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グローバル化の過程において一国民国家を越境する公共圏の諸相
──「植民地」と「都市」を軸とする比較歴史社会学的研究──


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研究計画書(抜粋)
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研究計画書(抜粋)

研究課題
グローバル化の過程において一国民国家を越境する公共圏の諸相
──「植民地」と「都市」を軸とする比較歴史社会学的研究──

研究代表者 立命館大学・国際関係学部・教授 西川 長夫
平成15年度 基盤研究B

研究目的

 21世紀に入り、金融や情報、ヒトの移動等のグローバル化の進展が叫ばれる中で、従来国民国家が担ってきたとされる公共圏が、「福祉国家」としての国民国家に収まりきらない現象として表面化すると同時に、日常生活における公私の境界も曖昧になってきている。その結果公共圏は、かつてなく拡大すると同時に、質的な転換期を迎えつつある。肥大化した公共圏を介して、個人の生活世界がグローバルな社会関係の直接的な影響を被り始めている現状に対して、多角的に検討を加える作業が、緊急の課題として待たれている。本研究は、グローバル化の中において、国民国家の枠組みを越境しつつ展開する公共圏の特質を、「植民地」と「都市」というフィールドを中心として、比較社会学的に考察することを目的とする。方法論としては、都市社会学や国際社会学におけるこれまでの議論の蓄積に立脚しながら、人種主義、国民国家、植民地主義に関する国際政治学や歴史学など周辺領域の成果も摂取する。
 本研究が「都市」と「植民地」に注目するのは、この二つの場(の関係)に、グローバル化に伴う公共圏の再編が、もっとも先鋭的かつ動態的に表れるからである。現在、都市の「第三世界」化と呼ばれる現象が進み、貧困、不安定な雇用形態、暴力的な地域支配など、「植民地」的な社会的諸特徴が、いわゆる先進諸国の「都市」のただなかに現れる、という事態が展開しつつある。本研究は、かかる事態が、(a)20世紀末に新たに現れた「ポスト・モダン」的な現象であると同時に、(b)こうした現象が、資本主義の発達に伴って生じる「都市」と「植民地」の間の移動という社会現象の中にその根源を有する、すぐれて「モダン」な諸特徴の射程内にもあると捉え、(a)と(b)の重層的な関係を探ろうとする試みである。したがって本研究の特色は次の点にある。
(A) 一国民国家の枠組みを越境する形成は、こんにち突然始まったものではなく、近代化の過程で、「植民地」と「都市」の自律的な関係の中から生まれてきたと考え、かかる展開を比較歴史社会学的に再検討する視点。
(B) 現代のグローバリゼーション下においては、この「植民地」と「都市」は、資本の展開や移民を通して現実的につながっているばかりでなく、社会構成の諸特徴という点においても、以前にも増して近似してきており、両者を連続的な位相の下に捉え返す作業に、一国民国家を越境して展開する公共圏の諸問題を解く鍵があると考える視座。
 こうした視座を展開するための具体的なトピックは、以下のようなものである。

(1) 現代のロンドン、フランクフルト、東京等のいわゆる世界都市においては、かつて「第三世界」と呼ばれていた旧植民地における社会空間の特質が、都市中心部の移民やマイノリティの集住地域にみられるようになった。こうした地域の居住者や寄留者は、不安定な雇用形態や生活状態のもとに置かれ「国民」としての権利水準を保証されない場合が多く、都市政策の側も、きわめて軍事的色彩の濃い治安管理の手法によって、そうした地域を統治の対象とみなしてきている。このように、現代の世界都市における公共圏は、従来の福祉国家としての国民国家の枠組みに基づく公共圏を超越するものであり、従来宗主国と「植民地」の関係を中心に分析されてきた植民地主義の問題が、「都市」それ自体の内部において、形を変えて現れているのである。本研究が着目するのは、かかる「都市の第三世界化」の中で、現代都市が、きびしい労働・生活状況への抵抗が直接的な社会運動や多様な文化的実践によって表現されるカウンター・カルチャーの醸成地であると同時に、「国民」と移民の間の葛藤に起因する人種主義的な運動や「極右」イデオロギーの発信地にもなってきている点である。このような、「都市」の「植民地」化というべき事態の中での公共圏の文化的・社会的特質を、具体的に分析する。

(2) また、このような現代都市が抱える公共圏の特質は、グローバル化の進展が叫ばれるようになった今日の段階で初めて現れたわけではない。すでに19世紀後半以降、欧州や日本の大都市において、都市を結節点とする公共圏は、国民国家の枠組みを超えた帝国規模での広がりを有すると同時に、個々人のミクロな生活世界に関与し始めていた。ロンドンや大阪等の工業都市においては、下層労働者、日雇い労働者、失業者、植民地からの移民等の労働問題や生活問題が、「貧民」問題として認識され、独自の都市政策が展開されていた。かかる都市政策は、「救済」や「福祉」の名の下に行われ、衣食住の援助、職業紹介、衛生政策、教育政策など多方面をカヴァーしたため、一方では現在凋落しつつある「福祉国家」の原型とみなされてきた。だが他方で、こうした都市政策は、「植民地」と「都市」との間の労働力移動に対応して、移動する人びとの治安維持と労働力としての柔軟な使用を目的とするものであり、この意味では、現代における都市の統治につながる特徴も有している。本研究は、英国の「貧民救済」思想に起源を有する都市政策が、欧州においてどのように開始され、「東洋のマンチェスター」と呼ばれた大阪においていかなる展開を経たのかについて分析するとともに、移民の生活世界がこれにどう対応したのかを検討し、近代「都市」と「植民地」を結節点とする公共圏の現代的な意義を明らかにする。

(3) 近代の端緒から「植民地都市」として形成された地域の生活世界についても、アフリカとくにケニアを事例に検討する。ケニアにおいては、英国による植民統治下においてナイロビの周辺部に出稼ぎ民の集住地域が成立していった。「伝統社会」の出身者である出稼ぎ民たちは、大英帝国が近代的統治を行うべく強制してくる「植民地都市」の公共性の論理を換骨奪胎しつつ、自分たちの文化を再定義し、出身地と「都市」を結節点とする自律した生活世界を形成して、生き延びてきた。こうした柔軟な公共圏の構造は、ケニアが国民国家として政治的独立を果たした後も、基本的には維持されてきている。

(4) そもそも、フランスをはじめとする植民地帝国においては、宗主国の「都市」に産まれた「市民社会」の公共圏は、「植民地」におけるそれと、表裏一体のものとしてつながっていた。フランスを宗主国とするアフリカ植民地においては、フランス革命の標語である「自由」「平等」といった、「市民社会」における公共性の理念それ自体が、黒人奴隷の解放に寄与すると同時に、「野蛮」の「文明化」「解放」「救済」などの言説の下で、フランスからの移民を頂点とする植民地統治のヒエラルキーの構成原理にもなったのであった。また、同じくドイツとの間で領有権がたびたび移動したアルザス地域は、植民地帝国同士の公共圏の正統性をめぐる争いの、賭金でもあった。アルザス地域とアフリカのフランス植民地の間には、現実にたいへん結びつきが強かった。本研究がとくに着目するのは、フランス植民地下のアルジェリアへの移民に、アルザス出身者の割合が高かった点である。「内国植民地」と「海外植民地」との間のヒトの移動に注目することは、帝国の公共圏がもっとも重層化する場を分析することにほかならない。また、コルシカ島をめぐる政治的メディア空間の検討を通して、フランス「市民社会」から「内国植民地」としてすら認識されてこなかった諸地域をめぐる、公共圏の諸問題を考察する。

(5) 20世紀前半まで非欧米世界で唯一の植民地帝国となった日本においても、「文明(化)」「救済」「解放」などは、「都市」文化にとってだけでなく、「植民地」統治にとっても、きわめて重要な原理であった。「文明(化)」をはじめ、日本における公共性の原理は、フランス革命にはじまる近代西欧社会の公共性の原理がどのように翻案されたものなのか。この問いは多くの場合、「植民地」を喪失した戦後の国民国家・日本を起点として、遡及的に分析されがちであったと言える。しかしかかる公共性の現代的意味は、戦前の帝国日本規模で形成されてきた公共圏の特質を視野に入れながら、再検討されなくてはならない。本研究がとくに注目するのは、帝国日本にとっての「内国植民地」である沖縄が、戦間期における困窮化とそれに伴う「都市」とりわけ大阪への大量移住や、戦後における「祖国復帰運動」などを経験するプロセスにおいて、「文明」「救済」「解放」といった語りが、 沖縄住民・出身者の生活世界や運動現場にとっていかなる意味をもったのか、という問題である。

研究計画・方法

平成15年度

@まず、現有設備と研究計画との関係について。
  これまで立命館大学では、
(1)研究代表者が前所長を務めた国際言語文化研究所における活動を通じ、比較文学、比較言語学、比較文化論、国際関係論の見地から、他言語・多文化主義や植民地主義に関連する基本文献の収集を、一定進めてきた。
(2)また、政策科学部や産業社会学部を中心として、都市社会学や労働社会学、社会政策史に関連する実証的諸研究や資料が、ある程度揃えられてきた。
  しかし、(1)と(2)の作業は、残念ながら相互にほとんど協力関係なく進められてきたと言っていい。(1)の植民地主義や多文化主義に関しては、より地域の生活世界に密着した実証科学たる社会学の見地から、先行研究が体系的に吟味されたことは、あまりなかった。(2)の都市研究や社会政策に関しては、それらの植民地主義的側面が意識されにくく、研究の射程があくまで一国民国家内部にとどまっていた。都市研究については、「外国人」や移民が関心の焦点となることはあっても、そうした関心が、移民の送りだし元あるいは送りだし先である植民地の具体的状況との関係において吟味されることは、めったになかった。社会政策についても、一都市を起点として帝国規模の広がりをもった政策が展開してきたことには、あまり注意が払われてこなかった。
  したがって、平成15年度の作業は、
(a)英国(重森)、フランス(西川)、ドイツ(高橋)、日本(西川・立岩・酒井・マコーマック→本欄末尾の「研究協力者」(1)を参照)など、旧植民地帝国を対象とする研究者。
(b)アルザス(中本)、コルシカ(長谷川)、沖縄(石原→本欄末尾の「研究協力者」(2)を参照)といった、旧植民地帝国にとっての「内国植民地」をフィールドとする研究者。
(c)英国植民地アフリカ(松田)、フランス植民地アフリカおよび東南アジア(平野・長谷川)など、旧植民地帝国に統治された「第三世界」をフィールドとする研究者。
以上(a)?(c)が、相互に専門的知識を突き合わせることによって、上記(1)(2)それぞれの不足を補い、視点の多角化をはかる同時に、関連文献と資料のデータベース化を行うことが、中心的な作業となる。

A次に、研究協力者と研究分担者の関係について。
 さしあたって次の2つのグループに分け、グループ別に研究協力者や外部の研究者を加えた公開研究会を重ね、討議を通して研究内容の深化をはかる。 また、半年に1度ほど「全体会議」を開催し、両グループの研究成果を突き合わせて連携を深める。
(グループA) 近代の英国、フランス、日本などの大都市における、公共空間をめぐる言説と政策を、比較歴史社会学的に検討する。すなわち、「市民社会」の原理の準拠点である植民地帝国中枢において、都市の統治がどのように展開したのかを、地域毎に記述する作業である。第一に、都市の「貧民」政策に関わる言説の社会理論的・思想史的背景を、都市毎に比較検討する。第二に、かかる言説が、じっさいの政策としてどのように展開したのかを、都市毎に比較検討する。第三に、以上の言説や政策が、「(内国)植民地」からの移民をターゲットとした労務管理や治安維持作用として、帝国レヴェルで展開していくプロセスを検討する。
(グループB) 近代の英国、フランス、日本などの植民地統治において、公共空間をめぐる言説がどのように産み出され、社会政策としてどのように展開したのかを、比較歴史社会学的に検討する。「文明(化)」「解放」「救済」など、「宗主国」の都市を準拠点として産み出された「市民社会」の思想や言説は、「(内国)」植民地への眼差しに転じる際、どのような様相をみせるのか。また、じっさいの植民地統治の場面において、どのような効果をもたらしたのか。こうしたプロセスを、地域毎に分析し記述していく。

平成16年度
@まず、主要設備との関連について。
前年度データベース化した文献の収集と資料の収集・分析が、中心的な作業になる。
A次に、研究協力者と研究分担者の関係について。
前年度に引き続き、グループ別に研究協力者や外部の研究者を加えた公開研究会を重ねるとともに、「全体会議」の頻度を3?4ヶ月に1度に上げる。
(グループA) 前年度の議論を受け継ぎ、英国、フランス、日本など植民地帝国の大都市における、社会政策の展開と生活世界の側の対応を、比較社会学的に検討する。「救済」や「福祉」の名の下に展開する都市の統治が、「貧民」とされた移民らの生活世界との間にどのような緊張関係をもって展開したのかを、事例毎に記述していく。これには、各都市をフィールドとする社会史や経済史の成果を再検討する作業が、不可欠である。
(グループB) 前年度の議論を踏まえつつ、英国、フランス、日本などの植民地統治において産み出された、公共空間をめぐる言説や政策に対して、「(内国)植民地」の生活世界がどのように対応したのかを、地域別に記述していく。ここで特に留意するのは、「宗主国」において産み出された「文明(化)」「解放」「救済」等の「市民社会」の原理は、単なるイデオロギーとして広がったばかりでなく、 「植民地」住民に対する労働力動員など、生活世界の具体的場面において機能した点である。こうした作業には、旧「植民地」をフィールドとする地域研究との連携も必要となる。

平成17年度

 前年度までグループ毎に行ってきた作業を基礎として、その現代的・総括的意義を探ることが中心になる。2〜3ヶ月に1度の「全体会儀」を中心に運営し、うち何度かは、公開シンポジウム形式で開催する予定である。「全体会儀」では、次のようなテーマで議論を行う予定である。
(1)近代的な「貧民救済」政策と「都市」の生活世界との関係をテーマとした、前年度までの議論を発展させ、こんにち進行する「福祉国家」の凋落傾向といわゆる世界都市のリストラクチュアリングの中で、「救済」や「福祉」がもつ意味の再定義を試みる。1980年代以降、旧植民地帝国の遺産である移民や出稼ぎ民の生活世界は、資本による雇用の不安定化と貧窮化にさらされると同時に、行政からは治安維持にとっての端的な「障害」とみなされ始めている。その結果、「救済」や「福祉」の対象となる人びととそこから排除される人びとの分断が進み、移民や出稼ぎ民にとっての生活世界は、かつてにもまして「植民地」的に扱われ始めている。以上の状況を踏まえて、現代のグローバリゼーション下における「都市の第三世界化」の意味を検証する。
(2)前年度までの「植民地」における公共空間の比較歴史社会学的検討を踏まえた上で、こんにちのグローバリゼーション下において、アフリカなどの旧「植民地」社会において、「市民社会」の公共性の規範たる「 文明(化)」「解放」「救済」といった原理がどのように機能しているのかを、再検討に付す。1980年代以降の構造調整路線の進行と1990年代以降の冷戦体制の瓦解によって、アフリカをはじめとする「第三世界」諸地域は、米国を頂点とする世界秩序の下で、政治的・経済的「安全保障」の観点から、 IMFによる金融政策や国連・米国が主導する軍事政策等のグローバルな介入を受けるようになった。このグローバルなレヴェルでの介入は、かつての植民地帝国レヴェルでの社会政策とは、質的に異なっている。すなわち、かつて「文明(化)」 「解放」「救済」の名の下で、曲がりなりにも帝国による包摂の対象となってきた、旧「植民地」の生活世界は、いまや世界秩序によって「解放」「救済」の対象とされる「文明」の側と、世界秩序から排除される「野蛮」の側とに、ふたたび分断され始めているからである。かかる状況を踏まえ、旧「植民地」の生活世界の側から、グローバルな公共空間の現代的意味を問い直していく。

 以上のような研究計画を遂行するためには、最新の研究成果や資料収集を行う際に、研究代表者および研究分担者がそれぞれのフィールドや研究領域に関わる過程で蓄積してきた人脈を活かして、海外を含むさまざまな地域から最先端の研究者を招き、議論を深めたり協力を仰いだりする作業が不可欠である。また、文献のデータベース化等の作業には院生や学生の協力が必要になってくる。したがって、「専門的知識の提供」や「研究補助」に対する「謝金」を計上した他、「国内旅費」に加えて「海外旅費」も計上している。

 
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◆2003/07/11金 第1回研究会
 高橋秀寿「ヒロシマと戦後国民国家──平和記念公園の比較研究」
 16時30分〜 立命館大学衣笠キャンパス・創思館
◆2003/11/21金 第2回研究会
 ノア・マコーマック「都市の近代化と分断──明治期の下層社会の場合」
 16時30分〜 立命館大学衣笠キャンパス・創思館4階 共同研究会室403
◆2003/12/19金 第3回研究会
 石原俊「ジョン万次郎における法と身体」
 16時30分〜 立命館大学衣笠キャンパス・創思館・共同研究会室403
◆2003/12/26金 第4回研究会
 吉見俊哉「戦後・空間」
 14時〜 プロジェクト研究会室303・304
◆2004/01/31土 第5回研究会
 平野千果子(武蔵大学)「フランス植民地史研究の最近の動向について」
◆2004/04/14金 第6回研究会


UP:20031216 REV:20060929,1002 http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/p1/2003n.htm
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