技術イノベーションの現代的展開(1)

科学・技術政策は日本の科学・技術を押し上げるものになっているのか


兵藤友博

1.第4期科学技術基本計画に向けての政策動向−「科学技術イノベーション政策」−

 近年,しばしば「知識基盤社会」とのキャッチフレーズにて,科学・技術も競争力を生み 出すものとして「知の国家競争力」が説かれる.「知識基盤社会」という言葉はOECD発の もので,21世紀社会は知も社会インフラの一つとして欠かせないものと見るものである. 知識の価値が位置づけられている点でうなづけなくない言葉である.だが,ただ一旦「競 争」の枠組みに入ると,科学・技術は日本の産業経済の競争力に報いるものとして位置づ けられ,それなしに日本はありえないのではないかとの趣旨が声高に叫ばれ,国民は置き 去りされないものともいえるものだ.

 こうした考え方は,例の1985年のヤングレポートをその画期となしているともいえよう が,21世紀に入って各国政府が異口同音に知のイノベーション政策の方向で打ち出し,先 を争っていることに集約されてきているといえよう.

 ここでいう知のイノベーション政策は,この間の第4期科学技術基本計画に向けた科学技 術政策の策定化に関わって見られるところでもある.第2期においてとられたのは重点分野 を設定して進めるもので,これは第3期にも引き継がれ,欧米の科学技術政策の影響を受け てイノベーションの大合唱となったが,その効果が上がらないと見て,科学・技術をイノ ベーションと連携させようとのイノベーション政策である.

 基本政策専門調査会がまとめた第9回(2010年6月16日)と第10回(9月30日)−11回(10月 22日)との案文には微妙な違いがあり,そこには次のような一貫した政策の傾斜が見て取れ る.

 この傾斜の主たる要因は,経済界の意向を取り込んだことが大きい.その象徴的提言が 経団連の「イノベーション創出に向けた新たな科学技術基本計画の策定を求める〜科学・ 技術・イノベーション政策の推進〜」である.

 この提言は先の2009年12月の「科学・技術・イノベーションの中期政策に関する提言」や 2010年6月の「科学技術基本政策策定に向けた基本方針(案)に関する意見(パブリック・コ メント)」を踏まえたものである.

 同文書には,「従来の科学技術政策を,イノベーション創出までを視野に入れた『科学. 技術・イノベーション政策』に拡大するほか,第3期基本計画における分野別の政策から, 地球温暖化や少子高齢化等の課題の解決に資する『課題解決型』の政策に転換するとの方向 性が示されるなど,経団連の主張が多数取り入れられた」

 「欧米はじめアジア各国においてイノベーションに向けた熾烈な政策競争が展開されている 中,現状維持の政策は,決して反映を生まない.わが国についても『イノベーションの創出な くしてわが国の将来はない』との強い意識の下,・・・総合的かつ一体的な『・・・政策』を 打ち出さなければならない.」

 「第4期基本計画では,イノベーションの主たる担い手である産業界までをしっかり視野に 入れ,産業界の知見をより政策に反映させる仕組みを整備するとともに,産業界が関係省庁お よび大学・大学院等と本格的な連携をしながら,多種多様かつ世界をリードする優れたイノベ ーションを創出し続けられる体制を構築することが不可欠である.」

 「『・・・政策』は,旧来の科学技術政策の範囲にとどまらず,ICT戦略,知的財産戦略,あ るいは高等教育政策等との密接な連携の下,府省横断的な立場から,より幅広い視点で展開さ れる必要がある.」

 こうした視点からまず第4期では二つの課題解決型イノベーション,すなわちグリーンとライ フの二つのイノベーション,加えて課題解決型のイノベーションとして「産業競争力の強化」の 視点から第4期基本計画の政策を策定する必要があるとしている.

 「『わが国の強みある技術基盤をいかに伸ばすか』,また,『新たな技術基盤をいかに伸ばす か』といった視点を軸に,多様かつ革新的な技術開発の強化に取り組む方針をさらに明確に記述 する必要がある.」

 研究開発過程として「科学技術」をとらえているのだが,これは科学と技術とを混同している.  問題は,さらにこの混同に拍車をかけた.それが「科学・技術・イノベーション政策」とのと らえ方で,リニア的なイノベーション型の理解である.こうしたとらえ方は,もともとシーズを 基点としたものであるが,ここではイノベーションに技術を従属化させ,技術に科学を従属化さ せる,三者の相対的独立性をおろそかにしたとらえ方になっている.

 そうした理解の上に,「将来のイノベーション政策に関する具体的な戦略等を産学官で策定・ 共有する『場』(プラットフォーム)」として,第9回では「イノベーション戦略協議会」,つ いで「科学・技術・イノベーション戦略協議会」,その後「科学技術イノベーション戦略協議会」 の創設が提起されている.

 したがって,「科学技術基本計画」の政策は,経済産業の振興をはかる政策と化している.


2.高等教育の構造転換を企図する科学技術政策

 こうした点で,なおこの間の科学技術政策の動向には,注視すべき方向性がある.それは高等 教育政策を科学技術政策の中で位置づけようとの方向性である.その局面について以下示したい. 2005年1月,文部科学省中央教育審議会は,答申「我が国の高等教育の将来像」を発表した.
 その中で「教育や研究それ自体が長期的観点からの社会貢献であるが,近年は,公開講座や産 学官連携等を通じたより直接的な貢献が求められる」として「社会貢献」は大学の「第3の使命」 であるとした.

 そして大学の機能別分化を,世界的研究・教育拠点,高度専門職業人養成,幅広い職業人養成, 総合的教養教育,特定の専門的分野(芸術,体育等)の教育・研究,地域の生涯学習機会の拠点, 社会貢献機能(地域貢献,産学官連携,国際交流等)に整理した.

 本答申によれば,「社会貢献」には長期とは別に直接的なものがあり,「公開講座」を筆頭に掲 げているが,狙いは「産学官連携」にある.

 確かにアカデミズムに埋没するのではなく社会的責任を果たすことは大切なことである.とは いっても,仮に「産学官連携」を「使命」にしろとはいっても,大学は教育と研究を通じて取り 組むほかはない.

 なぜことさらに「社会貢献」を上げるのか.その本意は,大学自体がその本来の機能として 「産学官連携」を位置づけることを企図したからであろう.

 経団連は2006年5月の総会で「人間力の発揮を通じて時代を切り拓く」を決議,その中で「新し い価値を創造する」「競争力の源泉となる高度人材の育成」を重要な施策の一つとして位置づけた.

 そして翌2007年3月,「イノベーション創出を担う理工系博士の育成と活用を目指して」との理 工系大学院に焦点を合わせた提言を出した.

 また2007年11月,産業競争力懇談会は,「大学・大学院教育プロジェクト――2025年の日本と産 業界が求める人材像」を発表し,「主要産業が求める人材像と大学・大学院教育への期待」につい て示した.

 その趣旨は「従来と異なるグローバル競争という環境下」において「日本の産業競争力維持・向 上のためには,イノベーションが不可欠であり」,

 これを促進する「人材を日本から輩出し続ける」という視点に立って,高度専門職業人材の育成 を行うことが重要であるとした.

 こうして大学教育・大学院教育の「構造転換」の具体的施策の政策化が焦眉の課題となった.20 08年7月,政府は「教育振興基本計画」を閣議決定した.その中で,大学が特に重点的に取り組む事 項として,教育力の強化と質保証,卓越した教育研究拠点の形成と国際化の推進等の施策を提起した.

 これを受けて文部科学大臣は,同年9月,中央教育審議会大学分科会に諮問した.その論点は「社 会や学生からの多様なニーズに対応する大学制度及びその教育の在り方」や「グローバル化の進展 の中での大学教育の在り方」,「人口減少期における我が国の大学教育全体像」の3点であった.

 また2009年6月,「中長期的な大学教育の在り方に関する第一次報告」がまとめられ,「質保証シ ステム」「量的規模の在り方」「公財政措置の確保」についての基本的な考え方が示された.その報 告の中で注視すべきは「国内外を通じて,人口構造・産業構造・社会構造等が大きく変わる中,大学 が,自らの構造転換に積極的に取り組み,社会に対する新たな役割を主体的に提示していくことが求 められる」とした点である.

 これは先の閣議決定「5年間を高等教育の転換と革新に向けた始動期間と位置づけ,中長期的な高 等教育の在り方について検討し,結論を得る」に従ったものである.2ヵ月後の8月,同分科会は「第 二次報告」 をまとめた.

 その中で「公的な質保証システム」などとは別に,「大学院教育について」の項が示され,2006年3月 に策定された「大学院教育振興施策要項」の進捗状況,検証課題を整理した上で「大学院の教育の実質 化」「大学教員の意識改革をめぐる諸問題」「産業界等と連携した人材育成」「大学院教育の質保証 と適正な量的規模の検討」など,大学院教育について書き込んだものがまとめられた.


3.科学技術政策は科学・技術の研究を真に底上げするものになっているのか−研究環境の「格差社会構造」−

 端的に言えば,研究も「格差社会」におとしめられようとしている.第2期において「重点領域」と してライフサイエンス,情報通信,環境,ナノテクノロジー・材料が設定され,概して「新規産業の創 出」に集約され,基本法にある「人類にとっての知的資産」ともいうべき基礎科学的こととははなはだ 距離があるものになっただけではない.

 この間,「科学技術研究開発システム改革」として研究者同士を競わせる「競争的資金の倍増」であ る.図を参照していただきたいが,この10年で競争的資金は倍増した.にもかかわらず,科研費の割合 は59.9%から50.6%に,その採択率が28.4%から25.0%に低減した.

 上述はマクロな特徴であるが,これをミクロに大学別の配分額(新規+継続分、間接経費を含む;20 07年度)で見ると,東京大学の212.2億円に対して2位の京都大学は142.8億円,これはまだしも12位の私 大・慶応大学は23.8億円,20位の地方国立大・新潟大学は11.9億円,30位の首都大学東京は8.8億円であ る.(http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/19/10/07103003/008.pdf)

 これを特徴づけるならば,日本の競争的資金の配分は極めて低減傾斜がきつく,10数位で1位の1割 を切り,ロングテール効果どころではない.これに対してアメリカの配分はDOD(国防総省),NASA(航 空宇宙局),DOE(エネルギー省)関係は傾斜が厳しいが,NIH(国立衛生研究所),NSF(国立科学財団 ),USDA(農務省)関係はなだらかで,1割を切るのは70数位である。有本建男(科学技術振興機構・社 会技術研究開発センター長;「競争的研究資金制度の改革」『CHEMISTRY & CHEMICAL INDUSTRY』62-9, 975-977,2009に整理された図表が掲載されている.

 この日米の差は,競争的資金の相対的に見た絶対額の違いにある.日本は政府負担研究開発資金(統計 数値2001年)3.48兆円,そして競争的資金0.35兆円に対して,アメリカのそれは9.15兆円,3.9兆円で,日 本の研究開発資金はアメリカの4割弱にもかかわらず競争的資金はアメリカの1割にも満たない額なので ある.

 政府の研究開発投資は2007年度予算で,日本の3.5兆円に対して,アメリカが17.1兆円で,さらに差が大 きくなっている.中国は2006年度で10.1兆円である.

 問題は次の点にもある.先ほど示したように,競争的資金は倍増したが,その半分は別のところにあて がわれている.それが戦略的創造研究推進事業と科学技術振興調整費,加えて科研費以外の各省庁のその 他の競争的資金で,前者と後者で残りの半分をほぼ二分している.

 戦略的創造研究推進事業に当たっているのは,独立行政法人の科学技術推進機構(JST)で文部科学省の 管轄下にあり,その前身は,戦後設立された日本科学技術情報センター(JICST,1957年)と新技術開発事業 団(JRDC,1961年)とを統合した科学技術振興事業団(1996年)で,省庁再編後の2003年に改組されたも のである.

 JSTは主に大学や研究機関の技術を社会に還元するための支援事業(新技術の創出に関わる研究,新技術 の企業化開発,科学技術情報の流通促進,研究開発に係わる交流と支援,科学技術への関心と理解の増進) に携わる機構である.その目的は「国の政策目標実現に向けて目的基礎研究をトップダウン型に推進する」 というもので,「産業や社会に役立つ技術シーズの創出」にある.

 科学技術振興調整費は,「総合科学技術会議が配分の基本的考え方等の基本的な方針を作成し,これに 沿って文部科学省が公募・審査,資金配分,評価,課題管理等の執行事務」を行うもので,「公募の受付, 審査・評価の支援,課題管理等の事務の一部」は科学技術振興機構(JST)に託されている.

 この競争的資金の半分の実態がどうなっているか,実に興味あるところである.

 現段階ではこれを概括しえる状況にはないが,その一端を示すことにしよう.東京大学の外部資金(200 5年度)は総額362.5億円で,国・地方公共団体95億円,科学技術振興調整費52.7億円,調整費以外73.4億円, 民間資金41億円,寄付金96.9億円などである(これでは年度が違うとはいえ先ほどの科研費の数字がどうな ったのかわからない).

 小生の所属する立命館大学の外部資金(2008年度)は総額26億円余りで,東京大学の1割にも満たない. その内訳は科学研究費補助金8.2億円,G-COE等の公的資金4.4億円,民間資金13.5億円などである.

 立命館大学は大手10私大に数えられ,まだ恵まれている方なのであるが,このような現状が示すように, 競争的資金の半分が特定の大学・研究機関に流れ,多くの大学が劣悪な研究環境にあるばかりでなく,採択 率の低下の中で研究者は疲弊化しかけない.

 なお、科学研究費はボトムアップ型、戦略的創造研究推進事業・科学技術振興調整費はトップダウン型で バランスをとっているとの見方があるが、こうした配分からすれば、とんでもない見方といえよう。

 それにしても、競争的資金が適正に配分されていれば,事態は異なる.しかしながら,学問にはそれぞれ 固有の特質があり,また領域・分野もさまざまである.これを評価することは,たとえ大学内の行政レベル での評価システムでも難しい事柄といえよう.審査は選任された個人の主観的評価と人的つながりのなかで 行われる可能性は高く,課題は多い.けれども学術的成果がさまざまな分野から生み出されるように適正な ものにしていく必要があろう.

 科学技術基本計画は日本の科学・技術の欧米先進国並みに予算を増やそうとの触れ込みであったが,「か け声倒れ」になりかけない状況にあるといって過言ではない.


4.第4期基本計画の策定化と高等教育政策

 それどころではない.第4期基本計画の策定を進める基本政策専門調査会第11回(2010年10月22日)の案 文においては,次のような指針が示されている.

 たしかに表向きは「独創的で多様な基礎研究の強化」とか,「世界トップレベルの基礎研究の強化」とか, 「多様な場で活躍できる人材の育成」とか,「公正で透明性の高い評価制度の構築」とか,「国際水準の研 究環境及び基盤の形成」とか「大学及び公的研究機関における研究開発環境の整備」など,項目の見出しタ イトルで表現されているところは適切のように見える.

 研究の支援・評価・配分については,「国は,・・・・.特に,・・・戦略的,重点的に支援するための 研究資金を一層拡充する」

 「国は,国際的に高い水準の研究活動,教育活動を行う研究重点型の大学群の形成に向けて,関連する取 り組みを重点的に支援する.」

 「国は,・・・・大学及び公的研究機関の機関別,研究領域別に評価を行い,その結果を資金配分に反映 する仕組みを検討する.」

 また,研究拠点の形成については「国は,世界第一線の研究者の集積,迅速な意思決定,独自の人事,給 与体系,英語の公用語化,卓越した融合研究領域の開拓によって,優れた研究環境と高い研究水準を維持す る世界トップレベルの拠点の形成を促進する.」

 「国は,国際的な頭脳循環(ブレインサーキュレーション)における中核的拠点として,最先端の大型研 究開発基盤を有する研究拠点の形成を進める.」

 「国は,・・・研究領域別に国際比較が可能な仕組みを作り,各大学の研究領域毎の国際的,国内的位置 付けを明らかにする.また,これを踏まえ,各研究領域で国際的はハブとなり得る大学に対し,重点的な資 金支援,戦略的な人事や経営を奨励する取組を進める.」

 大学院政策については,次のような政策の方向性が示されている.

 「国は,・・・・『リーディング大学院』の形成を促進する.」

 「国は,・・・産学官対話の場として『人材育成協議会(仮称)』を創設する.また,産業界は・・・大 学院修了者に求める人材像を明確化するとともに・・・大学の要請に応じ,カリキュラム作成等に協力する ことが求められる.」

 「国は,大学院改革の方向性と,大学院教育の目的やその達成に向けた体系的,集中的な取組を明示した 新たな『大学院教育振興施策要綱』を,中央教育審議会の意見を踏まえて策定し,これに基づく施策の展開 を図る.」

 「国は,・・・大学の機能別,分野別評価を促進するため,国内的,国際的に比較可能な多面的な評価基 準及び評価指標を整備する.また,これらの評価を教育研究支援プロジェクト等の資源配分に活用する方策 を検討し,推進する.」

 研究者の序列化,リストラと新規の登用についても示されている.

 「国は,大学が研究者の業績評価に当たって・・・研究開発成果を実用化につなげる取組や教育業績,論 文の国際的評価など,・・・能力本位の・・・評価を行うことを求める.また,このような研究者の評価を, その処遇において適切に反映することを求める.」

 「国は,大学が,その目的や特性に即して,業績や業務に応じた処遇の見直しを検討し,例えば,一定年 齢を超えた研究者の再審査や別の給与体系への移行によって,若手研究者のポストの拡充や優秀な研究者の 登用を図ることを期待する.」

 「国は,大学及び公的研究機関が,原則として国際公募によって国内外から優秀な人材を登用することを 求める.」

 高等教育の競争化と序列化,拠点化を一層進めようとの方向性が示されている.



 植村幸生は『科学技術政策論』(1989年)の中で「日本の科学技術政策の致命的欠点」として,「研究者 の自主性尊重の欠落」,「本当に『基礎研究重視』へ向かうのか」を上げている.いうならば,これは科学 を下支えする基礎科学を発展させようとする研究者の意思を軽視した,国力としての産業競争力を強化する 科学技術政策ではあったが,科学や技術を適正に成長させるような政策ではなかったという,古くて新しい 二つの問題を改めて指摘したものだ。

 概して,今日においてもその点では変わりない.おそらくもっと組織的に,それもトップダウン的に進め られようとしている.


 

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