技術イノベーションの現代的展開(5)
日本は「知的存在感のある国」になりえるのかー学術審議会答申をめぐってー
兵藤友博
1999年6月、文部省の学術審議会は「科学技術創造立国を目指す我が国の学術研究の総合的推進について
−「知的存在感のある国」を目指して−」と題する答申を発表した。
その中で、答申は研究者の自由な発想と研究意欲を源泉としたボトムアップ型の研究によって真理は探
究されるとし、日本の学術研究の現状について率直に分析を加えている。しかしながら、その基本はそれ
とは裏腹の国家主義的な科学技術の育成策の推進にある。すなわち、国にが中心となって、研究者の養成、
研究体制・環境の整備、文理を統合する研究や学術研究の国際交流・社会的連携を強化し、経済のグロー
バル化・高齢化が進む21世紀社会を切り拓くような、また自然と調和しつつ持続的発展を今後も可能に
するような、あるいは精神的充足感に重点を置いた価値体系「新しい豊かさ」を構築しえるような、学術
研究を今後推し進めていくことであるとしている。
そうした提起の中でも特に目を引くのは、表題の「世界最高水準」の研究を推進し「知的存在感のある国」を目
指すとしている点である。もちろん、これが実現できれば素晴らしいことであるが、けれどもこれは容易なことで
はない。政府支援はいくぶん絶対額において改善されたものの、「世界最高水準」をきわめるようなもの
に到っていない。それどころか校費などの「基盤的研究資金」は物価を考慮すると10年間で5%の減とい
う事態にある。
こうした事態にあって、デュアルサポートシステムの一方の柱の「競争的研究資金」(科学研究費補助
金等)の割合を「基盤的研究資金」に比して高め、しかも、「競争的」との形容が端的に示すように、競
争と評価をなお一層強め、重点的に配分しようとの方向性を出している。これでは「抜本的改善」どころ
か、配分からもれた研究機関の研究条件は悪化し、研究水準を引き下げかねないともいえよう。「競争」
という市場原理を取り込むことで、活性度の高い研究が進めれれるのかもしれないが、長い目で見ていく
必要のある学術研究に必ずしもなじむものでもない。「競争的研究資金」とは、研究予算を充分に確保で
きない政府支援の脆弱性の裏返しでもある。
政府の提出する文書には、きまって欧米先進国に対する日本の政府支援のGDP比の低さ、また日本の
研究水準の相対的劣位が記載されている。本答申においても改善は先送りの感をぬぐいきれない。欧米先
進国の学術研究の伝統は長く、脈々と受け継がれ、構築されてきたものである。これでは学術研究におい
て求心力を持つアメリカは別としても、イギリスやドイツに比肩しえていくのだろうか、疑問である。学
術研究が「社会・国家の存続・発展の基盤となるもの」というならば、予算全体の構造的見直しが必要で
ある。
また、学術研究の国際化には、日本語障壁というローカル性をこえて進めなくてはならないであろうが、ど
ちらにしても学術研究の基盤のみならず、将来の担い手を育てる国民的な規模での学術研究の潜在的基盤
の底上げを図り、活性化しなくては、世紀を見通した、実のある国際化は進まない。でなければ、今
後も技術導入の欧米依存という、「知的存在感のある国」ということとは全く逆の事態が続くだろう。
なお、答申には「20世紀型科学技術」といった科学技術の歴史的評価付けが見られるが、機を改めて触
れたい。
*この小論は、立命館大学の『ROSSI四季報』第6号(1999年)の原稿を加筆したものです。