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「詩をうたえ」―北野圭介学部長・研究科長から新しい世界へ羽ばたくみなさんへ―

2020.03.21


詩をうたえ

 詩(うた)をうたう。
 それは、なんと喜ばしいことか。
 なんと価値あることか。なんと讃えられるべきことか。


 もちろん、わたしたちは生物として生きていくためにしなくてはいけないことがたくさんあります。社会のなかで生きていくためにはしなければならないことも山ほどあります。そうではあるものの、さらには、一見余計な振る舞いかのように、ときには贅沢な振る舞いであると映るかもしれないものの、詩をうたうことは、人間が人間であることの中心にあるように思えます。
 わたしたちは、夜更けに布団にくるまり寂しさにひっそりと枕を濡らすこともあります。通りを歩きながら、絡みついて離れない悔しさのために怒りに震え叫ぶこともあるかもしれません。また、友だちが成し遂げた偉業に立会い胸を高鳴らせることもあったでしょう。さらに、仲間と集い、歓びに小躍りすることも。

 喜怒哀楽とはよくいったものです。感情の昂りに、心身を打ちふるわせ、わたしたちは生まれてきたことの手応え、生きていることの手応えを感じるからです。人間をして誇り高いものにしているのは、そうした手応えではないでしょうか。

 だとすれば、無茶であるかもしれないことを承知の上で、こう啖呵をきっておきたい。

 もし、言葉にかぎらず、感情の昂りを世界に投げ出すことを詩をうたうことなのだと名づけうることが許されるのであれば、わたしたちは詩をうたうためにこそ、生きているのかもしれないのだと。
加えていえば、映像には、詩をうたう力があるのだと。

 映像学部へと入学を決めた、あなたたちは、映画に、ゲームに、CGに、VRに、メディアアート、あるいはそれらを論じることに、己をぶつけ、また、もがくことを決意して、大学の門をくぐったのではないでしょうか。映像ととりあえず名指されている、イメージをめぐる彩り豊かな詩に、かくもあたたかく、かくも深い、かくも激しく、かくもやさしい、声を自らの生に置いて聞いてきた仲間として。

 あなたたちは在学していたあいだ、そうした映像の多彩なありさまに触れ、向き合い、ときに呑み込まれ、ときには溺れながらも、喜び、怒り、哀しみ、楽しみを肌で受けとめ、じつに多くの経験を重ねてきたはずです。それは、自らのこころとからだをイメージにあずけ、詩をうたう日々であり、時間であったでしょう。いいかえれば、まさに、生きることの可能性に大いに挑んだ、大いに謳歌してきた日々、時間ではなかったでしょうか。

 これからも、そうした経験を糧に、きっと詩をうたいつづけてください。世界がグラグラしてようが、社会がキリキリしてようが。自分のためにも。身近な人のためにも。同じく生きるひとびとのためにも。派手でなくとも、上手でなくとも。

たいせつなのは、これまでと同じです。自らに真直ぐであることです。それこそがわたしたちを支えてくれるからです。鼓舞してくれるからです。見守ってくれるからです。

詩をうたえ。

そして、詩をうたう、あなたたちに祝福あれ。



立命館大学映像学部長
立命館大学大学院映像研究科長
北野圭介


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