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特別公開企画
アフター・メタヒストリー
―ヘイドン・ホワイト教授のポストモダニズム講義―
研究報告1 
金城 美幸(立命館大学大学院先端総合学術研究科)
「《ホロコースト》をどう呼びうるか?――言語、政治、歴史的想像力――」


English Page


ホロコーストはどのように表象しうるのか。この問いについて、歴史家たちは長らく議論を戦わせてきた。ヘイドン・ホワイト教授は、1990年にカリフォルニア大学で開かれた研究会議「表象の限界を探る」において行なった報告「歴史のプロット化と真実の問題」のなかで、次の問いを立てている。すなわち、ホロコーストというような事件には、真実を語るのに絶対的な限界があるだろうか?

この問いに基づいて、ホワイト教授は、相互に関連する2種類の表象の限界にかかわる問いを論じている。第1の問いは、「ナチズムや<最終解決>といった事件について正しく語ることのできるストーリーの種類には、問題となる事件の性質からして、限界がある」かどうかという点である。ホワイト氏の見方によると、事件にそもそも内在するストーリーなどは存在せず、歴史の物語は歴史家の言述行為によって形作られるとされる。そして、ホワイト教授は「他のストーリーのプロット・タイプによって名づけられるべき意味論的領域が、あるストーリーのプロット・タイプの名前によって決定されるような意味論的領域からなる対立構造」を示唆している。[White 1992:43]

第2の問いは、出来事を「リアルに」表象するときに発生する問題についてである。ホワイト教授は、この2つの問いを論じながら、「ホロコーストのような本性において「モダニズム的」である事件を表象するのに不適切なリアリズムなるものにあまりにも依存しすぎている言述観」を問題としている。

これらのホワイト氏の議論は、「表象の限界」だけでなく、「表象の可能性」へと論を進めているように思える。この見方からすれば、ホワイト氏のリアリズム的な歴史への批判は、リアリズム的な歴史のナラティヴの形式に無限の可能性があるからこそ陥る認識論的・倫理的ジレンマを指摘するものである。そのうえでホワイト教授は、このジレンマを乗り越えるために、モダニズム的表象様式という、新たな文体を探求している。

こうしたホワイト氏の議論を踏まえた上で、本報告は、ホロコーストの表象をめぐる議論一般において、また別に構成されていると思われる二つの限界について論じる。ここで述べる限界の一つ目は、現在あるホロコーストの経験についての記述の試みが、ある政治的主張からの影響を免れないものになっていることの限界である。また二つ目は、ユダヤ人の経験としてのみホロコーストを捉えることの限界である。興味深いことに、これらの限界は、ホワイト氏の論そのもののなかに乗り越えるための手がかりがあるにもかかわらず、ホワイト氏の議論をも制限しているように私には思える。

I.「ショアー」およびリアリズムのジレンマ
ホワイト教授は、伝統的な表象様式には、ホロコーストの経験を説明したり、描写する能力すらないという、我々の深刻な感覚を指摘している。これは、リアリズム的な歴史観のもとで使われる言葉によって、出来事そのものが恣意的にプロット化されてしまうことに対する批判意識の表れである。ホワイト氏はそれゆえ、新たな文体や態の追求を行っているのであるが、その文体がどの言語によって用いられるのかという問いは、触れないでおけるほどに自明な問題なのだろうか? リアリズム的な歴史意識において知覚される不安を克服するためには、ある態の選択がどのような意味を持つのかと同様に、ホロコーストの表象における言語の選択がどのような意味をもつのかについても、検討されるべきである。

ホロコーストを表象する際に言語の選択の問題が重要であるのは、その出来事における人びとの多言語的経験のためである。強制収容所へと送られたユダヤ人の多くは、イディッシュ語や、ドイツ語、ポーランド語など、出身地や暮らしの場での言語を――多くの場合は複数――用いていた。彼らは強制収容所では多言語的空間を経験し、解放後にはもとのコミュニティの破壊に直面したのだ。こうした状況下で、生還者たちはどのような言語によってナチズムの時代の経験を語りえるのか。そしてこうした人びとの経験を、歴史家やその経験を眺めるものたちはどのように捉えうるのか。

私の見るところ、現在のホロコーストをめぐる歴史学の議論では、「ホロコースト」という言葉の代わりに、ヘブライ語の「ショアー」という言葉が、使われる場面が増えてきている。それは、とりわけクロード・ランズマンの映画『ショアー』(*1)以降、ホロコーストを生き延びた――あるいはその中で死んでいった――ユダヤ人の、極限に位置する経験に、できる限りより寄り添う言葉で表象しようという試みのもとで使用されている。しかし実際には、当時のディアスポラのユダヤ人社会において、起こっている状況をヘブライ語で捉えていたとは考えにくい。なぜなら、ヘブライ語は聖書学習や宗教的実践にのみ用いられる神聖な言語として考えられており、世俗化することは避けられてきたためである。ホワイト氏の議論に即して言えば、言表する際においても、言語を選択する際においても、多くの可能性を持つであろう出来事を、ヘブライ語で名づけることによって、その出来事に対する我々の歴史的想像力を制約してしまうことになる。

私の見方では、ナチズムの時代のユダヤ人の経験を表す「自然な」言葉として「ショアー」という語を用いるとき、あるいはユダヤ人の経験を表すための「自然な」言語としてヘブライ語を見るとき[Ezrahi 1992:260]、そこにはヘブライ語を国語として復活させたイスラエル国家という、ホロコーストの後の時代に現れた政治アクターが、我々の想像力に影響を及ぼしているという点を指摘せざるを得ない。つまり、「ショアー」としてのホロコーストの語りは、シオニズムという特定のイデオロギーが提出するホロコーストの歴史の解釈から免れることができなくなってしまう。(*2)

イスラエルにおける歴史記述を見てみると、シオニストたちのイデオロギーのなかで「ショアー」の出来事に歴史的な重要性が付与されている。厳密に言えば、イスラエルでは、元々はヘブライ語の普通名詞であった「ショアー ????」に、定冠詞が付された「ハ=ショアー ?????」という語が固有名詞として使われ、重要な意味がこめられている(英語でも、普通名詞であった「ホロコースト」に、定冠詞が付された「ザ・ホロコースト」という言葉が固有名詞として使われる)。イスラエルの歴史観のなかでは、ユダヤ人が非ユダヤ人社会に生きる限り反ユダヤ主義が存在するとされ、その頂点としてホロコーストが起こったと捉えられている(*3)。つまり、ホロコーストは今後も起こりうる出来事としてプロット化されているのだ。そのため、シオニズムのイデオロギーでは、ホロコーストを再び繰り返さないために「ユダヤ国家」が絶対に必要だとされている。(*4)

しかし、ホワイト氏の論考「歴史の解釈における政治学」に照らしてみれば、こうしたシオニストの「ハ=ショアー」のプロット化は、リアリズム的な歴史観に基づく解釈から生れるものだと言える。この論考においてホワイト氏は、出来事に内在している生きられた経験が、歴史化されるプロセスに対して警鐘を鳴らしている。その警鐘は、多様で豊かな経験を含みこむような「歴史における崇高なもの the historical sublime」が、専門化され、ディシプリン化された歴史研究のルールによって飼い馴らされることで、特定の政治権力や権威を支える言説へと作り変えられていく過程に対して鳴らされている。このプロセスでは、既存の権力に対抗する社会集団は、同様な語りの馴化/歴史化のプロセスを経て、彼ら自身の語りの版を対抗させるしかないというジレンマがあるのだ。[White 1987:78-82]だが、現状において、リアリスト的な歴史観を乗り越え、経験それ自体へと近づくために使われている「ショアー」という物語は、イスラエルの歴史観にどこまで対抗的であるのか。私には「ショアー」の物語も、政治的環境の影響を受けたことで、リアリズム的なジレンマに陥っているように思える。

では、「ショアー」としての物語のプロット化を超えて、あらたな態と使用言語の問題を探求することができれば、我々の歴史的想像力は回復できるのだろうか?それも一つの可能性として追求されてしかるべきである。しかし問題はそのような単純なものではない。我々は、第二次世界大戦後、イスラエルをユダヤ難民の主な受け皿にするという国際社会の決定のために、イスラエルでしか生活を構築できなかった人びとの存在を看過することはできない。問題は、ある言述行為において、言語の選択がどのようになされ、それが意味するものは何であるのかを丁寧に眺める必要がある。そしてそれらに対して、歴史学的なものであれ、政治的なものであれ、どのような恣意的な操作の力が働いているかどうかを踏まえたうえで、新たな表象の様式を考えることができるのではないだろうか。

II. ナチスの犯罪と非ユダヤ人の犠牲者たち
ここでもう一点、「ショアー」の語りによって制約される我々の歴史的想像力を問題としたい。それは、ナチスの手によって犠牲を強いられた非ユダヤ人たちの経験についての問いである。一般的に、また前述した会議においてもそうであるように、ホロコーストはヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅、あるいは<最終解決>という語と、置換可能なものとして扱われている。ここでのアプローチの前提となっているのは、ナチズムの犯罪行為総体ではなく、ユダヤ人問題の<最終解決>である。

確かに、完全殲滅の対象とされた集団は、ナチスが定義した人種的カテゴリーに当てはまるとされた「ユダヤ人」だけである。そして、ナチスの犯罪を生きのびたユダヤ人は、解放後、ユダヤ人自身のための語りを必要としていた。ナチ支配が終わると、解放された国々はナチが導入した人種法を撤廃し、ユダヤ人の地位を一市民に戻すことを決定していく。しかし当のユダヤ人にとってみれば、彼らが被った損害とはユダヤ人であるために被ったものに他ならなかった。非ユダヤ人たちも戦争の傷を負ったのだが、ユダヤ人にとっては、ホロコーストに直接的/非直接的に関与した非ユダヤ人の戦争での損害と、自分たち自身の損害は、等しいものではなかった。彼らが欲したのは、ユダヤ人であるがゆえに蒙った損害に対する補償なのだった[武井2008:122]。

しかし、実際にナチスの犯罪のなかで命を落とした犠牲者には、約六〇〇万人のユダヤ人だけでなく、多くの非ユダヤ人の犠牲者も含まれている。(*5)ユダヤ人に対する絶滅政策としてホロコーストが認識されるとき、そのなかで非ユダヤ人の犠牲者はどこに位置づくのであろうか。ホロコーストの犠牲者は、ユダヤ人だけであるのか、それともナチの迫害によって殺されたものはすべて犠牲者として数えるのか?

これは、ホロコーストの歴史研究のなかで、出来事の悲劇の中心に据えられるのが、もっぱらユダヤ人の経験であることに起因する問題である。ユダヤ人歴史家ピエール・ヴィダル=ナケも、ホロコーストの記憶を歴史へと変容させることの痛みを論じながら、この問題を指摘している。

  我々は(・・・)記憶が歴史へと変形されていくのを眺めている。(・・・)この記憶が消滅すること、あるいはもっと
  悪いことに、記憶が侮蔑されることに対して戦わねばならないというのは、私には自明のことのように見える。
  (・・・)しかし、我々〔ユダヤ人〕のものではあっても、万人のものではない記憶を、我々はどうすればよいの
  か。(・・・)戦争が終わったのだということや、ある意味では悲劇が世俗化されてしまったのだということを受け
  入れなければならない。たとえ、ヨーロッパが大虐殺を発見して以来ずっと、主として我々が享受してきた言説
  上の特権の喪失を伴うとしても。[Vidal-Naquet 1992:57-8]

ホワイト教授は、ヴィダル=ナケの言葉に「心揺り動かされ」ながらも、ディシプリン化された歴史に、経験を書き換えようとするものだとして、批判的に捉えている。ホワイト教授は、そうした歴史化のプロセスは常に既成の政治的権力の中心から教示されるものだと論じる。しかしヴィダル=ナケの提起は、非ユダヤ人の経験も含めて出来事を見直すことも含むものである。歴史のプロット化を乗り越えようとするホワイト氏の議論に立ち戻れば、記憶が歴史化されるプロセスと共に、ユダヤ人の経験としてのみホロコーストを捉えるような議論に対しても、批判を投げかけるべきだろう。

しかし、この挑戦を行う際には、ナチスに与さなかった社会がもつホロコーストへの直接的・非直接的関与に起因する倫理的な困難がある。(*6)こうした出来事との関わりを踏まえたうえで、我々は、極限の状況を生き延びたユダヤ人たちに、他者にも降りかかったかもしれない破壊を想像せよと、どのように要請できるだろうか。「ユダヤ人」と定義づけられたがために経験した悲劇の当事者たちに、他者の悲劇に対して想像力を働かせよと、我々はどのようにして要請できるのか。

しかし、ナチスの犯罪によって犠牲となった非ユダヤ人たちは確かに存在しているのであり、彼らの経験へと、我々の歴史的想像力を開くことが目指されるべきだろう。プロット化される前の段階において、ナチズムの犯罪の犠牲者たる非ユダヤ人の経験と、ユダヤ人の経験は、相互に排他的ではなかったはずである。ユダヤ人の犠牲を中心に据えることによって非ユダヤ人の犠牲がかすんでしまっている、現在の歴史学の議論に対して、どのように批判のくさびを打っていくのか。ホワイト氏の議論からこの問いを考えると、歴史学の主題を再設定するような議論にとどまるものではないだろう。では、「歴史における崇高なもの」を保持しつつ、いかにしてこの問題に挑戦できるのだろうか。

■ 脚注
(*1)この映画は、ナチスの犯罪を相対化する、あるいは否認する「修正主義者」に対して、その出来事の歴史的現実を、膨大な証言の力によって再構成することを試みたものである。この作品は、出来事の現実を提示しようという、監督のリアリズム的な試みによって作られたが、そこに映された証言には、証言者自身の言述行為における困難と痛みを見ることができる。

(*2)ギリシャ語から作られた「ホロコースト(「焼き尽くす」という意味)」という用語が、ナチズムの時代のユダヤ人の経験を表象する原初的な言葉と考えることができない。この用語が広く使われるようになったのは、1970年代後半のアメリカ・テレビドラマ「ザ・ホロコースト」が登場した後のことである。それまでは、国際法における犯罪カテゴリーとしての「ジェノサイド」という言葉の使用がより一般的であった。

(*3)この点に関して、英語とヘブライ語では、定冠詞が限定する意味が異なっているのではないだろうか。英語における「ザ・ホロコースト the Holocaust」は、特殊で他のどの事件とも比較不可能な出来事としての意味がこめられている。一方、ヘブライ語の「ハ=ショアー」は、ユダヤ史――少なくともシオニズム的解釈によるユダヤ史――のなかで、規模においては特殊ではあっても、その性格においては特殊な事件ではない。そのため「ハ=ショアー」は今後も起こりうる出来事と見なされているのだ。

(*4)イスラエル国家は、このように生存の危機意識を高める言説を構築しながら、「安全保障」の名のもとに軍事主義的な社会を作り出し、パレスチナ人社会を抑圧し続けている。私にとっては、それがホロコーストを生き延び、解放後にイスラエルに移住した人びとの生活を本当に保障するものなのかは甚だ疑問である。

(*5)非ユダヤ人の犠牲者には、ポーランド人、スラブ人、ロマ人、戦争捕虜となったソ連兵、身体・精神障害者、同性愛者、反戦活動家などが含まれる。この点が想起させるのは、ピーター・ノヴィックが「600万」対「1100万」論争と呼んだものである。「1100万」という数字は、ユダヤ人の犠牲者600万と非ユダヤ人市民の死者数500万を合わせたものである(この500万というはサイモン・ヴィーゼンタールセンターから借用されている)。ノヴィックはその正確さに疑問を付しつつ、「もちろん問題は数そのものではなく、「ホロコースト」を話題にするときにわれわれが何を意味しているか、何のことを言っているかである」と付け加えている。しかし彼の結論では、ユダヤ人の犠牲者のみを追悼するという考えを支持する立場が示されている。

(*6)ナチスに与さなかった社会も、より直接的にはユダヤ人からの財産収奪や収容所への移送に協力し、より間接的には起こっている事態に対して沈黙したり、自分たちの国にユダヤ人難民を受けいれることはなかった。

■ References
Ezrahi, S. D. 1992 “The Grave in the Air: Unbound Metaphors in Post-Holocaust Poetry.” In Probing the Limit of Representation: Nazism and the “Final Solution”. Pp.259-276. Cambridge and Massachusetts: Harvard University Press.

武井彩佳『ユダヤ人財産はだれのものか――ホロコーストからパレスチナ問題へ』白水社、2008年 (Takei, A. 2008. Who owns Jewish properties?: From the Holocaust to the Question of Palestine. [Japanese] Hakusuisha.)

Vidal-Naquet, P. 1992. Assassins of Memory: Essays on the Denial of the Holocaust. Translated by Jeffrey Mehlman from French. New York: Columbia University Press. =『記憶の暗殺者たち』、石田靖夫訳、人文書院、1995年

White, H. 1987. “The Politics of Historical Interpretation: Discipline and De-Sublimation.” In The Content of the Form. Pp. 58-82. Baltimore and London: The Johns Hopkins University Press.

――. 1992. “Historical Emplotment and the Problem of Truth.” In Probing the Limit of Representation: Nazism and the “Final Solution”. Pp.37-53. Cambridge and Massachusetts: Harvard University Press. =「歴史のプロット化と真実の問題」ソール・フリードランダー編、上村忠男・小沢弘明・岩崎稔訳『アウシュヴィッツの表象と限界』57-89頁、未來社、1994年


UP:20091102