1960年代に入って、「高度経済成長」は日本社会の構造を一変させ、大学の大衆化といわれる新たな段階をもたらす。立命館大学も、それまでの四つの学部(法学部、経済学部、文学部、理工学部)に加えて、あらたに経営学部(1962年)と産業社会学部(1965年)を新設し、総学生数が20,000名を超える規模に達するようになる。経営学部は、小椋広勝初代学部長はじめ17名が経済学部より移籍し、文字どおり経済学部が母体となって生みだされていった。

1960年代の教学改革は、いわゆるマスプロ教育の弊害を除去するために、立命館大学が先駆的に努力を続けていった軌跡を物語っている。1964年からプロゼミ方式と呼ばれる1回生の基礎演習や研究入門が導入され、順次これが全回生に横断的に貫徹されていく。一般教育を重視して、専門教育との相互たすきがけ方式が導入されていく。勤労者教育としての徹底をはかった二部改革がおこなわれる。

ALBUM: 1960-1969

1965年、経済学部(一部)経営学部(一部)は衣笠キャンパスに移転する。広小路の4.5倍の広さをもつ、緑と歴史ある寺院に囲まれた新しい天地に、以学館・修学館・中央図書館・志学館が次々に建てられていった。学生の生活様式にも、「三種の神器」に代表されるような近代化の波がおし寄せてきた。

しかし、高度成長期の日本の大学急増政策がもつ矛盾は、やがて1960年代末にいわゆる「大学紛争」となって全国的に爆発する。立命館大学も厳しい試練にみまわれることになったが、これを克服していくなかで、1970年代にかけ学園の民主主義的な体制や内実はさらに深められていった。

TIMELINE: 1960-1969

  • 1960年安保条約反対闘争が全国的に盛り上がる所得倍増、高度経済成長政策発表大学院生協議会、設立
  • 1961年ソ連、人間宇宙船打ち上げ
  • 1962年経済学部経営学科を母体として経営学部を設置
  • 1963年ガット11条国への移行通告二部改革(勤労者を対象とする大学教育)
  • 1964年IMF8条国に移行、OECDに加盟小集団教育一回生「経済学入門」開講
  • 1965年「いざなぎ景気」始まるアメリカ、北ベトナムを爆撃(北爆開始)経済学部(一部)・経営学部(一部)衣笠キャンパスへ移転以学館竣工、産業社会学部設置
  • 1966年中国、文化大革命始まるニ回生「英経書講読」開講(低回生小集団教育体系の整備)一般教育と専門教育の相互くさび型履修体系導入修学館(研究室棟)竣工
  • 1967年同和教育をめぐる全学的論議、衣笠に中央図書館竣工
  • 1968年GNP、西独を抜き米についで世界ニ位にチェコ・プラハの春二部入試制度改革(一部への転部を廃止)「学園新聞社」問題をきっかけに「大学紛争」はじまる
  • 1969年アポロ11号打ち上げ、人類初めて月面に立つ「全共闘」による封鎖・破壊・暴力が頻発わだつみ像が破壊される

SONGS: 1960-1969

  • 銀座の恋の物語
  • 上を向いて歩こう
  • こんにちは赤ちゃん
  • 高校三年生
  • 星影のワルツ
  • 長崎は今日も雨だった