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フォトグラファーとして活躍!卒業生猪飼ひよりさん(2015年卒)にインタビュー!

2019.06.26

2015年に映像学部を卒業後、フォトグラファーをめざして株式会社アマナに就職した猪飼ひよりさん(川村ゼミ)。4度目の挑戦で、今年念願の同社フォトグラファー試験に合格し、新たなスタートを切りました!鍛錬を重ねたこの数年間とその結果は、話を聞いていてもひたすらに「強い思い」と「努力」の賜物。映像学部に入学してから写真撮影にはまり、これを仕事にしようと志したきっかけや、入社後どのような思いでフォトグラファーをめざし、夢を掴むに至ったかをお伺いしました!

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私がフォトグラファーをめざしたきっかけは、まず小さい頃から自分で何かを生み出す人になりたかったからです。書道家でも音楽家でもいいので、何かを生み出す「プロ」になり、それを仕事にしたいと思っていました。そんな自分が映像学部の授業で「映像の根源は『写真』だ」とというのを聞いて、映像学部生としては「写真」を極めないといけないと思い立ちました。

2回生のはじめにそう考えて試しに写真の勉強を少ししてみたらどんどんその魅力に引き込まれてしまい、フォトグラファーという仕事を知り、気づくとその道を志していました。

ちょうどカメラ女子が流行っていた頃。誰でもすぐ撮影できる時代になりかけていましたが、写真は技術・知識と、それ以上に「センス」で評価されるということが、今まで私が経験していた書道や音楽なども含む芸術的表現方法の中で一番難しくて面白いと思い、のめり込んでいきました。

ちなみに、まだ書道家になることや音楽家になることは諦めていません。
老後の楽しみに残してあります。

クリエイターになりたいという大きな意味合いでは、映像学部を選択したことは今につながる理由の1つにはなりますが、フォトグラファーになる目的とは関係はありません。高校2年生までは音楽家になりたくて、音楽大学の打楽器専攻を目指していました。立命館守山高校に通っていたので学部選択の時に当時、興味のある分野であった映像学部を選びました。

将来のことはそこから考えようと思っていました。

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学部3回生の時の猪飼さん

在学時は学生就職委員になり、秋のイベント「ジャンキャリ」で、アマナの社員の方とフォトグラファーの方に来ていただいたことが印象的でした。実際にその時に作っていたポートフォリオを見ていただき、今の自分には何が足りないのかアドバイスをいただくことができました。また、自分が入社してからのビジョンを鮮明にすることができました。

数ある企業の中でアマナを志望した理由は、まず、フォトグラファーの様々な分野の中でも広告写真に携わりたいと思ったからでした。一般的にフォトグラファーになるためには、スタジオマンになる人はじめから独立する人カメラマンに師事する人などほかにも様々な道のりがあるのですが、具体的にそれを証明する免許のような資格はありません。業界研究をした結果、その中でアマナはアシスタントとして入社をして試験というものを受けて、合格すればフォトグラファーになれると説明会で知ったので、それがどんな道のりかは分からなかったのですが、「一番道筋がはっきり見えていたこと」が最大の志望理由でした。

私は何事も計画性がないと進めない性格なので。。。

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そして、自分の夢が実現した理由は、とても努力をしたからです。知り合いにカメラマンもOBOGも居なかったので、専門学校の先生やいろいろな人に作品(ポートフォリオ)を見せて、ブラッシュアップを繰り返し、面接の講座に行ったり、教本を頼りに面接の練習を何回も行いました。

入社してから4年間、いわゆる下積み時代でした。右も左も何が分からないのかも分からないようなスタートで、アシスタントとして様々なフォトグラファーに師事しました。1年間チーフとしてついたカメラマンもいれば、毎日、日替わりでついていたカメラマンもいました。どちらかというと私は文化系でインドア派だったので体力も無く、写真の知識も浅い方だったのですが、4年間の中で真逆の人間になりました。

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学生時代が限界だと思っていたのですが、まだ自分は強くなれるのかと思いました。就職するまでは実家で暮らしていたことで甘えきっていた部分や制御していた部分がありました。思い切って上京して一人になったからこそ、自分でなんでもやらなければいけない部分が強くなったと思います。そしてまだまだこれから強くなるのだと信じています。

アマナでフォトグラファーになるためには、試験に合格する必要があると先ほど言いましたが、これは自分の作品を発表する、年に1回のチャンスになります。対策は?と聞かれると、やはり日々の鍛練の積み重ねです。一朝一夕でできるようなものではないです。

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平日はアシスタントとしての仕事があるので、お休みの日に自分で撮影をして作品作りに専念します。私は特に地方に行って撮影する作品が多いので、平日の仕事終わりに休日にどこに行って何を撮影するのかを考えて、休みになったらすぐに遠くへ出かけるようにしていました。365日写真のことしか考えていませんでした。今もそうするように心がけています。

私をここまで頑張らせたものは、滋賀県にいる家族の存在です。

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上京するまではずっと一緒にいたので考えもしませんでしたが、離れてから家族の大切さに気づきました。ただフォトグラファーになりたいという一心で突っ走っていましたが、本当であれば長女として両親を支えながら地元でこれからを過ごすことが必要だったのかもしれませんが、何も引き止めず上京させてもらい、さらに応援もしてくれる家族には感謝しかありません。そんな家族に対して、きちんと夢であるフォトグラファーになってたくさん活躍をしていずれは滋賀県でも目にするような大きな広告の仕事ができるようになることを今は目標にしています。

自分の夢も諦めたくないし、だけど家族を支えることも諦めたくないので、それを考えると日々どんなに辛くても厳しくても、会社を辞めるという選択肢は出てきませんでした。諦めるということは今まで応援してくれていた家族や友達、何よりも今まで頑張ってきた自分を裏切ることだと考えています。

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アマナでフォトグラファーになるという意味は先ほども言いましたが、「道筋がはっきりしている」ということと、アマナが撮影している仕事が全国、世界に通用するクオリティだからです。だからアマナでフォトグラファーになるということは成り行きかもしれませんが、私の目標を叶える為には最善だと思いました。

私は普段、私の写真を見た人が優しい気持ちになれるような写真を目指しています。どこか懐かしく、ほっこりするようなトーンになるように、時間や場所、視点を考えて撮影しています。地域のおばあちゃんを撮影する時は、まずはコミュニケーションから大切にします。より近い存在になってから撮影させてもらいます。よりいい表情を引き出す会話もとても重要です。

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今後は地域に密に関わることのできるお仕事や、ナチュラルな広告のお仕事、人物の撮影だけでなく、人の暮らしに必要なものを優しく伝えることのできるフォトグラファーになりたいと思います。

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ありがとうございました。
「フォトグラファーになりました!!」
ある日、事務室にかかってきた猪飼さんからの電話で今回のインタビューは実現しました。卒業後の活躍を耳にすることほど私たちにとって嬉しいことはありません。送られてきた彼女の作品たちはどれも温かく、いつまでも眺めていたくなる素敵な写真ばかりでした。

映像学部を巣立ち、映像業界で活躍する特に女性卒業生の多くは、働き方改革では非常に課題の多いこの業界で、自身のキャリアビジョンやそのビジョンと結婚・出産・育児などとのワークライフバランスに悩み、学部在学時に思い描いていた「夢」と現実とのギャップに苦しんでいるという声を耳にすることがあります。

そんな中で、猪飼さんのように大きな目標を叶えるためには、想像を絶する苦労があったのだろうということがインタビューでもわかりました。その苦労を(本人は苦労とも思っていないかもしれません)乗り越えるためには、「強い思い」が必要で、それを維持する精神力も必要になります。これは本当に彼女が自分の力で手に入れた努力の結晶です。

一度きりの人生です。悔いのないように、自分の思いに正直に生きてください。そのためには時に無理をすることも大事だと思います。
でもどうか、皆さん、心身を壊さないでください。目標も限界も価値観も人それぞれです。

笑顔でまた事務室に近況報告しにきてくれることを私たちは楽しみにお待ちしています!

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