1980年代は、衣笠一拠点化が成し遂げられ、立命館大学は、「学園創造」期と称される総合大学としての新たな飛躍の段階を迎える。これを支える財政の長期的な計画性と政策化が必要とされ、新しい学費改訂方式が導入されていった(1979年度全学協議会確認)。このとき、日本の社会のまた国際化や情報化などの大きな変動を経験しつつあった。18歳人口の急増・急減をまえに、「教育改革・大学改革」が本格的に始動していく。この新しい社会的要請に応えて、国際関係学部(1988年)と理工学部情報工学科(1987年)が新設される。

社会の大きな変動とともに、大学に学ぶ学生にも著しい変容が生じつつあることが注目されるようになった。1982年の全国学生の意識調査でも「支持政党なし」が7割を超えるようになり、「学生運動の消滅」が語られるようになる。

ALBUM: 1980-1989

学生を、激しい受験競争期をくぐり抜けた青年としての自立の過程にあるものとしてとらえ、「生きる力」と「学ぶ力」を結びつけた主体としていかに確立していくか。「真の自主性」を中心に置いた「集団性・共同性・連帯性」、そして社会のあらゆる領域で活躍できる「社会性」をそなえた主体としての学生をどう育てていくか。このような論議をへて、やがて1980年代の後半から90年代にかけ、自主性にもとづく豊かな個性と多様性の実現、多様な意欲と能力に応えうる複線型のカリキュラムのシステムがつくりあげられてくる。さまざまな留学制度や外国人常勤講師の招聘、情報処理教育、多様な入試方式、等々が多彩に展開されていく。大学院での高度専門職養成もおこなわれていくことになる。

TIMELINE: 1980-1989

  • 1980年79全学協議会確認(80年代以降の学園政策、新学費方式)
  • 1981年法学部衣笠へ移転、一拠点化が完了
  • 1982年衣笠セミナーハウスを開設
  • 1983年末川記念会館竣工
  • 1985年プラザ合意谷岡武雄総長を選出、国際センターを設置、外国語外国人教師就任ゴルバチョフによるペレストロイカ
  • 1986年チェルノブイリ原子力発電所事故レイキャビックで米ソ首脳会談が開かれる 男女雇用機会均等法施行 スポーツ特別選抜入試・帰国生徒特別入試実施
  • 1987年ニューヨーク株式市場、ブラックマンデー海外セミナー(語学研修)を実施
  • 1988年東京の地価、史上最高経済学部のカリキュラム改革(6類編成を7類に、国際経済、統計・情報、産業・構造分析を新たに設置) 国際関係学部の設置
  • 1989年ベルリンの壁の崩壊消費税、スタート 文化・芸術特別入試実施

SONGS: 1980-1989

  • ルビーの指輪
  • 北酒場
  • めだかの兄弟
  • 俺あ東京さいぐだ
  • 乾杯