アルバム/八幡・東田第一高炉史跡を訪れる
■東田第一高炉史跡を訪れる/2002.2.23
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過日、日産自動車・九州工場の工場調査を機に八幡に行ってみました。駅の名前は遊園地の名を取った、「八幡」駅
の一つ前の駅で「スペースワールド」です。「東田第一高炉」とはならなかったようです。再開発の工事中で写真
のように、まだひろびろしていました。
ただこの日は、鹿児島本線の追突事故の翌日、行けるのかなと思っていましたが、おり返し運転をしていたので、意
を決して出かけました。しかしながら、やはり大変な状況でした。電車は走っているいるものの1時間に1本あまり、
やっとの思いで帰りの飛行機に間に合う、とんでもない状況でした。
でも貴重な体験をしました。
■東田第一高炉と日本の製鉄の一断面
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1896年、明治政府は「殖産振興、富国強兵」の1つとして「製鉄所官制」を発布しました。
東田第一高炉はその官営製鉄の最初の高炉です。この地(当時の八幡村)が選ばれたのは、背後に炭田を控え、
防備に優れている等の理由からでした。1898年、建設に着工、1901年2月5日、歴史的な火入れが行われました。
その後、鉄鋼需要の増大に対応するために拡張工事(第一期:1906〜1910、第二期:1911〜1915)がおこなわれ、
鋼材の生産量は年30万トンに達しました。さらに、一次大戦の勃発にともなう鉄鋼需要に応ずるため、年産75万ト
ンを目指す第三期拡張工事等が開始され、国内需要の大半をまかなうようになりました。
こうして官営製鉄は技術的経営的基盤を確立しましたが、その一方、民営の製鉄所も発足するに至り、「昭和大
恐慌」を背景に製鉄合同論が高まりました。その意を受けて、1934年、官民合同の日本製鉄株式会社が設立される
ことになりました。
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