科学史・技術史のこと(1)

「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」のこと


兵藤友博

 レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452〜1519を生き抜いた人物である。日本では、とかく彼の業績につ いて「モナ・リザ」「最後の晩餐」などの絵画に求めることが多い。しかし、彼の業績は決して絵画に 関するものばかりではなく、生涯に五千枚をこえて書かれた手稿、には絵画手法の考え方はもちろん、 解剖学、力学、機械学など、自然科学の知見を垣間見ることができ、注目に値するものである。

 「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」の開催は、21世紀を迎えるにあたって、学生に科学的認識を獲得させ、技術としてそれ を具体化するためにはどうしたらよいのか、また、そのためにはどのような姿勢を持つことが大切なの か、そういう科学や技術に対する態度、どのようにそれらを認め、処したらよいのか、そうした科学や 技術に対する態度や認識のあり方についての恰好の展示になると考えられるからでる。

 その点でいえば、今日、オカルトや超状現象に惑わされる若者が存在するのであるが、しかし、ルネ サンス時代に、レオナルドが自然そのもののあり様をつぶさに観察し、実験を重ね検証している、レオナルド のそういう姿は私たちにとって貴重なものであり、その姿勢は今日きわめて価値あるものと いえよう。また、自然のみならず社会を解明し次なる提起をするためには、何が必要なのかを感じさせ ることができるものとも考えられる。

(1)展示会で披露されるものは、国立科学博物館に収蔵、保管されている機械模型(総数 53点)である。レオナルドはこれらの機械技術の模型についてデザインしか残していないが、産業 革命期に実現された機械制大工業はこうした技術の研究開発の追求の上に実現されたものであり、それ は今日においても、私たちの生存の基盤として生産活動の中核(生活資材のみならず、様々な技術をつ くり出す)を担うものでもある。レオナルドの機械模型は、原初的ではあるが、生産力の実際、すな わち、ものづくりの具体的あり様を、文献的ではなく、視覚的に形として表現する、一見に値するもの である。

(2)科学と技術は、未来社会を切り拓くにあたってなくてはならないものである。機械技術を中心と したレオナルドのデザインには、レオナルドが訪ね歩き、つぶさに観察したルネサンス期の最先端 の技術の粋が集約されている。こうしたものが具体的に表現されているレオナルドの機械模型には、 見のがしてしまいかねないものでさえつかみとってくる、レオナルドの自然物や技術的構造物に対す る姿勢が結実しているともいえる。その姿勢に学ぶものは大きい。

(3)レオナルドといえば、ルネサンスを代表する画家である。「最後の晩餐」は最近修復が完成し 注目されているが、レオナルドの絵画手法は、よく知られているように、科学的手法(解剖学や光学 など)にもとづくもので、それは絵画のみならず、レオナルドの生きざまとしての科学的合理性に対 する誠実さ、ゆるぎないレオナルドの思想性を表している。

 ルネサンス期は、自然と人間があらためて見直され、自然の復活とヒューマニズムが謳歌されるが、 そのことと天文学や解剖学、光学など、近代の科学が確かな科学的手法、とりわけ実験科学の基本に即 して生まれることと深く結びついている。

 レオナルド曰く「智恵は経験の娘」である。自然を観察して追求し一般法則を得るためには「二度 三度それを試験して、その試験が同一の結果を生ずるか否かを観察せよ」「ただ想像だけによって自然 と人間との間の通訳者たらんと欲した芸術家連を信じるな」「実験から開始して、それによって理論を 検証する」と。

 近年傾向は、価値相対主義の時代ともいえるが、科学というものの価値についてのメッセージをレオナルド は具現化した人物である。実利的側面からの科学の価値だけでなく、レオナルドの遺稿に見 られる思想としての科学(科学性)には、注目すべきものがある。


(4)科学と技術というのは、私たちの生活資材、基盤をつくり出すものである。ではあるが一方で軍 事兵器や産業廃棄物が示すように破壊の手段ともなる。よくいわれる技術のデュアルユース、それをい かに福祉と平和に資するものにするかは、人間がこの地球に登場して以来の人類的課題である。そうい う科学と技術のあり様を考え、解決することは、21世紀の人類にかせられた課題といえよう。

 もちろん、レオナルドはルネサンスという時代に生きた人物であり、歴史的限界をもっていること は確かである。ではあるが、レオナルドが遺し提起していることは、きわめて上述の今日的課題に通 ずるものがある。特別展が実現できれば、その課題を提起し、考える重要な場を提供することができる。


展示物とその構成 機械類模型総点数 53点

 ☆プロローグ展示/メッセージパネル 年表

 ☆自走、飛翔への夢と動力 12点
  ・交通輸送機関
      ローラーベアリングを用いた車  自動車
    はばたき飛行機  ヘリコプター  垂直飛行機  パラシュート
    ロケット     二重船体    船首模型   外輪船
  ・動力を生みだす技術
       水車      永久機関


 ☆機械の要素と機械化・自動化      21点
  ・各種作業技術
    なわない機   複式紡績機   印刷機
                アルキメデスのらせんポンプ   揚水機   水くみ機
    自動くし焼き装置
             ギヤ式プーリー   組み合わせ滑車   ジャッキ   複ねじジャッキ
    ・伝導機構
              遊星歯車   運動の変換   三段式変速機   カム装置
    カム式往復運動変換装置    間歇運動装置   脱進機構
      ・工作のための機械
        旋盤 自動前進システム水力のこぎり   やすり目立て機


 ☆手稿の展示
  実演ハンズオンコーナー

 ☆都市国家と防衛  9点
  ・建築・土木     教会   王室用厩舎   二段式橋   旋回橋  円錐形のバルブ
  ・軍事的攻防のための工夫
         攻城用はしご   戦車     三段式速射砲   たいこ


 ☆自然観察と技術計測 11点
  ・材料力学のための測定機器、気象観測器械
    傾斜計   ワイヤ−試験機    時計機構    回転式距離計
    流速計   天秤式湿度計     風力計 自動水平装置
 ・計算のため器械
          計算機の原理
  ・光学器械
                  レンズの組合せ         投影装置


 ☆エピーローグ・映像コーナー/レオナルドの言葉




レオナルド・ダ・ヴィンチの生涯と業績


   科学・技術関連の業績   手稿          生涯             社会・文化

                                       1450 グーテンベルグの活字印刷
                       1452 4月15日、生まれる
                       1453 東ローマ帝国滅亡
                                       1460 天文学の古典(アルマゲスト)の翻訳
                       1466 父とともにフィレンツェに移住
                          ヴェロッキオの工房に入門 1467 応仁の乱起こる(戦国時代始まる)
                       1472 フィレンツェの画家組合に加入
                                       1472 コペルニクス生まれる
                       1473 「アルノ川渓谷」の素描  1474 トスカネリ、世界地図を作製
                                       1475 ミケランジェロ生まれる
1478 大砲などの製造の構想         1478 「受胎告知」完成    1478 フィレンツェ戦争状態
                          市庁舎内礼拝堂の祭壇画委嘱される
                       1480 メディチ家の庭園で古代彫刻を研究
                1480-1518 アランデル手稿
                       1482 ミラノへ向かう(騎馬像の作成を含
                          むミラノ公に自薦状を書く)
1483 この頃、兵器の木版画を載せた本を読む
1484 理想都市の構想をねる                          1484 ミラノでペスト流行
1485 日食の観測
                       1486 「岩窟の聖母」完成    1486頃 雪舟「山水長巻」描く
1487 ミラノ大聖堂のドーム設計 1487-1518 アトランティコ手稿
                1487-90 パリ手稿B              1488 加賀一向一揆
1489 人体と馬の解剖研究    1487-90 フォスター手稿          1489 足利義政、銀閣寺造営
1490 建築の研究 1489-1510 解剖手稿B
                                       1492 コロンブス、新大陸を発見
1493 ドイツ皇帝マキシミリアン 1493-1500 マドリッド手稿T
   の結婚を祝って騎馬像の模
   型を展示
1494 河川工事の設計監督                        1494 フランス軍のイタリア遠征(イタ
   騎馬像のために準備された                         リア戦争始まる)メディチ家、
   ブロンズの大半は大砲鋳造                         フィレンツェを追放される
   のために送られる
1495 市庁舎会議室の設計の 1495-97 フォスター手稿U
   ためフィレンツェを訪れる        1497 「最後の晩餐」完成
1498 飛行機の研究              1498 絵画論執筆        1498 ヴァスコ・ダ・ガマ、インド航路
                                                                  を発見
1499 フランス軍によって                           1499 フランス軍、ミラノに侵入
   騎馬像の模型が破壊される
                       1500 ヴェネツィア、ボローニャを
1501 数学の研究                  へて、フィレンツェに戻る
1502 建築及び技術総監督に任命され、視察旅行
1503 アルノ川の流れの変更計画        1503 「アンギアーリの戦い」描 1503 占星家ノストラダムス生まれる
                    き始める
                1505 鳥の飛翔に関する手稿
                       1505 「モナ・リザ」完成
                       1506 ミラノに向かう、レオナルドの身柄
                          についてフィレンツェ政庁とフラン
                          スとで手紙が交換される
1507 フランス王ルイ12世の宮廷画家      1507 フィレンツェに戻る
   兼主任技師となる、人体の解剖
            1507-10 解剖手稿A
1508 青銅像の製作、水力学の研究 1508 パリ手稿F 1508 ミラノに帰る
            1509-13 解剖手稿C
                       1510 「聖アンナと聖母子」描く 1510 ヘンライン、懐中時計を発明
                1510ー15 パリ手稿G              1511 教皇、イタリアからフランス
                       1512 この頃、自画像描く    の追放にかかる
1513 ロ−マに移り住む     1513 マキャヴェリ『君主論』
1514 ローマでボンティネ沼沢の埋立計画 1514 ミラノを訪れる
1516 ローマのサン・パオロ寺院の測定を記す 1515 フィレンツェ、ミラノを訪れる 1516 モア『ユートピア』
1517 幾何学と建築の研究           1517 フランス・アンポワーズに 1517 ルターの宗教改革、始まる
                          移る
                       1519 5月2日、死去      1519 マゼラン、世界周航に出発
                          アンポワーズの王室礼拝堂に埋葬

アトランティコ手稿 遊星歯車、三段式変速機、ジャッキ、縄ない機、印刷機、やすり目立て機、天秤式湿度計、 風力計、回転式距離計、アルキメデスのらせんポンプ、揚水機、自走車、外輪船、パラシュート、はばたき飛行機、旋回橋
マドリッド手稿T ギヤ式プーリー、複ねじジャッキ
パリ手稿B 二重船体、垂直飛行機、ヘリコプター、二重式橋
フォスター手稿U 永久機関
  アランデル手稿 流速計
大英博物館素描室 戦車

 以上は立命館大学国際平和ミュージアムの特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ展」実施にあたってのメモを 加筆修正転載したものである。




レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉


科学的認識をめぐって

・「智恵は経験の娘である」

・自然を観察して追求し一般法則を得るためには、「二度三度それを試験して、その試験が同一の結果 を生ずるか否かを観察せよ」

・「自然の中に理法なき結果は何ひとつ存在しない。理法を理解せよ、そうすればおまえの経験は必要 ではない。」

・「自然は、経験の中にいまだかつて存在したことのない無限の理法にみちみちている。」

・「自然は自己の法則を破らない。」

・「自然は、自己の中に渾然と生きている自己の法則の理法によって強制される。」

・「ただ想像だけによって自然と人間との間の通訳者たらんと欲した芸術家連を信じるな」

 「実験から開始して、それによって理論を検証する」と。

科学性をめぐって

・「経験から生れる認識を工学的といい、精神の中に生れて終るそれを科学的と称し、科学から生れて 手の操作に終るそれを半工学的と呼ぶ。しかし、おもうに、あらゆる確実性の母なる経験から生れたの ではなく、また明かな経験に終わらない科学、すなわちその始めも中途も終わりも、五官のいずれをも 通過しない科学は空虚で誤謬にみちている。だからもし感官を通過するそれぞれのものの確かさを疑う としたら、われわれは、神や霊魂等の存在のごとき五官に反することがらについてはさらにどれほど強 く疑わねばならないであろうか。これらの問題のためつねに論争や喧嘩がおこなわれているし、かつ実 際、理性の欠けているところでは必ず喚き声がこれをおぎなうことになるのだ。確実なことにおいては こういうことは起こらない。このため喚き声があがっているところには真の科学はないのだ。・・・・ 真の科学とは、経験が感官を貫通させて、口論する人々の舌を沈黙させた科学で、それを探求する人々 は、夢を食って居ることはなく、つねに正しい明かな基本的原理に基づいて、継続的にかつ真の順序を 追うて終りまで進むものだ。ちょうど至高の真理を・・・・取扱う算術や幾何学・・・・とにはっきり うかがわれる様に。ここでは三の二倍が六より多いとか少ないとか、三角形が二直角をもたぬとかいう 論争はおこらない、あらゆる論争はほろぼされて永遠の沈黙に帰し、その信奉者に安らかに味われる。 が嘘っぱちな精神的科学はそうすることができない。」

・「まず科学を研究せよ。しかるのちその科学から生れた実際問題を追求せよ。」

・「科学を知らずに実践に囚われてしまう人はちょうど舵も羅針盤もなしに船に乗り込む水先案内人の ようなもので、どこへ行くやら絶対に確かでない。つねに実践は正しい理論の上に構築されねばならぬ。」

工学的構造物の実現をめぐって

・「工学は数学的科学の楽園である。何となればここでは数学の果実が実るから。」

・「人間の天才は種々な発明をしさまざまな道具で同じ目的に応じたとはいえ、それは自然よりも美し く容易かつ簡単な発明をすることは絶対にないであろう。なぜなら自然の発明の中には何一つ過不足は ないからである。」

・「可動物が小さくなればなるほど、それの動かし手はそれをより強く推進める。それが無限に縮小す るに比例して、それだけ運動の速度を獲得する。」

・「それぞれの器械は、それぞれが作り出されたもとである経験によって働かされなければならない」

*引用文献:杉浦明平訳『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』(岩波文庫)


◆関連サイト
Museo della Scienza e della Tecnica Leonardo da Vinci-Mlano
 (イタリア・ミラノにあるレオナルド・ダ・ヴィンチをテーマとした国立科学技術博物館のサイト)

Museum of Science "Leonardo"


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