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2008年度研究会報告

第5回(2009.3.6)【春季集中研究会】

テーマ 「1950年代の歴史学および歴史学界」
報告者 岩井 忠熊(名誉教授)
報告の要旨
テーマ 「現代史教育と国策紙芝居」
報告者 鈴木 常勝(文学部非常勤講師)
報告の要旨

担当する大学での一般教育科目「アジア現代史―日中戦争」において収集した日本人大学生、中国人・韓国人留学生の戦争論議を資料として、現代の若者の戦争認識、戦争体験継承について論じた。大学生や若者世代に「等身大の現代史認識」「身近な戦争談義」を生むために、学会や研究室での歴史研究を歴史教育にいかにつなげていくか、大学での一般教育や社会人講座での歴史教育にどんな資料や論議を提起するのがよいかの実例を示した。この論点は5月刊行予定の小著『戦争の時代ですよ-若者と見る国策紙芝居』(大修館書店)を参照されたい。

鈴木 常勝

テーマ 「内務官僚」としての南原繁―射水郡立農業公民学校設立を中心に―」
報告者 西田 彰一(日本史4回生)
報告の要旨

南原繁は戦後の初代東大総長として、また教育改革の旗手として、独自の思想から日本を平和国家として再建させることに尽力した人物として知られているが、南原が若き日に内務官僚として活躍していたことは意外に知られていない。今回の発表は、その内務官僚時代の事跡と当時の思想について考察したものである。まず内務官僚としての南原の思想について述べたい。官僚としての南原の思想的特徴としては、儒教の経国済民の思想による国家統治の思想と、我欲を否定し共に共同体を構成しようとする無教会派キリスト教の「愛の共同体」の思想という二つの思想を統合させた、友愛の理想主義的統治の思想に基づく統治を志向する官僚であったということが挙げられる。

次に内務官僚としての南原繁の事跡については、この理想主義的統治の成功と挫折の二つに彩られていると言えよう。まず成功例としては、射水郡立農業公民学校(現在の富山県立小杉高校)の設立である。郡立学校は地方の青少年に農業教育と公民教育を同時に行うことで、労働と同時に地方自治にも積極的に参加する人間に教育するという目的で設立されたものである。この地方自治への参加促進の働きかけは、南原の射水郡長としての事跡(排水事業の設立、地方教育団体への積極的関与)にも表れているものであり、この点から郡立学校はかなり明確な理念をもって設立されたものと考えられる。また挫折の例としては、郡長から内務省に帰省後関わった労働組合法内務省案が挙げられるであろう。労働組合法内務省案は、労働者に自主的に組合を作ることを届出させることで認めるというものであり、学校の時と同じように、対象に自発性を促進する働きかけを行うものであった。しかしながら、この法案は、当時の現実の政治状況の複雑さ(政府内の利害関係の問題)から廃案になっている。さらに理論としても、同じ理想を重視しながらも、経済の外的法則に基づく革命が国家を解体すると高唱する唯物史観に対抗できるものではなかった。ここに、法案どころか官僚としても思想的に挫折してしまう契機があったのである。

このように、内務官僚としての南原の思想は、理想主義に基づく統治を志向する人物であり、理論としてはさほど強固なものでなかったにせよ、確固たる信念から現実の問題に取り組んだ人物として評価できるであろう。

また、南原の後の価値哲学の展開にも、官僚としての自らの思想を批判的に継承した形跡を伺うことができる。それは、留学中に新カント学派のドイツ観念論を学びながらも現実との関係性を常に考え続けてきたこと、後のカント論やフィヒテ論において現実と理念の関係を詳細に分析し、独自の政治哲学である価値並行論の形成に役立てていることからもわかることである。つまり、南原は官僚として理想と現実のギャップを取り除くことに腐心して結局挫折した後、今度は学問として理想と現実の関係を再構築しようと試みたのである。ここに、戦後独自の思想から、「イデアル・レアリスト」として戦後処理に携わった南原の特異性を見ることが可能なのである。

西田 彰一

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