学院長コラム「考えてみチャイナ・中国のこと!?」



その1 姓のトップ5の人口は合計4億人!-中国語の「百姓」の意味(2016年4月26日(火))
本年4月より、図らずも立命館孔子学院長を務めることになってしまい、少し不安である。教務担当の副学院長は何回か務めたので、日常業務は、まぁ何とか全うできるのではないかとは思うのだが、学院長の仕事とは、そうした学内的・運営的な仕事には留まらないからだ。例えば、前任者の中川正之先生が毎月執筆されてきたこのコラム欄をも、引き継がなければならないのである。日中対照言語学研究の大家である中川先生の「ちょこっと話しチャイナ」のように、日本語・中国語の間の「ズレ」を素材にしながら、中国語学習に役立つコラムを軽妙洒脱な文章で記すことなど、私にできるわけはない。不安な気持ちが生じるのも当然ではないだろうか。
  中国現代文学、中でも中華人民共和国以降の文学理論・文芸思想といった、些かマニアックな領域が専門の私にできるのは、市民や学生の皆さんが、多少なりとも興味を持ってもらえそうな同時代中国の文化・社会の話題や、今、中国で生活している人々が直面している問題などを紹介することでしかないようだ。居直り的になってしまい恐縮だが、中国の今をめぐる問題群を、ともに考えていけたらうれしく思う。「考えてみチャイナ・中国のこと!?」と銘打った所以でもある。お付き合いのほど、何卒よしなにお願いします。

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  言い訳めいた前置きが長くなってしまったので、第1回は、最近、目にした中国人の「姓別(性別ではない!)人口統計」を紹介するに留めたい。「人民網(日本語版)」(2016年1月27日)によれば、最新の「姓別人口ランキング」は、第1位=李(9530万人/漢族総数の7.94%)、第2位=王(8890万人/7.41%)、第3位=張(8480万人/7.07%)、第4位=劉(6460万人/5.38%)、第5位=陳(5440万人/4.53%)となっており、トップ5の合計は4億人近くに上る。ちなみに、第6位以下は、楊・趙・黄・周・呉と続き、以上がトップ10を構成するとのことだ。李姓だけで日本の人口に迫らんとしていることを思うと、改めて中国の人口の巨大さを実感するしかないだろう。
  ただし、同時に、中国では姓の数がさほど多くない点も看取しておく必要がありそうだ。少し古い統計(公安部治安管理局「全国戸籍人口統計分析」2007年4月発表)だが、トップ100の姓の人口を合計すると、全人口の84.77%を占めるとのデータがあった。ちなみに、第96・97・98・99・100位は、戴・莫・孔・向・湯となっている。
  周知のように、中国語で「百姓(ひゃくせい/bǎixìng)」と言えば、民衆・庶民のことを指し、日本語の農民の意味はない理由も、実はここにあるのだ。中国で100の姓を集めれば全体の8・9割にも相当するので、普通の人々を指す言葉になり、それがいつの時代にか日本語に入ってきたのだが、その時の日本人の大半は農業に従事していたために、日本語では農民の意味となったと考えて差し支えないだろう。
  それにしても、孔子学院の謂れである孔子(姓は孔、名は丘)の孔姓が第98位、中国人初のノーベル文学賞受賞者である莫言(筆名だが)の莫姓が第97位で、ともにトップ100のギリギリというのは、何となく興味深いように思われるのだが、如何だろうか。


その2 「烟酒」と「研究」-久々に経験した「白酒」乾杯攻撃!?(2016年5月24日(火))
「黄金週」は、上海の同済大学に出張してきた。孔子学院が窓口となって始まった、立命館大学生協と同済大学後勤集団(食堂・宿舎・購買部など学生・教職員の福利厚生施設を管理・運営する大学関連企業)の交流事業「美食節〔グルメ祭〕」の視察が目的だった。今回のメニューは、生協食堂の店長さん4人が、学生食堂で中国人のコックさんの協力を得ながら調理した「和風豚骨ラーメン+鶏煮込み丼」セットである。2日間にわたるイベントは長蛇の列ができるほどの大人気で、計1000食を完売したことを報告しておこう。

  で……今回の本題である。交流相手が学生食堂・大学レストランなどの経営責任者だったこともあって、連日、かなり豪華な酒席に招かれた。しかも大学幹部のみならず、コックさんといった職人気質の方々も多く参加されての接待宴である。アルコール度数が50~60度という「白酒〔báijiǔ/蒸留酒〕」による乾杯攻撃を、それこそ、久々に受けざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
  中国における乾杯とは、文字通り「杯を乾す」ことであり、「敬酒〔jìngjiǔ/「○○のために乾杯!」と乾杯を捧げ合うこと〕」、更には「敬酒」を3回連続に行なう「三杯」という習慣も存在する。私が最初に中国に長期滞在した1980年代中頃の酒席では、出席者全員の「三杯」を何度も受けなければ許してもらえず、その場は必死に耐えたものの、宿舎に戻ってベッドに倒れ込むと天井がグルグル回っていて、いつの間にか意識を失うといった経験を幾度もさせられたものだった。しかし、21世紀に入る頃から、こうした強引な乾杯攻撃は影を潜めるようになっていく。酒が弱い、もう飲めないと口にすれば、それ以上の強要はされなくなった。最近では、酒を飲まない、ないしはビールは嗜むものの「白酒」は絶対に飲まないという中国人も増えている。社会が成熟してきた証左でもあるのだろう。
  だが、今回は違った。本当に久しぶりの「白酒」乾杯攻撃を受けた次第だ。一緒に厨房に立って料理を作った仲間だし、イベントも大成功だったということで、もてなしたい、更なる交流を深めたいとの熱い思いが溢れ出ていたのだと思う。楽しいひと時ではあったが、中国の伝統的な接待の凄まじさを、改めて思い知らされたのも事実だった。
  その場で、久々に「烟酒不分家〔yānjiǔ bùfēnjiā〕」という言葉も耳にした。「烟」は「煙」の簡体字で、煙草をも指す。これは、「煙草と酒は、他人と分け隔てなく楽しめるものだ」という意味で、宴席で酒・煙草を勧める際の決まり文句だった。ちなみに「敬烟」という習慣も存在する。そういえば、80年代のある酒席の場で、中国人研究者に、「烟酒」と「研究〔yánjiū〕」が同音であることに気づいているか、と問われたことがあった。当時、まだ喫煙者だった私は、「没有烟酒,没有研究!〔酒・煙草無くして研究無し!〕」なのですね、と冗談を言ったら、中国語の「研究」には「検討する」の意味もあり、何か頼みごとをされた時の取り敢えずの返答として、「研究一下!〔ちょっと引き取らせて下さい!〕」という応答もよくなされたのだと知らされた。更に、そう言われたら、「袖の下」として、高価な「烟酒」を贈答するのが流儀なのだとも教えてもらったことを思い出す。
  今も、こうした習慣は残っているのだろうか。聞きそびれた、心残りの1つでもある。


その3 「珈琲」と「咖啡」-「コーヒー文化」が定着するまで?(2016年6月26日(日))
■中国における「スターバックス〔星巴克/Xīngbākè〕」が、遂に、100都市・2100店舗を達成したとの新聞記事を眼にした。上海のみでも300店舗が営業しており、「朝は、まずはコーヒーから」との習慣も定着しているとのことである。ちなみに、日本における総店舗数は、「スタバ」のHPによれば約1100軒、京都市内のみでは25軒のようだ。

■イチャモンをつける気は毛頭ないが、私が初めて中国に長期滞在した1980年代半ばの時期(主たる滞在先は天津・南開大学だった)には、もしコーヒーを飲もうとするなら、当時、まだ極めて少数(天津に3軒ほど?)だった外資系ホテルのラウンジにまで出向くしかなかったのだ。しかも、そこで提供されるのも、何とネスカフェのインスタントコーヒー(今より格段に不味かった!)でしかなく、にもかかわらず、1杯の値段は一般庶民の給料の十数分の一に近かった。……というより、そもそも庶民は、外資系ホテルのドアをくぐることさえできなかったのだ。当時、外資系ホテルでは「人民幣」は使えず、外貨を両替した際に渡される「外貨兌換券〔外汇券〕」しか使用不可だったため、外貨に縁のない庶民は入れなかったのだ。中国庶民と同じ生活をしようを信条としていた私は、ホテルの入口でドアボーイの拒絶を受けて、やむなくパスポートを見せるしかなかったことも何度かあった。「外国人特権」を振りかざしているようで、どうしても違和感が残ったのも確かだ。

■閑話休題。コーヒーをめぐっては、更に忘れられない光景がある。天津に初めて庶民向け喫茶店ができたと聞いて、これは是非とも見学せねばと出向いたのは、2度目の長期滞在の時期、即ち、90年代の初頭頃だったろうか。無理やり洋風の内装に仕立て上げたような店内に入ると、客は1組の若いカップルのみで空いていた。だが、先客が、2人で1杯のコーヒーを1本のスプーンですくいながら飲んでいる(舐めている?)様子を見た際には、驚きの余り立ち尽くすしかなかった。当時、まだ値段も高く、味わい方その他も定着していなかったのだろう。――こう考えると、四半世紀ないし30年近い歳月の重みというものを、それがもたらした変化の激しさを、改めて意識しないわけにはいかない。

■ところで、コーヒーは、中国語では「咖啡〔kāfēi〕」である。王偏でなく口偏である点に注意してほしい。「咖」も「啡」も、外来語を音訳的に表記する際に用いられる、近代になって作られた文字のようだ。ちなみに「吗啡〔mǎfēi〕」といえばモルヒネを指す。日本では「珈琲」と漢字表記しているが、当然ながら、日本語としての当て字である。「珈」「琲」はともに古くからある文字で、日本語と中国語の発音は、「珈〔カ/jiā〕」「琲〔ハイ/bèi〕」となっている。意味は、「珈」が古代の女性が用いる玉の付いた髪飾りの一種で、「琲」も幾つもの真珠を糸に通して2列に垂らした飾りとのことだ。古代女性の装身具を意味する漢字がコーヒーを示しているのは興味深いところだが、その理由はわからずにいる。どなたか、お教え下さい……!?


その4 北京という「現場」で見聞・思考したこと(1)-建党95周年・周恩来・習仲勲ほか(2016年7月27日(水))
■7月上旬から10日間ほど、北京に出張していた。――ただし、出張といっても孔子学院関係の業務が1つ2つあったほかは、研究交流と資料収集を目的にしてよいというかなり時間的余裕のある出張で、実に楽しかった。裏返せば、今年の海外出張は、上海3泊4日、ソウル2泊3日といった忙しないものばかりだったのだ。今回は、久々の北京しかも10日間滞在という、「現場」で見聞・思考したことの一端を紹介してみることにしたい。

■中国社会では、以前ほどではないにせよ、時折、一種のキャンペーンが展開される。テレビ・新聞などのメディアが、こぞって1つの政治的テーマを取り上げて特集を組んでいくのだ。今年の7月は、中国共産党建党95周年一色だったと言えるのではないか。テレビ各局では、95年の党の歴史を振り返りつつ現在の到達点と課題を確認する類の番組が、歴史ドキュメンタリーから討論・クイズ番組、更には歌謡番組といった多様なジャンルに渡って放映されていた。また、久々に会った中国人の旧友は、開襟シャツの襟元に、ちょっとオシャレなデザインの赤色のバッジを着けていたので見せてもらうと、建党95周年記念バッジ(強力磁石で装着)だった。今、普及活動しているということで、私も1つ押し付けられてしまった(もちろん無料だった)。だが、そう思って街を歩いていると、そのバッジを着けている人を結構見かけたのも事実である。ちなみに、中国共産党の発足、即ち、第1回党大会は、1921年7月23~31日にかけて上海で開催された。しかし、現在の中国における「建党節〔建党記念日〕」は7月1日である。聞くところによると、「建党節」制定時には、第1回大会の開催日時も含めた詳細な歴史的事実が判明しておらず、諸説が存在したことから、象徴的にこの日になったとのことだった。

■建党95周年記念と銘打ってはいなかったが、建国後の周恩来(建国から死去する1976年まで国務院〔内閣〕総理)を描くテレビドラマ『海棠依旧』全38集(「集」はドラマの回数を指す)が、中央電視台(CCTV)の「総合頻道〔総合チャンネル〕」(CCTVは映画・体育・財経など15チャンネルほどあるが、その第1放送に相当)のゴールデンタイムに、毎日2集(計90分程度)ずつ放映されていた。初回放送は7月4日だったので、日本で言えば、「7月期のNHK大河ドラマ」といった位置づけになろうか。なお、周恩来役は孫維民、毛沢東役は唐国強という有名な「領袖専業戸演員〔指導者役専門俳優〕」だった(いずれも似過ぎていて驚くほどだ)。――即ち、中国では、こうした実在した指導的政治家たちの活躍を描くドラマ(「革命歴史題材」)が、1つのジャンルとして成立しているのだ。そういえば、1993年に長期滞在した際には、この年が毛沢東生誕100周年だったこともあって、誕生月の12月前後には、朝から晩まで各時期の毛沢東故事ドラマが放映されてことを思い出す。当時、「毛沢東専業戸演員」が老いも若きも含めて20人以上いることを知って、卒倒しそうになった記憶もある。ちなみに、2001年の長期滞在時には『長征』全24集が、08年の長期滞在時は劉少奇生誕110周年ということで、『劉少奇故事』全12集が話題となっていた。(私は、もしかしたら「革命歴史題材」ドラマウォッチャーだったのか…?!)

■この周恩来総理を描いたドラマ『海棠依旧』に、現中国共産党総書記・国家主席である習近平の父・習仲勲(俳優までは確認できず)が登場していたのには、少し驚いた。確かに習仲勲は、このドラマの時代背景である1953年より国務院秘書長、59年より国務院副総理兼秘書長という要職に就いている。登場しても不思議ではないかもしれないが、私の知る限り、「革命歴史題材」ドラマに習仲勲が登場したのは初めてだ。そこに、息子・習近平への何らかの「配慮」を意識してしまったのだが、考え過ぎだろうか。


その5 北京という「現場」で見聞・思考したこと(2)-小瀋陽・中国大学事情ほか(2016年8月27日(土))
■前回に引き続き、7月上中旬に北京出張した際に「現場」で見聞・思考したことを、第2弾として記しておくことにしたい。――前回、中国の「電視劇〔テレビドラマ〕」について言及したところ、「先生が「テレビっ子」だったなんて意外でした」といった反響のみならず、「実は私も中国電視劇ファンなんです、最近の電視劇ってかなりレベルが高いですよね」といった声も寄せられた。そこで今回も、テレビ関係の話題を1つ紹介しておく。

■「小瀋陽」という人物(芸名)をご存知だろうか。中国人ならば、たぶん老いも若きも、「あぁ、あのコメディアンの…」といった反応が返って来るに違いない。小瀋陽は1981年生まれの「二人転」出身の芸人で、2009年の「春節聯歓晚会」(中央電視台〔CCTV〕放映の旧正月年越し番組。中国版「紅白歌合戦」とも言われ瞬間視聴率は何と90%以上?!)という大舞台で、著名なベテラン芸人で師匠筋に当たる趙本山とともに、「不差銭〔金では買えない〕」と題した「小品〔コント〕」を演じて、一気にブレイクする(「2009年度百度娯楽沸点最沸点芸人」賞なども受賞)。当時は、私もちょうど清華大学に長期滞在していた時期で、生放送の「小品」を見て、早口の中国語に耳が着いていけないところが多々ありつつも、その表情・演技の破天荒ぶりに笑い転げ、また演技の合間の歌の上手さにも舌を巻いたものだった。ちなみに、「二人転」とは、清朝時代に東北地方で生まれた民間伝統芸能で、一組の男女が、ユーモアたっぷりの掛け合いと仕草で笑いを誘う出し物である。お色気の要素も多少混じった、語りと歌と踊りに特徴があるという。

■それ以来、小瀋陽が気になって、中国出張の宿舎でテレビを点ける度に小瀋陽を探したのだが、なかなか見かけることができずにいた。その小瀋陽に、今回、久々に「跨界歌王〔ジャンルを超えた歌の王様〕」(北京電視台〔BTV〕放映)という番組で再会できて、妙に懐かしくうれしく思った次第だ。この番組は、香港出身者も含む様々なジャンルの有名人による一種ののど自慢大会で、全13回放送とのことだった(予選10回+準決勝2回+決勝/毎回5・6名の有名人が参加して1・2名が勝ち残るシステム)。私が見たのは予選だったようで、小瀋陽は2曲歌う内の1曲に、意外にもポップス系(「二人転」で歌うのはいわば民謡・演歌系だ)を選び、かつ見事に歌いこなしたものの1位にはなれず、結局、敗者復活枠での予選突破だった。決勝戦は7月末の放映つまり帰国後とのことで、視聴できないのを残念に思ったものだった。――で、今回、ネットで調べてみたところ、小瀋陽は準優勝だったらしい。さすがだな!とうれしく思うと同時に、あの軽妙な「小品」を、是非ともまた見たいものだと思わされた。今後とも、小瀋陽ウォッチングを続けていくしかないようだ。

■「テレビっ子」(実は、物心ついた時にテレビがあった世代のハシリに相当する)であるため、テレビネタで、予想外に紙幅を費やしてしまった。最後に、今回、30年来の中国人の友人(大学教員)から聞いた大学関連情報を、1点のみ紹介して終わりたい。――北京大学・清華大学(断わるまでもなく中国のトップ2大学だ)では、来年度より新規採用する教員は、全て任期制(4~8年)とすることが決定したとのことだ。任期満了時にその間の研究・教育実績を評価した上で、「雇い止め/任期制教員として再任/任期の定めのない教員として再任」という3つの中から、1つを選択して判断を下すとのことである。こうした制度を北大・清華で導入するということは、今後、全ての大学で実施していくことを意味するだろう。友人は、「研究は、短期間で評価などできないはずなのに…」と言っていたが、私もそう思う。中国には、日本以上にアメリカナイズされた競争社会の側面が存在することを、改めて思い知らされた。日本の動向も含めて、今後に注目していきたいと考える。


その6 「春雨綿綿妻独宿」が示す漢字とは……?――文字に淫する中国の文化(2016年9月24日(土))
■中国の文学に携わっていると、古典の詩文は言うまでもなく現代小説においてさえも、この国の文人たちの文章そして文字使いに対する美意識は、日本人のそれを遥かに越えて徹底していることに否応なく気づかされて、時として絶句してしまうことがある。少し大袈裟に過ぎるかもしれないが、例えばお気に入りの漢詩の対句表現などを思い起こしてもらえれば、私の言いたいことの一端は理解いただけるのではないか。――と書き始めたからといって、堅苦しい中国文学講義を進める気は毛頭ないので、ご安心を……?!

■今回は、中国の謎々(中国語では「謎語」)がテーマである。ということで、まずは私に上述の思いを抱かせた、傑作としか呼びようのない「謎語」を一問、提出しておく。即ち、「春雨綿綿妻独宿」で示される漢字は何か、である。是非、少し考えてみて下さい。

■その間に、「謎語」の概略を紹介しておこう。「謎語」は謎々の答(「謎底」)や謎々の形式(「謎面」)によって、「字謎」「物謎」「成語謎」などに分類される。「字謎」は答が漢字となるもので、問題を出した後に「打一個字!〔一字を当てよ!〕」との指示がなされる。簡単な例題として、「走在上面,坐在下面」を挙げておく。直訳すると「上を歩いて下で座る」となるが、裏の意味として「「走」では上にあり「坐」では下にある」も生じており、「謎底」は、当然ながら「土」となる。「物謎」は例えば「五個兄弟,住在一起,名字不同,高矮不齊」で、意味は「五人兄弟一緒に暮らすも、名前も違えば背も違う」となって、「謎底」は「手指」である。「成語謎」は成語や四字熟語を当てるもので、例えば「七分加八分等於一千元」で四字熟語を導いてほしい。訳せば「7分+8分=1000元」となり、「謎底」は「一刻千金」となる。理由は「15分=1000金」となるからだが、中国語では15分のことを「一刻」とも呼ぶことを知らないと、正解にはたどり着けないだろう。

■では、優雅な「字謎」である「春雨綿綿妻独宿」の「謎底」は判明しただろうか。漢詩の一句のような 問題文は、読み下せば「春雨、綿々たり。妻、独り宿す」となり、意味は「春の雨が綿々と降り続き、妻は一人で家にいる」といったところか。では、「打一個字!」――勿体ぶっても仕方ないので、「謎底」を言ってしまえば「一」である。私は答を聞いても、何故そうなるのかわからなかったのだが、皆さんはどうか。謎解きは以下の通り。「雨が降り続く」のだから太陽、即ち「日」は見えないし、「妻独り」なのだから「夫」はいない。ということで、「春」という漢字から「日」と「夫」を差し引けば、「一」という漢字が残るというわけである。ちょっと意表を突く見事な「字謎」ではないだろうか。

■中国人の友人によれば、元々は更に7文字の「字謎」が3つあって、全て並べると4行の漢詩である「七言絶句」を構成していて、表の意味をたどれば春の情景が浮かび上がり、かつ、1行ずつの「字謎」を読み解けば、例えば「一騎当千」といった四字熟語が現れるのだと言う。では、残りの3行を教えてくれと言ったら、「忘れた!」と言われてしまった。ホントかな、とも思わなくもないが、残念の一語である。ともあれ……私が、「文字に淫する中国文化」と叫びたくなる理由は、理解いただけたのではないだろうか。


その7 「倍返し」と沖縄――「倍」という漢字の原義にも関わって(2016年10月26日(水))
■めったに腹を立てることのない私だが、久々に怒り心頭に発した出来事があり、つい「倍返ししてやる」と思ってしまった?!――「倍返し」と言えば、2013年に大ヒットしたテレビドラマ『半沢直樹』(TBS系列「日曜劇場」枠/主演・堺雅人)である。このドラマが大人気を博した理由は、大手銀行を舞台に上層部が示す理不尽な振る舞いに対して、半沢直樹が仲間とともに正面から立ち向かっていく姿が、視聴者の共感を呼んだからに他ならない。主人公が叫ぶ「やられたらやり返す、倍返しだ!」という決め言葉的な台詞は、その年の流行語大賞にも選ばれた。

■ところで、「倍返し」は中国語では何と言うのか。中国語ニュースサイト『日経中文網』(日本経済新聞社運営)にアップされた当時の記事によれば、「加倍奉還」と訳されていた。直訳すれば「倍を加えて奉って返す」である。では、半沢直樹がドラマの第二部で叫んだ「十倍返し」はどうなるのか。一見すると「加十倍奉還」となりそうだが、実は間違いだ。何故か…。

■正しくは「加九倍奉還」となる。「十倍返し」なのに「九倍」を用いるのには違和感が残るかもしれないが、これが正解なのだ。つまり、日本語の「倍」という表現は、一般には「二倍」の意味を示すが、中国語(というか本来の原義)の「倍」とは、「比較するものの1つ分」を指すのである。従って「加九倍奉還」とは、「元々存在する1つ分に、その9倍分(=9つ分)を加えて奉って返す」、即ち、「1+9=10」にして「返す」ことなので、日本語の「十倍返し」の意味となるのだ。日本語でも、「人一倍頑張る」という表現が「人の二倍頑張る」の意味となることなどを思い起こせば、「倍」という言葉の持つ原義が理解できるのではないだろうか。中国語では、「A是B的三倍」は「AはBの三倍だ」となるが、「A比B増加了三倍」は「AはBより三倍分増加した=AはBの四倍に増加した」という意味になるのである。同じ漢字を用いている日本語と中国語ではあるが、その間には微妙なズレが存在することの興味深い一例でもあるだろう。

■最近、沖縄で、米軍ヘリパット(ヘリコプター離着陸帯)移転建設に反対する市民に向かって、警備に動員された大阪府警機動隊員が、「ぼけ、土人が」「だまれ、こら、シナ人」と罵声を浴びせるという出来事があった。「土人」(中国語にも存在するが、中国の辞書でも「蔑視の意味を含む。現在は用いない」と明記している)のみならず、それと同列に「シナ人」とまで叫ぶ人権感覚と歴史認識の欠如には、正直言って、呆れかつ無性に腹が立ったとしか言いようがない。つい「倍返しだが必要だ」と思ってしまったが、その方法は、当然ながら罵声を浴びせ返すことでは全くなく、広義の「教育」でしかないことを、今、改めて思い知らされている。


その8 「日本笑星“馬上去・馬上来”小姐来津」――ささやかな思い出から(2016年11月30日(水))
■中国語の授業中に「新出単語」の説明をしていて、久々に30年近く昔の、天津の南開大学における初めての中国長期滞在中の出来事を思い出した。――ある日、朝食用の「饅頭〔蒸しパン〕」を買いに出た帰り道、「報刊亭〔新聞・雑誌スタンド〕」を通りかかると、突然、「日本笑星“馬上去・馬上来”小姐来津」という新聞見出しが眼に飛び込んで来たのだった。「日本」そして「笑星」という文字に反応してしまったらしい。一瞬、意味が全く分からず絶句していたのだが、その直後に何かが閃き、声を挙げて大笑いしてしまった記憶がある。

■新聞(たぶん『天津日報』だったと思うのだが、断言はできない)を慌てて購入して、その記事を読んだ。日本のあるテレビ局(関西ローカル局で妙に懐かしかった)のバラエティ番組が立ち上げた「天津飯のルーツを求めて」という企画のロケで、先日より、「馬上去・馬上来」小姐(「小姐」は、未婚の若い女性を指す)が天津を訪問しているという内容だった。ちなみに、天津飯は日本生まれの中華料理であって、天津に天津飯のルーツはないことも、その記事で初めて知った。なお、私は見逃がしてしまったのだが、「馬上去・馬上来」小姐の取材の様子などが天津電視台(テレビ局)のニュースで紹介されたりもしたようで、「馬上去・馬上来」小姐は、一時、天津市民の話題にもなったらしい。

■少し中国語を勉強した人ならば、「馬上去・馬上来」小姐が誰を指すのか、すぐに見当がつくだろう。そして判明した直後には、私のように笑い出すかどうかは別としても、はたと膝を打つのは間違いないのではないか。ただしそれには、「馬」が中国にはよくある姓なので、いかにも3文字の中国人風の姓名に仕上がっていることを感じた上で、「馬上」が「今すぐに」という非常に一般的な副詞であることに気づく必要があるのだが……。

■ということで、正解は、女性漫才コンビの「今いくよ・くるよ」ということになる。昨年5月末に、今いくよさんが、胃癌により67歳の若さで亡くなったことは、通夜の席で相方の今くるよさんが、「日本一の相方とやってこられて私は、ほんま幸せだった」と挨拶して涙を誘ったことも含めて、まだ記憶に新しい。ベテラン漫才師らしい達者な芸を思い出すと同時に、彼女たちも、当時はまだ「小姐」と呼ばれていたことが、妙に懐かしく感じるところだ。コンビの隠れファンだった私としても、遅ればせながら、改めて「馬上去」小姐の冥福を祈りたい。


その9 トランプは「特朗普」か「川普」か?――新華社と「網民」の争い(2016年12月21日(水))
■ドナルド・トランプ氏が、第45代アメリカ大統領に当選してしまった。大統領選挙期間中の発言を見る限り、移民・イスラム教徒・女性などへの差別意識を隠さない、「人権感覚に乏しいナショナリスト」としか呼びようがないところがあるのも確かだろう。こうした人物が、世界最大の核保有国・アメリカの核兵器発射ボタンを押すことができる、唯一の人間=大統領になってしまったことに、言い知れぬ不安を抱くのは、私だけではないだろう。――ともあれ、グローバルな注目を一気に集めたトランプ氏を、カタカナの存在しない中国語では、如何なる漢字で表記しているのだろうか。実はこの問題をめぐって、今、中国大陸で、ちょっと興味深い動向が生じているようなのだ。

■『人民日報』などのいわゆる「官方〔政府機関側〕」メディアでは、「特朗普〔Tèlǎngpǔ/トゥランプ〕」で統一されている。だが、比較的年齢の若い「網民〔ネットピ-プル〕」たちの間では、「川普〔Chuānpǔ/チュァンプ〕」との表記が飛び交っているのだ。ちなみに、台湾でも、英語の原音に近いと思われる「川普」という表記が主流となっている。

■外来語(特に欧米言語)を中国語に取り入れていく仕組みは、大きく分けると3つある。1つ目が「意訳型」だ。テレビ受像機を「電視機」、即ち、「電」気で「視」る「機」械と訳す類である。このパタンは日本語でも、「電話」「飛行機」など枚挙に暇がないところだ。2つ目は、本来的には表意文字である漢字を、その一切の意味を排除してカタカナ的に、即ち、表意文字である漢字を表音文字として用いる「音訳型」である。欧米の固有名詞などは、基本的にこのパタンだ。例えば、オバマ大統領は「奥巴馬〔Àobāmǎ/アォバマァ〕」、ケンタッキーは「肯徳基〔Kěndéjī/ケンドゥジー〕」となる。「巴」などの日常語では頻出しにくい漢字を入れ込み、外来語らしさを強調していると言ってよいだろう。そして3つ目は、上記2つの型の「折衷型」である。漢字の音を似せつつ、かつ、意味も関係させていくというパターンである。その傑作が「可口可楽〔Kěkǒukělè/クゥコウクゥルゥ〕」、即ち、コカ・コーラであることを知っている人は多いのではないか。発音が似ている上に、意味も「口」にす「可」し「楽」しむ「可」し、となっており、おいしい飲み物であることを彷彿とさせているのだ。ともあれ、漢字しかない中国語の場合、外来語の移入に苦労するしかない点は、改めて看取しておこう。

■なお、「川普」とは、四「川」訛りの「普」通話という意味で、四川省出身者をからかう言葉として、実はすでに定着していたのだ。断わるまでもなく、「普通話」とは、北方方言(その中心が北京語である)を基礎として成立した、いわゆる「共通語」を意味する。

■で、「特朗普」と「川普」である。近年の中国大陸の場合、新たに登場する欧米要人の漢字表記は、国営通信社である新華社が決めていると、中国人新聞記者から聞いたことがあった。トランプ氏を指す漢字が、もしも「特朗普」ではなく「川普」で決着したとすれば、「官方」メディアが「網民」に敗北したことになるのではないか。密かに注目したい。


その10 世界孔子学院大会(昆明)への参加報告――「国家プロジェクト」を実感?!(2017年1月24日(火))
■昨年12月9~11日、雲南省・昆明市で開催された世界孔子学院大会に出席してきた。9日午前の授業を終えてからの出発だったことと、関西国際空港からは昆明直行便がなく、かつ、飛行機がかなり遅れたこともあって、昆明空港に到着したのが10日の現地時間午前2時過ぎ(日本時間午前3時過ぎ!)だったことに象徴される、2泊3日のハード・スケジュール出張で、疲れ切った!というのが率直な感想である。(中国有数の観光地・昆明は初めての訪問だったにもかかわらず、自由時間は10日夜にたった30分ほどしか取れず、ホテル周辺を歩き回ることしかできなかったのが、本当に心残りだった……。)

■愚痴(?)はともかくとして、今回の出張における最大の印象は、中国にとって孔子学院とは、やはり世界に向けて中国語ないし中国文化を発信していく、まさに「国家プロジェクト」としての位置づけだったのだな、ということを改めて再確認させられた点だった。それは、10日午前に開催された「大会開幕式」の「主持人〔司会者〕」が、国務院〔内閣〕教育部長〔文部科学大臣〕兼孔子学院総部理事会副主席の陳宝生によって担われ、冒頭挨拶が中国共産党雲南省委員会書記兼雲南省長の陳豪で、基調報告が、中国共産党政治局員〔中国共産党トップ10クラスの幹部〕で国務院副総理を務める劉延東(女性/内閣における文化・教育分野担当副総理)だったことなどからも明らかだろう。ちなみに、現在、孔子学院は世界各地に500ほど設置されており、今回の世界大会出席者は、国内参加者も含めてだが、3000人規模とのことだった。

■国家的位置づけを実感した小さな経験を、1つだけ紹介しておく。10日夜、外国人参加者は、雲南の民族芸能をモダンに再構成した芸術劇「雲南映象」(日本上演もされて好評を博したとのことだった)を鑑賞することになっていたのだが、当日午後の「院長論壇」が長引き夜の歓迎宴も遅れたことから、開演までの時間が差し迫ったらしい。宴席が早仕舞いさせられ、急いでバスに乗るように指示された。外国人中心に乗車したバス40台ほどが、昆明郊外の国際会議場から市内中心の劇場へ向けて30分ほど疾走したのだが、何とその間、信号は全て青だったのだ! 交差点には公安関係車両が停まっており、警察官が信号を操作していたことにふと気づいて、驚いたというか呆然としてしまった。一般車両が長蛇の列を連ねて渋滞している横を走り抜けながら、私としては心の中で、「昆明市民の皆さん、迷惑をおかけし、本当にすみませんねぇ!」と呟くよりなかった。

■中国の中央集権的力量を思い知らされた恰好だが、それだけに、孔子学院の運営にあたっては、日本の、更には本学の自主性をしっかりと担保していかなければならないと、改めて決意させられたのも事実である。孔子学院は、中国にとっては「国家プロジェクト」なのだろうが、日本ないし本学にとっては、主体性を備えた「共同プロジェクト」に他ならないのである。市民・学生に役立つ教育・文化機関として、今後ともいっそう努力していきたいと考えている。批判や叱咤も含めた応援を、今後ともよろしくお願いします!


その11 「微信紅包」を知っていますか?――「春節」における新たな流行の誕生(2017年2月24日(金))
■もう2月も下旬だが、今年の「春節」(中国の新年=旧正月)は1月28日だったので、まだ、「お年玉」の話題でも許していただけるのではないか。――中国における日本の「お年玉」の習慣に近いものは何か、と中国人に訊ねると、ほぼ全員が「紅包」と答えるだろう。ただし、「紅包」の原義は、元日に子供だけにあげる日本の「お年玉」とは違って、いわゆる「祝儀・おひねりの総称」、即ち、「紅い紙に包んで渡すお金」(何らかのお祝い金)を指す一般的な言葉なのだ。ただし、最近、日本で言いうところの「お年玉」に相当するような習慣も生じつつあり、それを「紅包」と呼んでいるのも確かなようだ。

■『人民日報』系ニュースサイト「人民網(日本語版)」2月4日付の記事によれば、「微信〔WeChat〕」(いわゆる「中国版LINE」などと呼ばれるスマホ中心のネットサービスだ)は、以下のようなデータ報告を発表したという。即ち、「春節」期間(大晦日に相当する1月27日から2月1日までの5日間)に、「微信」の電子決済を用いて「お年玉」を送るサービスである「微信紅包」が、何と460億件も送受信されたとのことである。これは、前年同期比43.3%の増加だそうだ。ちなみに460億件を、「微信」を日常的に利用する人数7億6200万人(2016年第1四半期の月間アクティブユーザー数)で割ると、1人平均60件を送受信したことになる。ただし、年齢別データを見ると、大人から子供へ送る日本の「お年玉」的利用は相対的に少なく、最も活発に「微信紅包」を送受信しているのは同じ年齢層同士で、かつ、その主力層は、「八〇後〔80年代生まれ〕」「九〇後〔90年代生まれ〕」世代とのことである。つまり、若い世代が、友人同士で新年の「お年玉」というかお祝い金をやり取りする習慣が、今、生まれつつあるのだ。

■省・自治区別データによれば、「微信紅包」の送受信が最も多かったのは広東省で、計58億4000万件だったそうだ。以下、江蘇省・山東省・河北省・浙江省と続く。一方、都市別データによると、トップは北京市で、送信数2億8000万件・受信数10億件だったようだ。以下、深圳市・広州市・上海市・重慶市と続いている。なお、興味深いのは、地域間の送受信に関わるデータである。最多は広東省から湖南省への送信となっており、以下、湖南省から広東省へ、広東省から広西壮族自治区へ、広西壮族自治区から広東省へ、北京市から河北省へという順番になっているとのことだ。やはり、近隣の地区同士のやり取りが多いようで、当然ながら、人的移動・交流が盛んなことをうかがわせる。

■全体として見た場合、「春節」における「微信紅包」は、北方より南方で流行していると見てよいのだろう。今後、全国に広がることが予想される、「春節」における新たな流行現象の紹介としたい。――それにしても、今回の「春節」期間を通じて、いったい幾らくらいの金額が送受信されたのだろう。金額に関するデータが一切示されないため、気になって仕方がない……。ともあれ、かなりの経済効果を生み出していることだけは確かだろう。中国は、まだまだ元気なようだ。


その12 酒呑みのランキング――中国そして韓国、では日本は?(2017年3月24日(金))
■3月と言えば卒業式シーズンである。先日に開催された、私が所属する文学部現代東アジア言語・文化専攻の謝恩会の場で、初めて乾杯の音頭取りに指名させられてしまった。専攻の最年長教員になっていたことを改めて思い知らされ、愕然とするしかない。とはいえやむを得ず、マイクを握り、「乾杯の発声」前の挨拶として、「中国には酒呑みのランキングがあるのを知っているか? 卒業して社会に出れば、酒を吞む機会も格段に多くなるだろう。自分がどの段階に位置するかをしっかりと認識した上で、その次の段階を目指して、楽しく酒と付き合っていくことが本当に大切なのだ」といったことを話したものだった。

■では、中国における酒呑みのランキングとは、一体如何なるものなのか。ランクは下から順に……
  「酒徒」→「酒鬼」→「酒豪」→「酒仙」→「酒聖」
となるとのことだった。「酒徒」とは、「学徒」からも類推できるように「酒を嗜み始めた人」の意味である。ただし、日本語の「学徒」は「学生と生徒」の意味だが、中国語の「学徒」は「見習いや徒弟」の意味となる点には注意が必要だろう。「酒鬼」は、一般に「呑ん兵衛」の意味で、日常会話でもよく用いられる。「酒豪」は日本語ではよく使われるが、中国語の場合、意味は日本語と同様に理解されるが、少し古い言葉としてのイメージがあるようだ。一般的な中国語辞典には、採録されていないことも多い。「酒仙」は「酒の仙人」、「酒聖」は「酒の聖人」となろうか。断わるまでもなく、唐代の二大著名詩人、というか中国詩歌史上最高の詩人とさえ称される李白と杜甫を、それぞれ「詩仙」、「詩聖」と呼ぶことを踏まえている。総じてこのランキングは、酒量を示すというよりも、酒の嗜み方、酒との親しみ方の、いわば品格といったものをランキング化しているようにも思われる。

■ところで、日本にこうした酒呑みランキングを示す言葉はあるのだろうか。浅学にして知らずにいる。ご存知の方は、是非、お教え願いたい。……ちなみに、韓国のある大学の教員と知り合った際に、「中国にはこんなランキングがあるようだが、韓国はどうか」と尋ねたところ、少し考えた末に、「一般的ではないかもしれないが」と言いつつ、以下のランキングを教えてくれた。なお、この韓国版ランキングは、「○○を問わず酒を呑む」という形になっており、その○○部分がランクを示すキーワードだ。これまた、下から順に示すと……
  「つまみ」→「遠近」→「昼夜」→「相手」→「生死」
となるとのことだ。「生死を問わず酒を呑む」とは壮絶な段階で、確かに、最高ランクだろうと思い知らされるのみである。それにしても、第4段階から第5段階への飛躍の度合いには、改めて驚かされるところではないか。

■酒との付き合い方は、それこそ一生の課題だろう。じっくりランクアップ(?!)していきたいものだ。なお、中国の酒呑みランキングを紹介して下さったのは、立命館孔子学院元学院長で本学名誉教授の筧文生先生(中国古典文学専攻)で、中国人の友人から教えられたとのことである。最後に一言、付記しておく。


その13 「外滙兌換券〔FEC〕」の話――1990年代前半までの「幻の通貨」(2017年4月28日(金))
■2013年に逝去された中国文学研究者・釜屋修先生が、四半世紀近く前に北京大学で在外研究をされていた当時の日記をまとめた小冊子『半醒半酔遊三日――1993年中国滞在半年の記録(3月25日~9月22日)』【注】が送られてきた。釜屋先生が在外研究を終えた直後の93年10月から94年3月末まで、2度目の中国長期滞在(天津・南開大学での在外研究)をしていた私には、また、その滞在中に中国出張に来られた釜屋先生に誘われて、一緒に若手作家を訪問したりもしていた私には、同時期の中国体験を共有した、興味深く懐かしい記述に満ち溢れていたとしか言いようがない。――釜屋先生の飾らないお人柄を思い起こしつつ頁をめくっていたら、「FEC」そして「Change Moneyのお兄さん」といった言葉が眼に飛び込んできて、つい、ニヤリとしてしまった。「FEC〔Foreign Exchange Certificated〕」つまり「外貨兌換券〔外滙兌換券〕」をご存知の方はいらっしゃるだろうか。

■実は、1970年代末に「改革・開放」政策に転換した中国政府は、外貨を管理するために、一般に通用する通貨である「人民幣〔RMB〕」の他に、外貨を両替した際にのみ渡される通貨を発行していたのだ。これが外貨兌換券(全て紙幣のみで100元・50元・10元・5元・1元・5角・1角の7種類。以下、兌換券と略称)で、1979年に導入され1980年4月1日より流通が始まった。ちなみに兌換券は、擦り切れてちぎれそうな人民幣とは異なり、パリッとした厚手の上質紙で、中国語の他、英語による詳しい使用説明が印字されていた。

■当然ながら人民幣と兌換券は、額面上は等価である。だが、人民幣では、外貨への両替や外国製品の購入が不可能だったため、兌換券を欲しがる中国人が急増していく。とすると、人民元と兌換券との交換を行なう「黒市〔ブラックマーケット〕」が成立していくのも当然だろう。街で外国人を見かけると、「Change Money!」と声をかけてくる若者も増加していた。また、大学内の留学生宿舎の周辺には、小商いの店を構えた、釜屋先生の言う「Change Moneyのお兄さん」が必ずいて、顔馴染みの外国人がやってくると、小声で「Change Money?」と囁いてくるのだった。交換レートは、地域によって異なるが、北京・天使では、兌換券1に対して人民幣1.5~2.0程度だったのではなかったか。

■もちろん、この「黒市」行為が犯罪であることは断わるまでもない。短期の旅行者の場合、兌換券を大量の人民幣と交換しても使い切れないことも多い。残った人民幣は外貨に戻せないので、帰国したら紙くずに等しくなる。だが、長期滞在者にとってみれば、労せずして使用できるお金が2倍近くに増えるのだ。外国製品は買えないが、日常用品を買う分には不自由しない。とすれば、この「黒市」を利用したことのない留学生の方が、もしかしたら少数派だったのかもしれない。

■この兌換券制度は、1993年12月末を以って発行が停止され、95年1月1日より廃止・流通禁止の措置が取られていく。その突然の政策転換によって引き起こされた、留学生たちの間で発生したパニック現象などについても書き記したいところだが、すでに紙幅が尽きた。――釜屋先生の日記に触発されて思い出した兌換券だが、これをめぐる悲喜こもごも(?)のエピソードは、まだまだ尽きないことに気づかされた。兌換券が、「改革・開放」政策が定着していく過程の「鬼っ子」だったからなのかもしれない。兌換券に関する話題は、「次回に続く」ということでお許しいただければと思う。乞うご期待?!

【注】釜屋修(1936~2013年)先生は、「当代文学〔中華人民共和国建国後の文学〕」の専門家で、静岡大学・和光大学・駒澤大学などで教授を務めた。日本中国当代文学研究会を立ち上げ、長くその代表も務める。主要著書に『中国の栄光と悲惨――評伝・趙樹理』(玉川大学出版部、1979年)などがある。なお、この小冊子は、新たに発見された釜屋先生の遺稿を集めた『わが戦中・戦後――思い出の堺、思い出の人びと』(翠書房、2017年3月)の付録として刊行されたものである。


その14 続・「外滙兌換券〔FEC〕」の話――「白卡」からオークションまで(2017年6月7日(水))
■先月末から今月初にかけて、孔子学院関係はもとより、その他の学内役職に関わるイベントや業務が重なり、かつ、常任理事や事務局を担当させられている学会・研究会関連の仕事までもが目白押しになってしまい、恥ずかしながら、ちょっとアップアップ状態に追い込まれていた次第である。授業準備の時間を確保するのが精一杯で、このコラムを書くだけの時間的余裕は生み出せずにいた。「休載」にしようかとも思ったのだが、一度「甘い汁」を吸ってしまうと、ズルズルっと安易な方へ流れてしまう性格なので、「(遅ればせの)その14(ただし2017年6月7日)」とさせていただくことにした。6月末には、ちゃんと「その15」を発信したいと考えている。……取り急ぎ、お詫びと今後の決意ということでご海容いただければ、勝手ながら幸いです。

■前回は、「この兌換券制度は、1993年12月末を以って発行が停止され、95年1月1日より廃止・流通禁止の措置が取られていく。その突然の政策転換によって引き起こされた、留学生たちの間で発生したパニック現象などについても書き記したいところだが、すでに紙幅が尽きた」との一文で筆を擱いた。以下、その続きである――外貨兌換券がなくなるという決定が一般新聞で正式発表されたのは、この年(93年)の12月も初旬になってからだったように記憶する。その直後から、当時滞在していた天津・南開大学の留学生たちの間では大混乱が生じた。「94年1月1日から兌換券は一切使用できなくなる」といった噂が一気に流布したため、年内に兌換券を使い切らねばタダの紙屑と化してしまうと信じ込んだ留学生が、数多く存在したからだ。実際には94年末までは流通しており、外貨への兌換も可能だった。このことは当然ながら、詳細な解説記事などには記されていたのだが、それに気づかなかった留学生や、中国政府の政策は信用できないといった「小道消息〔口コミ情報〕」(確かに、当時、そういう例に事欠かなかったが)に踊らされた留学生も多かったようなのだ。今でも覚えているが、12月31日夜の留学生宿舎は、異様なまでに静まり返っていた。大半の留学生は街中の外資系ホテルなどに出向いて、兌換券を用いた「豪遊」を繰り広げていたのだった。

■兌換券と関わっては、「白卡〔ホワイトカード〕」という制度があったことをご存知の方は、極めて少ないのではないだろうか。――私の初めての中国長期滞在は1980年代半ばで、やはり南開大学だった。当時は、協定校から派遣された研究員という身分だったこともあり、南開大学から月700元(当時の日本円換算で28000円程度)の研究費が支給された。ただし、当然ながら兌換券ではなく人民幣である。だが、私は日本人で、兌換券でしか購入できない外国製品(例えば日本製煙草など。当時は喫煙者だった)をも必要とするわけで、矛盾が生じるのも確かだろう。ということで、外国人だが中国政府から人民幣で現金を支給されている人間だという証明書が「白卡」で、これを見せると、支給されている金額分だけは、人民幣を兌換券として使用できるという制度である。ただし、カードといっても白い厚紙の二つ折りで、裏には、店側が日付・購入品・金額を記入する欄があって、そのトータルが1ヶ月の支給額を超えた場合は、兌換券での支払いを要求されることになるのだった。とはいえ当然ながら、「白卡」制度を知らない商店や中国人も多く、人民幣による支払いを拒否されることも多かったことは記しておこう。また、裏に書き込まねばならないことを知らない中国人が多かったことも、密かに(!)記しておく。

■一昨年、広州に出張した際に、デパートの一角で、外貨兌換券を扱っている店を見つけて驚いた。廃止から20年以上を経る中で、兌換券がコレクションないし「投資」の対象となっていたのである。ちなみに、1979年発行の100元札兌換券が2000元(3万円強)、50元札兌換券が3000元(4万5千円強)となっていた。聞くと、50元札の方が発行枚数が少なかったために、こうした価格になっているとのことだった。帰国後、記念に残しておいた兌換券セットを、つい久々に取り出して眺めてしまったものだった。(なお、日本でもヤフオクなどで、外貨兌換券のオークションがなされていることを知った。さて、どうする?!)


その15 中国におけるノーベル文学賞をめぐって――莫言の次は…?!(2017年7月2日(日))
■このエッセイを読んで下さっている読者(本当に奇特な方で、非常感謝!の一語です)から、筆者は中国現代文学が専門だと謳っているにもかかわらず、それに関する話題が極めて乏しいのは何故か、といった鋭い質問を受けてしまった。言われてみればその通りである。最近は忙しさにかまけて、中国で話題になった近刊小説をフォローできずにいたことを、図らずも示していたのかもしれない。―――ということで、今回は、中国文学事情の一端を紹介してみることにしたい。まずは、少しミーハー的(?)かもしれないが、ノーベル文学賞をめぐる話題から紹介しておこう。

■中国人として初めてノーベル文学賞を受賞したのは、ご存知のように、2012年の莫言(1955生)である。張芸謀の初監督作品で、88年度ベルリン国際映画祭金熊賞受賞作『紅いコーリャン』の原作『紅高粱』(86)の作者として、日本でも比較的早くから名を知られていたのではないか。ただし、ここで中国「人」としてという言い方をしたのは、実は、中国系作家としては、2000年に高行健(40生)が受賞していたからである。高行健は、文革後、北京人民芸術劇院の劇作家として、中国初と言われる小劇場演劇『絶対信号〔非常信号〕』(劉会延と合作。81)やベケットの不条理劇に影響を受けた『車站〔バス停〕』(83)などを発表して話題を呼んだ。また、『現代小説技巧初探』(81)を出版するなど、文革後に一気に流入してきた、欧米のモダニズム的文学の紹介者としても大きな役割を果たしたと言えよう。高行健は、88年よりフランスに滞在していたが、六四・天安門事件(89)の勃発を契機に政治亡命を図り(90年に天安門事件を題材とした戯曲『逃亡』を発表)、その後、フランス国籍を取得したため、中国「人」とは呼べないこととなる。

■高行健のノーベル文学賞受賞に対して、中国の態度(政府はもとより一般国民も)は、当然ながら一貫して冷淡だった。祖国を捨てた者への授賞であり、政治的背景があるのではないか、といった論調までもが登場した。また、その直後くらいから、中国人初のノーベル文学賞作家の出現を熱望する世論が高まったようにも記憶する。その意味で莫言の受賞は、中国にとって待ちに待ったものだったのである。莫言文学の魅力は、一言で言えば、物語を紡ぎ出していく圧倒的な構想力にあるように思われる。長編小説はほとんど全てが翻訳されているので、是非、手に取って読んでみてほしい。物語の中に身を委ねることの楽しさ(と、それ故のしんどさ?!)を、味わうことができるのではないだろうか。ちなみに私のお薦めとしては、グロテスクな描写の中に生命の尊厳を描ききった歴史絵巻『檀香刑〔白檀の刑〕』(2001)を挙げておく。

■莫言が受賞した頃、ネット上に、以下のような「戯れ歌」がアップされて話題となった。
「莫言は、思想と知恵では韓少功には及ばない。/激情と熱意では張承志には及ばない。/体制批判と現実の反映では閻連科には及ばない。/人間の性を見据える大作家の風格では劉震雲には及ばない。/小説の長さと抒情では張煒には及ばない。/言葉の鋭さとセンスでは格非には及ばない。/内省と自己洞察力では史鉄生には及ばない。/中国らしさと真面目さでは賈平凹には及ばない。/それでも莫言が受賞した。」
ここに名前の挙がった韓少功から賈平凹までの8人は、50~60歳代の有力作家である。「戯れ歌」にもあるように、彼らは莫言と匹敵する、ないしは莫言を凌ぐ力を備えており、莫言に次ぐ2人目のノーベル文学賞候補者たちであるのも間違いないように、私としても考えている(ただし残念ながら、史鉄生は2010年に59歳で逝去している)。ただし、ここに挙がった作家は全て男性作家で、王安憶・鉄凝といった優秀な女性作家も数多く存在していることも付記しておかねばならないようだ。ともあれ、想像以上に活性化している中国文学界の動向を、是非、注視しておいてほしいと思う。

*引用した「戯れ歌」だが、読んだ当時のURLをメモし忘れていたため、「資訊定製」サイトの「為什麼文学可以有諾貝爾奨?」と題された記事から孫引きするしかなかった。お許し願いたい。(https://www.zixundingzhi.com/all/1b8e4a47ca851f52.html



その16 「配偶者」という言葉をめぐって――どう呼んでいますか……?(2017年7月31日(月))
■授業の合間の雑談の際に、「僕の配偶者は、大学時代の後輩でね…」などと口にすると、学生の眼に一瞬、?マークが浮かぶ。もちろん、すぐさま「なるほど」といった落ち着きを取り戻すのだが、結婚相手のことを第三者に示す際に、「配偶者」という言葉を用いることは、まだ稀なのだろうとは思う。――私はもう20年来、「配偶者」と称している。昔は、「家内」「妻」「嫁(さん)」などを用いたこともあったが、いずれも「家」と関連する言葉で、女性を家に縛りつける印象が否めないため、どうしても違和感が残った。ましてや「奥さん」など、家の奥に閉じ込めるニュアンスでしかなく、絶対に使いたくなかった。

■「パートナー」「連れ合い」を用いる友人もいたが、私の言語感覚では気恥ずかしくなってしまう。毛沢東時代の中国で用いられていた「愛人〔爱人/àirén/愛する人〕」は、男女を問わず用いることもできるし、悪くはないなぁと思っていたのだが、配偶者からは、文字が誤解を招くだけでなく音も照れ臭いと、断固たる拒否を受けてしまった。そんな際に、法学部教員の友人が「配偶者」を用いていたのを見て、ニュートラルな法律用語でカッコいいと、はたと膝を打って便乗したのだった。

■では、中国では配偶者のことをどう称しているのか(取り敢えず、男性が女性を呼ぶ場合を例に取ろう)。前述したように以前は(少なくとも公式な場では)「愛人」を用いていたが、改革・開放後は、それこそ堅苦しく古臭く感じるようで、最近ではまず見かけない。逆に、使用人が女主人を呼ぶ際に用いていたとして毛沢東時代には否定されていた「太太〔tàitai/奥様〕」が復活したり、日常語だった「老婆〔lǎopo/妻・女房・かみさん(老婆ではない点に注意)〕」「家里的〔jiālide/(里は中の意味なので)家の人・家内〕」などが、意外に公的な場でも用いられたりしているようだ。なお、中国語の場合、人称代詞の「我」「你」などを前に付けて、「我太太」「你老婆」などと呼ぶのが一般的である点は付記しておく。

■大学教員などの場合、「(我)夫人〔fūrén〕」と称する人が増えたようにも思う。以前は、外国人に対してのみ用いていたのだが、徐々に広がってきたようだ。それに伴い、ミスターに相当する男性の敬称である「先生〔xiānsheng〕」を用いて、「(我)先生」と言う女性も増えてきた。また、中国的なのだろうが、名前(場合によっては姓も含めたフルネーム)をそのまま呼ぶ人も散見されるようにも思うのだがどうか。更に、若い世代には、きっと独自の流行用語があるに違いないので、今後ともじっくり観察していきたいと思う。

■最後に、最近、衝撃を受けた一言を紹介しておくしかない。私としては、「配偶者」という言葉は、男女平等で民主的だと思って用いていたのだが、「「配偶者」が法律用語である以上、法律が認めた婚姻でしか用いられないことに気づいていますか?」と指摘されてしまったのだ。日本の現行法が、同性愛者をはじめ、当人が望んでいても婚姻が許されないカップルを生み出し放置している問題を、容認していく可能性がある言葉なのだと、改めて気づかされてしまった次第である。今後、如何なる言葉を用いたらよいのか、悩みは深まるばかりだ。――ちなみに、中国語で「配偶者」は「配偶〔pèiǒu〕」と言い、やはり「主に法律用語」と注記されている。



その17 関西空港20時間(!)滞在経験――LCCって何?!(2017年9月5日(火))
■今年の夏休みは、7月21日に発生し、東太平洋を迷走しながら「非常に強い」台風へと勢力を強めた後、8月7日に和歌山に上陸し「自転車並みのゆっくりしたスピード」で近畿から北陸へと縦断して、9日未明に日本海へと抜けてようやく温帯低気圧となった、史上3位の長寿台風=台風5号に翻弄されることから始まった。――8月7~10日の日程で、ゼミ生有志による上海旅行を企画していたからである。参加者は学生11人と教員2人。ただし、種々の事情で利用する飛行機は3便に分かれるしかなく、私は女子学生5人を引率して、とあるLCC(Low Cost Carrier/格安航空会社)便で上海に向かうことになっていた。学生企画だったため「少しでも安く」が至上命題となり、私としても初めてのLCC体験をせざるを得ず、当初から一抹の「不安」を抱いていたのだが、まさに的中したのだった。

■私たちの乗る飛行機(以下、LCC便)は12:45発だったので、10:30関西空港集合としていた。他のゼミ生たちが乗るLCC便以外は、早くも8:00過ぎには「欠航」(翌日昼に出発)が発表されていたが、LCC便に関しては、私が京都駅から関空特急はるかに乗り込む時間帯まで、何の案内もないのだ。はるか車中で、スマホを使って関空HPなどを確認していると、9:50頃になって、ようやくLCC便に「遅延」の表示が出される。出発予定時間は「00:00」(深夜0時だ!)とあって、さすがに衝撃を受けるが仕方がない。10:40過ぎに女子学生5人全員と落ち合い、「しゃあないねぇ!」などと言いながらチェックインに向かう。ただし、LCCカウンターは第2ターミナルで、シャトルバスに乗るしかないことも初めて知った。大混乱(?)のチェックインを済ませて、第1ターミナルに戻って全員で昼食。その後、18:00まで、関空で自由行動とするしかない。学生たちは5時間に及ぶ「探検」により、「関空の隅々まで知ってしまった!」とのことだった。再集合した後、少し時間をかけて夕食。食後、外の様子を窺うと予想以上の暴風雨で、立っているのも困難なほどだった(奈良を縦断している時間帯だったらしい)。シャトルバスの運行にも支障が出そうだったので、殺風景な第2ターミナルで待機することにする。だが、椅子の類には全て先客がいたため、床にしゃがんで時間をつぶすしかなかった。22:00頃に、更に「遅延」で出発は明朝4:50、安全検査・出国手続も0:00より開始との案内が掲示される。必死に堪えた末に、真夜中の出国手続が始まるや否や、ほぼ一番乗りで搭乗口へと走る。搭乗口近辺でようやくソファーを確保し、多少なりとも横たわることができたのだった。なお、出発は更に「遅延」して、搭乗できたのは何と6:30!だった。以上、関空滞在20時間の顛末である。――上海浦東空港着は10:00過ぎ、宿舎到着は11:30分を過ぎていた。なお、10日の帰国時も、私たちのLCC便のみ、何故か「機材の都合」(中国語表示は「安排飛機的問題〔飛行機手配の問題〕」)によって、再び8時間も「遅延」したことを付記しておく。

■LCCは、可能な限り「欠航」を避ける、裏返せば「遅延」を繰り返すこと(さもないと財政負担が大きい)、また、LCCは空港内での「力関係」が弱すぎることといった「鉄板」の事実を、改めて思い知らされた次第である。――唯一の救いは、道中では不満・愚痴ばかりの学生たちが、「過ぎてしまえば、生涯忘れられない旅行になりました!」と言ってくれたことだ。一方、私は、もう2度とLCCには乗らないと心に決めた次第である……。

■ちなみに、中国人の友人と話していて、いわゆるLCCという言葉は、中国では、日本ほど一般的ではないことに気づかされた。中国最大の検索エンジン「百度」でLCCを検索すると、トップに挙がって来るのは「倫敦伝媒学院」(London College of Communication/ロンドン芸術大学を構成する1つのカレッジで、メディア・映像・コミュニケーションなどのコースがあるらしい)であり、そこへの留学実現へ向けた手立てに関する記事が並ぶ。また、中国版ウィキペディア「百度百科」のLCC項目の説明は、まずLife Cycle Costから始まっている(中国語では「全生命周期成本」「全寿命周期費用」。日本では「ライフサイクルコスト」とそのまま称されている)。製品や構造物などに関わるトータルな費用を指す言葉で、建築・流通マネジメント・消費行動などの分野で多用されるらしい。例えば、建物であれば、計画・設計・施工から始まって、その維持・管理、最終的な解体・廃棄に至るまでに要する費用の総額を指す。また、「耐久消費財を購入する際には、単なる商品価格だけでなく運搬費用・メンテナンス費用・廃棄費用等々、ライフサイクルコストをも視野に入れなくてはならない」といった用いられ方がされているようだ。

■いわゆる格安航空会社という概念は、中国ではまださほど定着していないようだ。呼称もLCCより、「廉価航空公司」または「低成本航空公司」と呼ばれることが多いらしい。断わるまでもないが、「成本」は「原価/コスト」の意味である。