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2009年度研究会報告

第1回(2009.6.4)

テーマ “ Phenomenological Responses to the Philosophy of Life”
報告者 ハヨ・クロンバッハ(Hayo Krombach)教授
報告の要旨
 

ハヨ・クロンバッハ氏の講演会は「生の現象学」に関して、現象学の哲学史的位置を解明しようとするものであった。

 

クロンバッハ氏は、まずドイツ観念論以降の哲学の時代を絶対者についての形而上学的観念が成立しなくなった時代と規定し、そこに東洋の禅仏教との対話の可能性が開かれていることを指摘した。そこからショーペンハウアーにおける「意志」と「涅槃への意志」をとりあげ、表象の世界を越えて、感情の主体としての身体が語られる過程を論じられた。欲望と必要性に駆り立てられた意志は、決して満足に至ることがなく、生そのものが苦となってしまう。ライプニッツの最善世界とは異なり、世界が苦に満ちているという認識を、クロンバッハ氏は原子爆弾投下後の人間世界のあり方と重ねて論じられた。

 

つづいて、ニーチェの「生の哲学」は、世界を喜劇、演劇と考えるものであり、そこにはもはやデカルト的主体というものはなく、その意味ではニーチェの「生への意志」は、自我的な意志の否定でもあることを指摘された。またそれにつづいてディルタイの哲学では、生が還元不可能なもあのとして語られ、ここでも主観性における感情が重要な意味を持つ。人間を感情や欲望の複雑な統一としてとらえることが必要となり、それは客観的な認知科学によってでも、形而上学によってでもなく、われわれの経験を了解する方法としての記述的心理学やあるいは文献を通じての解釈学が重要なものとなる。ディルタイの「世界観」の概念は歴史的現実を文化的文脈において理解することを可能にするものである。

 

ディルタイの影響を受けてハイデガーが実存の事実性の解釈学を展開し、実存の有限性の構造として不安と配慮を解釈学的に取り出した。もちろん、歴史への解釈学的な依拠がたとえばシュペングラーなどとならんでナチスに近づくこととなったことも否定できない。

 

フッサールも晩年の『危機』書では生活世界の概念を展開し、作動する志向性の概念とともに「生の流れ」を論じた。こうしたフッサールの現象学は、ナラティブな方向性を持った自己経験の記述の哲学となり、合理性の文化的変容を可能とするものとなった。間文化的な現象学は、そのナラティヴな言語のあり方と、多元的な文化的認知とともに、「生の現象学」を限界づけるものとなるだろう、とクロンバッハ氏は講演を締めくくられた。  

たいへん豊富な内容を含む講演であり、終了後も多くの質問が出され、充実した講演会であった。

加國 尚志

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