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目次 | |||||||||||||
多文化主義・多言語主義の現在 | 西川 長夫 | (9) | |||||||||||
ナショナリズム・マルチナショナル・マルチカルチュラリズム ―多文化主義の歴史的文脈 |
渡辺 公三 | (24) | |||||||||||
1 はじめに |
(24) | ||||||||||||
2 ナショナリズムの昂揚とカナダ,オーストラリア |
(26) | ||||||||||||
3 マルチナショナルの「転移」と活動 | (30) | ||||||||||||
4 マルチカルチュラリズムの過程 | (33) | ||||||||||||
5 おわりに | (38) | ||||||||||||
単一文化の神話を越えて ―オーストラリアと日本:アジアへの挑戦 |
ガバン・マコーマック | (42) | |||||||||||
1 オーストラリアと日本のアイデンティティの模索 | (43) | ||||||||||||
2 日本人のアイデンティティ=天皇 | (45) | ||||||||||||
3 オーストラリアの多文化主義のひ弱さと今後 | (48) | ||||||||||||
I カナダ | |||||||||||||
多文化主義宣言への道 ―連邦結成後の移民政策を中心に |
木村 和男 | (55) | |||||||||||
1 英・仏系の「契約」と一九世紀後半の移民問題 | (56) | ||||||||||||
2 「新移民」の流入とアングロ・コンフォーミズム | (60) | ||||||||||||
3 大戦間期の「メルティング・ポット」論 | (64) | ||||||||||||
4 第二次大戦後の多文化主義の台頭 | (68) | ||||||||||||
カナダの多文化主義の意味するもの ―歴史と政治的ダイナミズム |
加藤 普章 | (75) | |||||||||||
1 カナダにおける多文化主義の理解 | (75) | ||||||||||||
2 歴史的流れ | (77) | ||||||||||||
3 多文化主義の理念と政策 | (82) | ||||||||||||
ケベックの選択―多文化的政治統合への道 | 石川 一雄 | (92) | |||||||||||
1 それにも拘わらず(in spite of) | (94) | ||||||||||||
2 それにも拘わらず(notwithstanding) | (96) | ||||||||||||
3 不調和の調和体制 | (101) | ||||||||||||
4 多様なケベック | (105) | ||||||||||||
北部ケベックの先住民 ―二つのマジョリティーに翻弄されるイヌイットとインディアン |
スチュアート・ヘンリ | (109) | |||||||||||
1 問題の所在 | (110) | ||||||||||||
2 ケベックにおける先住民政策の沿革 | (111) | ||||||||||||
3 考察 | (118) | ||||||||||||
4 まとめ | (126) | ||||||||||||
カナダにおける先住民族と先住民権 | トーマス・バージャー (ノア・マコーマック訳) |
(133) | |||||||||||
1 問題の所在 | (110) | ||||||||||||
2 ケベックにおける先住民政策の沿革 | (111) | ||||||||||||
3 考察 | (118) | ||||||||||||
4 まとめ | (126) | ||||||||||||
II オーストラリア |
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多文化主義国家オーストラリアの誕生とその現在 | 関根 政美 | (147) | |||||||||||
1 はじめに | (147) | ||||||||||||
2 オーストラリア,多文化主義,APEC | (148) | ||||||||||||
3 多文化主義国家・オーストラリア誕生の理由 | (151) | ||||||||||||
4 アジア・太平洋国家化への動き | (154) | ||||||||||||
5 共和制国家モデルを採用したオーストラリア | (157) | ||||||||||||
6 多文化主義への挑戦が続くオーストラリア | (160) | ||||||||||||
多文化主義と法の役割 ―オーストラリアにおける多文化主義法の制定を巡って |
杉原 充志 | (165) | |||||||||||
1 はじめに | (165) | ||||||||||||
2 オーストラリアにおける多文化主義法制定の動き | (167) | ||||||||||||
3 連邦政府が考える多文化主義法の内容 | (169) | ||||||||||||
4 多文化主義法制定への慎重論 | (170) | ||||||||||||
5 むすび | (171) | ||||||||||||
先住権のゆくえ―マボ論争からウィック論争へ | 細川 弘明 | (177) | |||||||||||
1 アボリジニをめぐる歴史と現在 | (177) | ||||||||||||
2 先住民族をめぐる深刻な対立 | (179) | ||||||||||||
3 アボリジニの土地権運動と政府の対応 | (184) | ||||||||||||
4 マボ判決の衝撃 | (187) | ||||||||||||
5 「先住権原」とは何か | (189) | ||||||||||||
6 ウィック判決の余波と今後の展望 | (193) | ||||||||||||
文化を創造する人びと―都市の先住民 | 鈴木 清史 | (200) | |||||||||||
1 はじめに | (200) | ||||||||||||
2 都市のアボリジニの特 | (201) | ||||||||||||
3 都市アボリジニのジレンマ | (203) | ||||||||||||
4 都市アボリジニの対応―文化の学習 | (205) | ||||||||||||
5 文化学習が意味するもの | (208) | ||||||||||||
6 まとめ | (210) | ||||||||||||
非英語圏からの移住者にとっての家庭と世代間変容 | 佐藤 真知子 | (212) | |||||||||||
1 定住によって変わる夫婦間の意識 | (213) | ||||||||||||
2 子育てのマルチカルチュラリズム | (216) | ||||||||||||
3 移民の子どもたちの混合化現象 | (219) | ||||||||||||
ポスト・エスニック・マルチカルチュラリズム | 杉本 良夫 | (224) | |||||||||||
1 「オーストラリア人」とは誰のことか | (225) | ||||||||||||
2 多文化主義の多面性 | (230) | ||||||||||||
3 「民族文化」概念の落とし穴 | (237) | ||||||||||||
4 エスニシティーを超えて | (241) | ||||||||||||
多文化主義への挑戦―作家としての経験から | ジョージ・パパリナス (海寶 康臣 訳) |
(243) | |||||||||||
1 オーストラリアの現実と排除のシステム | (243) | ||||||||||||
2 経済の倫理から多文化主義へ | (247) | ||||||||||||
3 象徴的な行為でなく現実の転換を――アボリジニーへの犯罪 | (252) | ||||||||||||
4 ナショナリズムと多様性の問題 | (258) | ||||||||||||
5 オーストラリア文学と非英国系の私 | (262) | ||||||||||||
編者あとがき | (271) | ||||||||||||
関連資料 | (274) | ||||||||||||
@ ジェームズ湾協定(ケベック州北部における州政府の水力発電開発に伴う先住権措置法概要) | |||||||||||||
A ヌナブト協定(北西準州イヌイット居住域に関する先住権措置および民族自治に関する協定 | |||||||||||||
B カナダ多文化主義法(カナダにおける多文化主義の維持と高揚のための法律) | |||||||||||||
C マボ判決(抜粋) | |||||||||||||
D 「多文化オーストラリアに向けての国家的課題」(抜粋) | |||||||||||||
関連年表 | (294) | ||||||||||||
著者略歴 | (303) | ||||||||||||
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