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Sen, Amartya
アマルティア・セン(1933-)Amartya Kumar Sen


★よりくわしいファイル → http://www.arsvi.com/w/sa07.htm


 アマルティア・セン
 1933年インド・ベンガル地方に生まれる。59年ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジで経済学博士号取得。ケンブリッジ、デリー、LSE、オックスフォード、ハーバード各大学教授を経て、98年よりケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ学寮長をつとめる。98年ノーベル経済学賞を受賞。
 (Sen[1992=1999]の「著者紹介」より)


◆若松 良樹 20030625 『センの正義論──効用と権利の間で』,勁草書房,285+21p. ※
◆田島 明子 200406 「紹介:アマルティア・セン『アイデンティティに先行する理性』」  http://www5.ocn.ne.jp/~tjmkk/hon001.htm

◆2003/06/02 「民主主義と社会的正義――公共性の再検討」
 シンポジウム「21世紀の公共性に向けて――セン理論の理論的・実践的展開」
 於:立命館大学衣笠キャンパス
◆2003/05/10 夕方5:00〜5:50(50分)NHK衛星第一【312958】
 BSフォーラム「“人間の安全保障”緒方貞子氏たちの提言」
 出演:緒方貞子、アマルティア・セン、ほか
 12日(月)朝10:00〜再放送【752367】 【番号】はGコード
◆2003/05/03 公共研究会
 講師:山森亮氏(東京都立大学)
◆2003/05/02 セン理論に関する学際的研究・第2回研究会
 講師:山森亮氏(東京都立大学)・峯陽一氏(中部大学)
◆2003/04/19 セン理論に関する学際的研究・第1回
 講師:池本幸生氏(東京大学東洋文化研究所)・若松良樹氏(成城大学法学部)
 於:立命館大学衣笠キャンパス

◆高田一樹「アマルティア・セン『貧困の克服──アジア発展の鍵は何か』・要約といくつかのコメント」
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db2000/0201sa.htm
◆1981 Poverty and Famines=2000 黒崎 卓・山崎 幸治訳,『貧困と飢饉』,岩波書店
 要約:http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/db1980/8100sa.htm


◆20011215 発言 人間の安全保障国際シンポジウム
 「テロと人間の安全保障−グローバル化による脅威の多様化の中で──アフガニスタンをケース・スタディとして」(概要)

☆ 主著
◆1960 Choice of Techniques : An Aspect of The Theory of Planned Economic Development, B. Blackwell.
*◆1970 Collective Choice and Social Welfare San Francisco, Holden-Day, xi+225p.=20000825 志田 基与師 監訳,『集合的選択と社会的厚生』,勁草書房,308p. 3000 ※
*◆1973 On Economic Inequality Oxford University Press
 =19770729 杉山武彦訳,『不平等の経済理論』 日本経済新聞社,169p.
  千葉社0523共通
◆1975 Employment, Technology and Development : A Study Prepared for the International Labour Office within the framework of the World Employment Programme, Oxford University Press.
*◆1981 Poverty and Famines=2000 黒崎 卓・山崎 幸治訳,『貧困と飢饉』,岩波書店 ※
*◆1982 Choice, Welfare and Measurement, Basil Blackwell=19890410 『合理的な愚か者──経済学=倫理学的探究』(部分訳),大庭健・川本隆史訳,勁草書房,309p. 2890 ※/千葉社3998共通

◆1984 Resources, Values and Development, Blackwell.
・内容を見てみる amazon

*◆19850000 Commodities and Capabilities, Elsevier Science Publishers B. V.=19880122 鈴村興太郎訳,『福祉の経済学──財と潜在能力』,岩波書店,xiv+145+31p. 2100 三鷹369/真砂331
◆1987 The Standard of Living, Cambridge University Press.
◆1987 On Ethics and Economics, Blackwell=20020509 徳永澄憲・松本保美・青山治城訳,『経済学の再生──道徳哲学への回帰』,麗澤大学出版会,220p. 2300 ※ *
◆1992 Inequality Reexamined, Oxford Univ. Press=19990715 池本幸生・野上裕・佐藤仁訳,『不平等の再検討──潜在能力と自由』,岩波書店,263+63p.,2600円+税 ※
◆1997 On Economic Inquality, expanded ed. Oxford Univ. Press. ※[Sen 1973]の拡張版=20000727 鈴村 興太郎・須賀 晃一訳,『不平等の経済学』,東洋経済新報社,298p. 3500 ※ *
◆1999a Reason Before Identity, Oxford University Press.
◆1999b Development as Freedom, Alfred A Knopf=2000 石塚 雅彦訳,『自由と経済開発』,日本経済新聞社 ※(↓)
◆2002a (with Jean Dreze), India : development and participation, Oxford University Press.
◆2002b Rationality and Freedom, Harvard University Press.
◆2002c (大石 りら 訳)『貧困の克服』(集英社新書)

☆ 主要な編著
◆1982 (with Bernard Williams), Utilitarianism and beyond , Cambridge University Press.
・内容を見てみる amazon

◆1991 (with Jean Dreze) WIDER studies in development economics ; . The political economy of hunger, Vol.1-3.

◆1993 Nussbaum, Martha C. & Sen, Amartya eds. The Quality of Life Clarendon Press ※
・内容を見てみる amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0198287976/ref=lib_dp_TFCV/104-2948795-0524714?v=glance&s=books&vi=reader#reader-link

◆1999 (with Jean Dreze)The Amartya Sen and Jean Dreze Omnibus: Comprising Poverty and Famines, Hunger and Public Action, and India: Economic Development and Social Opportunity, Oxford University Press.
・内容を見てみる amazon

◆2002 (with Kenneth J. Arrow and Kotaro Suzumura) Handbook of social choice and welfare, Elsevier Science.

☆ 論文など(のごく一部)
◆1966 "Hume's Law and Hare's Rule", Philosophy 41:75-78
◆1967 "The Nature and Classes of Prescriptive Judgements", Philosophical Quarterly 17:46-62
◆1970 The Impossibility of a Paretian Liberal Journal of Political Economy 78
 →1982 Sen[1982:285-290]
=1989 (大庭 健・川本 隆史 訳)「パレート派リベラルの不可能性」 Sen[1982=1989:1-14]
◆1976 "Welfare Inequalities and Rawlsian Axiomatics" Theory and Decision 7:243-262
◆1976 Liberty, Unanimity and Rights Economica 43
 →1982 Sen[1982:291-326]
=1989 (大庭 健・川本 隆史 訳)「自由・全員一致・権利」 Sen[1982=1989:36-119]
◆1977 "Non-Linear Social Welfare Funcitons: A Reply to Professor Harsanyi" Butts and Hintikka [1977]
◆1979 "Utilitarianism and Welfarism" Jouranal of Philosophy 76:463-489
◆1979 "Personal Utilities and Public Judgements: or What's Wrong with Welfare Economics?", Economic Journal 89:537-558→Sen[1982=1989:168-194]
◆1980 "Equality of What ?" S. McMurrin ed. The Tanner Lectures on Human Values Vol.1, Salt Lake City: University of Utah Press
◆1986 "Social Choice Theory" K. Arrow and M. Intriligator eds. Handbook of Mathematical Economics Vol.3.:1073-1181, Amsterdam: North-Holland
◆1993 "Capability and Well-Being" Nussbaum and Sen eds.[1993]
◆1993 "Positional Objectivity", Philosophy and Public Affairs, 22:126-145
◆1996 「人間性と市民権」
 Nussbaum ed. [1996=2000:188-199]*
*Nussbaum, Martha C. with Respondents; edited by Cohen, Joshua 1996
 For Love of Country: Debating the Limits of Patritism,Beacon Press
 =20010530 辰巳 伸知・能川 元一 訳
 『国を愛するということ──愛国主義(パトリオティズムをめぐる論争)』,人文書院,269p. 2200 ※
◆1999 「経済開発には成長よりも大切なものがある」
 『エコノミスト』77-18
◆『自由・開発・民主主義』
 東洋経済新報社

 

■1970 Collective Choice and Social Welfare San Francisco, Holden-Day, xi+225p.=20000825 志田 基与師 監訳,『集合的選択と社会的厚生』,勁草書房,308p. 3000 ※

 「厚生経済学は政策の提言にかかわる。それは、「社会状態xとyの間で選択を行うならば、xが選択されるべきだ」というような結論にたどり着くための方法を探究している。厚生経済学が「価値自由」でありえないことは明らかである。なぜならば、厚生経済学が目的とする提言自体が、価値判断だからである。この観点からすれば、非常に多くの著名な経済学者たちが価値自由な厚生経済学を発見できるかどうか熱心に議論し続けてきたことは、やはりある種不思議なできごとであったと判断せざるをえない。
 いわゆる「新厚生経済学」(1939−1950)は、純粋に事実にかんする前提群から政策判断を引き出すことに大いに関心を抱いていた。当時の最も特筆すべき論者の一人を引用しよう。
 (Hicksからの引用…略)」(p.71)
 「理由もあいまいなまま、「価値自由」だったり「倫理自由」だったりすることは、個人間コンフリクトを免れることと同一視されてきた。そこには、もしも全員がある価値判断において一致するのであれば、それはもはや価値判断などではなく完全に「客観的」である、という暗黙の仮説があるように思われる。」(p.72)
 (以上は厚生経済学のファイルでも引用)

 「ここで言いたいのは、個人があらゆることにかんして持つ好みを実現しうる一般的な原理がないことではなく、ふつう提唱される単純な原理がそうしたものではないことである。」(p.237)
 「たとえば、伝統的な厚生経済学では、疑う余地のないものとして扱われるパレート的判断と、「恣意的」として扱われる非パレート的判断とが区別されてきた。この短絡的な二項対立が不適切に見えるのは、第一にパレート原理もまた部分的に恣意的であるからである(第6章)。第二に、他の原理のいくつかも多くの場合疑う余地がないからである(第5章から第7章、第9章)。一方では、パレート的考察にほとんど排他的に関心を集中させてきたことにより、伝統的な厚生経済学はじつに狭い箱に閉じこめられてきた。下方で、こまかく検討すればとても生き残れないほど倫理的に鈍感になっている。」(p.238)
 (以上はパレート最適のファイルでも引用)

■『福祉の経済学』より

 “Suppose we are considering the division of a cake. Assuming that each person prefers to have more of the cake rather than less of it, every possible distribution will be Pareto optimal, because any change that makes someone better off is going to make someone else worse off. Since the only issue in this problem is that of distribution, Pareto optimality has no cutting power at all. The almost single-minded concern of modern welfare economics with Pareto optimality does not make that engaging branch of study particularly suitable for investigating problems of inequality.”(Sen[1973])

 以下はその訳文

 「…われわれがケーキを分けるときのことを考えてみよう。どの人間にとってもケーキは多ければ多いほど望ましい、と仮定すれば、その仮定だけで、すべての分配の仕方はパレート最適である。ある人間をより満足させるようにケーキの分け方を変えれば、他の誰かの満足が必ず減じられるからである。このケーキの分割の問題における唯一の主要な問題点はその分配なのであるから、ここではパレート最適の考え方はなんの効力ももち得ない。こうして、ただひたすらにパレート最適のみに関心を寄せてきた結果として、せっかくの魅力的な一学問領域であるところの厚生経済学が、不平等の問題の研究にはすっかり不向きなものとなってしまったのである。」(Sen[1973=1977:16])
 *立岩『私的所有論』第2章に引用


 

■『不平等の再検討』目次・引用

訳者まえがき
はじめに

序章 問題とテーマ

第一章 何の平等か
なぜ平等か、何の平等か
公平さと平等
人間の多様性と基礎的平等
平等 対 自由 ?
複数性と平等の「空虚さ」
手段と自由
所得分配、福祉、自由

第二章  自由、成果、資源
自由と選択
実質所得、機会、選択
資源とは区別された自由

第三章  機能と潜在能力
潜在能力の集合
価値対象と評価空間
選択とウェイト付け
完全性‐原理的なものと実際的なもの
潜在能力か機能か?
効用 対 潜在能力

第四章 自由、エージェンシーおよび福祉
福祉とエージェンシー
エージェンシー、手段および実現
自由は福祉と対立するか
自由と不利な選択
コントロールと有効な自由
飢え、マラリアその他の病気からの自由
福祉の妥当性

第五章 正義と潜在能力
正義の情報的基礎
ロールズの正義と政治的構想
基本財と潜在能力
多様性‐目的と個人的特性

第六章 厚生経済学と不平等
空間の選択と評価目的
不足分、到達度、潜在性
不平等、厚生、そして正義
厚生に基づく不平等評価

第七章 貧しさと豊かさ
不平等と貧困
貧困の性質
所得の「低さ」と「不十分」さ
概念はどれほど重要なのか
豊かな国々における貧困

第八章 階級、ジェンダー、 その他のグループ
階級と分類
ジェンダーと不平等
地域間の対照性

第九章 平等の要件
平等に関する問い
平等、領域、そして多様性
複数性、不完全性、評価
データ、観察、そして有効な自由
総体的観点、平等主義、そして効率性
その他の不平等擁護論
インセンティブ、多様性、そして平等主義
社会的関心としての平等について
責任と公正
潜在能力、自由、そして動機

訳者解説
参考文献
索引

 「社会制度に関する主要な倫理理論はそれぞれ異なった「焦点変数」を選択しているが、いずれの理論もその理論が「焦点変数」と見なすものについての「平等」を支持するという共通点を持っている。反平等的な理論であると広く認められ、またその理論を唱える人たち自身によってもしばしば反平等的であるとみなされている理論でさえも、別の焦点から眺めてみると平等主義的であることを示すことができる。ある理論について、ひとつの「焦点変数」について見れば反平等主義的であったとしても、他の焦点変数から眺めれば平等を指向していると捉えることができる。
 例えばロバート・ノージックが『アナーキー・国家・ユートピア』で力強く展開したエンタイトルメント理論のようなリバータリアン的アプローチは広範な自由を各人に等しく保証するこどう優先し、所得分配や幸福など結果の平等(あるいは「パターン化」)を否定することを求めている。」(Sen[1992=1999:4])

 「個人の福祉は、その人の生活の質、いわば「生活の良さ」として見ることができる。生活とは、相互に関連した「機能」(ある状態になったり、何かをすること)の集合からなっていると見なすことができる。このような観点からすると、個人が達成していることは、その人の機能のベクトルとして表現することができる。……ここで主張したいことは、人の存在はこのような機能によって構成されており、人の福祉の評価はこれらの構成要素を評価する形をとるべきだということである。
 機能の概念と密接に関連しているのが、「潜在能力」である。これは、人が行うことのできる様々(p.59)な機能の組合せを表している。従って、潜在能力は「様々なタイプの生活を送る」という個人の自由を反映した機能のベクトルの集合として表すことができる。……「潜在能力集合」は、どのような生活を選択できるかという個人の「自由」を表している。」(Sen[1992=1999:59-60])

 「選択するということは、それ自体、生きる上で重要な一部分である。そして、重要な選択肢から真の選択を行うという人生はより豊かなものであると見なされるだろう。」(Sen[1992=1999:61])

 「この問題は、固定化してしまった不平等や貧困を考える場合に、特に深刻なものとなる。すっかり困窮し切りつめた生活を強いられている人でも、そのように厳しい状態を受け入れてしまっている場合には、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい生活を送っているようには見えないかもしれない。長年に亘って困窮した状態に置かれていると、その犠牲者はいつも嘆き続けることはしなくなり、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまうであろう。このように、たとえ十分に栄養が得られず、きちんとした服を着ることもできず、最小限の教育も受けられず、適度に雨風が防げる家にさえ住むことができないとしても、個人の困窮の度合いは個人の願望達成の尺度には現われないかもしれない。
 固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻である。このことは特に階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題に当てはまる。このような困窮の性質は、(p.77)重要な潜在能力に関して社会的に生じた差異に注目することによって明らかにすることができるが、もし潜在能力アプローチを効用の尺度で評価してしまうと、それらの点は明らかにできないだろう。潜在能力アプローチを補完するものとして古い順応主義に舞戻ってしまうことは、慢性的に剥奪されている者が望むことすら許されていない潜在能力を過小評価することになり、新しいアプローチから得たものを(少なくとも部分的には)奪い去ってしまうことになるだろう。潜在能力の評価は、これらの潜在能力から得られる効用を単純に合計することによっては行なうことができない。根の深い慢性的な不平等を扱う場合、二つのアプローチから生ずる差は、極めて大きなものになる。」(Sen[1992=1999:77-78])

 「基本財や資源を、「機能やその他の成果の様々な組合せ」から選択する自由へと変換する能力には、個人間で差が生じるので、たとえ基本財や資源の保有が平等であっても、人々が享受している実際の自由は深刻な不平等を伴っているかもしれない。」(Sen[1992=1999:125])

 「…腎臓障害で透析を必要とする人は、所得こそ高いかもしれないが、それを機能に変換する際の困難を考慮すれば、この人の経済手段(つまり、所得)は依然として不足していると言える。貧困を所得だけで定義するのであれば、所得からどのような機能を実現できるかという潜在能力を抜きにして、所得だけを見るのでは不十分である。貧困に陥らないために十分な所得とは、個人の身体的な特徴や社会環境によって異なるのである。」(Sen[1992=1999:173])

 「人々が「欲することのできるもの」に過剰に依存してきたこと、特に、あまりに抑圧されていたり、多くを欲する勇気がもてないほど打ち砕かれている人々の要求を無視してきたことは、功利主義倫理学の短所の一つである。」(Sen[1992=1999:235])

 「もしある人の行為から得られる福祉が、どのように(「どのように」に傍点)それを 行うことになったか(特に、自分でその機能を選んだかどうか)に依存しているとしたら、その人の福祉はxのみに依存するのではなく、「集合Sからxを選ぶこと」にも依存していることになる。
 ……福祉を議論する際の決定的に重要な問いかけは、「選ぶ自由」には手段としてのみ価値が在るのか、それともそれ自体も内在的な価値を持つかということである。……  個人の福祉を決める上で、仮に選択の自由が手段としてのみ評価されたとしても、各人によって享受される自由の広がりは、善い社会にとっては直接的に重要になる。……  ……自由の平等……平等の自由……」(Sen[1992=1999:236-237])

 「本書で議論しているのは、パレート最適を支持する側の十分性に関する主張の明白な限界についてではなく、その基準が必要条件としてすら不十分であるという点である。」(Sen[1992=1999:240])

 

◆Sen, Amartya 1999 Development as Freedom=2000 石塚 雅彦訳,『自由と経済開発』 日本経済新聞社 ※

序章  自由としての開発
第1章 自由についての見解
第2章 開発の目的と手段
第3章 自由と正義の基礎
第4章 潜在能力の欠如としての貧困
第5章 市場、国家、社会的機会
第6章 民主主義の重要性
第7章 飢饉、その他の危機
第8章 女性の能動的な力と社会変化
第9章 人口、食料、自由
第10章 文化と人権
第11章 社会的選択と個人の行動
第12章 社会的目標としての個人の自由

 

●選択/capability

 「選択するということは、それ自体、生きる上で重要な一部分である。そして、重要な選択肢から真の選択を行うという人生はより豊かなものであると見なされるだろう。」(Sen[1992=1999:61])

 「(選択によって最も選好しているものを手に入れることができるという)道具的価値にとどまらず、センにとって複数の選択肢から選べる能力そのものも価値をもつ。そ(p.219)してこの価値は潜在能力(生き方の幅)の中での選択肢の範囲に反映される。したがって、選択は人々にとって非道具的価値(選択の「論証的」かつ「象徴的」な価値)を有するというスキャンロン(Scanlon[1988])の議論とセンの立場は似ている。人の潜在能力への関心と達成された機能ベクトルとの違いを示すために、断食中の裕福な人と食物を買う金のない飢えた貧しい人を比べてみよう。この二人は栄養状態の点では同じレベルにあるが、前者の潜在能力は後者より大きい。ここで重要なのは潜在能力の違いである。」(Roemer[1996=2001:119-220])

Scanlon, T.  1988 "The Significance of choice", S. McMurrin ed. The Tanner Lectures on Human Values. Vol 8, University of Utah Press.

 

●「安価な嗜好」「飼い慣らされた主婦」

 「虐待を受けてきた奴隷、飼い慣らされた主婦、失意の失業者、希望をなくした貧困者」(Sen[1987:11])

 「センは、権利剥奪状況に対する反作用として形成されるような「安価な嗜好」をもつ人々に関心を向けている。安価な嗜好をもつ人々には、当人が受けとる資格があると予想するよりも多くの手当がなされることになるかもしれないけれども、機能に焦点をあてることは彼らを公正に扱うことに大いに役立つであろう。」(Roemer[1996=2001:220])
 「分配的正義にとって重要となる優位の尺度の中に、人のおかれた状態を示す何らかの客観的尺度を考慮に入れるべきであるのは確かであろう。というのは、純粋な主観的尺度だけでは「飼い慣らされた主婦」の問題を解決できそうもないからである。こうした見通しの下では、センの機能概念がもっとも期待できると思われる。ただし5章で述べたように、センとは違って「幸福」のような主観的な特徴をもつものを機能に含めない方がよいと私は考えている」(Roemer[1996=2001:355])

 

 「ロールズの格差原理によると、彼が身体障害者だからという理由でより多くの所得を提供することも、より少ない所得をあてがうこともない。身体障害者が効用の面で不利な位置にあることは、格差原理にとって重要性をもっていない。これは過酷なことのように見えるかもしれないし、私は実際にそうだと思う。ロールズはこの点を正当化しようとして、「[身体障害者をどのように扱うべきかという]難しい事例はそうした人の運命が憐憫と不安をよび起こすわれわれとは隔たった人々のことを考えざるをえなくすることによって、われわれの道徳的知覚(our moral perception)を混乱させることになりうる」と書いている。それはロールズのいう通りかもしれない。が、難しい事例は現実に存在しているのだから、身体上の疾病、特別な治療のニーズや心身の欠陥といった事柄が、道徳的に重要な意義を有していないなどと見なしたり、間違いを恐れるあまりにそれらを考慮の外におくことは、必ず逆の意味で過ちを生じさせるに違いなかろう。20」(田中紗織「障害と道徳──身体環境への配慮」に引用)

 「身障者の例では、身体を動かして移動する能力が関連しているのも一つだが、その他にもたとえば、栄養補給の必要量を摂取する能力、衣服を身にまとい雨風をしのぐための手段を入手する資力、さらに共同体の社会生活に参加する機能といった能力を含めることができる。21」(田中紗織「障害と道徳──身体環境への配慮」に引用)

 「自由の能動的な行使は人間の生活の質やよき生の達成のために当然価値あるものであろう。明らかにこの考察は、赤ちゃんのケース(あるいは知的障害者[原語ではmentally disabled]のケース)には直接関連性を持たないであろう。そのような人々は、分別ある選択の自由を行使する立場にはいない。32」(田中紗織「障害と道徳──身体環境への配慮」に引用)

●言及(発行年順)

Roemer, John E. 1996Theories of Distributive Justice Harvard University Press=20010320 木谷 忍・川本 隆史 訳 1996 『分配的正義の理論──経済学と倫理学の対話』 木鐸社,388p. 4000 ※
◆岩崎 晋也 1997 「ハンディキャップ状況をどのように評価すればよいか?──アマルティア・センのケーパビリティ理論の適用可能性」,『精神障害とリハビリテーション』Vol.1(2)pp.102-107
◆岩崎 晋也 1997 「社会福祉と自由原理の関係について──J.S.ミル・L.T.ホブハウス・A.センの比較検討」,『社会福祉学』38-1、日本社会福祉学会
 〔自由を行使する資格について〕「改めて考えなければならないのは以下の点である。第一にセンが自由という要素を重視したのは、個々人の福祉(well-being)の構成要素として重要であると考えたからであり、その重要性は、選択する能力に制限のある児童や障害者であっても変わりはないという点である。そして第二に、仮に選択する能力に制限がないとしても、その選択行為や結果に対する責任を完全に個人の単独事項と見なすことはできないのではないかという点である。たとえば、尊厳死、堕胎、臓器提供といった問題について、現代社会は個人の単独事項として全面的な自由を認めていない。…(中略)…もし選択を単に個々人の単独行為と見るのではなく、決定の過程に関わる他者の存在性を前提とした、相互関係性の中の行為として捉え直すことができれば、その結果に対する帰責性の問題も、そこに応じて再考されなければならないだろう。こうした検討を通して、センの提起した「潜在能力」アプローチをさらに深化させ、児童・障害者・老人も含めて多様な環境・個体条件にある個を、同一のアプローチで理解することが可能になれば、社会福祉における自由・平等・公正といった問題を検討する際に、有力な視点−人間観になりうると考える。41」(田中紗織「障害と道徳──身体環境への配慮」に引用)
◆岩崎 晋也 1998 「社会福祉の人間観と潜在能力アプローチ」、東京都立大学『人文学報』No.291(社会福祉学14)、pp.57-74
◆鈴村 興太郎 1998 「機能・福祉・潜在能力──センの規範的経済学の基礎概念」
 『経済研究』49-3
◆鈴村 興太郎 1999 「厚生経済学から福祉の経済学へ」
 『経済セミナー』530(1999-3):20-24(特集:アマルティア・センの世界) ◆川本 隆史 199903
 『経済学の良心あるいは良心の経済学──アマルティア・センの思想と行動』
 『経済セミナー』530:010-014
◆川本 隆史 1999   「全世界的な福祉(WWW)を求めて」
◆Arrow, Kenneth Joseph 1999 Amartya K. Sen's Contributions to the Study of Social Welfare, The Scandinavian Journal of Economics, June 1999
◆川本 隆史 1999 「経済学は人間生活の改良の道具たりうるか――アマルティア・センにおける厚生経済学の再生」
 『グラフィケーション』105号(富士ゼロックス)
山森 亮 20000320 「福祉理論──アマルティア・センの必要概念を中心に」
 有賀・伊藤・松井編[2000:163-179]*
 有賀 誠・伊藤 恭彦・松井 暁 編 20000320
 『ポスト・リベラリズム──社会的規範理論への招待』
 ナカニシヤ出版,267p. 2000
◆立岩 真也 20001215 「二〇〇〇年の収穫」
 『週刊読書人』2366:2
◆立岩 真也 20010115 「二〇〇〇年読書アンケート」
 『みすず』42-1(2000-1)
◆鈴村 興太郎・後藤 玲子 2001 『アマルティア・セン──経済学と倫理学』,実教出版
後藤 玲子 20020629 『正義の経済哲学──ロールズとセン』
 東洋経済新報社,466p.,4200円
◆立岩 真也 2003/06/02「(セン先生に)」
 立命館大学大学院先端総合学術研究科開設記念国際シンポジウム
 「21世紀の公共性に向けて──セン理論の理論的・実践的展開
 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/2003/0602.htm
◆絵所 秀紀・山崎 幸治 編著 20040510 『アマルティア・センの世界――経済学と開発研究の架橋』晃洋書房, 243p. ISBN:4-7710-1489-2 2625 [amazon][bk1] ※

 

◆19990308

 第3回厚生政策セミナー「福祉国家の経済と倫理」
 主催:社保・人問研

 ビデオ講演「センとの対話ー福祉・自由・正義」で、他にノルウェーの公共経済学者アグナー・サンドモと、鈴村興太郎先生が基調講演を行ないます。

 日時は3/8 AM10:00 - PM5:00.場所は東京の国連大学です。

 ご関心のある方は、厚生政策セミナー事務局(アーバンコネクションズ内)
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■引用・言及

後藤 玲子 20020629 『正義の経済哲学──ロールズとセン』
 東洋経済新報社,466p.,4200円

 「たとえ、結果的に個人の福祉が増大したとしても、それが外生的に与えられたものであるならば、彼の福祉的自由が改善されたことにはならない。自己の福祉を実現するための機能(functioning)が向上し、自らの意思的選択によって自己の機能を達成する機会、すなわち、潜在能力(capability)の豊かさが増したとき、初めて、福祉的自由が改善されたことになる。
 例えば、生来、両腕のない人に対する社会的施策として、いま、二つの方法を考えよう。(a)ホームヘルパーを派遣し、食事や排泄など身の回りの世話をする。(b)日常生活を営むに有効な性能のよい義手を支給する。いずれの方法も、栄養の摂取や排泄が滞りなく行われるという帰結に関しては変わらない。ところが、本人自身が「栄養を摂取する」、「排泄をする」という機能を獲得すること、その結果、本人の意思と力によって帰結を実現することを可能にする点において優れているのは、(b)である。二つの方法は、福祉的自由の観点からは異なる効果を有するものと解釈される。」(後藤玲子[2002:6])

◆立岩真也「自由の平等・4」

□注

★04「手段は、究極的には何か他のものによって評価されるから、手段の評価をその目的から全く独立に行うことは容易ではない。ジョン・ローマー…は、この関係を巧みに利用した数学的な帰結を導き、それを…「資源の平等は厚生の平等を意味する」と解釈した。この結果は精巧な公理の集合に基づいているが、その背後にあるアイデアは、資源の価値をその資源が生み出すものから求めようとするところにある。資源は、それ自体で価値をつけられるものではないので、このような関係に目を付けるのはもっともなことである。最終的な目的が厚生だけであるようなモデルを作って、「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない」というローマーの定理が導き出される。」(Sen[1992=1999:124]、言及されている論文はRoemer[1986]。ドゥオーキンの主張とローマーの批判の紹介として吉原[1999:167])
★05もちろんこの提起は当たっており、重要なことではある。だが、言われなくても誰もが知っていることではないか。またこのことがずっと問題にされてきたのではないか。社会サービス、例えば介護の費用についてどのようなことが考えられ、要求されてきたのか。それを思い起こしながら見ていくと、効用・厚生をどう捉えるか一つをとっても、微妙にあるいは大きくずれているところがある。それについて考えることが大切だと思う。それが気にかけられない状況、一方には経済学説があり、他方の社会政策や社会運動に関わる人たちはその学説を自らの主張の「お墨付き」として受け取り、そのようにだけ利用するという状況は、あまり好ましいことと思えない。例えば、三重野[2000]等で「生活の質」の指標化・測定についての議論が紹介され検討されているのだが、本稿の視点から、また経済学の立場との関係について、それをどう考えるべきかを考えることがあってよいだろう。また多様な論者の多様な論稿を収録するNussbaum & Sen eds.[1993]も検討の対象になるだろう。
 センの議論の紹介、センへの言及はちかごろ数多いが、経済学(との関係)におけるセンについては鈴村[1999]が簡潔で要を得ている。また、後藤[1999]がわかりやすくないがおもしろいかもしれないと思わせる。
★06ローマーはセンが幸福を機能に含めていることを指摘して次のように言う。「分配的正義にとって重要となる優位の尺度の中に、人のおかれた状態を示す何らかの客観的尺度を考慮に入れるべきであるのは確かであろう。というのは、純粋な主観的尺度だけでは「飼い慣らされた主婦」の問題を解決できそうもないからである。こうした見通しの下では、センの機能概念がもっとも期待できると思われる。ただし……センとは違って「幸福」のような主観的な特徴をもつものを機能に含めない方がよいと私は考えている」(Roemer[1996=2001:355]、この点を含むセンに対する批判の紹介としてRoemer[1996=2001:220-223])。
 つまりローマーはセンの方向を徹底しようとする。しかしこの方向をそのまま肯定できないことを本文で述べた。
★12「選好を正直に顕示することにまつわる周知の難問」(Sen[1979→1982=1989:194])。
★22貧困の絶対性と相対性とを巡るタウンゼントとセンとの論争について山森[2000]。6にその中の一文を引用した。

◆立岩真也「自由の平等・6」

「一つに、自分がその身体に何を有しているかにかかわらず、選んだものを得られるとすれば、資源・能力の問題がなくなる、とまでは──決定できることもまた能力の一部ではあるから──言わないとしても、小さくはなる。多く考えられてきたのは生産、生産に至る場面であるのに対して、例えばセンがケイパビリティと言うときには、何が得られるか、何を要するかという取得の場面に焦点が当てられている。決めるだけでよいことになるのは解放的である★03。センのしごく当然の提案が支持されるのも、彼がそのことを言っているからである。一人ひとりの状態は異なるのだから、端的に人の状態に応じて異なった手段が与えられるべきだとなる。それは私たちの立場により近い。」
「★03このことについては立岩[1998b→2000d:108-109]に記した。できないこと(障害・disability)がある人たちの主張とセンの主張はうまく接合する。というより、その人たちはかねてからその主張をしてきていた、センの理論はそのお墨付きとして価値があったということだ。とするとその理論は、既に言われているもっともなことを言う以上のものであるのか、ありうるかが問われることになる。」

 

◆2002年6月7日(金) 16時〜18時
 2002年度 人文科学プロジェクトA 公共研究会 第3回研究会
 後藤玲子「A Perspective on the Theory of Justice a la Rawls and Sen」
 修学館2F 第1共同研究会室



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製作:立岩真也北本潮  UP:http://www.arsvi.com 199? REV:.......20021027,20030211,0326
200304- http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/dw/sen.htm 0411,14,16,24,25,0506,11,0722 200405 20050103
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