技術イノベーションの現代的展開(3)

「日本型技術革新」のゆくえ


兵藤友博

(1)技術導入路線とそのメリット

 日本の技術導入路線は欧米諸国に経済的に肩を並べようと、戦後一貫して進められてた基本的枠組み である。日本が「高度経済成長」をはじめた1963年に導入された技術の実に70%は、先進国ではもはや 完成された商業生産段階済みのもので、特許段階のものは8%に過ぎなかったという。つまり日本に導 入された技術の多くは、欧米先進国ではもはや陳腐化されたものとはいわないまでも成熟段階にあるも のだったのである。

 たしかにこのように技術導入を進めるということは、欧米諸国に対して技術的にはそもそも相対的に 劣位の立場に立つことになる。だが、技術導入する側には経済的に見て大きなメリットがある。という のは、それらの導入された技術の多くは、市場での試練を経た商業的利益が保証されているものだから である。

(2)大規模化のメリット

 家電製品、乗用車などの耐久消費財が大量に生産されるようになったのは「高度経済成長」の1960年 代である。今日情報・通信機器が急速に普及し、製造部門としては一角をなしてきているが、依然とし て家電製品や乗用車は耐久消費財部門の大きな部分を占めている。

 それにしても、公共投資による国土の開発を含め、これらの耐久消費財の量産化を底辺で支えたもの は鉄鋼や電力である。英独仏などの西欧諸国の鉄鋼生産が1960年代、年産数千万トンの前半にとどまっ ていたのに対して、日本のそれは2000万トン強から1億トンへと伸びる。すなわち、この時代の日本の 技術革新の基本的な特質は、耐久消費財の量産化、プラントの大規模化等のメリットを引き出したとこ ろにある。鉄鋼の生産プラントの設置には数百億円をこえる資金を必要とするが、大規模化による生産 力の集中は設備投資の節減効果を引き出し、コストダウンをもたらした。

 また、日本の企業は、技術導入を進めつつも貿易の自由化を前にして技術の国産化の努力をおこない、 1970年頃には日本の技術を外国の技術と競合しうる段階にまで高めた。

(3)省エネ・省力化

 こうして日本の産業技術の基本構造がつくりだされたが、それはエネルギー多消費型の産業構造であ った。その問題性はドルショック、オイルショックを招いた1970年代に明らかになり、転換を迫られる ことになった。原油価格は1973年の秋、一挙に4倍となり、原燃料輸入依存度の高い、ことに鉄鋼をは じめとしてアルミなどの素材産業部門はその影響をまともに受けた。国際相場で劣位に立った日本企業 の収益は悪化した。いわゆる省エネ・省力化はこの経済環境の悪化を克服する手だてとして採用された ものである。鉄鋼などの素材産業部門では、減量生産を進めるために単位生産能力を抑えると同時に燃 料を節約するという、これまでには考えられないような技術的改良をおこなって、これをしのいだ。

 自動車や家電製品などの機械組立産業は、素材産業に比すればエネルギー消費は少なく、原油高騰の 影響は小さかった。しかしながら物価高騰にともなう機械組立産業ならではの人件費負担は大きく、こ れを合理化するために生産の自動化、省力化をおし進めた(図表H)。たとえば、自動車産業に導入さ れた溶接ロボットは、1台で労働者0.75人分の作業量しかできないが、それを昼夜を休みなく稼動させ れば1.5人分の作業量をこなすことができる。そして、これを導入すれば、昼夜2交替300人ずつ計600人 の労働者の仕事をロボット400台でまかなうことができる。メカトロニクスともよばれる、マイクロコン ピュータを内蔵した自動工作機械の導入によるイノベーションを「ME(マイクロエレクトロニクス)技術革新」と いうが、ロボットはその象徴的存在である。

 技術の進歩は生産性を向上させ、ほんらい人間の生活を豊かにするものである。ところが、ME技術 革新は従業員の配置転換、雇用不安、労働強化、等々を引き起こし、必ずしも労働者にとって好ましい 労働環境を生み出しはしなかった。けれども、そのおかげで日本製品は国際市場競争力を高め、輸出生 産を引続き可能にし、拡大することができた。

 ただし、エレクトロニクス技術を開発したのはアメリカで、日本はこの技術導入をおこない、自動工 作機械を開発したのであった。技術導入路線はここでも継承されていた。

(4)経済摩擦下の生産の海外シフト、「バブル経済」 の崩壊/正念場を迎えた技術革新

 変動為替相場制に移行したのは1970年代のことであるが、1985年代以降の円高・ドル安、および欧米 とくにアメリカとの間との「経済摩擦」にともなう貿易の自主規制枠は、日本企業を苦しめた。この国 際的な経済環境の変化は日本企業をして市場競争力を保持するために海外に生産基地を求めさせた。こ のアジア諸国ないしは欧米諸国への技術の国際移転は、安い労働力による輸出基地の確保、あるいは経 済摩擦解消のための輸出代替をねらったものである。

生産拠点の海外展開は技術の国際競争・戦略提携、標準化をすすめるが、それは同時に技術を独占的 に支配することで優位に立とうとする資本の意の実現でもある。また、先に見たように、1990年代に入 っても日本の欧米依存は変わっていない。しかもアジア諸国などの追い上げは激しい。近年「科学技術 創造立国」ということがさかんに叫ばれ、「科学技術基本計画」が1996年から2000年の5年間にわたっ て取り組まれているが、日本の政府支援は十分ではなく、科学研究・技術開発の研究環境、ことに基礎 研究領域の研究環境は研究人材の養成を含め、劣悪な状況を脱しえているとはいい難い。

 こうした事態の進行の中で、1970年代にはじまる「ME技術革新」に匹敵する新境地を開くことがで きるのだろうか。たしかにインターネットや移動体通信、ICカード等に象徴される、近年の金融・製 造・流通をまきこんだ情報通信技術の発達はめざましい。しかし、これは「ME技術革新」の通信版、 すなわち取引や情報処理がネットワークを介して遠隔操作しうるようになったことを示しているにすぎ ない。21世紀は、一層高度なハイテク技術の研究開発のみならず、石油の枯渇や地球環境問題への対応 を必至としており、地下資源に依存しない原燃料転換(新材料・新エネルギーの開発)をはじめとして、 真に自然の節理に適合した、かつ私たちの生活をゆたかにする技術が求められる時代である。技術革新 の経済成長への貢献度の重みは大きく、それがためにそうした視点から基盤整備をはかることに傾斜し がちともいえるが、これらの課題に応えることなしに市場競争力を持つことはできないのではないであ ろうか。


【主な参考文献・資料】
 日本の技術革新のあり方、あるいはグローバルな視点から世界各国の技術革新について分析し た文献には、以下のものがある。
 大西勝明・二瓶敏編『日本の産業構造』青木書店、1999年
 林倬史・菰田文男編『技術革新と現代世界経済』ミネルヴァ書房、1993年
 荒川泓著『戦後日本技術発展再考』海鳴社、1991年
 三輪芳郎編『現代日本の産業構造』青木書店、1991年
 山崎俊雄編『技術の社会史E技術革新と現代社会』有斐閣、1990年
 仲村政文・篠原陽一編著『現代技術の政治経済学』青木書店、1987年
 日本科学者会議編『現代技術の世界』青木書店、1986年
 中村靜治著『戦後日本の技術革新』大月書店、1979年

*この論説は、立命館大学の『経営学部で学ぶために』(文理閣、2000年)所収の原稿を加筆修正したものです。


   

Top Pageに戻る