第二次大戦後、末川博を総長に迎えた学園は、15年戦争時の深い反省の上にたって、憲法と教育基本法にもとづく「平和と民主主義」を教学の理念として掲げる。大学の運営についても、教授会だけでなく職員や学生を含む全学の構成員が参加する民主的な自治の原則がうちたてられていく。「全学協議会制度」「学部長理事制」「総長公選制」などである。また、1946年から「立命館土曜講座」が始められ、社会と国民に開かれた新しい大学の姿が追求されていく。

ALBUM: 1945-1959

経済学部も、1948の新制大学「立命館大学」(法学部、経済学部、文学部、各一部・二部)のなかで新しいスタートをきることになり、今年がその50周年の記念を迎える。専任教員14名、兼任教員26名で、入学定員は一部200名、二部200名であった。2人の井上を、中堅の高橋良三や武藤守一らが支えていた。新制の特色をもっともよく表していた一般教育の末川博「社会科学概論」や佐々木惣一「憲法」の講義には、1,000名を超える学生が復員服姿もまじえてつめかけ、教室は私語一つない凛とした空気がみなぎっていた。当初は、昼間に先生や公務員として働く二部学生の数のほうが、一部よりもずっと多かった。

飢餓と悪性インフレのなか、時には一年に二回も授業料値上げを余儀なくされ、学生達は生活防衛に追われながらも、初めて与えられた自由な真理探究の場を最大限に生かそうと努めた。日本の民主化のためにも組織的な運動をくりひろげ、また「学園振興懇話会」をつくって学園の将来的なあり方の政策論議にも加わっていった。

TIMELINE: 1945-1959

  • 1945年末川博学長に就任
  • 1946年日本国憲法発布
  • 1947年トルーマン・ドクトリンの発表と冷戦体制の開始
  • 1948年 GHQ、経済安定九原則を発表 法文学部を改組し、法学部、経済学部、文学部(各一部・二部)を設置 全学協議会設置
  • 1949年理工学部発足
  • 1950年朝鮮戦争勃発
  • 1951年日米安全保障条約調印
  • 1952年学園復興委員会(学園振興委員会の前身)を設置
  • 1953年末川総長再選
  • 1954年電気洗濯機、冷蔵庫、掃除機が三種の神器と呼ばれる
  • 1955年「神武景気」始まる
  • 1957年「なべ底不況」始まる
  • 1958年「岩戸景気」にわく
  • 1959年学生生活援助基金を設置

SONGS: 1945-1959

  • 東京行進曲
  • 銀座の柳
  • 赤城の子守唄
  • 忘れちゃいやよ
  • 青い背広で
  • 雨のブルース
  • 湖畔の宿