| 著書、学術論文等の名称 |
単著、共著の別 |
発行又は発表の年月 |
発行所、発表雑誌等又は発表学会等の名称 |
概 要 |
| (著書) |
| 1.個体化する欲望 |
単著 |
昭和55年12月 |
朝日出版社 |
ポーランド出身の亡命作家W・ゴンブローヴィチの小説『トランス・アトランティック』を素材にして、ポーランド系南米移民集団という群れと、その群れの周縁に位置する個人とのあいだの欲望の連鎖を分析し、それが引いてはナショナリズム批判の手段として有効化する局面に光をあてた。(総頁126頁) |
| 2.マゾヒズムと警察 |
単著 |
昭和63年10月 |
筑摩書房 |
オーストリアの作家ザッヘル=マゾッホ再評価の可能性を、性風俗と政治風土の重ね書きというその手法の中に見出し、マゾヒズム研究を精神医学の領域から政治学の領域へとおしひろげようとした論文を中心に、カフカやゴンブローヴィチやシュルツなどの東ヨーロッパ作家についてのエッセイを添えた著書。(総頁191頁) |
| 3.現代哲学の冒険K行為と美 |
共著 |
平成2年10月 |
岩波書店 |
狭義の美学・芸術学を超えて、いま「美」について考えようというときに、具体的な「生」や「行動」といかにして「美」を結びつけうるかを問うた論文集の中で、作家カフカと食べることの関係を解きほぐしながら、「断食」が「芸」となり「商品」となる過程、あるいが「断食」が「研究」となり「学問的成果」となる過程などを論じた。 |
| シリーズ編集委員:市川浩、加藤尚武、坂部恵、坂本賢三、村上陽一郎 |
| 分担執筆者:土屋賢二、高橋裕子、松枝到、西成彦、高橋達史、小田部胤久、丸山高司 |
| 本人担当部分:「断食芸人論」(pp.211〜251) |
| 4.漱石作品論集成Iこころ |
共著 |
平成13年4月 |
桜楓社 |
漱石の主要作品を論じた代表的な論文を集めたリーダー的な論集で、日本比較文学会の学会誌『比較文学』28号(昭和60年)に掲載された論文の再録。漱石の『こころ』を鴎外の『興津弥五右衛門の遺書』や『阿部一族』と並べて、乃木希典の自殺(「殉死」)を受けた大正初期の文学的達成として比較対照した論文。 |
| 編者:玉井敬之、藤井淑禎 |
| 分担収録者:安部能成、小宮豊隆、松岡譲、滝沢克己、猪野謙二、三浦泰生、畑有三、稲垣達郎、越智道雄、丸谷才一、小泉浩一郎、西垣勤、荒正人、野崎守英、佐藤泰正、大岡昇平、山崎正和、由良君美、重松泰雄、江藤淳、清水孝純、松元寛、三好行雄、石原千秋、小森陽一、西成彦、三好行雄 |
| 収録論文名:「鴎外と漱石―乃木希典の「殉死」をめぐる二つの文学」(pp.329〜336) |
| 5.ラフカディオ・ハーンの耳 |
単著 |
平成5年2月 |
岩波書店 |
日本滞在期のラフカディオ・ハーンの仕事を、文字教養の欠如と聴覚理解の重視という側面から捉え直し、松江での被差別芸能民との出会いや熊本でのハンセン病患者との遭遇など、伝記的な事実との連関の中で「耳なし芳一」の解釈をおこなった。明治期日本における近代化と衛生学の優位を陰画的に浮き彫りにしたハーンの文明批評家的な側面に触れたという意味で、従来にはなかったハーン像の構築作業でもあった。これまで重視されてこなかったハーンの熊本時代に光をあてた功績によって、熊日文学賞を受賞(平成6年)。(総頁205頁) |
| 6.モダニズム研究 |
共著 |
平成6年3月 |
思潮社 |
科学研究費補助金に基づく研究会活動の成果として出版された書籍で、西欧に始まったモダニズムの運動が周辺地域にどう波及していったを負った領域横断的な文化研究の試み。西はポーランドのモダニズムを担当し、ポーランドからアルゼンチンに移り住み、両地域のモダニズムを横断した越境者としてW・ゴンブローヴィチをとらえた。 |
| 編者:モダニズム研究会(代表:濱田明) |
| 分担執筆者:濱田明、大石紀一郎、井上明彦、稲賀繁美、大平具彦、小畑精和、三好郁郎、米川良夫、和田忠彦、河中正彦、田中純、吉本健一、濱田明、亀山郁夫、西中村浩、西成彦、長谷見一雄、石川達夫、奥野路介、江田孝臣、加藤光也、三宅昭良、村田宏、木村栄一、安藤哲行、澤正宏、エリス俊子 |
| 本人が担当部分:【東欧諸国(ポーランド・チェコ)】の中の「越境するダダイストWitoldGom browicz 1904-1969」(pp.329〜344) |
| 7.世界の中のラフカディオ・ハーン |
共著 |
平成6年2月 |
河出書房新社 |
1990年に来日百周年が松江で祝われたのを契機に執筆された最新のハーン研究の中から代表的なものを集めた論文集。東大比較文学会の機関紙『比較文学研究』60号(平成3年)に発表した論文が再録された。ハーンの生涯の中で、かならずしも文字教養に恵まれていたわけではない「語る女」が果たした役割を合衆国時代から晩年まで通時的に追いかけた論文。 |
| 編者:平川祐弘 |
| 分担執筆者:平川祐弘 |
| 再録論文名:「語る女の系譜」(pp.161〜199) |
| 8.イディッシュ:移動文学論 |
単著 |
平成7年7月 |
作品社 |
東ヨーロッパのユダヤ人が母語としたイディッシュ語は、その後の反ユダヤ主義的なヨーロッパの政治風土から逃れるようにして、世界各地に分布を広げた。そうしたイディッシュ文学の地域的な広がりを、さらにはユダヤ系同化作家たちの台頭現象とともに記述し、一個の見取図を完成させた。日本では未開拓であったこの領域においては先駆的な仕事であった。この功績によって木村彰一章受賞(平成7年)。(総頁350頁) |
| 9.熊本の文学 第三 |
共著 |
平成8年3月 |
審美社 |
熊本に縁のある作家たちを取り上げて、その研究の最前線を抑えた論文集で、夏目漱石や徳富蘆花などと並べてラフカディオ・ハーンもまた取り上げられた。収録論文では熊本時代の代表作である「夏の日の夢」を取り上げ、浦島太郎の伝説を再話する中でハーンが何を考え、それが当時の熊本の風土とどう関わっていたかを論証した。 |
| 編者:熊本近代文学研究会(代表:首藤基澄) |
| 分担執筆者:今村潤子、宮内俊介、古閑章、永田満徳、藤本誠、古江研也、岩本晃代、首藤基澄、村田秀明、三木サニア、_田康己、久保田義夫、谷口絹枝、中村青史、松岡純子、西成彦 |
| 本人担当部分:「ラフカディオ・ハーンと浦島」(pp.285〜305) |
| 10.ファシズムの想像力 |
共著 |
平成9年3月 |
人文書院 |
平成4年、平成5年度科学研究費補助金に基づいた研究「20世紀におけるファシズムの諸相と文化・社会の総合的比較研究」の成果として編まれた論文集の中で、ナチズムの被害者でもあり傍観者でもあったポーランド人のファシズム体験が文学作品の中でどう記述されていったかを分析し、ファシズムに関与するということの意味の再定義を試みた。 |
| 編者:小岸明、池田浩士、鵜飼哲、和田忠彦 |
| 分担執筆者:小岸明、池田浩士、中塚次郎、三宅昭良、高田里恵子、冨山一郎、鵜飼哲、崎山政毅、亀山郁夫、細見和之、松下たえ子、西成彦、小岸昭、平井玄、岩崎稔、和田忠彦、伊藤公夫、伊田久美子、深澤英隆、上野成利、徳永恂 |
| 本人担当部分:「証言から妄想へ:戦後ポーランド文学試論」(pp.268〜290) |
| 11.森のゲリラ 宮沢賢治 |
単著 |
平成9年2月 |
岩波書店 |
平成4年以降の5年間に書いた宮沢賢治論を集めたものだが、宮沢賢治の童話を「植民地文学」として読むという試みで、「外地の日本文学」や「非日本人の日本文学」に対する同時代的な関心の高まりの中で宮沢賢治をも同じ範疇の中にとらえるという新機軸を打ち出した。これは宮沢賢治を「日本文学」という枠の中ではなく「世界文学」として読むことの可能性をも切り拓くものであった。宮沢賢治学会からは宮沢賢治賞奨励賞、日本比較文学会からは日本比較文学会賞を受賞。(総頁190頁) |
| 12.世紀転換期の国際秩序と国民文化の形成 |
共著 |
平成11年2月 |
柏書房 |
立命館大学国際言語文化研究所のプロジェクト研究「十九世紀末から今世紀初頭にかけての国際秩序の形成と国民文化の変容」の研究蓄積を母体として編まれた論文集であるが、そこで、まさに世紀転換期にジャーナリストとして作家として日本研究者として生きたハーンが日本の世紀末と欧米の世紀末とを二重に生きなければならなかった事情を考えながら、その立脚点の移動を分析した。 |
| 編者:西川長夫、渡辺公三 |
| 分担執筆者:西川長夫、岩井忠熊、長志珠絵、桂島宣弘、小路田泰直、高木博志、福井純子、西川祐子、西成彦、中川成美、小熊英二、安田敏朗、全且煥、姜海守、川村朋貴、中谷猛、中本真生子、長谷川秀樹、平野千果子、渡辺公三 |
| 本人担当部分:「ラフカディオ・ハーンの世紀末」(pp.147〜157) |
| 13.続・ラフカディオ・ハーン再考 |
共著 |
平成11年6月 |
恒文堂 |
ラフカディオ・ハーンの作品の中から熊本に縁の深い作品を中心に分担執筆した論文集。東大比較文学会の機関紙『比較文学研究』61号(1992年)に発表した論文が再録された。熊本時代のハーンが頻繁に書簡の中で言及したドイツ語作家ザッヘル=マゾッホとの比較の中でエキゾティズムの作家ハーンを「方言文学」作家として読み直した論文。 |
| 編者:熊本小泉八雲研究会 |
| 分担執筆者:平川祐弘、西成彦、中村青史、西川盛雄、アラン・ローゼン、藤原万巳、福澤清、里見繁美 |
| 収録論文名:「ハーンとマゾッホ」(pp.143〜170) |
| 14.クレオール事始 |
単著 |
平成11年8月 |
|
ラフカディオ・ハーンがフランス領植民地マルチニーク島でおこなった文化観察を、この百年間の植民地研究や植民地文学の達成を踏まえながら再評価し、カリブ海域の文学や文化研究の先駆者としてのハーン像を浮彫りにした。日本において来日前のハーン研究は活発だが、マルチニーク時代を扱う研究は少なかった。逆に、ここ数年はその遅れを取り戻そうとするかのようにマルチニーク時代のハーン研究は進歩した。その意味でも本書は先駆的な役割を果たした。他に、ナショナル・アイデンティティーを越えるアイデンティティー政治の新しい形を模索する上での「クレオール」概念の有効性も併せて問った。(総頁208頁) |
| 15.20世紀をいかに越えるか |
共著 |
平成12年6月 |
平凡社 |
立命館大学国際言語文化研究所の開設十周年を契機に開催された国際シンポジウム「二十一世紀的世界と多言語・多文化主義――周辺からの遠近法」のコーディネーター及びパネラー、コメンテーターを中心にして編んだ論文集で、「クレオール」「ポストコロニアル・フェミニズム」「サバルタン」を三本の柱として開催されたシンポジウムで「クレオール」のコーディネーターを務めた立場から、「クレオールに読むことの可能性」を論じるために、森鴎外の中期作品「鼠坂」を取り上げ、「ハイブリディティー」をめぐる最新の議論と「レイプ」という「ポストコロニアル・フェミニズム」が避けては通ることのできない性現象をめぐる議論とを接合する可能性を追求した。 |
| 編者:西川長夫、姜尚中、西成彦 |
| 分担執筆者:西川長夫、姜尚中、玄武岩、米山裕、崎山政毅、今福龍太、西成彦、中川成美、細見和之、岡真理、ギアン・プラカーシュ、池内靖子、レベッカ・ジェニスン、三浦信孝 |
| 本人分担部分:「鼠坂殺人事件」(pp.220〜242) |
| 16.宗教を問うC宗教と政治 |
共著 |
平成12年8月 |
岩波書店 |
地下鉄サリン事件やイスラム原理主義運動の過激化に伴い、現代において宗教を問うことの不可欠性を宗教学者以外もまた認識しなければならないという時代認識の下で編集された論文集で、近代が宗教の偏った政治化を産み出していった過程を考えるために、森鴎外の小説「山椒大夫」を取り上げ、それが下敷きにした江戸時代の説経本との比較を通じて、宗教と政治がいかに近代的な共犯関係を論じた。 |
| 編者:坂口ふみ、小林康夫、西谷修、中沢新一 |
| 分担執筆者:西谷修、港千尋、松枝到、西成彦、平野嘉彦、天沢退二郎 |
| 本人分担部分:「『山椒大夫』における政治/あるいは宗教離れ」(pp.113〜136) |
| 17.マイノリティーは創造する |
共著 |
平成13年1月 |
せりか書房 |
平成10年に立教大学の全学共通カリキュラムとして開講された連続講義「文化創造とマイノリティー」の講義内容を軸にして編まれた論文集で、ユダヤ人の文化創造を担当した立場から、イディッシュ文学の作品創造が複数言語使用の現実をどう一言語使用の作品世界の中に圧縮して語るかを具体的にはイツィク・マンゲルの作品を題材にしながら論じた。 |
| 編者:宇野邦一、野谷文昭 |
| 分担執筆者:鵜飼哲、西谷修、宇野邦一、前田英樹、西成彦、野谷文昭、一ノ瀬和夫、ホン・キウィ、四方田犬彦、阿部珠理、小岸昭 |
| 本人分担部分:「ハエの羽音のような言語:イディッシュ文学のアバンギャルドな実験」(pp.97〜109) |
| 18.越境する知E知の植民地:越境する |
共著 |
平成13年3月 |
東京大学出版会 |
従来の専攻領域を超えて「知の越境」を試みる東京大学を中心とする取り組みに協力する形で編集された6巻本の企画の中で植民地主義の問い直しを主題とした巻の中で、森鴎外の「舞姫」を取り上げ、この日本近代文学の古典を世界文学として読む可能性を多面的に問った。森鴎外とジョーゼフ・コンラッドの二人が一八八○年代の南シナ海ですれ違った可能性を考えながら、文学の世界同時性に目を向けることの重要性を論じた。 |
| 編者:栗原彬、小森陽一、佐藤学、吉見俊哉 |
| 分担執筆者:酒井直樹、川村湊、村井紀、川村邦光、姜尚中、タイモン・スクリーチ、テッサ・モーリス-鈴木、西成彦、古谷嘉章、岡真理 |
| 本人分担部分:「性欲と石炭と植民地都市:『舞姫』再考」(pp.219〜237) |
| 19.アメリカ文学とニューオーリンズ |
共著 |
平成13年10月 |
鷹書房弓プレス |
平成12年12月に開かれた日本アメリカ文学会関西支部年次大会でのフォーラム「アメリカ文学におけるニューオーリンズ」を基にして編まれた論文集で、「第二章 ラフカディオ・ハーン」を担当し、ニューオーリンズからミシシッピ河口のデルタ地域へ、さらにはフランス領マルチニーク、そして日本と「後退」を続けたハーンの人生の一通過点としてのニューオーリンズを振り返った。 |
| 編者:風呂本惇子 |
| 分担執筆者:岡地尚弘、貴志雅之、阪口瑞穂、杉山直人、西成彦、藤田佳子、風呂本惇子、丸山美千代、森岡裕一、山田裕康 |
| 本人分担部分:「第二章:ラフカディオ・ハーン」(pp.54〜74) |
| 20.シリーズ言語態E間文化の言語態 |
共著 |
平成14年1月 |
東京大学出版会 |
東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻の「言語態の研究」グループを核にして編まれた論文集で、多言語状況の中で産み出される文化に光を当てた「間文化の言語態」と題された巻において、ユダヤ文学の中で多言語状況がいかにして一言語使用の文学の中で表象されるのかを、イツホク・バシェヴィスの作品を中心に分析し、最後にアルベール・カミュのフランス語小説の中に同種の現象が垣間見られることを指摘した。 |
| 編者:池田信雄、西中村浩 |
| 分担執筆者:池田信雄、西中村浩、小森陽一、内藤千珠子、ペーター・ジャコムッツィ、中澤英雄、足立節子、野崎歓、木村哲也、斎藤兆史、大久保譲、西成彦、川村湊、今福龍太 |
| 本人分担部分:「ユダヤ文学の語りの戦略:方法としてのイディッシュ」(pp.237〜255) |
| 21.モダニズムの越境 |
共著 |
平成14年2月 |
人文書院 |
平成10年〜平成12年度科学研究費補助金の下での研究「総合研究:二〇世紀アヴァンギャルド諸潮流と表象文化の現在―モダンから越境へ」の研究成果として編まれた論文集で、表象の限界を問う「表象からの越境」と題された第3巻において、ナチ占領下の特にユダヤ系詩人の言語表現に焦点を当て、ポーランド語やイディッシュ語で表現した詩人たちの中にアマチュア詩人の存在を数え入れなければならない必然性を通して二〇世紀モダニズムの制度性に風穴をあけることを試みた。 |
| 編者:モダニズム研究会 |
| 分担執筆者:〔第一分冊「越境する想像力」〕大平具彦、濱田明、長畑明利、奴田原睦明、稲賀繁美、エリス俊子、村田靖子、江田孝臣、小畑精和、三宅昭良、加藤光也、(解題)西成彦、三宅昭良、〔第二分冊「権力/記憶」石川達夫、安藤哲行、鈴木将久、村田宏、坂田幸子、亀山郁夫、米川良夫、三宅昭良、田中純、西中村浩、大石紀一郎、和田忠彦、(解題)和田忠彦、〔第三分冊「表象からの越境」〕大平具彦、木村栄一、鈴木雅雄、西成彦、長畑明利、五十殿利治、井上明彦、野坂政司、高橋世織、(解題)三宅昭良 |
| 本人分担部分:「フルブンと「死刑囚」の詩的言語使用」(第三分冊, pp.75〜100) |
| (学術論文) |
| 1.1930年代文学論序説:<春>と<黒人>をめぐるプロブレマティカ |
単著 |
昭和61年6月 |
『西スラヴ学論集』創刊号 |
ポーランドの両大戦間期文学を見るときに同時代の政治風土との関連を見なければならないが、この時期のアヴァンギャルド文学の中では「春」や「黒人」といった非政治的に見える表象が過度の政治性を帯びていた。そういったことを概観した後に、1930年代のポーランド文学を代表したゴンブローヴィチとシュルツの二人を論じ、その類似性と対照性を分析した論文。(pp.117〜133) |
| 2.語る女・書く女:<クレオール小説>論に向けて |
単著 |
平成10年7月 |
『比較文学研究』72号 |
シャーロットとエミリーのブロンテ姉妹を比較対照しながら、「語る女」と「書く女」の分節と接合、隣接と分離に注目し、書き言葉となることを拒む傾向の強い「クレオール言語」の問題をそこから考察した。シャーロットの『ジェイン・エア』は昨今ポストコロニアル批評の対象となることが多いが、エミリーの『嵐ケ丘』についてはそれがない。この意味で先駆的な研究である。(pp.23〜39) |
| 3.「山男の四月」をどう評価するか |
単著 |
平成10年12月 |
『比較文学』別巻(韓国比較文学会) |
1997年にソウルで開催された「東アジア比較文学学術大会」での研究発表を基にした論文で、植民地文学として宮沢賢治を読むとき、日本軍政の強い影響下にあった中国や朝鮮の読者がそれをどう読んだかという問題を避けて通ることはできない。ここでは宮沢賢治の植民地主義的な他者表象をいまどう評価すべきかというポストコロニアル的な問いを韓国や中国の研究者につきつけたことになる。(pp.147〜157) |
| 4.エレン・ディーンの亡霊 |
単著 |
平成11年3月 |
『思想』796号 |
上記学術論文2の続編であるが、『嵐ケ丘』を「クレオール小説」として読む可能性をより深く追求するために作中の家政婦ネリーに注目し、フランス語圏アンチルの現代作家マリーズ・コンデの小説『移り住む心』における『嵐ケ丘』の再話がどのような意味を持っているかについてまで論を進めた。「語る女」に対するラフカディオ・ハーンの執着とも絡めて、無教養ではあるが独自の語り口を持つサバルタン的な女性の復権可能性を探る論文でもある。(pp.4〜20) |