科学史・技術史のこと(2)

ミクロな原子の世界を明らかにした科学実験


兵藤友博

 原子核の発見

 原子核は、原子の質量の大部分を担っているにもかかわらず、その半径は原子のそれが10−8cm に対して10−12cm程度にすぎない。原子の大きさを直径一〇〇mのグラウンドとすると原子核は 直径一cmのビー玉となり、グラウンドの周辺から真ん中に置かれたビー玉を見ようとしても、その 存在はかろうじて確認できるほどの大きさである(視力一.〇の人間の解像力は〇.〇一度)。

 このような原子核を発見したのはイギリスの物理学者E・ラザフォ−ドである。

 このラザフォードの原子核の発見に関連して話題にされるのは、α粒子(原子核を構成するプラ スの電気を持つ粒子:陽子二個からなる)を薄い金箔に当てたら、α粒子がおよそ八千個に一個の 割合で跳ね返ってくることを示した実験のことである(一九〇九年)。このあまりにも特異な実験 の結果を、後にラザフォードは、α粒子を十五インチの砲弾とすると、標的となる薄い金箔はちり 紙に等しいと表現した。このたとえ話はおおげさではあるが、それほど驚くべき事実であったので ある。

 この実験を区切りとして原子に対する見方は変わった。これまでは原子を構成するプラスやマイ ナスの電気を持つ粒子は互いに混在しているとされ、それがためにα粒子は、たとえ原子内に入っ てそれらの粒子と相互作用し屈曲したとしても、大角度に跳ね返るようなことはない。しかしなが ら、ヘリウム原子核ともよばれる、このプラスの電気を持つ質量の大きなα粒子が跳ね返ってくる ということは、α粒子が強く反発するよう原子内のプラスの電気は原子の中心に限りなく一点に凝 縮していると考えるほかはなかった。

 微粒子を一個ずつとらえる装置

ところで、この原子核発見の鍵となったα粒子の散乱反射実験を思いつかせたのは、放射性物質 からのα粒子の個数を計数しようと、マンチェスター大学のラザフォードのもとを訪れていたドイ ツのガイガーと共同で製作した装置に現れた現象であった。その計数装置こそは、今日、放射性物 質の線量をはかるために用いられるGM計数管の前身であるのだが、問題の事実は入射口の雲母箔 を通して計数管内に入ったα粒子の中に、管壁のガラスに当たり接線方向に著しく散乱反射される ものがあることだった。電離効果を十分なものにするためには一三五cm程度の長さが必要ではあっ たが、それがためにα粒子が管壁に当たらないよう長さを二五cm程度に短くしたのだった。それは ともかく、物質には「放射粒子を散乱しうるパワー」をそなわっているのだとの認識に至らしめた。

 こうしてα粒子が散乱反射しうるものだということが判明したのだが、それは、計数装置が一つ ひとつのα粒子のミクロな運動形態を、計数管内で電離効果というマクロな運動形態に転換させ、 これを象限検流計で計測するというように、α粒子の動きを明瞭に捕まえようとの意図のもとに設 計されていたからである。実に科学実験装置、また計測機器の役割はこのように人間の五官にとら えられる形で捕捉、計測するところにある。

 さて、この計数装置を支えた技術は当時の最新の生産技術に裏打ちされていた。たとえば、排気 のためには、白熱電球製造用のドイツ製のピストンポンプが使われただけでなく、ゲッター(ガス 吸着物質)を液体空気で冷し吸蔵能力を高める方法(一九〇五年開発)も使われていた。


主な関連業績
(1)「放射線と原子構造I, II」(Radio active Rays and Atomic Structure I, II)
 『科学史研究II』(Journal of History of Science)
  24巻154号76〜83,24巻155号14〜148.
(2)「原子の有核構造の発見」(The Discovery of the Nuclear Atom)
 『科学史研究II』(Journal of History of Science)
  24巻156号205〜214.


◇研究関連サイト
イギリスの The National Museum of Science & Industry : Science Museum のサイト内の collectinons & research、 collectinons by subject、Physics、Atomic Firstsのカテゴリを順に開くと、Ruterford に関するページがあります。

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