立命館大学 経営学部

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絹川 浩敏教授

Hirotoshi Kinukawa

研究分野
1930年代の日本と中国の文学交流の歴史を研究しています。1931年に始まる日中15年戦争の時期、多くの中国人の若者が日本に留学していました。何を学びに来ていたのでしょうか。戦時下での日中文学交流について研究しています。
主な担当科目
中国語
Q1
現在の研究テーマ(または専門分野)について教えてください。
1930年代の日中文学交流史について研究しています。日露戦争後(1905年以降)、中国から多くの留学生が日本に来ました。魯迅や周恩来もその一人です。この時は、ロシア(=西欧)に戦争で勝った日本に近代化の成果を学びに来たのです。1930年代は、日露戦争後に続く第二の日本留学ブームでした。1931年の満州事変(中国名:九・一八事変)で日本が中国の東北部を軍事占領し、満州国を建国した後に起こった「日本留学ブーム」でした。なぜ、日本留学がブームとなったのか。様々な要因がありますが、中国人の若者が学びたいと思ったものが、当時の日本にあったからです。中国人が学びたかったもの・学んだものとは何なのか。それは発掘することが、現在の日本人としてどんな意味があるのか、と考えながら、30年代の日本を学んでいます。
Q2
どんな学生時代を送っていましたか。
授業にはあまり出ず、家や図書館で本ばかり読んでいました。時はバブルの前夜、遊ぶところはたくさんあったのに、遊ぶお金はなかったので、本を買うためにバイトしていました。今思えば、「野蛮な時代」でした。まだ、68年ごろの学園紛争の余韻が残っていた時代で、「遅れてきた全共闘」もいました。「議論する」風潮も残っていました。 友人の下宿で深夜まで飲んで議論する習慣も残っていました。
Q3
現在の専門分野を志した理由・研究者になったきっかけを教えてください。
大学2年生の夏休みに中国北京に短期留学したことが大きかったです。1982年でした。その時は、中国はまだ本当に貧しくて、車はほとんど走っていなくて、自転車ばかりでした。そこで出会った中国人が魅力的な人たちばかりでした。「中国政府」「中国共産党」は当時から大嫌いでしたが、中国人・中国語が大好きになりました。北京の街・上海の街も大好きでした。でも、再開発で好きだった街の多くは取り壊されたり、リノベーションされて大きく変わってしまいました。
文学は小さい時から好きでした。本を読んで暮らしたい、というのが小さいころからの夢でした。
Q4
高校生へメッセージをお願いします。
コミュニケーション力とか○○力ばかり求められて、今の若者は大変だと思います。でも、私が学生だった40年前も、「何がやりたいんだ。アイデンティティをはっきさせろ。」とせかされていました。いつの時代も上の世代から見れば、若者は頼りないもの、怠け者にみえるものです。そういう説教をする大人をみると、お前の学生時代はどうだったんだと思ってしまいます。
そう急がず、回り道もしてください。できることは自然に増えていきます。でもこれ「自ずから然り」と読んでくださいね。

■おすすめの書籍や映画

ハンス・ロスリング『FACT FULNESS』日経BP2019
ユヴァル・ノア・ハラリ『21Lessons』河出書房新社2019
神島裕子『正義とは何か』中公新書2018
重田園江『社会契約論』ちくま新書2013


■関連リンク

研究者学術情報データベース (ritsumei.ac.jp)