国際化と異文化理解は個人のレベルを中心に

野澤和典(豊橋技術科学大学)

この小論は『浜松英語研究会-5年目の歩み:続けよう異文化理解の行動を!』、1994年に掲載されたものである。

日本は「資源大国」であり、良質な人材を擁するにも拘らず、国土が狭い「資源小国」であり、国の存在基盤が危うい等と自国を形容してきた。その結果、大前研一氏(1986)が主張するように、「アラブとはつき合うが、その敵対国のイスラエルとはつき合わない」「韓国や台湾は競争相手で、インドネシアやマレ−シアは大切にしなくてはならない」「そのどっちでもないフィリピンやタイには援助金を恵んでやればよい」等と世界をクラス分けして、ブラジルや中国となると浮かれ出すが、インドやアルゼンチンということになればどこ吹く風という顔をする。日本にとって「資源小国」から脱することを助けてくれる「有望資源国」であるか「加工貿易立国」のために市場を提供してくれる「有望市場国」であるかのどちらかでなければ興味がなく、関心もないという「小国日本」の傍弱無人な態度を示してきた。一方、市場解放等に関して世界中からの非難をなるべくかわそうとして、涙ぐましい努力でもってピエロのごとく八方美人を演じているように見える。外国からの圧力がないと自己改革ができないという現状からして、独立国家としても、また常任理事国へ選出されて国際連合を舞台に世界をリ−ドしていく国の一つとはなり得ないのではないだろうかと疑われる。

多くの専門家や知識人が提言してきているように、国全体がそういったスタイルでしか「国際化」に対応できない以上、個人(草の根)のレベルで少しでも日本文化・日本人を理解してもらう必要がある。年間1千万人が海外へ長短期の旅行に出かけ、外国人300万人が何等かの目的で来日している現状があるが、どちらかというとまだまだ異文化理解に乏しく、異文化適応への積極的な取り組みができていないことは否めない。そのためには、西田司氏(1992)が提言するように、異文化の社会で必要な3つの能力(語学力、国際業務遂行能力、異文化能力)を修得しなければならない。もちろん、語学力といっても国際語としての英語力だけでなく、現地語(対象文化の言語)の習得は不可欠であるし、コミュニケ−ションの失敗や誤解を避けることのできる能力養成のために、異文化への知識を増大させ、対応方法を修得する必要があろう。また、国際化時代には極めて重要であり、自己実現するために、あるいは日本人特有の病気「国際性欠乏症」を治癒するにも「国際感覚」の養成・修得が第一であり、長期的展望に立って特に教育レベルでその大きな改善がなされなければならないとする寺谷弘壬氏(1988)の主張も的を得ていると思う。

いずれにせよ、地味ながら日々の異文化交流を通じて様々な異文化に接触し、カルチャ−ショックを受け、文化相対主義の立場で対応していく努力を怠らないことが、「宇宙船地球号の乗組員」の使命であり、理想的な「異文化人間」に近づくための方法ではないだろうか。ESGの会員の皆さん一人ひとりの活躍が期待されているのです。

<参考文献>
大前研一『世界が見える日本が見える』講談社、1986年
  寺谷弘壬『国際感覚をみがく本』三笠書房、1988年
西田司『異文化適応の条件』豊橋技科大語学センタ−講演会資料、1992年


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