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特別公開企画
アフター・メタヒストリー
―ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義―

ヘイドン・ホワイト
「ポストモダニズムと歴史叙述」


English Page


まず最初に、ポストモダニズムとは、一つの時代を画する自己意識、20世紀のモダニズムが生み出した確実性が失われた状況下で仕事や創造を行わなければならなかった多くの芸術家や知識人が共有してきた感覚を示す言葉である。 事実、ポストモダニズムは、啓蒙主義の時代以来「進歩」への西洋の信頼を支えてきた確実性、客観性、その土台、さらには真理そのものへの探究が崩壊した、その廃墟の上に生み出された。 それゆえ、ポストモダニズムという言葉は、際だって近代的なものとされているような確実な認識内容、またはユートピア的願望というより、むしろそれが、啓蒙主義の時代以降、哲学的、社会的に受け継がれてきたものを否定し、拒絶し、あるいは単に放棄してきたことによって定義できる。

しかしながら他方で、ポストモダニズムという言葉は、1950年代以降にあらわれた建築、文学、映画、芸術、精神分析、哲学、人文科学における多くの文化的運動のことをも指している。そうした運動は、建築のインターナショナル・スタイルによって代表されるような芸術上のモダニズムの限界、偏見、幻想を超克することを目指すものであった。例えば、文学ではT.S.エリオット、エズラ・パウンド、ジェイムズ・ジョイス、フランツ・カフカ、ヴァージニア・ウルフ、マルセル・プルースト、ガートルード・スタイン、芸術では、シュルレアリスムやキュビズム、そして抽象表現主義によって代表される歴史的アヴァンギャルドなどがそこに含まれる。

この二つの種類のポストモダニズムのいずれも、あらゆる種類の基礎づけ主義──認識論的、存在論的、倫理的、そして審美的な──に対する疑いをともに抱いている。 この基礎づけ主義の拒絶は、19世紀半ば以降、歴史研究が生んできたような種類の知を支持し、権威づけてきた諸観念──認識論的、存在論的、倫理的そして審美的な──の拒絶をも意味している。 こうしたことは、ポストモダニストが過去、歴史、およびその解釈に興味を持たないということを意味するのではない。 それどころか、多くのポストモダニストは、歴史についてのとりわけポストモダニズム的な見方が、姿を現しつつあるグローバル社会と、それを可能にしてきた新しい文化的メディアが要求するような種類の知に対して、唯一の基盤を提供するものであると信じている。 しかしながら、このポストモダニズム的な「歴史」の見方には、近代的、科学的歴史研究の基盤として措定されてきたものとの共通点がほとんどない。 事実、そうした歴史の見方は、実用的(政治的、教育的、思想的な意味で)目的のために引き出される教訓話の貯蔵庫として、そして学問的分野というより一つの談話として歴史が理解されていた、近代以前の歴史の捉え方にずっと近い。

ポストモダニスト──建築、美術、文学、映画、哲学での──は過去を、様々な形式やメディア、ジャンル、あるいは思想の、茫漠として未完成で断片的で脈絡のない共時的な集積と見なす傾向がある。彼らはそれらを「オブジェ・トゥルヴェ」のように扱うことができると考えている。まるでデュシャンの「泉」(デュシャンがR・マットと署名し、逆さ吊りにした男性用小便器。それは美術館に展示されために、芸術作品に変換される効果を持った)のような仕方で。 ポストモダニストにとって「過去」──二度と取り戻せない不在のもの、足跡や断片や痕跡によってのみ接近可能なものとしての──とは、記憶や夢想や空想の場、従って詩的着想の場でしかなく、(科学的な指向を持った近代の職業的な歴史家にとってそうであるように)多かれ少なかれ実際そうであった通りに復元されたり表象されたりすることができる過去の人間行為の空間ではない。 ポストモダニストがよりいっそうの関心を持つのは、過去へ思念をめぐらすことによって──多かれ少なかれ芸術的な手法で──生み出される諸々の意味の方であり、資料的記録によって証明されたバラバラの歴史的時期についてのまとまった正しい言明として理解される真実ではない。 ポストモダニストの立場にたつ歴史はほとんどない。なぜならポストモダニストは、職業的な歴史家が科学的な歴史叙述として認識しているものを拒否しているからである。

実際、ポストモダニズム的な「過去」の扱い方は、もっぱら芸術作品の中に見出される。すなわち、「歴史小説」(たとえば、ドン・デ・リーロの『リブラ 時の秤』や『アンダーワールド』、J・M・クッツェーの『敵あるいはフォー』、ジョン・バンヴィルの『アンタッチャブル』、フィリップ・ロスの『アメリカン・パストラル』や『アメリカに抗するプロット』)、叙事詩的映画(ダニエル・ヴィーニュの『マルタン・ゲールの帰還』、リチャード・アッテンボローの『ガンジー』、トニー・リチャードソンの『遥かなる戦場』、あるいはオリヴァー・ストーンの『JFK』)、ドキュメンタリー(クロード・ランズマンの『ショアー』あるいはアラン・レネの『夜と霧』)、場の構築(たとえば、クリストによる国会議事堂の「梱包」)、コミックス(アート・スピーゲルマンの『マウス――ある生き残りの物語』や『消えたタワーの影のなかで』)、アンゼルム・キーファーの絵画、クリスチャン・ボルタンスキーのインスタレーション、博物館学的な修正主義(たとえば、ベルリンにあるリベスキンドの「ユダヤ博物館」)、あるいは証言文学(たとえば、プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない──あるイタリア人生存者の考察』)といった諸作品の中にこそ、見出されるのだ。もちろん、サイモン・シャーマの『死の確信』やカルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』など、ポストモダニズム的な手法での歴史叙述の試みも、付け加えておかねばならないが。

ポストモダニストによる過去の表象[再現前化](あるいは単に「現前化」といった方がよいかもしれないが)の実験の多くは、伝統的な科学的歴史への不満、すなわち、そうした科学的歴史が20世紀の全体主義的体制と結びついた「極端」な出来事を、効果的に扱えなかったり、扱うことをしぶったことへの不満に由来する。 そうした「極端」な出来事としては、いわゆる「ホロコースト」に限らず、「産業化されたジェノサイド」全般、核兵器の使用(広島、長崎)や他の大量破壊兵器(焼夷弾爆撃、対人地雷、長距離ロケット等)の使用、世界的な人口の爆発的増大と移住、新種の病気(エイズなどの)、さらにグローバリゼーションの進行などがあげられる。 これまでは歴史の大きな出来事に対して周縁的なものとして扱われてきた人々の側から、彼らがそうした極端な出来事の中で経験したことを表象しようとする普遍的要求が生じ、それが新しいジャンルの遺言的で殉教者的な(証言)文学やビデオ、映画を生み出した。 それにともない、歴史と記憶との間にの古くからの対立が問題とされ、記憶を訂正するものとしての歴史は、直ちに、「虐げられた人々の記憶を抑制するものとしての歴史」と考えられるようになった。

ヴァルター・ベンヤミンによる、歴史上の名もない人々、無視されてきた人々のための簡潔な文章が広く認知されたのは、専門的な歴史叙述が、歴史の「勝者」と一体であったこと、もっぱら歴史上の偉大な人物たちの行動にのみ関心を示してきたこと、さらには権力や庇護者の中枢と結びついてきたことへの批判としてであった。

フェミニズムや女性史、ポストコロニアル研究、カルチュラル・スタディーズ、「下からの歴史」、対抗的な歴史叙述といった、専門的な歴史叙述の周縁部での運動が、専門的な歴史研究への無関心を広げ、かつ増大させることに寄与したが、それはまた、[これまでの歴史の]専門化、ミクロな現象への偏向、そして意味への欲望に反対して真理を探究すること[の価値]を貶めた。

意味への要求、過去の虐げられた人々への関心、あらゆるものが歴史の主題へと包摂されるように訴えること、専門化の拒絶、極端な歴史的出来事についての「目撃」経験に魅了されること、そして最後に、これらの極端な出来事が新しい種類の歴史が到来する前兆であると信じること。 こうしたことのすべてが、20世紀初頭から受け継がれてきた「科学的歴史研究」の諸原理とは相互に相容れない過去に対する態度、あるいは過去の研究に対する[新しい]態度を促した。

歴史哲学の中で、より正確に言えば、専門的歴史家が生み出してきた種類の知識の可能性と限界についての哲学的研究の中で、このような態度は、観念論者(コリングウッド、クローチェ)、実証主義者(ポパー)、実存主義者(ハイデガー、サルトル)、現象学者(ガダマー、メルロ=ポンティ、リクール)、そして私が歴史主義者と呼ぶような一団(アロンとブロッホ、アイザイア・バーリン、マイネッケ)を巻き込んで1930〜40年代から進行してきた、果たして歴史は真の意味で「科学」と呼ばれうるのか否かをめぐる論争の成果と一体化することになった。 この論争は、[この原稿がもともとそのために書かれた]この辞典の他の項目において扱われるか、すでに扱われているはずである。 さしあたってここで重要なのは、この論争が、ポストモダニズムの成果であるその独特の疑問点や問題にどの程度関係しているかということだ。 一方でその問題とは、言語や言説、物語に関わるものであり、他方でその疑問点とは、歴史と文学の関係についての正統的とされてきた見解に関わるものである。

ポストモダニストの過去や歴史の扱い方は(過去を扱うことがすべてが「歴史的」というわけではないが)[専門的な]歴史家によって(もっとも彼らがそれらにわざわざ言及してくれる場合に限ってのことだが)幾つかの類型的な批判を受けてきた。彼らによればポストモダニストは、過去は実在性を持たない、歴史はテクストである(にすぎない)、歴史的表象の基本的問題は物語化という問題である、過去の表象にあたっては事実と虚構の間に重要な区別はない、そして終いには、歴史上の現象は、出来事の連鎖についてのモデル構築や因果関係の分析よりも、ストーリーを語ることによって最もよく理解される、という信念をすら持っているのだ。

ここで述べておくべきことは、わずかな例外(R・エヴァンス、K・ジェンキンス、E・ドマンスカなどが著名だが)を除けば、こうしたポストモダニズムについての見解は、専門的な歴史家たちの単なる嘆きであって、科学的な厳格さを持った[反論]提示や応答ではないということです。 また特定のポストモダニストの考え(例えばリクール、アルトーグ、デリダ、フーコー、ホワイトなどの)に共感するような著作に対しては、専門的歴史家は、それらが備えている相対主義や懐疑主義が社会的に危険であると警告することで応えるのが常であった。 もっとも批判の対象となっているのは、次の二つの考え、すなわち、歴史と文学の関係と、テクストとしての世界という概念である。

歴史と文学の関係についての議論は、ランケがウォルター・スコットに対して行った有名な批判、つまり、歴史的事実と虚構を混ぜ合わせたことに対する批判にまで遡る。 歴史研究は、ランケ以前の時代には一般的に歴史叙述に混ぜ合わされていたたくさんの言説や慣習──すなわち神学、哲学、修辞法、ロマンスなど──を取り除くことで、一つの科学へとかたちを変えたのである。 これらの排除は、歴史研究を真実なるものに委ねようとする、それが意味するのは、過去を事実に忠実に正確に表象するということだが、そうしたことへの関心によって実行された。 このことは、西洋文化における過去を理解しようとする努力を二つに分けるという結果をもたらした。専門的歴史家は、過去についての事実を確立・確証することに関心を払い、一方、その他の大勢の人々──哲学者、小説家、詩人、さらには増大しつつあった社会科学者──は、過去を理解することの意義に関心を持つよりも、現在を理解するために過去の事実の意味に強い関心を持つようになった。 こうした問題がおこったのは、第二次大戦後、ホロコーストあるいはショアーと呼ばれるものに関してであった。

ユダヤ人に対するナチスのジェノサイドが過去の中に消えていき、そうした過程を通じてはっきりと「歴史的」出来事に姿を変えていくなかで、その生存者たちがとりわけ関心を持つようになったのは、その事件が起きたという事実よりも、むしろ、それ[事件]がそうした出来事を経験するように感じられているかということと、それが社会にとって、すなわち、この出来事に対して責任があり、あるいは多くの場合、その遂行を補助するか、ただ傍観し、何ら重要な抵抗を示さず起こるにまかせていた社会(啓蒙化され、人道主義的で、人間的で、理性的だと見なされてきた)にとって、どのようなことを含意していたのか、ということであった。 若干の明らかに病的な似非歴史家や科学者、学者たち(修正主義者として知られている)を例外として除けば、その出来事が起こったということは実際には誰も否定できない。ただその起こり方と、遂行のされ方が、ルネサンス以来西洋が誇ってきた科学的・人文主義的文化の基本的諸前提のほとんどを疑問に付したのである。

ホロコーストについてだけではなく、他のジェノサイドや脱植民地化の経験、移民、近代戦争の脅威についても、「目撃」証言の総体が増大したことが示すのは、「芸術的」著述(プリーモ・レーヴィの『アウシュヴィッツは終わらない―あるイタリア人生存者の考察』のような)や(ランズマンの『ショアー』のような)映画の方が、従来の歴史の語り手によるドライで慎重な人間味のない口調よりも、新しい同時代の経験の「衝撃」を伝えるのに、はるかに適していたということである。

結果、ポストモダニストの間で、過去だけではなく、歴史としての現在を扱う手段として、歴史の芸術的表象へ向かう欲望が回帰してきた。

「歴史としての現在」。西洋文学におけるリアリズムの発展についての重要な著作である『ミーメーシス』の中でエーリッヒ・アウエルバッハは、近代の文学的リアリズム──スタンダールから、バルザック、ディケンズを経て、後にはゴーゴリ、トルストイ、マン、プルースト、ウルフまで──の基礎は、現在を歴史として扱うことにあると主張した。 言い換えると、かつて歴史は過去についてのものに過ぎなかったが、19世紀初頭に「現在」が「歴史」に加えられた。それは今や、コゼレックによれば、それ自体の権利において一種の原因の力となったのである。今や人々は「歴史的な力」や「歴史的な過程」について語りうるようになった。それによって、かつてはそこから、過去を「すっかり乗りこえられて終わったもの」として眺めることができた安定した現在は、そこからは誰も確信を持って過去も未来も眺めることができないような、波打ちながら動く暴力的な基盤へと変化したのである。

19世紀の文学的リアリズムが、その指示対象として──その究極の指示対象として、と言ってもよい──歴史的実在を取り上げたのは、そうした意味においてであった。文学的リアリズムはその歴史的実在を、戦争や政治や偉人に執着した職業歴史家には決して想像もできなかったような方法で、綿密に描き、深く吟味したのであった。 これこそが、ウォルター・スコット卿(1771〜1832/スコットランドの詩人・作家)の真の遺産であった。彼はランケによって小説家として退けられたが、実際には、実現されるべき図としての現在との関わりにおいて過去を研究する方法を発明した人物であった。 そして、「高級」文学の最終的な指示対象としての歴史に対するこの関心は、文学的モダニズム──プルースト、ジョイス、エリオット、パウンド(エズラ・パウンド:1885〜1972/米国の詩人・批評家)、ウルフ、ブレヒト、スタイン(ガートルード・スタイン)、ムージル(ローベルト・ムージル:1880〜1942/オーストリアの小説家)など──の中に生き続けた。 重要なことは、歴史は真実だけでなく意味をも伴わなくてはならないということであった。これは象徴化を意味する。

今や、文学上のモダニズムに関する重要な論点は、事実に基づく言説とフィクションの言説の対立が、様々な種類の著述間の単なる差異に取って代わられるということなのだ。 文学的な著述と実用的な著述の主要な違いは、メッセージに対する「構え」(Einstellung)──すなわち、意味[の位相]を指示対象からその中で言説が表現されるコードへと逸らすような──によって後者が前者から区別される、という点にある。 この見方からすれば、事実の著述とフィクションの著述の区別は、指示対象の現実性もしくは非現実性よりも、提示物の中に明示された「文学性」(修辞的技巧の使用)の度合いに左右される。 したがって、事実に基づく文学的著述(ホイジンガの『中世の秋』のような歴史的著作が例になるかもしれない)と、フィクション的な文学的著述(例えば『フィネガンズ・ウェイク』〔ジェイムズ・ジョイスの最後の小説〕)がありうる。

しかし、もし「事実の」著述がその指示対象にみあう「現実的[リアル]な世界」を持つ著述を意味するなるならば、マンの『ブッデンブローク家の人びと』や『魔の山』、ムージルの『特性のない男』のような作品は、現代の社会的な歴史家によって書かれたどんな作品とも同じくらい「事実に基づいて」いることになる。 そしてまた、デリーロ(ドン・デリーロ:1936〜/アメリカの小説家・劇作家)の『リブラ 時の秤』、メイラー(ノーマン・キングズレー・メイラー:1923〜2007/アメリカの作家)の『The Castle in the Forest』(未邦訳)、バンヴィル(ジョン・バンヴィル:1945〜/アイルランド出身の小説家)の『アンタッチャブル』、クッツェー(ジョン・マックスウェル・クッツェー:1940〜/南アフリカ出身の文学者)の『恥辱』も然りである。 トルストイの『戦争と平和』のように、これらの作品はある時代・期間・時間の歴史の構成要素や本質を把握しようとしている。 そのために、古記録の中から見つかったものについて報告する者とは違い、彼らは対象とする出来事を物語り、話の筋を作って、その出来事に劇的な重さと象徴的な深さを与えなければならない。

現代の科学的歴史家たちによって、単なる修辞の氾濫、装飾、またはイデオロギー(これはブローデル)だとしてますます軽蔑された歴史叙述における物語性は、こうして、存在(事実性)と価値(意味)の仲裁のためのパラダイムとしてポストモダニストの歴史小説においてよみがえった。 そのすべてが、科学としての歴史と叙述としての歴史の間の区別、ならびにポストモダニストにおけるテクストとテクスト性の関係性を「歴史」(研究と表象の両方の対象として)の概念化へと私たちをひき戻す。

付記:ポストモダニストの歴史的思考は現在志向であり、主にそれが現在に役立つ限りにおいて過去に興味を持っている。 したがって、ポストモダニズムの起源を、歴史の指標・目的・意味を明らかにすると称した普遍史の「大きな物語」の拒絶に見い出したリオタールは、半分だけ正しい。 大きな物語を放棄したことをリオタールが報告するよりずっと前に、職業歴史家や歴史哲学者たちは、それを神話やイデオロギーだとして捨て去っていた。 しかしポストモダニズムはさらに、摂理、進歩、世界精神(ヘーゲル)の弁証法やマルクス主義などの「大きな物語」だけでなく、職業歴史家たちの「小さな物語」も同様に拒絶する。どちらの歴史叙述も、私たちの時代の実用的なニーズと無関係であると考えられるからである。 これらのニーズの中心にあることは、「過ぎ去ろうとしない過去」(エルンスト・ノルテ)、とりわけナチのジェノサイドという過去を受け入れることである。その過去は、フランス革命の時代から国家とブルジョア社会に奉仕する職業歴史家によって支えられてきた進歩・啓蒙・ヒューマニズムという神話が偽りであることを示したのだった。

ポストモダニストにとって、職業的歴史家の「歴史的な過去」は、歴史書の中をのぞいて決して存在しない、だれも(特定の勘違いした歴史家はいるかもしれないが)決して経験しなかった抽象概念であり、それは結局、職業的歴史家にだけに意味あるものである。 ポストモダニストの関心は、現在においても存在し続ける過去であるが、それは遺産や伝統というよりも、幻想や記憶、「抑圧されたものの回帰」、亡霊、なぞ、脅威、また重荷として存在するものである。 その重荷を現在から引き離しながら、過去は「徹底操作(perlabore)」されねばならない。現在生きている人が古い誤った信念にとらわれず未来に行けるように。

ここで、歴史研究(historiology)は、キリスト教、ヒューマニズム、進歩、マルクス主義、実質合理性、資本主義、形而上学、英雄的な主題、ブルジョア的歴史叙述といった大きな神話の解体あとの「喪の作業(travail du deuil)」を支えている。 それをもって、幻想、喜び、形式の遊戯(a play of forms)、ユートピア的可能性のある場所としても過去を用いることが可能となる、とポストモダニストは主張する。 過去と歴史に関するこのポストモダニストの観念は、過去と歴史の潜在的な治療機能を強調したフロイト専門用語のぼんやりとした枠組みの中で形作られている(伝統的・職業的歴史叙述の単なる教訓的な機能に対するものとして)。 このように形作られたことで、ポストモダニズムの批評家たちがこじつけや誤り、完全な妄想だとみなすものに説明を与えることも可能になる。

まず、歴史とは何か、歴史はいかにして研究されねばならないか、歴史的知識からいかなる効果が正当に生み出されるのかを決める権威は歴史家だけがもつという職業的歴史家の前提を、ポストモダニストは問題にする。 これに反してポストモダニストは、誰も歴史を所有しない、誰でも理論的かつ実践的な目的のために歴史を研究する権利を持つ、歴史の過去と記憶の過去はきわめて異なるものであると信じる傾向がある。そして、過去に何があったかを発見することよりも、過去の出来事の受難者にとって、行為者にとってと同様に「どのように感じられたか」を発見することのほうが重要である、とも。

こういう理由で、ポストモダニストが好んだ、「証言」であり、実験的でシュルレアリスム的ですらある文学装置と神話的な筋立ての使用であり、映画的「特殊効果」、詩的な文彩と人物であり、過去の提示表現(Dorstelllung)のためにドキュメンタリーと「虚構的な」技巧を混ぜ合わせ、その輪郭において明確であるというよりは漠然とし、人の資質において英雄的よりもグロテスクにし、形式において確定させるよりも順応性をもつことを奨励したのである。 ポストモダニズムの歴史意識への主な貢献は、小説の中に見出される。

ポストモダニストらは、職業的な歴史叙述の作法を無視したため、相対主義や懐疑主義という非難に晒される。それらはしばしば、可能性を秘めた理論的立ち位置としてではなく、道理にはずれた罪として扱われる。 相対主義は、認識論的・道徳的な無秩序状態へ導くため、認知的のみならず倫理的な理由ににより抵抗すべきものだと言われている。 同様に、懐疑主義も、道徳的また認識論的理由で反対されるべきものと言われている。それはピュロニズムやニヒリズム、カオスへ導くと思われている。 まるで、歴史的真実は、われわれの持つ唯一の真実であり、その衰弱はこの文明そのものの根幹を揺るがすもののようだ。

これらの批判に対して、ポストモダニストらは以下のように答える。すなわち、ポストモダニズムが職業的歴史家に懐疑的であることは確かであると。それはただ彼らの仕事が退屈、あるいは、別の言い方をすれば、感傷的だからではなく、彼らが、特定の利益集団や、国家、裕福な後援者、企業、大学などに雇われていると自らを見なしているからである。 そのうえ、過去をあたかも不動産のように扱い、それへのアクセスを専門家のみに割り当て、非専門家を専門家の縄張りに立ち入らせないようにすることが彼らの目的のようである。 最後に、いかなる種類の知識の可能性をも否定する形而上学的な懐疑論と、特定の集団によって生み出される知識についての懐疑論の間で区別することができる。たとえば、自分たちが純粋でかざりのない「科学者」として見せかけているが、その手法が法律家や、最悪の場合には占星術師にも似た専門的な学者のギルドである。

同じことは相対主義への批判にも言える。相対主義は、すべての見地は等しく妥当である(あるいは妥当しない)とみなす考え、合理的な判断に基づいてこれらのうちのひとつを選択することは不可能である、したがって思考と実践において「何でもあり」であり、結果としてその倫理原則はまやかしであり、道徳も幻である、という概念と同等だと一般的に見なされている。

最終的に、ポストモダニストは、全ての知識は特定の対象「についての知識」だけでなく、特別の社会集団や文化的プロジェクト「のための知識」でもあるとの主張を続ける。 従って、過去と歴史についてなされた提示の妥当性は、いずれもそれらを生産した集団にとっての有用性の観点から評定されることになる。 その基準は、実際的または実用主義的であり、それは自然科学にも人文科学にも当てはまるものだ。

歴史研究には、それ自体の歴史がある。それらは時間、場所、そして集団によって異なっている。 聖アウグスティヌスの『神の国』やジャン・フロワサールの『年代史(Chronicon)』のような宗教的信念に基づく歴史が、今日の職業的歴史叙述の基準を満たしていないからといって、「歴史的」でない、あるいは「歴史叙述的」ですらないとはいえないのは、そのためである。 それはまた、文学や詩、他の芸術的なメディアに存在する歴史の考えや展望についても同様である。 リクールが論じたように、もし歴史意識が、ある時間経験の産物であるとするならば、この経験の分析に劣らず、その表象も、芸術および科学が提供できるすべての資源を必要とするだろう。 実際、歴史の過去を変えようとする努力、工業化時代の支配的な集団のために構築された過去とは異なった過去を想像しようとする努力、近接過去を批判し、それが現在に課する制度的な制限から逃れるための歴史的基盤を提供しようとする努力、これらすべてが、専門的な歴史家たちによるよりも、文学や映画、ビデオ、コンピューターに携わる芸術家たちによって真摯になされているようだ。

歴史の将来のありかたについての展望は、ポストモダニズム的な芸術の中に見出されるだろう。それは、模倣的であるというより概念的で、「読み手的」であるより「書き手的」であり、アルゴリズムよりシンボルに関心をもつような芸術だ。 ポストモダニズムの著述は、例えば、伝統的、物語的、寓話的なストーリーテリングの慣習を超え出る。 これは、ポストモダニストが職業的歴史叙述の「小さな物語」をより信じていることを意味しない。 というのもポストモダニズムは、専門的な歴史家たちによって作られた過去と歴史のヴァージョンと、大学ヒューマニズム(人文主義)の諸言説をも拒絶しているからだ。 彼らが拒絶するのは、人間主義的な歴史の経験主義に対する素朴な忠誠と、「証拠(document)」への信頼、それに劣った諸民族の征服者、文明の担い手である「アクション・ヒーロー」としての「歴史の主体」への信仰である。 ポストモダニストにとって、専門的な歴史家たちは過去をそのものとして研究し、他の専門的な歴史家たちのために書き、現在のために役に立つ教訓を一切引き出さず、人生のためになる歴史の想像的な利用を抑圧しようとしてきたのである(Nietzsche)。

フーコーのように、ポストモダニストは、過去を、そのこと自体としてよりも、現在を理解する手段として関心をもつ。 現在になんら洞察を提供しないような場合には、歴史は単なる好古趣味として非難される。 ポストモダニストにとって、真実とは認識論的問題であるよりむしろ、意味論的問題である。 過去についての諸言明、そして過去が持つ現在を理解するうえでの重要性についての諸言明が関係するのは、言われたことよりもむしろ、言われたことのなかで意味されているのは何か、についてである。 したがって、話されたことの重要性は──現在についてか過去についてかにかかわらず──文脈から切り離すことはできない。 真実についてのこの考えが、ポスト二ズムは、文化的、道徳的、認識的な相対主義であるという非難への道を開く。

歴史研究から普遍的なものを導き出しうることを疑うことで、ポストモダニズムは懐疑論だという非難にさらされる。 しかし注目すべきことは、もはや知覚可能ではない事物に関する知識の可能性についての懐疑主義が一方にあり、不在のものであれ現前するものであれ、何がしかについての知識の可能性そのものについての懐疑主義もまた別にある。

ポストモダニストは、我々が過去についての知識を持ちえることを否定しない。 むしろ、私たちがその知識を構築する上で、理性とともに想像力を用いなければならないと勧めている。 ここでいう想像力とは、単なるファンタジー、夢、幻想だけでなく、ヴィーコ、ロマン派、ミシュレ流の創作(ポイエーシス)を意味している。 このようにすることによってのみ、記憶(個人的/集合的なものも)をめぐる倫理的主張と、理性をめぐる認識論的主張とは調和しうるのである。

学界的あるいは大学の歴史叙述は、過去の事実についての真理と、モダニティを理解するためのこの真理の意味合いの間に存するとポストモダニストが考える隔たりを橋渡しすることに「無関心」すぎている。

フーコーのように、ポストモダニストは、過去に興味を持っている。彼らにとって過去とは、終わったものではなく、私たちに現在について教えてくれるものなのである。 つまり、過去についての諸事実を確立するには、それらの解釈が伴わなければならないということである。

疑う余地のない日付や特定の出来事のような微少の事実レベルを越えると疑問が生じる。それは、過去と歴史について、事実に基づく回答がない場合があるということだ。

近代史の大きな出来事──フランス革命、資本主義、産業主義、ナチズム、そしてショアーさえ──、我々自身のアイデンティティにとって重要すぎて対峙することのできない出来事にすら、その意味を考えるとき、決定的な回答は存在しない。 しかし、それらを解釈する行為に終わりはない。

われわれにできるのは、解釈を複数化することで、過去や歴史、人間性についてのドグマ的な主張を切り崩すことである。 過去はその定義からいって、もはや知覚することができないものだから、過去について、あるいは過去の諸要素についての記述が十分であるかどうかをわれわれは決して確かめることができない。 この点で過去は、原則的にいって、観察することのできる現在とは異なっている。 しかし、われわれが現在と意味しているものは、思考と想像、空想と希望あるいは恐怖の構築物であることは過去と同様である。 このように、死んだ過去とまだ生まれていない未来という二つの混沌の間にはさまれ、私たちは多義性、二律背反、そして失望の中に生きなくてはならない。

世界はポストモダニストにとって、ハイデガーやサルトルが1930年代に提示した様に見えている。 哲学も科学も私たちの役には立たない。 そういうわけで、ポストモダニストは、歴史的実在のアポリアを扱うために、芸術、文学的著作、そして詩的想像力に頼ろうとするのだ。

1. 歴史はその始めから科学の地位、該当する時間と空間で優勢な科学的基準に則した科学の地位、を熱望してきた。 科学自体にも歴史はあり、つまり科学の構成要素が絶え間なく変化しているということだから、科学たろうとする歴史の努力の中身もまたたえず変化しているのである。 こういう訳で、歴史家による過去の解釈の仕方と、過去と現在との関係の解釈の仕方は、全く不相応に見える。

科学的たろうとする歴史の千年にもおよぶ努力のなかに、連続性と規則的な進歩を見出す歴史家たちがいる一方で、他方では、歴史が科学たろうとするその絶えざる失敗を記録している歴史家がいるのである。 ある社会が、その自身の過去(あるいは過去なるもの)と何の問題もなく結びついていると感じている限り、このことが問題になることはない。 歴史がインチキもしくは似非科学とみなされ、「本物」の科学、信仰、芸術、あるいは形而上学による補足を要請するのは、過去が現在の負担になると感じられるとき──それは遺産というより負い目として──である。

2.真の歴史家とは、真理、そして過去に関する真理についてのみ関心を持っており、いかなるイデオロギー的な先入観や意図もなく、客観と中立の精神で主題に望むのだと言われている。 彼らが主に行なうのは研究であり、それは特に古文書[アーカイブ]、とりわけ「一次」史料・文献の研究である。 彼らは証拠を選り分け、データを分析し、理論を組み立て、記録が許す限りで過去のある範囲で起こったことについて証明を行うのである。 実際に起こった事実は、歴史学者のそれに関する研究より先に存在していたのであり、彼(より少ないが、彼女)は事実を創り出すというよりむしろ「発見する」。

近過去や現在が、歴史の適切な主題とならないのは、一定の時間が経たなければ、ある過程がどのように「出現」し、結局それがどのような結末あるいはどのように終わったのかを知ることができないからである。 だから同様に、歴史家は、適切な古文書資料が手に入るまでは、過去のいかなる側面に関する研究にもとりかかるべきではない。 調査を終わってから歴史家は、自身の成果を落ち着いて厳格な文体で書き上げる。 軽率もしくは修辞的な文飾は認められない。というのも、アイロニーはアマチュアや門外漢にとっておかれている専売特許なのである。彼らは、歴史は誰にでも書け、過去は普遍的な人類の遺産であり、そして誰もが歴史をできる限り勉強する権利を持っていると考えている。

3.歴史が過去に関する真の知識(情報に対するものとして)を生み出すのだと主張してくるとき、歴史は、人を不安にさせる時間のなぞ、記憶のアポリア、欲望のパラドックスを討議しなくてはならない。 (過去において「何が起こったか」を見つけ出し、それを相応しくて使い込まれた形式によって表現するという責務を継続しなければならない。死は終焉ではなく、先行した人間の労働の産物は人間の記憶から全く失われたわけではない、と見せかけるために)。

謎について。時間について。現在在る、と同時に、かつて在った、そしていまだ存在していない、そしてとどのつまり無いという感覚。

記憶について。過去は自分の中にあり、それでいて自分に欠けている。自分はこの過去を思い出すことができると同時に失う。最終的には記憶を信じられないが、同時に記憶から逃れることもできない、という感覚である。

欲望について。持たざるものを望み、望まざるを持つ、もてないものを望み、望むべからざるものを持つ、望むものを知らず知っているものを望まない、という感覚。

4.緒言:このエッセイにおいて、「歴史」は西洋(大部分が近代西洋的な過去についての概念)、過去と現在との関係、歴史的知識が表現されうる使い方を参照するものとする。

あらゆる文化や社会は過去に関心をもっているが、歴史学に明確な「歴史的」取り組みを発展させてきているのは、ごく少数に過ぎない。

西洋の歴史家は、過去ならびに過去と現在との関係についての明確な歴史的研究方法は普遍的に有効であると主張するが、そのような方法・様式・考え方は、本質的に西洋人であることを証明する人間性・社会性・生産・価値・意味についての概念を前提とする。 実際、西洋的な歴史性の観念が広がっていったのは、ニュートン科学、ヒューマニズム、キリスト教、資本主義など、明確に西洋的な信念や慣習がすでに根づいていた場所だけである。 しかし、西洋における「歴史」についても、それが何で構成され、どのように研究されるべきかという点や、歴史が正当に位置づけられうるような目的に関して、一つの一枚岩的な正説があるとは考えるべきではない。

西洋の歴史科学は「科学的」であることを望むが、近代以降の西洋の歴史思考は、その発展過程におけるいかなる時も、その時代に有力だった科学の理念に達したことはない。それは、その時代全体において有力だった知的・芸術的イデオロギーに対して、歴史についての多くの異なる考えを難なく生み出してきた。

社会的、経済的、政治的危機の時代は、歴史のことなった見方をする代表者たちの間で歴史的な思考と実践の改革のためのプログラムについての議論が巻き起こった。 現在、西洋とその他の世界(西洋的な制度と実践が世界中で支配的であるため)は、非常に極端な形で社会変容を経験しているため、あらゆる場所において伝統的な制度や価値観が問いにさらされることはほとんど否定できない。 そのため、歴史思想と制度は、西洋的な知的・芸術的遺産など他の側面に投げかけられているものと同じ批判にさらされるべきだという点は、非常に納得のいくものである。

科学を目指しているはずの歴史叙述は、モダニズムの危機を予見しなかったし、その危機を超克する術についてのいかなる教示も行なっていない。

歴史思想を改定せよという現在の呼びかけが、新たな、それゆえ想像を超えた、世界システムにむけた根源的な変化と社会変容の感覚に基づいているに限りにおいて、これらは「ポストモダニスト」と名づけうるのである。


UP:20091110 REV:20091111
  立命館大学「物語と歴史研究会」訳