日本のウイスキーの歴史
田中 悟
ウイスキーの起源
ウィスキーは麦芽や穀物を原料として、これを糖化、発酵させたのち、蒸留し、さらに樽の
中熟成された酒をさす。ウィスキーのあの琥珀色は、この樽熟成の歳月の流れの中で育まれ
たものなのである。さらに、この熟成によってウィスキーの風味はまろやかになり、華やか
な香りと味わい深いコクを持つようになる。
だが、ウィスキーは、誕生当初から樽熟成をしていたわけではない。長い間、蒸留したて
の色のついていない状態で飲まれてきた。樽熟成をしていたわけではない。樽塾により琥珀
色になったウィスキーが飲まれるようになったのは、19世紀に入ってからである。
それはともかく、ウィスキーの歴史は、錬金術師たちがつくった「生命の水」に始まって
いる。このことはウィスキーの語源であるゲール語のウシュクベーハ(Uisgebeatha)が、
「命の水」の意味を持つことからも明らかである。
中世の錬金術師たちは醸造酒を蒸留する技術を発見したとき、その燃えるような味わいに
驚いてそれをアクア・ビテ(生命の水)と呼んだ。
日本のウイスキーの歴史
ウイスキーが日本に最初に伝えられたには1853年、ペリー総督率いるアメリカ艦隊が
浦賀沖に来航した年とされている。ウイスキーが最初に輸入されたのは、明治維新後の18
71年のことである。輸入元となったのは主として薬酒問屋で、欧米文化の香りを伝える洋
酒のひとつとして輸入したのだが、残念ながら消費は伸びず、明治末でも洋酒は酒類市場の
1%にも達しなかった。国産ウイスキーの蒸留が始まるのは、関東大震災のあった1923
年でのことである。この年、京都郊外・山崎峡で日本初のモルト・ウイスキー蒸留所、寿屋
山崎工場(現在の山崎蒸留所)の建設が始まり、日本の本格的なウイスキーづくりの一頁が
開かれた。日本にウイスキーが輸入されて50年の後のことだった。
そして、1929年(昭和4年)この蒸留所から国産ウイスキー第1号の「サントリー・
ウイスキー白札」が誕生した。
このあと、第二次世界大戦前には、東京醸造、ニッカなどがウイスキー事業に乗り出した。
第二次世界大戦後、生活の洋食化が進み、ウイスキーは本格的に人々の間に浸透し、数多く
のウイスキー業者が参入したが、その中で着実に伸びたのが、オーシャン(三楽)、キリン
・シーグラムなどである。
そして、日本のウイスキー業界全体も着実に成長を遂げ、技術的にも進歩し、世界5大ウ
イスキーのひとつとして独自の個性を確立するようになった。
世界の5大ウイスキーと呼ばれているのは、スコッチ、アイリッシュ、アメリカン、カナ
ディアン、ジャパニーズである。一見同じような琥珀色をしているが、その国の伝統に培わ
れた技術や努力が活かされ、世界各地でつくられるウイスキー界をリードするウイスキーと
なっている。
日本のウイスキーの特徴
日本のウイスキーの特徴はスコッチ・ウイスキーに似たタイプといえる。これはスコッチ
・ウイスキーと同様に、モルト・ウイスキーをベースに風味の設計がされているからである。
しかし、香味はスコッチ・ウイスキーに比べ、煙臭(スモ―キーフレーバー)は少なく、独
自の特徴を持っているし、香味がおだやかで風味のバランスがよく、コクがあるため、「水
割り」などにしても香味の調和が失われない。そして、日本のウイスキーは、ウイスキー原
酒と、それにブレンドするスピリッツによって構成されている。
平成元年4月に改正された酒税法ではウイスキーの定義を次のように下している。
<酒税法第3条からの抜粋>
イ. 発芽させた穀類および水を原料として糖化させて、発酵せたアルコール類含有物を蒸留
したもの(当該アルコール含有物の蒸留の際の留出時のアルコール分が95%未満のものに限
る)
ロ. 発芽させた穀物および水によって穀類を糖化させて、発酵させたアルコール含有物を蒸
留したもの(当該アルコール含有物蒸留の際の留出時のアルコール分が95%未満のものに限る)
ハ. イまたはロにあげる酒類にアルコール、スピリッツ、香味料、色素または水を加えたも
の。ただし、イまたはロにあげる酒類のアルコール分の総量がアルコール、スピリッツまた
は香味料を加えたあとの酒類のアルコール分の総量の10/100未満のものを除く。
参考文献
・花崎 一夫・山崎正信著「バーテンダーズマニュアル」柴田書店 2000