して自立を促進することを意図したが、1984年改正と1988年改正になると、その政策意図は1981年改正とは異なり、「就労している受給者」を増やす方向に向かって改正が行われるのである。」(93)
→ なぜ?

「1984年改正と1988年改正の「就労している受給者」を増やそうとする試みは、あまり効果をあげなかった。フル・タイムとパート・タイムを合わせて就労していた受給者は、1973年に16.1%、1979年に14.1%いたが、1981年改正の影響により1983年には4.9%に減少し、その後はわずかに1988年6.4%、1992年6.4%に戻したに過ぎなかった。」(94) Green Book 1996, Table 8-24

2. ウェイバー条項

■ウェイバー年表

1962 ウェイバー条項の導入
1967 ウェイバー条項の適用を認めるプロジェクトの具体的な提示
   WINプログラム
(ニクソン政権)
1970年代のウェイバーで、例外的に承認された、就労促進と給付抑制に向けたプロジェクトの例
  1972 公共サービス労働機会プロジェクト(Public Service Work Opportunities Project)@ニューヨーク州(1年間のみ)
  1972 労働経験プログラム(Work Experience Program)@カリフォルニア州、州知事レーガン(3年間)
1978 ウェイバー条項の優先的項目の提示(誤給の防止、給付の銀行口座への振込、受給資格認定の電子化、ケースマネージメントの工場、別居する(父)親からの養育費徴収の促進)
(レーガン政権:州知事の経験をもとにウェイバー条項の活用を奨励)
1981 WINデモンストレーション(1987年までの時限立法)
    CWEP、就労補助金(Work Supplementation)
1982  職探しプログラム(Job Search)
  1983 WINデモンストレーションの実施@アーカンソー州、州知事クリントン
   ↓
1986 全米州知事協会のタスクフォースによる福祉改革の方向性:WINデモンストレーションの普及にともない、プログラムの制度設計のための裁量を維持できるように積極的に政策提言
  ↓
1987年4月9日 全米州知事協会会長クリントンの証言@上院財政委員会

1986 レーガン政権による抜本的な福祉改革の表明
目的:州・地方政府からのボトムアップの形での制度改革
 ↓
1987 ウェイバーの承認権限:保健福祉サービス省→低所得者労働機会諮問委員会(LIOAB)@大統領府、申請から承認までの起案の短縮、手続きの簡略化、二つの基準:@連邦政府の負担に変化がない、独立機関による評価
  1987 ラーンフェア@ウィスコンシン州
1988年9月22日 『アメリカにおける家族の貧困の克服』(公聴会)@児童・若者・家族特別委員会
1988年 家族援助法(Family Support Act):JOBSプログラムの実施を州政府に義務付け


「ウェイバー条項とは、連邦政府が特定目的の定率補助金を交付する際に課す規定を、保健教育福祉省の長官の承認にもとづき、放棄する制度であり、州政府にAFDCに関連する実験的プロジェクトを実施させる目的で1962年に導入された。」(94)

★「就労補給金は、参加者が公共機関、非営利団体、民間企業で就労して賃金を受け取るプログラムであり、雇用主は賃金の一部もしくは全部を補給金として受け取ることができた。対象は、主にAFDC受給者であり、雇用主への補給金の財源は、このプログラムに参加したAFDC受給者が受け取るはずであった現金扶助分が充てられた。つまり、AFDCの現金給付分を就労補助金として雇用主に交付し、雇用主はその補給金を賃金の一部もしくは全部とするのであり、AFDCから就労補給金に財源を移転するのであった。参加期間の上限は9ヶ月間である。」(98)

連邦政府からの補助金
・WINプログラムとWINデモンストレーション:連邦補助率90%
・CWEP、就労補給金、職探しプログラム:行政経費に対して連邦補助率50%
★WINデモンストレーションの一環として、CWEP、就労補助金、職探しプログラムを運営できる

「これは、連邦補助率の高いWINデモンストレーションとして、CWEP、就労補給金、職探しプログラムが実施かのうであったことを意味し、またAFDC受給者に特化した就労促進プログラムを、以前よりも制裁が与えられる形で設計し、運営できるようになったことを意味した。さらに、州政府は制度を運営する中で、合理的な理由なく参加を拒否する者に対して、AFDCの現金扶助を停止する制裁規定を適用できたのである。また、就労補給金の実施にともなって、AFDCから就労補給金に財源を移転する場合に、州政府はウェイバーを申請して連邦政府から承認を得る必要があった。/これらの結果、州政府の福祉局がWINデモンストレーションの一環として、CWEPと求職活動に加えて、就労補給金を行う場合は、ウェイバー条項を活用することになった。つまり、連邦レベルのレーガン政権が、就労を促進する職業教育・訓練プログラムを州の福祉局のみで運営することを可能にし、その制度設計についても裁量を与えたのであり、その一環としてウェイバー条項を活用したのであった(注27)。」
注27 実施状況はU.S. Congressional Budget Office 1987

・ウェイバーで承認するプロジェクトの変化(102)
「行政およびソーシャル・ワーカーの業務を改善し、現金給付および関連サービスを拡大するもの」

「1981年以降はWINデモンストレーションの導入に誘導される形で、各州や各地域の実情に整合する多様性のある運営を可能にするためのプロジェクトが多くなり、特にAFDC受給者に就労促進プログラムへの参加を義務づけるプロジェクトが特徴的であった。」

「その後、1987年にLIOABがウィスコンシン州にラーンフェアを承認したことを契機に、AFDC受給者に社会道徳に適った行動を求め、それに反した場合は制裁措置として現金扶助を減額するプロジェクトが増えるのである(注34)。」 例)ファミリー・キャップ
注34 「議会で立法していないにもかかわらず、AFDCの受給を抑制する規定を設けることができることについては、大きな批判があった。」

・「JOBSプログラムは、3歳未満の児童を扶養する者と16歳未満の者を除き、AFDC受給者に職業教育・訓練への参加を義務づけるプログラムであり、州政府は1990年までにそのプログラ>>102>>ムを実施し、1992年までに州内全域で展開しなければならなかった。」(102-3)
・レーガン政権の狙い:「JOBSプログラムをきっかけとして、州政府に就労促進プロジェクトを実施させること」
★「1990年代にクリントン政権がウェイバー条項を積極的に活用したのは、州政府が行ったプロジェクトを、連邦レベルのAFDC改革の参考にするためであった。」(103)
・ウェイバー条項の承認を受けた州政府の共通の傾向
@受給期間の制限、職業教育・訓練に参加しない者への制裁措置、ファミリー・キャップ:目的「AFDCへの長期的な依存をなくして、受給者の就労を促進もしくは強要することにあった。」
A所得上限と資産上限の寛大化:目的「新規の受給者を増やしたり、就労しても受給者に留めておく効果を持つため、より多くのコストを要したが、所得や資産がほぼゼロの状態で受給を承認するよりも、わずかでも所得や資産を保有する者に現金扶助を認めて、早期の自立を促すことや、低賃金で就労している受給者に現金給付を行うことで少しでも生活を安定させ、受給者と非受給者を繰り返す悪循環に陥ることを防ぐ目的があった。」(104)
B保育サービスやメディケイドの拡充:目的「福祉から就労への移行をスムーズにするために、就労によってAFDCの受給資格を失っても、十数ヶ月は保育やメディケイドの受給資格を与えて、受給者と非受給者の悪循環を断つこと」(104)

3. EITC制度

■EITC年表

1970 社会保障税9.6%
1971 社会保障税10.4%
1972 上院財政委員会委員長ロング(民主党)によるワークフェア法案の提案  
1973 社会保障税11.7%
ロングによる労働ボーナス(のみ)の提案
オイルショック
  ↓
スタグフレーションの長期化
1974 労働ボーナスの提案 → 否決
1975 労働ボーナス案を引き継いだEITCが緊急措置として導入(時限立法)
1976 上院財政委員会の報告:EITCの低賃金労働者に対する強い労働インセンティブ効果が明らかに
1978 社会保障税12.1%
   EITC:時限立法→内国歳入法(恒久的な制度に)〜社会保障税負担の相殺と労働インセンティブ効果を理由
1979 EITC最高限度額500ドルに引き上げ
1981 最低賃金3.35ドルに引き上げ
1985 EITC最高限度額550ドルに引き上げ
1986 (上院多数の)民主党:最低賃金の引き上げを要求
1987 共和党ペトリ議員の提案:最低賃金のわずかな引き上げ+EITCの大幅な引き上げ
税額控除額851ドルに引き上げ、増額率14%に引き上げ、物価スライド
1990 最低賃金3.8ドルに引き上げ
1991 最低賃金4.25ドルに引き上げ
EITC:児童1人と2人以上のパターンができる
1996 最低賃金4.75ドルに引き上げ
1997 最低賃金5.15ドルに引き上げ
(クリントン政権)
1994 EITCの大幅な引き上げ、児童なしのパターンの追加


*「EITCは1975年に時限立法として成立するが、その考えは負の所得税をはじめとする最低所得保障の議論から生まれた。」(根岸1999a,24)

・1973年、労働ボーナスの再提案:「社会保障税の税率が、…続けて引き上げられたため、社会保障税負担が増加することへの対応策として、社会保障税の増税分を連邦所得税の減税を通して相殺し、可処分所得への影響を除去するというものであった。つまり、労働ボーナスの目的をワーキング・プアの救済から低所得者への社会保障税負担を個人所得税を通じて相殺することにかえたのである(注44)。」(106)
注44 Howard(1997)

・1990年代、EITCの性格の変化:「それまでの低所得者への社会保障税の増税の影響を除去する目的に加えて、再び、当初にロング議員が提案していた、就労している貧困者への所得保障という役割が付け加えられるのである。その1つのきっかけは、1986年税制改革で、EITCの最高限度額が引き上げられて、EITCがもつ税制を通じて現金を給付する機能が注目されたためであり、その結果、1980年代後半に最低賃金引き上げの代替案として注目を集めることになった。」(109)

「EITCは、…「増額局面」では稼得所得に対して一定割合でその税額控除額が増額するので、例えば最低賃金が4ドルで、>>109>>EITCの増額率が10%であったら、稼得所得が「増額局面」にあるうちは時給が4.4ドルになったことと同じ効果を有したのである。」(109-10)

「1991年からEITCの増額率が社会保障税の税率を超えるので、この時からEITCは、児童を扶養する家族の社会保障税負担を個人所得税を通じて相殺することにとどまらず、児童を扶養する家族への所得保障という役割を担うようになったのである。/こうしたEITCの役割を厳密に定めることは難しいが、一部は導入当時からの社会保障税の税負担の相殺という役割であり、一部は児童を扶養する家族を対象にすることから児童手当としての役割であり、さらに一部は稼得所得によってEITCの金額が決まるため賃金補助といった役割であった。」(114)

EITCの引き上げ:「1980年代半ばから保守派とリベラル派の共通の目標」
⇔民主党には(共和党が推進してきた)EITCに反対する議員も多く最賃の引き上げを要求

クリントン政権:「EITCの大幅な引き上げによって、最低賃金で働く低所得者の所得水準を貧困ライン以上に押し上げることや、福祉受給者などに労働インセンティブを与えることを目指した」(115)

「税額控除前税額は、ここからEITCを控除してマイナスの税額が算出された場合に、そのマイナス分の給付を受け取ることができる…,マイナス分の給付を受け取れることが、還付可能な税額控除であるEITCの最大の特徴である。」(116)

・個人所得税の所得控除
@概算控除:主に低所得者
A個別項目控除:主に高所得者
個人所得税の申告資格:夫婦合算申告、夫婦個別申告、世帯主(独身で扶養者を有する者)、特定世帯主(児童を扶養する寡婦や寡夫、配偶者の死後2年間)、独身者

概算控除(1996年):夫婦合算申告6700ドル、夫婦個別申告3350ドル、世帯主5900ドル、特定世帯主6700ドル、独身者4000ドル
人的控除(1996年1人当たり):2550ドル

■課税所得=「所得−(概算控除+人的控除)」
「典型的なAFDC受給家族である、母子3人家族を例にすると、1996年の概算控除と人的控除の合計は14350ドルであった。したがって、14350ドルまでは所得税を支払わずにEITCのみを受け取ることができた。また、EITCの最高限度額は、稼得所得8890ドルから11610ドルの間であったので、この所得水準では所得税は課税されずに、EITCの最高限度額を受け取ることができた。」(118)
■税額控除前税額=「課税所得×税率」
■税額=「税額控除前税額−通常の税額控除(還付不可能)−EITC(還付可能)」
→「プラスの税額が算出された場合は税を納付し、マイナスの税額が算出された場合はマイナス分が給付された。たとえ、税額控除前税額から通常の税額控除を差し引いた段階で計算上、マイナスの税額が算出されても、通常の税額控除は還付不可能なので数字はゼロ以下にはならなかった。EITCは還付可能な税額控除であるからマイナスの税額が算出され、マイナス分が給付されたのである。」(120)


第4章 1996年福祉改革法とニューヨーク市の福祉改革

EITCs(州勤労所得税額控除):「EITCsによって失われた州政府の歳入は、TANF包括補助金から充当できた。」(145)

「要するに、これまでは、ウェイバー条項の適用を申請して連邦政府が権限を放棄する形で、州政府は職業教>>148>>育・訓練プログラムを中心とする独自の就労促進プロジェクトを実施してきたが、州政府への権限委譲によって、ウェイバー条項を申請しなくても独自の就労促進・支援策が実施できるようになり、また後述するTANF包括補助金によって、その資金的な裏づけが与えられたのである。」(148-9)

注57 「WEPの起源は、1970年代初めに、州の一般扶助プログラムであるHR受給者に、現金給付と引き換えに労働を課したことにある。1971年にニューヨーク州はHR受給者に現金給付と引き換えに、公共機関での労働を課したPWP(公的労働プログラム)を実施した。また、1972年にはニューヨーク市がHR受給者に就労を義務づけたWREP(労働救済雇用プロジェクト)という実験的な事業を実施した。WREPは1976年に終了し、結論として、単に現金を給付するよりコストが19〜33%かかることが明らかになった。ニューヨーク市は1976-90年の間、就労可能なHR受給者を対象にPWPを実施し、それと併行して、1983年4月からは試験的な取組として、AFDC受給者も対象にした、公園や道路の清掃などを行うCWEPを実施した。」(172)

・労働福祉局の方針の転換(173)
「ニードを持つ市民に所得を保障し、サービスを提供すること」

1998年以降「ニードを持つ市民に、一時的な経済的援助や社会サービスを提供し、支援することによって、経済的な自立を達成させて、彼らの健康と福祉を守ること」

注66 「臨時的な扶助の財源にTANF包括補助金を使っても、継続的な支援でないため、現金扶助の受給期間に算入されないという、行政側にとっては現金扶助受給者を減少できるメリットがあり、受給者側にとってはTANFの受給期間に算入されないで現金が受給できるメリットがあった。」(175)

「FAもしくはSNAと食料スタンプ、メディケイドの3つはジョブ・センターで同時に申請することができたが、申請プロセスはFAやSNAにもとづいて行われた。したがって、3つを同時に申請した場合、FAおよびSNAを断念することは、食料スタンプとメディケイドも断念することを意味した。FAもしくはSNAの申請を断念しても、食料スタンプやメディケイドへの申請の権利があることを、職員は申請者に伝えなければならなかった。」(178)

★「労働経験には多くの費用がかかることもあり、職業教育・訓練プログラムといっても、多くのTANF受給者は求職活動に参加しているにすぎないのである。…、TANF財源の内訳を示し、職業教育・訓練への支出が増えたと指摘したが、求職活動への参加者が多いことから、支出の多くは求職活動に向けられているのであろう。」

職業教育・訓練を委託された民間団体に多大な利益をもたらすという問題(cf木下武徳『アメリカ福祉の民間化』)の一因かもしれない

バレ「WEPは仕事先を見つける手助けになるよりも受給者を切り捨てることによってその数を減らすことにより効果的である」
Ballew, Langford, Mari, Paralemons, Rudich & Stecker 2002

「WEPでは、基礎的な学力が不足している者はBEGINに参加することを認めているが、基礎学力以上の教育活動への参加を著しく制限している。そのため、FAおよびSNAを受給しながら大学で学ぶ学生にも、コンピューターなどのスキルを学んだ方が就職できる可能性が高くなる人々にも、主に公的機関での労働が割り当てられるのであった。」(187)

「実際、WEPに参加しながらも、現金扶助の受給期間(SNAで2年、FAで5年)にすでに達したか、もうすぐ達しそうな人々の91%が職に就けない見込みである。ちなみに、FAおよびSNA受給者のうち求職活動によって就職できたのは5300人の中で5%程度である。」(188)

「たくさんの就労支援策を受給できれば、この年収でも、自立生活水準に近い生活を送ることは可能である。」(194)

★「住宅補助と保育サービスの金額が大きいので、これを受給できるかどうかが、自立生活水準に大きな影響を与えると考えられる。ところが、住宅補助と保育サービスは予算を上限として、その範囲内で給付されることになっている。したがって、受給資格があっても受給できない場合がある。」(195)

・ニューヨーク市公営住宅局の2004年3月31日の発表
公営住宅の待機者:約14万人
住宅補助(Section8)の待機者:13万人
・ニューヨーク市児童サービス局
受給資格者:6.2万人の児童
待機児童:2.8万人(45%)


★★「かりに低賃金であろうともフル・タイムでの仕事に全員が就けるとも限らず、ましてフル・タイムで就労できようとも、稼得所得の不足を全面的に補う給付とサービスは提供されないのである。」(196)

★「グローバリゼーションとIT化による21世紀的な経済構造の中で、アメリカの低所得者や貧困者にみられる低技能の労働力に適した就労機会がはたして広範に見つかるのかということが、根底的・本質的な問題になろう。」(197)

分権化による、現場に近いレベルでのきめ細かい効率的な政策運営が必要


あとがき

・全米州議会議員連盟でのインタビュー
「連邦政府が一定割合を負担してくれるので、定率補助金の方が財政の管理・運営を容易にするが、財政負担というリスクを冒しても、裁量性が高いので、州政府は包括補助金を選ぶ」と述べていた(221)

・ヴァージニア州フェアファックス・カウンティの福祉事務所の訪問
「人それぞれに能力が異なるという前置きの後で、福祉受給者にとっては、どのような仕事でも、たとえ低賃金労働であっても「その人にとってはグッド・ジョブである」と言っていた。」

・『ニッケル・アンド・ダイムド』における低賃金労働の貧しい生活実態

★★「州政府がリスクを冒しても裁量性の高い包括補助金を選び、連邦政府から自立することと、福祉受給者がカウンティ政府から自立することは、同じであり、こうした自立の意識が人々の間に浸透しているのか。それとも、低賃金での過酷な労働は、グローバリゼーションという大きな流れをともなっているので、見過ごされているのか。」

今後の課題


製作:小林勇人(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
UP:20061212 REV:20071113,15,28 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0611nt.htm
根岸毅宏

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